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あさがおドーム


 例えとして、東京ドーム何個分とかいう話をよく聞く
それは面積の例えか容積の例えとして云うことが多いようだ
然しながら、ドーム(半球体)を二つ上下に合わせ球状にした例えは余り聞かない
東京ドームは球場なのに・・・、受けないシャレか

 昨日は和歌山で深酒をした
同席者は情報ネットワーク企業の社長と情報工学の大学教授であった
茶の話とは無縁のようではあるが、面白い話になったので書く
話は「球」である

 二〇年余り前のことであるが、情報ネットワークの世界で鬼才の持ち主がいた
私と変わらない年齢で、話が面白く、人を引き付ける徳性を供えた御仁でもあった
その御仁の曰く、「球の一点は全て中心点、それがネットワークの概念である」
つまり、球の一点はどの一点であってもすべて中心点であって、上下や左右が無いということである
組織論でいう、ヒエラルキーやピラミッド、横断的プロジェクトやタスクフォース等の思想・概念
あるいは網状・網型の即ちネットワーク組織という概念も、全て平面か立体形のものであった
それが「球」という概念を聞かされた時には、衝撃的なものがあった

 どの一点も全て中心点である、故に組織参加者・構成員は全て主体であり主人公になると云う
それが組織の原動力となり活力となるのだと聞かされ、ネットワーク事業に熱気が沸いたものだ
爾来二〇年余り、ネットワーク産業はインターネットの発展と相まって色々な形で成長している
その鬼才の御仁は、後に政治の世界を志したが、落選の憂き目にあったとか聞いている
しかし彼の残した「球」の思想は、あちこちで活かされているという話になった

 ある時、私は気付いた
その「球」の話は、正しくは「球面」の話であって、「球」は一つの中心点を持っているのだ
確かに、球面の一点は全て球面の中心点であるが、球の中心点はただ1つ、一箇所である
こんなことに気付くのに、私は二〇年掛かったのである
中心点を持つネットワーク構想への頭の切り替えが肝要と、二人にウソブキナガラ盃をアオッタ
一般には何の面白味も無い話ではあるが、昨夜の深酒のネタ話であった

 深酒した翌朝の中濃抹茶は旨い、効く



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南京カボチャの花、花言葉は「広大・抱擁」

 私の子供の頃は、カボチャ(南瓜)とナンキン(南京)を区別していたように思う
茎元が凹んだ小柄で黒皮のものが南京、こつま南京がその代表であったが、今は見かけなくなった
変わって野菜売り場を占領しているのはカボチャ(南瓜)である

 このカボチャのことを、前には芳香南京とか東京南京呼んでいたが、今は単に「カボチャ」である
気になって調べてみると、南京は桃山期にポルトガル船で日本に渡来し、上方や西日本で改良されたもの
南京経由の瓜ということで、南京瓜とか唐茄子とか呼ばれたらしい、野菜区分では日本カボチャだそうな
南京ものとしては、南京豆・南京玉・南京虫・南京袋等があるように、交益が盛んだったようだ
一方、芳香南京は幕末期にアメリカ船で入ってきたもので、別名「東京南京」と呼ばれたもの
では何故、市場はカボチャ即ち芳香南京に占拠されてしまったのか、味に甘味があるからだとか・・
因みに、ズッキーニもカボチャの一族と聞く

 ハロウィンもシンデレラも「カボチャ」という
どうして、南京のお面とか南京の馬車とか云わんのだろうか

 云わば、南京とは南蛮船がもたらした食糧の優れもの
その南蛮船では、茶器として見出されるものも載せて来た
「南蛮渡り」「南蛮もの」、茶の湯の世界に彩りを与えた功績は大
この南蛮もの、唐ものや朝鮮ものとは別に「島もの」と呼ばれることもある

呂宋(るそん):フィリピンのルソン経由でもたらされた陶器(茶壺が有名)。
安南(あんなん):ベトナム製の染付け陶器。
南蛮(なんばん):東南アジア系統の焼締めの陶器の総称。
ハンネラ:南蛮焼の一種。
砂張(さはり):銅を主とする合金であるが、特に東南アジア系統の製品を指すことがある。
独楽(こま):タイなどの漆器で、同心円状に塗られた色漆が回転する独楽に似ることから称される。
蒟醤(きんま):タイ、ミャンマーで作られる漆器で、細かな線刻紋様に特徴がある


南蛮菓子と云われるものは

カステラ:長崎市の銘菓としても有名。
金平糖 (こんぺいとう)
有平糖 (ありへいとう)

ボーロ(ぼうろ) そばぼうろが有名
カルメ焼き
ビスケット
パン  (あんパンは日本のオリジナル、他では見ない)
カスドース:平戸市の銘菓
タルト:松山市の銘菓 (鹿児島でも見るが・・)
鶏卵素麺:福岡市の銘菓としても有名。(ひよこもこの流れか?)
砂糖漬け:文旦漬 (卒塾者の奥さんは夏ミカンでお手製される)


