2015.01.31 巻き
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男の角帯の結わい方、写真は「貝ノ口」という型で上が上方手、下が東手(関東風)

帯の片方を二つ折りにして細くした方が手先、細くしない部分が垂れと呼ばれる
結び合わせて、出来上がった形が「口をのばした貝」に似るという結び方
写真のように左右が反対になるのは帯の「巻き」が逆になっているからである

「巻き」と云えば、明日辺りから彼方此方の店頭に巻き寿司が積み上げられる
いわゆる、「恵方巻き」と云われる節分に食される巻き寿司である
節分に、年の恵方(良い方向)に向かって目をつむり黙って海苔巻きを丸かぶりする
かぶりながら、自分の願い事を念じるという風習で、「丸かぶり寿司」とも呼ばれた
江戸時代の大阪・船場で行なわれていた風習だと云われている
昭和四十年代に大阪・道頓堀で海苔組合が「恵方巻き」と称して大々的にイベントを開催
やがて全国に拡がり、今ではコンビニ店でも売られ、七福神を巻いたのもあるとか

閑話休題、上の写真の帯の巻き方のこと
帯の巻き方を見るのは、私の時代劇の楽しみ方のひとつである
上方者が江戸風、つまり東手に巻いていたり、江戸の職人が上方風にしていたりする
武士の着流し姿の帯は片挟み、いわゆる浪人結びは皆上方巻きになっている
つまり、武士の帯は上方風に着物と順向きに巻くのは解け難いためである
江戸風、東手の帯の巻き方では着物と帯が逆になるため解け易いのである
確かに、大小を差して帯が解けては様にならん話
時代劇の撮影場所が京都か東京か、衣装方の程度の問題もあるだろう

然しではあるが、江戸の町人衆は何故に着物が乱れ易い逆巻きにしたのだろうか
この説明をしている資料は見当たらない
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2015.01.30 宇宙粒子
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宇宙のビッグバンから陽子・中性子の出現までの時間経緯図である

「竹鶴」黒ラベル500ml千六百円を口にしながらyoutubeで「木蘭の蕾」を聞く
石田ゆりがウヰスキーグラスを手に「ねぇ、女房を酔わせてとうするつもり?」
ゆり(百合?)という名前がエエ、と思いながらケーブルテレビを点けた
「ビックバンから宇宙の形成」という科学番組で大学の先生の講義を放映していた
この写真の左と真ん中、ビッグバン誕生から10のマイナス4乗の頃の話である

まま、ビッグバン誕生時には物質はおろか時間そのものも存在しない云々とか
私の頭脳の容量を超えた話ではあるが、以前に友人がボソッと語ったことがある
「人生や世の中どころか、地球も宇宙もチョットしたズレから生まれたものやで」
その友人、大学の理学部で宇宙物理を学んだが、家業を継ぎ苦労した御仁
どことなく浮世離れというか、家業の経営を第三者的に見ている節があった

その彼が家業を離れ、コンピュータのネットワークシステム事業に乗り出し
システム思想としては高い評価を得て、後のシステム業界に影響を残した
然し、彼の元には人と金の思惑が入り乱れ、事業そのものは雲散霧消となった
そして事業も家業も閉じたが、世の中を俯瞰できた御仁だ

その御仁が口にしていた話が、ケーブルテレビの科学番組の主題と同じであった
ビッグバンから10のマイナス4乗の時に粒子が現われ、負粒子も現れた
お互いが衝突し合い消滅していった、然し十億分の一の割合で粒子が多かった
残った粒子と宇宙のズレで、今の宇宙が形成されたとか、訳の分からない話である
然し、何故粒子の方が多かったのかとは、それは今以って解明されていないという

確かに、世の中のことや人間(じんかん)のことを、細いコマイと語ったその友人
小さな茶囲い「朋庵」に夫婦で来て、「ここでユックリ茶を喫するのはエエ世界やなぁ」
宇宙のことに頭を巡らしながら、一畳半の我が数寄屋での茶を愛でたその友人
商売が下手であったとしても、人間の味わいがあるその友人、私と妙に相性が合った
ケーブルテレビの科学番組「ビッグバンからの宇宙の形成」で彼を思い起した次第

僅かな偶然か必然で、針の先より小さな存在だった「何か」が宇宙になり
百四十億年からの「時間」を経て、今の宇宙世界がある、生命と森羅万象がある
そういうことを思うと、宇宙学者に神を信じる者が多いというのが分らないでもない
が、私の脳ミソはここまで、ウヰスキーの後には中濃の抹茶が効くということは分る

春には,、その友人を我が茶囲い「朋庵」に呼び、一客一亭を楽しむことにする

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ご近所の白木蓮(ハクモクレン)の蕾、早春賦の歌が浮かぶ、原産地は雲南省・四川省

一般に木蓮というと紫木蓮(シモクレン)のことで、白いものは「ハクモクレン」と断るとか
白木蓮と紫木蓮の雑種に更紗木蓮(サラサモクレン)がある
開花の時期は、白木蓮、更紗木蓮、紫木蓮の順で移りゆく

昔は花が蘭(ラン)に似ていることから木蘭(もくらん)と呼ばれていたこともある
今日では、蘭よりも蓮(ハス)の花に似ているとして木蓮(もくれん)と呼ばれる
然し、震災以降に静かなヒット曲になっている「木蘭の涙」という歌は、「木蘭」と拘る
その歌詞の一番と最後と「木蘭の蕾」の章だけを以下に書き込む(コピー不可のため)


逢いたくて 逢いたくて
この胸のささやきが
あなたを探してる
あなたを呼んでいる

木蘭の蕾が咲く頃
開くのを見るたびに
あふれだす涙は
夢のあとさきに

いつまでも いつまでも
側にいると 言ってた
あなたは 嘘つきね
私を置き去りに


阪神震災の発生は平成七年一月十七日、木蓮の芽吹く頃にあたる
だが、「木蘭の涙」の曲は平成五年にアルバム発売であるから、本来は震災と無関係
更にだが、震災後に曲がヒット、東日本災害の後には色んな人が歌うところとなる
因みに、平成十七年には「マッサン」こと、ニッカウヰスキーのCMソングとなる

ということで,、今夜も「竹鶴」を手に、「木蘭の涙」に耳を傾けよう
「ねぇ、女房を酔わせてどうするつもり?」
https://www.youtube.com/watch?v=JoX9SWB5ePM
2015.01.28 桜草
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我が家の玄関先に植えた桜草(サクラソウ)、花は桃色と白色である

日本列島から朝鮮半島・満州に分布するが、群生するのは日本だけだとか
江戸時代に育成が進み、多くの品種が作られ「古典園芸品種」と云われる
環境劣化により日本の自生の群生地は激減ししており、絶滅が危惧されている
さいたま市桜区の「田島ヶ原サクラソウ自生地」は国が特別天然記念物に指定
その桜区の区名も、桜ではなくサクラソウに因んで命名されたという
埼玉県と大阪府の県花・府花となっている

