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奈良・吉野の杉山、吉野の植林歴史は古く、室町時代の記録が残る

昨日はテレビは大塚家具の「お家騒動」の話で賑わっていた
創業者大塚勝久会長、長女の久美子社長の記者会見の様子
テレビ識者のしたり顔解説とは違う思いを私は持った
問題の視点は大きく三つあると思われる
会社の後継者問題と事業継承問題、そして家具業界の背景と森林問題である

父親が会長、独身の長女が社長、長男は専務、次女の夫が役員の同族企業
独身長女社長の会見内容と表情をみていると、一つの言葉が浮かんで来た
「合理的なのに愚かな戦略」である、本人の思いか誰かに思わされているのか
私には朴槿恵韓国大統領の姿が重なる、父親は今の韓国の創業者であり、親日家だった

企業或いは事業の継承ということでは、自社の姿と立ち位置を知ることが肝要
内部事情(資力、技術、人材)と外部条件(市場、協力者、競争者)の考察である
昨年のニトリ、三百店舗で売上高が3,876億円、営業利益が630.7億円(16.3%)
一方大塚は、十六店舗で売上高が555億円、4億円の営業赤字となっている
十三年に700億円位で並んでいた両社の売上は、今や七倍となり更に広がりつつある
スエーデンの家具店・イケアは平成十八年に日本再上陸、今は五店舗で674億円

一品単価は、ニトリ・8千~4万円、イケア・2千~5万円、大塚・36千~215千円とか
扱っている商品の中で家具の比率は、ニトリ・47%、イケア・53%、大塚・100%、
大塚は最早、同業種とも云えないようだ、つまりビジネスモデルが違ってしまった
今から、ニトリ或いはイケアの真似をして、後を追いかける戦略に出ても、無理筋だろう
会社存続を図るなら、原点に復帰し、小さくなって生き延びるのが常道と思われる
その戦略、常道をとると株主は反対する、半端に株式上場をさせたツケが回るということ

日本の森林から家具材の広葉樹が消えつつある、ブナ・ナラ・ケアキ・カエデ・クリ・カシ等だ
替わって、スギ・ヒノキばかり単一品種の針葉樹の人工森林が拡がり、それが放置されている
林野庁が植林を進め、日本の林業のコストを高めてから外材の輸入自由化をしたためだ
その背景は戦中戦後の森林乱伐と社会党による林業従業者の組合活動があるが、もう一つ
朝日新聞の社会扇情、「国有林を売惜しむな」「木材輸入を認めろ」という論説であった
結果、日本の林業の衰退は目を覆う状態となり、森林は荒廃の一途、自然体系も崩れた

日本は国土の67%が森林面積でありながら、木材の自給率は18%である
カナダは303%、フィンランドは126%、森林の少ないイギリスでさえ25%ということ
ニトリもイケアも商品は海外で調達・加工しており、日本の家具職人の出る幕は無くなった
伝えられて来た日本の家具工芸の技術や家具職人も消えつつあるのが現状だ
そして、日本の木材輸入が輸出国先の森林破壊を進め、地球環境問題となっている

明治の実業家、天竜川の金原明善が生涯を掛けた「治水治山」の事業
二宮尊徳の云う「道徳無き経済は罪深く、経済無き道徳は寝言である」
我々日本人は、木材・家具産業や林業のあり方を見直す必要があるように思う
そういう道に、ビジネスモデルを見つけてくれることを大塚家具に期待したい
やはり、無理かな・・
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2015.02.27 昭和三十二年
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葬儀の花祭壇の前に置かれた昭和三十二年製テレビ、製造番号6
故人は、英語の技術書を頼りにテレビの製造販売を始めて会社を創業した

昨日二月二十六日未明、私は和歌山城近くのホテルに居た、外は雨だった
昭和十一年の今日この時、東京は大雪であったと思いながら、独り悩んでいた
雨予想だったので、紋付きでなく洋風礼服で和歌山入りをしていた

通夜の後、和歌山の友人たちと飲み屋に行き上着を脱いで、我が姿に驚いた
ラクダの肌着の上に半袖の白ワイシャツ・黒ネクタイという恰好であった
出掛ける時、女房殿が娘宅へ行き留守だったので無点検のままの仕儀が原因
しかし、人は「呆け」と云う、この事態をどうするかと考えたが、そのまま葬儀に参列した
まま、葬儀で上着を脱ぐことはあるまいと、高を括り心を落ち着けた

読経・焼香が続く中、祭壇の昭和三十二年製テレビを眺めて、当時のこと考えた
映画「ALWAYS三丁目の夕陽」の設定した時代が昭和三十二年だそうだ
テレビ価格でよく出る話が初任給との比較で、二十八年頃は二十倍前後
それが十倍位になった昭和三十四年から、テレビの普及が始まった
フランク永井の初ヒット曲は、昭和三十二年で「一万三千八百円」、初任給の話である
昭和三十四年に発売された東芝テレビが一万六千円であった
それにしても、考えてみれば今の初任給は二十万円位、十倍なら二百万円

故人は、地方都市の個人企業ながら手造りテレビを安く提供し、地域の信頼を得た
松下電器から業務提携の話があり、和歌山官庁の電気・通信機器の保全を担った
和歌山は松下幸之助の故郷ながら、近畿圏で松下の工場網が無い唯一の県であった
思うに、故人は技術者と職人を併せ持っていた節がある、息子も同じだとつくづく思う

帰宅して、昭和三十二年の出来事を調べてみて、ふ~むふ~むと思いが浮かぶ

日本の南極越冬隊が南極大陸初上陸し,昭和基地を設ける
(犬ぞりで活躍した樺太犬は、現在では絶滅した犬種である)
茨城県東海村の原子力研究所で原子炉が臨界点に達し、「原子の火」がともる。
(フクシマの始まり)
日本初の女性週刊誌「週刊女性」が創刊。
欧州経済共同体設立条約が調印される。
(EUの始まり)
売春防止法施行。
(イワユル赤線の消滅、イワユル従軍慰安婦とは従軍売春婦のこと)

東京通信工業が世界最小のトランジスタラジオを発売。
富士精密工業が「スカイライン」を発売。
トヨタ自動車が「コロナ」を発売。当初の名称は「トヨペット・コロナ」。
日産自動車が「ダットサン・210」を発売。
ダイハツが軽三輪自動車「ミゼット」を発売
富士フィルムが「フジカ35M」、「フジペット」をそれぞれ発売。
東京芝浦電気(東芝)が電気やぐらこたつを発売

