2014.05.31 定家葛
201405290703.jpg
近くの藪で見掛けた定家葛(ていかかずら)、花言葉は「依存・栄誉」とか
花名の由来書きには「式子内親王を愛した藤原定家が、死後も彼女を忘れられず、ついに定家葛に生まれ変わって彼女の墓にからみついたという伝説(能『定家』)に基づく。」とある
何のことはない、女の尻を付け回すストーカー草である、しかも死んで尚とはシツコイ

白と黄色の花があったので、定家葛の黄色い花は珍しいと思い写真に収めた
近付いてよく見ると、黄色の花とは花の旬を過ぎて黄ばんだ花であった
毎日、散歩しながら林や藪、川の畔や路傍の草叢の野花に目を向けているのだが
花の世界は五日や十日でその姿を変えていくのが良く解る

葉が芽生えて茎枝が伸び、蕾が付き色付き出して、花が開きだし、満開となる
やがて、花びらが散り出すか、色あせて来る、そして茎枝から花が無くなり、葉も枯れ散る
多年草は、年が変わると復、芽生え花を付ける、それ自身が輪廻の世界を表している
多年草は根を残して生きぬき、自身の命を繋いでいるということだろう

一年草は種を残してで命を繋いでいるが、同じ場所で花開くとは限らない
こうしてみると、人とは一年草の世界に似ているような気がする
種を残すまでが自分が生きた証で、種が芽生え花開くのを見ずに命を終えることもある
まあ、種が芽生えて茎枝が伸び出すのを見ることが出来るとは、一年草が羨むと云えそうだ

花の色は  移りにけりな  いたづらに  わが身世にふる  ながめせしまに

・・小野小町
スポンサーサイト
2014.05.29 伝統工芸 Ⅱ
201405291139.jpg
日干しをする和傘、昨日の日中は真夏日、愛犬ハナも日陰でくつろぐ

私は小学校三年生まで吉野川の畔で育った
小学校は子供の足で一時間余りの山の上にあった
田植え時期になると農繁期ということで、十日間ほど学校が休みになった
農家は子供の手も借りるほど忙しくなるということであった
農家でない子にはただの休み、毎日毎日遊び回っていた
それが今では耕耘機・田植え機で、大人一人が二・三日で終えてしまう

梅雨時期になるとになると、学校の置き傘が役に立った
教室の横の廊下に、番傘が並べて掛けられていた
その番傘を広げると大きな字で小学校名が記されていた
提灯もあったが使った記憶はない、夜更けまで学校に居ることがなかったからだろう
我々の頃には薪ストーブになっていたが、教室には大きな火鉢がまだ置いてあった
ストーブの薪は、皆が背中に担いで持ち寄ったものであるが、低学年の子供には重かった

奈良では、寺や旅館に置いてある番傘や提灯を見掛けたが、最近は目にしない
友人の家は傘屋していて、家には○○傘店という看板が掛かっていた
遊びに行くと、その父親が提灯の紙貼りをしていた思い出が残る
その友人は家業を継がずサラリーマンになったが、数年前に他界した
お父さんも先に亡くなっていたが、家には今も「傘屋」の看板が掛かったままだ
奈良の寺から番傘や提灯の注文が今もあると、九十を超えるその母親の弁
そして、その注文は岐阜にある下請けに頼んでいるということである

傘屋、下駄屋、炭屋という業種店も街から姿を消した
前に、草履の鼻緒を直してもらおうと草履屋を探したが無かった
伊賀上野まで出掛けて見つけた草履屋に頼んだが断られた
製品の販売だけで修繕はしていない、というより修繕が出来る職人が居ないとか
「今は問屋にも職人は居ません、それに竹皮の鼻緒そのものを扱っていません」と云う

つまり、鼻緒が切れたら新品を買うしかないということであった
それで、私はホームセンターに行き、太い千枚通しを買って来た
自分で直してやろうという算段である、鼻緒修理なら子供の頃はやったものだ
しかし、和傘の破れはどうしたものかと考えている
幸い、破れ目はまだ小さいので、内側から継ぎ当てをしようかと思う
伝統工芸展には、和傘や提灯、竹皮草履というものの出品は無かった
2014.05.28 伝統工芸
201405280658.jpg
散歩道で雪ノ下が花盛り、雪が積もっても下の葉は緑であることがその名の由来だとか
それにしても、南シナ海では雪ノ下ならぬ中共の赤い舌が花盛り、困ったものである