ご近所の花愛好家の方々が数年前から桜草の育成を手掛けられている
去年には同じ班の家々に苗を配られて、班内の玄関先は桜草で賑わった
近隣の通り一面に咲く桜草は、見た目の優しやだけでなく辺りに芳香を漂わす
去年はプランタンの我が家では、今年は玄関先のモチの木の下にも地植えした
やはり、地植えしたものは大きく育ち、立派な花を付けてくれた
2015.01.27 狗子仏性
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イビキをかき熟睡する愛犬ハナ、夢を見ているのか時々寝言を発する

「狗子仏性・くしぶっしょう」という禅の代表的な公案がある
「犬にも仏心が有るや無しや」という問い掛けであり、有無の本質を云々とか
私には禅問答や宗教そのものが今ひとつ解らないが、人の解説によると
この公案の意は、形式に執われず、真理の実相を究めてゆきなさいという一転語であり
そして、徹底した自己信頼の立場である。・・とある

最近の私は、自己信頼なんぞ遥か彼方の話で、我が身の至らなさを痛感している
茶の湯は、同じ器から分け合って食し、同じ炉の火で沸かした湯で茶を点て喫す
茶会は茶を核とした人々の寄合い、つまり、宴会の一つの変型である
そして、古い茶書には「人は見知りて寄合うべし」という言葉が残されている
この「見知りて」という意につき、古希を前にしながら頭の中が逡巡

些か憚る表現ながら、男性が女性に対しての思いとは
「同衾してみたい女、暮らしてみたい女、語ってみたい女」という云い方がある
この三つ揃えば最高最善であるのは云うに及ばない、まま、女房殿(?)
恐らく、女性から見た男性への思いも同じかも知れない
そこで、男同士の付き合い方を考えてみると
「共に遊びたい奴、共に仕事をしたい奴、共に語りたい奴」
やはり、三つ揃えば最高最善の「奴」であろう

思うに、「相性」とは「事柄」によって違うと云うことであろうか
そうなると、「見知りて」とは「相性」と「事柄」を見知りてということになろう
我が身とは相性が合わないとされること、有体に云うと嫌われること
人からの批判批評に動じることはないとしながらも、続くと少々気落ちする
それは、どの事柄を以ってなのか訊きたくあるが、訊くに及ばぬもの
謙虚に積徳とも思うが、今更の感もあり、自己信頼を徹底との思いも巡る

「狗子仏性」の有無、ハナに問い掛けたい




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昨日は温暖な日中となり、近所の畑では菜の花が咲いていた

二月一六日は司馬遼太郎の命日で、「菜の花忌」と呼ばれている
司馬遼太郎の「菜の花の沖」の作品名からの命名されたもの
「菜の花の沖」の主人公は淡路の人・高田屋嘉兵衛で北海道でロシア艦に捕縛される
世に云う「ゴローニン事件」の関わりの中で起こった数奇な運命を描いた作品である

作品とは別話ながら、ロシア艦隊は高田屋嘉兵衛の故郷・淡路島沖の大阪湾にも現れた
安政元年(1854年)のこと、世に曰く「もう一つの黒船来航」事件である
時に大阪湾防備へ赴いたのは、大和は吉野の十津川郷士千余名の一隊であった
先の「梅田雲浜」の続き話ながら、十津川郷士の師であった雲浜は請われて出向く
その時のことが、十津川村ある梅田雲浜の顕彰碑に書かれてある、以下転載

「さて、同年9月、ロシア軍艦が突如大阪湾に現れるや、十津川郷士はこれを打ち払うため雲浜を首師と仰ぎ、大阪表に向かうこととなった。が、その頃、雲浜の家庭は貧苦にあえいでおり、夫人の病は重く、子どもは飢えに泣いていた。しかし、雲浜、国のためには代えられずと、非痛な胸中吐露する次の詩を賦して出立した。

『妻は病床に臥し児は飢えに叫ぶ 身を挺して直ちに戎夷(じゅうい)に当たらんと欲す 今朝死別と生別と 唯皇天后土(ただこうてんこうど)の知る有り』《原漢詩》

だが、十津川の一隊が着いた時にはすでにロシア艦は退去した後だった。
後、「安政の大獄」で処罰される。」
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三〇〇グラムのビフテキ、サラダにパン、前菜はサーモン・マリネ

昨夕は古代史マニアの老医師二人と北新地のビフテキ屋で新年座談会
昭和六年開業、「ビフテキ」と云う名に拘っている新地の老舗だ
「廃医師」と名乗る一人の老医師の馴染みの店である
「廃医師」とは、医師を引退したことで付けた名だということだ
その廃医師の博覧強記ぶり、その薀蓄の深さには常に感服させられる

この日は、イスラム国の解析からイエス・キリストが生まれた背景を拝聴
イエスは父方母方共にダビデ王の血筋で、ユダヤの王たらんとしたとか
処女懐妊とは私生児として生まれたということで、弟は夫婦の子と扱われた
イエスを生んだ後に母マリア父ヨセフは結婚し、弟が生まれたということだ
イスラム国はユダヤ・キリスト・イスラムの教義に最も真っ当な原理の思考とか

ビール、赤ワイン、ウィスキーで口を潤しながら、三〇〇グラムのヒレ肉を平らげた
内科医二人が私に云うに、ウィスキーのストレート飲みは喉頭ガンになるとの由
とは云いながら、「泉南の赤ひげ先生」はバレンタインをストレートで呷っていた
しかし、その話が事実なら私の「マッサン」を見る目が変わるかも知れない
しかし「竹鶴」は旨い、どうする

酒・ビフテキ・会話を堪能したところへ高校の友人から電話が入った
彼のクラスが奈良で同窓会をしており、盛り上がっているのでお前も来いとか
彼の携帯から別の友人の「早う来い」という声も聞えた、もう九時を過ぎているのに・・
「こっちは今大阪で新年会、そっちはそっちで楽しんでくれ」と電話を切る





娘夫婦の新居に青年華道家が花を入れてくれた

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以下、用いた花材名です、と彼からのメール

1、玄関脇…椿、サザンクロス、枇杷
2、玄関の飾り棚…椿
3、玄関左応接間…黄水仙
4、手洗…梅、クリスマスローズ
5、床…クリスマスローズ、梅
6、座敷棚…松、梅、リューココリーネ、枇杷、伊吹、椿、リューカデンドロ
7、カウンター…根付チューリップ
8、子供部屋…ドラセナ、ストレリチア、クロトン、著莪
9、寝室…黄水仙、スモークグラス、著莪、胡蝶蘭

写真を撮り忘れたのがあったようだ・・


2015.01.24 跡見の席
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同級生二人と共に楽しんだ宴の跡、向うに花入を並べたままである
手前は結局使わなかった「ぐい飲み」の入れ笊

