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豪州(オーストラリア)の日本茶(グリーン・ティ)とか。
豪州婦人が帰る際に貰った手土産の包みを開くと豪州の日本茶だった。
私が意味が解らずにいると娘曰く「オーストラリアで日本茶作ってはるんやて」。
何で豪州から茶道や華道を体験しに来たのか分かったような気がした。
「何で先にそれを云わんねん」と私が娘に小言を云うが既に車の中。
手違い・勘違い・云い違いは大概は後の祭りである。
この豪州産の日本茶、袋を見ると面白いことに気付いた。
二つ川(河?)という名称が何やら日本的、それに「shincha」と記されている。
日本人向けなら解るが、異国人に「新茶・しんちゃ」が意味が通じるのかどうか。

と思ったが、考えてみれは豪州の季節は日本と逆さま。
豪州産和牛があるように、豪州産日本茶があれば新茶の時期が逆さま。
ということは、豪州の日本茶を輸入すると新茶が二度味わえるということ。
まま、もうどうでもエエか。
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2017.10.19 茶花風華道
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娘夫婦が茶華道体験希望の豪州婦人を連れてやって来た。
本来、亭主は茶室で最初の挨拶となるが、娘が玄関から「来やはったよ」と声を掛ける。
仕方なく出て行くと、五十代の異国の御婦人がニッコリした顔付で立っていた。
ままよと、靴を脱いで家の中に入るように促し、畳の部屋に通して座布団を勧める。
私の茶、上田宗箇流では来られた客に待合で白湯(さゆ)を出すが今回は桜茶を出す。
まま、異人さんにはその方がめずらしかろうと思っただけのことである。
娘夫婦が仏壇に線香をあげ鈴(りん・鐘)を鳴らすと、その御婦人も横で手を合わしなさる。
御婦人が長押(なげし)に掛かる日本刀を見ているので私が取って抜刀、御婦人の目元へ。
御婦人、お目目バッシリ開きなさったが、やがてぎこちなく笑顔をおつくりなさった。
婿殿は袴姿で来ており、御婦人を外の腰掛待合から手水を使い数寄屋へとエスコートする。
娘も今月で一歳になる下の孫を抱っこ紐に結うて後に続いた。
後炭風に風炉の炭を整えて、素麺と柿の葉寿しを出す。続いて濃茶を練る。
薄茶は婿殿に託し、私は和室を生け花ショーの舞台づくりに模様替えを行う。
御婦人は端坐(正坐?)が3分持たないようなので、茶の体験は止めることにした。
いくら紅毛人とは云え御婦人、彼女が股を広げて畳に坐す武者点前は見るに堪えない姿。
その分、生け花体験を充分堪能してもらうべく用意をした。
私は京風の華やか生け花、或いは活け花を余り好まないので、茶花風にアレンジ。
茶の作法の「花所望」では客に花を入れてもらう仕儀があるので、それに似せた。
まま、御婦人もそれなりに興味を示してご堪能の様子、と思う。
私が御婦人に云ったことは二つ。
御婦人は剣山の彼方此方に花を挿すので、私は余り離さずに一箇所からが良いこと。
そして天地人、つまり全体の上と中と下にアクセントを付けて花と色を選ぶこと。
この二つだけで、後は彼女の好きに任せ、時々彼女が困るところを手伝うだけにした。
彼女は帰国してからYouTube で友達に見せる云々とか何とか云っていたような・・。
下の写真、出来栄えは如何?
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玄関の秋明菊(シュウメイギク)を茶花に使った。
花入は奈良の知己、陶芸家豊住和廣氏の作品

14日の夜に東京から戻り、15日は女房殿の退院で迎えに行く。
昨日一昨日は雨続き、今日は豪州からの婦人を妹夫婦が連れて来るとか。
何でも日本の茶道と華道に興味を持って、日本に来たという。
娘の頼みゆえ断る訳にもいかずヤレヤレで雨の中で茶庭の掃除をする。
これから、素麺会席の準備をするところである。
豪州の御婦人、日本語が出来るのかな・・・。