ここで一つ、訳が分からない名称の南蛮ものもがある
それは、ご存じトウモロコシ
漢字を当てると「 唐・唐土 」となる
トウモロコシ、唐の唐土とはこれ如何に
調べると、モロコシとは唐黍・蜀黍とも書くとか・・ふむ、でも引っかかる
我々の子供の頃のトウモロコシの名称はナンバ、或いはナンバンキビ、つまり南蛮黍が一般的であった
こちらの呼称の方が真っ当と思えるのだが、この言葉も最近聞かれなくなったようだ


2013.07.25 笹雪茶碗
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笹雪の茶碗
旧式の携帯電話で撮っているので、映像が見辛い
私には新式の、スマートフォンとかいう指先で画面をいじくる機種は使えない
よって、壊れるまでこの機種を使い続けるしかない(もう壊れかかっているが・・)

 当流の京都稽古場へ久しぶりに宗家が来られるというので私も出掛けた
京都の稽古場は広間と小間に分かれて稽古があったが、宗家は小間に入られた
私も小間に入り、半日の間ご一緒させて頂いた

 稽古では、朝茶事の流れに合わせ、風炉の炭点前や直点(すぐだて)をやっていた
暑い夏には、早朝の涼しい中に茶事を行う、つまり朝茶事をすることが多い
茶事はふた時ふた刻、四時間程度で、会席と茶席を愉しむのが普通とされている
然し、、朝茶事は3時間以内で済まして、暑くなる前に終えるようにする
従って、会席は簡単なものとし、茶席も濃茶と薄茶を連続して点て、時間の短縮を図る
濃茶に直ぐ続いて薄茶を点てるので、千家さんでは「続き薄茶」の点前と称すようである
当流では続いて直ぐ点てる、即ち、直点(すぐたて)の点前と称している

 写真の茶碗は、直点の稽古で使われていたものである
写りが悪いのでハッキリしないが、雪を被った笹、笹雪の図が描かれた茶碗である
暑中の季節故に雪のある、云わば涼しい絵柄のものを、という趣向である
そして、口が広くて丈の低い「平水差」が出ていた
中の水の景色がよく見えて、涼を味わってもらう、この時期のものである
他に、この時期のものとしては、井戸の釣瓶(つるべ)を模した水差もよく使われる
いずれも、暑い時期に涼を、という心遣いの道具立てである

 私はこの時期、少し濃い目に点てた薄茶に氷を入れ、更に茶筅を三度振ってて出す
少し濃い目と云うのと、更に茶筅で三度というのが、ここのポイントである
冷水で点てると茶の溶け込みが悪いのと、氷で茶を冷やす時間が要ること、そして中濃
中濃は氷の解けるのを塩梅するということである
これが私の「中濃抹茶氷仕立て」のノウハウである(^^)
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紅のアメリカ芙蓉、花言葉「包容力」、愛犬の名は「ハナ」メス9歳
日本の芙蓉は木だが、アメリカ芙蓉は草、オクラの花が原種だという
それにつけても、向こう産はでかくて派手だ

 先日行われた囲碁アジア選手権で日本の井山裕太が優勝した
日本の優勝は八年ぶりとあるが、この二・三十年間の日本の囲碁レベルの衰退は著しいとのこと
というより、中国・韓国の囲碁が強くなったということのようだ
以前は、日本の囲碁は断トツの世界一であり、中国・台湾・韓国から日本に学びに来ていた
囲碁の指導や普及活動のために、日本の棋士が中・韓を始め世界中に出向いていたのである
つまり、囲碁は日本のものというのが世界の認識であった

 囲碁の原型は、三千年ぐらい前にシナ大陸で出来たものだそうだ
日本には例によって遣唐使(吉備真備?)が持ち帰ったと云われている
室町時代には「碁打ち」と称せられる人たちの間で囲碁が盛んになり、一般にも広まった
江戸時代には将軍家から扶持が与えられる家元制度が出来て、多くの碁打ちが腕を競った
日本の囲碁は芸術文化の一つとして発展を遂げ、碁打ちも剣客ならぬ碁客や棋士と呼ばれた
明治に入り、世襲制の家元制度は無くなったが、本因坊戦や名人戦といった賞金付きの大会や日本棋院という囲碁組織が出来たりして、囲碁人口も増え、掛け碁で生活をする「碁打ち」「碁客」もいた
こうして世界に冠たる日本囲碁が完成されてきた

 その日本の囲碁が、今や中・韓に大きく水を開けられているのは何故か
柔術と柔道というより、オリンピック柔道と日本柔道の流れと同じと云う方が分かり易い
勝ち負けそのものに拘るオリンピック柔道は、判定やポイントそして時間制といったルールが細やかに制定され、勝負を優先するスポーツ競技となっている
日本の柔道とは、礼儀や態度、勝ちも一本勝ちに拘る心情を持ち続けてきた
その結果は、先のオリンピックで男子金メダルがゼロ箇という結果に終わった
因みに、今の世界柔道をリードする国々は、講道館柔道と分かれた柔術家が広めたということだ

