2015.04.30 菖蒲は尚武
2015042915470000.jpg
昨日の稽古の床、軸は「遊鯉」に花は菖蒲、まま端午の節句の序幕
菓子は柏餅に、菖蒲の絵姿を沈金と螺鈿で描いた黒塗りの棗と、少々くどかったか

今朝(昨夜?)は二時過ぎまでNHKで安倍総理の米国議会演説の生放送を見ていた
「熾烈(しれつ)に戦い合った敵は心の紐帯(ちゅうたい)が結ぶ友になった」
この文句が総理の考えた「落とし文句」であったようだ、議会は総立ちで拍手していた
議場で、「硫黄島の戦い」の日本軍守備隊長・栗林陸軍大将の孫と米軍帰還兵が握手
まま、それなりの演出を混えながらの発言内容は、正にそれなりの評価を受けたようだ
場外では、朝鮮人売春婦を政治利用するする連中が勝手に騒ぎを作っていた

偶然ながら、昨日の稽古には少々異色の経歴を持つ五十代の御仁が見学に来られた
「武人の茶」というものを見たいと云われたその御仁は、米国陸軍幼年学校の出身者
国籍は問わなかったが、日本名で、言葉もネイティブ日本語、顔もモンゴロイド系で精悍
仏教寺院でも修業され、花もされる御仁で、日本人の原資そのものである
聞けば、友人に戦死者が出たとか、戦後の日本で友人に戦死者が出た話は寡聞

その御仁は遠く東山道のお住いとのことで、車の横での立ち話が何かしら噛み合った
私が、自分の茶が上田宗箇流の中でもアブノーマルなこと、女性を対象にしていないこと
そして、私の茶の稽古は三年を目途として、それ以上の稽古は続けないことを話す
御仁は、戦場へ行く心構えの教育を受けたので、武将が茶に向う心情に思いを馳せたとか
思うに、戦場へ向う際の「別れと再会」を誓う茶もあったろうが、戦場から戻った茶が「茶」
労組のガンバロー型で交す茶は嘘の味がする、戦場から戻った武将の茶に心があること

共に出陣し、戦死体で戻った者や片手・片足を失くした者が喫する一碗の茶
徐々に言葉が少なくなり、死んだ者の席にも廻す一碗の茶、無言の席であろう
と、私は今は亡き父親の戦友会の想い出を語った、小学校五年生の頃のことである
人間魚雷・回天特攻隊の生き残りの父親に連れられ、大津島の記念碑建立式に行った
その後暫らくして、我が家に父親の戦友三人が集まり十数年ぶりという酒宴を持った

初めは大声で笑い昔話に興じていたが、段々に声が小さくなり、時々会話も途切れた
「良い奴ととろい奴から死んで逝った、ワシらは死に損ないの半端モンや」と一人は泣き出し
そして皆は黙り込んで、ただ盃を口に運び、酒を酌み交わしていた
その父親達の、戦友の会合、特攻隊の生き残りの会合の光景が私の脳裏に強く残る
特攻に向う水盃は、最後の者が地面に叩き付けて割り出撃する、生還を期さない「茶」
戦場から生還をした者だけの「茶」とは、語ることも途切れる静謐な「茶」だったであろう

「戦争を知らない子供たち」を歌った私達が、今となると人生そのものが戦場だったと実感
東山道の御仁と、こんな話をしているとつい長話となり、御仁の帰宅を遅れさせてしまった
走り去っていく御仁の車に露地送りをしながら、少々語り過ぎを反省する私であった
菖蒲は尚武の花とも云うが、戦場は無いに越したことはない



スポンサーサイト
2015.04.28 群れ
2015042311480000.jpg
スイバ(蓚・酸い葉)はタデ科の多年草、ギシギシという地方名もある、雌雄異株

スカンポなどの別名で呼ばれることもあるが、イタドリの方言名としても使われることが多い
北半球の温帯に広く分布し、田畑や道端によく見られる、花は春から初夏にかけて咲く
葉を噛むと酸味があって、それがスイバ(酸い葉)の語源となっているということである
大正十二年に木原均と小野知夫によって、スイバがX染色体とY染色体を持つことが報告された
これは種子植物に性染色体があることを初めて示した発見の一つであるとか

私の子供の頃は、スイバをスカンポと呼んでいた
実はイタドリというのがスカンポだと知ったのは随分後の高校生の頃である
では、私達が云っていたスカンポ(スイバ)は何という名か、知らないままでいた
茶を初めて、これまでとは違う感覚で野草を見ることになって、「スイバ」と初めて知った
スカンポ(イタドリ)はポキッと折れて皮も剝き易く、味も中々でおやつ代わりによく採った
然し、スイバは確かに「酸い葉」ですっぱかったが、時々には採ってしがんでいたものである
欧州では、スイバの葉をスープやサラダに使うために栽培されているらしい

スイバで思い出すのは小学校低学年の頃の野山や川縁での子供集団遊びの光景である
当時は十分なおやつが無いため、子供の集団遊びは半ば自然食の採取を兼ねていた
秋の野山で柿や栗・アケビ、春はタケノコや野イチゴ、そしてスカンポ(イタドリ)であった
何も収穫のない時には、このスイバをしがんでいたもので、そのままほろ苦い想い出である
五・六年生のガキ大将に率いられた子供集団は一つの「群れ」であり、群れの掟を守って遊んだ
ガキ大将に少々悪戯をされても、我慢して付いて行ったのは、頼りになる存在だったからだ
何かの時、例えば他の集団ともめた時には、皆を守って大将は戦ってくれたものである
大将が負けると、我々は黙りこくって引き下がり、離れてから相手に向って「お前らアホー」

考えてみると、我々の祖先である猿は「群れ」で生活していた
群れとは人類で言うところの「社会」や「社会の単位」、そこにはボスがいて階級社会があった
然し何故に、猿も人も群れるのか、組織で行動するのかというと、答えは単純明快である
「個は弱くて不安定」ということに尽きる
人家の集落周りの野良犬は何とか生きることが出来ても、一匹オオカミには生きる術は殆ど無い
野牛や山羊で、群れから離れて一匹で生延びることは、野生の世界ではまず不可能である

そんな野生の世界で群れを失くしたリカオンがジャッカル親子と接点を持った話があった
昨日の稽古で話題となったが、私はその「YOUTUBE]の動画を三回も見た
感動があり、納得もした

https://www.youtube.com/watch?v=yjKtiWcGN68
2015.04.27 公園掃除
2015042612020000.jpg
ホウチャクソウ(宝鐸草)、チゴユリ属の植物、「かえる庵」さんの手洗いで見たもの
アジア大陸の東端(極東ロシア-東南アジア)全域に見られ、日本全国に分布する
雑木林などの樹間のひらけた場所に群生し、初夏に地味だが白から緑の花をつける
宝鐸とは寺院建築物の軒先の四隅に吊り下げられた飾りで、風鐸(ふうたく)ともいう

昨日は自治会の公園掃除の日であったが、私は所用が有り、朝から出掛けた
バス停に向かう途中で二つの公園を過ぎることになるのだが、ご近所の皆さんが清掃中
女房殿もゴミ拾いをやっていたので声を掛けると、近所の御主人とも顔を合わせた
最近は自治会の公園掃除に男性陣の参加が増えているので、横を通る私はきずつない
定年を過ぎ、時間の余裕が出来た御主人方が公園ボランティアとして活躍されている
男性陣は、エンジン付草刈り機や高枝切りハサミを使いこなして女性陣の信頼を得ている
私は其処彼処のご近所衆に会釈をしながら、伏目がちにバス停に歩いて行った

夕方戻って、犬の散歩に出掛けた道で、交代したばかりの前町内会長の女性と一緒になった
御主人の具合が悪くなり、介護施設に入られているので、毎日行っているという話であった
少し歩きながら自治会の話を聞くと、最近は脱会者が増えて来ているということであった
歳をとり、独り身になって、自治会活動の役員をしたり掃除等への参加が無理云々とかである
前会長は、自分自身も似た事情を持つが、一応やるべき役回りは精一杯させてもらったと語る
私は頭が下がり、礼を云って別れたが、その頭に何かしら過るものがあった
そして、以前にはあった町内の老人会も子供会もなくなったことに、改めて気付かされた

