2015.06.30 関守石
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昨日の月曜組稽古では、関守石(せきもりいし)を作った
上の写真は常の置き方、下の写真は裏側、お尻の紐の状態

 関守石とは、茶庭や路(露)地の飛び石や延段の岐路に据えられる石
蕨(わらび)縄や棕櫚(しゅろ)縄で十文 字に結んである小石のこと
茶事作法で、この石が置かれた場合は「これより中に入ることは遠慮されたし」の意
いわば、勿来(なこそ)の関の守ということであろう、と私はその名を楽しんでいる
関守石の形としては、径四・五寸ぐらいの底の安定の良い小石に棕櫚縄か蕨 縄で十字に結び
にぎり部分の紐組みをして持ち運びできるようにするのだが、多くは造園屋の庭師が作っている

関守石の作り方と云うても、紐の結び方だけのこと、基本は男結びと井桁結びである
庭師は、井桁結びを組み上げて紐の背を高くして、上の紐端もきちと処理する
形の見栄えの良い関守石が、商品の「一般的な関守石」として販売されている
茶人が自分で作る関守石は石に紐を十字に掛け、男結びに処理するだけ充分と私は思う
まま、昨日は神社宮司や伝統窯の後継ぎの塾生が来たので庭師風の関守石を作ってみた

棕櫚縄の取り置きがあったので、それで作ろうとしたが針金入りの丈夫で固い紐であった
ナカナカ曲げにくく細かい結びが難しく、我ながら少々不出来と云い訳をノタマイ垂れる
やはり、蕨縄が一番扱い易いので、次回はそうしようと思った次第
関守石は、止め石、留め石、関石(せきいし)、極石(きめいし)、踏止石(ふみとめいし)とも呼ぶ

尖閣諸島や小笠原諸島の領海沖に、大きな関守石の模型を浮かべて置くというのは如何か
まま、支那の漁民や海上民兵は、茶の湯の礼儀作法というか忖度の心の持ち合わせぬわな
輩への正しき対処とは鎧袖一触の方策しか無かろう、ハッキり勿来(な・こ・そ)の旗を揚げて
南支那海周辺諸国にも日本政府から巨大関守石を提供するという援助策は如何であろうか
巨大関守石の中には、近代倭寇が潜む・・





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2015.06.26 米国上院
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伊賀越えの行きしなは西大寺駅から八木駅乗り換え無しの直行特急を予約して乗った
特急列車の通路幅は台車より狭く、私はデッキで立ったまま「ハナ」と居た、特急券の持ち腐れ
帰途の電車は急行列車にして、車内にハナの台車と共に乗り込み座席に着いた、ハナも満足げ

早朝にブログを書き込んだ後、今日の新聞を見てブログの追加を記しておきたくなった
それは、米国上院で大統領に一括交渉権を認めるTPA法案を可決したことである
私はこれには舌を巻いた、民主党政府の大統領に権限を付与する共和党の提議である
そのことへの反対者は民主党である、まさに三権分立の面目躍如というか議会制度の本分
日本が日米戦争に負けたのは、兵隊の差ではなく社会の熟成度の差であったと痛感する
今日の日本の民主党議員の質問、まさにマッカーサーが十二歳レベルと評したガキそのもの

安保法制の是非という日本国存立の根源論にも真っ当な討議が出来ない今の日本の国会
比べて、米国上院では日本の核武装議論が始まるという、その内容とは
「日本は責任ある大国として核ミサイルを保有すべきだ」という話だそうだ、全く脱帽である
国の議会、国会議員とは何を思考し何を語るか、日本国民のレベルそのものが問われる
国会議員とは地方や特定団体の利益代表でもなければ、自分の選挙民の御用聞きでもない
日本の将来に向けての国策を考え、衆議する賢者達であるべし、と私はそう思う
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愛犬「ハナ」をゲージに入れて台車に積み、近鉄線で伊賀越えをする
小屋は草に覆われていたが中は無事、ハナは早速に出たり入ったり忙しない
女房殿の紫陽花は今年は不調であった、どうも昨年の剪定がマズかったようだ

ここの良さは蚊が居ないことと森林浴ともいえる空気である、女房殿は爆睡する
夜には鹿の鳴き声が物悲しく聞こえて来る、日中に近くを通り過ぎることもある
四泊したが、夜の空は三日月(みかづき)から上弦(じょうげん)の月に移り行く
「月も雲間のなきは嫌にて候 」というものの、昨晩は大雨となり夜空が見えなかった

朝には「テッペンカケタカ」「トウキョウトッキョキョカキョク」の不如帰(ほととぎす)
「ホウホケキョ、ケキョケキョ」と鶯(うぐいす)の鳴き声も加わり、楽しませてくれる
つい、柄にもなく「花鳥風月」という意味合いを考えてしまった
「花」は目にする色彩の形、「鳥」は耳にする音の楽しみ、「風」は鼻に匂ぐ気の流れ
そして、「月」は闇を灯す仄かな光、それらが人生のノスタルジアを織り成すということだろう