 囲碁の世界も同様で、スポーツ競技の一環とする中・韓と「道」の感覚を持つ日本との違いだ
石の形や美しさを重要視する日本の棋士に対し、中・韓の棋士は勝つために手段を択ばない
その、いい例が時間切れ勝負に持ち込むやり方である
日本棋士の持ち時間が少ないと見るや、勝負が決しているにも拘わらず、引き伸ばしをやる
中押し勝ち、相手投了となっているところを時間を使わされるだけの形にされ、時間切れの負け
柔道なら、ポイントを先にとってから腰を引いて逃げ回り判定勝ちに持ち込むというものだ
さすがに柔道では、こういう姑息な勝負には批判が出て、「指導・警告」というルールが出来た
残念ながら、囲碁にはそういう批判は日本以外に出ないようである

 ところが、嬉しいことに井山や山下・結城という若手中堅の日本の棋士の間で力が生まれ出した
つまり、日本囲碁の形を残しながらも、勝負に徹する中・韓の棋士に負けない強かさを持ち出した
井山と山下が戦った囲碁には、高名なベテラン棋士たちが理解不能との解説をしたぐらいである
その井山が日・中・韓の選手権を制したことは真に喜ばしい限りである
勝手ながら思うに、井山には剣客の雰囲気が漂う「碁客」の姿がある
過去に千五百万を数えた日本の囲碁人口は今や三・四百万とか、復活を期したい
同様に茶道人口も衰退している、いわんや「男の茶の湯」人口にオイテオヤ

 知人の医者から、中・韓の碁を教えた御仁で初代実力名人となった藤沢秀行の本を貰った
題名は「野垂れ死に」であった・・
胸にグサリとしたものを覚えたが、内容は中々に面白く味があった

その知人、私が足首骨折で入院している病院に来てくれ、「これがよう効く」と云うて、生駒石切神社のお守り札をくれた医者である
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白菊、花言葉は「高貴・高潔」
菊花は奈良時代末頃に日本へ渡来、後鳥羽上皇が印に使い、以後皇室の御紋となった
日本で品種改良された園芸菊花は欧州で人気を呼び、日本の別名を「菊の国」と云ったとか
白菊は欧州で葬儀・墓参の花とされ、その風習が日本に逆輸入されたようである

 昨日は年長の碁友の葬儀に参列した
大手建築会社の役員・京都支店長を務めたという故人は、人生を全うしたようだ
多くの身内親族や生前の関係者の見送りと献花や電報にそのことが表れていた
私自身との付き合いの中でも、その人徳が透けて見えた

 囲碁には、棋風というものがあって、その打ち手の人柄が出るものである
故人の碁は、力強い打ち方でありながら、妙に優しいところがあった
自分は二段か三段ぐらいだと云って、私の相手をしてくれ、教えてくれていた
祭壇に置かれた故人を偲ぶ遺品の中に、関西棋院の五段免状が飾られてあった

 葬儀の在り様が昨今では色々に云われている
密葬や家族葬が増えているやに聞くが、それは一概に虚礼廃止論とも違うようだ
私自身も家族、特に女房のことを考えると、面倒を掛けない形にしておきたいと思っている
先の記事で書いた「死に方ーッ用意!」のこと、ますます身近になって来たようだ

 茶友の粋な暑中見舞いには、「断捨離」に励んでいるとあった
其々の人生の終い方という劇場に、遭遇することが今後多くなるだろう
ある知人は、「死ぬその瞬間に何を思うかが、人生の全てだ」と云っていた

 さぁ、一服いかが、 喫茶去




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都忘れの花、日本固有種で花言葉は「別離の悲しみ」

 昨夜は近くに住む囲碁仲間のお通夜だった、享年79歳
大きなコリー犬を連れたその御仁には、朝の散歩でもよく出会ったものだ
先週木曜日のこと、朝早くに我が家の呼び鈴が鳴ったので出てみると、その御仁であった
タクシーに乗って来られ、玄関の門扉にすがりながら、しんどそうに立っておられた
互いの家は、歩いて一・二分の距離なので何事かと思うと、その御仁は封筒を差し出した
「囲碁クラブの会費を持って来た、アンタから渡してもらいたい、これから病院に行く」
それが、その御仁を見た最後になった
死因は、長年闘病されていた癌が急変したことだとか

 井上靖の「本覚坊遺文」の中で、山上宗二に語らせている言葉
「 無ではなくならん、 死ではなくなる 」

御仁の愛犬コリー、御仁の奥方の体が思わしくないので、動物病院に預けられたと聞いた
メスの老犬で後ろ足がふらついていたが、気の好いというか、やさしい犬である
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先述の秋篠川上流近くの「かんてきや」の跡、トタン張りの店は朽ちている
記事への拍手コメントをもらったので、つい写真を撮ってきた


>「かんてき屋」懐かしい名前です。20年位前に行った事があります。芸能人がお忍びで通っていると言われていました。そうですか。閉店したのですか。<

事情通の方が曰く、野球の門田や女優の山本陽子なんかが来ていたとか
まだ若かった山本が店内に坐ると、正に「掃き溜めに鶴」然とした雰囲気だったらしい
駐車場にはベンツが。。。それで納得、村田珠光の言葉