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のどぐろ煮飲み放題セット。肉コースより魚が年寄り連中に好かろうと気遣った。
しかし、5人中下戸3人とは想定外。何でも自分を基準にする思考は私の悪い癖。

さて、「天才と秀才」の話の続きである。
その同級生は入試高倍率の国公立立芸大に入った。
曰く高1の時から受験を決めていて、それなりの受験対策をしていたと云う。
筆記試験の他に実技の試験が1次2次3次とあったということだった。
その中にあったデッサンの試験では、彼の作品が一番だったと後で知ったという。
彼が云うには、試験中に彼の出来が良いとはある程度気付いていたとのこと。
知らなかったが、芸大の実技試験では室内往来とか行動は自由だとか。
つまり、他の受験者の作品や進行状態を何時でも確認できるという形態である。
試験の時に隣を覗くのはご法度、ましてカンニングは即退場というのが入試の常識。
彼が立派だったのは入学後の努力である、学校だけでなく寮でも昼夜を問わず努力。
夏休みで奈良に帰っている時も、母校の美術部に通って勉強を続けていたという。
半世紀以上経って、初めて知った話であり、皆は感心して聞いていた。
その彼が曰く、「首席卒業は出来たが考えてみればそれだけの話であった云々」。
努力で良い成績をとるのは単なる秀才で、芸術家として大成するとは限らないとか。
天才は居る、どれだけ努力をしても自分たちが追い付けないものを持った者が居るという。
声楽でいうと、ソプラノのもう一段高い声域は努力だけでは出せないところがあるとか云々。
それを自分の妻はこともなげに出せた。彼女は天才だったと云い出した。
彼の奥さんも芸大の声楽コースに居たということだった。
「そんな奥さん、どないしてものにしたんや」とか、「美大と芸大の違いは音楽の有無」とか。
話はソコソコ盛り上がった。そのうち彼は云い出した「自分は彼女の才能を潰してしまった」。
彼は芸大を首席卒業して、大手企業に就職する道を選んだ。
勿論、美術分野に特化した職種でデザインやビジュアル企画の専門職であり、今も現役。
最近、オペラのコンクールかなんかがあり、高いソプラノ部門の優勝者の歌声を聞いたという。
懸命に高音を出す優勝者の声を聞いて、自分の妻のレベルを再認識、申し訳なく思ったとか。
彼が妻の才能を潰したと悔やむので、ふと思い、私が彼に云った。
「お前さんは、奥さんに妻であること母であることを求めたのやろ?ちゃうか。」
彼は黙って頷いた。私は「せやなぁ、結婚したんやもんなぁ」と云う、皆も聞き入っていた。
そこで私が茶化しを入れる。
「東京芸大学長であった東山魁夷はん、内助の功で立身とかの巷間の噂話、あれホンマか?」
東山画伯は世界的にも有名であるが、その奥(すみ)さんは芸大時代に天才の誉れが高かった。
しかし、画伯と結婚後は余り世間の表舞台での活躍は少なくなったという。
由って、東山画伯の作品に奥さんが少なからずの手助けをしているとの噂が立った。
同級生と東山画伯は共に芸大出の女性を嫁にしていることに掛けた私の茶化し話。
彼応えて曰く、「よくは知らんがそんなことは無いと思うよ・・」
私「せやけど専らの噂やわな」、彼「・・よう分らんけど」、さすが秀才答弁。
まま噂は、東山画伯の有名税というもので、その妻・すみさんの才能を評価する話でもあろう。
絵画の仕事に奥さんが声楽では内助の功にならへんなと、彼に云い掛けたが止めた。
携帯でのブログ記述を止め、テレビを点けるとさすが東京、小池東京都知事が日本地図を掲げ希望の党の公約説明をしてなさった。
掲げたその日本地図には北方領土がない、消えている。
何たる政党かと再び携帯を手にする。