2015.07.31 びっくり記事
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株式会社イズミ会長・山西義政氏、大正十二年生まれの矍鑠たる九十三歳
朝刊一面に載った山西会長の写真は背広姿であるが、この写真の方が実像に近い

今朝の産経新聞で思わず目が止まったのが二箇所
一面トップ記事は、「人間の力ってすごい」「被爆から70年そして・復興を語る」
そこには「焼け野原の・闇市からの創業」として昭和二十年十月五日の広島の写真と
そして、マイクを持ちネクタイ背広姿で講演するイズミ会長・山西義政氏の写真があった
女房殿に「ほら」と見せると「あら!懐かしい、お元気そうやね」と返って来た
「イズミ」とは私が三十代半ばまでお世話になった量販店企業で、当時は山西氏が社長だった
山西氏のことは先日の「NHK歴史秘話ヒストリー・伊400潜水艦」で報道され、世に知られた
さすがに朝刊一面の写真掲載となると、括目して見た
私のブログでも、五月二十日「頭の下がる善戦」として記載した

http://houan7010.blog.fc2.com/blog-entry-695.html


次に目が止まったのは十四面国際版の記事、韓国朴クネ大統領の妹の談話である
朴クネ大統領に妹が居たとは知らなかったが、全く真っ当な思考であることに驚いた
転載する

韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領(63)の実妹、朴槿令(クンリョン)氏(61)が30日、「日本の神社参拝は子孫が先祖を訪ねていくものであり、100年前の先祖が悪いことをしたから子孫が参拝をしないというのは人の道にもとる」と日本人の靖国神社参拝を擁護、「韓国がそれに関与しようとするのは内政干渉である」と主張した。槿令氏が同日、日本から帰国した後、ソウルの金浦空港で韓国メディアの取材に答えた。
 聯合ニュースによると、槿令氏は「天皇が頭を下げているのに、なぜ(日本の)首相が替わるたびに謝れと言うのか」と韓国の対応を批判。「日本は韓国の経済発展の基になることをたくさんしてくれたのに、被害意識だけ抱いていては国益にならない」と主張した。慰安婦問題については、「元慰安婦をはじめ苦痛を受けた方々に対しては、韓国国民が国内で面倒を見なければならない」と述べた。


この朴槿令(クンリョン)氏の談話,、ビックリするほど真面である
さてさて、韓国内の反応は想定通りではあったが・・
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2015.07.30 縄文人精神
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白鷺(しらさぎ)かやつり草、去年頂いたものをメダカ鉢に入れていた
この梅雨時期に一輪咲いた、花ではないが咲いたとしておく

さて、縄文人の話を七万年前の「出アフリカ」から書き始め
亡びの血とも云われるY染色体D型遺伝子が見られるのは日本列島とチベット山岳
それと南洋の離れ小島のアンダマン諸島とグァム島の一部に限られていること
そのD型の最大集積地は日本列島であり、三万年前の縄文人であることを話した

縄文人は海洋集団として東アジアから南洋諸島、シベリア界隈まで活動したこと
そして、交流・交易先の集団の娘を列島に連れ帰り妻・伴侶として遇していること
にも拘らず、相手集団の地に自分の遺伝子を残さなかったという事実がある
このことが、朝日新聞と韓国による造語、曰く「従軍慰安婦」のことと重なる

「従軍慰安婦」とは、正しくは「追軍売春婦」と呼ばれえていた女性である
当時、売買春は合法であり、犯罪や罪悪の対象ではなかった
「追軍売春婦」は、日本軍が進軍した戦場、ビルマや支那奥地の最前線まで行った
人類戦史のなかで、軍隊が占領地まで自国女性を性欲処理に同行させることはない
侵入軍の殆どは、占領地の女性を暴行・強姦・凌戮するのが常である
「追軍売春婦」は兵士の給金の数倍を稼ぎ、内地・朝鮮・台湾から応募が絶えなかった

東ドイツや満州に於いてソ連軍兵士がドイツ女性や日本女性に行った暴虐非道
中南米のメスチソと云われる混血集団の男性遺伝子は、九割以上が欧州人のものである
米国黒人奴隷の中も混血も、全て白人男性との交配で、白人女性との交配からは無い
今は人口三百万とも五百万とも云われる外蒙古、内蒙古と合せても千万人程度の民族
然し、チンギスハーンの遺伝子を持つものは世界中に千五百万ほど居るとか云われている

こうして見ると、原日本人と云えるD型縄文人男性の優しさと思い遣りを持つ精神文化は
日本人の「分かち合う・譲りあう」という世界的にも稀有な精神構造に引き継がれているようだ
邪まな反日似非インテリや大衆迎合型マスコミの虚言・扇動に踊らされては祖先に申し訳がない
パンパシフィック協定とは、日本と南洋諸国の連携であるべき、と私は思っている
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日本列島に人類が現われたのは、樺太を経て北海道に来た縄文人であるとされる
最初に北海道に入ったD2男性の当初ペアがN9b女性、連動して来たC3男性の当初ペアD女性
G女性は沿海州辺りのオホーツク人の女性、M7a女姓は大陸から列島に来たO2b男性のペア
まあ、云わば北海道縄文人は身近の女性を嫁にしていたことがみてとれるが、その中でM7a女性
津軽海峡まで北上して来た栽培縄文人O2b集団だが、女性だけが海峡を渡り、D2男性に嫁した
その時の縄文人は当初ペアを伴い本州は勿論、沖縄まで進出し、その地で生活圏を築いている
そんな環境の中、他集団の娘が自集団の男性を置き去り、北海道へ渡っていることが興味深い

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関東地方に生活拠点を築いた初期縄文人のmt遺伝子割合である
北海道から本州に渡ったD2とC3の縄文人は、内陸縄文人として狩猟と湖水漁労をした
然し、湖水の減少で沿岸漁労から、遠洋航海する海洋縄文人になるD2集団が現われた
人類史上初とされる磨製石器による木材加工技術に加え、栽培縄文人の麻の栽培だ
この二つの道具は、大型船の建造を可能にし、それに麻と黒曜石は弓の発明となった
mt遺伝子A型はシベリア付近からの女性であり、mt遺伝子Bとは南洋諸島の女性である
そして、妙なことに初期ペアであったN9b女性の遺伝子が見当たらないのである

調査資料では東北縄文人12体のデータは、M7aが6体、N9bが5体、Dが1体だった
mt-M7aが最多だから、Y-O2b1男性集団が縄文時代に東北に広がっていた事を示唆する
mt-Dの存在は、Y-C3と共に本州に拡散した女性とすれば、Y-C3の当初ペアであり
つまり、内陸型縄文人の生活仕様であれば、N9b女性はそのD2男性とペアであり続けた
それが、海洋型縄文人となると、N9b女性は見捨てられたというか、子孫を残せなかった
そして、海洋型縄文人D2男性は南洋諸島のmt-B娘を連れて帰り嫁にしたことを物語る

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関東の中期縄文人のmt遺伝子を見ると、関東縄文人は更に海洋進出をしたようだ
B型に加えF型は南方アジア系遺伝子であり、A型は北方アジア系のmt遺伝子である
関東への移入遺伝子は女性ばかりであって、男性Y遺伝子に移入遺伝子が見られない
関東縄文人は娘を連れ帰るが、男は連れ帰らなかったということになる、何故だろうか

考えられるのは二つ、一つは交易の対価として交易相手が娘を与えたということがある
それは、相手にとって海洋縄文人が娘を与えるに足る集団であると見たからであろう
奴隷や人身売買の類で移入されたのなら、本妻であるはずのN9b女性が残ったはず
二つは恋愛による行動である、当時は女性の意思と行動が結構自由であったということ

逞しくて生活力がある男性集団に憧れる娘が多く、私も私もと縄文男性と恋をした・・
当時の縄文男性は原日本人、恋仲になった女性には責任を取る形で連れ帰って来た
相手集団から分れて惚れた男と縄文船に乗り込み、父母親族と手を振り別れゆく娘達
縄文の雄大壮大な浪漫、南洋の海は別れの涙と未来の希望を乗せた縄文船が行き交った
この二つ目の話、少々私見も入ってはいるが、実態に近いと思っている