一時過ぎに新塾生の華道家青年が来た、花入(華道では花器)の選択である
娘夫婦が建築を依頼した工務店の頭領が、娘夫婦の家の見学会をすると云う
チラシも入れ、人にも声掛けしているとかで、家の随所に花を飾ることになった
頭領も新塾生なので、人に見られるものならばと思い、華道青年に依頼
「気に入ったのあれば」と花入を並べたところに、囲碁仇の同級生が来た

囲碁仇の彼とは、水産大学出の同級生が来るまでに一局ということだった
あれやこれやと花入を眺めまわしていた華道青年は七・八壺を選んで去った
さあと、囲碁仇が碁盤を運び出し、私が座布団を持ち出したところで、ピンポン
水産の彼が「てっさ」の包みを持ってやって来た、生駒から歩いて来たと云う
そそくさと碁盤を引っ込め、ちゃぶ台を出すと水産の彼は包みを解き「てっさ」を出す
包みの中にはポン酢ときざみネギ、もみじおろしまで揃えてあった

私が飲み物を運ぶ、水産男には糖質ゼロ発泡酒、キリンとアサヒひとケースづつ
囲碁仇にはウーロン茶、ほうじ茶、緑茶、紅茶の500ml、私は梅の宿と長龍の四合瓶
水産男はビールグラスで、囲碁仇は湯飲み茶碗で、私は一合酒器で乾杯する
よく飲み、よく食べた、写真はその宴の跡である
私のブログが見つけ難いとか、長くて誤字が多いとか散々クサして二人は帰って行った

茶事に「跡見の席」というのがある
それなりの茶人をそれなりの設えで招いた跡の席に、所望して入り一服頂くというもの
私は二人が帰った跡の席で独座観念、「跡見の席」の余韻を味わいながら、独り酒
一般にいう「跡見の茶事」とは少々違うが、まま、一興である

追記ながら
水産男、フグの調理免許は持っていた
2015.01.23 フグの猛毒
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ピュアモルト竹鶴21と能登半島のフグの卵巣

昨日は市のビン・カン回収日、持って行くと回収車が過ぎ去った後
仕方なく三輪車に載せ、近隣の酒屋まで運んだ
それにしても、ウィスキーの空瓶が増えているのには、我ながら感無量
角瓶、山崎、スコッチ類、バーボン、竹鶴の黒と白、余市、宮城、奈良もの
「マッサン」の所為にする訳でないが、このところウヰスキー三昧であった

焼酎と同じ様に飲んでいたのだが、アルコール度が違っていた
焼酎は二十度から三十余りの度数ながら、ウヰスキーは四十七・八度
一昨日、疲れが溜まったようなのでスーパー銭湯に行き、アンマを頼んだ
頸肩と背筋の張りがきついと云われ、更に肝臓が腫れているとか何とか
私は頷いた、男には七十二の壁があり、それを越せるかどうかだと聞lく
覚悟は出来た、酔生夢死の人生、顧みれば未達未完無頼の人生だった・・

ところで写真の竹鶴21、瓶を持って行った酒屋の店員が「二本有りまっせ」
何かと思ったら、竹鶴の売れ行きが例年の倍以上で、21年ものは入手困難とか
この先プレミアムが付くようになるとか云々、「ほんで、なんぼやねん」と聞くと
「箱入り竹鶴21」は一万二千円だとか、三千円以上の酒は買わない主義の私
熟慮の上、「分ったその21は記念品、飲むのは千六百円の竹鶴黒や、二本買う」
店員はニッコリ、これサービスと云って干しイチジクを一個くれた

その夕方、学園前駅近辺で所用を済まし、バスに乗ると「卒塾者」ご夫婦にバッタリ
やあやあ、と挨拶すると能登旅行の帰りとかで、ニコニコとお土産を下さった
「フグの卵巣」、私の顔は瞬間引きつった、脳裏にテトロドトキシンの名が・・
青酸カリの千倍の猛毒で、一ミリグラムで致死量に達するといわれている

実は私、フグの調理免許を持っている、よってフグのことは多少は詳しいつもりだ
決して食べてはいけない部位は「目玉、卵巣」である、「肝」は要注意ながら可だった
然し、今では「肝」も食用禁止になっている、フグ毒が微かに効く肝は旨いとは昔
フグに当たると土の中に埋めると良いというのも全くの迷信、落語の世界である

当たるのでフグを鉄砲、フグ鍋を「てっちり」、フグの薄造りを「てっさ」と云うようになった
念のため、ウィキペディアでフグ毒、テトロドトキシンを見てみると記載があった
「石川県名産の河豚の卵巣の糠漬けの毒素分解の仕組みは未だ不明である」とか
因みに、「河豚・ふぐ」は私に母親の故郷・山口県では「フク」と云い、濁らない

まま、偶然とは恐ろしいもの、件の水産大学出の同級生から電話があった
「明日の四時に『てっさ』を三・四人前ほど持って行くからビールを用意しとけ」
明日は我が女房殿が留守と伝えていたのだ、私は囲碁仇の同級生も呼んだ
どうせ当たるなら、気の置けない昔仲間と共に、と思った次第

話は変わるが、今朝のNHK・「マッサン」、余市の森野猪熊の死んだ女房への思い
前にあった鴨井商店・社長の死んだ女房への思いとが、何か根っこが似ている
そこで思った、この日本には、日本の男には、梅田雲浜や辻十郎が多くいたこと
日本の女には、雲浜の妻・信子、乾十郎の妻・亥生(いわお)が多くいたこと
私は、日本人に生まれた幸せに胸に、今夕は同級生の「てっさ」に箸を付けよう
あいつ、水産大学出とは云え、フグの調理免許を持っていたかな・・
2015.01.22 寒牡丹の菓子
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少しピンボケだが、寒牡丹を描いた主菓子
赤い花の上なる三角模様がワラ掛けである、少し色付けをすればと思うが
すれば高くなるのかな・・

寒牡丹は大和葛城山麓にある「石光寺」のものが有名である
薀蓄ながら「寒牡丹」と「冬牡丹」は異なる物ということ
去年の今頃にも書き込んではいる、簡単にくり返す

先ずは「冬牡丹」のこと
春咲き品種の牡丹を温室の中で春の状態にして花を咲かし
シーズンが近づくと温室から取り出し、 鉢ごと埋め込んだのが「冬牡丹」
春のつもりで蕾(つぼみ)が膨らみ、青い長い茎と大きな緑の葉が特徴
牡丹は落葉樹なので、ちょっと考えれば変だと思えるもの

よって、本来落葉樹の寒牡丹は茎が細く短く、葉がほとんど出ない
出ていても、赤っぽい軟らかいもの、これも彼らの寒さ対策の在り方
寒中の深い眠りの中で、 一人、凛(りん)と咲く冬の花の風情を醸す

冬場のそこそこの茶会でも、「冬牡丹」を使っているのを見掛けることがある
晩秋に枯れ花や萎れ葉を使う「名残りの花」の茶をしておきながら、何としてか
太く青い茎葉に大きく鮮やかな春牡丹を茶花に使うという神経が解せない
そもそも茶花には、季節外れや狂い咲きという奇花は似合わないもの