日本飲料工業(現・日本コカ・コーラ)設立、コカ・コーラを販売
(私には薬臭いという印象が今も残っている)
ロッテが「グリーンガム」を発売。
丸善製作所が安全ピンを発売
積水化学工業がポリバケツを発売
(日本から盥(たらい)と桶が消えて行く)

糸川英夫東京大学教授らが初の国産ロケット「カッパー4C型」の発射に成功。
ソ連が人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功。
初の五千円紙幣(聖徳太子の肖像)発行。 百円硬貨発行。
そごう東京店(有楽町そごう)が開店。初日は30万人以上の来店
大阪千林にダイエー一号店・「主婦の店ダイエー」が開店。

プロ野球の投手だったヴィクトル・スタルヒンが交通事故で死亡(40歳)。
立教大学・長嶋茂雄選手の巨人軍入団決まる。
高校野球で早稲田実業が王貞晴投手を擁し、甲子園で優勝・
学習院大学生の愛新覚羅慧生(満州国皇帝・溥儀の姪)が遺体で発見される(天城山心中)。
将棋の名人戦で升田幸三が大山康晴を下し、王将戦・九段戦と併せ史上初の三冠独占。

ヒット曲
1位 喜びも悲しみも幾歳月 若山彰
2位 バナナ・ボート 浜村美智子
3位 俺は待ってるぜ 石原裕次郎
4位 東京だよおっ母さん 島倉千代子
5位 港町十三番地 美空ひばり
6位 船方さんよ 三波春夫
7位 あン時ゃどしゃ降り 春日八郎
8位 錆びたナイフ 石原裕次郎
9位 有楽町で逢いましょう フランク永井
10位 13,800円 フランク永井

邦画
1位 明治天皇と日露大戦争
2位 喜びも悲しみも幾歳月
洋画
1位 戦場にかける橋 デビッド・リーン
2位 ノートルダムのせむし男 ジャン・ドラノワ
3位 八月十五夜の茶屋 ダニエル・マン
4位 OK牧場の決斗 ジョン・スタージェス
5位 昼下りの情事 ビリー・ワイルダー

流行語
神様仏様稲尾様
よろめき
何と申しましょうか

こうしてみると、戦後の米軍統治から日本を取り戻しかけた時代であった気がする


2015.02.25 長寿企業
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兼六白菊、大菊であるそ

一昨日の夜中、眠りかけの十一時過ぎに携帯が鳴った
起きて置いてある場所に行くと鳴り止んで、今度は家の電話が鳴った
和歌山の碁仇からであった、「二十八日の対局は延期してほしい」と云う
承知の旨を答えながら、そんな話をこの夜更けにと訝しく思っていると
「さっき、親父が死んだので、あれこれと用事が多くなるから」ということであった
今この時間に、携帯と家の電話に律儀と云うのか、多少気が動転していたのか

彼の会社は去年三月に株式上場を果たし、創業者の父君はそれを見届けている
享年九十二歳といえば、息子の親孝行としての思いを込めた株式上場であったろう
ふと思うに「マッサン」の実話、マッサンの姉の息子で養子にした竹鶴威(たけし)氏
ニッカ二代目社長として活躍され、昨年の十二月十七日の老衰で逝去ということ
「マッサン」とニッカの人気が盛り上がって来た途中であり、それを惜しむらくと云うか
或いは「マッサン」がNHKで放映されたのを見届けて、満足と云うかは微妙だろう

日本人には伝えていく使命感というものが、世界の中でも際立っているようだ
ギネスの統計では二百年続く会社を長寿企業と呼び、世界で5586社あるという
その半数以上の3146社が日本にあり、ドイツに837、オランダ222、フランス196
千年以上続く会社は世界で12社、その中日本が7社ということである 
会社だけでなく、宗教、伝統文化にも云え、支那・朝鮮で失われたものが日本で残される

その理由として「本業重視」「信頼経営」「透徹した職人精神」「血縁を越えた後継者選び」
「保守的な企業運用」「外国からの侵略が少なかった」「職人を尊重する社会的雰囲気」
など挙げているが、私は「国体」の継続が最も大きいと思っている

「抹茶」もその一つで、宋代の大陸文化にあったものが、日本だけに残った
「茶の湯」は五百年以上の歴史を持つ、残していきたい
和歌山の友人と一緒に事業の立ち上げに加わったもう一人、私の大阪の友人である
彼も四代目社長で会社は百二十年の歴史を持ち大    阪・東京を拠点に頑張っている
今日、通夜で一緒するが、この二人の友人の会社も長寿企業になることを祈り
其れで以って、故人の霊を送りたい
2015.02.23 人生の旅愁
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大犬フグリの青い小花が開いた、昨日今日と春風駘蕩の感あり

野辺の野草もそうだが、子供の頃に遊んだ風景にあった草木や昆虫・川魚
中高生の頃の友人との想い出や耳にした言葉、口ずさんだ歌や詩文
ふと何かの際に、当時の風と光の感触が今の目や肌をよぎることがある
その風景・場面に、何時か何処かで見た様な感を持つのを既視感というらしい
私は既視感には、自分の人生の旅愁というものが被っているように思っている

子供の頃は人生という言葉や意味さえ知らず、親の手の中で走り回っていた
十代後半から人生というもの向き合い始め、「何で」生まれて来たのかを悩んだ
二十代後半になり、伴侶と子供を得ると、人生は「何で」から「どう生きる」になる
三十代・四十代・五十代と人生の悲哀と喜び、そして苦しみと楽しみを知る

還暦を過ぎると、人生は「どう生きる」から、「どう生きた」に変わって来る
「何がしたい」から「何が出来たか」、「出来具合」がどうだったになる
世では、「名を上げたか」「財を築いたか」「地位を得たか」辺りを見る癖がある

「お爺さんは幸せやな、散々勝手しはったのに、歳とって子供に面倒見てもろて」
これは周囲の人が私の祖父へ云った言葉であるが、祖父が返した言葉とは
「人からどう云われようと関係ない、自分がどう思てるかや」と気色ばった
周囲や一族からは、「この人はどうにもならん」と評判の悪い祖父であった
私は最近、「爺さんは正直な感覚でエエこと云わはった」と同感すること頻り
一つ、祖父に足りなかったのは感謝の気持ち、否、感謝の表し方であった

ただ、「人からどう思われようと関係ない」というのは、まま、同感ではあるが
「自分がどう思てるかや」と云うには、照らし合わせるモノサシが要る
「人生の品質」と云えるものであり、自分勝手に判定出来ないものだろう
それは誠実・矜持・恥を知り、地位・金・名誉に惑わされぬことが判定基準
晩年、自分の人生の旅愁を悔いなく楽しめるかどうかであろう