「 藁屋に名馬のつなぎたるがよし 」

珠光は焼き肉を食べたことがあるのかな・・
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さるすべり(百日紅)、花言葉は「愛嬌」
囲碁にサルスベリという手がある、底辺をすべって地をとる手だ
確かにやられると苦笑するしかないが、やった方は「ご愛嬌」だとか

 「茶の湯と茶道」、言葉の意味や違いについては本に色々書かれている
桃山時代には茶の湯、或いは茶湯(ちゃとう)と呼ばれていたのが、江戸時代の半ばから茶道という云い方が出て来たらしい
「ちゃどう」と云われたものが、何時しか「さどう」となったということである
大日本茶道学会という茶の組織(流派)があるが、そこは今も「ちゃどう」と云う

 「道」が付くものというと、芸道、書道、華道、香道、歌道、武道、剣道、柔道、弓道等がある
武士道という言葉の影響とも云われているが、武士道は古来の「もののふのみち」から来ている
「道」を付けることで、精神的な探求や宗教哲学的な教義が入り、あり方を教える道理・条理となる
剣術が人を斬り殺す術・技から、剣道となれば人の生き様・あり方の修練、求道となることだ
修練の場が道場となり、教える者が師範、教えられる者が弟子となる、そういう形だろう

 剣術を身に付けた者を剣客と呼ぶが、剣客で飯を食う方法は二つしかない
一つは用心棒か人斬りを稼業にすること、もう一つは師範として稽古料か扶持を得ること
無外流剣客・秋山小平の云う「それで飯を食えば何事も商売」つまり「剣客商売」だ
必殺仕事人は依頼があった殺しで小遣いを稼ぐが、皆生業を持っているようだ
用心棒はヒモか極道稼業みたいなもので、安定せず生業とは云い難いだろう
剣客の生業は剣術師範として仕官するか、道場主として稽古料や謝礼が得ることになる
では、茶の湯で飯を食うとはどういうことか、つまり茶の湯者の変遷である
どう見ても茶技で用心棒は難しい、精々毒入り茶で暗殺の手伝いぐらいか(テレビでは)

 山上宗二記に、数寄者、侘び数寄者、茶の湯者、名人とあるのは前にも書いた
この中で、茶で飯を食う、茶を生業とする者を茶の湯者としている
桃山から江戸初期の茶の湯者とは、茶で扶持を得ることが本分で、謝礼や稽古料は付足しだった
それが、茶家の家元制度が出来て謝礼や稽古料が本分となり、茶の師匠、茶匠が生まれる
芸事・習い事の教授には、カリキュラムの体系と教育課程が必要になり、編纂されていく
その一つが相伝の細分化である、元々の茶の相伝とは台子の伝一つだけで、それで皆伝とした
相伝に五つ七つの段階を設け、それぞれに教える内容も分けられ、複雑化していったのである
茶の湯(目的)の稽古(手段)が、稽古そのものを目的化する形、教えることが目的になった
一種の身分制を敷き、禅宗的な精神性を求める茶の稽古体系として、茶道が作られた
明治以降には、大名家の扶持を離れた茶頭の家筋も茶家に変じ、茶道の世界に加わった

 因みに、当流は流祖以来当代まで「茶の湯者」を抱え続けて来た
幸か不幸か、当代に於いても今尚、「茶家」には成り切っていない部分がある

 私のホームページには「茶の湯」の言葉を使っても「茶道」という言葉は使ってない
それは上述の通り、稽古そのものを目的化しないし、教条も持ち合わせていないためだ
それに、茶の稽古を長く続けてもらうつもりもないので、最長五年と期限も切っている
勿論ながら伝は出ないが、当流仕込の茶事が出来る御仁として宗家の認可を得ている
要は、「大人の男に茶の湯を楽しんでもらえること」、それを目的としているためである
更に云うと、私には茶道が出来ないというのが本音でもある

 少々書き疲れた・・

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もじずり草、(ねじばな)ラン科だそうな、花言葉は「おせっかい」
昔から何となく好きな草花である(ヒニクレている所為か)
参院選が済むと、真っ直ぐになるらしい

 先週からケーブルテレビの時代劇チャンネルで「剣客商売」が始まった
池波正太郎原作のシリーズで山形勲と加藤剛が剣客父子を演じている
放映は午後七時、六時からの「暴れん坊将軍」に続いてとなる
我が女房殿は時代劇好きで、「暴れん坊」は朝夕二本を楽しみに見ている
お蔭で私も付き合わされており、私が時代考証や所作のことで疑問を口にすると、女房殿は「うるさいから、黙っといて。」と素っ気もない
女房殿は話の流れや結末に興味がある様で、笑うたり涙ぐんだりしている
考えてみれば、私の子供の頃の巡回映画では、鞍馬天狗なんかに拍手が起きた
オッサンたちは一升瓶片手に「大統領!」と歓声を上げていたものだ