町内老人会の入会資格は六十歳であったが、有資格者が増え続け、今では殆どが有資格者
老人会の中に青年部が出来たという笑い話を残し、町内会の老人会は「発展的解消」となる
子供会は逆で、子供達そのものが町内に存在しなくなったという至極当然の解散理由である
然し、公園掃除もゴミ捨て場掃除も、会報作成や連絡、回覧板の遣り取りも住民には必要なもの
脱会した人もゴミ捨て場は利用されるが、その掃除は入会者の輪番制であり、他の負担も同様
これまた然しながら、理不尽とは思いながらも、脱会者の事情も汲み取れば文句も云えない

私の町内は九百所帯を越え、奈良市で最大級の町内会となっている
近隣の町内では恒例の盆踊り大会の行事が廃れていき、今では私達の町内だけとなった
妙なもので、周りが廃れていくと反って私達の町内盆踊り大会が賑わいをおびて来ている
盆踊りを失くした近隣の人達が、私達の町内盆踊りを見物に来るという構図になっているのだ
町内会で会場のセットや夜店の運営をして開催する町内懇親会的な盆踊り行事が変わって来た
見ず知らずの人や若者が多数「来場」し夜店を回り、人混みをつくり自分達が楽しんでいる
そして、大会終了後の後片付けやゴミ掃除は私達の町内会だけですることになる

町内会という自治活動の姿から、市町村、大きく云えば日本全体の状況が垣間見えるようだ
少子化や高齢化の実態は、日々刻々と影響を与え出していることを思わされた昨日であった
2015.04.25 牡丹と釦
2015042408510000.jpg
牡丹(ボタン)の花、知人の庭に植わっていたもの、盛りを過ぎかけたと知人は云う
ボタン科ボタン属(Paeonia)の総称、 別名は「富貴草」「富貴花」「百花王」「花王」「花神」など多数

支那・清朝では国花として扱われたようだが、中華民国では梅を国花とした
中共では、今だに国花の指定は為されていないようだ、花より団子では中華が泣く
茶花、つまり茶席の花に牡丹と桜は使わないとされている
それは、富貴故にということだが、特別な時、正月なんかでは使われることがある
桜は、先ず使われることはないようだが、茶の古文書には桜を使った記録が残る

さてボタン、花ではなく服の釦(ボタン)、それも天然貝の釦は奈良が全国一の産地
海のない奈良ではあるが、明治半ば頃から始まった貝釦の生産は今も続いている
近年になり、プラスチック製の釦が普及して奈良の貝釦産業は五分の一以下に減少
しかし、高級服は今でも貝釦が使われているので生産は続けられている

釦というものは茶の世界と離れた存在というか、和文化には使われて来なかった
欧州の文化では釦に拘りを持ち、自分達の好みを大事にして名前を入れたりもする
日本でも、上流階級と云われた人達の間では、この欧州文化の風習に染まったいたようだ
今でも、「高級テーラー」と称されるところでは「マイネーム釦」がステイタスの象徴でもある
私には「マイネーム釦」という衣服は一着も無い、「下級テーラー」の吊るし服ばかりである

私のボタンの想い出とは、ボタン鍋と釦の掛け違いのことぐらいである
今となっては詮無い話であるが、出来るなら掛け違いを直しておきたかったこともある
そんな思いがツト蘇る、長生きとは何だろうか、アホは長生きするとか聞くが・・早よ死の
2015.04.24 菫の花咲く頃
2015042106570000.jpg
本スミレ(菫)、マンジュリカである、近所の道端に咲いていた
日本列島各地と朝鮮半島・満州・ウスリーに分布する
外来種の「パンジー」は、あちこちの庭や公園で我が物顔に大花を咲きほこっている
小ぶりな本スミレは、スミで慎ましやかに生息して、可憐な花を付けている

「スミレ」の名はその花の形状が墨入れ(墨壺)を思わせることによる(牧野富太郎説)
牧野の著名さもあって広く一般に流布しているが、定説とは言えないとされる
学名の mandshurica は「満州の」という意味、和名の「スミレ」は属名や科名・目名も同じ
紛らわしいので、スミレ愛好家は本種を指す場合、学名に由来するマンジュリカで呼ぶとか

今朝の新聞で目についた記事が二つ
一つは、佛教大学名誉教授で俳人の坪内稔典氏の「モーロクのススメ」
今日の題名は「小さな菫」、その中に夏目漱石三十歳の時の句が紹介されていた

菫程(すみれほど) 小さき人に 生まれたし

漱石がそんな大男とは聞いていないので、私には意味不明なのだが
親友の正岡子規はこの句に二重丸を付け、高く評価していたという
坪内氏は、今度生まれて来る時は菫の様な小さい人に生まれたい、と解釈
私には、マスマス意味不明、一寸法師への憧れかなと勝手解釈するしかない

更に、与謝野晶子たちは星菫(せいきん)派と呼ばれ、天上の星・地上の菫
それは、あこがれの恋や愛というものであったと云う、私にはマスマス意味不明
要は「可憐なものへの憧れ」と、早く簡単に云えば良いのに・・、クドクドと
私には晶子はカサブランカ、漱石は牡丹に見えるので、菫に心がいったと思える
この大学教授、「モーロクのススメ」とは、云い得て妙でありんすわぃ、のぅ

二つ目は正論欄の記事、慶応大学教授・竹中平蔵の「本気度」が問われる郵政改革
内容はともかく、私が昨日の記事で書いた「本気度」という文言を鍵カッコで使っている
ムムムっと思ったが、まま、無断使用を許すことにした(~~)

ついでに三つ目は、ホンダジェットが「初来日」と一面のスミに出ていた
ここで思い出したのが「平成の零戦」と云われる純国産戦闘機、仮名は「心神・しんしん」
零戦、あくまでも「れいせん」で「ゼロ戦」でない、「ゼロの焦点」の百田尚樹の底が見える
「心神」、この春に初飛行の予定だったが、八月に延びたとか云われている
日本の純国産ジェット戦闘機の開発を拒んできた米国も折れたという優れものらしい

http://blog-imgs-66.fc2.com/o/s/y/osyoube/shinshin_sub2.jpg

>防衛省はF-22ラプターの調達が米国より不可能となったH21年9月以前から純国産戦闘機の開発を目指していた。F-2が米国の横槍で純国産戦闘機から外形をF-16に押し付けられ国際共同開発となって以来の悲願であった。<
とある
2015.04.23 八重桜
2015042211380000.jpg
にはたづみ 秋篠川の 八重桜 今日九重に 匂いぬるかな
秋篠川沿いの桜並木では染井吉野が散り、数少ない八重桜が満開である

桜はバラ科の植物である、昨夜、女房殿がBS放送の歌謡番組を観ていた
私が覗いた時に、加藤登紀子が「百万本のバラ」を歌っていた
テレップの説明では、貧しい画家が女優に恋をして百万本の赤いバラを贈ったという
私が、「この話、ウソやで、考えてみたら分るやろ」と横槍を入れると、女房殿が怪訝な顔
私は云う「赤いバラが一本百円やったら、百万本で一億円やで、一本十円でも一千万円や」
私は更に云う「貧乏な絵描きにでける話やないやろに、歌でもウソはアカン、せやろ」
女房殿「静かにして、聴いてるねんから」、私「フン、加藤登紀子、東大卒でも計算アカンな」

今日四月23日はサンジョルディの日
美と教養、愛と知性のシンボルとして、女性は男性に本を、男性は女性にバラを贈るらしい
元々はスペイン・カタルーニャの守護聖人である騎士サン・ジョルディの伝説に由来するという
この日は「ドン・キホーテ」のミゲル・セルバンテスやウィリアム・シェイクスピアの命日
今やユネスコにより「世界本の日」、国連の国際デー「世界図書・著作権デー」になっている

仕方ないので、女房殿に八重桜の写真を贈ろう
本は貰えんやろうけど・・
2015041916330000_20150422091124782.jpg
ムラサキケマン(紫華鬘)、竜王神社の小路で昨日掲載のハナニラの横に咲いていた
紫華鬘は日本列島各地で見られるが国外では支那大陸で見られるぐらい
華鬘とは仏堂における荘厳具、元々は生花で造られたリング状の環(花環)だったとか
奈良国立博物館には国宝の牛皮華鬘(ごひけまん)というのが所蔵されている

