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野薊(のあざみ)キク科、日本固有種で学名はサーシアム・ジャポニカム
花言葉は「触れないで」、西洋アザミはスコットランドの国花とされている
アザミという名の由来は二説云われているようである

沖縄八重山地方では とげを「あざ」と呼ぶことで 「あざぎ」(とげの多い木)と云った
それが日本本土で次第に「あざみ」と訛って呼ばれるようになったとか
今一つの説は、「驚きあきれる」とか「興ざめする」の意味の古語 「アザム」からとか
花が美しいので手折ろうとすると、トゲにさされて痛いので「驚きあきれ、興ざめする」
さてさて、どちらの説がよろしかろうか、お立ち会い

昨日の稽古は平水差を使い、お二人の塾生に初めての濃茶点前とした
炭手前が終わった後、先ずは茶入の仕覆の扱いと紐の結び解き
次に茶巾の濃茶用の畳み方、私が「イカの耳」と云っている形である
卒塾生の方も応援に来て下さって、塾生二人には対マン方式の稽古指導となった
然し,、塾生のお二人、ナカナカにご自分の指先が思う様に動かない様子

漸く一人目の濃茶点前、止める間もあろうか、ジャバッと湯を入れなされアソバシタ
注ぎ足し湯も不要で、ブルドック中濃となり、卒塾者から飲み易かったとの評価を得る
二人目の濃茶では、その頑張りに反比例して炭の頑張りが失せてしまった
湯相・火相のことを、レア・ミディアム・ウエルダムと称しながらの濃茶初稽古であった

続いての薄茶は平茶碗の扱い、お二人とも昨夏の記憶は薄茶加減の様であった
当流では、茶碗を茶巾で拭くと時に平茶碗は周りを拭いてから中を拭く
深みのある茶碗は、中を拭く際にどうしても茶碗の縁(飲み口)に手が触れる
そこで、深みのある茶碗は中を拭いた後で茶碗の縁・周囲を拭くようにする
平茶碗は浅いため、茶碗の中を拭く時に茶碗の縁に手が当たらない
それ故、縁を先に拭いても大丈夫という訳である

新塾生のこともあり、新先輩塾生お二人には稽古精進を祈って止まない

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2014.06.28
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今朝、卒塾者の方から頂いた「夏椿・なつつばき」ツバキ科、日本・朝鮮半島南部原産
ツバキ科には珍しい落葉樹である、花言葉は「はかない美しさ・哀愁」

夕べ、手足が痺れ寝苦しく冷汗をかいた、案の定である、低血糖を起こしたのだった
この三日四日、掃除と「断捨離」で動き回ったのに、血糖を下げる薬を続けていたのだ
薬箱からブドウ糖一袋を取り出して口に含み、日本酒を湯呑に注ぎ一気に飲み干した
暫らくすると、症状は治まり楽になった、まま、慣れたものである

先には獄中で低血糖を起こしたのだが、そこは耳鼻咽喉科、看護婦は慣れていない
仕方なく、私がブドウ糖と血糖測定器を持ってくるようにテキパキと指示をした
何しろ、糖尿歴は四十年、しかも父・祖母からの血統書付糖尿患者である
看護婦相手に糖尿病の「傾向と対策」を講義できるというもの
獄中の禁酒状態が続いたので低血糖を来してのだという自己診断を話す
それ故、酒は何時も枕元に用意しておくように云ったのだが、拒否された
人の云うことを聞かない看護婦であった

面白いことに気付いた
断捨離は、入るを制し出るを図るというのが根本の教えである
何のことはない、糖尿病のカロリー対策と同じ教えだと納得した
貯め込むばかりの金満家に云ってやりたいものだ
2014.06.27 捨てて棄てて
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山の中で愛犬ハナが「虎の尾」に鼻を近付けている、踏まぬように・・
正しくは「丘(岡)虎の尾・おかとらのお」サクラソウ科、日本から朝鮮半島・満州辺りに分布
朝鮮虎・満州虎は絶滅危惧種ながら、ネコ科最大級で雄虎は優に三百キロを超えるとか
花言葉は「忠実、貞操」とある

この三・四日、家の掃除を兼ねて「断捨離・だんしゃり」を行っている
昨年、卒塾者の方がされた話を聞き、誘発された訳である
その話を聞いた時以来、何時か何時かと思いながら実行できなんだ
最近、孫娘が歩くようになって、アチコチを触りまくって指をくわえるので一念発起
大掃除をすることにして、この際ついでに「断捨離」と思ったが、これが大変

「断捨離」とは、ヨガの行法で人生や日常生活に不要なモノを断つという考え方とか
「断行(だんぎょう)」、「捨行(しゃぎょう)」、「離行(りぎょう)」と呼ぶらしい
捨てることでモノへの執着から解放され、身軽で快適な人生を手に入れようということだ
まま生き方、処世術に法道があり、単なる「片づけ」や「整理整頓」とは一線を画すようだ

断=入ってくる要らない物を断つ
捨=家にずっとある要らない物を捨てる
離=物への執着から離れる

私は単なる「片づけ」や「整理整頓」に勤しみ「捨」に専念したのだが、これが何とも難しい
「これは捨つるべきや、置くべきや」とロメオとジュリエットの繰り返しで悶々とする
物としての要不要の判断は左程難しくないが、想い出の品々の処分で悩むこと頻り
特に、手紙類と子供が持っていた品々を前にして「どうしょうか、ぬぬぬ」と手が止まる
気付かされたのは「取捨選択」と「廃棄処分」の違いである

年賀状は全て捨てた、書類は中身を見ないで棄てた、想い出の手紙は残した
子供の持ち物は類の中で一点を残して後は皆捨てたが、子供の書類は皆残した
来週には、二日間で衣類・布団と食器、そして書籍の片付けに入る予定でいる
要不要を逡巡した際は、迷わず棄てること肝要と心得る

愛犬ハナは賢い犬、虎の尾を前に「捨身飼虎」の故事をなぞらったのであろうと察す
そして最後に棄てる、否、捨てるのは、我が身か我が人生か、それとも女房か・・
先ずは、やはり我執であろう
2014.06.26 水引き話
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山で見付けた斑入り水引き草の葉っぱ、秋には細長い茎枝に小さく連なった花を付ける
斑入りの葉は葉緑素が少なく光合成が不十分になり易く育ち難いと云われている
「水引き草」の花言葉は 「 ささやかな歓び、感謝の気持ち 」 
明治の女流歌人・九条武子の遺稿歌集『白孔雀』にある、水引草を詠んだ歌
“ あるかなきか 茂みのなかに かくれつつ 水引草(みづひきぐさ)は 紅(べに)の花もつ ”

私には二人の碁仇が居る
二人とも同い歳で、一人は和歌山の御仁で年に二回、明治節と端午の節句毎に一局対戦する
もう一人は奈良の高校一年からの同級生、毎月一回互いの自宅を訪れあい二局か三局を打つ
昨日は奈良の同級生との対局日であり、彼の家を訪問した
私が車の運転が出来なくなってから、彼の家で対局する時にも、彼は車で迎え送りをしてくれる

実は同級生との対局は先週の予定であったが田圃の「水引き」で一週間延びたのだった
大和盆地は雨が少なく、溜池が五千余もあり、その歴史は四・五世紀まで遡るという
勿論、昔から水争いも多発し記録も残っているとかで、水の管理は村の最重要事項とされる
今年は雨量が少ないので、先週は近隣総出で溜池からポンプで水を引き出したとのこと

彼の家は古い農家の造りで、玄関脇には牛小屋や倉庫の跡があり、中庭を通り母屋へ行く、
玄関に入って、中庭へ出ようとすると地面から屋根に竹が立て掛けられ出られなくなっていた
今は駐車場に使っている牛小屋跡を通り抜けて中庭に入り、母屋へ向かった
奥方が出て来られて曰く、玄関にはツバメの巣があり子育て中で、カラスの侵入防止策だとか
同級生曰く、昔は三つも四つもツバメの巣があり子育てで賑やかだったが、今は一つだけとか