流通産業では「品質管理・QC」なるのもが盛んに行われていたが、それはそれ
商品に関しては、価値(ヴァリュウ)=品質(クオリティ)÷価格(プライス)とした
自分の人生の価値とは、自分の人生の品質を自分の人生の価格で除したもの
人生の価格とは、自分のために費やしてくれた親や周囲の苦労と涙であると思う

私の人生の品質・価格を鑑みて計算すれば、我が人生の価値の低さに復も落ち込む
まま然しながら、自分の人生の旅愁、私はそこそこ楽しめている、と思う
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ニッカウヰスキー「竹鶴」、左が500㍉の飲みかけ瓶、右が700㍉の空き瓶

NHK朝番組「マッサン」の視聴率が好調だとか
近くのスーパーまで買い物に行くと、酒売り場にマッサン特設コーナーが出来ていた
棚上に、ニッカの創業者である竹鶴正孝と妻・リタの大きな写真が飾られていた
棚には「竹鶴」やブラックニッカ等のウヰスキーや「リタ」ブランディーが並んでいた

ピュアモルト「竹鶴」が一本1380円であったので、これはこれはと一本購入した
いつも1680円であったが、今日はコーナーの特売かと思ったのである
家に戻って飲み始めて気が付いた、瓶の大きさが違っているのだ
いつも買うていたのは700㍉で、今回買うたのは500㍉の瓶であった

「マッサン」特設コーナーで品揃えを豊富にしていたということであろう
500㍉の瓶は透明だが、700㍉の方は薄い色付き瓶だったことも初めて知った
ちゃぶ台の上に二本並べて見比べながら、喉頭ガンを恐れつつチビチビ飲んだ

竹鶴のアテはお好み焼きと思い、キャベツも買うて帰ったら、丸々一個が家にあった
先日、焼きそばを作ろうと買うたもの、先日も前のとダブったので前のを使った
よって、そのまま一個があったということ、つまりトリプったのだ
そして思った、人間は誰でも失敗はする、しかしアホとカシコの違いがあること

一度失敗すると、二度としないのが「カシコ」、同じ失敗を何度もするのが「アホ」
私は「アホ」である、それも正真正銘の「アホ」だと思い知らされ、落ち込んだ・・

2015.02.21 預師範のこと
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開花寸前の紅梅、快晴の空を仰ぎながら近所の神社を歩く
新春や迎春という言葉は、旧歴正月(今年は二月十九日)でこそ実感するもの

昨日のタイトルを「預師範を読む」と間違って打ち込んだ
今朝、気が付き修正を入れた、正しくは「『宗箇様御聞書』を読む」であった
写真の本の表紙を見れば分るハズ、というような屁理屈は捏ねない
ただ、本のことを宣伝風にした記事の所為か、拍手が少なかった(^^);

間違ったのは、本の説明より「茶事預師範」のことを伝えたかった故である
この「宗箇様御聞書」は三代預師範・野村円斎の書き残したものといわれる
円斎は初代野村休夢の長男、九歳で宗箇の近習に上がり禄百石を賜わる
百石とは野村家の家禄である、ということは休夢は死亡か引退していることになる
円斎が近習に上がった時とは、中村知元が二代預師範、知元は休夢の弟子であった
ということは、円斎は知元の指導を受け、それを宗箇が見守ったことになる
知元の子・中村元賀は四代預師範となるが、元賀は円斎の指導を受けたと思われる

親子の間で稽古事の師匠弟子の関係は難しいものとかよく云われる
教える親がきつくなるか、教えられる子に甘えが出るか、その両方ということだろう
卑近ながら、私も弟弟子から頼まれて、その息子さんを一年間教えたことがある
期間を集中して、細かい流れや裏の隠れた準備までみっちり教えた
父親もそれを願っていたので、本人も腹を括って打ち込んでくれ、何とか形が付いた

比べ見て、円斎が知元の教えを受けたことは偶々であったろうが、良い形であった
その後、野村、中村家交互の預師範制度は昭和の時代まで続くことになる
この両家に後継なきあと、高弟の中から宗家が選ぶ形になったのは大正十三年のこと
そして、昭和三十一年に十七代預師範・加計静堂の逝去を以って、制度は終えた
以後は、上田家十五代宗家が自らが流儀の宗匠となられ、今は十六代宗家が継がれている

上田宗箇流が流筋と家筋と血筋が連綿と一系で続いて来たのは、預師範の貢献と思える
恐らく、他に例が無いであろう

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「『宗箇様御聞書』を読む」という書が届いた 
流祖・上田宗箇からの教えや聞いたことを、茶事預師範・野村円斎が書き残したもの

平成十七年に広島教育委員会より上田家の古文書資料が刊行された
価格三万円也、注釈もされており、じっくり読めばそれなりに解る大書物であった
私は目を擦りながら行を追ったものだが、どうにも一読感を持つに至らなかった
その古文書資料の中にあった表紙書きの無い一書、それがこの「宗箇様御聞書」
それが「熊倉功夫」という学者先生が読み易く編集、新たに第一学習社から刊行された
その名は、今の宗家が仮の名として付けたものである

他の古文書の筆筋からみて上田家三代茶事預師範の野村円斎と否定されている
「茶事預師範・ちゃじあずかりしはん」は。、他流に無い上田宗箇流独自のものである
上田宗箇は芸州浅野藩四十二万石の国家老として、小方(現・大竹市)に一城を預かる
一万七千石の大身であり、自ら門下を指導することなく、教授のことは預師範に託した
初代預師範は、周防柳井の人・野村盛安で、寛永九年に宗箇を慕って広島に移住した
宗箇の家臣となって、碌百石を給せられ、後に剃髪し休夢と称した

休夢の弟子・中村雅親、後に知元と称する者も上田家の碌を受け茶頭となる
以後、この野村家・中村家が順次に「茶事預師範」として専ら茶事の教授を預かった
このことで野村・中村家が茶事の教授に没頭することになり、流儀を伝承することが出来た
その三代目預師範・野村円斎は休夢の長男であり、九歳で宗箇の近習となり碌をもらった
その円斎が書き残したと思われるものが四書あり、題名が記されたもの「露地入」・「奥儀抄」
他に同じ手の筆跡ながら、無題というか表紙のないものがこの書である

茶書の教材としては、桃山期の武家風の茶を記した最も古い資料の一つである
しかも、流祖・上田宗箇から直接聞き及んだ者が書き残した貴重な茶書と云える 
三万円の広島教育委員会刊行の資料より千五百円とお安く、随分に読み易くなっている
茶に興味をお持ちの方には ご購読され度、ここに紹介するところ