とは云え、先年のこと、我が流派の京都での茶会でも「冬牡丹」を使った
頼んだ京都の生け花屋が用意してくれたものを使ったのである
艶やかさを貴ぶなら、「冬牡丹」に人目の軍配が上がるかも知れない
だが私は、侘びた景色ながら凛と咲く「寒牡丹」に「茶花」の軍配を上げる

雲浜の妻・信子、乾十郎の妻・亥生(いわお)、儚く短く凛と咲いて散った
一輪の茶花に似たようで、筆に昨日の余韻が残る
2015.01.21 妻の本懐
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梅田雲浜(うめだうんびん)の肖像画

井伊直弼の「安政の大獄」の最初の捕縛者となり獄中死、享年四十六歳
次の大河ドラマで吉田松陰が描かれるとか、松陰の生涯に影響を与えた人物
萩にある「松下村塾」の揮毫は雲浜によるものという

この三日ほど、梅田雲浜に関する本を二冊読んだ
私の高校の先輩に当る方に梅田雲浜の末裔がおられ、この度雲浜の本を上梓された
私がその本を無心すると、雲浜の出身地・若狭小浜市の元市長・村上利夫氏の著書
「梅田雲浜の人物像」という本も併せて頂戴し、拝読した次第

幕末の尊王攘夷の先駆けでもあり、多くの勤王の志士が薫陶を受けた「梅田雲浜」
「日本外史」を著した頼山陽から一子(頼三樹三郎)を託される程の信望を得ていた
薫陶を受けた人、吉田松陰・橋本左内・横井湘南・西郷隆盛・坂本龍馬・高杉晋作等々
他に水戸天狗党の志士、そして十津川川郷士がいた

その男を知るに、その妻を知るに如くなし、とかどうかは知らないが、ともかく
雲浜の妻・信子、親子三人二畳一間の貧困生活に耐えながら二十九歳で亡くなる
信子の歌が梅田家に遺されている、その字面を追い、胸を打たれた

憔(こ)り置きし 軒の積木も焚きはてて 拾ふ木の葉の 積もる間ぞなき

事たらぬ 住居なれども すまれけり われを慰む 君あればこそ

この本を読み、十津川郷士の医師・乾十郎の妻・亥生(いわお)のことを想い起した
亥生は臨月の重身で六歳の長男をつれ、大和五條から十郎の天誅組を追い従軍
陣中で出産しながらも、医師の妻として隊士を看病、幕軍に捕らえられ大坂で斬首
彼女は日本最初の従軍看護婦として、その名を遺す
後世、「勤皇医師・乾十郎の夫婦みち」という小説にもなって、世に伝う

我が女房殿も、まま、それなりに・・
妻の本懐とは伴侶の器、夫の値打ちの裏書、というのが話の本題
2015.01.20 時計譚
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日曜日の朝の散歩途中で頂いたもの、家の方は名前は知らないとか
帰宅して花入れに挿した時は蕾だったが、昼過ぎには開いた,、アスカ椿かな?

稽古で、電波時計にことがひとしきり話題となったので時計のことを調べた
電波時計の歴史は意外に古く、昭和二年に当時の逓信省で研究開発に着手
実用化は昭和十五年、短波で船舶向けに発射、海軍艦隊に重宝されたようだ
敗戦で米軍によって電波発射を止められたが昭和二十三年に再稼働した
昭和四十六年に短波から長波になり性能が安定、潜水艦にも届くようになったとか
平成十一年に福島、十三年に佐賀に標準周波数局が開設され、日本近辺を網羅
といことで、今は置き時計だけでなく腕時計や携帯電話時計にも普及しているようだ

時計のことを調べていて面白いことを知った、まま、私が知らなかっただけだが・・
十二進法や六十進法は古代メソポタミアで考えられ、エジプトへ伝わったとされる
一日の時間を720×2分=1440分÷60=24時間、この2分のことを初めて知った
太陽が出始めて出終わるまでの時間の720倍が一日の長さ、出始めと終わりに二分
この二分が、分の単位として60分一時間、一日24時間となる、ふ~む、なるほど
因みに12進法、手の親指で残り四本の指の骨(節)を数えると十二だとか、う~む

次に和時計のこと、日中と夜間で一刻の長さ、今でいう一時間の長さが違っていた
日の出の四半時(三〇分)前から、日没の四半時後までを日中として時刻を六分割
夜間は日没後四半時から日の出前四半時までを六分割していたという、初耳である
よって、日中が長い夏や日中が短い冬で、昼と夜の一刻の長さが違う不定時法だ
和時計は、この複雑怪奇な不定時法の計算を組み込んで、その時を刻む装置だ
江戸時代に来日した異人達は、日本人の知識と技術に驚愕したと記録に語られている
明治六年に定時法が採用され、和時計の使途は無くなった

ついでながら、携帯用の日時計というものも作られていたことにも感心した
時計の針がの回り方、いわゆる時計回りは、日時計の回る方向からだとか
南半球の人には厄介な話ではある

2015.01.18 電波時計
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シチズン電波置き時計、定価一万二千円、値引きなし
電波時計なるのも初めて知ったので、点前の時間測定用の購入した
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神戸市旗

「見捨てろ!」と 炎の下で 叫ぶ父

八三〇句寄せられたという川柳中の一句である
・・唸ってしまった



私は量販店に店長をしていた時、二つの店長最重要業務を教えられた
一つは顧客管理、お客の苦情処理は部下に負かすな、店長が必ず目を通せ
二つは突発時効、火災や爆発、不慮の事故発生時の陣頭指揮

阪神大震災の時の首相は村山富吉
東日本大震災も時の首相は菅直人
首相とは国の店長、村山はんと菅はんは見識と適性、資質に於いて店長失格
結果として、救われるはず命も失われた気がする、今となっては詮無いが・・

七〇年前の日本、天災ではなく米軍の空襲で同じ惨状の光景が幾つもがあったろう
今年は阪神大震災二十年、そして終戦七十年の節目の年だ

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馴染みの割烹料理屋で酒盃を挙げる竹輪の友、アテはオコゼの薄造り、アラは吸い物に

大学一年の時、共通友人の留守宅で二人は会った、見知らぬ同士が四畳半に黙って坐っていた
突然,、彼は持っていた紙包みから竹輪を取り出し私に云った、「これ、食うか?」
私は頷いて、二人で黙って食べ合った

広島から戻った日、一風呂浴びて糖分カットの発泡酒で渇きを癒した
次に「余市ウヰスキー」を傾けながら夕餉をとっている七時過ぎ頃、電話があった
学生時代の「竹輪の友」からで「今、大阪の上六で一杯飲んでいる、一人で寂しい」
十年ぶりである、懐かしさもあり私は「待っとけ、すぐ行く」と電話を切り、出かけた