華鬘が花の環だったことで思い起すのは、ザ・タイガースのヒット曲、「花の首飾り」
私には、白詰草(しろつめくさ・クローバー)の花輪の冠、つまり華鬘が浮かんでいた
昭和四十一年にビートルズが来日公演してから、日本でグループサウンズが数々生まれた
今朝、ザ・ワイルドワンズの加瀬邦彦さん自殺というニュースがあった 七十四歳とか
奇しくも、ビートルズ・ポールマッカートニーの来日ニュースも併せて報じられていた
「想い出の渚」、同級生にギターを奏でながらこの曲を歌っていた奴がいた、カッコ良く思えた

昭和四十年代の前半とは、私達朋友の青春が真っ盛りの時代であった
フォークソングを歌う奴、全学連で機動隊と対峙した奴、カントを語り彼女に振られた奴
外国の歌も英語だけでなく、ジリオラ・チンクェッティの「夢見る思い」なんかもヒットした
思想は左右の差ではなく本気度の差で認め合った、狭い下宿で夜遅くまで語り明かした
人生を彩るのは「花鳥風月」というが「歌」もあるように思う、歌謡、唱歌、フォーク、声楽

朝、ザ・ワイルドワンズの「想い出の渚」を聞き、青春期の風景が走馬灯となり駆け巡った
2015041916350000.jpg
秋篠川に接した竜王神社の小路に咲く「ハナニラ」、アルゼンチン原産
茎を傷付けるとニラの様な香りがするからという、雅味のない名付け

先日、「英霊の絶叫・玉砕島アンガウル戦記」という本が届いた
ペリリュー島の沖合い十キロ先に在る三キロ四方に収まるような島である
両陛下のパラオ・ペリリュー島ご訪問で、私は玉砕島アンがウルを初めて知った

本は、アンガウル島の生き残り兵であった船坂弘という人の書いたものである
気が滅入り、飛び飛びの端折り読みで済ました、船坂氏のあとがきには、こうあった
「玉砕兵士たちが祖国に平和をと絶叫する声を代弁しながら、彼ら英霊の冥福を心から祈る次第である・昭和四十一年十一月」

確かに船坂氏の思いはその通りであろう、だが英霊の絶叫とは、本当にそうであったのか
私は、その戦場と現実の戦いを知らないので、あれこれ云うことは出来ないが、疑念を持つ
この思いは、今上陛下のこれまでの御言葉にも、どこかで違和感を持ったことと共通する

それは、広島の原爆死没者慰霊碑の言葉を読んで感じたものと同じである、石碑には
「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と刻まれている、主語が無い
誰が過ち、誰が繰り返さない、更には多くの無辜の市民を死没させたのは誰なのか
主語、誰がということを示さずして、何の慰霊ということなのかという違和感である

陛下のこれまでの御言葉にある「平和を祈ります」という文言は玉砕島に相応しいかどうか
私は違うと思っている、玉砕島に相応しいのは、慰霊の言葉より先ず謝罪の言葉であろう
昭和天皇なら、先ず玉砕将兵たちへの「詫びと謝辞」があった上での「慰霊」になろう
「武器弾薬、食糧・水を十分に送れずに済まないことをした、皆の死を無駄にはしない」
「援軍を送らず皆を見殺しにしたことを許せ、皆は最後まで立派だった、後々まで伝える」


水源が一箇所しかなかったペリリュー島、水源が一箇所も無かったアンガウル島
制空権・制海権を米軍に握られた両島での戦いの数字を挙げてみる

ペリリュー島の戦い
日本軍兵力・11000、戦死・10695、捕虜・202、生還・35
米軍上陸兵力・48740、戦死・1794、戦傷・8010
アンガウル島の戦い
日本軍兵力・1250、戦死・1191、捕虜・59
米軍上陸兵力・21000、戦死・260、戦傷・2294

私は思う、英霊の絶叫とは「武器弾薬をくれ」「食糧、なにより水をくれ」であろう
戦いを覚悟し最後まで戦った者に、「平和をくれ」という絶叫は無かったであろう
故に、陛下の「平和の祈り」は後世へ向けたもの、玉砕島の「慰霊」にはならない

余談ながら、日本軍の戦傷者比率の低さと米軍戦死者の黒人兵比率の高さ
そこに、先の大戦での戦場の現実が示されている
2015.04.20 ヨナ抜き音階
2015041907190000.jpg
桜草の見頃が過ぎ、サツキの赤い花が咲き出した、向うに見えるのは百合の青葉

今朝、パソコンを開くと有難くもお節介コメントが入っていた
今は、それなりの会社の専務をしている旧知の御仁からである、そこには
「チョツト違うと思います秋吉古好ではないと思います」との一行節だけであった
つまり、前の記事で私が秋山「好古」を「古好」と誤記したことのアラさ探しコメント
「古吉ではなく、好古ではないですか?」と云えば良いものを・・コヤツめ
早速、私は「ちょっとしたミスを云い立てる、部下は可哀そう 」と一行節を送る

一行節というか、旋律のことで「ヨナ抜き音階」という言葉を初めて知った
「マッサンで評判だったスコットランド民謡を訪ねる」という番組が放映された
面白いことに、それはNHK放送でなく、朝日放送(ABCテレビ)での番組であった
然しながら、「マッサン」の番組内容やテレビ場面がふんだんに使われていた
公営放送テレビの著作権や映像権は、民放局で自由に使えるのかと思った

ともあれ「ヨナ抜き音階」とは、西洋音階の四番七番を抜いたものだということである
つまり、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドの四番「ファ」と七番「シ」を抜いたものだそうな
日本音階の特徴として名付けた物で、ピアノにおける黒鍵部分の五音に相当するらしい
この「ヨナ抜き音階」は日本音階だけでなく、実はケルト音楽の音階でもあったという

ケルトの国、スコットランド民謡やアイルランド民謡の節・音階は日本音階と同じということ
スコットランド民謡の旋律というか調子が、我々日本人の心に沁みるのはその為だという
日本国歌の「君が代」も一箇所だけ「シ」が入るが「ヨナ抜き音階」で構成されているとか
最初はドイツ人音楽家が作曲したが、宮内省の雅楽担当者が作り変えたとされている
音階と旋律、長調短調、主音属音云々、私には分らないが、まま、スコットランド民謡は好い

私が小学校四年の時のこと、通信簿で初めてもらった「5」は理科と音楽だった
あの時の音楽の「5」とは何だったのであろう、私の後の人生に影響をもたらさなかった
「カラオケ」にも縁がなかった・・

ふと思い出したのは、木下惠介監督・脚本、高峰秀子主演の松竹映画「二十四の瞳」
背景に流れていた曲がスコットランド民謡の幾つかだった
最後の場面で聞かされてた「仰げば尊し」、印象に残る

https://www.youtube.com/watch?v=9oLeqHVZAI4
2015041902100000.jpg
一初(いちはつ)の蕾、アヤメ科、囲碁教室の棚に置かれていた
アヤメ科の中で一番初めに花を付けるので、「一初」と名付けられたと云う
国語の先生だったという御仁が、「いちはつの、花さきいでて」と口ずさむ

いちはつの 花咲きいでて 我目には 今年ばかりの 春行かんとす
(正岡子規)

子規は明治三十五年九月死去、享年三十六歳、この歌はその前年のもの
子規は「我目(わがめ)には」の言葉の中に、自分の目で確かめた春の終わりの意を示し、
また自ら春が行ってしまうことをつくづくと見て体感している、と云う評も

春の選抜野球、二十一世紀枠とは云え八十二年ぶり出場となった「愛媛県立松山東高校」
元藩校で子規の母校であり、また夏目漱石の小説「坊ちゃん」の舞台となった学校である
司馬遼太郎の「坂の上の雲」に登場する秋山好古陸軍大将、真之海軍中将兄弟も出身者
日本海海戦でバルチック艦隊を破った「T字戦法」の考案者だった真之は、子規の親友