伝統工芸展が四月に大阪三越で、五月に京都高島屋で開催されたが、私は行けていない
卒塾者の方や娘夫婦からその様子を聞かされただけであるが、盛況であったらしい
五人の工芸士(師ではない)が交代で講師を務め、展示作品の解説をしたという話であった
中の二人は私の知己の御仁で、一人は京都の陶芸家で当流・上田宗箇流の門人でもある
一人は奈良の伝統漆芸螺鈿の南都塗師で、有楽流の茶人でもあり、前にも記事にした御仁

三・四年前に、伝統工芸のシンポジウムがあり、この南都塗師と同席したことがあった
パネリストと司会者が前方の席に陣取り、基調講演があった後に質疑応答があった
テーマは「伝統工芸展の来た道」(?)、若手に伝統工芸展の意義を述べていたと記憶する
日本の伝統工芸の良さを、広く世に知ってもらうことに工芸展の意義があるということだった
話の裏返しとして、廃れていく伝統工芸を如何に守っていくかという課題が持ち上がっていた

技術の踏襲や作品の発表の場の確保という話に終始する中で、その南都塗師が口を開いた
「工芸士では食えないことが最大の課題である、伝統工芸が廃れていくとは売れないこと、
世の中、人の生活の中で工芸品がもっと使ってもらえるようにならないと、若手の仕事はない
一握りの人、一握りの作品だけが高値で取引されるだけでは、伝統工芸の先は見えない、
工芸会では、使われる伝統工芸品、伝統工芸を活かす世界への視点が要るのでは?」
けだし至言、全くもって同感だと私は思った

工芸の職人が生きられる環境をどう作るかは、時代感覚が必要となる日本の課題だ
生活パターンの変遷は歴史の必定であろうし、それを食い止めることは至難であろう、、
然し、せめて手作り工芸品の味を再認識し、それを身近で使う風景を戻したいものだ
昔の家庭にあって、最も身近な工芸品は母親の手作りの服・着物であったと思う

2014.05.27 客作法稽古
201405250656.jpg
紫つゆ草と向こうは黄菖蒲、散歩道では青い菖蒲の時期が過ぎたようだ

月曜組の稽古は手水から席入り、そして濃茶の客作法をした
手水の扱いも三度目になるが、まだ何とも覚束ない仕草である
日曜組の稽古は点前作法から入り、茶事が出来るようにという寸法で行なっている
月曜組は客作法から入り、茶事に呼ばれても対応出来るようにという寸法である

月曜組は、奈良の伝統窯の陶芸家や神社の神職、真言宗の得度を受けた人がいる
仕事柄もあり、それなりの時や場所での作法を身に付けたいという趣向を優先した
不思議なもので、ちょっとした集まりや食事会での所作に、その人となりや素養が出る
菓子の取り方、手水の使い方、襖の開け閉め、工芸品の扱い、床の見方とか云々である
半年もすればそれなりの所作を身に付けられるだろうと、私にも期待と責任が萌芽する次第
因みに、紫つゆ草の花言葉は「淋しい想い出」、黄菖蒲は「幸せを掴む・私は燃えている」とか

2014.05.23 手打ち式
201405090656.jpg
ホウチャクソウ(宝鐸草)、ユリ科チゴユリ属、極東アジアが原産地、日本にも広く自生する
入獄前に、近くの卒塾者が持って来てくださったので写真を残しておいたもの
こうして見ると、左の一枝は切っておく方が良かったと思うところ
花言葉は「追憶・良きライバル・嫉妬・あなたを離さない」とある、何だろうこの花は
宝鐸(ホウチャク)とは寺の軒先に吊り下げられている鐘形の飾りのことである


今日の来客は東京組二人と和歌山組二人である、極道一家の話ではないが、似た話であった
元々の話が十五年前に合意して始まった共同・連携・協業を理念とするシステムの企画である
星霜を経て人も変わり、思念のブレや齟齬が生まれ、、お互いの主張が角を合せたということ
宝鐸草の花言葉「追憶・良きライバル・嫉妬・あなたを離さない」が入り乱れたごとき様相
結局、我が家の小間・朋庵に双方が寄り会い、手打ち式をすることになった

一畳台目中板という狭い茶室に、大の男四人客が入って坐ったのである
茶花に「なでしこ」を選んだ訳、昨夜の終了寸前のゴールを話し、私は濃茶を練った
当初硬かった双方の表情も徐々にほぐれ出したところで、薄茶にする
私は、濃茶は「黙して語らず」が原則、そして薄茶は「心を和ませ、語り合う」のが原則と講釈
各自薄茶を三服づつ、更には五百のペットボトルを一本づつ、延々五時間余りの茶席となる