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日本列島周辺のmt遺伝子の比較である、縄文人の嫁取り話の最後として付言する
以前、私は沖縄が原日本人というか縄文人の本拠の一つだったと書いたことがある
その話の裏付けでもある、この表を見ると沖縄のmt遺伝子にM7a型とN9b型が見られる
M7aは東支那海平原からO3支那・漢族に追われて列島に移住したO2b男性の当初ペア
N9bは北海道から入り沖縄まで来たD2男性の当初ペアの女性である

沖縄の男性Y遺伝子はD2型が六割、O2b型が二割強を占め、北方型C3型が見られない
然し、日本だけで見られる南方型のC1が一割弱見られる、恐らくO2bと来たのだろう
D2男性がN9b女性と船で来て定着した後にO2b集団が移住して来たと思われる
然し、D2男性集団の当初ペアであるN9b女性遺伝子はM7a遺伝子の数分の一である
D2男性がO2b男性の倍以上であるのにである、関東のN9b女性消滅と似ている

このことは学者の深い考察が待たれるが、私の思うところは二つある
一つは、北方体質の出自であることから、南方の環境では子孫が増えなかったのか
二つは、漁労海洋集団の女性であったため、栽培型集団の女性と比べ働きが悪かった
つまり、日常生活の場で適応力に劣り、哀しいが徐々に立場を失っていったのだろう

縄文人の嫁取りには、ある特徴的なことが読み取れる
日本列島の縄文人男性は、これほど多くの女性遺伝子を集め残しながら
自分達のY遺伝子は列島の外に出ていない、列島の外に子孫を残していないのだ
これをどう考えるか、日本列島男性の矜持と優しさだと私は思っている
人類史上、勝者となった男性は敗者側の女性に自分の遺伝子を残すことが通例
この手の話は、人類だけでなく多くの動物も同様で雄の本能行為であると云える

だが、縄文人男性固有のY遺伝子D2型は日本列島以外にどこにも見られない
同じく列島固有のO2b1a型も列島以外には朝鮮半島の南部に見られる程度である
O2b集団は大陸でO3集団に圧迫を受けて二つに分かれ、日本列島と朝鮮半島に渡った
ところが大陸と地続きの半島には、O3型漢族やC3型の蒙古や満州・ツングース系が侵入
そのため、朝鮮半島のO2b集団は侵入者の支配を受け続ける歴史を残した

海に守られた日本列島、D2縄文人の海洋文化と嫁取り行為やC3縄文人の内陸文化
それにO2b1a栽培縄文人が持ち込んだ照葉樹林文化が融合し、日本文化の基層となった
照葉樹林文化に焼畑栽培がある、その中にいわゆる「山茶・ヤマチヤ」が出て来るのだ
長く引きずり、お目だるいブログ記事となったが、これにて「人類皆兄弟」は終わりとする

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海洋縄文人の船を偲ばすアイヌ船「イタオマチプ」を象った船形花入
赤膚焼陶工の塾生の作品である、朝なので出船形に吊り鉄線を入れた

今日は朝八時集合、九時席入りの日曜組朝茶事稽古であった、
健気と云うか以外にも月曜組が見稽古と称して手伝いに参加した
本来では朝茶の稽古となれば前日から泊まり掛けの稽古となる
今回は素麺会席としたので、準備は比較的楽と思い私一人でやることにした
やり出すと、それなりにの準備や器も必要で、昨夜の睡眠時間は二時間少々

と云うのは、日曜組朝茶事稽古は空調設備のない一畳半の数寄屋(小間)で行なうため
同伴の奥方衆は中に入られないので、快適空調の広間で女子会開催の運びとした
更に、数寄屋稽古の中に入られない月曜組男子が女子会の飲食に参加
数寄屋稽古の旦那衆は素麺と具の錦糸玉子、椎茸、桜えび、九条ネギ、おろし生姜
この素麺会席は、禅僧の自鉢様式とし、中皿付の椀を尺余の布に包み箸を差しただけ
比べて女子会は、赤と青のメロン、ワラビもち、アイスクリーム、広島銘菓「桐葉菓」
朋庵秘伝のアイス抹茶を奥方が自服の点前披露、そして素麺膳をウーロン茶で仕上げ・・

旦那衆の汗だく稽古の数寄屋まで、女子会の明るい声が聞えて来る
一畳半の数寄屋の連子窓(竹格子の窓)の外から見学の月曜組が覗く
雰囲気としては動物園の檻か牢屋の格子から見ている気分であったそうな
十二時の稽古終了予定が、十三時半頃に漸くのこと終了、まま亭主役は悲惨なもの
四時間余り暑さの中で正座し、素麺会席の相手、炭点前、濃茶・薄茶の点前を一人でこなした
お終いの挨拶をし、数寄屋の太鼓襖(丸形の襖)を閉めて広間の席まで辿り着こうとするその姿
苦痛を露わにし、足を引きずりながら這いずり出て、広間の女子会の席まで匍匐(ほふく)前進
訴える眼差しで妻に目を遣る亭主役塾生の表情、さまに哀れを誘うが、男の根性が滲み出る

稽古後の片付けをして、別れの挨拶と共に皆を見送った私、漸く一人でちゃぶ台に就いた
朝も昼も飯抜きのままであった私は、残りの素麺と具に箸をつけたのである
そして、塾生が持って来てくれた純米酒・寳劔(ほうけん)の残り酒を飲んだ
呉の禅道場で飲んだ酒だ、旨い、気が付けばそのまま寝込んでいた、ZZZ
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第一図は現在の日本列島におけるY染色体の分布
D2とC1型は日本列島特有の亜種、C3型は中央アジアから蒙古・満州・沿海州にも分布
O2b型はニ種に別れ、が大陸から列島に来て日本で変異を遂げたO2b1a集団が24%
朝鮮半島から何らかの事情(文化移入や戦争難民)で日本へ来たO2b1b集団が8%
沖縄にもD2男性が多く、大陸から琉球に移住して来たO2bが本土に拡がっている


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北海道縄文人のmt遺伝子(女性からの伝達遺伝子)の構成
mt遺伝子の識別記号、D・M・G・N等の文字はY染色体識別記号とは無関係
同じ記号であっても、タマタマ同じ記号を使っているというだけである
第二図のアイヌ人のY染色体遺伝子ではD2が88%、C3が12%である
これは北海道に来た縄文人D2男性の連れ合い、当初ペアはmt-N9bの女性
マンモスハンター「ギャートルズ」C3男性の当初ペアはmt-Dの女性であった
mt-Gの女性は少し遅れて沿海州辺りに来た集団の女性で縄文人に嫁いだようだ
そしてmt-Ma、この女性は琉球列島に来たO2b1型男性の当初ペアであった
つまり、大陸から逃れO2b1男性と共に海洋縄文人の船と列島に来た女性である
当初の縄文人は、比較的限られた女性の中で嫁取りをしていたということになる
それが・・


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第三図は日本列島の女性遺伝子の分布と構成である
列島の男性の比べるとその多様性に驚かされる、大括りのmt-M・N・Rとは、
先にも書いてように「出アフリカ」時にアフリカに居た遺伝子集団に話になる
L*・L1・L2・L3という四つのmt遺伝子集団があり、L3集団の一部が「出アフリカ」
他の集団はそのままアフリカに、「出アフリカ」をしたL3女性はMとN型に別れた
mt-M型は主にアジアに、N型は中央アジアからシベリア・、更にR型に変異し欧州へ
この中で、日本固有のmt遺伝子変異はN9b型とM7a型、縄文人の当初ペアの女性

D2男性の当初ペア・N9bの女性が、D2男性に比べ列島で激減していること気が付く
そしてO2b1a男性の当初ペアM7a女性は、D2男性にも嫁して拡がっているようだ
その現れとして、北海道へはO2B男性は渡っておらす、M7a女性は渡っている
そして不思議なことに、日本女性の1%位に欧州人のmt遺伝子が入っている
欧州人の男は日本列島に来たこともあり、そのY染色体遺伝子が残っても不思議はない
然し、欧州人女性が日本列島に来たのは明治以降と二次大戦後であろうと思われるが・・
どうしてその遺伝子が、何時何処から、どういう形で入って来たのか、不思議である

さてさて、縄文人の嫁取りの実態とは興味が尽きない
少々くどい気はするが、女性のmtミトコンドリア遺伝子の系統図を付けておく
続く, ↓.

