2013.04.29 即座即立
 週末に伊賀越えから伊勢路を通り、名古屋の熱田神宮まで出掛けていた
用向きは孫の宮詣りであったが、愛犬を同行させる為に車で行った
紋付き袴の髭面男が柴犬を連れ、神社内を歩く姿が珍しいのかして
外人達が笑顔で近づいて来て、写真を撮りたいと云い、犬に愛想する
ままよと、それなりのポーズをとってはみたが、表情が硬かったようだ

 祈祷場の建物の外に愛犬を待たせ、中でご祈祷を受けた
皆神妙に畏まり、玉串を捧げ、お祓いを受け、二礼二拍手一礼を済ます
神官と巫女の動き、特にその巫女さんの立ち座りは見事であった
まっすぐな姿勢のままで坐り、そして立ちあがる。凛々しさがあった
曰く「煙の立ち昇るが如く」、当流で「即座即立」という形である
然し、加齢と加重が進む最近の我が身、即座即立に少々辛いものがある

 茶の所作では仏僧の作法が云々されるが、神道の影響が強いと私は思う
神道の清浄で凛とした所作には納得させられるものがある
知人の神官によると、神道の所作には腰掛け姿は無いという話である
つまり、所作は坐るか立つかの姿でやるもの、ということになる
確かに茶の正式な所作も、坐るか立つかであって、腰掛け姿はない
腰掛け立礼点前とは、近代になって外人相手に千家茶道がつくったもの
本来の形からは崩れたものだが、最近は支持者が増えて来ているようだ

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 茶の湯の所作の心得として、軽いものは重く重いものは軽く扱うように云われている
このことは、和歌や能芸或いは弓の所作等にも云われている共通した話のようだ
恐らく日本文化の玄旨に通じるものだろうと、私なりに思念するところである
ところが最近、この話に思い当たる出来事が重なり、少々考えさせられている

 百年以上の歴史を持つ大阪の中堅会社に、所用で電話を入れた際のことである
私が「井谷と申しますが、●●さんいらっしゃいますか」と聞くと、電話に出た女性は
「●●様は今いらっしゃいません、昼頃来られるとおっしゃっておられました」と云う
私は「戻って来られたら当方に電話を下さるようお伝え下さい」と云って電話を切る
暫くして、●●さんから電話があったので聞くと、件の女性は新入社員だということ

 この会社の社長は私のよく知る御仁で、経営者として品格礼節申し分のない紳士である
日頃から企業文化の向上にも腐心されおり、私として親愛する畏敬の友だと思っている
実は先日のこと、奈良の銀行の支店長に電話をした時にも同じ様なことがあった
やはり、電話に出て応対したのは新入社員の女性ということだった
奈良では伝統と由緒のある銀行の、そのベストスリーに入る支店でのことである
続けて似たことを体験し、私は「かろきはおもく」の話を成程と実感したのである
この似た二つの話、思考が同じであって、新入社員はまだ仕事が出来ないから、
取り敢えず「電話番でも」、つまり「かろき」仕事という考え方の為せるところである

 私の仕事は流通業に関係するものであったので、その時のことを話すと
店長の最重要業務とは、①緊急事態への対応、②顧客の苦情対応、この二つである
この二つは店長自ら行うもので、部下にさせてはならない、ということであった
電話番こそ企業を代表する窓口であり、それは緊急の或いは顧客苦情の入口である
電話番という業務の重要性をよく分かって人を配し、教育をすることが肝要と云える
「電話番でも」と思考する頭では、「かろきはおもく、おもきはかろく」が分からんだろう
まま、さすがにその支店長、この話をするや、すぐ我が家の来て「お詫びに云々」とか
そして曰く「その新人にはよく云い聞かします云々」、私曰く「あんたにじゃ・・」
さて、件の会社の社長、このブログを見て・・
 昨日の新人稽古は、5月の流祖法要茶会参列に向けた、客稽古のあれこれ
今回は濃茶の廻し飲みと茶碗の拭き方の稽古で、稽古応援者も来てくれた
今朝、愛犬と散歩から帰ってテレビをつけると、ケーブルテレビの番組で、
昔に観た映画、井上靖原作「本覚坊遺文」が放映されていたので懐かしく視聴
本覚坊・奥田瑛二、織田有楽・萬屋錦之介、利休・三船敏郎、秀吉・芦田伸介
更に、山上宗二・上條恒彦、古田織部・加藤剛という面々での芝居
昔観た時は、それなりの実感が伝わって来たものが、今朝は違和感が残った

 端坐(正坐)で手の平を畳に付け、服紗を帯の左に付ける点前や所作
今の千家流の形で当時の茶の湯を演じているのことに、シックリ来なかった
当時は安坐或いは片膝で、服紗は右に付けていたことは茶道界では周知のところ
見終わって思ったのは、時代劇で大名茶道と千家茶道の違いが区分されていないこと
それは製作者の時代考証の不足だけでなく、演技指導をした茶道家の認識や如何と
少々、釈然としない思いが残った、 