誤解曲解行き違いが解けてゆき、相互理解が生まれて来たのは最後の三十分ぐらいのこと
すると、急速に対案・提案と譲歩・協調の心が通い出し、手打ちの形に成就した
まさしく、昨夜のなでしこジャパンの試合、延長戦終了間際のゴールそのものであった
私から見れば、夫婦喧嘩の仲裁に似て、少々おかしくもあったが、まま仲介人の役処を終えた
後で、我が愛犬ハナの頭を撫でながら「お前も喰わんわな」と云うと、ハナは静かに頷いた

身内や友達同士では、信・義・礼が見えなくなりがちだが、やはり常からの意思疎通が肝要
客に柿の葉寿司を一折づつ渡して露地送りをした、双方笑顔で同じ車に乗り込んだ
病後の私を気遣って、手伝いに来てくれた塾生には先に一折渡したが、彼はその場で食べた
今日、使った茶杓は獄中茶杓の銘「珍島の沖」であった
201405090634.jpg
昨年植えた撫子(なでしこ)が今年も花を付けた、やはり多年草

昨夜の女子サッカー、アジア杯準決勝は「やった!」と声が出た
相手は唐土女子、四五分ハーフ二度で一対一、延長戦となった残り僅かな時
コーナーキックを得た日本女子、ゴール手前に飛ばした球を頭でゴールに押し込んだ
時計は残り時間を十五秒辺りを示していた、私はよくやったと焼酎をあおった
今日は東京と和歌山から来客予定、茶花は写真の撫子をと思い、水揚げ中

昨年の忘年会の記事、知人の老医師二人と堺で飲んだ話を書いた
その内科医のお二人が相次いで監獄まで面会に来てくれた
其々に饅頭やみたらし団子を持参しておくれなすった、糖尿に効くらしい
そのお一人に、糖尿病の遺伝子系統として、五時間余り古人類学の薀蓄を聞かされろ
ついに、私は低血糖症状を引き起こしたのだ
そしてその御仁、糖尿食を配られた私の前で、看護婦にアレコレ指示をする・・
監獄の獄長とやらは、どうも彼の大学後輩で知己の間柄とかであるとか云々
やはり、饅頭が利いた、さすがに内科医師、ありがたい・・

今朝、パソコンを開くと、件の老医師からメールが入っていた
曰く、出獄祝いに広島の銘酒を送るとあった
ホンマ、持つべきは医者の友人である、とことん上がれ血糖値!

2014.05.22 茶杓の銘
201405191450.jpg
コンクリート工修されつつある路傍の草叢

久しぶりに愛犬ハナと散歩、この草叢はハナのオシッコに欠かせない場所だったが・・
ハナも勝手が違うのか、辺りの様子をうかがっただけで通り過ぎた
二週間の留守ながら、世の移ろいは戻らないと思わされた

さて、前日の「獄中茶杓」の記事で、何人かの人から「銘は?」と尋ねられた
ならばと、夕べの床で獄中を思い起こし、恥ずかしながら其々に「銘」を付けてみた

写真の右、黒竹茶杓・・「黒カマキリ」
節の下を削るのが「蟻腰」、これは側面も削りを入れたのでカマキリの姿を連想させた

写真の中、黒竹茶杓・・「珍島の沖」
この茶杓を削っている時、テレビでは珍島沖で沈んだ高校生達の携帯画像が流されていた

写真の左、煤竹茶杓・・「なにわの叢雲(むらくも)」
この茶杓を削っていたのは夜、一三階の部屋の窓外に見える街明りは煙っていた
煙り(けぶり)は煤(すす)、とまあ、牽強付会した次第

ホンマ、恥ずかしながら・・
2014.05.21 獄中茶杓
201405210503.jpg
二〇cmのモノサシと入獄中の暇にかまけて削った茶杓を三本
左は煤竹、右二つは黒竹である
茶杓は六寸から七寸(一八㎝から二一cm)程度が多い

監獄では蝋燭の火は使えないだろうと、入獄前に荒削りをして曲げておいた
当流の茶杓は櫂先(かいさき)の曲がり角度が鋭角である
そして、先端の左部分の削り角度が長い(写真右の黒竹は一応そうしたつもり)
私自身は、幅広の櫂先で正三角に削り、先端を少し平にする(左の二本)
その方が、裏返して茶入れに掛ける際に楽だという、少々身勝手なものである
銘はまだない、と云うか、それほどの代物でもないし・・