同校野球部は子規が明治二十二年に野球を伝え、設立された「球技同好会」が起源
昭和二十五年に、夏の甲子園で優勝、但し商業科を併設した統合時代のものであるため、
出場回数と優勝回数の記録は同校と今の松山商業とで共有するが、校旗入場は今もある
同校の今回の甲子園での応援ぶりと、一回戦勝利に喜ぶ姿に、私も見ていて嬉しくなった

俳人・高浜虚子も同校出身者だそうだが、あの大江健三郎も同校の出身者であるとか
大江はノーベル賞の受賞には喜々として燕尾服で出席ながら、日本の文化勲章は拒否
ノーベル賞がナンボのものか知らんが、同じ文学賞受賞者の川端康成は紋付き袴で出席
IPS細胞の山中伸弥教授は、胸に日本の文化勲章を下げてノーベル賞受賞式に出席した
(中山教授は小学校から大学一回生まで奈良・学園前に居住していた、念の為)
私には、大江の作品は三頁と読み進むことが出来ない、読解能わずである
子規、漱石、康成は素直に読める

実は私に「隠し歌」があり、気の置けない仲間と飲むと、偶に口ずさむ
松山出身の旧友から半世紀前に聞いた歌である、ここに披露する


せんせ~い 世の中は~は どう~なっているんぞ な~もし
せんせ~い もっと仲良く~う してくれんか な~もし
しけん~の点や~なんかで 俺た~ちのこと
決めて~もら~ちゃ 困る~ぞ な~もし


この地場歌を教えてくれた彼とは、その後音信不通である
どう~しているの~か な~もし
2015.04.18 芍薬満開
2015041713300000.jpg
満開の芍薬の花、牡丹科ということだが、牡丹は樹木で芍薬は草本

昨日、囲碁の師匠と学園前のイタ飯屋に入り、ランチとかいうのを食べた
千五百円程度のものであったが、大事に料理して出しているのが伝わった
店は大通りから外れた目立たない処で、私も初めて行ったのだが客は入っていた
今度は女房殿と来ても良いなと思iながら店を出ると、前に芍薬が植わっていた

この五月五日の端午の節句は十一月三日の明治節と年二回の囲碁対局日である
相手は和歌山のシステム会社の社長、同じ年で二十数年に亘り共に仕事をした朋友
私が還暦過ぎてからボケ防止に囲碁を始めたのを知り、四年目から対局を始めた
昨年の明治節で、ついに八連敗を喫し、まった負けたか八連敗との揶揄に悔し涙の私
敵は十連勝して、完膚なきまで私を叩き伸ばすと高言、私は密かに茶杓、否、竹槍を削る

ところで芍薬の花、「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」とか云われる
意味は、シャクヤクのように風情があり、牡丹のように華麗で、百合のように清楚、とか
確かに、美しさを花に例えるものとて、「何れがアヤメか、カキツバタ」というのもある
いわゆる、日本文化の美意識にある「花鳥風月」への思いの現れであろう

そこで思うことが「月」である、何故に「日」ではないのであろうか、「日の丸」が国旗なのに
成程に「朝日と夕日」は歌にも詠まれ愛されもするが、晴天白日の太陽には意外とソッポ
ヘラクレスを敬愛し、大きなもの強いものにに憧れる欧米の民俗価値観とは違うようだし
また、「大宇宙を統べている上帝」という概念を有する支那人の思考回路とも違うもの
日本人の月への美意識は、満月も新月も三日月も上弦下弦の月も、其々に愛で
いざよい(十六夜)、立待ち、居待ち、寝待ちとか、叢雲の月とか、色々に味わっている

然し、天照大神は全国各所に祀られる存在であるが、月読神を祀るのは数か所
このことは何であろうと、またまた私の気になるところである
女性の見えぬ美しさを称して「夜目、遠目、傘の内」という隠れ美の文化もある
「月」とは、自らが光を放つものではなく、「日」に照らされて映るためであろうか
「日」のような人、「月」のような人、輝く人、照らされる人、色々に思う今日この頃

「美」の対象とされる「花鳥風月」の中、目に見えない「美」が「風」、私は「風翁」だった(^^)
無題
サントリー「C、C、Lemon」、平成六年の発売当時の表示はシーシーレモンであった
コカ・コーラ、ペプシコーラに次ぐ販売量になっている

我ながら、つまらん駄洒落で少々気恥ずかしい
「師と士」の区分に興味を持ったので調べてみたら、「司」もあるらしい
以下、転載

「栄養士」「美容師」「福祉司」など,資格や職業名につく「士・師・司」の使い分けの問題である。使い分けは,それぞれの漢字のもつ意味の異同に基づく。まず,「士」は「成年の男子」「役人」の意味で,転じて「学問や教養のある人」「事を処理する能力のある人」「さむらい」をいい,称号や職業名につけた。
「楽士・騎士・義士・紳士・闘士・武士・弁士・名士・勇士・力士・烈士」

この用い方に由来して,「士」はまた,国家試験等によって取得する,次のような資格の名称にも用いる。
「栄養士・海技士・技術士・技能士・行政書士・建築士・航空士・公認会計士・司法書士・税理士・測量士・土地家屋調査士・不動産鑑定士・弁護士・弁理士・ボイラー技士・理学療法士」

次に,「師」であるが,これは「多くの人々」「いくさ」の意味があり,「師団」「出師」などの語に用いられている。また,転じて「教え導くもの」をいうようになり,次のように接尾語的に用いられて,技術者や専門家を示す。
「技師・教師・講師・牧師・伝導師・仏師・導師・漁師・猟師・講釈師・人形師・能楽師・表具師・宣教師」

このような用い方に由来して,「師」は次のように一定の職業に就く資格の名称に用いられる。
「医師・灸師・歯科医師・獣医師・診療放射線技師・調理師・調律師・鍼師・美容師・薬剤師・理容師・臨床検査技師」
これらも国家試験等で取得できる資格の名称である。その他,訓読語について「占い師・鋳物師・軽業師」などのようにも用いられる。

最後に「司」であるが,字訓の「つかさ」「つかさどる」は,「役所」や「公の仕事を取り扱う人」を意味し,
「行司・宮司・郡司・国司・祭司・斎院司・造酒司」
などの言葉が生まれた。この用い方の延長の職名として,
「児童福祉司・身体障害者福祉司・知的障害者福祉司・保護司」などがある。

いずれも特別の職務の名称であり,前記の「・・・士」「・・・師」とは異なる。
これらのうち「福祉司」は地方公務員,「保護司」は法務大臣から委嘱を受けた民間人である。


そう云えば、「士魂」戦車連隊と呼ばれたのは、池田末男連隊長率いる戦車第十一連隊
終戦後八月十八日に占守島に上陸して来たソ連軍相手に奮戦、彼は壮烈な戦死を遂げた
その「出師」に際しての池田連隊長の言葉は先に記事にした、ちょっと横道話になった・・

http://houan7010.blog.fc2.com/blog-entry-442.html
2015040409110000.jpg
畔道に今年も蓮華草が花をつけた、レンゲと云われるが標準和名はゲンゲ(紫雲英)

私の子供の頃のこの時期は、田圃一面が蓮華の花に覆われていた
ゆでた若芽は食用にもなる、 利尿や解熱など民間薬として利用されることがある
レンゲの花は、良い「みつ源」になり、蜂蜜の源となる蜜源植物として利用された
化学肥料が使われるようになるまでは、緑肥( 草肥:くさごえ)および牛の飼料とした
盆頃に稲刈り前の水田の水を抜いて種を蒔き翌春に花を咲かせていた
これはレンゲ畑と呼ばれ、昭和末頃までの「春の風物詩」として我々世代の脳裏に残る

昨夕は税理士と弁護士と三人で、半世紀の付き合いがある友人の鮨屋に行った
まま、あれこれ銭勘定と訴訟に絡む浮世話の後の一杯という訳である
その鮨屋、このブログに時折サビの聞いたコメントを呉れる二人の老医師とも行く処
そこで、ふと気付いたことがあり、私が税理士と弁護士に語ってみた