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 アフリカのL3亜型集団から派生したM系統とN系統のグループが、出アフリカを決行?し
この中、M系統のグループは、アジア地区の範囲だけで繁栄し
N系統グループの方は、分岐を繰り返しながらアジアからヨーロッパまで
いわゆるユーラシア大陸全体で繁栄している様子を見事に表している
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鬼百合に目も呉れず先を進む縄文犬(柴犬)ハナ、本名「竹姫号」

鬼百合は支那からシベリア・満州・朝鮮半島、そして日本列島に自生する
鱗茎はヤマユリと同様に食用となるので縄文時代は貴重な植物であったろう
朝鮮半島南部・済州島・対馬の鬼百合は種を付ける2倍体と3倍体が混在
その一方で、日本に分布する鬼百合は種を付けない3倍体が殆どである
縄文人の日本列島進入と同じく、鬼百合はシベリア・樺太経路と思われる
面白いことに、支那大陸とは遠く離れたグァム島にも自生しているのである
私には、海洋縄文人の南洋航海が目に浮かぶ、グァムにはD:*型の人が居る

先の記事「縄文人前編」縄文文化を築いたのは大凡三系統の人達の集合体だとした
核になったのはシベリア黒龍江辺りから樺太・北海道に入ったY遺伝子D2型人達であろうD2
それと、わずかながらも共に入って来たのはC3型の人達、ナウマン象を追う「ギャートルズ」
支那大陸でC3型の圧迫を受け、D2型海洋縄文人を頼って琉球から九州に来たO2b1a型
D2型とO2b1a型は日本列島だけの型だが、C3型はシベリアや蒙古・満州・沿海州に,居る
然しである、日本列島だけにしか見られないC1型が、少数ながら琉球から九州に存在する

つまり、樺太・北海道から本州・九州・四国そして琉球へ最初に入ったD2型の縄文人で
狩猟系のC3型にD2型も加わった集団は内陸縄文に、漁労と交易に海洋へ出た海洋縄文人
大陸のC3型(漢人)の圧迫から海洋縄文人を頼って日本列島に移住したO2b1a型栽培縄文人
このO2b型の移動に併せ重なるように、海洋縄文人は南洋からC1型の人達も運んだようだ
C1型の人が日本だけにしか見られないということは、本来の地では全滅したのであろう
そして、日本列島の先住舎で多数派の海洋縄文人を中心に列島の民族形成が進んだ
言葉も生活様式も社会性も緩やかに一体化し、やかて縄文人・縄文文化と呼ばれるようになる

其々に事情をを有しながら、彼等は日本列島の住民として抗争することなく融和していった
縄文遺跡には不思議なぐらい抗争の痕跡が出ない、弥生遺跡は抗争の痕跡だらけである
縄文人の「分かち合い譲りあう」その精神性には、弱者を救う気持ちが強かったのであろう
世界が信じられない事態として、驚きを持って伝えた阪神淡路・東日本大震災の時の日本人
あの惨状にあっても、日本人は乱すことなく整然と対処し、絆に全幅の信頼を分かち合った
正に、世界の報道時陣にとっては異次元の世界を見せられた報道を余儀なくさせられたであろう

これこそ、「分かち合い・譲りあう」そして助け合う「縄文文化」そのものの姿の面目躍如
私は三万年の悠久の歴史を持つ日本列島人に敬意を捧げたい
縄文人と共に列島へ来て、縄文人の友として連綿と生きて来た縄文犬・柴犬に愛着を持つ
縄文遺跡からは犬の墓跡は出土するが、犬を殺戮切断し食した骨は余り見つからない

ここで一つ、教科書での表現のこと、渡来人の話である
朝鮮半島から騎馬民族が侵入したとか、弥生人が到来し縄文人を南北へ駆逐したという話
実は、この教科書記述は大きな視点を欠いているのである、というかボカされている
それは、数千年前の東アジアで海洋術を持った民は海洋縄文人しかいなかったということだ
C3型漢人にとっては海を未知の場として恐怖の対象であり、中央アジアの騎馬族は海で止まる

渡来人は、須らく海洋縄文人の船で列島に渡って来た、このことを知ることが肝要である
台湾の原住民、O1型高砂族は海洋縄文人との交流を経て、縄文人の海洋航海術を学んだ
そして、フィリピンから南洋、オセアニア諸島、更にマダガスカル島まで進むマレー人となる
面白いことに、台湾と視認距離にあるとも云える琉球・南西諸島にはY遺伝子が全く来ていない
それは彼等なりの海洋縄文人への敬意と遠慮であったのだろうと、私は思いを馳せるところ

それにしてもである、日本列島に移り来た人達のY遺伝子がほとんど全て今に残されていること
つまり男系遺伝子が全て今に伝えられているとは、世界人類史の中で極めて珍しい稀有なこと
人類史は、支配した男性の遺伝子が残り、支配された男性は滅亡するか従属者の扱いとなる
かのモンゴル帝国のチンギスハーンの遺伝子は、世界中で千五百万人に残されているという
日本列島では、「分かち合い譲りあい」皆が共に生きて自分の子孫を残して来た、素晴らしい

さてさて長くなった、縄文人の嫁取り話は次にする
縄文人の嫁取り、まこと以って、壮大はロマンと嫁の悲喜こもごも
続く
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茶を挽く石臼、江戸期の大茶禁止(多くの婦女が集まる)で、村の茶臼は土中に埋められた
その後、疫病が多くなったことから再び土中から掘り起し使われている
鍬で堀起した為に傷跡がある

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欠けた焙烙(ほうろく)、素焼きの土鍋の一種で低温で焼かれる、炒鍋(いりなべ)ともいう
自家の茶葉を八十八夜に摘み取り、普通には焙烙で煎って番茶やほうじ茶にする
然し、中曾司の茶は抹茶風なので恐らく蒸して天日干しをしたのであろう

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中曾司の茶筅、長さは五寸(十五㎝)程で根本も二寸余り、口径は八部程度
今の一般的茶筅の長さは三寸余りだから、中曾司の茶筅の根元程度である
穂は五十六本であり、今の荒穂(あらほ)と似ている

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中曾司茶筅の中の部分、外穂だけで中穂か無いのが特徴的である

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奥様が点ててくれた茶、本来はもっと大きな茶碗であったとか、今の抹茶茶碗の原型かも
キリコ(他で云うアラレのこと)がドンと出される、以前は色んな具味が出されたそうな

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茶にキリコをたっぷりと入れ、匙で混ぜて飲んだ
私の小学校の頃は、茶粥にかき餅を入れて食べたが、同源の食文化であろうと思った


「出アフリカ」から縄文人、そして縄文文化から「振り茶」へと話を展開させるつもりでいたが
塾生の手配で、昨日に橿原市中曾司の「振り茶保存会」の方のお宅に伺うことが出来た
沖縄から九州・山陰・北陸から山形辺りまで広く根付いていた古い日本の民俗風習
この昭和四十年代までは「振り茶」は各地で盛んに行われていたが、急激に衰退をしている
その中でも盛んであった中曾司の「振り茶」、中曾司では「振る舞い茶」と云われて来た
謂わば、民俗文化の「絶滅危惧種」ながらも茶の湯発祥の原点である、何とか残してもらいたい
今回は茶の湯研究家の学者先生も同行された