看護婦さんが来て云うに「こういうお仕事をされているのですか?」
やはり、獄中に小刀とヤスリを持ち込み、竹細工をしているのには興味を持つようだ
私が、「耳鼻科だから耳かきを作っている」と云うと、看護婦曰く
「それでは大き過ぎませんか?」と評論する、ナカナカ鋭い眼力
私は、「せやな、もう少し細い方がエエかも知れんな」と応え、櫂先を眺めた
2014.05.20 開運ビビンバ
201404091306.jpg
陰陽五行説に基づいた究極の開運ビビンバの貼り紙

入獄の日、収監手続きを終えると氏名と鑑札番号が書かれた腕環を付けられた
明くる日、私は腕環を付けたままで、外来者の出入口から一時脱獄を図った
監獄はコリアタウン鶴橋の近くにあり、来る途中で「開運ビビンバ」の貼り紙を目にした為だ
「陰陽五行説に基づいた究極の開運」というのに惹かれ、つい運にあやかりたくなった次第

店の女将が、「ビビンバにするか、ビビンメンにするか」と朝鮮訛りが残る物云いで私に聞く
その目は私の腕環を見ているので、ビールは頼み難かった・・
どう違うのかと私が聞き返すと、「ビビン」とは朝鮮語で混ぜると云う意味で、「バ」は飯
つまり「ビビンバ」ば「混ぜ飯」、「ビビンメン」は混ぜ麺ということ、ふーんと納得
白い飯か麺に、黒・赤・緑・黄(土)色の野菜を盛るので陰陽五行説とか、私は賢くなった
腫瘍が良性か悪性か、「開運ビビンバ」に任せるつもりで、念入りに混ぜて口にした

「開運ビビンバ」のお陰か、腫瘍は良性で摘出手術も寝ている間に終わった
痛みも苦しみも無く、気が付くと自分の部屋であり、十日間程は安静にしろということで済み
そして昨日出獄、帰路「開運ビビンバ」の店に寄り、先ずは生ビール、そして焼酎水割りを頼む
店の女将、ニコニコ顔で迎えてくれたので、ついでにマッコリ(朝鮮酒)も頼む
アテは「ウルテ・喉気管」と「ハツモト・心臓の大動脈口」、我が身の気になる処を喰った
美味であった、飯は我が家でと思い、「開運ビビンバ」は食べずに店を出た
2014.05.09 入獄
M23202Q011226r_2014050908242357d.jpg

本日入獄
娑婆に出るのは何時のことか
では・・
2014.05.09 吾唯足知
images_2014050822311792f.jpg
手水の彫り「吾唯足知」ワレタダタルヲシル、如何にも坊さんが好きそうな文句である
だから何、と思ってしまうところが私にはあった

一般的に、為政者の手先としての坊さんは、民衆の不平不満を逸らす説法を旨とする
逆に学問・哲学とする仏僧は救民を説き、しばしば為政者と対立、その迫害を受けた
私には宗教観の是非はともかく、宗教を生業とし、人への上から目線は受け入れ難いところ
しかし最近、「人生は一度、体は一つ」という言葉が、私の心を納得させることがある
別に、信心深くなった訳でも、何かに目覚めて改心した訳でも無く、気付いたということ
それは単に、「それでええやないか」「誰の人生でもない、ワシの人生や」ということだ
「唯我独尊」でも「慢心・傲慢」「独り善がり」ということでもない

前に記事にした私の祖父のこと、その生き方と云い分へのある種の理解かも知れない
祖父は、一人息子で我が儘に育ち、結婚しても女房・子供に苦労を掛け乍らの極楽とんぼ
然し乍ら、年老いてからは子供たちが順々に面倒を見、世話をやいたことは先に書いた通り
その祖父、周りの人から「爺さんは幸せね」と云われて、気色張って云い返したのだった

「人がどう思うても、それは要らんこと、自分がそう思うてへんかったら、幸せちゃう」
云い得て妙である、それは逆に「人になんぼ不幸やと云われても、ワシが幸せ思うたらエエ」
ということにもなる、我が爺さんナカナカである
お洒落でフンドシは無粋と云い、赤いお腰をして尺八に凝り、食通の爺さんであった
私は実の祖母は知らないが、爺さんの婆さん宅には三軒連れて行かれた記憶がある