囲碁の対局とは、時間の味わいでもある
石で語り掛けるお互いの心中と、言葉で物語る世の昨今や想い出話のコントラストが楽しい
ツバメやスズメが減った話から、カエルが少なくなり、ドジョウ・タニシも見なくなった云々
川のシジミや池のカラス貝の味、トマト・キュウリ・マクワウリを井戸で冷やした云々
昭和の三十年代、古き良き時代を語りながら石を打ち続けた

涼風が外の草木の香りを運んでくれ、半世紀以上前の光景が彷彿と蘇って来ていた
彼の家には今以って空調設備は無い、家の中を通り抜ける風が爽やかで涼しく心地よい
日本の家屋は夏の暑さを凌げるように造られているというのを実感する
まさに、水引き草の花言葉「ささやかな歓び、感謝の気持ち」のひと時であった

一局目は三十目差で私の大敗、二局目は五目差で私の辛勝、やはり一局目が勝てない
囲碁は一局目が全てだという先人の教えを実感させられた上で、我が家まで送ってもらう
こんな調子では、私との囲碁対局も「水引き」ならぬ「幕引き」にされるかも知れない
東京都議会のセクハラ野次問題の奇妙な「幕引き」のように・・
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紫式部の花、秋になると小さく連なった紫の実を付ける、日本・台湾・朝鮮半島が原産地
紫の実が連なるので、「紫敷き実・むらさきしきみ」がその名の由来とされる
然し、世間では源氏物語の作者である「紫式部・むらさきしきぶ」を名の由来とする話が多い

紫式部は藤原北家の出で、学者、詩人である藤原為時の娘。藤原宣孝に嫁ぎ、一女を産む
夫の死後、一条天皇の中宮・藤原彰子に仕えている間に、『源氏物語』を記したとされる
その生没年・本名は不詳で、初婚か再婚かも諸説があるが、幼少より漢文を読みこなしたとか
そして、その歌は「小倉百人一首」にも選ばれれているという才女であったらしい

今朝四時に目覚め、愛犬と散歩して帰り、テレビを付けると、どこも皆サッカー一色
日本・コロンビア線は一対四で日本の惨敗、途中から寝コロンビアで観ていた
しかし、サッカー戦で思うのは、どうしてワザと倒れたり、これ見よがしに痛がるのか
そして何より、相手の非をあげつらい自己主張を繰り返す仕儀、恥も矜持も無いようだ

東京都議会のセクハラ野次、当初云っていないとしていた都議が自分がやったと白状した
そして曰く「他のヤジは私ではない、云った人は名乗り出てお欲しい云々」、よく云うもの
情けないというか、恥も矜持も無いという日本人として悲しくなる話の顛末であった
城山三郎の小説に石田国鉄総裁を描いた「粗にして野だが卑ではない」という小説があった
今の日本の指導的立場にある人には「卑劣・卑怯」を恥じる士道の心を持ってもらいたいと思う
というよりか、そういう無様な者を指導者に選ぶという日本国民の民度劣化を杞憂する

2014.06.24 チガヤ
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山の茅萱(チガヤ)の花穂、この時期の川原や草叢に群生しているのをよく見る
イネ科スゲ属で、茅(カヤ)、菅(スゲ)、芒(ススキ)の仲間

イネやムギは食用として重宝されるが、カヤ・スゲは油分を含み防水材として使われた
茅葺(かやぶき)屋根は農家の定番景色であったが、今では見かけなくなった
菅笠(すげかさ)はお遍路か釣り人が使っているのを見掛けるぐらいである

ついでながら、雨の茶室に向かう露地で使う露地笠と股旅者の三度笠のこと
露地笠は竹皮で作られ、数寄屋笠(すきやがさ)、竹子笠(たけのこがさ)ともいう
三度笠は菅も竹皮も使われる、三度笠とは「三度の笠」というのが正しいらしい
京・大坂・江戸を月に三度回る飛脚便が使用した笠だとか、てなもんや三度笠(^^)

茶を習い始めた頃、私はこの笠話に想い出を持っている
とある茶事の時のこと、「晴れた日にも笠の用意」と先代宗家に云われた
私は、それを帰り客への番傘の用意だと思っていたのが、それだけではなかった
雨の露地を通る笠の用意を怠るな、ということだと先代宗家から教えられた

「露地笠」というものは聞いたことも見たこともないので、どこにあるのかと問うた
「これだよ」と示されたものを見て、私は「三度笠を使うのですか?」
先代応えて曰く「三度笠は顎紐があるが、露地笠は縁に紐の取っ手がある」とか
なるほどに違ったもので、それに露地笠は大きくて二尺六寸一分あるという
因みに、柄のあるのが傘で、柄の無いのが笠だとか
では、キノコのそれは傘?笠?、辞書の見解も分かれているようである

さて、チガヤは万葉集でも詠われている

浅茅原 つばらつばらに もの思へば 故(ふ)りにし郷(さと)し 思ほゆるかも
(大伴旅人)

浅茅原(あさちはら)とは「つばらつばら」に掛かる枕詞で、チガヤがポツポツの意
よって、ポツポツ物思いをしていると、思い出すのは故郷のことだ、というのだろう
この「故(ふ)りにし郷(さと)」が故郷の原典になったとも聞くが如何
2014.06.23 親子話Ⅱ
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花菖蒲(はなしょうぶ)、アヤメ科日本原産、花言葉「あなたを信じます、心意気、伝言」
アヤメ科の中では、菖蒲(しょうぶ)杜若(かきつばた)に比べ開花期が遅く梅雨入り頃となる
梅雨空に紫陽花と競演する姿は艶やかである
昨日書き込んだ記事、親に見捨てられ部屋で一人衰弱死をした斎藤理玖ちゃんへの思いを続ける

私は六歳から八歳の間、奈良県宇陀にある山寺の麓にある一軒家で育った
山寺のすぐ下には「母子寮」があり、そのまた下側の麓には「孤児院」があった
当時の「母子寮」とは、戦争で夫や家を失くした子持ち寡婦の入居施設であった
そして「孤児院」は、その多くが大阪辺りの「浮浪児」、戦災孤児の収容される施設であった

一軒家で隣近所というものが無かった私には、母子寮の子供が遊び友達となった
そして孤児院が遊び場だった、そこにはブランコやシーソー等があったためである
何時しか孤児院の顔馴染みになった私は、おやつの芋切れや落花生の配給も受けた
孤児院の先生も大らかだったのだろうが、年長の孤児たちが優しかったような思いが残る

それから二十年、私は広島の流通産業に身を置き、米国のファーストフードチェーンに参加
マニュアルとか何たらで、製造して四時間経つドーナツは廃棄処分という御定めであった
私は、折角作ったドーナツをゴミ箱に捨てることに違和感があり、然りとて販売も出来ず残した
閉店後、残したドーナツを「養護施設」、嘗ての「孤児院」今の「児童養護施設」に持ち込んだ
女の院長先生に、今日作ったもので捨てるに忍び難い旨を説明し、受け取ってほしいと伝えた
院長先生は「ありがとうございます、子供たちが喜びます」と云って、受けて下さった

ドーナツ作りの加減も次第に分りかけ、残量も出なくなってからも、時に応じて多目に作った
そして、余らしたものを定期的に「施設」に運んでいた、院長先生とも話す機会が多くなった
私が、子供の頃に「孤児院」を遊び場にしていて、そこの皆から可愛がられたことを話した
園長先生は、「当時の施設の子は孤児になっていたが、元はしっかりした家庭の子が多かった」
「今の施設の子は、本当の孤児は少ない、片親あるいは両親が居る子が殆ど」と聞かされた

戦災孤児は親の責任で孤児になった訳でないが、今の孤児は殆どが親の子育て責任放棄である
勿論、親に死なれたり、親の病苦、生活苦等の諸事情で止む無く施設に入る子も居るであろう
然し、先には神戸の若い母親が男と遊び歩くために、部屋に遺棄され死亡した幼い二児のこと
この前には、厚木で発見された当時五歳の理玖ちゃん、父親に女が出来で遺棄され死亡した
この子供たち、共に実の両親は居るのである