新聞が無いのでテレビニュースを見て居たが、専ら「なでしこジャパン」と沖縄戦のこと
「なでしこ」はハラハラしたが嬉しい勝利、沖縄のことでは胸が痛んだ話と唖然とした話
胸が痛んだのは、七十七歳になる男性遺族の懐古話で、その時は七歳であった
壕に逃れる時、母親が「この子たちは大丈夫ですから」と云ってその男性と上の子を入れた
そして母親は「置いて来ます」と云って、九か月の妹と三歳の弟を連れて壕から出て行った

母親は一度戻ったが、三歳の弟が「お母ちゃん」と泣き乍ら母親を探す声が聞えたとか
母親は弟の声がする方へ出て行き、暫らくしてから一人で壕に戻って来たという
その後の弟と妹がどうなった分らないで今に至っていると、涙を滲ませてその男性は語る
私の孫は八か月と二歳半である、その話の母親は未だ二十代が三十歳前後であったろう
その母親の心情というか、その思いたるや如何ばかりか察するに余りあり、胸が痛んだ

沖縄慰霊祭で献花する安倍首相に罵声を浴びせる民衆、その無節操を是とする輩達の姿
私は何と云うか、これまでの日本人の感性には見られない光景に違和感を持った
稲嶺進名護市長の「沖縄は日本の植民地」云々の発言は沖縄の韓国化を表すことなのか
翁長沖縄知事はかつて自民党県連幹事長、県議時代は辺野古移設推進決議案を可決させた
那覇市長であったときには辺野古移設に賛成していた自民党の沖縄県支部長であった人物

その変節ぶりは、橋下維新の全面支援を受けて当選しながら、変節した竹山堺市長と重なる
竹山は与野党が相乗りの前職の木原敬介市長を批判し当選したが、次の堺市長選では一転
自由民主党大阪府連や民主党の支援を乞い再選を果たす、橋下維新には旧恩を仇で返す
信条とは人其々にあって良しとするが、裏切りや背信、人を利用する心根を私は不快とする



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近所の田圃、すっかり田植えが終わり、残った苗がそのまま置かれている

毎年のことながら、この時期に不思議に思うことがある
田水が張られて田植えが終わり、しばらくすると蛙の鳴き声が聞えて来る
どこから出て来るのか、それまで何処に隠れていたのか何時も考えてしまう
最近の田圃には、ドジョウやタニシ、ゲンゴロウ・ミズスマシを見掛けなくなった
それだけに、蛙の声が聞えるとホッとするというか、郷愁に似たものを感じる

以前は、秋篠川の川原で小さなヘイケホタルが飛び交っていたとか
「ホタルの会」というのがあって、秋篠川のホタル保護復活の活動があるが
私はこれまで、それらしき光を一・二度見た様な気がするがハッキリしない
野坂昭如の短編小説に「火垂るの墓」(ほたるのはか)というのあった
少々涙が出た記憶が残るが、野坂の姿とはどうにも重ならない、何故だろう

今日は愛犬「ハナ」を連れ、女房殿と伊賀越えの山小屋に向かう
女房殿が植えている紫陽花が気になると云うので同行するのだが
車の免許を取り上げられてからは、こういう時に不自由な思いがある
まま、台車にハナのゲージを積み、電車に乗るのだが、ハナは手荷物扱いとなる
よって何処まで乗っても、ハナは二八〇円である

生憎の雨であるがそろそろ出かけよう、戻りは金曜日の予定である

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昨年のままにしていた撫子(なでしこ)の鉢、梅雨期になり花を付けた
折しも、女子サッカー「なでしこジャパン」がワールドカップで決勝トーナメント進出
テレビ実況が楽しみとなる

撫子の名の由来は、我が子を撫(な)でるように可愛い花であるところからとか
支那から平安時代に渡来した唐撫子(からなでしこ:石竹)対して
日本の在来種を大和撫子(やまとなでしこ)と呼ぶ
「なでしこジャパン」は、ひらがな表記とされている

 久方の  雨は降りしく 撫子が  いや初花に 恋しきわが背
 ・・ 万葉集 大伴家持

撫子の鉢の側に在る空鉢に雨水が溜り、ボウフラが浮き沈みしていた
ある御仁の独り言がつい思い出され、妙に心に引っかかっている

「ボウフラは汚れた水でしか生きられない
蚊になって、血を吸って、叩き潰されるのがオチ
できるものなら、セミになりたい・・、ボウフラより」

薀蓄を一言
蚊に刺された際、叩き潰すのは病原菌感染のもと
蚊は血を吸うだけでは菌を混入しない
よって、吸わすだけ吸わして、そのまま逃がすのが良策とか

ところで、テレビ宣伝でヒットした「虫コナーズ」類の防虫剤のこと
消費者庁が「インチキ商品」として、景品表示法違反の撤去措置命令
対象は大日本除虫菊、フマキラー、アース製薬、興和の4社の商品とか
私は夏の初めと中頃に、二個ずつ計四個を毎年ぶら下げていたのである・・





2015.06.19 傘と梅雨
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梅雨の中、久しぶりに使った和傘を畳まず玄関に置いたままにした

茶事そのものでは使わないが、和物の照明器具として「提灯」がある
私の吉野時代の小学校は、学校名が入った番傘と提灯が並べて置いていた
奈良では、「傘屋」が提灯を扱っており、寺社仏閣に納入していた
大きな寺社仏閣に納入する「傘屋」はそれなりの格を持った町家であった