書名「『宗箇様御聞書』を読む」、著者・熊倉功夫、発行・財団法人上田流和風堂、印刷・第一学習社
申し込みは、上田流和風堂のホームページから可能ということ
http://ueda-soukoryu.com/index2.php
2015.02.19 敵性語
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「幻の甲子園」と云われている昭和十七年・中等学校野球選手権の平安中学の選手
「勝って兜の緒を締めよ 戦い抜こう大東亜戦」という垂れ幕に挟まれたスコアボード
「ストライク・アウト・ボール」と書かれている、英語のままである
この大会は文部省とその外郭団体である大日本学徒体育振興会が主催した
朝日新聞主催でないため、高校野球大会の歴史から消えている大会である

昨日のNHK「マッサン」、二日分の放映であった
前日の「マッサン」が放映時間中の地震情報で、中断したためである
観ていて懐かしい言葉が出ていた、「辛味入り汁かけ飯」、ライスカレーである
子供の頃の我が家では、ちょっぴり肉切れが入ったライスカレーがご馳走であった
海軍士官であった父親が「陸軍の連中はカレーを辛味入り汁かけ飯と云うとった」
その言葉が「マッサン」の番組から聞こえたので、父親の話しぶりを彷彿させた

然しながらである、いわゆる「敵性語」として英語禁止令というのは出されていない
事の起こりは、時代の権力者に媚びる「朝日新聞」が野球用語を日本語にしたこと
ストライクが「よし」、ボールが「だめ」、アウトが「一本」という、あれである
朝日新聞は「敵性語の使用禁止」を政府・軍部に進言したが、受け入れられなかった
まま、「髭の塵を払う」というあれだ、時の権力者への迎合ぶりも甚だしい体たらく
そこで朝日新聞は国民の戦意高揚の話にすり替え、「何となく」国民運動になった次第
集団心理、集団ヒステリックとは、げに恐るべしであるが、ヒットラーはそれを上手く使った

今になると、その朝日新聞が「当時の日本政府と軍部は敵性語の英語使用を禁じた」
という話に作り変え、今日の権力者である国民に迎合するというお粗末な話
全く以って、「マッチポンプ」の茶番、これは敵性語、「当て擦り水汲み筒」というべきか
敵性語、中々面白く味があるので列記

「サイダー」→「噴出水」(ふんしゅっすい)
「フライ」→「洋天」(ようてん)
「キャラメル」→「軍粮精」(ぐんろうせい)
「コロッケ」→「油揚げ肉饅頭」(あぶらあげにくまんじゅう)
「カレーライス」→「辛味入汁掛飯」(からみいりしるかけめし)
「カンガルー」→「袋鼠」(ふくろねずみ)
「ライオン」→「獅子」(しし)
「カスタービン」→「支那油桐」(しなあぶらぎり)
「コスモス」→「秋桜」(あきざくら)
「シクラメン」→「篝火草[1]」(かがりびそう)
「チューリップ」→「鬱金香」(うこんこう)
「ヒヤシンス」→「風信子」(ひやしんす / ふうしんす)
「プラタナス」→「鈴懸樹」(すずかけのき)
「サクソフォーン」→「金属製曲がり尺八」(きんぞくせいまがりしゃくはち)
「トロンボーン」→「抜き差し曲がり金真鍮喇叭」(ぬきさしまがりがねしんちゅうらっぱ)
「ヴァイオリン」→「提琴」(ていきん)
「コントラバス」→「妖怪的四弦」(ようかいてきよんげん)
「ピアノ」→「洋琴」(ようきん)
「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド」→「ハ・ニ・ホ・ヘ・ト・イ・ロ・ハ」
※「ドレミ」の語源はイタリア語だが、「軽佻浮薄」だとして言い替えたとか
  確かにイタリア軍の弱兵ぶりは世に響き渡っていた

2015.02.17 青文字の芳香
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昨日の床、花は青文字と美女撫子(びじょなでしこ)、軸は良寛の拓本

青文字は台湾原産の落葉小高木、材は爪楊枝に用いられるという
私は知らなかったが、日本でも近畿以西で自生するらしい
果実にはレモンのような芳香と辛味があり、香辛料として利用されるとか
塾生が教えてくれたので、実を採って潰すと芳しい香りがした
美女撫子は別名を髭(ひげ)撫子とも呼ばれる一年草で、バルカン半島原産
そう云えば、昔の歌謡曲で「うちの女房にゃ、ひげがある~♪」というのがあった

軸は読み辛いが、「 不語似無憂」と書かれている
千峯雨霽露光冷(せんぽうあめはれて、ろこうすさまじ)
君看双眼色(きみみよそうがんのいろ)
不語似無憂(かたらざればうれいなきににたり)

これは大燈国師の句(千峯…)に白隠禅師が下(君看…)をつけたものとか
色んな人が色んな解釈をしているようだが、如何であろう
相手の両目の色を見れは、云わずとも心の憂いが解るというのであろうか
それとも、語れないほどの憂いをじっと堪えているというのであろうか
まさか、俗に云う「目は口ほどにものを云い」では良寛はんに怒られるかも

まま、青文字の芳香でここは紛らわそう
2015.02.16 逆三日月
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今日二月十六日明け六つの月、空が綺麗のでつい撮った、三日月の逆形である

云い替えれば昨日十五日の夜の月であり、バレンタインデーの十四日は旧暦二十六日
今回のバレンタインデーの月は午前二・三時頃にようやく出てくる「十六夜の月」
古には、この十六夜の月を待つ「月待ち」の慣習があり、「二十六夜待ち」と云って楽しんだ
要は、遅くまでの夜遊びに風流な云い訳がつくというもので、バレンタインデーには上々
小理屈ながら、昨夜の月は旧暦二十七日・晦日の三夜前になり、逆三日月という話

三日月の呼称が一般化しているが、本来の三日月は右上の弓型である
対して、写真の昨夜の月は左下の弓型であるため、厳密には逆三日月形
三日月は新月とも云われ、初めて現れる月としてイスラム教では貴ばれている
太陰暦でいう新月とは満月の反対で月のない夜だが、目に見え始める三日月を新月と称す

アラビア半島、アフリカ北部、いわゆる中近東辺りの人には、太陽より月が恵みの象徴である
灼熱の日中から、涼しい夜間が人々に安らぎを与えてくれるということだろう
トルコ、パキスタン、アルジェリア、チュニジア、マレーシア等のイスラム国旗になっている
面白いことに左右上下のことは問題とせず、単に「三日月形」というだけになっている