生物学で云ういう適者生存の掟とは、子孫を生み育てることが出来る者だけが生存するに値する
そうでない者は自然界で淘汰され、その子孫は残らないと云う摂理である
子孫に適者生存の能力・資格を与えることが出来ない者は、その子を作ってはならない
先天的に身体・精神・知能に不適正や問題を持つ人は子孫を残してはならないのだ
でないと、その子供たちが不幸であり、その不幸が世に連鎖するという条理となる

理玖ちゃん、その父親が最後に聞いたという理玖ちゃんの声、かすかに「パパ、パパ」
花菖蒲の言葉「私は信じています、伝言」、理玖ちゃんにとって神に勝る存在とは親である
そして、その親に伝えたかった理玖ちゃんの思いとは・・
非情な話だが、理玖ちゃんは生まれて来てはならなかった
2014.06.22 親子話
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近鉄電車の駅校内で納まる愛犬「ハナ」、ゲージを開く時は口輪着装のお達しを受けた
車の運転免許を返上した後、犬のゲージと台車を購入してハナとの旅に備えていた
私は子供の頃、犬ぞりに興味を持ち飼っていた紀州犬に自転車を牽かせて遊んだもの
それが、犬を乗せた台車を自分が牽くことになろうとは思いもせなんだ

この土日曜から雨模様の予報なので、車の無い私達は早めに山小屋を引き上げた次第
山小屋には新聞もパソコンも無いので、見るともなくテレビを点けっ放しにしていた
サッカーワールドカップの話ばかりで食傷ぎみの中、二つの親子話が私には印象的であった
一つは札幌のカモの親子の救出話、もう一つは厚木の男児置き去り死亡遺棄の話だ

札幌市内の幹線道路の中央分離帯の緑地に迷い込んだカモ親子を警官が救出とのこと
警官は動こうとしない母カモを手に取り、連れて行くと子カモが付いて来たという話だ
私は、その母カモの母性本能というか、健気な心情を慮り、胸が熱くなった
広い通りで、カラスの攻撃から子カモを守るため分離帯の茂みまで連れて来たらしい

車の通る中、どのように道を渡ったか知らないが、母カモは必死であったことは想像に難くない
そして人間が近付き、我が身に危険が迫ったと悟った時、飛び立てば逃げることが出来た母カモ
それでも子カモの側を離れようとしなかった母カモの心情を思うと、母というものを教えられる
母性本能は生存本能に勝る、つまり種族保存本能とは個体の生死を超越することであろう

方や厚木の人間親子、母親が家出をした後の父親と五歳の幼子の話である
父親は幼子をアパートに監禁し家に帰らす、週に二度ほどパンやむすびを与えていただけという
子は汚れたままの服とおむつを付け、やせ細ってパンやむすびの袋を開ける力も失せていたとか
最後は自分で起き上がることも出来ず、か細い声で「パパ、パパ」と云っていたという
「子供にとって親とは神様以上の存在である」とは、私が幼子を育てている時に聞かされた言葉
その五歳の幼子・斎藤理玖ちゃんの心情を思うと、ただただ、切なく居たたまれなくなる
ついには、そのことを伝えるテレビを消してしまうのであった

然しである
その幼子・理玖ちゃんは死ぬことが自然界の掟だ、と云うと如何であろうか
私は悲しいがそう思っている、と云うより、適者生存の掟が自然の摂理であるということだ

生存環境が厳しかった縄文j時代の遺跡で、体に障害を持った人骨が出ているという
その人間の親、周囲の者が介護し育てらしいと、その遺跡調査の報告がされている
云わんとする話は親子の原点・種族保存の本義である、次回にしたい
2014.06.17 山籠もり
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昼咲き月見草、面白い名である、確かに月は昼でも天に出ている

これから一週間ほど愛妻・愛犬と共に山籠もりである
パソコンは開くことが出来なくなるので、ブログの書き込みは休止する
2014.06.17 百合祭り
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ササユリ(笹百合、学名:Lilium japonicum)は、日本特産で日本を代表するユリである
地域によってはヤマユリと呼び、日本の中部地方から四国・九州に分布するが自生地は減少
よく知られる園芸種の鉄砲百合も沖縄西南諸島から鹿児島が原産地である

今日、六月一七日は、 率川(いさがわ)神社の例祭・三枝祭(さえくさまつり)である
別名「ゆりまつり」と呼ばれ、大宝元年(701)制定の『大宝令』にも国家の祭りと定める
大神神社で行われる鎮花祭(はなしずめのまつり)と共に疫病を鎮める由緒あるお祭りだ
率川神社の ご祭神である媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)である
神武天皇の皇后である媛は、百合の花が美しい三輪山の麓の狭井川(さいがわ)に居たという
この縁故により後世、酒樽に「笹百合の花」を飾り、祭りが行われるようになったと伝えられる

三輪山と奈良・春日山を繋ぐ道は、日本最古の幹線道路といわれる山辺古道である
その道を、三輪神社から笹ユリを入れた酒樽を荷車で春日山麓の率川神社まで運んだ
それが一六日の笹ユリ奉献の神事であったが、今は三輪駅から奈良駅までの国鉄の旅
国鉄奈良駅から、笹ユリの酒樽は輿(こし)に乗り、三条通りを率川神社へ向かう

ついでながら、媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)のこと
既に女房・子供も居た神武天皇だが、在地の豪族の娘を正妃とすることで、一つの形を作る
天照大神の子孫・神武天皇と、三輪大物主の子孫・媛蹈鞴五十鈴媛命が結婚する形である
つまり、天津神系と国津神系に分かれた日本の神の系譜が、一つに統合されることである
「百合まつり」の話は、今の日本の国体を作った玄旨を伝える話だとも云える

昨日の茶の稽古は空振りであった
娘夫婦は旦那が体調を崩して休み、娘だけが孫を連れて来た
続いて、三条通りの「そば処・かえる庵」の佐藤さんも奥方を連れ新人指導に来られた
それも新人塾生三人に、そばの土産持参ということであった
時刻が来ても新人たちが来ないので、電話を入れると日にちを間違えたということだ
仕方なく、私と佐藤さんは芋焼酎・薩摩白波を一本空けることにした、ツマミは甘納豆

明日はかえる庵の定休日だが、百合祭りのため店を開けるので、奥方は酒量を心配される
我が娘は百合の花が大好きで、旦那と共に百合祭りの見物に行くという
それにしても、新人塾生たちは・・









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イソトマの花、豪州原産の毒草、日本在来種の丁子草とよく似ているが違った
丁子草は嘗ての日本で普通に見られた草だが、百年後までに姿を消す全滅危惧種とされる
イソトマは花芯が突起しているが、丁子草のその部分は突起していない
日本の在来種が、外国からの帰化種に圧倒され姿を消しつつあるのは、植物だけではない

今朝の新聞・テレビはサッカー話が躍っていた、概して「日本惜敗」云々とかの字面がほとんど
ボール支配率・日本43%相手57%、シュート数・日本7本相手20本、正に完敗である
男にとって、「慰められる」や「手加減される」ほど侮辱の仕儀はないと私は思うている
今の日本の国民、なかんずくマスコミは寄ってたかってサッカー日本代表を侮辱している

私は元々、ラグビーは観てもサッカーには興味はなかったし、野球もあまり好きではない
サッカーも野球も審判に文句を云ったり、詰め寄ったりする、士道の感覚が無いと思っている
相撲や剣道、そしてラグビーでは審判に文句どころか、ガッツポーズさえ顰蹙ものである
今の日本はサッカー人気は急上昇、ラグビー人気は下降しているのは民度の変化か
五年後に、ラグビーのワールドカップが日本で開催されることを日本国民は御存じであろうか

ある人の記事にあったラグビーとサッカーに相違とは

>サッカーは痛くないのに痛いよ~とうめいてペナルティーをもらおうとする。(恥ずかしい限り) ラグビーは、どんなに痛くても痛みは相手に見せない。味方にも見せない。これは美学。また、ケガすると交替させられたりするから、とにかく痛みは堪える!