そんな「傘屋」の一人息子が同級生に居て、写真は彼に貰った傘である
彼は還暦前に他界、彼の奥さんも彼より十年余り先に亡くなって子はいない
老いた彼の母親が店守をしているが、傘屋で和傘を買う一般客はもう居ない
♪ 蛇の目でお迎え嬉しいな ♪ という光景を知る人は少なくなったようだ

梅雨の季節になると彼のことを思い出すのだが、先日のテレビで傘が話題に
欧州では雨が降っても傘を差すことが少ないということを、外人が話していた
私達夫婦が英国に行った時、やはり雨が多かったが傘を差す人は少なかった
さすがに、バーバリーの本場やなと夫婦で話をして納得したものであった

そのテレビの話を聞いて思い当たることがあった、民族の語意である
各民族の言葉は、その民族にとって重要なものに語意が多いと云うことである
遊牧の民は家畜の種類を表す語意、漁労民は魚、農耕民は植物の語意が多い
その中で、日本人にとって多民族より際立って多いのは「水」の語意であるとか
その例として挙げられるものに、「雨」に関する言葉の豊富さがある

四季の「雨」を知り、握手の風習を持たない日本人には、「傘」が似合うのだろう
小野道風の花札も、雨・柳・蛙そして「傘」がワンセットになっている
「雨」に関する日本語を以下に転載する

【煙雨】(えんう) けむるように降る雨。細雨。きりさめ。
【甚雨】(じんう) 激しく降る雨。大雨。
【穀雨】(こくう) (春雨が降って百穀を潤す意) 二十四節気の一。
【桜雨】(さくらあめ) 桜の花の咲く頃の雨。
【時雨】(しぐれ) (「過ぐる」から出た語で、通り雨の意) 秋の末から冬の初め頃に、降ったりやんだりする雨。
【秋霖】(しゅうりん) 秋のながあめ。
【雨間】(あまあい) 雨の降りやんでいるあいだ。
【驟雨】(しゅうう) 急に降り出し、間もなく止んでしまう雨。にわかあめ。
【涙雨】(なみだあめ) ほんの少し降る雨。
【白雨】(はくう) ゆうだち。にわかあめ。
【叢雨・村雨】(むらさめ) (群になって降る雨の意) 一しきり強く降って来る雨。にわか雨。驟雨。白雨。繁雨(しばあめ)。
【霖雨】(りんう) 幾日も降りつづく雨。ながあめ。淫雨。
【雨脚・雨足】(あまあし) (「雨脚うきやく」の訓読) 長くすじをひいて地に落ちる雨。
【甘雨】(かんう) 草木をうるおし育てる雨。慈雨。
【喜雨】(きう) 旱魃(かんばつ)がつづいた後に降る雨。慈雨。
【慈雨】(じう) ほどよく物をうるおし育てる雨。ひでりつづきのあとの雨。甘雨。
【氷雨】(ひさめ) 雹(ひよう)。霰(あられ)。みぞれ。また、みぞれに近い、きわめてつめたい雨。



2015.06.18 百合まつり
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笹ユリは日本列島中部から以西に分布する日本の固有種である
近年、里山の自然環境の変化と乱獲により、その数は激減しているという

さて、奈良ではこの十五.十六,十七日は百合祭り、正式には三枝(さいくさ)祭といわれる
三輪の大神神社(大物主・大国主)から奈良の率川(いさかわ)神社へ笹ユリが運ばれる
大物主を祀る大神神社から 娘の姫蹈鞴五十鈴姫命 が祀る率川神社へと云う話である
姫蹈鞴五十鈴姫命 (ひめたたらいすずひめ)は神武天皇の皇后で、天孫・国津合体の証
その姫が生まれ育った三輪の狭井川は笹ユリが咲き乱れる地であったとか

大物主は大国主とも云われ、息子に一言主の神がいる話は古事記にあり、日本書紀には無い
率川神社の摂社には一言主を祀る率川阿波神社があるが、その由緒・経歴がおもしろい

宝亀二年(771)冬大納言藤原是公夢告で率川南方に創建
仁壽二年(852)に從五位下『文徳實録』
天文元年(1532)の土一揆兵火によつて廃亡地となった
享保年間(1716~36)には、個人の宅地にの中に、あるかなきかの有様
明治七年(1874)方一尺の社殿を記すも、社地・社領・氏子はない
明治二十四年(1891)には境内坪数一坪、信徒九人
大正九年(1920)に率川神社拝殿の西側に南面して社殿を建てて移転
昭和三十四年(1959)率川神社境内整備にともなつて、現在の位置に遷る

よくぞ維持したものと思う、少々感動する話だ
一尺四方の社殿となれども、それを一坪四方とし、九人の信者が守ったとは
実は、百合祭りとは酒祭りでもある、黒酒・白酒の樽に笹ユリを飾る祭りでもある
私達夫婦は三条通りの「かえる庵」で「山野草の会」の御婦人と一緒になった
率川神社の直会(なおらい)の御裾分けを賜わり、白にごり酒の御神酒を空けた
私は御神酒の空瓶を持って、祭りの済んだ率川神社へ参り、その空瓶を出した
「もう一本」と云う私の顔をじっと見た神官、「少々お待ちを」と云って御神酒を出した
代金(?)をとられなかったので、さい銭箱に千円を入れた