よし、「振り茶」、近々に我が家でやってみよう、と思う私であった
そして、このブログの「出アフリカ」から「縄文人・振り茶まで」、拍手は少ないが続けよう
2015.07.22 呉訪問
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呉鎮台符・帝国海軍連合艦隊司令長官舎
東郷平八郎も山本五十六もここから出陣した

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禅道場の床、掛け軸は達磨像、蓮は姫蓮の一種とか
花入は胡銅の経筒を用意されていたが、葉花が大きく不安定になので、重厚な伊賀物に

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呉駅を降りた改札口に呉の酒「千福」が積まれていた、本日より酒断ちを決する身に・・
この「千福」が祖母の実家という東京の友人の顔が浮かんだ、やはり酒飲みである

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作務の時間に周りの草むしりをした、裏路地の奥に入って行くと
防空壕の跡地に秋海棠(しゅうかいどう)が咲いていた、何か心に迫り、そのままにした
 
秋海棠 西瓜(すいか)の色に  咲きにけり   ・・芭蕉


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戦前戦中の呉の人口は六十万人、当時の広島は四十万人、呉は中国地方一の街でだった
こんなマツダ社の三輪が往来していたのかと、少々感慨深いものがあった

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静座、参禅、作務の繰り返しの中で、最終日にに「日本の鉄文化・日本刀と武」の講演
武州の刀匠が鉄鉱石、砂鉄等や大刀、脇差、小刀を持参、日本刀の歴史と作り方を説明された
居合いをやっている講習者が、刀匠に云われて真剣の切れ味を試す

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呉に出掛ける前に、塾生からメールが入り、呉に行くなら「寶劔」をと伝えられていた
禅道場に入る身に何をオヌカシかと思いきや、最終日の打ち上げの席に「寶劔」が・・!
五日間の断酒もあり、この「寶劔」、辛口乍ら甘露、結局独り占めした
女子の参加は三名乍ら、私の前には比較的妙齢の子が鎮座、否、静座をしていた

然しである、この呉の街並、住宅街は絶壁に沿って作られているのには驚いた
平地が少ないところに人口急増があった為かも知れないが、百段二百段の石段が其処彼処に
禅道場の場所は幸い六十数段のところにあったが、保育園が更に上の八十段ぐらいにある
幼児の足は鍛えられて良いが、お母さんや婆さんには日々是れ修業そのものである
そう云えは海上保安学校があり、「海猿訓練」は二百段を走って上り下りだとか・・頑張って呉

私の父親は学徒出陣で海軍に入り、人間魚雷「回天」に乗る前に呉へ着任していた
呉湾一帯を見下ろせる禅道場、作務の合間に呉鎮守府辺りを眺め、ふと父親の青春を偲んでみた
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「イタオマチプ」は「板(いた)綴つづり舟」、アイヌ独特の技術で造られている
丸木舟の上に、波を避けるための羽板(はねいた)を麻縄で綴じた工法
「チプ」とは、アイヌ語で舟を意味する、図には和人が乗せられている

日本列島で生まれたかも知れないと云われる世界最古のものが三つある
それは磨製石器と縄文土器、それと遠洋航海である
旧石器時代と新石器時代の区分とは磨製石器がの出現を指標としている
日本列島では三万八千年前の遺跡から磨製石器の石斧(せきふ)が出ている
これは世界に先駆けて日本で新石器時代が出現したと云う話になる
遠洋航海技術はアボリジニーの祖先と同時期になるので、同着とする
後年海洋の民となるO1型、台湾から各地へ拡がったマレー系は縄文人に教わった

火山岩の一種で特定の場所でしかとれない黒曜石、石器に使うと鋭利な刃物になる
日本では約六十数ヶ所の産地があるが、東アジアでは略日本列島だけしか産出しない
縄文時代は奈良の二上山、信州八ヶ岳や和田峠、隠岐島や伊豆の神津島が知られる
黒曜石を鏃(やじり)や槍先に使うと、狩猟民にとって画期的に有効な道具となる
三万年前の神津島黒曜石が本土で見つかるが、黒曜石を運ぶのは外洋船が必要
つまり、三万年前の日本列島人は外洋航海が出来る船と技術を持った民であったこと

四万年位前にシベリアから地続きの樺太・北海道に現れたY染色体遺伝子D型の男性を
伴侶はmt遺伝子がN9aの女性で、この組み合わせが北回りの当初ペアであった
その北回り集団に僅か乍ら同行して来たC3型男性も居て、mt遺伝子Aの女性が当初ペア
日本列島に入り、遺伝子Dが変異してD2型となり、このD2型は日本列島だけのものである
どうもD型はシベリア黒竜江辺りの湖や河川で丸木船を操る漁労主体の集団だったようだ
C3型は「ギャートルズ」狩猟民らしい

列島の海進が始まり、湖が少なくなって海に出て、丸木舟を外洋船にした海洋縄文人に
C3型とD型の一部は本州から九州・四国に狩猟の生活圏を拡げていって内陸縄文人に
そこへ、もう一つの縄文人である栽培縄文人が加わることになる
海洋縄文人は、九州から琉球列島・沖縄へも移り、東アジアの海洋民として存在した
支那大陸内部から陸地であった東支那海へ進出してきたO3型に追われたO2b型の民
海洋縄文人の船で琉球列島から九州に逃れ、その地で栽培縄文人・O2b1aとなる

一方、狭い海峡であった済州島(当時は東支那海平地の先に在る半島)から出たO2bの民
朝鮮半島へ渡ってO2b1b型の民となる、恐らく海洋縄文人の協力があったと思われる
海洋縄文人は「分かち合い受け入れる民」であり、O3型の理不尽な横暴を不快としたようだ
その傾向はというか「三つ子の魂百まで」は今に至っても続いている、まま宿命であろう
では、何故O2b型の民が海洋縄文人を知っていたのかということになるが、交易である

海洋縄文人は、海産物や黒曜石と共に琉球列島の宝貝を積んで支那大陸沿岸から更には
済州島半島から長い湾状になっていた黄海に入り、黄河や遼河まで交易に出掛けていた
後世の地中海の海洋の民・フェニキア人と同じ様な働きをした民であったと思われる
このO2b型は栽培縄文人として、落葉樹林や照葉樹林の環境適合能力を有していた
D型C型縄文人は針葉樹林しか知らずにいたが、列島には落葉・照葉樹林が拡がって来た

広葉樹林の栗や団栗を食用にするには「土器」が必要であり、栽培縄文人は「土器」を作った
それが「縄文式土器」の始まりであり、世界で最も早い時期に出現した土器とも云われている
見つかっている縄文土器は一万六千年以上前のものといわれている
この栽培縄文人の生み出した文化様式は海洋縄文人によって沖縄から青森まで伝えられた
内陸縄文人も交易の海洋縄文人からの情報、或いは栽培縄文人そのものをを受け入れた
今から六千五百年前の喜界島大噴火は、琉球や南九州の栽培縄文人の生活圏を奪った
栽培縄文人は本州を北へと青森まで移り来て生活圏を確保したが、津軽海峡は越えなかった

こうして日本列島の縄文人はD2型C3型O2b1a型の遺伝子を持つことになったのである
一つの集団が他の集団を殲滅したり、支配したりということなく溶け合うのは稀有な歴史である
ついでに云うと、「出アフリカ」後に出来たC集団、DE集団、FR集団という三つの集団の遺伝子
その遺伝子三つが、一つのところで全て見つかるのは世界の中で日本列島だけである
そして、D2型とO21a型という男性遺伝子が、日本列島だけにしか見つからんということもある
この話はスゴイことであり、このことは大きな意味を持つ、日本列島人の在り様を示すもの
続く、今日これから広島の呉まで出掛け、茶友が主宰する禅道場に五泊・・ヤレヤレ
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マンモスハンター「ギャートルズ」、園山俊二原作