「税理士が忙しくて繁盛するのは、世の中が景気がよく民草が幸せの証と思えるが、
弁護士と医師が忙しくて繁盛するのは、世の中に不幸が蔓延している証ですな」
お二人ともウンウンと首肯「ホンマですな」とか、人のエエ税理士と弁護士である
このお二人は信用が出来る御仁と再認識した、それに頭の涼しい人である
以前にも書いたが、あの二人の老医師、これまた善好を絵にしたような人達である
友誼に恵まれたものと、ヒラメのエンペラ(縁側)に箸を延ばす、ヒラメの皇帝ではない

「手に取るな やはり野に置け 蓮華草」は、江戸時代に滝野瓢水が詠んだ俳句
遊女を身請しようとした友人を止めるために詠んだ句である
蓮華(遊女)は野に咲いている(自分のものではない)から美しい
自分のものにしてはその美しさは失われてしまうという意味なそうな
この蓮華草の美しさとは、ひっそりと、楚々とした、可憐な美しさを云うのであろう
蓮華草の様な医師、弁護士、税理士が多い日本は良い国である、坊さんは論外、

ところで、「師」と「士」の違いは何なのかな、後で調べよう


2015.04.15 ここだけの話
2015041408140001.jpg
ご近所の玄関先で「青・黄・赤」のチューリップが咲いている、春爛漫である

広島からの帰路、大阪駅で環状線に乗り換えようとした際のエスカレーター
「片側」をお空け下さいと放送されているが、左右両方に人が立ち、共に動かない
我れ関せず、ワシはワシ流と云うか、自己主張(我がの勝手)の強い大阪人気質
大阪の街の信号事情は「青は進め、黄は注意して進め、赤は左右よく見て進め」
因みに、ここだけの話、世界の「青・黄・赤」の信号が大阪発と皆さんご存知であろうか

前述の通り、大阪の街は「我がの勝手」の交通スタイルが常態で、混雑もしばしば
そこで、大阪の交通局が考え出した苦肉の策が「青・黄・赤」の信号であった
大阪人の諧謔と機智が良く表されている「青・黄・赤」の信号、その心は
「アホ、キィつけんな、アカンでぇ」、ここだけの話、他言無用とされ度・・

またまた、サル御仁(今回は「門前の猿」とか名乗られる)からコメントが寄せられた
諧謔と機智に富むお話故、掲載させてもらう

御宗家の短冊に「養気三猿」と見た猿は、言わ猿をえずして、聞か猿ご当主に言上。猿と申せば秀吉・日吉丸、日吉は日枝の山王の猿と世間に伝わる。山王の高僧は三猿ならぬ三諦を説く。三諦とは仮・空・中、曰く「三諦即一」と。難しご猿が、上田宗箇の死様はここに到ったが如し。その激しい生涯、猿に見出され世に出るも、終には猿家に一槍の巡り合せ。ようやく安住の時には気が滅入って当然。気の残量が底を着き、並の猿ならそこで終焉。並々ならぬ武将の養気の法とは何であったか?参禅、山籠、学問、遊興、散財・・はて、茶の湯?


・・「その激しい生涯、猿に見出され世に出るも」
宗箇は秀吉猿の正室・ねねの従妹を猿の仲人で貰い受ける
豊臣一族となった証として与えられた桐の御紋、それが後日「桐葉菓」の印となるとは
宗箇様は夢にも思わザル話であったろうと、つい慮るところでゴザル
2015.04.14 入門願い
2015041408110000.jpg
広島駅で買うた宮島やまだ屋の「桐葉菓・とうようか」、つまり五三の桐紋を使う
やまだ屋の社長は当流・上田宗箇流の門弟である、紋使用には宗家承認がある

昨日は塾生三人と広島を訪れ、宗家に入門願いを持参し許可を受けた
他流では入門届と入門金を出せは即入門と云うところが多いようだが、当流は違う
当流の入門許可はすぐには出ず、初歩的な知識や所作・平点前が出来てからである
つまり、一年程度の基本稽古を終えてから各教授者の推薦を受けて入門願いを出す
入門予定の塾生三名(もう一人は家業のことで書類だけ)は羽織袴姿で参上した

当初の話で、入門予定塾生の一人が御宗家の御前で点前所作を検分頂くことになった
生憎と云うか、その日は直門の稽古日と重なったため、直門弟子衆目の中での披露となる
静まり返る御宗家臨席の茶室、襖が開き向うに我が塾生居坐っている、ああっと我が胸は高鳴る
塾生が入ろうとした早々、御宗家の声「坐りが逆」、部屋の入り口が我が家と逆だった(涙)
塾生は坐り直し、部屋に入って点前座へ向かって進む、静寂の中で動くのは直門衆の目玉

点前が始まると私は我慢が出来なくなり、「それ違うやろ、もっとこっちや」、つい声が出た
まま、何とか終えることが出来、私は胸を撫で下ろす、武者点前が幸いしたのだ(^^)
直門衆の半分以上は女子衆、安座で行なう武者点前を知る人は少なく見た人は居ない
御宗家も安坐点前の云々に言及されて、直門衆の興味がそっちの方に行った為である
そんなこんなで、宗家を後にした我々は、私の先輩宅に行き着替えて、お好み焼き屋へ
広島焼きである、関西に昔あった「一銭洋食」を進化させた様なものだが、それなりに旨い
そのため用に作られた「おたふくお好みソース」は今や全国版の知名度があるようだ

新幹線駅で当流御縁の「桐葉菓」と芋焼酎一本、それに紙コップと水を持って乗り込む
席を四人向い合わせにして、先ずは乾杯、それからあれこれと苦言・言い訳に花が咲く
焼酎が空いたところで新大阪着、在来線から近鉄に乗り換え奈良へ向かう
話の流れで、西大寺駅界隈で飲み直すことになる、その飲み屋の閉店時まで飲み、帰宅
女房殿に「桐葉菓」を差し出し、そのまま寝床に入る、今朝はゆっくり起きた
2015.04.13 証拠ブログ
2015041215150000.jpg
白花の山吹と木苺の枝葉、共にバラ科、昨日の茶事稽古の花だ
黄色の山吹はよく見るが、白花の山吹も可憐な味わいがある
その日の亭主役が、日頃の人柄を見直すような「楚々」とした花を入れた

昨日の日曜日は、茶飯釜とつくね鍋の茶事稽古をした
亭主役のご夫婦は鶏とエビの真薯(しんじょ)の煮物を持参
正客役のご夫婦は青身魚と胡瓜や人参の千切りの甘酢和えを持参
菓子は知り合いの有楽流茶人の菓子屋さんに「春日・火打ち焼」を頼んだ
茶事稽古補佐に卒塾者ご夫婦が茶花各種を持参して来て頂いた、

私は茶飯釜に使う「水漬け米」とつくね汁の焼きネギと大和地鶏の片栗団子
それと、焼物用に殻付ホタテ貝柱を用意、そして汁鍋の出汁を引いた
その日は月曜組が茶飯釜茶事の稽古見学ということで朝から来訪
稽古前に狭い露地掃除と落葉捨てをやってくれ、共済茶事の観になった

茶飯釜の炭形は火が熾る種炭の周りをサークルストーン状に炭を継ぎ足す
沸き起こった釜湯の中に、晒しに包んだ洗い米をザァーツと落とし込む
ゴボゴボと釜湯が騒ぎ静まる、平たい杓文字で米を均し、少し湯量を加減する
飯が炊きあがるまで、空っぽの飯碗と汁椀それに向う付の膳と酒を出す
月曜組は折敷膳の受け渡しの稽古をし、亭主役夫婦は酒を出して勧める
女性用にチョーヤの梅ワインも用意し、ガラスの酒器でグラスに注いで回る

飯が煮立って来ので見ると蓋が少し空いている、「赤子泣いても蓋とるな」と閉める
炊き上がった茶飯釜を下し、鉄鍋を鎖に吊るし、煮立ってところでつくねと焼きネギ
汁がクツクツと煮える様は目と鼻と耳から感じ取れる、そして蒸れた釜飯を椀によそう
汁椀につくねと焼きネギを取り汁を注ぐ、ここで卒塾者ご夫婦が思い掛けないことを
「私達の時には茶飯釜を見たことも食べたことも無かった」、私「うん、それはない」