エエ神官はんである、率川神社の御神酒は掛け値なく旨い酒であった

ttps://www.youtube.com/watch?v=eQi-LVVfGcY
2015.06.16 呑み助反省会
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昨日は他から参加の女性の男点前稽古を終えた後、先の大徳寺茶会反省会を行う
例によって車座に坐り、其々が持ち寄りの乾き物を皿に並べる、乾き物とはツマミ
千家さんで云う「八寸」、当流で云う「取り肴」の、ツマんで食べる酒のアテのこと
最近では、凝った料理や手でつかめない物を出すようになったが、それはお門違い
つまり、千鳥の盃事の変形というか、すっかり崩れ切った盃事もどきの反省会である

まま、講釈はさておき、持ち寄った酒を列記しておく、写真の向かって左より
①賀茂鶴樽酒・蔵詰、賀茂鶴の社長が自分用に作っているもの、社長は上田流の弟子
よって、非売品ではあるが、気心の知れた人には贈っているというのが、何故か届いた
②誠鏡、広島竹原の純米酒、マッサンの故郷の酒で、ツウが好むとか
③愛媛の純米大吟醸酒、ややこってりした口当たり、さすがに大吟醸
④京都の特別純米原酒・魯山人、度数十八、魯山人の声が聞えるとあるが、私には聞こえない
私は北大路魯山人の歪な物乞い人生より、川喜田 半泥子の堂々たる人生に敬意を持つ、余談
⑤奈良の無濾過生原酒・神韻、あの逸材焼酎「百年の孤独」の杜氏の手になる日本酒
⑥その「百年の孤独」、度数四十の焼酎である、私はそのままストレートで飲むのが好きだ
⑦宮崎県黒木本舗の本格焼酎「はなたれ」、度数四十四、私がほとんど飲んだ、ウマイ
⑧鹿児島の本坊酒造のウィスキー・ツインアルプス、信州で蒸溜したもの、ツウは知るとか

反省会は九人の参加となったが、日本酒は殆ど空いた、焼酎とウィスキーは少々残った
まま、私一人の後の楽しみの如し・・(^^)
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塾生の今年初めての風炉炭点前、胴炭を据えるところだか、種炭が多く散乱
まま、炭は湯加減が出来れば良し、湯は服加減が出来れば良し、それだけのこと

床の花は笹ユリ、軸は良寛拓本とした
今日は笑いの多い稽古で、笑いで汗と涙が出たりむせたり、ヤレヤレであった
さて、良寛の話で少々気に入っているというか、首肯する話がある
良寛の師・円通寺仙桂和尚の死を風の便りに聞いた時に良寛が詠んだ漢詩
その読み下しを記す

仙桂和尚は 真の道者
貌(ぼう)は古にして 言は朴(ぼく)なるの客
三十年 国仙(こくせん)の会(え)に在りて
参禅せず 読経せず
宗門の一句すら いわず
菜園を作って 大衆に供す
当事 我之を見れども見えず
之に遭(あ)い 之に遭えども遭わず
ああ 今之にならわんとするも得可からず
仙桂和尚は 真の道者

・・・思うに
人は恩師との出会いと想い出を持つなら、人生はそれだけで十分に幸せである
2015.06.12 明り道具
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チロリアン・ランプ、和名は釣浮木(つりうきぼく)、ブラジル原産のつる性アオイ科
朝のランプで逆光になったが、色形は何とか分ってもらえそう

さらばと告げて手を振る君は 赤いランプの終列車 ♪
(春日八郎)
赤いランタン波間に揺れて・・・姑娘(クーニャン)悲しや支那の夜 ♪
(李香蘭・山口叔子)
朝も早よからカンテラ下げてよ~っ、ハ・ヨイショヨイショ ヨイショヨイショ ♪
(常磐炭坑節)
じっと見つめるだけで 心包まれる キャンドルのように そっと ♪・・・..
(Mye)

さて「洋燈」、ランプとランタン、カンテラとキャンドル、この使い分けは如何?
ランプは英語、ランタンは蘭語、従って日本の用語ではランタンが先で油燈明のこと
カンテラとキャンドルは語源は同じで「蝋燭・そうそく」、蝋燭を使った燈明が主意
鉱山の採掘坑道では、酸素の有無を見定めという役割りをカンテラは果たした
さてさて「和燈」、呼称も用途で様々である、「夜咄」茶事で使うものを記述すると

ランプ・ランタンの類は
銅灯籠、石燈籠、釣り燈籠の灯篭(とうろう)類、「あかり・かご」「松明・たいまつ」が原型
燈明油にイ草の芯を使うスルメ瓦、スズメ瓦の短檠(たんけい)と竹檠(ちくけい)
燈明油は日本では菜種油を使うことが多いが、西洋は鯨油を使ったので鯨が激減
今になって、西洋人の曰く「鯨保護の為に日本の捕鯨に反対」云々とかオヌカシ