2013.04.19 大茶盛と茶粥
 先週末に西大寺の横を通ると、門の出入りが賑やかであった
ああ、大茶盛の見学者というか参加者だと直ぐに分かった
鎌倉時代から続く行事で、元は貧しい病人達へ高価薬の茶を振舞う形で始まったと聞く
その話は、病人だけでなく飢えに苦しむ者に粥を与えたという説もあるとも聞いていた
今朝、茶粥を作っていて、ふと気付いたというか、ある思いが拡がった

 「大和の茶粥、京の白粥、河内のどろ喰い」とかいう古い諺がある、これだ
西暦1239年の西大寺で叡尊が始めたという、この大茶盛の茶とは、茶粥だったのでは
ここに、大和の人が茶粥に親しみ、「おかいさん」という言葉の発祥になったのでは・・と
当時のことを考えれば、手間の要る抹茶を多くの人々に振舞うことは有り得ないであろう
大きな鍋で茶を煮出し、米を入れ茶粥を作って、大勢の飢えた貧しい人々に振舞った
今でいうと、災害地での炊き出しの風景ではなかろうか、と勝手な想像をした
ただ、一人一碗の今とは違い、何人かが一つの大碗で廻し合い啜る光景ではあったろう

 飲酒が禁じられておる故、酒盛りならぬ茶盛りと呼ばれる様になったとも聞くが
話の起こりから考えてみると、これは眉唾かなと、これまた勝手読みをする
2013.04.15 人の重み
 昨日の日曜日は石州流の茶事、土曜日は武者小路千家の大寄せ茶会
共に席主は茶の流儀を伝える家筋の御方だけに、良い勉強をさせて貰う
石州流の茶事は、とある御方の追悼茶事でもあり、一席十人余り
待合いの壁下には、金文字で写経された法華経の屏風が遺品として置かれていた
キチッとした書体で乱れ無く書き綴られた文字から、その御仁の生前が伝わり
記念に頂いたその御仁のエッセイ集を見ると、御仁の肉声が聞こえる思いがした
勲一等を受けたという人物の重みとは、如何なるものかと知る

 土曜日の武者小路千家の茶会では、席主の在り方というものを教えられた
十徳で着座された席主は、穏やかな表情と口調であり、座に溶け込んでいて
そして穏やかながらも言葉には凛としたものがあり、う~ん成程にと感服
日頃の研鑽ぶりから席主の重みが滲み出るものだと、つくづく思い知らされる
さてさて、未達の我が身を省みて、悄然と帰路についたこの二日の茶であった
2013.04.12 茶会と茶事
 五月に流祖の法要茶会があり、新人の方と他流の方も加えて参列する予定
茶会という言葉は、室町期の和歌・連歌の会所から来ているということである
貴族の風雅な遊芸であった歌会合せの場である会所に喫茶の風習が取り入れられ
それが茶の本非、産地を当て合う闘茶の場となり、更に懸賞や景品が付くという
賭博性の高い酒宴の場になったのが茶会所、茶会と呼ばれたという話である

 やがて闘茶という茶寄合は禁止され、喫茶と道具と会話を楽しむ茶会となった
その茶会は、今で云う茶事の形式に近いもので、茶祖村田珠光達の茶であった
以後、明治になるまでの茶会というものは、今の茶事だと思ってもらうと良い

明治期になると、益田鈍翁や松永耳庵達のような財界の数寄者が道具を収集する
有態に云うと、零落した旧大名家の道具を財に任せて買い集めたということだ
このことで、海外に流れ出していた日本の美術品を幾らかは食止めた功績はある
財界数寄者達は集めた道具・美術品を披露するための茶会を開いたのである
多くの人に見て貰うために多くの人を集めた茶会、これが大寄せ茶会となる
以後、これまでの小人数でゆっくり喫茶と道具、そして会話を楽しむのは茶事
何十人で席に入って道具を拝見するのは茶会、と区別されるようになった

 思うに、零落大名家の道具を成り上りの商売人が買い上げて、世間に披露とは
悪趣味のきらいがあるが、美術館が無かった当時では、それもママ良しかと
 座礼で畳に手を付ける際、手の平を畳に付けず、握ったままで指の爪の甲を畳につける
理由は、畳は人が歩いて通る場所故、不浄とされているためだ
武家作法の本流である小笠原流礼法でいう爪甲礼(そうこうれい)の仕方である

 この手を握った拳の座礼は、古流と呼ばれる武家茶道の流派に多くみられるので
信長・秀吉や利休・織部もそうしていたものと思われる
この拳の座礼は、正座より安坐(HP参照)の方が向いているのが実感としてある

 上田流に伝わる古文書には「心得の事」として「惣身に手をあてるは宜しからず」
ともあり、畳はおろか身に付けた衣服にも手の平を付けることを戒めている
これから茶を点てたり、料理を出す手の平を汚さないようにという心得である
当流では、女子には三つ指の爪先を畳に付けることにしているが、他の武家茶道では
女の方も拳で挨拶されるのをよく見かける、勇ましく感じる
2013.04.10 扇子の扱い
 他流では挨拶の際に扇子を前に置くことが多いが、当流では手に持ったままとする
多くの茶道流派で扇子を膝前に置いて挨拶する習慣が根付いているため、此の頃では
扇子を前に置かない此方が逆に怪訝に思われるとかで、当流の人も扇子を膝前に置き
挨拶されることが増えてきている