ところで、私が通院する大阪赤十字病院、日本赤十字社の運営する病院
赤十字はナイチンゲールの帽子でも知られる赤い十字を紋章とするは周知
これにイスラム教が納得できる訳がない、欧州の十字軍は不俱戴天の仇だ
イスラム諸国では三日月紋章を使う、よって国際赤十字赤新月社連盟 が正式呼称
イスラエルは十字も新月も拒否、「ダビデの赤盾」を用い孤高を貫く、至極当然の話

昨日のニュースではデンマークで銃撃事件があり、パリのテロの続編と伝えられていた
一般人への無差別殺戮は米軍の原爆投下同様に、許せべからざるテロ行為である
イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を描いた画家が狙われたのがことの次第
私は、イスラム教徒が彼らの刑罰として、この画家を殺害せんとすることは認めるところ
「言論の自由」が聞いてあきれる、自由には常に責任が伴う、「冒涜の自由」は無い
罪と罰とは、犯した者の論理でなく、犯された者の論理で裁かれるのが筋、と私は思う

戦前の日本に対し、天皇を犬の姿や豚に描き、「風刺」とチャラけた外人いたならば
ほぼ確実に斬殺されたことは容易に想像がつく、当り前だのクラッカーである
イスラム教シーア派の人間にとっては、ムハンマドとは日本人にとっての天皇である
同じイスラム教でもスンニ派の人々は啓典を以って信仰の対象としているがシーア派は違う
ムハンマドの血筋・血統を以って信仰の対象としている、日本皇室の血統・皇統と同じである
根っこの心情を理解せず、分った気に「テロを憎む」云々との似非識者の然たり顔はアホ臭い

自分の行為が正しいとするなら逃げ隠れもせず、堂々と討たれろと私は云いたい
さすれは、周りの者に被害を与えずに済むし、それで自分の思いを主張すればよい
踏まれた痛みは、踏んだ者には分らないのが、話の基本・原点である
自由や平等、民主主義・平和主義ゴッコは今の日本人の風潮だが、世界の国歌の文言
我が主張のため「行け、征服せよ、討て、殺せ、銃を持て、撃て、進め」が歌詞である

2015.02.15 ふんどしの日
無題
男女兼用ふんどし、前下がりが短いようだ、気恥ずかしいので写真を小さくした、

二月一四日はバレンタインデーというのは知られているが、「ふんどしの日」でもある
バレンタインデーにチョコレートというのは日本だけのここ最近の風習だと聞く
何でも、昭和十二頃に神戸のモロゾフが広告宣伝に使ったのが初めだとか
或いは百貨店の伊勢丹が昭和三十三年にキャンペーンで始めたものとも云われる

然し、この日が「ふんどしの日」ということを知ったのは昨日である
テレビの某女子キャスターがふんどし愛好者で「フンドシスト大賞」に選考されたという
この女子キャスターは中々の才媛で、そこそこ品格もあり、印象の落差を感じた
そして、彼女はバレンタインデーの贈り物には「ふんどし」が良いと番組に持参した
曰く「私はフンドシで寝ている、男女兼用もあるのでペアーでどうぞ」

つまり、チョコレートに代わる新しいバレンタインプレゼントだという訳である
自分とペアーのふんどしというプレゼントとは、確かに迫力満点の贈り物であろう
男性アナはタジタジであった、この女子キャスター、女子挺身隊に見えた
昨今では「ふんどし女子」なるものが増えて来ていると云う話であった
女性進出、恐るべし、六尺もあるのかな
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薬研(やけん)、薬種を細粉に挽く器具、「くすりおろし」とも云われたとか
広島の夜の歓楽街に流川・薬研堀というところがあり、広島時代にはよく行った
断面がV字形になっている堀を薬研堀と称するとかで、東京にも地名があるそうだ

「先の綿帽子」でブログ記事にした「老医師」二人とのビフテキ屋座談会の続き
「廃医師」と自称する老医師の「投票権の階層化」と「徴兵ならぬ徴用制度」を拝聴
もう一人の老医師「泉州の赤ひげ先生」は、旨そうな京菓子を持参し土産に呉れた
飲んで帰った後には菓子饅頭ということであろうか、私の糖尿を御承知ながらである

この泉州の赤ひげ先生は、私が足首骨折で入院中に見舞いに来て「お守り」を呉れた御仁
「これがよう効く」と差し入れてくれたのが、石切神社のお守りと参道の饅頭であった
後で人から聞いた話では、石切のお守りは「でんぼ」つまり「おでき」のお守りだとか
とは云え、この泉州の赤ひげ先生の人となりや生き様に私は敬仰するところ

貝原益軒の養生訓にある「医は仁術」を述べた行
「医は仁術なり。仁愛の心を本とし、人を救うを以て志とすべし。わが身の利養を専ら志すべからず。天地のうみそだて給える人をすくいたすけ、萬民の生死をつかさどる術なれば、医を民の司命という、きわめて大事の職分なり」

「医は算術」と世に揶揄される風潮もあり、奈良では悪徳医者が逮捕される事件もあった
然し、この泉州の赤ひげ先生は「医は仁術」を本気で実践されようとしている
ビフテキ屋座談会の後で御仁から貰ったメールに、私は拍手喝采を送りたい
下にメールの一部を掲載する(本人の許可済み)

「美味しい食事と楽しい話ありがとうございました。
キリストの話は興味深く聞かせて頂きました。
久々に別脳を使うことが出来てリフレッシュしました。

看護学校の講義が終われば、自宅付近での行商の打ち合わせを始めます。
魚や野菜などの購入、販売を通じて楽しい、自立高齢者の多い地域をつくる試みです。

目的は独居老人の自立支援です。
介護保険を使わないで矍鑠と生きる節度と誇りある日本人を復活させたいと企んでいます。
当分赤字が続くでしょうが私の年金を充てるつもりです。」

2015.02.13 和綴じ茶碗
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和綴じ本を模した茶碗、金野 剛(かのう つよし)という人の作品
右綴じであるから、こちらが正面ということなる

茶道上田流門下・和風堂発行の「上田宗箇流茶道」という入門書が和綴じ本であった
昭和三十一年十月の初版で、私の持つのは昭和四十五年九月の第三版もの
それ以降は洋本様式となり、今ではB5からA4型のカラー本となっている
右綴じ縦書きの形態は残されているものの、流儀の連絡書簡は横書きが多くなった
私はメモ取りも縦書きのままで来ているので、横書きには中々馴染めない
近年、世の中はA4横書きが大勢を占めて来ているが、茶の世界はB5縦書きでありたし
このブログも縦書きであれかしと願うこと頻り