カンテラ・キャンドルの類は、
行燈(あんどん)、足下行燈(あしもとあんどん)、座敷行燈(ざしきあんどん)
因みに、人は私のことを昼行燈(ひるあんどん)と云う
手燭(てしょく)、膳燭(ぜんしょく)、小燭(ことぼし)等がある
光源は蝋燭だが、感覚的な思いでは、カンテラが行燈でキャンドルが手燭・膳燭・小燭か
勿論、蝋燭は和蝋燭であって西洋蝋燭ではない、味わいが違うし・・、値段も
2015.06.11 同穴エビ
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偕老同穴(かいろうどうけつ)、英語名はVenus' Flower Basket(ビーナスの花かご)
海綿の仲間で、ガラス質の骨格(骨片)を持ち、ガラス海綿とも呼ばれる
外見の美しさから観賞用になっている、日本では相模湾や駿河湾などで見られる

この海綿の中には一対の夫婦エビ、つまり同穴エビが棲んでいる、曰く「片利共生」
「片利共生」とは、共生するどちらか一方だけが「利」を得ているという関係をいう
だが私にはそうは思えない、害を与えていないのなら、どこかで「相利共生」のハズ
相手に害を与えていれば「片害共生」に区分されるが、それでは「共生」にならない
曰く「寄生」や「便乗」の形態として区分すべきと思われるが、まま、学者はんの話

然し乍らである、共生関係とは人間の世界でも十分に通じる話だと私は思う
生き様・死に様に於いて、「共生」の関係にあった人達は想い出に懐かしく残る
比べて、「寄生・便乗」の関係は、した方もされた方も嫌な思い出になろう
まま、「寄生・便乗」をしてやったりと、ほくそ笑む輩とは語る気もしないが・・

さて、偕老洞穴に棲む同穴エビ、名前のいわれはエビの方が先である
古典・詩経に遡る話で、「生きては共に老い、死しては同じ穴に葬られる」という
夫婦の契りの堅い様を意味する語として、洞穴エビのつがいを評して用いられ
後に、偕老を併せ海綿自体のカイロウドウケツの名前になったと言われている
結納では、鮑のし・烏賊するめ・麻糸ともしらが、それに偕老洞穴が贈られたもの

同穴エビは幼虫の時に海綿のガラス繊維の隙間から中に入り、雄雌に成長する
成長すると海綿の繊維から出られなくなり、雄雌そこで共に生涯を送る
世間とは関係なく、育った家は終の棲家であり、夫婦ふたりで生き、死んで逝く
海綿の食べ残しや、網の隙間から入って来るプランクトンなんかを食して生活
自分達の大きな運命は海綿に全て委ね、その網の中には天敵や競合者も来ない
夫婦の間に生まれた子供は、幼虫となって網の隙間から出て行き、他所へ移る

云わば、自分の生き様と夫婦間の遣り取りだけの一生で、相方と死に場も同じ
私は、この同穴エビの生き様に、ある種の教えを受けたようで羨ましくもある
先の記事、江戸下向で見舞った叔母の人生を考えると、そんな思いを馳せた次第
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そこかしこで「西洋紫陽花」が開花、梅雨の季節の風物となった
指の間に見えるのが紫陽花(アジサイ)の真花(しんか)、周りは青の装飾花
装飾花とは、花びらに見える萼(がく)を花と見做したもので、本物の花でない

山村御流いけばな展で見た花を以下書き留める、この時期に西洋紫陽花は無かった

くがい草、あまどころ、黒ほうづき、糸すすき、とくさ、ちご百合、トルコ桔梗
わたなべ草、ぼたん、りんどう、丁子草、けむりの木、ききょう蘭、縞太蘭
ざくろ、ノーブルリリー、めがね柳、ほたる袋、ほうちゃく草、草水玉、斑入りしゃが
ミッキーマウス、はるしゃ菊、百部、百合、むろ、夏椿、うちょう蘭、夏はぜ、バラ
ほととぎす、赤こでまり、ブーベリア、胡蝶蘭、京鹿の子、白根草、柏葉あじさい
白山吹、うすいろ紫蘭、とっくり鉄線、小紫陽花、天竺すすき、ヒマラヤそけい
白花どうだん、柿の花、きすげ、あまどころ、枯芦、かきつばた、赤つつじ、あさご
かたびら、竹島ゆり、姫がま、べろ鉄線、たかのつめ、深山秋のきりんそう、
かんすげ、メタセコイヤ、乙女百合、宿根スィートピー、日陰かずら、白糸草
かなめ、梅もどき、ぎぼうし、穂咲しもつけ、きりんそう、竹蘭、木五倍子(きぶし)
ねこひげ、ソレイユ、うら白の木、えびもみじ、黄つり舟、えさし草、せんのう、柿
けいとう、とびしゃが、エビデンドラム、紅花、カラー、すめき、すかし百合、深山南天
白ききょう、ドラゴン柳、山しゃくやく、山ぶどう、金糸梅(美容柳)、珍至(ちんし)梅
河原なでしこ、日陰つつじ、春咲き秋明菊、こんろん花、山あじさい・・

・・であった、勉強になった
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奈良の近鉄百貨店で開催されている赤膚焼・尾西楽西窯展、明日まで