昨日は所用で出掛けたので話が中途半端に切れてしまった、追記する
現在のアフリカ黒人・ニグロと云われる人達の祖先のことである
解り易く云えば、オリンピックの短距離・長距離で活躍する人達のこと
短距離ではアメリカやジャマイカの選手が多いが、彼等は西アフリカ黒人の子孫
長距離ではエチオピア、タンザニア、ケニアの東アフリカ人が多い
彼等アフリカ黒人と云われる人は、「出アフリカ」を果たした人類DE型の出戻り組
「出アフリカ」をしなかった生粋のアフリカ人とは、A型のコイサン族やB型のピグミー族
今、黒人としてイメージされるのは東・西アフリカの黒人であろう
その黒人とは、日本人の同じ系統であるDE型から分れたE型集団の子孫である

以上が昨日の追記である、以下は北へ向かったD型のこと
DE型から分れて東に向かったD型はスンダランドからの消息が消えてしまった
スンダランドへの途中でアンダマン諸島に取り残されたのがD型がアンダマン原住民
DE型の分岐後、インド半島の西を北へ向かったD型の説が有力視されている、その話
恐らく、「出アフリカ」を果たした人類で、早くに移動を始めたのはC型だったと思われる
東へ向かったC型はC1型に、北へ向かったのがC2とC3型になりアメリカまで到達

マンモスハンターC1型の後を追う様に北へ向かったD型は中央アジアから東へ進んだ
シベリア南部から東アジア一帯にD型集団が拡がり、その地で暮らしていたであろう
FR型も中央アジアへ入り、更に北東へ進んだのがONに、欧州へ進んだのが他のFRに分化
ON型はNとOに別れ、N型はシベリア一帯からウラル山脈を越え今のフィンランドへ
O型はD型の後を追うように、満蒙の地から東アジア全域に入り込んでいった
そして、先に居たD型集団を圧迫し殲滅して行ったことが類推される

東アジア一帯のmt遺伝子は似た分布を示しているが、東アジアのY染色体D型は略消えた
D型集団の女は残されたが、男は殺されるか奴隷にされ子孫を残すことが出来なかったのだ
現在、D型が残っている地はチベット山岳と日本列島のみ、他には東回りD型のアンダマン島
チベット・ブータンでは50%がD1型、日本列島のアイヌ人88%本土人40%沖縄人60%がD2型
アンダマン原住民の100%がD*型、近年に中央アジア南部、グァム島やタイでD*が見つかった
グァム島やタイのD:*はスンダランドに入ったD型の生き残りであろう、D*型だけである
東アジアからD型男性を駆逐したO型は支那南部でO1に、当時陸地の東支那海付近でO2に
そして黄河流域から勢力を伸ばしたがO3、今や支那全域に広がる支那人・漢族の遺伝子だ

O3型に圧迫されたO2は揚子江付近からベトナム・タイへ移りO2a型に
東支那海付近にいたO2bは朝鮮へ行きO2b1bに、沖縄に渡った人はO2b1aに
支那南部に居たO1は、台湾からフィリピン・マレー半島・インドネシアへ
更に、マダラスカル島、オセアニア諸島へと拡がった
東アジア全体で見れば、女性遺伝子の分布にそんなに極端な変化はない
然し、男性遺伝子分布にはその経路と盛衰が見てとれるということになる
似た例として、フィンランド人の遺伝子がある、女性は北欧女性と同じ遺伝子分布
それが、男子はON型のNの遺伝子が60%を超える、シベリア人の遺伝子である

五万年以上前にインド半島の西から移動を始めたD型集団は、まさに滅びの血筋
チベットへも支那人の進出が強まり、チベット人は民族の独立を失い圧迫されている
アンダマン諸島では、原住人の人口は十分の一以下になった、今後の隆盛は見込めない
こうして見ると、日本列島は希少なD型が隆盛する唯一の地と云える
日本列島のD2型は日本列島独自の型であり、O型のO2b1aも日本独自の型である
歴史で学ぶ縄文人文化とは、この二つの遺伝子の持ち主が連携して作ったもの、と私は思う
そこから見えて来る日本列島人、その織り成した物語とは壮大で友愛に満ちたもの
続く
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「出アフリカ」をしなかったY染色体遺伝子A型のコイサン族、肌は褐色

この写真と前の写真・D*型アンダマン族と見比べると、アフリカの黒人とは誰?と思う
思うに、アフリカに里帰りしたDE型一派・E型集団はアンダマン族と同じ黒肌だったろう
今のアフリカでニグロと称される黒人の肌色は、E型集団の黒肌に起因するものだろう
ナイジェリアの黒人からDE型の祖型DE*が発見されたが、チベットでも発見された
チベットではD型の中、D*、D1、D3が多いが、このDE*が数例見つかっている

このことで、D型集団の一派がにインド半島の西から北へ向かった説が有力である
スンダランドからインドシナ半島を通り、雲南・チベット高原に入ったとも考えられるが・・
ただ、スンダランドへ向かうD型集団の一派であったアンダマン族は全てD*型である
もはや、DE*型は失われているのである

ここで、Y染色体遺伝子の区分で追加すると、AからFまでの亜型が更に区分される
其々に、*・1・2・3~と振られている、然し昨年に変更があり、変に細分化がされた
然し、ここでは従前のままとする、その方が以前の資料と整合性が取り易いためだ
ヤヤコシイ細分表示は、学者先生方にオマカセする・・と勝手を云う

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アンダマン諸島の先住民(男性でも150cm足らず)とアンダマン諸島を示すの地図
海面の淡色部分は、人類「出アフリカ」期にはスンダランド大陸という陸地だった

Y染色体遺伝子DE型から分れたE型は西へ向かったが、D型は東と北に分れたようだ
東へ向かったD型一派は、インド半島沿いにスンダランド大陸の方へと進んだらしい
このルートはC型一派も進んでおり、スンダランドからサフルランドにまで到着している
サフルランドとは、今のニューギニアとオセアニアが繋がった地形であったところだとか
オーストラリアの先住民であるアボリジニーはC型で、四万年以上前に来たと云われる
他にもオセアニア各地にはC型遺伝子が残るが、O型遺伝子に侵食されつつある

スンダランドに来たD型集団は殆ど痕跡を残さず消えて行ったようである
氷河期が終わった海面上昇でスンダランド大陸の低地は海面下に沈み、居住地も消えた
そこはインドシナ半島やスマトラ・ボルネオ・セレベス・ジャワ等の島々になった
ある説では、D型の人達はインドシナ半島を抜けて、雲南・支那大陸へ入ったと云う

サフルランドとの間も海になり、ニューギニアとオーストラリアに別れてた
タスマニア島まで進み定着した人達は、近年になって英国人の狩猟的な虐殺で全滅
タスマニア人の遺伝子は分らないが、D型であった可能性もあると私は思っている
十九世紀まで火をおこす技術を知らずにいた人類は、タスマニア人とアンダマン人である

話は、D型がインド半島から東へ向かい、スンダランドに到着する途中のことになる
ビルマから延びた陸橋に入ったD型の人達は、海面上昇で島となったそこに取り残された
その人達とは、今のアンダマン諸島の原住民・アンダマン諸部族のことである
五万年位前から、そのまま石器時代の生活文化を続け、十九世紀に入り英国人と遭う
1967年・明治維新の年頃に英海軍が上陸、多くの原住民を殺戮し、島を占領した

英国はアンダマン諸島を植民地のインド人やビルマ人の流罪の地として統治した
農耕地が無く、僅かな獣や魚と草木の採取で生活をしていた原住民の多くは飢え死に
持ち込まれた疫病に免疫を持たない身の原住民は次々と倒れて行った
当初五千人程居た部族も、数百人、数十人となり、十二部族あったのが今や四部族に
然しながら、アンダマン諸島の人口は三十万人を超えているとか、この地は誰の地か・・