>サッカーでは、ケガ(またはケガのふり)して倒れていると、ゲームを切ってすぐ手当てもらえる。それは美徳と思われているが、ほとんど時間稼ぎかペナルティ懇願型なので醜いだけにみえる。ラグビーは、倒れているヤツは石ころと一緒。誰も見向きもしない。当然ゲームは続く。ひたすら続く。ときどき、ヤカンの水をかけてもらえる。時々、再びボールをもった一団がやってきて、倒れている上を蹂躙して去っていくことがある。

>サッカーは、オフサイドやハンドだと選手が判断すると手をあげてアピールしているが誠に醜悪である。判断はレフェリーがするもの。選手は笛が鳴るまで全力をつくせばいい。ラグビーで、選手が勝手な判断をするとキャプテンの鉄拳が飛んでくる。

>サッカーはゴールを決めると醜いほど喜ぶがラグビーは喜ばない。落ち込んでいるであろう相手のことを慮る(おもんばかる)のが基本だ。トライを決めたら、何か悪い事でもしたかのようにトボトボと自陣まで戻るのが正しい。心の中では喜んでもいい。

>サッカーはゲームオーバーだが、ラグビーは終わったらNo side.(敵味方なし)だ。

>サッカースピリット is money.(他にあるなら教えて)  ラグビースピリットは、
和敬清寂(Harmony, respect, purity & tranquility)、(つまり、茶の心)
忍耐(perseverance)、節度(moderation)、謙遜(humbleness)
そしてチームワーク(One for all, All for one.)だ。
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まま、ともかくもサッカーワールドカップ、日本はあと二戦ある、ガンバレ日本!
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月下美人(ゲッかビジン)サボテン科、花言葉「強い意思」、メキシコ原産
日本に普及していた株は、原産地から導入されたたった1つの株から増やされた同一クローン
名の由来は、植物学者でもあった昭和天皇が台湾を訪問された時、夜の庭に咲くこの花を見て
駐台大使に名を尋ねると、大使はとっさに「月下の美人ですね」と答え、その名になったとか

私はその花言葉「強い意思」を持って、黄村先生の茶Ⅲ(最終編)を掲載する
第一編ではブログ来訪者三十八人で六拍手、過去最低の拍手率であった
次の第二編では、訪問者十四人で半減以下となり、わずか三拍手であった
不評とはいえ、茶のブログ、私は黄村先生の茶に心が通う気がするのである

では、黄村先生の茶Ⅲ(最終編)である

「それじゃ、はじめよう。」先生は立ち上って隣りの三畳間へ行き、襖ふすまをぴたりとしめてしまった。
「これからどうなるんです。」瀬尾君は小声で私に尋ねた。
「僕にも、よくわからないんですがね、」何しろ、まるで勝手が違ってしまったので私は不安でならなかった。「普通の茶会だったら、これから炭手前の拝見とか、香合一覧の事などがあって、それから、御馳走が出て、酒が出て、それから、――」
「酒も出るのですか。」松野君は、うれしそうな顔をした。
「いや、それは時節柄、省略するだろうと思うけど、いまに薄茶が出るでしょう。まあ、これから一つ、先生の薄茶のお手前を拝見するという事になるんじゃないでしょうか。」私にもあまり自信が無い。
 じゃぼじゃぼという奇怪な音が隣室から聞えた。茶筌ちゃせんでお茶を掻(かき)廻しているような音でもあるが、どうも、それにしてはひどく乱暴な騒々しい音である。私は聞き耳を立て、
「おや、もうお手前がはじまったのかしら。お手前は必ず拝見しなければならぬ事になっているのだけど。」
 気が気でなかった。襖はぴったりしめ切られている。先生は一体、どんな事をやらかして居られるのか、じゃぼじゃぼという音ばかり、絶えまなくかまびすしく聞えて来て、時たま、ううむという先生の呻うめき声さえまじる有様になって来たので、私たちは不安のあまり立ち上った。
「先生!」と私は襖をへだて呼びかけた。「お手前を拝見したいのですが。」
「あ、あけちゃいけねえ。」という先生のひどく狼狽したような嗄(しゃが)れた御返辞が聞えた。
「なぜですか。」
「いま、そっちへお茶を持って行く。」そうしてまた一段と声を大きくして、「襖をあけちゃ、駄目だぞ!」
「でも、なんだか唸うなっていらっしゃるじゃありませんか。」私は襖をあけて隣室の模様を見とどけたかった。襖をそっとあけようとしたけれども、陰で先生がしっかり抑えているらしく、ちっとも襖は動かなかった。
「あきませんか。」海軍志願の松野君が進み出て、「僕がやってみましょう。」
 松野君は、うむと力んで襖を引いた。中の先生も必死のようである。ちょっとあきかけても、またぴしゃりとしまる。四、五度もみ合っているうちに、がたりと襖がはずれて私たち三人は襖と一緒にどっと三畳間に雪崩(なだれ)込んだ。先生は倒れる襖を避けて、さっと壁際に退いてその拍子に七輪を蹴飛ばした。薬鑵は顛倒(てんとう)して濛々(もうもう)たる湯気が部屋に立ちこもり、先生は、
「あちちちちち。」と叫んではだか踊りを演じている。それとばかりに私たちは、七輪からこぼれた火の始末をして、どうしたのです、先生、お怪我(けが)は、などと口々に尋ねた。先生は、六畳間のまん中に、ふんどし一つで大あぐらをかき、ふうふう言って、
「これは、どうにもひどい茶会であった。いったい君たちは乱暴すぎる。無礼だ。」とさんざんの不機嫌である。
 私たちは三畳間を、片づけてから、おそるおそる先生の前に居並び、そろっておわびを申し上げた。
「でも、唸っていらっしゃったものですから心配になって。」と私がちょっと弁解しかけたら、先生は口をとがらせて、
「うむ、どうも私の茶道も未だいたっておらんらしい。いくら茶筌でかきまわしても、うまい具合いに泡が立たないのだ。五回も六回も、やり直したが、一つとして成功しなかった。」
 先生は、力のかぎりめちゃくちゃに茶筌で掻きまわしたものらしく、三畳間は薄茶の飛沫(ひまつ)だらけで、そうして、しくじってはそれを洗面器にぶちまけていたものらしく、三畳間のまん中に洗面器が置かれてあって、それには緑の薄茶が一ぱいたまっていた。なるほど、このていたらくでは襖をとざして人目を避けなければならぬ筈であると、はじめて先生の苦衷(くちゅう)のほどを察した。けれどもこんな心細い腕前で「主客共に清雅の和楽を尽さん」と計るのも極めて無鉄砲な話であると思った。所詮理想主義者は、その実行に当ってとかく不器用なもののようであるが、黄村先生のように何事も志と違って、具合いが悪く、へまな失敗ばかり演ずるお方も少い。案ずるに先生はこのたびの茶会に於いて、かの千利休の遺訓と称せられる「茶の湯とはただ湯をわかし茶をたてて、飲むばかりなるものと知るべし」という歌の心を実際に顕現して見せようと計ったのであろう。ふんどし一つのお姿も、利休七ケ条の中の、
 一、夏は涼しく、
 一、冬はあたたかに、
 などというところから暗示を得て、殊更に涼しい形を装って見せたものかも知れないが、さまざまの手違いから、たいへんな茶会になってしまって、お気の毒な事であった。
 茶の湯も何も要いらぬ事にて、のどの渇き申候節は、すなわち台所に走り、水甕みずがめの水を柄杓(ひしゃく)もてごくごくと牛飲仕るが一ばんにて、これ利休の茶道の奥義と得心に及び申候。
 というお手紙を、私はそれから数日後、黄村先生からいただいた。
< 完
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白詰草(しろつめくさ)、別名・クローバー、北アフリカ原産、赤詰草はヨーロッパ原産
名は、江戸期末のオランダから献上されたガラス製品の包装に詰められていたことに由来
明治以降、家畜の飼料用として導入された、根粒菌が窒素を固定し地味を豊かにする植物
以前は田圃の肥し草として使われた、今では造成地や開発地の緑化資材にも用いられる