 「暴れん坊」や「剣客商売」を見ていて気になることがある
それは、釣銭を貰ったり払ったりする場面がないということである
「ここに置くよ」と云って席を立つのだが、「おつり」という話は寡聞だ
江戸時代の釣銭は、欧米のチップ感覚ということだろうか、どうも分からない

 「剣客商売」の中で山形勲扮する秋山小平のセリフ(台詞)が腑に落ちた
「それで飯を食えば、何事も商売じゃよ」、至言である
茶の湯と茶道の別れは、一にこのセリフの中にあると私は思っている
この話は次にしたい

 秋山小平のセリフに、もう一つ
「人は五〇を超えると変わりようがない」、不承不承ながら現実だろう
まぁ、寿命が延びた昨今、ここは六〇とされたいと思うところだが
私はとうに過ぎているので、もうこのままで行くしかないと、白雲を眺めた
無題
ヘイケと呼んだ、クワガタのメス

メンタのクワガタと聞いて
何でも相談に乗ってくれるクワガタかとの
洒落たコメントが入った

メンを一本取られたような
2013.07.17 ヘイケホタル
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秋篠川にヘイケホタルが発生中の御触れ書(秋篠川ヘイケホタルプロジェクト)
「採集はご遠慮願います」とあるが、現物には未だ出会ってない
川沿いの看板には、「ゲンジホタルと違って体も小さく光も弱いので見つかりにくい」とあった
そして、絶滅しそうなので保護活動をしている旨が書かれていた

 どうも、大きく強そうなものはゲンジ(源氏)、小さくか弱いものはヘイケ(平家)と称されているようだ
この名称区分、勝てば官軍という民衆心理の現れなのだろうか

 私の子供の頃は、ゲンジと云えば今で云うオンタのクワガタムシであった
そしてヘイケはメンタのクワガタであり、カブトムシはカブトムシであった
私がクワガタムシという言葉を知ったのは昆虫図鑑の中であった
同様に、アブラムシのことをゴキブリと云うことも後で知った
因みに、オンタは雄(オス)でメンタは雌(メス)のことだ
「なすびの花」の段で書いたが、使われなくなりつつある奈良言葉
その止めの話になる出来事が身近で起きた

 秋篠川に沿う道路の横に「かんてき屋」という小さな焼肉屋があった
上方では「かんてき」、江戸では「七輪」という炭焼きの道具のことだ
その「かんてき屋」が閉められて暫らく経った後、道向うに新しい焼肉屋が出来た
店は新しいだけでなく、大きくてきれいであるが、看板を見て唖然
なんと、「七輪亭」、とあった・・

 ヘイケホタルに出会ったら、「シッカリ生き延びてくれ」と声を掛けたい



2013.07.16 生老病死
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当代家元から頂いた短冊「白雲自去来」
梅雨明けの声も聞かれるので、昨日の稽古の床に掛けた

はくうん おのずから きょらい
出典は〔五灯会元、巻四、霊雲志勤禅師ということだ、その中身は

僧問う、「如何(いかんが)生老病死(しょうろうびょうし)を出離(しゅつり)することを得えん」
師し曰く、「青山(せいざん)元(もと)動ぜず、浮雲(ふうん)の去来(きょらい)するに任まかす」

浮雲任去來 … 『禅林句集』の「白雲自去来」はこの句の変化したもの。
『禅語字彙』には「本來安定不動なる本分底あるに、衆生は自分勝手に凡聖迷悟なぞと、邪魔な雲を起こして居るのだ」とある 【青山元不動白雲自去來】

 別に禅語の話をするのではない
昨日の稽古の会話として、梅雨明け頃には、この白雲自去来の軸がよく掛かると云って、その意味を説明しようとした際のことである
私が「人間を悩ます生き死にや病(やまい)、そしてもう一つ、え~と」と詰まると
稽古を手伝いに来てもらっていた卒塾者が、横でボソリと「しょうろうびょうし」
私は「老」を失念していたのであった
考え様によると、死や病より恐ろしいものとは「老」でないかと思われる
それを忘れて茶噺とは・・、老いが迫りつつあるようだ
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青い昼顔か、小型の朝顔か、それとも別の花なのか分からない
近くの街路樹の根元で咲いていた、3~5cmぐらいの花だ
昼顔か朝顔か気になり、調べてみると色々なことを知った

 朝顔・昼顔共にヒルガオ科サツマイモ属
朝顔は薬草植物として遣唐使が持ち帰ったもの
唐では種子が利尿剤や下剤の高価な薬として、牛と引き換えにされたとか
それ故、七夕頃に花を付けることから牽牛花(けんごし)と呼ばれた
奈良明日香村にある牽牛子古墳も、あさがお古墳と呼ばれていた
日本では江戸期に朝顔市が盛んになり、花の品種改良が盛んに行われた
当時の日本の朝顔栽培者はメンデルの法則を知っていたということである
花言葉は「愛情」

 朝顔に 釣瓶(つるべ)とられて もらい水 (加賀千代女)