赤膚焼は春日大社の土器、瓦笥(かわらけ)の作陶を起源とする窯である
釉(うわぐすり)をかけない素焼きの陶器、 杯(さかずき)等を焼いた
渡来物の唐銅風炉を土器で作り表面を漆で仕上げた「奈良風炉」を考案
日本の茶の湯文化の黎明期に大きな貢献をした窯である
尾西楽西窯の息子で陶工である私の後輩は、朋庵の塾生でもある
そんなこんなで昨日は会場まで足を運びじっくり観賞、釣り花入を注文した

尾西樂斎窯の展示会場は百貨店の五階で開催されていた
上の六階では奈良の尼門跡・円照寺(山村御殿)の花展が開かれていた
その花は、山村御流と呼ばれているもので、楚々として品位のある花だ
一種一輪やニ種活けが多く、洋物は余り使われていない
何か、茶花の心に共通していているようで、私は好きである

展示会で気付いたことで、成る程と納得したことがあった
尾西窯では、山村御流の花器を作っているので「共演開催」ともいえる
然しながら、尾西窯の会場は一階下に控え、所々に御流の花が活けられ
来場者に御流の茶券をサービスして、それとなく御流への案内をしていた
まま、中々の気遣いに納得したということである、もしかしたら偶然かも・・

円照寺、別名・山村御殿は後水尾天皇の皇女・梅宮開山の尼門跡寺
先年亡くなられた住職は、奈良では公然の秘密になっていた御婦人
三笠宮と双子の一人という御方であった、この秘話、もう時効であろう
皇室から奈良の尼門跡寺に預けられ、そこで一生を過ごされた御方
山村御流の花に見る楚々とした美しさと品位に、何かを感じる

やはり、大和の地は皇室にとっての実家なのであろう
昨日の花は皆書き留めた、明日のブログへ記すことにする


2015.06.08 江戸下向
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来月に取り壊し工事が始まるという我が母校の記念講堂
この日は武道の大学選抜選手権が開催された
毎年、入学式と卒業式が開催された場所であるが、私に卒業式は無かった
東京オリンピックではフェンシング競技の会場になったところでもある

昨日・一昨日と一泊二日で江戸の地を訪問、久方ぶりの下向であった
三つの所用を一まとめにした形で、其々の目的を果たして昨晩帰宅
ホッとした心地よい疲れを酒で癒してグッスリ寝た、今朝の寝覚めはすこぶる良好

所用の一つ目は、介護施設に入所した叔母、父親の九つ違いの妹の見舞い訪問
もう殆ど自由が利かない体ながら、まだ頭は健在というか、痴呆にはなっていない
三十年このかた、奈良には帰って来ていない叔母だが、もう帰ることは無理であろう
私の手を握りながら涙を流して喜んでくれた、そして頼みを一つ聞いてくれと云う
頼みとは、自分が死んだら奈良・柳生にある井谷の墓に入れて欲しいという話であった

叔母は、亭主と分かれて四十年、息子を女手で育てて来たが、息子は亭主方の籍
よって、叔母には入る墓が無いということで、何処かの永代供養を叔母は考えていた
それが死の訪れを意識し出してから、無性に奈良の墓に入りたくなったとかである
私は「かまへん、そうしぃ、親父がおらん今ではワシとこがアンタの実家や」と応える
叔母の涙はますます大粒になり、「おおきに、ありがとう」と泣きじゃくる

所用の二つ目は、これからの流通業にあって「オムニチャネル」という発想の行く手
この辺りのことを二人の大学教授からその卓見を聞かせてもらうと云う所存である
バスの語源となったオムニバス、乗合馬車のことで「すべての人をまとめて」乗せる意
よって、購買と供給に関わるの経路と情報のチャネルを全てに亘って統合させる構図
さすがに頭の涼しい両先生、腑に落ちる話故、支那料理と紹興酒で感謝を捧げた

所用の三つ目は、写真の武道大学選抜選手権である、今年で二十八回となる
毎年、我が母校の記念講堂で開催されているのだが、遠路故行ったことがなかった
それが「記念講堂最後の試合、見納めに来てください」という後輩からの連絡
大学紛争で機動隊と渡り合った想い出の場所でもある、心が動いてしまった
約四十校が参加した大会であった、我が校はベスト四に入ったが、優勝は逃した

そんなこんなの江戸下向であった



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平成元年六月四日、天安門事件で戦車の前に立つ男、何故か買い物袋を持っている
平成元年の記憶は、小渕官房長官が「平成」と新しい年号を掲げた報道と天安門事件
それと私の個人的なことでは、私が事務所を開設した年でもあるが、ままとする

テレビで見た天安門事件の戦車男、何度も避けようとする戦車の前に回って立った
その度に彼の持つ買い物袋が揺れていた、決死の行動という姿に見えなかった
恐らくは、本当に買い物帰りであったのであろう、誰とも連携している様子も無かった
天安門事件で、民衆の鎮圧に向ったのは北京郊外の非漢人部隊と云われた
要するに、命あらば漢人民衆に銃火をあびすことを厭わない連中ということである
実際に、多くの民衆が鎮圧軍の銃火で殺戮され、その死体すらも消されたとか

然しである、この先頭の戦車の操縦士は男を轢き殺さなかった
戦車の前に立った男が誰だったか、この後どうなったか遥として知れないという
そのまま群衆の中に消えてしまったのか、はたまた闇で処刑されたのかどうか
また然しである、戦車の操縦士や戦車長は判明のハズ、処分か褒章か、さてさて