「2013年、卒塾茶飯釜茶事」のブログがあった、ここに証拠を添付する次第

http://houan7010.blog.fc2.com/blog-entry-20.html
2015.04.12 養気三猿
2015041015560000.jpg
「養気三猿」当代宗家の短冊、先の稽古で床に掛け、「提灯百合」を置いた

「三猿の気を養う」、ということのそうな
三猿とは、見ザル・聞かザル・云わザル、つまり「あれこれ余計な関心を持つな」
よって「養気三猿」とは、余計な関心を持たずに己の本義に打ち込む気を養うこと
まま、そうであろう、猿には気の毒なことながら、礼記・大学の話と比べると面白い
心焉(ここ)に在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえども其の味を知らず

私は猿にも心はあると思っている、ただ喰らうことは出来ても、云うことは元々出来ない
故に「見ザル・聞かザル・食わザル」が正しいのであろうが(違うかな)、食わザルでは死ぬる
偉い坊さんも「生」には未練タラタラ、そこで食わザルが云わザルになったのなら、猿も迷惑

六千万年余り前と云われる恐竜絶滅の後、森林の樹上で生活圏を確立した霊長類
その霊長類が、猿とヒトに分化したのは六・七百万年前、木から降りた猿人であったそうな
二十数万年に現れたという現生人は「言語」を持った、つまり「しゃべる・云うサル」になった
アカン、また気が散り云わザルことを書いている、反省
うん?、反省なら猿でも出来るか・・

2015040715490000.jpg
提灯百合(ちょうちんゆり)、1851年にアフリカ南部で発見された花だとか
発見者サンダーソンの名に因み、サンダーソニアと呼ばれる、花言葉「意地っ張り・望郷」

報道によると、アラビア半島南部の国イエメンで「決意の嵐」という軍事行動が始まったようだ
イスラム教シーア派系武装組織「フーシ派」の軍事基地やミサイル拠点に対しての空爆
決意の嵐とは、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、クウェート、バーレーン、カタール、ヨルダン、モロッコ、スーダン、エジプトに加えて、サウジアラビアの十カ国、曰くスンニ派の国々

イエメンとアフリカ大陸の間にある紅海の最狭部、バル・エル・マンデブ海峡のこと
ホモ・サピエンス(現生人)の「出アフリカ」と云われている世界人類の出発の地である
海峡幅三〇キロのその海峡は「涙の門」「悲しみの門」という航海の難所とされる
海峡の幅が狭くて間に島や岩礁があり、船の難破が多いためである
氷河期には海峡の幅はもっと狭く十キロ程か、それ以下になっていたということだ
氷河期の七万年位前、百人余りの集団がその海峡をアフリカからイエメンの地に渡った
その集団こそ、ユーラシアから豪州・南北アメリカ・各島々等、世界に拡がった我々の祖先

その頃のアラビア半島、中北部は今と同じく人の住めない大砂漠地帯であった
しかし、半島南部は海岸線も広がったインド洋のモンスーン地帯で湿潤な緑地帯だった
淡水のオアシスも点々と続き、出アフリカを果たした人達は救われた思いがしたであろう
当時、東アフリカは大干ばつで、北アフリカからシナイ半島、アラビア北部は砂漠の地
二十万年位前に東アフリカに出現した現生人は、この時に西か南へ、ごく一部が海へ出た
目で見える所とは云え、女房・子供と一族を連れ海を渡るのは不安と恐れが伴ったであろう
七万年前に限らず、いつの世でもボートピープルとなるのは弱者であると歴史が示すところ

海岸沿いにインド半島西側まで来た現生人は、そこに落ち着き、そして西、東、北へと向かう
それは面白い遺伝子データによって、そのことが裏付けられると報告されている
母から娘に遺伝するものにミトコンドリア遺伝子と云うものがあり、各地で調査された
その遺伝子のハプロタイプ(半数体の遺伝子型)という区分方法があるそうだ
そのタイプ区分によると、アフリカ限定のニ種以外は全ての現生人女性に広がっている
つまり、インド西部に辿り着いた女性がアフリカ以外の母系祖先となったということ

男性には父親から息子へ遺伝するY染色体遺伝子にハプロタイプがあり、興味深い
つまり、そこから人類の移動というか、征服経路が読み取れるということである
まあ、有態に云うと、征服者は征服地の女性に自分の遺伝子を残すということ
Y染色体の型はAからRまでの各種と更にその亜種と分かれて系統付けられている
ミトコンドリア遺伝子と同じく「出アフリカ」を示し、AとBはアフリカだけにしかない

C型は全世界で見られるが東南アジアや太平洋、満蒙からアメリカ原住民に多い
N型はシベリア・フィンランド、O型は漢族、O型の亜種は朝鮮族や雲南・南支那に多い
R型は欧州に多く、欧州人には旧人・ネアンデルタール人の遺伝子を受け取った跡が残る

面白いのはDE型の分布で、アフリカのDEとは、出アフリカ後のリターン組と考えられている
E型は地中海沿岸の中近東から北アフリカ、D型は古い遺伝子型とされ、チベットと日本に分布
D1型はチベット族(ブータン含む)、D2型は日本本土・琉球・アイヌ、日本列島のみの型
D*型はインド洋のアンダマン群島、そしてDEの祖型DE*はナイジェリアに見られるという

イエメン・人類出アフリカの地に空爆という報道で、つい人類・日本人のあれこれを思った次第
アフリカ原産の「提灯百合」の花言葉が「望郷」とは、ぼちぼち帰ろかな
また長くなった・・

2015.04.10 木地の炉縁
2015041007050000.jpg
炉縁を木地にした吊り釜

実は、昨日の写真を見て炉縁が黒塗りだったことに気付いたので炉縁を替えた
当流の古文書に、春の広間の炉縁は黒塗りでなく木地とあるのを失念していた
早速、今朝に炉縁を取り換え、沢栗の炉縁にしてこの写真の撮った
数寄屋(小間茶室)の炉縁は木地で、黒塗りや真塗りの炉縁は使わない

写真の炉縁は、私がニスをひと塗りしたものである(余計なこと)
そうした方が汚れも付き難く拭き易いという、私の浅知恵の為したるもの
それも「ニス」という中学校の工作の時間に得た知識のままで為したもの
この沢栗を銘木屋で入手し、炉縁を作ってくれた幼なじみの大工はニスに唖然
幼なじみ曰く、「沢栗は木地のままが味、せめて柿渋のひと塗りなら」と渋顔

まま、昔の話、ヘチマハチマのカバチは臆病者の云い訳になるので止める
それにしても、つまらんことをしてしもうたもの・・
2015.04.09 吊り釜稽古

2015040907350000.jpg

鎖に吊るした茶飯釜

昨日の稽古は鎖釜、鎖鎌の稽古は後日とする
当流の四月の炉は五徳を使わずに吊るした鎖に釜を掛ける
鎖を吊るすのは原則として広間であり、数寄屋(小間)ではしない
数寄屋には中柱があるのが一般的なので、中柱と鎖が並ぶと煩わしい
広間の鎖はスッキリして良いが、自在を吊るすのも鄙びた味わいがある

茶飯釜は飯も炊き、釜縁の焦げ飯で粥も炊く、そして湯を沸して茶を点てる
当流では茶飯釜を使う人は少ないが、私は好きである
茶飯釜の飯を食べる時に南部鉄鍋を吊り、カモとネギを煮るのがこれまた一興
よく酒が進み、後の茶がよく効く、茶事とは宴会の変形と知ること肝要
茶に、ヘチマハチマのカバチ(小理屈・能書きと云う意味の広島弁)無用
そう云えば、ヘチマは知っているがハチマは知らない、食べられるのかな
1390px-Flag_of_Palau_svg.png
パラオ共和国の国旗、日本の「日の丸」に似ている

私は二十歳過ぎの頃、南洋材を運搬する貨物船に乗っていた
ボルネオ島やセレベス島に向かう航路であったが、通信長の行為が印象に残る
五十歳位のその通信長は温厚で人当たりも良く、何かしらの風格があった
部屋には何時も果物が置いてあったが、余り食べずに腐りかけては捨てておられた
私が聞くと、「香りが好きで楽しんでいる」という答えであった