どういう訳か、俳句の世界では「朝顔」の季語は秋だという
この朝顔の到来前のこと、万葉集にも「あさがほ」が詠まれている
それは、槿(むくげ)か桔梗(ききょう)のことだとされている

 次に昼顔、日本古来の野生種で花言葉は「絆」とかで、何やら日本っぽい
然し、絆の命名由縁は根や茎が絡み合っているからとかで、素っ気もない話
昼顔は、万葉集には容花(かほばな)と呼ばれて詠われている

高円(たかまと)の 野辺(のへ)の 容花(かほばな) 面影に
   見えつつ妹は 忘れかねつも      
                        巻8-1630 大伴家持

 では、有名なフランス映画の「昼顔」はと調べてみると
「日中の美女」という意味合いの名称だという、日本の昼顔ではなかった
この映画がヒットしたので、その続編映画として「夜顔」がある
あまり聞かない、というより見たことがないので、ついでに調べたらあった
日本では育ちにくい外来種だとか、紅色の妖艶な花だが一応ヒルガオ科
朝・昼・夜の顔と来たので、次いでに夕顔の生立ちも調べてみた

夕顔はウリ科で、上述のヒルガオ科とは別種、アフリカ原産とある
聞くところによると人類最古の栽培植物だとか、花言葉は「はかない恋」
日本には一万年前頃、縄文時代前期には渡来していたらしい
瓢(ふくべ)の花、つまり瓢箪ひょうたん)干瓢(かんぴょう)の花だ
実を干して長く剥くと干瓢(かんぴょう)、種を抜いて乾燥さすと瓢箪
私も瓢箪を作り、花入にしたり、炭斗にするので茶の道具となる

紫式部の源氏物語の夕顔、女の住む家の垣根に夕顔が咲いていた話だが、
むしろ私は、清少納言の枕草子の話が面白く思う

紫式部の源氏物語では
「かの白く咲けるをなむ、ゆふかおと申し侍る」と抒情を綴ったのち、「花の名は人めきて、かう、あやしき垣根になむ、咲き侍りける」と付け加え、夕顔の花を女性の面影に託した

方や清少納言の枕草子では
「夕顔は花のかたちも朝顔に似て、いひつづけたるにいとをかしかりぬべき花の姿に、実のありさまこそ、いと口惜しけれ」と綴った
「をかしかりぬべき(美しくある)花の姿」なのに、その実が瓠(ふくべ・瓢箪)のようなのが残念だとは、いかにも清少納言らしい
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なすびの花、親の小言と茄子の花は千に一つの無駄もない、とか
最近はスーパー表示でもナス(茄子)と書き、「なすび」は見なくなった
奈良時代に奈須比(なすび)として伝わり、現在でもそう呼ぶ地方がある
と、ウィキペディアに記載されている、・・・そう呼ぶ地方(?)

「なすび」が地方の言葉と云われると、いささか気が悪い
「一富士、二鷹、三なすび」はどこの話かと聞きたいところである
然し、我々が十代まで使っていた生活用語が消えつつあるようだ
関東煮(おでん)、あも(餅)、かしわ(鶏肉)、煮抜き(ゆで卵)、どべ(最後)、せんど(盛んに)、おかい(粥)、ひやこい(冷たい)、ほんでみぃ(それでねぇ)、いぬ(帰る)、せく(急ぐ)、いっこる(行きよる)、てんご(いたずら)、もみない(不味い)、・・け(・・か?)等々、そして「なすび」も

 以前は大和言葉も北部と南部、或いはクンなか(国ン中、大和盆地)山間部でも違いがあって、どこの人か分かったもので、ましてや河内、大阪、京都、神戸等、近畿一円の言葉の違いは明瞭であった
それが近頃では、マスコミと人口の流動化の所為で、関西標準弁なるものに収斂されて来ている
私が今住む住宅界隈でも、奈良人は珍しい存在になっており、奈良弁を耳にすることはない
私の子供たち、といっても四十歳ぐらいになるが、「おおきに」という言葉でさえ、分かるが使うことはないと云う
更に、東京一元化が進んだことで、曰く関西標準弁さえ東京弁化しつつある、その現われが吉本興業の芸人言葉だと思う

 言葉とは文化の基層であることは云うまでもない
上方歌舞伎や能、狂言という上方文化の本家本元でさえ東京に住まうこの頃、それで文化継承が出来るのかどうか、甚だ疑問である
京都に出掛け、駅のエスカレータに乗り立止まる時はよく戸惑う
上方は右寄り、東京は左寄りと承知していたが、以前は右寄りであった京都が、今や東京スタイルの左寄りに変わっているのである

 文明は普遍化と一元化から進歩するが、文化の進化は多様性から生まれる
奈良に生まれ育った私は文化を大事にしていきたいと思っている
親の小言やなすびの花には遠く及ばない、私の愚痴めいた小言だった
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苦瓜(ニガウリ)の花、花言葉は「強壮」
沖縄ではゴーヤー云われて、その名称が全国区になりつつある
正式和名はツルレイシ(蔓茘枝)だそうである
ビタミン・タンパク質が豊冨で、血糖値とコルステロール値を下げる優れモノ