因みに、千年以上前の本が数千冊も残されているのは世界の中で日本だけとか
現存する世界最古の紙印刷物も日本の百万塔 陀羅尼(ひゃくまんとう だらに)
宝亀元年(770年)、称徳天皇が鎮護国家と滅罪を祈願するために作成したもの
百万の小塔に納め、奈良の仏教寺院に奉納された陀羅尼で塔は百万塔と呼ぶらしい
陀羅尼 (だらに)、梵名ダーラニーとは、仏教において用いられる呪文の一種だと云う
私は腹が弱く、吉野・修験道の秘薬「陀羅尼助丸」を常備薬としている、ホンに、よう効く

子供の頃、先生に云われたのは「背の高さを超えるぐらいの本を読め」であった
私は背が低いので、何か得をしたような気になった想い出が残る
考えてみると、和綴じの本は立てて本棚に並べるより、積み上げて置かれる方が普通
そして親に云われたのは「本を踏むな」、その所為か今以って本を踏むには気が引ける
確かに、和綴じ本の装丁は中の紙と余り変わらないので、踏むと傷み易いものと解釈した
その解釈は少々違っていたようで、本への敬意から来たものだと人から教えられた

私は囲碁でも局面の「勝手読み」を指摘される、本にも勝手読みをしていたようだ
最近は読書量がめっきり減った、目が持たないのである、酒の所為かな
まま、日本の本文化は世界に冠たるもの、古来から識字率の高さは世界一
2015.02.12 鴨の足
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秋篠川を遊泳する鴨の夫婦(であろう?)

私が写真に収めようと近付くと、夫婦二羽は右往左往するが離れない
夫婦の仲良い姿は周囲を和まさせる、マッサン夫婦にあやかろう
そう云えば、ドラマの中ではサントリーの鳥井社長は鴨井商店の鴨井社長となっている

昨日の遅ればせ初釜は十人余りの人数で男女半々であった
待合で足袋を履こうと袋から取り出すと、あろうことか両方とも右足用
どうも、二日酔いのバチが当たったようである
仕方なく、また足袋カバーに履き戻しして席入りする
先日の金沢では、足袋を忘れる粗相をしでかした

タビタビの粗相、ホンマお粗末
思うに鴨の足、冷たい水の中で足袋も履かずに冷えないのだろうか
2015.02.11 迷惑な見舞い
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近所の塀の植え込みに、クッキリ花開いたゴールデンパンジー、クリアイエローだとか

卒塾者がそば打ちで膝を傷め、そば屋「かえる庵」が臨時休業と聞いた
女房殿は娘宅へ泊りがけで孫の世話に行って留守なので、私は見舞いに出掛けた
日曜塾生の米国土産の赤ワインと他の卒塾者から頂いたフグの卵巣を持って行く
その卒塾者の世話になっている月曜稽古組の塾生に声を掛けると酒と肴を手に来てくれた
赤ワイン、ニッカウヰスキー「竹鶴」、日本酒大吟醸と純米酒、焼き魚、さつま揚げ等々

六時過ぎからの飲み出し、初めは儀礼として卒塾者の膝の加減を心配げに訊いた
まま、快復の見込みありとの由、それは良かったと、見舞いが酒宴になった
ワイのワイのと皆勝手なことを云いながら酒瓶を空けていき、皆の酔いも回った
片付けの段で奥さんには詫びを云い、引き揚げたのは十時半を過ぎた頃
見舞いに行ったのか、迷惑を掛けに行ったのかと云うと、迷惑の方であろう

今日は、昼から遅れ馳せの初釜がある
少々目が霞んでいるが、心機一転、糖尿薬持参でこれから参ることにする
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枯れ散る寸前のタンポポの綿帽子、綿帽子の姿形で見れば今が最も美形状態だ

双葉の芽生え、青葉の瑞々しさ、蕾の可憐さ、花の鮮やかさ、黄葉紅葉の照り
野を彩る草木の四季には、其々の味わいがあるものだ
人生にも青春・朱夏・白秋・玄冬.という区分があるが、これまた其々の味わいがある
このタンポポの綿帽子、じっくり見れは宇宙体を想わせ、その姿は「今が盛り」と云える
思うに人生古希辺り、今風に云うとアラセブンティ、綿帽子の盛り時季とも云えそうだ

先の記事、北新地のビフテキ屋での老医師二人と新年会兼御母堂野辺の時のこと
医師を引退し、「廃医師」と称する博覧強記の御仁の色々な卓見には常に感服するところ
今回の「アラセブンティの風発談義」、特に次の二点は膝を打って同意、以下記す

一つ、選挙制度の革新であって、年齢別に投票権に軽重を持たすこと
元服前は政治未熟で無票、一六歳から一九歳の十代は一票、二十代、三十代、四〇代は二票
五〇代・六〇代は一票、そして七〇歳以降年金受給年代は政治引退で無票
これがアラセブンティの意見なるが故、真実味があり傾聴するに値すると思う
恐らくはそれで選挙投票率向上も図られ、国会や地方政治で未来視点の討議がされるであろう
然すれば、既得権益や業界・地元利権の誘導は減るとであろうと思えるのだが・・

今一つは、徴兵制度の復活である、但し中身は違っている「徴兵」というより「徴用」である
徴用隊は三つの編成隊とし、国土整備隊・社会整備隊・防衛整備隊の国民皆徴用制度というもの
①国土建設隊は国土の農林・建設の作業訓練が任務
➁社会整備隊は介護・福祉の支援と社会整備の作業訓練が任務、
③防衛整備隊は国家防衛の軍事訓練が任務
以上の構想を事細やかに、且つ具体的観点を交えながらの話であった

最近の国会討論を聞くにあたり、身が引き込まれるような話が無い
選挙民向けパフォーマンスか、無知をさらけ出すか、見識の低さを見せるかで、正視に堪えない
「廃医師」の講釈、よく腑に落ちる、まま、「アラセブンティ」は死なず、消えて行くのみか
男性の健康年齢は七二歳とからしい、それを超えると好々爺然と阿保になること肝要

もう一人の老医師「泉州の赤ひげ先生」、この御仁の老後の夢が私の腑にズッシリ来る
その話は次に

それにしても老医師二人、私が歴とした糖尿患者と承知しながら、常に酒類と饅頭を下さる
緩慢なる殺人行為かな・・
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大金鶏菊、春から夏にかけ南九州に咲く、先の大戦末期は地元で特攻花と呼ばれた

一月十三日の朝日新聞夕刊のコラム「素粒子」の記事には、憤怒の鳥肌が立った
日本の特攻隊のことをテロ集団と評し、曰く「イスラム国」の暴挙と同列とした
懲りない朝日、何とも云いようのないというか、情けない思いをさせられた
日本の特攻隊は敵軍への攻撃であり、一般人の殺傷は一切無かったのだ
そして今日の産経新聞報道には、驚天動地、これも鳥肌が立つぐらいにビックリした
かの「日教組」の集会で、「特攻隊」のことを授業で取り上げたとの報告があったとか