黄村先生の茶、そのⅡである

 茶会の当日、私は、たった一足しかない取って置きの新しい紺足袋をはいて家を出た。服装まずしくとも足袋は必ず新しきを穿(うが)つべし、と茶の湯客の心得に書かれてある。省線の阿佐ヶ谷駅で降りて、南側の改札口を出た時、私は私の名を呼ばれた。二人の大学生が立っている。いずれも黄村先生のお弟子の文科大学生であって、私とは既に顔馴染なじみのひとたちである。
「やあ、君たちも。」
「ええ、」若いほうの瀬尾君は、口をゆがめて首肯(うなず)いた。ひどくしょげ返っている様子であった。「困ってしまいました。」
「また油をしぼられるんじゃねえかな、」ことし大学を卒業してすぐに海軍へ志願する筈になっている松野君も、さすがに腐り切っているようであった。「茶の湯だなんて、とんでもない事をはじめるので、全くかなわねえや。」
「いや、大丈夫だ。」私は、このふさぎ込んでいる大学生たちに勇気を与えたかった。「大丈夫だ。僕はいささか研鑽して来たからね、きょうは何でも僕のするとおりに振舞っておれば間違いない。」
「そうでしょうか。」瀬尾君は少し元気を恢復(かいふく)した様子で、「実は僕たちも、あなた一人をあてにして、さっきからここでお待ちしていたのです。きっとあなたも招待されていると思いましたから。」
「いや、そんなにあてにされると僕も少し困るのだが。」
 私たち三人は、力無く笑った。
 先生は、いつも、離れのほうにいらっしゃる。離れは、庭に面した六畳間とそれに続く三畳間と、二間あって、その二間を先生がもっぱら独占して居られる。御家族の方たちは、みんな母屋のほうにいらっしゃって、私たちのために時たま、番茶や、かぼちゃの煮たのなどを持ち運んで来られる他は、めったに顔をお出しなさらぬ。
 黄村先生は、その日、庭に面した六畳間にふんどし一つのお姿で寝ころび、本を読んで居られた。おそるおそる縁先に歩み寄る私たち三人を見つけて、むっくり起き上り、
「やあ、来たか。暑いじゃないか。あがり給え。着ているものを脱いで、はだかになると涼しいよ。」茶会も何もお忘れになっているようにさえ見えた。
 けれども私たちは油断をしない。先生の御胸中にどのような計略があるのかわかったものでない。私たちは縁先に立ち並び、無言でうやうやしくお辞儀をした。先生は一瞬けげんな顔をなさったようだが、私たちはそれにはかまわず、順々に縁側に躙(にじ)り上り、さて私は部屋を見廻したが、風炉も釜も無い。ふだんのままのお部屋である。私は少し狼狽(ろうばい)した。頸(くび)を伸ばして隣りの三畳間を覗くと、三畳間の隅に、こわれかかった七輪が置かれてあって、その上に汚く煤(すす)けたアルミニュームの薬鑵(やかん)がかけられている。これだと思った。そろそろと膝行して三畳間に進み、学生たちもおくれては一大事というような緊張の面持でぴったり私に附き添って膝行する。私たちは七輪の前に列座して畳に両手をつき、つくづくとその七輪と薬鑵を眺めた。期せずして三人同時に、おのずから溜息が出た。
「そんなものは、見なくたっていい。」先生は不機嫌そうな口調でおっしゃった。けれども先生には、どのような深い魂胆(こんたん)があるのか、わかったものでない。油断がならぬ。
「この釜は、」と私はその由緒ゆいしょをお尋ねしようとしたが、なんと言っていいのか見当もつかない。「ずいぶん使い古したものでしょう。」まずい事を言った。
「つまらん事を言うなよ。」先生はいよいよ不機嫌である。
「でも、ずいぶん時代が、――」
「くだらんお世辞はやめ給え。それは駅前の金物屋から四、五年前に二円で買って来たものだ。そんなものを褒(ほめ)る奴があるか。」
 どうも勝手が違う。けれども私は、あくまでも「茶道読本」で教えられた正しい作法を守ろうと思った。
 釜の拝見の次には床の間の拝見である。私たちは六畳間の床の間の前に集って掛軸を眺めた。相変らずの佐藤一斎先生の書である。黄村先生には、この掛軸一本しか無いようである。私は掛軸の文句を低く音読した。
 寒暑栄枯天地之呼吸也。苦楽寵辱(ちょうじょく)人生之呼吸也。達者ニ在ッテハ何ゾ必ズシモ其遽ニワカニ至ルヲ驚カン哉ヤ。
 これは先日、先生から読み方を教えられたばかりなので、私には何の苦も無く読めるのである。
「流石さすがにいい句ですね。」私はまた下手へたなお追従ついしょうを言った。「筆蹟にも気品があります。」
「何を言っているんだ。君はこないだ、贋物(にせもの)じゃないかなんて言って、けちを附けてたじゃないか。」
「そうでしたかね。」私は赤面した。
「お茶を飲みに来たんだろう?」
「そうです。」
 私たちは部屋の隅にしりぞいて、かしこまった。
< 続く、
2014.06.13 黄村先生の茶
無題
今日は太宰治の命日、桜桃忌と云われている、桜桃とはユスラウメのこと
明治四十二年生まれ、昭和二十三年六月十三日愛人と入水自殺、享年三十九歳

太宰は芥川龍之介に憧れて真似た節がある、太宰の本名は津島だが、芥川は本名
芥川家は江戸幕府の士族で役職は数寄屋坊主、いわば茶家であった
それでかどうか、太宰に「不審庵」という小作品があり、茶のことに触れている
話の略筋は、先の大戦中に黄村なる大学の先生が太宰等を茶に招いた顛末である
その黄村先生の茶、斯くあれかしと思うので、前半を省き三回連載として掲載する