 茶の湯の世界では、昔から「目利き」ということが云われている
数寄者或いは名人と呼ばれるには「目利き」が条件とされたようである
「目利き」とはモノの値打ちが分り、その価値を引き出せる眼力だろう
勿論、モノの真贋を見極める目も十分に備わっているハズとされる
要は「偽り」を見抜く眼力というのが反面で云えるところである

 古今東西を問わず、絵画や陶芸という美術品の世界では贋作作りが行われている
面白い例えだが「贋作の名人」と呼ばれる人も居たという
興味深いのは、贋作の名人の技量は本物の作家のそれを上回ることもあったとか
これをどう考えると良いのだろうか、本物より上手に出来ろ偽物作りとは?

 思うに、技量だけでは世に残る名作名品、茶の世界でいう名物は出来ないもので
時を経て、尚更に、人の心に感動を与えるものとは、何かがあるのだろう
世に名作とされるもので、その作家が亡くなった後に高い評価を得たものも多い
その作家の生存中は世間から相手にされず、貧しさの中で世を去った話しもよく聞く
恐らくは、どう見せよう、どう見てもらおうとかいう感覚が疎かったのかも知れない
自分の思いや感性に動かされて、自分の作品に向かったのであろう
そして世間の目の無さに虚しい思いを持ったままで、人生を終えたのだろう

 この真贋のこと、「モノ」だけが対象ではなく、人にも云えそうである
自問自答すれば、自戒の要有りである
体のためには苦瓜を食し強壮を得よう、そして心のためには・・
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まだ青いほうずき(ホホヅキ)、花言葉は「偽り」

昨日紹介した拍手コメントをくれた知人
今回も短かくも軽妙な拍手コメントをくれた
「友情と愛情ですか。難しいですね。友人と愛人の違いならわかるんですが・・・」
つい笑ろた、そこで私からも返信をする
「まだ一六歳のころ、愛人の実感がなくて・・・」と

 以前の記事の中で、「友情を口にする者に、友情があったためしが無い」と書き込んだが、さてさて愛情はどうであろうか
愛・恋・涙という言葉を使わないで語る男女の恋愛小説、恋文恋歌が有れば大したものと思うが如何なものであろう
やはり、男女の愛情は口にするモノなのであろうか
どうもそこらの機微には、日本の男性は慣れがないようだ
その点、外人男性はその辺りに長けているのであろう
外人男性の子を産む日本女性が多いのもムベなるかな、かな?

 私が思う、最も美しい「男女の愛情」とは「老夫婦の愛」だ
情を昇華したものというか、一対なるものが一体になっている感を受けることがある
愛・恋・涙を直截的に出さない日本男性の在り様に拍手を入れたい
私には愛・恋を軽軽に口にする男達は、今一信用出来ない
そんな輩に出会うと、文字通り、ホホをドツイたろうかと思う
ほうずき(ホホヅキ)、花言葉は「偽り」
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昨日は七夕、稽古の床には和風と揮毫された団扇に竹笹
各自が思いを短冊にしたのだが、中に「富国強兵」というのもあった
参院選が近づき、アベノミクスの浸透かとも・・
つい私は、「鬼畜米英」と書こうか思ったが、止まった

たなばたの 今夜あひなば つねのごと 明日をへだてて 年は長けむ
 (万葉集巻十、春雑歌二〇八〇)
 
 高校時代の古文の時間、後に大学教授となられた先生は楽しい方であった
その先生の質問に「友情と愛情の違いは何か?」というのがあった
指名された私は、「友情は同質間、愛情は異質間のもの」と生意気に答えた
するとその先生、しばらく小首を傾げられた後、莞爾として「「うまいことを云うな」と仰ったので、褒められた気分になった私は嬉しくなり、爾来五〇年、記憶が残るところとなった
果たしてその答え、正しいのかどうか、今になると分からない

 未央柳の記事に知人から拍手コメントを頂いた
その中に、粕谷一希の言葉として引用されていた文を紹介する 
「どのような栄耀栄華を得ようが、若き日の旧友の眼に耐えられない人生は空しい。どのように蹉跌の人生であろうと、語りうるひとりの旧友が、耳を傾ける旧友が存在する者は幸福である」
私はコメントの返信として、
「あいつは俺の一番の親友だ、と云ってくれる者が何人居るかということでしょう。よく考えてみると、一人か二人、精々三人ぐらいと思います、もしかするとゼロかも知れません。やはり、一人居れば人生に喜びがあったということになると思います。」と書いた

 ウン十人、ウン百人の友人を持つという人もいるが、私には分からない
恐らく「友人」という概念の違いかも知れない
世に聞く「士は己を知る者の為に死す」という言葉には首肯する
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フィンランド製のナイフ二本差し、大は二寸五分、小は一寸五分
岡山の茶友から茶壺の口切り用小刀のことを聞かれ、これを見せた
初回の口切りは大で、二回目以降は小で切るようにしている
本来相応しいのは日本刀の小柄(こづか)だが、今は手に入り難い
依って一般には木工用の小刀の柄のないものが実用的だろう
確かに、切れ味は日本の刃物に勝るものは無い
では、何故このナイフを使うか、大小セットで恰好良いからだ