彼は中部地方で金属加工工場を親から受け継いだ経営者であるが、学者肌の男だ
東京の大学で金属を専攻し博士課程を修了、大学で研究を続けたいと云っていた
然し、親の願いで親の経営する工場に入り、悶々としながらも何とかやって来た
よく聞かされたのは、「俺には営業センスは無い、無理や」という嘆き節
確かに、生真面目で研究熱心な学生であった彼を知る私は「然もありなん」と思った

彼の父親も学者肌で、加工技術の特化した物を扱い、息子にもその道の研究をさせた
親子とも「製品」造りの知識や技術に優れているが、商品販売は苦手なタイプといえる
恐らく、製品(プロダクト・products)と商品(グッズ・goods )の根本認識の違いだろう

上述の「嘆き節」聞かされたのは、工場経営の仕事に悩み苦しんでいた若い頃の彼だ
昨日の[マッサン」、鴨井の社長が云う「日本人の口に合う、日本で売れるウヰスキー」
マッサンが追い求める理想のスコッチウヰスキー「ハイランド・ケルト」、この違い
経営者である社長は「商品」を追求、研究技術者であるマッサンは「製品」を追求する

生産工場の海外移転や外国製品の攻勢で工場閉鎖が相次ぐ中で、彼は持ちこたえた
それは、特殊金属の加工技術に特化したこと、独自の研究開発の成果を生み出したこと
ナンバーワンの道ではなく、オンリーワンの道を選んだ彼の心根の為したものと思う

先年の高校の同窓会でのことだが、理系であったため技術屋人生を送った者が多い
殆どが定年を迎え、それなりの残り人生を送る話題になった中、一人元気な者が居た
大手機械産業を定年前に退職し、韓国に渡った人間、高校当時から目立つ男だった
日本で居れば、定年後は出向か嘱託身分になり、所得も半減し仕事も閑職となる
そんな時、韓国で取引があったところから誘いを受けたと云う、いわゆる引き抜きである

日本に居ても先の望みが薄い、つまり社長や役員になれない技術部長止まりの身である
日本に居る時の倍の給料とそれなりのポストを与えられ、彼としては嬉しい話で満足した
彼は元の同僚やまだ現役の後輩にも声を掛け人材集めの仕事を頼まれていると云う
彼が悪人でないことを知る私としては、彼のことを咎めることもせず、ただ聞き流した
その彼の近況では、韓国はお払い箱になり、支那の企業で似た仕事に就いているとか

流通業でもコンサル乞食という言葉がある、大手から中小へ、都会から田舎へ歩む
これまでに得た経験や知識を飯の種にして渡世する人たちのことを云う
前の企業で知り得たものを、より下の企業に伝えるだけで、自らの叡智ではない

古希を前に塩鮭の究極の商品開発を目指し、大学院に行くと云う水産大学出の同級生
同い年で理工学部出の今回の彼、中部経済産業局の支援を受け、産学コラボを始めた
チタン加工技術の研究開発で、地域産業発展を期するもの、その名も「チタノミックス研究会」
念のため断っておくが、「アベノミックス」より数年先立つ名称である

古希を迎えるに、若き頃からの思いの集大成を図るため、身銭を切ってまでも挑戦する
それは、その日の糊口の為のものではなく、我が人生の夢を追うものであろう
「古希からの青春」と云う言葉があるのかどうか知らないが、彼らの姿が輝かしい
2015.01.14 嬉しい集い
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嬉しい集いの一コマ、写してくれた本人ともう一人が入っていない

宗家の初釜の後、嬉しい集いが待っていた
私の広島時代、広島に本社を置き中四国に店舗展開をする量販店企業に勤務した
量販店とは業界用語に近いが、スーパーマーケットやショッピングセンターのこと
当時はダイエーを筆頭に、イトーヨーカ堂やジャスコがその代表的な企業であった
スーパーマーケットは品揃えと価格、ショッピングセンターは店揃えや業態揃えを競う

昭和四〇年代半ばに米国系の外食産業が日本に進出、フランチャイズ展開を始めた
ファーストフード・チェーンと呼ばれたもので、注文から三分以内に提供するという語意
昭和四六年に東京・銀座に開店したハンバーガー店「マクドナルド」がそのはしりである
続いて「ミスタードーナツ」や「ケンタッキー・フライド・チキン」が日本に進出して来た
フランチャイズとは店名や商標と独自商品やサービス、運営手法(ノウハウ)の提供契約
提供側がフランチャイザー、提供を受け対価(ロイヤリティ)を払う側がフランチャイジー
フランチャイズは新しい概念の事業形態として日本でも急速にチェーン展開が拡がった

私の企業でも、業態揃えの一つとして外資系ファーストフードのフランチャイジーになる
そして私が店長に任命され、四人のメンバーで大阪・京都で長期研修を受けた
広島に戻り、そのファーストフード店を始める時に二店分の要員を養成しておくことにした
要員には「手垢」の付いてない者と勝手な理屈で、新入社員の男性四人女性四人を得た
後は女性アルバイトを採用し、教える方も教わる方も慣れていない新人研修を何とか終えた
開店は成功し、二十四時間営業のドタバタであったが、新入社員達は懸命に働いてくれた

他部門に配属された同期生と比べ、時間的にも苦しい環境下ながら、よく耐えてくれた
特に女性新入社員は、教えてくれる先輩がいない上に、同年か年上のアルバイト生と働くこと
正社員としの未熟さはそこかしこに出て、悔し涙を流している姿を目にしたこともあった
その新入社員であった彼等彼女等が集まって、私との四〇年ぶりの再会の場を作ってくれた
当時一八歳であった彼女たちは還暦を迎えていた、そして遠くから来てくれた子(?)も居た
男性陣はまだまだ頑張っていて、其々の人生を作っていた、男も女も皆好い顔をしていた
私と共に、大阪京都の研修に参加したメンバー三人の中、二人が来てくれていた

ワイワイと話している中に、皆は以前の顔になり、話題もその時の恨みつらみとなった
作って四時間経ったドーナツは捨てる決まりであったが、それが何とも捨て難くあったとか
せめて一口でも「食べてあげたい」という気になり、捨てる時にせっせとかじっていたとか
それでウンキロ太ってしまったという初耳の愚痴も聞かされたが、今となっては叱れない
そんなこんなで、私には嬉しい集いとなり皆に感謝、人生の至福を味わったのだ

私が初釜で一二日に広島へ行くと伝えたのが正月七日であったのに、良く集まってもらえた
幹事をしてくれた元同僚からは、次からは早く知らせてもらいたいと愚痴られた
御尤もごもっともと平身低頭で詫びた、しかし私の目は和んでいた

2015.01.13 宗家初釜
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上田宗箇流宗家の正門、冠木(かぶらぎ)門である、前庭の奥に見えるのが長屋門
ソフト帽にトンビ外套の髭親父は私、着物の裾を袴で上げて歩き易くしている