アンダマン諸島の原住民はアフリカ黒人の一種云われて来たが違う
アジア人であり、しかも日本人と同じ遺伝子を持つ人達である
東南アジアにはアンダマン以外にも「ネグリド」と云われる人達がいる
マレー半島やスマトラ島のセマン族、ルソン島のアエタ族、ニューギニアのタピロ族
スぺイン語で「小さな黒人」、低身長・黒肌・縮れ髪で、種族の関係が分っていない
私には、滅びの血筋・D型諸族の繋がりが知りたいところ
実は、日本列島の人間も支那・朝鮮から「倭」、つまり「小人」と呼ばれていた

さて哀れやアンダマンD型原住民、そのことを知ってかどうか、昭和十七年三月のこと
D型一族の日本軍がアンダマン諸島に上陸、英軍を駆逐し、島民の歓迎を受ける
当時のアンダマン諸島の人口は二万人程、主にインド人・ビルマ人で原住民は僅かになっていた
インド独立軍のチャンドラボーズも来島し、対英国独立戦線の一環としたという
思うに、日本軍と原住民の中に、D型五万年の血の絆を知る者は誰一人居なかったろうと・・

終戦後、日本軍は住民の訴えで戦犯となり五十二名がシンガポールで処刑された
住民も我が身を守る知恵であろう、ある時は英国を非難する物語をし、ある時は日本を非難
ビルマへの日本軍進攻では、歓喜で日本軍を迎え共に戦ったビルマ人、日本の敗色が濃くなると
英国軍と手を結び日本軍を攻撃した、スーチー女史の父・ビルマ独立軍アウンサン将軍
弱小民族の悲哀

http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300482_00000&seg_number=003

インド半島西側から北へ向かったD型集団もいた
続く
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Y染色体遺伝子E1b型の分布図、北アフリカから地中海沿岸、ギリシャ・バルカン半島に多い

さて、「出アフリカ」をした集団は、更に三つの遺伝子集団C・DE・FR型に分れたこと
そして、C型とFR型の辿った道程と分布の状況は前回の記事にした
今回は話の玄旨である、DE型の「出アフリカ」後の話に入ることにする、バンバン(講談師)

DE型遺伝子は、YAP (ヤップ、Y-chromosome Alu Polymorphism)という変異で定義される
YAPとは、古代に起きた「M1」と定義される変異の痕跡(SNP)を示すのものとか
何らかの要因によってY染色体上のDNA配列に挿入されたものとか云々、私には意味不明
YAP変異をもつ系統はハプログループE系統とハプログループD系統に限られているとか
特に、D系統は世界的には極めて珍しい希少な古代Y遺伝子型であるいう

「出アフリカ」後、インド半東西部辺りに居たDE系統も、三つに分かれ北と東へ西へ向かう
この時辺りで(五・六万年前?)、DE祖型からE亜型とD亜型の遺伝子形態に分れる
北へ向かった人たちは中央アジアからシベリア南部へ、東へ向かった人はスンダランドへ
この北と東へ向かった人達がD型になり、西へ向かった人達がE型になったとされる

このE型はあろうことか、今の中近東まで来てからアフリカの地へ出戻りした者がいた
メソポタミア、レバント(東中等)、地中海沿岸、エジプト、エチオピア、タンザニア、ケニア
更に西南アフリカから中央アフリカの黒人・ニグロとなり、奴隷としてアメリカ大陸へ
ケニア人の父を持つオバマ大統領はE型、ユダヤ祖日本人説も当たらずとも遠からじ

中東からギリシャ・バルカン半島に入ったE型は、オーストリア辺りまで進んでいる
地中海の海洋民・フェニキア人、アラブ諸族は南欧に入り、ラテン系欧州人となる
北回りで欧州に入ったゲルマン系の北欧人とラテン系南欧人は基の遺伝子から違っている
ゲルマン女のメルケル首相とギリシャ男のチプラス首相とは論理が噛み合う訳がない
ラテン系のイタリアやスペインがギリシャの同情的スタンスをとるのも、頷けるところ
因みに、ゲルマン至上主義でユダヤ人殲滅を図ったヒットラー、遺伝子がE型とは皮肉

これで、漸くギリシャの話まで来た、次は原日本人となるD型の話に移りたい
D型の人は「分かち合う民」となった故に、他の遺伝子を持つ人々に追いやられ、消えて行った
考えてみると、新人・ホモサピエンスとは残酷な生物である
先に居た、原人や旧人は全て新人に滅ぼされて、この地球上から姿を消した
D型の最大集積地が日本列島、次に山岳のチベット・ブータン、絶海の孤島アンダマン島
D型種族の居る場所は、世界中で其処だけとなった
続く、茶の話に行き着くまで・・
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左がmt(ミトコンドリア)遺伝子の亜型分類体系、右がY染色体遺伝子の亜型分類体系
今の人類・新人(ホモサピエンス)の遺伝子は全てこの中に入るとされている
が、Aより前の型を持つ人間が見つかったという話があった、アフリカ出身という
遺伝子の識別アルファベットは、mt遺伝子とY染色体とは相互関係はない別物

mt(ミトコンドリア)遺伝子は母親から娘に代々受け継がれる遺伝子
Y染色体遺伝子とは父親から息子に代々受け継がれる遺伝子という
亜型分類体系とは遺伝子の突然変異種を分類し体系化したもの
遺伝子の分布地域が示されているが、それは其の人類の本貫地、本籍地域
つまり、有史以前のもので今の人種編成とは違い、アメリカとはネイティブのこと

mt遺伝子はL0からL3まで大きく四つに区分され、L0からL2はアフリカだけ
L3は二つに分かれ、そこにMN型が現われるが、それが出アフリカの集団となる
このMN遺伝子は更にM型とN型の二つに分かれ、また更に其々が分岐していく
mt遺伝子の分岐を遡ると「人類の母・イブ」という一人のアフリカ女性に辿り着くとか

Y遺伝子も大きくA・BRに区分され、AとBはアフリカだけで、BRから分れたのがCR
このCRが「出アフリカ」集団で、インド半島の西辺りに来てC・DE・FRの三つに分かれる
その後、C型はインドから北と西の二方向に別れてユーラシア大陸を進んだようだ
Y遺伝子を遡ると、やはり「人類の父・アダム」という一人のアフリカの男性に辿り着く

北へ中央アジアからシベリヤまで行ったC集団は、ベーリング海峡を渡りアメリカ大陸へ
このC集団は、いわゆる「ギャートルズ」のマンモスハンター集団であった云われる
このC型集団の一派は地続きの樺太・北海道から日本列島にも入った

インドから西へ向かったC集団は、スンダランド(海面が下った広大なインドシナ大陸)へ
更にスンダランドと略地続き状態であったオーストラリア大陸に入った
そして、スンダランドから北上したC型一派はやがて日本列島に辿り着く

FR型もC集団と同様に北へ向かい、中央アジア辺りで東西に分れて進んだ
勿論、そのままC型集団と共にシベリヤに向った者はN型となり、日本にも入った
東に向かった者はKR型となりアジア各地に拡がった、その最大集団がO型である
O型集団の一派は支那大陸と地続きの台湾に居て、海面上昇で島となってから動いた
そのO型はフィリピンから東南アジア、ポリネシア、遠くはマダガスカル島まで行き着く

西に向かったFR型はウラル・カスピ海を越え、ヨーロッパ大陸に入りFJの各型に分化
そして、ヨーロッパ辺りに居た旧人ネアンデルタールと交配して今のヨーロッパ人となった
北欧人の白肌、金髪赤毛、碧眼はネアンデルタール人の形質を受け継ぐと云われている
中央アジアではネアンデルタール人の亜種・デニソア人が居た痕跡と人骨が見つかっている
その遺伝子はメラネシア人に残され、遠く太平洋の彼方まで来ているとの話である

では、「出アフリカ」をしたDE型の人、つまり原日本人である縄文人の祖先はどうしたのか
続く
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近所の畑で苦瓜(ニガウリ)の花が咲いた、最近では沖縄用語の「ゴーヤ」が一般的になった
沖縄、それは縄文人の源郷でもある、このことは意外に知られていないようだ