 刃物の流れとして、茶事料理のことに私見を少々
「男子厨房に入らず」と云われ、男子は料理をしないものというのが定説の如くになっていた。
最近は共稼ぎ夫婦や「ヤサシイ男」とかで「男子厨房に入るべし」だとか「男の料理教室」なるものも世に認知されて来ているようだ。
そもそも「男子厨房に入らず」とされる理由として、一つは日本神話の中でスサノオノミコトが食事を用意した大気都比売神(オオケツヒメノカミ)を殺すが、その大気都比売神が台所のかまどの神だとする話から来たもの、もう一つは「孟子」の中にあり、「君子、庖厨を遠ざくる也」つまり食材に牛豚を殺戮する場面を君子には見せぬものとする話から来たもの、とか何とかだそうだ。

 然し、四条流の包丁式というのがあるように、公家や武家で包丁を扱うのは男であり、大名の賄方とは士分格、武士の職位とされていた。
洋の東西を問わず板前やコックという調理人は男の職域であることは一般常識ともいえる。
ここで私は、だから「世の男も料理を」云々と世に迎合するような話をするつもりは毛頭ない。

 云いたいのは、武士(もののふ)が戦場(いくさば)で用意し、心得ねばならぬこと、それは何かということである。
先ず武器甲冑の用意・手入れは当然として、次は水食糧であろう。
一日二日の合戦なら、握り飯と水筒で事足りようが、一か月二か月を超える長期戦になるとそうは行かない。
水と食材の確保、その煮炊きと調理、それらを段取り良く手早くこなすことこそ武士の心得である。
いくさば(戦場)の限られた中での料理と茶の振る舞いこそ陣中茶事であり、そこに風流があれば、武士の茶の湯であると私は思う。

 千家さんのことはいざ知らず、武家茶道にあっては亭主自らの料理や包丁を捌くことは、茶の点前と同様に茶事の本懐と思う。
菜切り包丁に加え、出刃包丁や刺身包丁の一本は自前のものを持ち、手入れを欠かさぬこと肝要かと。
また、食材は手元にあるもので結構と思っている。昔なら前の畑の菜を採って、今なら近くのスーパーにて求め、或いは冷蔵庫の中にあるもので、というのが私の茶事の基本としている。
「ご馳走とはあちこちと良い食材を集めに馳せ走る」とか云々、それがオモテナシ云々、それは旅館・料亭の話と云うものだろう。
私見とは云え、勝手なことを書いた。
フィンランドは親日国と聞く、東郷ビールが有るとか無いとか。
飲んでみたいものだ。




 
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未央柳(びようやなぎ)、花言葉「幸い」
かえる庵の厠で花を咲かせた

 私のブログを見た高校時代の友人からコメントが入った
拍手を入れると、当選!とかの品の無いメッセージが出る
茶の話というか、それなりの語らいの記事に似合わない云々
真以って、我が友人達は気の良いお節介が多い
早速に返信を打っておくと、その友人から電話が来た
久しぶり故、暑気払いにビールを飲もう、積もる話もあると云う
バス停のベンチに腰掛けていると、バスならぬ車が前に止まった
近所のご主人であった、駅まで行くので一緒にどうかと聞かれる
渡りに車とばかり、喜んで乗せてもらう

 駅に着くと、友人はもう来ており携帯で何やら話していた
近くの中華屋に入り、二人は「取りあえずビール」と声を合わせた
彼の積もる話とは、第二の定年を迎える会社の行く末のことだった
月給取り稼業を選択した同級生の多くは、第二の定年を迎えている
六〇歳で定年、その後は嘱託で残るか、子会社または他社への出向
その期限は五年程度が一般的なところだという
その友人も子会社の社長三期六年を、今年で終える

 六十も半ばを過ぎ、自分の出来ること、やれたことも分かり 
住まいと各自それなりの貯えを持ち、年金も満額支給となり
それからの先の悩みごととは、自分が居なくなった後のことだ
自分が去った後の会社、自分が亡くなった後の女房・子供や孫
その友人、そんなことを一人で深夜まで考えていたと云う
昔から律儀で実直というか、愚直ともいえるまでの男である
話を聞いている中で、ひとつのことに気付かされた

 第二の定年を終えた我々世代は、自分で意識するしないは別に
冥途支度というか、人生の後始末の感覚に入ったなということだ
つまり、「死に方ーッ 用意!」である
だからこそ、還暦からの男の茶の湯や、と私はその友人に云った

 近所のご主人、今回高額医療費の保険に入ったと云っていた
理由は、子供に心配や負担を掛けない為ということである
そのご主人も、私と同い歳である
考えると、この手の悩み事とは、ある意味では未央柳(幸せ)かも