人は、日常の中で思わぬ事態や光景に出くわした時、如何なる行動をとるか
それが、その人の本性を示すものであろう、考え思い込んでする行動ではない
ホームの線路に落ちた人を救おうとして、とっさに降りて轢かれた韓国人留学生
その彼も、落ちた人を見た時には判断と行動が同時であったろうと思われる

ソ連軍侵攻のプラハで、戦車の前に立ち胸をはだけて声高に叫んだ男がいた
私には、天安門の戦車の前に買い物袋をぶら下げて立ち、戦車に合せて動く姿
ただ一人で戦車に向い、静かに立ちふさがるその姿には、凄みすら感じられた
天安門事件も中共政府によって風化されて行くようだが、買い物袋の男の姿
私の印象に強く残る、それは果たして自分は、という思いに絡んで残る
2015.06.04 アロハ・オエ
無題
ハワイ王国最後の王、リリウオカラニ女王、あの名曲「アロハ・オエ」の作者でもある

日本帝国海軍のハワイ遠征と云えば、山本五十六の真珠湾攻撃を思う人が多い
然し、真珠湾攻撃の時には山本は呉の司令本部に居た、攻撃艦隊の指揮は南雲中将
艦載機と特殊潜航艇による真珠湾攻撃後、日本艦隊はハワイ沖から引き返している
日本海軍がハワイ・ホノルル島に投錨し、米国軍艦と対峙したのは明治二十六年のこと

明治二十六年(1893)、リリウオカラニ女王が米国との不平等条約を撤廃に動いた際
これに反発したアメリカ人農場主らが海兵隊160名の支援を得てクーデターを起こす
つまり、ハワイ王国の王政を打倒して白人の「臨時政府」を樹立したのである
この時、日本は邦人保護を理由に東郷率いる巡洋艦「浪速」「金剛」をハワイに派遣
ホノルル軍港に停泊する米国戦艦の両脇に投錨させてクーデター勢力に睨みを利かす
女王を支持するハワイ先住民らは涙を流して歓喜したといわれる

明治二十八年一月、ハワイ人王政派が武装蜂起したが鎮圧され、多くのハワイ人が虐殺さる
ハワイ臨時政府は、この武装蜂起を支援したとしてリリウオカラニ女王を逮捕、幽閉する
武装蜂起し捕まったハワイ人の命と引き換えにリリウオカラニ女王は廃位
それによって、ハワイがアメリカ人(白人)に収奪されたことになりハワイ王国は滅亡する

この年七月、臨時政府は ハワイに係留中の各国の軍艦に対し、「建国一周年」 の祝砲を要請
ハワイに二艘の軍艦を係留していた東郷平八郎は、「祝砲を打つことは認められず」として拒否
ホノルル軍港の各国軍艦も日本に倣(なら)い、祝砲を放たなかったという
「一周年は、ハワイ王朝の喪に服するような静寂の一日に終わった」 と世界の新聞各紙は伝え
アメリカ合衆国は大いに面目をつぶされたということである

ハワイ王から助けを求められ、明治天皇は「邦人保護」の名目で日本海軍をハワイに派遣した
指揮官・東郷平八郎の判断と行動は、東洋の小国であった日本が示した矜持と云えるであろう
ペリー率いる米国黒船艦隊が日本に来航し、日本が開国を強要されてから三十年後のことである
明治天皇と東郷平八郎というか、時の日本人には我々の先達として敬意を表したい
2015.06.03 船長
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昨日秋篠川で見つけた白い花、茎と葉は松葉牡丹のように見えるが?さて・・

さてさて、昨夜のニュースである
>中国の長江で乗客乗員456人を乗せた大型客船「東方之星」が転覆した事故で、救援当局は2日午後までに、14人を救出したと発表<
このニュースは更に、救命具を付けて最初に船を脱出したのは船長と機関長ら七人と伝えた
これを聞き、昨年四月に韓国で沈没したセウォル号を連想した人が多かったろう
韓国の船長も、救命具を付けて最初に船から脱出していたのである

海軍軍人であった私達仲人の想い出話の続きになるが、もう一つ思い出したこと
仲人の机に司馬遼太郎の「坂の上の雲」が開かれていて、朱線が引かれていた
そこに、「司馬遼はわかっていない」と書かれていた
その頁は、艦長が自艦と運命を共にすること、させる海軍への批判の件だった
その遼太郎の批判への批判が、赤鉛筆で仲人が書き置いていたのである

そして、私に云ったのは「艦長は艦と運命を共にする、日本海軍はそういうものだ」
仲人のその言葉の迫力は、私には是非を越えて印象に残っている
そして、仲人の「それが日本海軍を支えた」という言葉に私は首肯
民間の商船と云えども、日本の船乗りには船長が最後に脱出とは常識であろう
艦船のみならす、組織の長たるもの斯くあるもの、と私は思っている
支那・朝鮮の人々には気の毒とは思うが、それが民族の現実の姿
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下野草の下で咲く未央柳(ビョウヤナギ ・美容柳)、花言葉は「気高さ」