さて、ギリシャ問題に続き、支那共産帝国の株式相場が大暴落とか
そもそも、共産主義国家に資本主義思想の株式資本や株式市況云々とは何ぞや
まさに、支那人の儒家詭弁とギリシャ人のソフィスト派詭弁とは同族であろう
それが悲しいことに、日本人男性の40%がギリシャと、15%が支那人と同系遺伝子
何たることやサンタルチアと思われるであろう、その辺りの話が興味深いところ

この二十年余り、遺伝子の研究成果から人類学の様相が変わった
人類学は、これまで自然人類学と文化人類学と大きく二つに区分されていた
自然人類学は形質人類学とも云われるように、骨格や肌・眼・髪の色とか生物学な探求
文化人類学は言語・風習・宗教・社会属性とか、社会文化学の側面で人類・民族の探求
だが、遺伝子研究からこれまでの形質研究や言語研究とは全く違う人類系統が解り出した

日本人に26%、朝鮮人に15%見られるab3st遺伝子というモンゴロイド識別子がある
黒人・白人には無いとされているが、金髪・碧眼の北欧の白人ラップ人から見出された
世界で日本人だけに見られる成人T細胞白血病ウイルスが、アフリカの黒人から発見された
要するに、遺伝子が示す人類の系統は白人・黒人・黄色人種という概念とは違うというのだ
この関係の本や論文には、括目させられるところもあり、納得もさせられた

人類の多地域進化論、各地の原人や旧人から今の人類に進化したとの説は完全否定された
女性遺伝子からは、十五万年位前にアフリカに居た「人類のイブ」という女性に辿り着くとか
男性遺伝子から遡っても、やはり其の頃アフリカに居た男、「人類のアダム」に辿り着くそうだ
七万年位前にアフリカから、紅海の狭い海峡を渡りアラビア半島南部に百人余りの集団が出た
一度だけの「出アフリカ」と謂われるもので、アフリカ以外の全人類の祖先となったという

七万年余り前のスマトラ島トバ火山の大噴火で地球が寒冷化、それが「出アフリカ」の起因という
アフリカは干ばつで食糧不足になり、一部が命懸けの「出アフリカ」を試みたと論説される
彼らはアフリカで生活圏を確保できなかった、弱者の集団であったろうと推測されている
昔から、いつの世でも、弱者が国を追われて海に出てボートピープルになるという話だ
続く

1無題
青山ミツ、クーデンホーフ光子である、明治七年東京生まれ昭和十六年八月死去
明治二十九年にオーストリア貴族の夫と共に二児を連れ渡欧、日本には帰らなかった
ゲランの香水にその名・ミツコが使われているように、欧州で一番名高い日本女性

ミツの結婚は一族の猛反対、毛頭との結婚、つまり羅紗緬(らしゃめん・外妾)の拒絶
当時の日本人の感覚は、今の世の風潮に比べ、極めて健全であったと云える
一族と縁切りした形になり、日本に一度も戻ることなく彼の地で生涯を終えた
東洋の未開国という差別を受けたが、彼女の所作・振る舞いの品位がそれを退けた
彼女の辞世の句とも云える和歌が残されている

年老ひて 髪は真白く なりつれど
 今なほ思ふ なつかしのふるさと

そして、亡骸は日の丸に包んでほしいと云い残したという

実はミツ、「汎ヨーロッパ、欧州連合の母」と呼ばれている
今、ギリシャ問題で渦中のEU(European Union)欧州連合である
ミツの次男、東京生まれの青山幸次郎が欧州連合の理念を説き主宰した
ドイツ語名はリヒャルト・ニコラウス・栄次郎・クーデンホーフ=カレルギー
まま、EUのこと、日本と因縁があると云えばあるが、無いと云えばない

今回のギリシャ問題では北欧系では非難され、南欧系ではギリシャに同情的とか
ここで気付いたこと、欧州の白人国家と思われがちであるが、北欧と南欧は違う
それは人種や民族・文化・宗教というより、男性のY染色体遺伝子が違うのである
古代ユダヤ人やフェニキア人等の流れを汲む地中海沿岸に多い「Y遺伝子E型」
この遺伝子は北欧やユーラシア・アメリカの人種には見られず、インドに散見する

それがである、Y遺伝子の絶滅危惧種古代遺伝子といわれるものに同系のD型があえい
その貴重な古代遺伝子D型の最大集積地は日本列島、すなわち日本人男性の遺伝子
他にはチベット・ブータンの山岳地と絶海地アンダマン諸島の男性だけである
つまり、地球上の僻地だけで生き延びているのがD型、それは縄文人の遺伝子でもあった
ま、あのギリシャ国民の中に、我々の遠い親戚がいるとは・・

このこと、前に少し触れた人類の出アフリカ、約七万年ぐらい前のことに話が遡る
今回は、EUとギリシャの関係には僅かほんの少し、日本との繋がりがあること記す
前に記した沖縄人の遺伝子が原日本人というか、日本人の基層を為している話に繋がる
その先は、日本列島に拡がっていた「振り茶」の習俗にも繋がると、私には思われる
続く
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ギリシャ国花のアカンサス(Acanthus) ギリシャ語の「akantha(とげ)」が語源
狐の孫科とある、「とげ」であろうが「狐」であろうが、名は体を表す

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前置きが長くなりました。ユーロ安はドイツに有利では?とのご下問ですが、事態は「EU経済縮小への憂慮」という段階に入りました。世界のGDPのうちEUは3割占める。この市場が小さくなれば世界経済全体にダメージ、日本も輸出の15%程度依存ですが、中国や韓国のダメージは相当なものでしょう。ギリシャ危機をユーロ加盟国危機に転移させないためには、ギリシャ危機自体を消すしかないと思います。「いやー皆の衆、お騒がせしましたが、なーに、ご心配なく、ギリシャ兄さんは、わてらでキッチリ面倒みますさかい、ご心配なく、ワハハ」とEU首脳とECBが笑顔で言うて欲しい。ドイツも「まかせなさい」と言うて欲しいところですが、ゲルマン怒りの噴火危険度は箱根どころじゃない様子。そもそも何度も噴火するドイツを抑えこむことがEU成立の背景、通貨統合はあくまでも財政統合の前段階というのが識者の説明でした。理系女子のメルケルおばさんが荒ぶるゲルマン男子を鎮めることができるでょうか?ゲルマンとヤマトは実直(愚直)な分だけ、切れるとそりゃもう大変で手がつけられない・・と英国野郎が言うてました。
投稿者 : ザッケローニ


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誰かが「ポンコツチームを所有すれば儲かる」と言った。節税か?と問い直すと「持続可能な成長のための仲間ですよ」と、その説明は笑顔で始まった。はて仲間?ドイツの持つ高い生産技術に「安い労働力」と「適切な為替相場」が安定して供給される環境が整えば、確かにドイツは持続可能な成長が見込めた。そこでポンコツチームを調べてみたが内情はボロボロ、練習嫌いで、上昇志向もなく、OBは贅沢な供応を求める。「だから必要な仲間なんです」と言われて困惑するドイツに「粉飾決算書はおまかせください」と申し出たのはドイチェ銀行とナントカ投資銀行の紳士たち。これでギリシャはEUの入会条件を通過し仲間となった。すぐに潤沢な資金がギリシャに流れ、国民は浮かれた、そして資金は引上げていった。ドイチェ銀行も投資銀行もギリシャから去った。ギリシャ国民は緊縮財政でヘトヘトに、ドイツ国民は確かに儲かりはしたが、その分ギリシャ返済の肩代わりをさせられイライラに。言いだしっぺの笑顔の紳士ってどこのドイツか知らないが、彼らはこんな言葉を口にする「マルチステークホルダーコミティ」。はぁ?マルウチステーキ?・・・食べたことない
投稿者 : ザッケローニ
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ドイツ国花、矢車菊(ヤグルマギク)、明治初め頃日本に帰化、学名・Centaurea cyanus
私にはどうしても鉄十字に見えるが、鯉のぼりの矢車が名の由来
ナポレオンに侵攻された際、畑に身を隠した皇后が王子のためにこの植物で花冠を作った
その王子が初代ドイツの皇帝となり、皇帝の紋章として使ったことから「国花」となったとか
学名のCentaurea とはギリシャ神話の半獣神というから、これまた、いとおかし