「 山梨県で行われている日本教職員組合(日教組)の教育研究全国集会(教研集会)は2日目の7日も多くの授業実践が発表された。例年通り、政権批判や憲法改正反対などイデオロギー色の強い報告が行われる一方、先の大戦の特攻隊員たちの生き方を題材にした平和教育のリポートもあり、子供たちの心に響く様子が伝えられた。

 大分県内の小学校の男性教諭は、平和を伝え続けられる人間を育てるには身近な教材が効果的だと考え、県内の航空隊基地から出撃した特攻隊員を題材にした平和学習を実施した。
 
 教諭は5年生に、同県宇佐市の航空隊基地跡地の見学遠足を実施。子供たちはガイドの説明で、出撃前夜に酒を飲み「見事敵艦に突っ込んでみせる」と威勢のよかった隊員たちが、夜中になると故郷の家族を思い泣いていたことや、翌朝には一転、凛(りん)とした表情で飛び立っていったことを知った。

 「なぜ命を捨ててまで戦ったのか」。子供たちはそんな思いを深めたといい、ガイドから「命を軽く考えていた特攻隊員は一人もいない」「『お国のために』とよく言うが、ほとんどの若者は家族や恋人など大切な人を守るために戦った」「大切な人を守ることが、お国のためだった」などの説明を受けた。

 子供たちの感想文には「日本のために戦ってくれたみなさんにありがとうと言いたい」「平和な時代に生まれてよかった」といった感謝がつづられた。

 6年生の授業では、ある特攻隊員の母の手記を教諭が朗読。

 「『久しぶりだからお母さんの懐で寝るよ』と申す息子の体をしっかり抱いて、私たち親子3人は川の字になって眠りました。(略)こうして最後にわが子を2晩も抱きしめて寝ることができました私は、他の特攻隊員のお母さま方には申し訳ないほど幸せであったわけでございます」

 朗読後、目を真っ赤にはらした子供たちから「おれ、泣きそうや」「おれも」との声が上がったといい、教諭自身も朗読中、「ぐっと涙をこらえていた」と明かした。

 皇学館大学の渡辺毅(つよし)准教授(道徳教育)は「戦争の悲惨さを強調する手段として特攻隊が使われている面があるのは残念だが、日教組が『戦争の美化につながる』としてタブー視してきた特攻隊やその家族の手記を教材に使い、子供たちの心に響かせた点は評価できる」と指摘した。」

国家の基本は良くも悪くも教育にあると私は思っている
かの「日教組」の中に、教師としての真っ当な精神が残されていたとは・・
鳥肌が治まると共に、私は莞爾とし目が和んだ、そして少し潤んだ
日本人は、まだまだ捨てたものではない
2015.02.07 人目
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入塾半年の塾生の点前、顔がにやけている

端坐(正座)で二服の薄茶を点て、続いて安坐で二服点てた際のものである
もう稽古も終わりに近付いたと云う心根もあり、表情に余裕が出て来た頃だ
点前が形になって来たので、ふむふむと思いカメラを向けるとこっちを見た
いわゆる、カメラ目線でポーズをとろうとする、アレである
私が「格好つけんでエエ、普通にしなさい」と云うたのだが、この顔であった

成る程と、私が気付かされたことがある、「人目を意識すること」の肝要さ
「士は己を知る者のために死す」或いは「武士は食わねど高楊枝」である
人に見られているということは、自分を律することにも繋がるように私は思う
「独り稽古は要注意」という教えは、自分の思うようにやると自己流になること
せめて鏡で自分を写し、自分の目が人の目となり自分を見ることが肝要という

「人目を気にしない」とか「人が何と思おうが構わない」とかいう最近の風潮
それらの言葉は耳触りが良いので、それを然り顔で云う似非識者が結構居る
聞く人間によっては無責任の奨めになる、それらの言葉の真意は違うはず

人目を気にすることは、選良たる者の矜持の裏返しであると私は思う
フランス語のいう「ノブレス・オブリージュ」、「選良たる者の責務」と訳すのだろう
欧州文化というか、欧州人の心根にある「選良たる者」、つまり「エリート」の見方
「エリート」「選良たる者」を認め、周りも承知し期待もし、本人も自負を持つ
嘗ての日本にもそういう風潮があった、家庭・社会・学校もそのことを良しとした

日本の武士道と欧州の騎士道に心をおく者同士は平仄が合ったと歴史が伝える
エリート云々と聞くと、身分社会がどうこうと云いたがる御仁が昨今多いが、違う
私が思うのは、日本の社会が、己を含め其々が「選良たる者」と意識し合うこと
要するに、日本人が恥と矜持を持つこと、そこに日本の将来があるということ

昔聞いた、父親の世代の人の叱責の言葉、「お前、それでも日本人か!」
「人目・外聞を気にしろ」「恥を知れ」「矜持を持て」ということだろう
今では誤解される言葉かも知れないが、私は云いたい「人目を気にしろ」
とは云え、「もうエエ、ワシはワシや」という私の独り言も出る・・

2015.02.06 犬との共生
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今日二月六日は愛犬ハナの十一歳の誕生日、人間年齢では還暦だそうな
心做し老け顔になってきたように思えるが、太めの美形は保っている

「一犬影に吠ゆれば百犬声に吠ゆ」或いは「一犬虚に吠ゆれば万犬実を伝う」
最近は犬の遠吠えの連鎖や、近隣の犬が共に吠える声を聞かなくなった
「群れ習性」とでも云うのであろうか、昔は集落の犬が一斉に吠え立てたものだ
「群れ生活の掟」を持つ犬の習性が人類と共生し、人類の文明の礎となった
と、私は考えているが如何であろう

人類との共生を選んだ犬を、人類の最初の家畜と云う人が多いが、私は違うと思う
生物界の共生関係には、「偏利共生」と「相利共生」があると云われている
「偏利共生」とは利害関係に偏りがある共生、その最たるは寄生体と宿主である
寄生とまでなくとも、人類が得た家畜との関係は人類に利が偏る共生である
「相利共生」とは互いに利がある五分五分の関係で、蟻とアブラ虫の共生である

石器時代、洞窟生活をする人類が捨てた食べ残しの皮や骨を目当てに狼が集まった
人に対し敵愾心を持つ狼は離れ、敵愾心の薄い狼は人を警戒しながらも近付く
狼が人の食べ残しを漁ることは、人にとっては腐敗物の処理、ゴミの掃除となる
幼獣は相手を和ます本能を持ち、人になつくものも現われ、人の近くで成獣となる
成獣となると、危険を察知して吠えたりすることで、人にも危険が伝わり重宝される
その成獣同士に子が出来ると、人になつく狼の集団となり、人の狩猟にも協働する