 扇子は結界として相手を高貴、此方を卑賎として境を設けるとか云うのが一般である
また、扇子を刀と見なして、それを前に置き、危害を加える意思のないことを示すとか、
云われているようですが、武家の習わしに扇子を前に挨拶していたとは聞き及ばない

 神道では常世と現世の端境、仏教では清浄と不浄、密教では魔界からの侵入を防ぐ云々
あれこれ云われているようで、確かに、僧職の方が扇子を前に置く姿はよく見られる
どうあれ私は、我が流儀を通し、挨拶は扇子を右手に持ってすることにしている
2013.04.09 初稽古
 ある御仁から一回ワンテーマ
長文は避け、適当に行を開け、目に優しく、云々との助言を受ける
自身も思っていたところなので、早速に手直し 

 この朋庵茶塾をお二人が卒塾されて、この四月からお二人の新人が入塾された
稽古初日は、席入りの襖の開け閉め、座礼、挨拶、茶の飲み方、菓子の食べ方等
我が上田宗箇流の作法を解説し、形から入る稽古をする

 当流の作法としては、床前の畳を貴人畳と呼び入らないこと
座礼は首を折らす、顎を引き、背筋を曲げずに、息を吸いながら礼をすること
そして、息を吐きながら体を戻して、相手をみるという形である

 肩を張らず、顎を出さず、腰を折らず、指を広げず、視線を動かさず・・云々
さてさて、お疲れでした

 
2013.04.07
昨日は車で伊賀越え、この季節になるとつくづく思わされることがある
それは、これほど桜の木があったのか、ということだ
山肌、川岸、民家の庭とあちこちに桜が見える
今朝、愛犬を連れて秋篠川の桜小路を歩いた
満開だった桜が夜来の風雨で散り、小路はピンクの絨毯が敷かれた様であった
まだ人が通ってない所為もあり、花びらが「ホンノリ桜色」そのもので艶やかだった
この桜花、茶花に使わない習わしがある
その理由は、有り触れているからと一般には云われているが、当流の伝によると、
桜は「富貴」故、茶花には使わないとされている
然しながら、私は三月末に桜を使った(禁を破った・・)
梅と桃と合せて三種を入れて、「三春の花」と一人で悦にいっていた
ところで禁花のこと、要は匂いが強い、色がドギツイ、棘や毒がある、名前が悪い
更には、季節がない、長持ちする、縁起が悪い(葬式等に使う)等々の花だ
それに花弁が偶数の、つまり4枚6枚8枚の花は避けられている
しかし、禁花と云われる花を結構使いこなして、茶花の本を出している御仁もあるので、
禁花のことは、一概には云えないと私は思っている

南方録に書かれている話は語呂が良く有名なので、以下記載
(南方録は偽書とされているが、その内容は一見の価値あり)

花入に入れざる花は沈丁花(じんちょうげ)深山(みやま)しきみに鶏頭(けいとう)の花
女郎花(おみなえし)、石榴(ざくろ)、河骨(こうほね)、金盞花(きんせんか)、
せんれい花をも嫌らふなりけり
 東京の知人から深谷ネギが届いたので、このところ茶飯釜の茶事が続く
茶飯釜は千宗旦の弟子が考案したやに聞いており、我が上田流には無い形だ
私は宗猵流の茶友から教えてもらい、それなりに気に入っており、楽しんでいる
それは、茶飯釜を釣って炉の炭火で飯を炊く、炊き上がるまでの間に膳を出す
向こう皿には肴を盛るが、飯椀と汁椀は空のままとして、しばし酒を出し薦める、
飯が香ばしく炊き上がると鎖から外し、次に鉄鍋を掛けて汁を煮る、というものだ

 さて昨日の話、5年の茶稽古を終えた卒塾者二人を囲む茶飯釜茶事
汁には焼いた深谷ネギと油揚げを入れ、次に鴨の切り身に片栗粉をまぶして入れた
客六人で酒も進み、炊き上がった飯と鴨鍋を味わった際のこと
広島出身の正客曰く、「このネギが旨い、これは下ねたネギですかね?」
東京出身の次客曰く、「いやいや、それは下ねたでなく、下にたネギでしょう」
奥方も交えた中、皆の衆は大笑い、座が和んだ
濃茶となるまでの時間に、私は紙と筆を出し、一句所望する、
唐突なこと故、皆さん戸惑いながらもひねり出す、以下無断掲載

茶飯釜 ウグイスの鳴く 春始め
卒塾の 宴か茶事か 桜舞う
お茶を飲み 菓子を食べての 卒業証書
春が来た 酒も肴も 踊り出す
ウグイスも 集いにぎわふ 卒業の茶事
あ々楽し 鉄鍋囲んで これも茶事