「気高さ」が似合うのは、帝国海軍・連合艦隊司令長官というのが相場
日露戦での東郷平八郎、大東亜戦での山本五十六、寡黙な海の大将であろう
その東郷、昭和九年五月三〇日に死亡、享年八十六歳、同六月五日に国葬
五月三〇日は私の父親の誕生日でもあるが、この際はさて置く

明治三十八年(1905)五月二十七日の日本海開戦のこと
時の大日本帝国海軍・連合艦隊司令長官は東郷平八郎
「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」とZ旗を掲げ
ロジェストヴェンスキー提督率いるロシアのバルチック艦隊を迎撃

この海戦に際し、大本営に一報を打電、起草は艦隊参謀の秋山真之
「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊はただちに出動これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども波高し」
簡潔にして名文とされる

日露戦争に勝利した後、連合艦隊は解散し常備艦隊へ戻る
その連合艦隊解散に当り、東郷は解散の辞を出す、起草はやはり秋山真之と云われる

連合艦隊解散の辞
・・・(中略)
百発百中ノ一砲能ク百発一中ノ敵砲百門ニ対抗シ得ルヲ覚ラバ、我等軍人ハ主トシテ武力ヲ形而上ニ求メザルベカラズ
・・・(結語)古人曰ク勝テ兜ノ緒ヲ締メヨト。

明治三十八年十二月二十一日 
 連合艦隊司令長官 東郷平八郎

この辞、要するに「戦時に備えて常日頃の訓練を怠るなかれ」、ということであろう
時の米国大統領ルーズベルトがこの辞に感銘し、英訳文を軍の将兵に配布したという
この辞を複写した額が先輩宅の床の間に掲げられており、私は先輩の父君から教えられた
後に私達夫婦の仲人となるその御仁は、海軍兵学校・海軍大学出身という経歴であった
全文漢文調で解り辛いが、「百発百中ノ一砲能ク百発一中ノ敵砲百門ニ対抗シ得ル」は納得

そんな記憶も薄れかけた頃、最後の海軍大将であった井上成美の本で、逆納得
井上は「東郷さんは算数に弱い」と、この解散の辞を評していたのである
「百発百中の一砲と百発一中の敵砲百門を一斉に撃つと、敵砲九十九門が残る」
そして井上は云う、「かかる教えが、精神偏重・教条的な日本軍へと導いた」とか
東郷と井上、共に海軍大将ながら勝軍の将と敗軍の将の心の違いがあったようだ
どちらの云い分も分らんではないが、その時の状況・条件の違いが言葉になったのだろう
勝って兜の緒を締めた東郷、負けて兜を脱いだ井上とも云えるかもしれない

然しである、二人には共通点があった、芸妓にもてたということである、これは大事な点
私が思うに、玄人女に惚れられる男こそ真の男ということを実感している
上から下までの多くの男を見て来た玄人女、芸者或いは遊女から惚れられる男は「気高い」
アホな女はアカン、明治の歴史を築いた男の妻には才色兼備で「気高さ」のある玄人女が多い
私はモテなかった・・、「気高さ」に欠けたからか
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焼物皿を前にした塾生二人、焼物は鮎、六月一日は「鮎の日」である
農協Aコープ、昔からドン臭い小役人商売、この日に「蓼酢・たでず」がない
鮎は腹を下に背を上にして置くとされるが、この日は横にした
背の上から身を押えると骨が外し易いということが、立て置く形になったようだ

昨日、卒塾者が自宅へ塾生二組のご夫婦を招き、茶事稽古をして下さった
卒塾者が亭主、奥方が半東で料理はご夫婦の手作りという家庭茶事
私は、あれやこれやと口をはさみながら有難迷惑気味の稽古指導
私が焼き物の手伝いをしている間に会席が進み、膳の写真を撮り忘れた
仕方なく、濃茶が始まってから御亭主と奥方の相伴分の焼き鮎を持ち出して写す
然し、塾生二人とも亭主の濃茶に目が行っており、チグハグな写真となった

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煮物と取肴(とりさかな・八寸)

家に戻りシャワーを浴びて、ちゃぶ台の前に坐ると、料理が並べられていた
私の分を卒塾者が取り置きをして下さっていたもので、残り酒まで付いていた
早速に酒を口にし、向こう皿の鯵のタタキ風酢ものに箸を付けホホ鼓を打つ
御亭主お手製の黒豆入り白羊羹も添えられていた、パクリと口に運ぶ、美味(^^)
その時になり、写真を撮り忘れていたことに気付いた、後悔先に立たずである

不幸中の幸い、まだ煮物と取肴(とりさかな・八寸)があったので写真に収める
煮物はキクラゲ入り真薯・筍・金時人参・椎茸・豆が美味しく仕上がっている
取肴は山のものがゴボウの胡麻味付け、海のものが芝エビとナッツの甘露煮
酒が無くなったので、ビールと焼酎で用を足した、至福

至福で思い出したが、茶入れの仕覆、つまり袋地の扱いのことを間違って教えた
今日の点前は長板で、卒塾者は茶入を取り出し仕覆を長板の客付き側に置いた
私が反対の勝手側ですと云うと、卒塾者は貰った教材には客付きとありました、と
あれ?と考えると風炉の長板点前を、私が炉の長板点前と勘違いをしていたのだ
確実にボケロードを進んでいる