その黄村先生から、私はお茶の招待を受けたのである。招待、とは言っても、ほとんど命令に近いくらいに強硬な誘引である。否も応もなく、私は出席せざるを得なくなったのである。
 けれども、野暮(やぼ)な私には、お茶の席などそんな風流の場所に出た経験は生れてから未だいちども無い。黄村先生は、そのような不粋(ぶすい)な私をお茶に招待して、私のぶざまな一挙手一投足をここぞとばかり嘲笑し、かつは叱咤(しった)し、かつは教訓する所存なのかも知れない。油断がならぬ。私は先生のお手紙を拝誦して、すぐさま外出し、近所の或る優雅な友人の宅を訪れた。
「君のとこに、何かお茶の事を書いた本が無いかね。」私は時々この上品な友人から、その蔵書を貸してもらっているのである。
「こんどはお茶の本か。多分、あるだろうと思うけど、君もいろんなものを読むんだね。お茶とは、また。」友人はいぶかしげの顔をした。
「茶道読本」とか「茶の湯客の心得」とか、そんな本を四冊も借りて私は家へ帰り、片端から読破した。茶道と日本精神、侘わびの心境、茶道の起原、発達の歴史、珠光、紹鴎、利休の茶道。なかなか茶道も、たいへんなものだ。茶室、茶庭、茶器、掛物、懐石の料理献立こんだて、読むにしたがって私にも興が湧いて来た。茶会というものは、ただ神妙にお茶を一服御馳走になるだけのものかと思っていたら、そうではない。さまざまの結構な料理が出る。酒も出る。まさかこの聖戦下に、こんな贅沢ぜいたくは出来るわけがないし、また失礼ながらあまり裕福とは見受けられない黄村先生のお茶会には、こんな饗応の一つも期待出来ず、まあせいぜい一ぱいの薄茶にありつけるくらいのところであろうとは思いながらも、このような、おいしそうな献立は、ただ読むだけでも充分に楽しいものである。さて、最後は、お茶客の心得である。これが、いまの私にとって、最も大切な項目である。お茶の席に於いて大いなるへまを演じ、先生に叱咤せられたりなどする事のないように、細心に独習研鑽(けんさん)して置かなければならぬ。
 まず招待を受けた時には、すぐさま招待の御礼を言上しなければならぬ。これは、会主のお宅へ参上してお礼を申し上げるのが本式なのであるが、手紙でも差しつかえ無い。ただ、その御礼の手紙には、必ず当日は出席する、と、その必ずという文字を忘れてはいけないのである。その必ずという文字は、利休の「客之次第」の秘伝にさえなっているのである。私は先生に、速達郵便でもって御礼状を発した。必ずという文字を、ひどく大きく書いてしまったが、そんなに大きく書く必要は無かったのである。いよいよ茶会の当日には、まず会主のお宅の玄関に於いて客たちが勢揃せいぞろいして席順などを定めるのであるが、つねに静粛を旨とし、大声で雑談をはじめたり、または傍若無人の馬鹿笑いなどするのは、もっての他の事なのである。それから主人の迎附けがあって、その案内に従い茶席におそるおそる躙(にじ)り入るのであるが、入席したらまず第一に、釜かまの前に至り炉ならびに釜をつくづくと拝見して歎息をもらし、それから床の間の前に膝行しっこうして、床の掛軸を見上げ見下し、さらに大きく溜息をついて、さても見事、とわざとらしくないように小声で言うのである。ふりかえって主人に掛軸の因縁などを、にやにや笑ったりせず、仔細しさいらしい顔をして尋ねると、主人はさらに大いに喜ぶのである。因縁を尋ねるとは言っても、あまり突込んだ質問は避けるべきである。どこから買ったか、値段はいくら、にせものじゃないか、借りて来たのだろうなどと、いやに疑い深くしつっこく尋ねるときらわれるのである。炉と釜と床の間をほめる事。これは最も大切である。これを忘れた者は茶客の資格が無いものと見なされて馬鹿を見る事になるのである。夏は炉のかわりに風炉ふろを備えて置く事になっているが、風炉といっても、据風呂ではない。さすがに入浴の設備まではしていない。まあ、七輪(しちりん)の上品なものと思って居れば間違いはなかろう。風炉と釜と床の間、これに対して歎息を発し、次は炭手前の拝見である。主人が炉に炭をつぐのを、いざり寄って拝見して、またも深い溜息をもらす。さすがは、と言って膝ひざを打って感嘆する人も昔はあったが、それはあまり大袈裟おおげさすぎるので、いまは、はやらない。溜息だけでよいのである。それから、香合をほめる事などもあって、いよいよ懐石料理と酒が出るのであるが、黄村先生は多分この辺は省略して、すぐに薄茶という事になるのではあるまいか。聖戦下、贅沢なことを望んではならぬ。先生に於いても、必ずやこの際、極端に質素な茶会を催し、以て私たち後輩にきびしい教訓を垂れて下さるおつもりに違いない。私は懐石料理の作法に就いての勉強はいい加減にして、薄茶のいただき方だけを念いりに独習して置いた。そうして私のそのような予想は果して当っていたのであったが、それにしても、あまりに質素な茶会だったので、どうにも、ひどい騒ぎになってしまった。
< 続く
2014.06.12 家元相続争い
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日本原産の風車(かざぐるま)キンホウゲ科、絶滅危惧種、近縁種に唐土原産の鉄線
風に回る風車と見る日本と、鉄の錆びた線と見る漢人の感覚の違いが面白い
風車は奈良県大宇陀町の町花で、昭和二十三年に宇陀の自生地が天然記念物に指定
夏咲きの風車は殆どが花弁八枚だが鉄線は六枚、共に欧州で交配されクレマチスとなる
英語では「旅人の楽しみ」、伊語では「ごま塩ひげ」、仏語では「乞食草」という名がある

クレマチスは、原種が風車か鉄線かで、花弁数や葉形の違いがあったという
風車の葉形は三山のハート状で、鉄線はギザギザ形のなっているのが特徴とか
そこで葉の形から親元を判別したらしいが、交配が進み葉も一様でなっているらしい
園芸植物の親元を調べるのに、植物DNAまで持ち出してまでのことはないだろう

人間の世界では親元、つまりDNAで父子関係を決める裁判が行われているらしい
不貞妻が間男との不義密通で生んだ子を、亭主の子ではなく間男の子と認めよとの由
「不倫は文化」という御仁も居るが、一生添い遂げるツバメの夫婦に軽蔑されそうな話だ

親元争いでは、踊の花柳流に家元相続の争い話が昨今のワイドショーを賑わしている
番組の中で、歌舞伎研究家という御仁が家元踏襲の解説(?)をしていたのを見た
御仁の話では①芸の技量、②人脈・支援者、③血筋、この三つが家元踏襲の要素だとか
本家・元祖争いも然り、何やら分かったようで、分からん話である、
踊だけでなく、芸事一般で家元争いはよく起こり、茶の世界でも裁判沙汰になったものだ
争点は、芸統を継ぐか家系を継ぐかという話に収斂されるだけの話である

家元とは「私がこの芸の家元です」と云えばそれで済む、それだけのことだ
家元制度とは法的根拠は何も持っていない、ある人達の合意だけで成り立っている
芸事は文化財保護法に依る無形文化財に指定されても、家元には法的根拠はない
それで考えるのが、財団法人や社団法人とかの法人化で法的根拠を備えることである
つまり財産の集合体の財団法人と、人的な集合体の社会法人ということである
この法人で、免許権を元にした財の収奪と疑似身分制度による組織員の統制を図る

囲碁や武道の家元・宗家では実力が物をいい、血筋云々が条件にはなり難いもの
然し、少林寺拳法では創始者の娘さんが宗家となり、流儀を継承していることもある
昔は家元制度を批判して独立した新流儀も、年月を経ると家元制度をとることが多い
話題の和踊の花柳流も、茶道の大日本茶道学会の成り立ちもそうである
当・上田宗箇流では茶筋より家筋に重きを置いて来たため、茶筋の預かり方があった
当代宗家の御子息は上田家当主を継ぐことは決まっているが、流儀の継承者はどうか
ご子息曰く、「私は上田宗箇流宗家の有力な候補者です」、ナカナカ健全である
2014.06.10 ブナ(橅)
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朝の散歩道で芳香を漂わす栗の花、ブナ科、花言葉「贅沢・満足」
日本栗は日本原産であり、縄文時代から栽培植物とされてきた

青森県の三内丸山縄文遺跡の柱跡は直径一mを超える栗の木だった
以前は鉄道の枕木に栗の木は使われていたが、今は大木の栗は少ない
然し、今でも栗材は茶室建築には欠かせない木材である
茶室の床柱としては、チョンナ( 釿)掛けした栗の木が重用されている、
チョンナとは木の肌を削り掛けするクワ(鍬)の様な道具で、古式のカンナ(鉋)だ
他に炉縁材としても使われている、然し、ブナの木が使われることはない

栗はドングリの木などと同じく、ブナ科の樹木種類に属している
ブナは温帯性落葉樹林を代表する樹木で、近世に和製漢字で「橅」と表記される
木へんに無とは、役に立たない木と云う意味で付けられた字だという
ブナは水気を吸い腐り易いので建築資材に向かない下級木材とされていた
そのためブナ林は伐採され、畑地にされたり、杉や檜の植林地にされてきた

ブナ林が無くなったことで、森林は洪水を引き起こすことが多くなった
そして、生物体系にも変化が起こり、動植物の数や種類が減少した
ブナの樹木は中に水分を貯め、森林地帯の水量調節の役割を果たしていた
ソバグリといわれるドングリ型の小さなブナの果実は、毒が無く栄養がある
故に、その実は森林に棲む動物や野鳥の貴重な栄養源になっていたのだ
ブナ林を刈ると森林は荒れ、潤いをなくすことが最近認識され出したという
縄文人はブナ樹林を有難さを知っていたが、近世には忘れられたのであろう

人間の社会にあっても「橅」のような人が居るように思われる
「役立たず」「昼行燈」とか云われながら、その人無かりせば、と後で皆が気付く
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の一句、「ソンナ人ニ私ハナリタイ」・・ブナ(橅)
我が身を振り返ると、自分は無理なので「ソンナ人ヲ私ハソンケイシタイ」とする

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メールで送られて来た「野武士男性合唱団」の写真
奥方たちは興味シンシン、且つ不安げに見守った、否、聴こうとされた
幹事からもらったメールの内容がナカナカ面白いので、その一部を掲載する


今回も大変お世話になり、ありがとうございました。
女房もとても楽しい会で、大満足のひと時だったそうです。

全国から井谷さんご夫婦含め8組のご夫婦が初めて勢揃いし、
それも35~36年前の居酒屋で関わった皆さんが集うなんて
本当に奇跡的な会でしたね。まだ夢のようです。

どのご夫婦もお似合いのご夫婦で、野武士会のメンバー、変人揃いと思っていましたが(実際、そうだと思いますが・・・笑)、
素敵な奥様を伴侶に選ばれて、ある意味見直しましたね(苦笑)。
皆さん、本当に楽しそうで、本当にいい会が出来た事、感謝しています。