昨日、宗家の初釜に招かれて広島に行き、先ほど帰宅したところ、
写真にある宗家の場所は、本来は上田家の別宅・山荘としてあったものだ
芸州浅野藩の国家老であった流祖・上田宗箇は広島城の大手門前に上屋敷を持った
他に茶人の私邸というか、海に面した山辺に別宅があったのが今の宗家宅である
その裏山が原爆の遮熱を防ぎ、屋敷は被害から免れることが出来た
広島市内には小山が原爆被害を防いだ場所が数か所あるが、その一つである
別宅とは云っても、今も千数百坪の敷地があり、広島市内で一番広い私邸だとか

二時半の席入りであったので、受付を済ませ近くに住む学校の先輩宅に寄る
手土産を渡すのと、朝食抜きではあったが念の為の厠である、昨日の粗相に懲りている
写真は、誰も来ていない早めの受付を終えて手土産を下げ先輩宅に向かうところである
初釜は二時間余りで終えたのだが、遠方客は別途に数寄屋「遠鐘」へ通された
宗家の数寄屋は織部格、つまり武家風の茶室で、残された図面資料で再建されたもの

宗家は「遠鐘」に入られ、遠方客に話をされた中で、「数寄屋」と「小間」のことを話された
今の多くの茶書では数寄屋と小間を同義に使っているが、古文書では「数寄屋」だけとか
「小間」とは、千家さんで使う呼称であり、それが一般に使われるようになったものとの由
依って、上田では「数寄屋」という呼称に統一して使うようにするということであった
私は首肯する

宗家を退出したのは五時半であった、六時から嬉しい集まりが待っていてくれた
その話、次回に
2015.01.12 マグロ
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初釜の正月膳、羊の器はヌタ和えであった

昨日は石州流系統の初釜、袴を着けトンビの外套姿で電動三輪車に跨り出掛ける
時折、眺める人や振り返る人もあったが構わず駆けた
受付を済まし待合に入ると、御連客は私を含め男三人女五人の八人であった
桜の白湯が出された後、上に黒文字を載せた四段重ねの縁高が私の前に出された
私が正客と云うことで、挨拶をし常法通りに一番下の段を残して他の三段を送ろうとした
ぬぬぬ、下の段の中は空っぽ、私は暫し上の三段を持ちながら相手の意図を考えた

石州系の作法は違うのか・・、然しながら空の段とは・・、それとも上段から取るのか・・
出された半東(はんとう)さんの顔を見ながら、「一番下は飾り段でしたか」と苦渋の弁
すると半東さん、私のお重を見て、「あ、四重出した、三重やったのに」と目を見開きニコリ
何のことはない、五重の縁高を三重で使うつもりでいたのが、もう一段手なりで持ったとか
私は、「それはそれは、何か意図がお有かと考えましたわ、ハハハ」と返し、次の段を開くと
椿葉に載せた蒸かしたての上用饅頭が一個入っていた、ナカナカの美味であった

菓子の後、路地の腰掛待合に移り、手水の水を注がれた御亭主と出会いの挨拶
本席で濃茶と薄茶を頂いた後、別席で正月膳を頂くことになり本席を出る
正月祝膳は足付の丸膳で、鯛鱠の向う皿とハマグリ器に黒豆、そして箸が置かれていた
次に酒器と酒盃が出て一献受ける、続いて煮物が出され、熱いうちにと勧められる
更に半月形の折箱に入った料理が出て、酒も勧められので、私は酒器を預かる
最後に蒸籠に入った飯とほうじ茶が出された、十分に頂き箸を置いた
どちらかと云うと、茶会席と云うより料亭会席の流れの正月祝膳であった

ところで、正月のテレビではマグロの初競りの話が放映されていた
マグロの漁獲が制限されるとかで、「日本人にとってマグロは云々」と伝えていた
妙な話である、茶会席では勿論、まともな割烹会席ではマグロは出さないものだ
日本ではマグロは古来「しび」と呼ばれ、「死日」につながると忌み嫌われた魚である
更に、「血さかな」として賤しい魚、品の無い魚として「下魚」とされていた
依って上方では、会席料理だけでなく、家庭料理でもマグロは馴染みの薄い魚であった

カツオと違い、魚市のマグロはすぐに商品とはならず、赤身部分を醤油漬けにした
その醤油漬け赤身を「ヅケ」と呼び、庶民の安価な食べ物として出回っていた
脂身の部分ところ、今で云う「トロ」は魚のアラと同様に捨てられていた物である
今、高値取引される「トロ」を食するようになったのは、昭和に入ってからということ
「江戸前のにきり」とか云う生魚の切り身を載せた寿司が一般化したのは戦後から
それまでの日本では、寿司とは押し寿司、巻き寿司、蒸し寿司が主流であった

「日本人のマグロ云々」とか云いながら、にぎり寿司の世界では変調が起きている
この最近、マグロの販売量より、鮭というかサーマンの販売量が優ったとのこと
日本人の鮭回帰が始まったということであろう

さて昨日の初釜、先夜から下痢気味のところを三輪車で駆けたので恥ずかしながら粗相をした
先方の便器のカバーを汚してしまったので、服を直して厠に取って返すとカバーは無かった
私は粗相を謝り、その日に書いた礼状も詫び状になってしまった・・
どうも前の日に件の同級生と食べた軟骨唐揚げの所為かなと逡巡、彼の具合を聞こう
今日はこれから広島の初釜に出掛ける、「陀羅尼助・だらにすけ」を持参しよう
2015.01.10 鮭鱒
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鮭の切り身、左上が白鮭で右下が紅鮭

一昨日、高校の同級生と近鉄学園前駅で落ち合い、和食屋で相談を受けた
同級生はギターサークルに入っており、その夜は駅向いのビルで飲み会があると云う
私もその日は近くで用事があったため、時間の具合よく夕方から逢うことにした

彼は東京水産大学出身で遠洋漁業に従事し、商社経て大阪の大手荷受会社に勤務
その荷受会社は魚介類の扱い量が日本一の会社で、彼は海外の鮭鱒などを担当
その後、水産小売業会社へ出向、そこで六期十二年間社長を務め、一昨年から顧問
それで、週二回の会社出勤となったため、趣味の「歩き」にギターが加わった

彼の相談とは、三月の退任後のことで、彼は大阪の大学の大学院に入るということ
四十数年間を水産業、特に鮭鱒に拘わって来た彼は、自分の手で仕上げをしたいとか
大学の担当教授とも話が済み、塩鮭の本物の味を追求し、最高品を創出したいと云う
云わば、彼のこれまでの実学と大学研究室との産学コラボで、商品化したいとの由
老いて益々盛んな彼の思考と行動に、私は賛辞を送りながらも忠告もした

ところで鮭、サケと云うかシャケと云うかの話
巷の風説では、次の四つが有力だと云うが如何なもの

●アイヌ語で「夏」を意味する「シャク」(shak) が訛ったとされるもの。
●肉に筋があるため「裂け」やすいことから転じたとされるもの。
●肉の色が赤いため、もしくは「朱」(アケ)の色であることから。
●酒の肴として親しまれたことから