自然は上手く出来ているというか、その狼たちにはデンプン質の消化機能が生じた
つまり、肉食一点張りの狼から、人の食物に合わせた雑食の「犬」に変種したという
一万五千年位前の東アジアでの話だとかで、人類の移動に併せて犬も同行したと云う
と、ここまでは良く知られた犬の起源説、では人類の文明の礎が犬の「群れ習性」とは
「群れ習性」は、リーダーへの忠誠と序列による秩序維持、群れの保護・防衛にある
(但し書きながら、「群れ習性」とは私の造語、念のため)

我が家に居た雄の紀州犬、外では犬・猫のみならず人や牛にも襲い掛かり困らせた
その紀州犬は我が家の猫には優しく、共に餌を食べ、共に寝て、外敵から猫を守った
犬を「飼い馴らせた」ことで、人類は他の動物を飼い馴らすことを始めた、家畜化だ
家畜となった羊・山羊・豚・牛・馬・鶏等を、犬は群れの序列下位と見做し統率・保護した
それは人類にとって、牧畜・遊牧の手段を与えられたことになり、そこから文明が生まれた
同様に、栽培植物を育て農業を始めた人類は、害獣や外敵への対策を犬に頼った

こうして見ると、犬を家畜と云うには抵抗があり、犬と人間は五分の共生関係と私は思う
人と人の共生関係も、「偏利共生」を避け「相利共生」の関係であれかし、況や「寄生」をや
「社畜」という言葉、人の家畜化、それは「偏利共生」か「相利共生」かは当人の心次第
今では家庭犬と云う名の愛玩動物になった犬達、皆セラピー犬化したようだ
よって、まま、人間にもセラピー人は有りかも知れんワン

もう一つ、縄文遺跡の犬は埋葬されているが、弥生遺跡の犬には食用の痕がある
恐らくは、狩猟民の縄文人と大陸から来た農耕民の犬への思いの違いであろう
古来、支那・朝鮮では犬は食用、特に赤犬のハナは危ない、肉付きも良い、守らねば・・

2015.02.04 南京豆
無題
ザ・ピーナッツ、伊藤エミ・ユミ双子姉妹、何方がどっちか区別が出来ない
愛知県出身、昭和十六年生まれ、姉妹の歌手活動でLP販売量は一千万枚を超す

NHK朝ドラ「マッサン」夫婦が、上下(かみしも)姿で「豆まき」をしているのをテレビで見た
驚いたことに、節分の豆まき大会で殻付き落花生(南京豆)をまいていたのである
炒り大豆が伝統だが、豆まき大会では地面に落ちるので殻付き南京豆かと一人合点
だがそれは違った、ニッカウヰスキーの故地・北海道では豆まきは南京豆が通常だとか

南京豆はその名が示す様に、江戸時代に南蛮人がもたらしたもの
室町時代から「節分の豆まき」は大豆だが、北海道では南京豆が当たり前らしい
北海道で炒り大豆をまくと、「ヘ~ッ珍しい」と云われてしまうとか何とか

事ほど左様に、伝統や仕来たりというものは、意外と新しいものであったりする
茶の世界でも、今や常識化されている用語が、実は新しい用語であることも多い
「千家十職」、大正時代に大阪の百貨店催事の担当者・北村直次郎氏が名付けた企画名
「きれいさび」、茶人・高橋箒庵の造語とされ、昭和十四年の東洋美術文庫で記された言葉
どちらも、往古からの言葉として人口に膾炙するところとなり、当人達もその気になる

まま、その最たるものは「宮中の仕来り」であろう
美智子皇后が着けた白い手袋を「宮中の仕来りでは・・」と云うた女官がいたとか
大和の地から見ると、まこと以ってホンマ・アホかいな、という笑い話である
宮中の洋装は高々百年、それを知ったげに宮中の「伝統」や「仕来り」とはアングリである
茶の世界も同様で、「作られた話」に当人達もその気になって振る舞うのは始末に困る
2015.02.03 結び
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梅田雲浜入門の表紙、著者は雲浜末裔の梅田昌彦氏
梅田氏は大阪芸大の元教授で教育学の教鞭を取られていた御仁
私の高校の先輩でもあり、囲碁教室の先達でもある

先日、梅田氏に著書の表紙のことで気になっていたことを訊ねてみた
気になっていたのは「袴の結び方」、武士には無かった「十文字」である
私は梅田氏に、この絵図は誰が何時何処で描いたものかと訊いた
梅田氏の話では、梅田雲浜の姪・山田登美子が明治半ばに描いたとの由
雲浜が朝廷の中川卿の謁見を得る際の姿を想い起して絵にしたものだとか

私は納得した、先月二十一日「妻の本懐」で掲げた肖像画では「一文字」
武士の袴の結び方は上士が儀礼で結ぶ時には「一文字」、下士は「結び切」
上士も戦陣にある時、もしくは武術等を行う際には皆「結び切」であった
袴の「十文字結び」とは、明治半ば頃から町衆の貸衣装屋が始めたものである
要は紐の結び目が痛み易いので、「十文字結び」が世に広まったというセコイ話

武家が「一文字結び」であることへの、町衆の憚りもあったものとも思われる
武家の袴紐が「一文字」とは、上下(かみしも)を着ける帯結びが「一文字」というもの
帯の結びと袴の紐結びを合わせた「統一感」が儀礼時の上下の着方となったのだろう
明治半ばでは武士の姿もなく、雲浜の姪の記憶が揺らぐのも、まま「ムベなるかな」
今では、結婚式場の貸衣装は「十文字」が当たり前の姿として誰も不審を抱かない
千家さんならいざ知らず、「武家茶道」と称する方々が「十文字結び」とは如何なもの
そんな他流の方にお会いして、つい私は「どこの貸衣装屋さんの?」と云いたくなる

まま、小意地の悪いのは私のたち、そろそろ茫洋と生き度候・・
「むすび」、最近ではスーパーでもコンビニでも東手、関東風の「三角むすび」
私の子供の頃は、「むすび」ではなく「おにぎり」である、それも、俵型のものであった
小意地の悪い私は、関西出の店(イオンやローソン)に行ったら、「にぎりは?」と訊く
すると、大概は「にぎり寿し」コーナーに案内される(・・)
茫洋と生きよう、坊用の茶ではなく・・

今朝の「マッサン」、北海道・余市で作る「エリー」のむすびは「俵むすび」であった
と、云いたいところだが、四角形のようでもあった、スコットランドむすびかな