フィリピン沖を過ぎた辺りで、通信長はデッキ出て日本酒を海に撒(ま)いておられた
私は勿体ないことをと思い見ていると、通信長は洋上の先を見つめて私に云われた
「あの向こうにパラオ諸島のペリリュー島と云う島があり、多くの日本兵が死んでいる」
私はパラオ諸島の名は知っていたが、ペリリュー島の名はその時初めて知った

一万余の日本軍守備隊が、四万を超える米軍相手に二か月以上戦い、全滅した島
制空・制海権を奪われ、武器弾薬・食糧も水もままならない中の凄惨な戦いだったとか

 サクラ サクラ ワガシユウダンノケントウヲイノル ワレクノゴチヨウ 
ペリリュー島守備隊通信兵・久野伍長の打ったパラオ集団司令部宛最後の電文
「サクラ サクラ」とは、これより軍旗を焼き最後の突撃をするという暗号文であった
受電したパラオ集団司令部の七名の通信兵全員が泣き崩れたという
私が乗った木材貨物船の通信長、もしかすると・・

本日、天皇皇后両陛下がパラオ共和国ご訪問、ペリリュー島へ慰霊に向かわれる

https://www.youtube.com/watch?v=sQ4T6dmm-k4
2015.04.07 サクラチル
2015040607590000.jpg
秋篠川の土手は桜の花びらが舞い散っていた、柴犬「ハナ」も大和心を持っている様子
昭和四十年頃まで受験の合否を知らせてくれるのは電報であった、「サクラチル」涙・・

この桜は「染井吉野・ソメイヨシノ」、今や桜の定番になっているが奈良には似合わない
花の名所・吉野山の桜は「山桜・ヤマザクラ」、奈良の都は「八重桜・ヤエザクラ」である
「染井吉野」は桜の「ラバ」、いわゆる「雑種強勢」の生物であって自己増殖は出来ない
種を取って増やすことが出来ないので、接ぎ木で一本づつ増やしてきたというという代物である
日本全体で二百万本はあるとされているが、最初の一本の桜木からのクローン生物という話だ
原木はエドヒガン系の桜とオオシマザクラの交配で生まれたと考えられる日本産の「園芸品種」

原木の生まれは幕末の江戸は染井村で、園芸業者の間で「吉野桜」と云われて拡がって行った
ところが上野の桜、将軍吉宗が大和吉野から移した本物の吉野桜(山桜)と混乱を来した
そこで明治三十三年に、染井村の桜を「染井村の吉野桜」端折って「染井吉野」としたと云う
従って、古来より日本人に親しまれて来た「桜」とは一線を画して花見観賞をされたし

「敷島の 大和心を 人問わば 朝日に匂う 山桜ばな」とは本居宣長の歌
最初の神風(しんぷう)特別攻撃隊は、「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」であった
昭和二十年四月七日一四時二〇分頃、鹿児島南西沖で水上特攻・戦艦大和沈没
この水上特攻の戦没者は他艦も合わせ三七二一人、特攻戦没者数の半数を超える
因みに、四月七日は私の誕生日でもあるが、毎年やや辛い気分

2015040520120000.jpg
小中学校同級の友人が持って来てくれた蓬(よもぎ)餅
草餅とも云われる、上の半月型三つは餡入りで下の丸形は餡なし

同級生の彼は親から受け継いだ家の行事を家族と共に大切に守っている
毎月十九日に稲荷寿し、暮の餅、月見の団子と、そして春は草餅を一家で作り、親族知人に配る
彼の家の前にある「村の地蔵」の祠への燈明や掃除も家族で定期的に行っている
今回は吉野の酒と一緒に持って来てくれた、まま一口だけ味見して茶事稽古にとっておこう
美味かったが我慢のこころ、幼なじみの家代々の蓬餅を吉野の酒でいただく、至福

七十年前の本日、四月六日十五時二十分、山口県徳山沖から戦艦大和が特攻出撃
同行する艦艇は軽巡洋艦矢矧、駆逐艦冬月・涼月・磯風・浜風・雪風・朝霜・霞・初霜、計十隻
出撃に先立ち、司令長官・伊藤整一中将は老兵・病兵、及び新任官は下船させた

米軍の制空権下における航空援護なき水上部隊の特攻など失敗に終わることは目に見えていた
沖縄軍司令官牛島満中将は、海上特攻実行と陸軍総攻撃を求める機密電報を投げ捨てたという
米内光政海軍大臣は「成功したら奇蹟だ」と述べるが海軍軍令部参謀神大佐の答えは
「戦わずに沈められるより、戦って沈んだ方が良い」、神は艦隊参謀としての乗艦を求める
高田連合艦隊参謀副長の言「大和を特攻に使わないまま戦争に負けたら、次の日本は作れない」

その是非、その判断への言及は虚しい、答えは「今の日本」であろう
2015040411450000.jpg
近所の庭で見る紅白の桜(?)、源平桜というらしいが「桃の花」の一種とか

中共が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)の参加表明国が四十五か国になったとか
アジアだけでなく南米の国や欧州各国、豪州も参加、むしろ日米だけが不参加という状況
確かに、世界銀行やアジア開発銀行(AIB)があるのに何故、という日米の意見は正論
まして、中共の意向が強く反映されることや運営の不透明さにも懸念が持たれている
しかし、中共は外貨保有の最大国で資金を持つ、インフラ投資のビジネスチャンスを生まれる
そのことが、中共の決める参加期限に世界各国が雪崩をうって参加表明をしたということ
中華復権を唱える中共の姿勢に、支那帝国の朝貢外交、冊封・覇権政治が見て取れる

孤立化する日本の態度はどうするのか、国際連盟脱退の松岡洋右の言葉が思い起こされる
松岡の信条は「たとえ脅かされても、自分の立場が正しい場合には、道を譲ったりしてはならない
そして対等な立場を欲するものは、対等な立場で望まなければならない」とするものであった
昭和八年二月、リットン報告の賛成42、反対1、棄権1の決議に日本代表団は議場から退場
反対1は日本、決議棄権1はシャム(タイ)、「孤立」した日本は三月に国際連盟に脱退を通告
昭和八年十月には、ヒトラーのドイツが国際連盟と軍縮会議から脱退、ヴェルサイユ体制打破

ここから、日本の先の大戦への道のりが始まったとされているが、私は思うことがある
国際連盟脱退の流れと今回の「AIIB」不参加の流れででみる、「孤立・孤独・孤高」
「孤立」とは、仲間が居ない、或いは離れていった「ひとりぼっち」、辛い状況
「孤独」とは、仲間が欲しい、仲間を求めるが居ない「ひとりぼっち」、寂しい状況
「孤高」とは、仲間を求めない、意志ある「ひとりぼっち」、主体のある状況

「孤独」から「孤立」へ向かうことはあっても、「孤立」から「孤独」へ向かうことはない
「孤高」は、自ら内在する不安に打ち勝った状態であり、「孤立」「孤独」の域外にある
つまり、「孤立」は不安に負けて心を閉ざした状態で、[孤独」は岐路に居る状態であろう
こうしてみると、暴発的衝動的な、危険な行動に出るのは「孤立感」によるものと云える

先の日本の選択肢の間違いは日英同盟を放棄したこと、頼りになる仲間を失ったことだ
AIIBでの今これからの選択肢、日米同盟を基幹にするのが正しい選択だと私は思う
支那中共との付き合いには、まずはご用心、「孤高」が日本の道、武士の高楊枝である
「孤高」からの「孤独」は思考と才覚、雅味を磨くものである、皆で「武家茶」をやるのも一興

因みに、大正八年パリ講和会議の国際連盟委員会において、日本は人種的差別撤廃を提案
然し、イギリス帝国の自治領であったオーストラリアやアメリカ合衆国上院が強硬に反対し
議長であったウッドロウ・ウィルソン・アメリカ合衆国大統領の裁定で否決された
国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界で最初であった
アメリカはんも所詮はその辺、日本は腹を据えて「孤高」から「勁雅・清冽」の道を求めよう