古今東西の賢人が云う「吾思う故に吾あり」「胡蝶の夢」「唯心・唯識」なんだらかんだら
結局はそういうことだろう、爺さん的生き方も「何が悪いの?」と云えば其れまでのこと
ただ、爺さんは周りに迷惑、それも身内に迷惑を掛けたのは頂けないところである
人に迷惑や不幸を及ぼさない限り、人の目や評価は無用のものであろうと私は思う
つまり、「評価」は人がするものでなく、自分がするものであるということ

「悟」という字、「心と吾」であることに最近になって気付いた
「一度きりの人生」を自分自身の思いで大事にしていきたいと、つと思うこの頃である
「茶の湯」も自分の思いが大事、「守破離」の玄旨は人生そのものにも云えるようだ

佐良直美は今どうしているのだろうか
♪ いいじゃないの幸せならば
♪ 世界は二人のためにある・・(一人のためかな)
201405070714.jpg
紫蘭(しらん)があちこちで咲き出した、別名は白及(はくきゅう)、根茎の漢方名だとか
花言葉「君を忘れない・薄れゆく愛」、何だか花言葉とはエエ加減なものと思わせる
紫蘭は日本・台湾・シナ大陸東部の原産ながら、日本の野生種は絶滅危惧種になっている

このところの夜のテレビ放映、連夜の世界卓球で睡眠不足だった
卓球日本と云われた時代を忘れかけていたが、久しぶりにその言葉を思い出させてくれた
特に、女子の試合ぶりには危うく涙腺が緩みかけた、美人ブスの関係なく表情が感動的であった
そして、昨夜はボクシングの世界タイトル戦で復も睡眠不足となったのである
最近のボクシングの体重区分は分り辛いが、昨夜はフライ級なので日本人になじみが深い
白井、原田、海老原等の世界王者を輩出し、最近では内藤という微笑ましい人格の王者も出た
そして、あの亀一家もこの階級を賑わした、まま、これはマスコミのちぃと頂けない話である
その亀兄弟と内藤の試合で印象的だったのが、応援に来た相撲取りの顔ぶれである
内藤には白鳳、亀兄弟には朝青竜、まっこと、そのまんまであると思うた次第

ところで、卓球とボクシングの呼称では何か思わせぶりなものがある
テレビ・新聞はボクシングで「拳闘」とは云わない、そして卓球はピンポンとは云わない
ボクサーというのが一般的になり、我々に馴染みの「拳闘家」と云う言葉は死語になりつつある
面白いことに、卓球選手をピンポンプレイヤーと表現することは、まず無いようだ、何故だろうか
日本語・漢字表現の運動と、カタカナ表現のスポーツとの表現区分とは何を以ってしているのか
プレイヤー、スポーツマン、アスリート、この使い分けもハッキリしたものがあるのかどうか
何やかんやと、思いが巡る立夏の夜であったが、そんな話はシラン、と云われそうな・・

春すぎて 夏来にけらし 白妙(しろたへ)の 衣(ころも)ほすてふ 天の香具山 ・・ 持統天皇

風炉の季節になった
201404300955.jpg
芍薬(しゃくやく)、近所の玄関で開花、唐土北部の原産、花言葉「はにかみ・恥じらい」
ボタン(牡丹)科、ボタン属、牡丹は唐土の国花で「花王」、芍薬は「花相」とされる
因みに牡丹の花言葉は「富貴・百花の王」とされる

どうも解せないのが牡丹は「樹木」つまり木で、芍薬は「草本」つまり草だということ
何故それが同じ科・属の植物とされるのであろうか??ワ・カ・ラ・ナ・イ
その違いと云えば、牡丹は枝分かれをするが、芍薬は一本で枝分かれをしないこと
何方にしろ、見た目のきれいな花として美人の例えになっているのは周知である

「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」である、因みにわが娘の名は百合
うまい具合に、牡丹が終わりかけると芍薬、芍薬が終わりかけると百合の時期となる
牡丹の花が茶花に使われるのは限られているが、芍薬は茶花としてよく使われる
日本人の美意識は、唐土の感覚とは少し違っているようで面白い

ついでながら、女性が美しく見えるとする例えとしては
「夜目、遠目、傘の内」である、私は此方の例えが「茶の美意識」を表していると思う
美人局(つつもたせ)とは、自分の女を餌に男から金銭を巻き上げるという罪科だが 
「見返り美人」が色目で男を殺す(悩殺)のは、罪科にならぬと法度に記されているとか
つまり、ほどほど、腹八分、もう一枝あれかし、或いは余韻、残り香という世界だろう