嬉しく、有難いことであったと、改めてこちらも感謝する次第
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軸は[朋庵」、茶室・朋庵の扁額は当代宗家の揮毫になるもの、それを軸にした
花はホタルブクロ(蛍袋)、野武士合唱団の記事を見て、卒塾者の方が届けて下さった

昨日今日の一泊二日、まさに「朋遠方より来る有り、亦楽しからずや」であった
私は、この論語の一節の読みは「朋有り、遠方より来る・・」より、此方を好む
西南の薩摩、東北の会津他、日本各地から全員夫人同伴で我が家に来て頂いた
一畳半の茶室「朋庵」に其々の夫婦を順々に招き入れ、私の点てた茶を進ぜた
濃茶を茶杓三杯で薄茶仕立てにする、やや濃い目だが薄茶だけならこの方が良い
各夫婦の手土産たる菓子と酒が寄り付き座敷に並んだ、私の糖尿は皆良く知るところ

五時過ぎに「奈良かんぽの宿」の送迎バスが我が家に到着、宿へ移動する
私が懇親会の挨拶をした後、最年長者の乾杯の音頭があり、皆は会席の箸をとった
各自、其々の当時の想い出や印象に残る話を奥さん達に披露し、会も盛り上がる
そろそろ、「野武士男性合唱団」の本邦初公開が夫人方を前に始まるやと思いきに
幹事が私に前に出ろと云う、何だろうと前に出て立つと、思いがけぬ出来事が・・
私たち夫婦へ食卓用の贈り物を各自が持ち寄ったので、私に受け取れとのこと
幹事が皆と相談し、物が重ならないように心掛けてくれた由、胸が熱くなった

白薩摩の夫婦湯呑、信楽のコーヒーカップ、螺鈿の夫婦塗り箸と箸置
江戸切子のグラス、透き漆塗りの汁椀、色ガラス皿セット、青磁貫入の向う皿一式
幹事は、私が茶室で茶を点てている間に、昨日のブログ記事を皆に見せたとか云う
不覚を取りそうになった私は、礼を云ってソソクサと席に戻ったのである

そしてついに、各夫人を前にした「野武士男性合唱団」の合唱が始まったのである
一曲目、青春時代であった当時をを偲んで「若者たち」
二曲目、各自の奥さんへ向け、そして各自同士へ向けた「人を恋る唱」
皆は、しっかり唱っていた、真剣に唱っていた
其々の奥さん、確かに皆さん全てが「才長けた見目麗しい」方ばかり、あの彼らに何故・・
私の娘夫婦も懇親会の席には来てくれ、合唱を聞いてくれていた
最後に、幹事に促され、私は「惜別の唱」を独唱したのだった
その日は、老春の想い出に残る日となった

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京鹿の子(きょうかのこ)、棘があるのが下野草(しもつけそう))だが見分けがつき難い
京染の鹿の子絞りが花の名の由来、薄紅が多いが白花は夏雪草(なつゆきそう)の別名がある
花言葉は「無益・質素な心」とか

六月六日は先の大戦のノルマンディー上陸記念日、欧州では記念式典が行われた
史上最大の作戦として映画にもなり有名である、関係各国首脳が皆集まり戦いを振り返っている
ノルマンディー上陸での連合軍戦死者七千人、硫黄島上陸での連合軍戦死者が六千人
硫黄島上陸作戦の式典は然程でない、「無益・質素な心」なのであろうか、それとも・・

三十六年前の六月六日、私は広島で居酒屋を開店した
流通産業に身を置いていた私は米国のファーストフード・チェーンの考え方を学ばされていた
それを居酒屋チェーンとして自分でやってみたいと思い、三十代になって実行に移した
居酒屋そのものというより、チェーン店化に思いがあったため、開店時に次の店を考えていた
開店したその店は、広島大学の旧キャンパスの近くにあった(後、大学は東広島に移転)
そのためアルバイトは広大生、客の多くは広大の大学院生という状況であった

日中の仕事と次の店のことに時間がとられた私は、その店の運営をバイト生に任した
売上から仕入れ、顧客管理から現金管理、そして人事管理の全てをバイト生にやってもらった
三年生の店長が、二年生や一年生のバイトを使って店の経営をしていたという話である

売上げが悪い時には友人や先輩に声を掛け、売上協力を依頼したりしてくれていた
バイト生は自分自身の都合が悪い時には、必ず交代要員になる友達を作っていてくれた
お蔭で、私は三年の間フランチャイジーを含め店舗展開を進めることが出来た
バイト学生諸君も、其々一流有名企業に就職し社会人の道へと踏み出したのであった

その時のバイト生と常連客であった大学院生が「野武士会」という集まりをつくっている
今日、その全員、還暦前後の面々が奥方同伴で奈良まで来てくれるのだ、感無量である
西は鹿児島・広島、東は福島・千葉、そして岡崎・大阪等から来てくれるのだ
私は其々の夫婦を「朋庵」に入ってもらい、一服点てて進ぜるつもりでいる

私は葬儀屋と契約して葬儀はしないことに決めている、いわゆる家族葬である
故に、今回の集まりは私の生前葬という気持ちでおり、それを皆にも伝えるつもりだ
それに、参加者の葬儀にも私は参列しない旨をも伝えることにしている
夜の懇親会は、天然温泉という触れ込みの奈良かんぽの宿をとっている
カラオケも用意されている、本日限りの最初で最後の「野武士男性合唱団」を編成

準備した歌詞は二曲、「若者たち」と「人を恋る唱」である
「若者たち」は、あの当時の想い出を詠うため
「人を恋る唱」は互いの友と其々の妻へ送る自分たちの感謝の心である
自分の女房殿たちの前で詠う本日限りの野武士男性合唱団
私は、最後に「惜別の歌」を独唱するつもりでいる
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我が家のどくだみの花、「ドクダミ」の名称は「毒矯み」(毒を抑える)から来ているとか
古くは、之布岐(シブキ)と呼ばれていたらしい
唐土では料理材に使われ、ベトナムでも魚料理に添える「香草」とされているという
私の母親は「ドクダミ茶」を作り、愛飲していた

昨日のブログ記事、読み直すと失策があった、いつもの推敲不足だ
「徒然草」の序段を「方丈記」のものと重複引用していた
ついでに、ちょこっと手直しをしたので再読ありたし
「方丈記」と「徒然草」の序段となれば、「枕草子」のそれも引用してみる

>春は曙(あけぼの)。やうやう白くなりゆく山際(やまぎわ)
すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる

夏は夜。月の頃はさらなり、闇もなほ、螢(ほたる)飛びちがひたる
雨など降るも、をかし

秋は夕暮(ゆうぐれ)。夕日のさして山端(やまぎわ)いと近くなりたるに
烏(からす)の寝所(ねどころ)へ行くとて、三つ四つ二つなど、飛び行くさへあはれなり
まして雁(かり)などのつらねたるが、いと小さく見ゆる、いとをかし
日入(ひい)りはてて、風の音(おと)、蟲の音(ね)など(いとあはれなり)

冬はつとめて。雪の降りたるは、いふべきにもあらず
霜などのいと白きも、またさらでも いと寒きに
火など急ぎおこして、炭(すみ)持てわたるも、いとつきづきし
昼になりて、ぬるくゆるびもていけば
炭櫃(すびつ)・火桶(ひおけ)の火も、白き灰がちになりぬるは わろし<

こうしてみれば、筆者・清少納言の若さが感じらえる
方丈記の鴨長明や徒然草の吉田兼好という隠者と違い、生々しさがある
それにオナゴはんであるのも、ようように分る気がする
この清少納言といい「源氏物語」の紫式部といい、日本のオナゴはんはエライ
そのエラさは世界に冠たるものと云えよう、やはり天照大御神の国である

母親がドクダミ茶を飲み、ヘチマの汁を顔に塗っていたのを思い出す
あなオトロシや

2014.06.05 おくのほそ道
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田植えが始まった、五月雨(つゆ)にしっぽり濡れたガクアジサイ(額紫陽花)