人生、人も道も似たような話、周りの花が白であれ赤であれ、自分の花は自分の色
2015.04.04 三輪車不調
2015033011020000.jpg
車番が写っているが車屋さんのトラック、積まれているのが私の電動三輪車
先週の土曜日のこと、三輪車にまたがって出掛けようとしたところ、感触がおかしい
降りて見ると、後輪の一本が空気が抜けていた、そのまま押して家まで帰った
空気を入れてみたがすぐに抜けた、タイヤにヒビが入っているのでパンクと思い
馴染みの車屋さんに来てもらい診てもらうと、空気注入口の「虫ゴム」が傷んでいた

乗って一年位の自転車としては考えられんとの車屋さんの談
メーカーはパナソニックである、いわば名の知れた大企業(低迷しているが)
早速連絡を取ると、アッサリ認めてタイヤとチューブを前後三輪を送ると云う
やはり、思い当たる節があったのであろうと思っていると水曜日に届いた
車屋さんに来てもらい三輪車と共に持って行ってもらった

しばらく、買い物に不自由となり、冷蔵庫の中はほぼ空っぽとなる
金曜日にタイヤ交換をした三輪車が戻って来てヤレヤレと思った次第
車屋さんの話では、タイヤはインドネシア製、チューブはパナソニック製だったとか
それにしても、一年位で痛むとは、長らく展示車になっていたものだろうと云う話
一般的でない電動三輪車、販売店も素直に対応したところがアヤシイ

自転車に乗り出して気になるのが道のどちら、つまり右側か左側かを迷う
そして、広い歩道がある場合にも、車道を走らねばならないのかどうかも迷う
まま、前後左右を見渡して、その時の判断で乗っているが何も言われたことはない

右左の話で、またヤヤコシイ話が出て来ている、大阪での住民投票のこと
エスカレーターの立ち位置を東京同様に左立ちにするかどうかの話である
橋下市長が東京五輪に来る外人さんの混乱を避けるために提案したとかである
ア・ホ・ラ・シ、大阪都とは、エスカレーターを左立ちにすることか・・
奈良は日本唯一のエスカレーター右立ち地域となっても、伝統を守ること肝要
2015.04.03 酒・酒・酒
2015033017270000.jpg
遅れ気味だった秋篠川があっという間に満開になった、明日から雨予想、命は儚い

忘れていたが、七〇年前の四月一日は、米軍か沖縄本島に上陸を開始した日であった
新聞に海軍予備学生として神風特攻に出撃、戦死された方の日誌の記事があり気付た
二年余りの日誌は大学ノート八冊に及ぶ、その中に「茶道」への一文があり紹介されている
キーボードながら書き写すと伝わるものがあった、ここは「茶」のブログ、その一文を記載する
東京農大・森丘哲史郎海軍少尉、昭和二十年四月二十三日、西南海域で敵艦へ特攻を敢行
富山県出身、享年二十三歳、ご両親ご兄弟姉妹あり


角あらば人間生き苦し、角無きを尊ぶは茶道なり、
・・(略)・・
茶室の櫨(ろ)にたぎる茶釜の湯気こそ美しく、その音こそ美味なり、
静かに点つる小さな茶碗、緑にも有らず白にもあらず、
古めかしき茶器もまたよくかな。
来りて坐する人々、皆美しき心の主にして静けさを愛する自然人なり。
・・(略)・・
お茶は若き戦斗(せんとう)機乗りには良かものなり。


写真で見る日誌には「酒・酒・酒」と大きな字で書きなぐられていた
私も夕べは「日本酒の会」で、酒・酒・酒であった、英霊に申し訳がない、長生きは罪
2015.04.02 実もある山吹
2015033017300000.jpg
一重の山吹(ヤマブキ)、バラ科、近所の家と裏の林の間に生えていて去年も撮影した
「七重八重 花は咲けども山吹の みの一つだに無きぞ悲しき」、有名は太田道灌の歌
そこで勘違いをされている方も多いが、一重の山吹には実が付く、これも去年に書いた

今朝の産経新聞一面のトップ記事を見て唖然とした
「奈良教育大学付属中・卒業入学式、君が代斉唱せず・十数年」
国立奈良教育大、前の奈良学芸大学、その昔は奈良師範学校である
我々は「学大付中」といっていた中学校で、私の生家歩いて十分少々のところにある
入学試験があり、定員の二倍を合格させた後、抽選で半数落とすという方法である
私は試験に受かったが抽選に外れた、何となく釈然とせず校門を去った記憶が残る

「国立教育大」と云えば国・文部省の教員養成機関、その付属中学の入学・卒業式
約七百人程度参加した式典で、君が代の曲に起立したのは七人であったという
大学長、校長、副校長、生徒二人、父兄二人の七人、恐らく生徒と父兄は親子であろう
この生徒・親御の毅然とした態度は、何よりの親の「教育」を示したものだと思う
「教育」大学の学長と付属中学の校長・副校長は、「教育」とはどういうものと考えているのか

確かに、高校で一緒になったはこの付属中学出身者は、軟弱者が多かった気がする
つまり、「集団的自衛権」が理解出来ず、他校との闘争に加わることがなかった
そのくせ、デートしているところを他校の生徒に絡まれ、カツアゲされて仲良く泣いていた
そんな彼等であったが、私達はカツアゲした相手校に行き、そこに居る中学同級生の協力を得
カツアゲした連中をツルシ上げて、少し多目の金銭を取り返してやった想い出が蘇った

因みに、学芸・教育大学は昔の師範学校だが、格上の学校として四つの高等師範学校があった
東京高等師範学校、広島高等師範学校、御茶ノ水女子高等師範学校、奈良女子高等師範学校
今の筑波大学、広島大学、御茶ノ水女子大学、奈良女子大学である
依って、奈良では奈良学芸(教育)大学は奈良女子大学に頭が上がらないでいた、女に弱い

教育とは「国家百年の計」である、大阪の市立府立高校での橋下・松井首長の主張は正論
安倍首相のいう教育改革政策の方向も私は是認する、というよりまだ甘いと心得る
先の大戦の負の遺産とは「日教組」である、それこそ「敗戦」の「憂き身堂」だと思う

華やかな七重八重の山吹には「実」が付かない、素朴な一重の山吹には「実」が付く
まま、太田道灌はんは如何思われるや、同感じゃろうて
2015.04.01 「ワッサン」
1txt_05.jpg
竹鶴リタの墓石の裏面、「マッサン」最終回のエリーの墓石はこれを真似たようだ
前のブログで、竹鶴リタの墓は漢字縦文字だと云ったが、裏面は英文横文字であった
IN LOVING MEMORY OF RITA TAKETSURU 、マッサンは泣かせる男だ

今日は四月一日、新学年の始まり故にブログの背景も変えてみた
奈良公園・飛火野の脇にある「浮見堂」、「憂き身堂」ではない、念の為
エイプリルフールではないが、四月一日生まれは早生まれの学年になるという
この前の稽古で四月一日生まれの塾生から聞いたのだが、私は初めて知った
その塾生決してフール、バカではない、優秀なエリート銀行マンであった、念の為
(お誕生日、おめでとうございます、墓石へまた一歩近付きました)

「マッサン」記事でコメントを頂いた、内容が面白く興味深いので公開したい
(問題はないであろう)

>マッサンが竹鶴なら、「ワッサン」はジョージ・ワシントン、ご存じ、合衆国初代大統領。このワッサン、大統領任期の終る頃には、自宅の周囲(マウントバーノン)でウィスキー造りを始めたらしく、当時、米国では最大級の蒸留所だったという。就任中に「ウィスキー増税」を課し、ウィスキー事業者の武装抵抗まで起こしながらよくもまぁ・・と日本人なら、その神経に愕然とする。正直者とは己の欲にも正直なのか? 反乱した零細ウィスキー事業者も己の怒りに正直で断固として納税は拒否。ボブ・ディランの歌の一節にもMy daddy he made whiskey, my granddaddy he did too We ain't paid no whiskey tax since 1792(copper kettle)。1814年に焼失したワッサンの蒸留所は2007年に再建され昔ながらの製法で作られたウィスキーが売り出されたと経済誌に。ライ麦60%、とうもろこし35%、大麦麦芽5%なのでドライで甘くない。「あたり前じゃ、甘いわきゃぁない、その苦味はの、黒人の涙でがんす」<

因みに、黒人奴隷解放の父・エイブラハム・リンカーン大統領、元はウヰスキーの販売人だった