考えてみると、「オレオレ電話詐欺」とは、息子を餌とした美人局とも云える卑劣な手だ
しかし、そんな電話が掛かって来たら楽しいのにという期待も私にはあるが、どうだろう
悪党どもの上前をハネ、それで次回の稽古は皆で温泉へ、「淋汗茶の湯」とやりたいものだ
「淋汗茶の湯」、茶の湯の原点である




2014.05.04 一念
201402260756.jpg
一念祈願
明治節とゴールデンウイークに行う因縁の囲碁対局
和歌山の友人とここ三年、半年に一度の割で奈良と和歌山で相互に一局の碁を打っている
私の五連敗中だったが、今回は何となく勝てそうな気がして和歌山に乗り込んだ
試験問題のヤマが当たった感じで、初手の布石は私の予測通り、シメタと内心ほくそ笑む

だが、それが仇となった、心がはやり、定石を打ち間違ってしまったのだ
何とかしようと二時間半の乱戦となり、コウ争いまで持ち込んで頑張ったのだが
つい小欲が出て大局を見謝った、五目の石を取りに行き、三十目の地を失ったのである
結果、十五目差で負け

相手の御仁、「シメタはシマッタの始まり」とか何とかオヌカシあそばした
これで六連敗、今年の明治節までにはと、夜空に向かい一念祈願をする
和歌山の夜空は三日月だった、シマ腸の味噌たれ焼で生ビールと芋焼酎が進んだ
201405011203.jpg
これもボケているが、点心席の床軸は流祖・宗箇が敵を待つ間に竹藪で茶杓を削る絵図
その茶杓は「敵がくれ」との銘が付けられ、上田家に現存する
この日は神事の流れである、本来は点心とは呼ばず、「直会・なおらい」であろう
今後のために事務方に云っておこうと思うが、ますます疎まれ者になるだろう
201405011217.jpg
立ち蹲踞(つくばい)の手水、立って蹲うとは妙な云い方ではある
武家茶では、大小の刀を差したまま手水を使うので、蹲うことが出来ないのだ
201405011117.jpg
薄茶席に置かれた花入、宗源宗匠に作で「生爪」の写しである
花は蝋梅(ろうばい)と山空木(やまうつぎ)
「生爪」という伊賀焼の花入は、宗箇が織部から譲り受けたもので花入の最高峰の一つとされる
織部が譲るに際し、生爪が剥がれる思いがすると認めたことが、その名の由来である
戦後の困窮時期に「生爪」は上田を出た、宗源宗匠がその写しを作られていたとは・・
201405011119.jpg
薄茶席の茶杓は宗源宗匠の奥方の作で、銘は「置き土産」
やはり暗さとボロ携帯のため、ほとんど消えかけて見えないが、私は感動した
奥方は余り人前に出て来られることはなく、まさに深窓の御方であった
早くに亡くなられたのだが、茶杓を削られていたとは初めて知った
その茶杓の銘が「置き土産」、しみじみ見入る、胸に迫るものがあった
201405011115 - コピー
薄茶席の床軸、宗源宗匠の筆になる「来去去来」、薄暗い室内でのボロ携帯である
上手く撮れなかったのが残念、文言は「来るなら来い、去るなら去れ」と読むのであろう
然し乍ら、宗源宗匠の言なら「来るならは来なさい、去るなら去りなさい」と聞こえる
いつも穏やかな静かな物言いの宗源宗匠、只々茶に向かわれていた姿しか私は知らない
大正元年生まれ、早稲田大学で剣道をされ、満州へ出征し、戦後に帰還という御方だった
201405011245.jpg
濃茶席では、宗源宗匠の意匠による棚・扇面棚が使われた
「扇」を象った棚で、奥の板には家紋の上田桐が彫り抜かれている
棚上は流祖所持の古瀬戸の茶入れである
201405011026.jpg
五月一日上田宗源先代宗匠の二十年祭が執り行われ参列、仏事であれば二十回忌
上田家は浅識であり、宗家は広島県社・饒津神社(にぎつじんじゃ)の宮司でもある
祭壇の奥上にあるのは流祖の宗箇廟、併せれ宗箇三六四年祭も行われた
玉串が捧げられ、二礼二拍手一礼の形式の祭祀であった