ご存じ芭蕉が著した「おくのほそ道」の序
> 月日(つきひ)は百代(はくたい)の過客(かかく)にして
行(ゆ)きかふ年もまた旅人(たびびと)なり
舟の上に生涯(しょうがい)をうかべ
馬の口とらえて老(おい)をむかふるものは
日々(ひび)旅(たび)にして旅(たび)を栖(すみか)とす
古人(こじん)も多く旅(たび)に死(し)せるあり <

鴨長明の「方丈記」の序
>行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし<

吉田兼好の「徒然草」の序
>つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて
心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば
あやしうこそ物狂ほしけれ<

随筆というか旅日記というか、これらの古典文学の序段
何やら共通する日本人の枯れ方を著していうように思える
先の私の書き込み、酔生夢死の老後の有り様より枯れている
どうも酔生夢死の老後とは、唐土の竹林隠遁者の思想に近いようである
唐土の隠者は儒家の偽善性を嫌い、老荘思想を好み酒と音楽を愛したようだ
流祖・上田宗箇の道号は「竹隠」であった、何となく触れ合う心地がする

ここで何も古典文学の論議をする訳でも、持論の擁護をする気でもない
昨日に、卒塾者の方が仙台の「笹かまぼこ」を持って来て下さった
奥方と「おくのほそ道」の二人旅を楽しんで来られたとの由
行かれたという平泉・中尊寺・松島・瑞巌寺は、私の高校修学旅行の道程
ついつい、懐かしく嬉しくなった次第
私達は行くことが出来なかったが、卒塾者ご夫妻は更に足を延ばし

山形の立石寺で・・、閑さや岩にしみ入る蝉の声
最上川(もがみがわ)で・・、五月雨を あつめて早し 最上川

・・と、おくのほそ道で芭蕉の俳諧を味わう旅をされて来られたという
このご夫婦、日本的枯れ方でも唐土の竹隠でもない老後を始めておられる
元々酒を飲まれないお二人、酔生夢死とは真逆のお洒落な生き方だ





2014.06.04 ジュース代
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令法(りょうぶ)、白い花弁は五裂する、花言葉「あふれる思い・くつろぎ」、東アジア原産
山林に多く見られる、若葉を蒸して飯に混ぜたものを「令法飯」といい、非常食とした
平安期に救荒植物として令法を畑の隅に植え、葉の採取と貯蔵を命じるお触れ(令)があった
そのため、令法を当てて「リョウブ」と呼ぶようになったとか、別名ハタモリ(畑守り)

私は、この令法飯とやらを食べたことはない、その内に思っている
さて、昨日は術後検診とかで、遅れ馳せながら鶴橋の監獄まで出掛けた
広島大学出身の主治医「よう来んさった、来られんかったら電話しようと思うとりましたけん」
厄介な医師に巡り合うたもの、先の記事にした二人の老内科医といい、私はどうも医者運が悪い

帰路、ゲン直しに馴染みになった鶴橋の焼肉屋に寄ってみた
この店の支店長、エエ男である、駅前で傘がなく困った私に「使ってください」と傘を出した男
その爽やかぶりに感服した私は、彼が焼肉屋の支店長と知り、何度かその店に行っている
彼、「もう出られたのですか、先日頼まれたものをお持ちしたのですが、入室を断られた」と云う
彼には焼酎をジュース瓶に入れて見舞いに来てくれるように頼んでおいたのだ

酒とニンニクの臭いから獄外飲食がバレ、看護婦長と主治医から大目玉を喰らった次の日
彼は、焼酎ジュース瓶だけでなく、ニンニクの入り焼肉まで付けて持って来てくれたのだ
「何ですか、ソレ」と受付でチェックされ、「困ります」と入れてもらえなかったと云う
彼はホンマにエエ男である、人類学会から天然記念物に指定されても納得できる

私は勘定の時、「残りはジュースと土産の焼肉代」と云って、釣り銭を受け取らずに店を出た
その彼は、追いかけて店を出て来たが、「少ないがワシの気持ちや」と云って私は帰った
良き酒と善き人との出会いが、人生の彩りとなる


2014.06.03 田水の蛙
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奈良も田水が入り、田植えが始まろうとしている

三日ほど前から、田水が入り出し、下の田へも順々に水が送り込まれて行くところである
散歩していて気付いたのであるが、田水が入った次の日には蛙の鳴き声が聞えて来た
蛙たちは何時、何処から田水の中に入ってきたのだろうかと、不思議に思うところ
田の土の下に潜り込んでいたのだろうか、それなら耕耘機でひどい目にあったろうに・・
あれこれ思い悩む田水のこの頃である

そんなこんなの時を前後して、饅頭を手に見舞いに来てくれた件の老医師から酒が届いた
私の好きな広島の銘酒が桐箱に収まり、何故かのし紙の裏に「壽」と記されている
桐箱から酒を取り出し、冷蔵庫に入れる、それと元新聞記者からの三笠饅頭もある
早速に「かえる庵」の庵主にその旨を知らせると、月曜は店休なのでそちらへ行くとのこと
庵主の佐藤さんは日本酒を餡子や甘納豆で飲むのが大好きな御仁、そして広島県人である
月曜は新塾生の稽古日、卒塾者の佐藤さんは新塾生の稽古見学も所望ということになった
まさに、田水の蛙ならぬ「かえる庵」、,広島の銘酒と聞きて来たりぬ佐藤さんという話

稽古前に、酒のツマミ持参で来訪された佐藤さん、夏の半襦袢に袴を付けた姿となる、
新塾生の席入り稽古の後、佐藤さんに濃茶を点ててもらい新塾生は濃茶の客作法を稽古
たちまち時間が過ぎ、その日予定の稽古は終了した
次に、冷蔵庫から酒を出し、ツマミを皿に入れて取り回すという茶事稽古の形になった
そして紅白の餡子入り三笠饅頭も取り回して、甘納豆も皿に盛られた
やがてビールも出て酒盛りの形に移っていった、新塾生も酒好きのキライが見えた

前のブログ記事には付記修正しておくことがあった
>用も無く、行くところも無く、会う人も無い、そして、やがて静かに消えて行く
そんな老後の生き様も悪くはなかろうに、という思いも馳せるのであった<
以下、付記修正文
「用も無く、行くところも無く、会う人も無い、然し幸いなことに酒だけは有る
そして、日々酒に酔いしれ、まどろみながら、夢うつつで死んで逝く
そんな酔生夢死の老後も悪くはなかろうに、という思いも馳せるのであった」
2014.06.02 教養と教育
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海芋(かいう)、里芋の仲間で南アフリカ原産、オランダ船で江戸期に渡来したとか
花言葉は「乙女のしとやかさ」とあるが、云い得て妙である
この花「水芭蕉に似ているので、「夏が来れば思い出す・・♪」の歌と尾瀬の情景が浮かぶ

昨日、元新聞記者の御仁が「出獄祝い」と書かれた紅白餡三笠饅頭を持って来てくださった
病気の具合を聞かれたので、「悪性だったら焼き場行きだったが、良性だったから問題ない」
と応じると、「井谷さんは長生きする人だから・・」と云われ、私は内心(アホは長生き)かと・・
「それ、どう聞いたらエエの?」と訝しく問うと、その元新聞記者の御仁、応えて曰く
「キョウヨウトとキョウイクのある人は長生きするということ」とか云いなさるのである

「教養と教育のある人」・・思わず破顔、「私はそれほどの」と云いかけると、御仁
「キョウヨウ」は「今日用がある」、「キョウイク」は「今日行くとこがある」、だとか
私は一瞬呆けたが、成る程とその言葉の機微と諧謔性に納得、ワロタのである
この小噺は何処で仕入れたのかと問うと、御仁、復答えて曰く
「よく使われている話で、知る人は知っていますよ」だとか・・私は「あ、そう」

然しながら、「今日行くところがある、今日用がある」とは老後の幸せかも知れない
私は妙に納得したのである、、、が、また違う思いが頭を傾げる
用も無く、行くところも無く、会う人も無い、そして、やがて静かに消えて行く
そんな老後の生き様も悪くはなかろうに、という思いも馳せるのであった