日本各地でも双方の呼び方あり、どうも地域差はないようだが
サケ派は四十六%、シャケ派が六十四%だそうだ
因みに、シシャモ
アイヌ語でシュシュハム(ススハム)、シュシュは柳でハムは葉とか
依って、シシャモの漢字表記は「柳葉魚」となるということ





2015.01.09 耳付砧
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陶工の塾生が持って来てくれた花入、「耳付砧・みみつききぬた」に日本水仙を入れた

華道用に納入する場合には「花器・かき」と云う、茶花では「花入・はないれ」と云う
この作品、彼が去年の暮れに吉野・十津川に籠り、登り窯で焼いたものとか
青磁や白磁はそうだが、陶器でも均一な地肌に焼き上げるのが値打ちともされる
だが茶陶では釉が変色したり、形が歪んだりしていても、それで好しとするところがある

まま、そんなこんなで、塾生としては失敗作と云いながら立派な木箱に入れて来た
登り窯では置く場所によって、炎の加減や灰を被ったりする加減で出来栄えが違う
私には色変わりしている部分に趣を見出し、これは好い花入れだと有難く頂戴した
もっと彼に、失敗を願う邪心がムクムク・・

今朝のNHK朝ドラ「マッサン」、私の子供の頃を彷彿させる場面があった
母親の危篤を知り、北海道から広島へ向かう汽車の中で子供を諭す母親を見る
腹が減ったと訴える子供に、母親は「男の子じゃろう、我慢しんさい」と諭す
マッサンは、子供の頃に喧嘩して負けて帰った時の母親の言葉を思い出す
「負ける喧嘩はしんさんな、男なら勝つまで家に帰りんさんな」

私が小学校に入った頃のこと、二人の悪ガキにいじめられ泣いて帰ったことがあった
両親は「泣いて帰って来るな、これでやり返して来い」と云って私に鍬(くわ)を渡した
私は鍬を持ってとって返し、悪ガキの一人の頭を鍬で叩いた
箇所が頭であった所為か血が流れだし、もう一人の悪ガキは逃げ出した
家に帰ってそのことを両親に伝えると、父親は頭を撫ぜて「よし」と褒めてくれた

勿論後で、父親は先方の家まで私を連れ、菓子折持参で謝りに行った
先方も、自分の子が先に二人でいじめたこともあり、何とか収まったようだった
その帰り、もう一度菓子屋に寄り、私に菓子を買うてくれたことを想い出した
今の世間、今の学校教育なら何となっていたかと思うと、両親の教育の仕方
鍬をと云う話もあろうが、相手は二人、しかも年上である
時代時代で是非があるかも知れんが、私は今以って両親の言動を是とする

まま、金物の鍬より木の砧が良かったが、小学一年の身では砧は振り回せない




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石炭直火蒸溜シングルモルト「余市」、北海道余市蒸溜所・一九三四年創業

近くの酒屋に行くと、「余市」500mlの瓶が並んでいた、価格は千六百円
「マッサン」の舞台が北海道・余市になったことで売れていると店員の弁
三千円以上の酒は買わない私には許せる範囲、ただ500mlは少ないが、まま
それで「余市」なるウヰスキーを初めて買うて帰った、店員の所為ではない

北海道・余市は「ソーラン節」の発祥の地といわれる
♪ ヤーレンソーランソーラン ヤレン ソーランソーラン ハイハイ  ♪ 
ニシン漁の華やかなりし頃の漁師や浜人が掛け合って歌ったものとか
ニシンは身欠きニシンや燻製、コンブで巻いて煮締めた「こぶ巻き」などの加工される
卵の塩蔵品はご存知数の子(かずのこ)として流通し、ニシン粕は高級肥料となった

実はスコットランド、ニシンの文化圏である
朝食に、「キッパーズ」というニシンを燻製にしたものを出すのが一般的だとか
日本の朝食に、アジ・イワシなんぞの干物が出るのと同じ感覚だという
世界の五大ウヰスキー、スコッチ、アイリッシュ、カナディアン、バーボン/テネシー、日本
その内、日本以外のウヰスキーはアイルランドも含め、全てケルト民族の手によるもの

前のヨーロッパ旅日記に書いたエジンバラのスコッチ・バーでのこと
カウンターの女性が、私が日本人だと分るとこんなことを云ってきた
「サントリーウヰスキー、良いウヰスキーだと聞いている、一度飲んでみたい」
サントリーウヰスキー「山崎シェリーカスク2013」が世界最高の賞を得たのは昨年だ
ウヰスキーだけでなく、欧州人と日本人に共通するものは意外と多いように思う

資本主義の源泉思想とされる、労働を高貴な行為とする思想
武士道と騎士道という誇りの思想、そこに見る恥と矜持、質素節約と自負
そして、原欧州人とも云えるケルト民族の自然に対する畏敬と感謝の思い
ケルトの地、アイルランドやスコットランドの民謡は日本人の心情に響く
「蛍の光」「庭の千草」「故郷の空」「アニーローリー」等、心に沁みる歌が多い

「マッサン」の余市でのこと、上手な物語にしてもらい度、「余市」を傾ける
2015.01.07 ゆく人くる人
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暮れから正月にかけ、一人で飲んでいた酒「ゆく年くる年」

娘家族が帰った後の正月の炬燵で、チビリチビリ飲みながら年賀状をめくった
「ゆく年くる年」を飲んでいた所為か、「ゆく人くる人」という思いに駆られた
年賀状が暮れの喪中状になっていた人
何十年ぶりかで年賀状をくれた人
これまで来ていた年賀状が来ていない人

四苦八苦の四苦、生老病死という避けられない身体の歳月の知らせる便り
これまでの人生流転で思いがけず再会の喜びを伝える便り
もう、その人の顔も声も朧げな記憶しか残らないながらも、毎年届く便り
今年は届いておらず、どうしたのだろうとの思いが巡る空便り
何より物悲しいのは、心のすれ違いや行き察もつれの空便り

因みに、四苦八苦の残り四つとは
愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること
怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと
求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと
五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 人間の肉体と精神が思うがままにならないこと

仏教の教えだとか何とか・・

追記ながら、今朝の「マッサン」、舞台は北海道・余市になった
そこで人生の恩人・支援者となる、余市の網元・森野熊虎(胡散臭い名前)と出会う
大阪での鴨井商店の鴨井社長(サントリー創業者・鳥井信治郎)との出会い
ゆく人くる人、出会いは人生を作り、別れを作る

森野熊虎の娘の名は「ハナ」、適齢期とのこと、見たことがある女優が演じている
我が家の愛犬「ハナ」、この二月六日で十一歳、適齢期は過ぎている
2015.01.06 初釜の結び柳
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結び柳、綰柳(わんりゅう)とも書き「一陽来復」の意を込めて正月の床に飾る
青竹の口縁に紅白の椿を挿すのが通例だが、私は紅白の紐を結んで代用
地ずりの枝先に見えるは、羊の香合

正月の床に結び柳を飾る謂われは幾つかあるようだ、挙げてみると
●柳の枝の様に、一年をしなやかに過ごし無事を祈る
●柳の芽吹きは早い、生命の再生・誕生の意を込める
●「取楊柳枝著戸上 百鬼不入家」、戸口に柳の枝を挿しておけば、百鬼が家に入れない
●柳を龍が昇る姿にたとえ、「登竜門」の願いを重ね合わせている
●唐土の故事に、友が旅立つ時に見送りに来た人と柳の枝を結び合わせ再会を期した
●ゆく年くる年を結び合わせて「一陽来復」を願う

どれもこれも、それなりに頷かされるが、利休が考えたという説は頂けない
古くは万葉集の中の恋歌で、大伴家持が結び柳を題材にしている

青柳の 上枝攀ぢ取り 蔓くは 君が宿にし 千年寿くとぞ.
(あをやぎの ほつえよぢとり かづらくは きみがやどにし ちとせほくとぞ .)
青柳の梢の枝を攀じ取って、蔓にするのは貴女の家の千年の寿を祝うため、とか

.「ほつ枝」は、上の方の枝・新芽の出たばかりの枝
「よじとる」は。つかんで引き寄せて折り取る
「蔓・かづら」は、花や枝を輪にしたもの、上代の男性髪型の連想

大和朝廷のやり手官僚だった大伴家持はん、オナゴはんにもやり手だったような
「結び柳、綰柳」のこと、去年は三日に記事にしている
http://houan7010.blog.fc2.com/blog-entry-235.html
2015.01.05 初釜反省会
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昨日の初釜稽古
竹台子の大福茶点前を終え、茶碗と薄茶器を置き合わせた塾生
この御仁、入塾一年九か月、もう止めたいと何度も口にしながら続行中
心配事が多いのか、奥方が稽古に同伴され、御主人の所作を写されている
左下は入塾希望者の手、当流では腕時計や腕輪は法度であると伝える

茶の世界では正月には師匠がお弟子を招く「初釜」がある
それに対して、暮れにお弟子が師匠を招くのを「納め釜」という
共に会席膳が出るのが習わしであるが、当方では出さなかった

昨日の初釜は、「鬼楽」という割烹店を営む私の弟弟子が作った「紅白餅」と
私が二日かけて煮込んだ「coop大納言小豆」の善哉(ぜんざい)とのコラボ
それに神官の塾生が届けてくれた新聞紙を巻いた一升瓶の神社本庁御神酒
酒器は赤膚焼陶工の「俵酒器」と「ふくべ酒器」、まま、善哉と酒だけの茶会席

大福茶とは、前にも記事にしたが平安期に疫病対策として天皇が施した茶
よって皇服茶・王服茶といったものだが、大福茶と名を変えた点前になったもの
我が上田宗箇流では、山椒をまぶした煮豆と小梅を抹茶に入れて飲む(食す?)
云わば、その年の無病息災を祈る、縁起物の茶事である

大福茶の初釜稽古は四時間余り続いて終了
その後、「とある卒塾者」の動議で一五分反省会なるものが車座で開かれた
御神酒と越乃寒梅は一升瓶、あと四合瓶四本が持ち寄られた
銘柄は、百楽門・花巴・王禄・初霞、アテは無し、それで一五分が二時間となる

初耳ながら、写真の塾生の奥方、日本酒の利き酒の有資格者であった
2015.01.03 正月料理
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無情な立札
愛犬「ハナ」が伏目がちに立ち止まった、ならばと私もここから鳥居越しに遥拝

元旦・二日と御節料理を突きながら日本酒を飲み続け、少々飲み疲れの体である
元旦は娘一家も居り、形通りお屠蘇を飲み、雑煮を食してから御節に手を付けた
そして、「あっそうか」と今更ながらに気付いた、正月料理は茶会席の習いにあること

会席と懐石、会席は料理屋のもの懐石は茶席のものと誤解している人が多いようだ
桃山時代の茶では全て「会席」と記されている、懐石は坊主のこじつけ造語である
元禄時代に書かれたとされる茶書、南方録(なんぽうろく)又は南坊録(なんぼうろく)
利休の教えを、弟子と云われる禅坊主・南坊宗啓が書き残したされる茶の古伝書とか
実際は、利休尊崇と禅宗帰依を本旨とした偽書であることが判明している代物

然しながら、茶人のバイブル的に扱われて来たので「タタールのくび木」然となる
云い替えると、茶人達が集団トラウマに陥った元凶となっているものと云える
この南方録によって作られた言葉に、「茶道」「露地」「懐石」等がある
茶道は「茶の湯」、露地は「路地」、懐石は「会席」が桃山時代の茶の言葉である
その字面からして、坊主の臭気紛々、オカルト教義そのもののようで、胸糞が悪い

さて閑話休題
会席が料理屋献立、懐石が茶席献立とは、まま置き、何方も和食として話をする
その大きな違いは、料理屋会席では酒と料理が出て最後に飯と汁を出すのが通例
茶会席では、先に飯と汁を出し、それから酒、酒が出るまで料理は手を付けない
正月料理は、飯と汁が先に同時に出される、つまり雑煮、そして酒、つまり屠蘇
成程に、正月料理は茶会席だと、今更ながらにに気付いたと云うシマラナイ話

酔いどれ奴、正月からのお粗末
2015.01.02 麦は泣き
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昨夜は雪が降った様子、手水の周りが薄っすら雪化粧

暮れの紅白歌合戦、継ぎ接ぎながら観ていて気付いたことが二つ
一つは、団体戦の形相の出場者達には違和感があったが、国威高揚の感があった
選曲に恣意があったかどうかは知らないが、日本国と日本人を鼓舞する歌が多かった
最近の若者の保守化傾向を表したものか、偶々そうなったかは知らないが、まま是としよう

もう一つは、朝番組「マッサン」の主題歌を中島みゆきが歌ったのを聞いたこと
毎朝観ていて、私としてはどうも気に気に喰わないことがあった
「麦ばたけ」という歌詞を「ムギ~バタキ」と外人風に訛る中島みゆきに、コヤツめと思っていた
紅白では、マッサンの主題歌に歌詞字幕が出ていた、そこには「麦は泣き」と記されていた
「ムギ~ハ、ナキ」であったのだ、気が晴れた
2015.01.01
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恭賀新正

 「未」は梢の若枝の象形で、未だ成熟に至らぬ姿を表すとか
 故に未熟・未達・未完・未開・未知とかの語になっているようです
 何とも負の感覚の言葉が多い中で、希望の言葉がひとつ、「未来」
 古希を前に未達感が深まる我が身にあって、「未来」とは「孫」
 孫は、私の心に差す光のような気がしています

本年も宜しくお願い致します

 乙未 元旦

               井谷風翁