ザックはんから長文の回答が寄せられたので三連載にて掲載、その一

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確かに直下ではユーロ相場は下振れ、円高方向かも。とはいえ金融市場は言うまでもなく「先行きの透明感」。ユーロへの信認は「加盟国の財政に何があってもECBはユーロを安定させる」という態度表明にかかっている。これが今ない。通貨は統合しても財政は未統合のため、ギリシャのように財政破綻した国が生じたら「強制的に排除するか、徹底して救済するか」が素早く実行できる仕組みがなくてはならないmust要件、それがない!だからギリシャへの民間融資はこの5年間でほぼ逃げ出しに成功、残りは公的機関(ECB,IMF)、その損失補填はドイツが担っている(ブチ切れ寸前)。もしギリシャをユーロから排除すれば、安定するか?いいえ、世間の目はスペイン・ポルトガル・イタリアに向く、それらの国はギリシャが5年間やってきた「緊縮財政」をやるか?いいえ、それでギリシャ経済は30%も縮小、緊縮財政を受入れを条件とした公的融資は、ドイツ銀行をはじめとする民間融資返済に回った現実を、しかと見てきた。ならばまたドイツが負担するか?そうなるとヒトラーどころじゃない。かように欧州経済の先行きは真っ暗闇。ギリシャ国民は「No!」、オーソレミーヨ
投稿者ザックロー二


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近所の道端に咲く「蛍袋・ほたるぶくろ」、何となく憎めない花である

ギリシャの国民投票は「反対」が六割を超えて終了したとかいう話であった
女子サッカーワールドカップ決勝・日本対米国戦は、二対五で日本敗北
朝から酒が不味かった

特にギリシャ、哲人政治の故郷であったのに、信義を捨て自利に走った国民
借金で遊んで暮らし、返済はしたくない、貸した側に責任があるとかの云々
日本でもこの手の輩は確かにいる、然し、それは日本では世の趨勢にならない
更に然し、ギリシャではそれが世の論理になったようだ、哀れな国民である
恐らく、そんなギリシャの先行きは「ほたる袋小路」に陥るであろう

全く今日の朝酒が不味いが、まま、このまま飲み続けよう
幸い、昨日のことであるが神社の宮司をする塾生が奥方と子供を連れ来駕
土産が大和スイカ、筋無しの上物である、私の酒のアテに打って付け
前の土産は、図書館から借りだした民族資料選集二十一・「振茶の習俗」
昭和五十七年・国土地理協会発行の日本の喫茶風習を調査記録した書物
「茶の湯」発祥以前の日本の喫茶習俗が記された学術書物で今は絶版となっている

この「振茶の習俗」の他に、神奈川大学の中村羊一氏の「番茶の民俗学的研究」
奈良県茶業研究員であった寺田孝重氏の「茶花の散歩道」、併せて三冊が揃う
茶家の「御用学者」とは筋が違う書物で、その論旨は私には読み応えがある
またぞろ、ブログの題材にしたいと思う
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近所の畑でブドウが実を付けていたが、種類は解らない

ギリシャでの国民投票が今(日本時間五日十三時)始まった
午前一時まで行われ、大勢が判明するのは明朝の見通しだとか
直接民主制とはギリシャの伝統と云えるが、このチプラス首相
「反対を選択すれば、より強い力でEUと交渉できる」と主張し
反対を選択してもEUに残れるし、給料も年金の保証され尊厳は守られると云う
ほとんど詐欺ともいえる虚言・詭弁を弄するアジテーター若造である
やはり、ソフィスト派の生まれた土地柄だと変な納得もする、まま、国民も国民

一方賛成派は、緊縮策を受け入れなければ、EUとの対立が決定的となり
支援を受けられず、経済が立ち行かなくなると主張している、まま、正論
前稿のザックロー二氏のご高説、興味ある内容であったが、ひとつ私に異論
ギリシャ問題がこじれ、ユーロ通貨が下落することは、ドイツの利益となるハズ
円安で日本の輸出産業が息を吹き返し、日本経済が活性したのと同様のこと
EUの中では輸出工業が強いドイツ、他のEUとの産業力量が違うということ
どうもメルケル首相は一筋縄でいかん女のようだ、習近平にも色目を使った
ザックはん、如何であろうか?

明朝の選挙結果が興味深い、その後は女子サッカーワールドカップの決勝戦
今朝は四時から起きて、ドイツ・イングランド戦を見た、イングランド勝利
そのイングランドを負かした日本の箔も付いた、最近睡眠不足が続いている
2015.07.04 野萱草
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秋篠川の野萱草(のかんぞう)、八重なら藪萱草(やぶかんぞう)
別名は「忘れ草」、まるでギリシャ政府のパッパラパアのような・・

今の欧州情勢は、EUとギリシャ政府が互いに「野萱草」のチキンレース
先に、ギリシャのアレクシス・チプラス首相 を邪まな 男と私は批判した
その私の批判に対し、次のような批判、否、ご意見を頂いた
面白い視点であり、卓見である、このギリシャ神話には括目させられた
その筆致も軽妙洒脱、掲載させてもらう

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徹底抗戦中のギリシャの姿は、昨年のWカップでも観られた。自陣ゴール前をガチガチに固めたみっともない陣形で、失点を防ぐに徹し「勝つ気」は毛頭ないかのよう。まさに「恥知らずな国家代表の姿」だった。こうなると攻める側が疲れ、焦る。そこに一瞬の隙間が生じることもある、「おまえら、ギリシャを徹底的に攻撃して潰すならば、次はスペイン、イタリアも潰れるぞ」このEUの隙間だけを見つめてギリシャはドローに持込もうとしている。スペイン、イタリアの国債には日本の民間資金も投資中で金額もかなり大きい。Wカップ本大会では日本はギリシャにドローに持込まれ決勝トーナメントに進めなかった。日本代表は攻守のバランスを重視した美しいスタイルで世界一速くに地区代表になっていたのだが。ギリシャのワル男を罵倒しても日本の民間資金10兆円を救済できるわけじゃない、日本は今、声を出してEUを責めるときだ。「徹底してギリシャの面倒をみよ、それがEUの世界経済での責任だ」と。それでドイツに損害が出ようが「そんなの関係ねー、オッパッピー♪」。先のWカップ、優勝はドイツだった。圧倒的に強かった。確かに日本は実直、しかし実直と愚直は紙一重。
投稿者 : ザッケローニ
2015.07.03 半夏生と蛸
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こちらが半夏生(はんげしょう)、向うは紫蘇(ちそ・関東ではシソ)
道で会った卒塾者の奥方の自転車籠である、紫蘇ジュースを作るとか
実は半夏、烏柄杓(カラスビシャク)という植物で毒草である
紫蘇ジュースに混ぜないことを祈る

窓の外は昨夜からの雨が大粒になりだした、正に半夏雨である
七月二日は「半夏生」(はんげしょうず)、雑節の1つから作られた暦日
かつては夏至から数えて十一日目、田植えを終える日としていた
現在では天球上の黄経百度の点を太陽が通過する日となっている
この頃に降る雨を「半夏雨・はんげあめ」と云い、大雨になることが多い

半夏生の日、近畿一帯では蛸(たこ)を食べる風習がある
植えた苗が蛸の足の吸盤のように田に吸い付くことを念じるらしい
よって、この日の店先には蛸の足が大陳販売されることになる
まま、蛸にとっては厄日とも云える日である

英国や独逸など北欧系の人達には蛸を食べる習慣が殆ど無いようだ
そして、蛸を悪魔の使いとして忌み嫌っているということである
その理由に、キリスト教の原点でもあるユダヤ教の戒律があるという
ユダヤ教では鱗(うろこ)の無い魚は食べてはいけないとされている
つまり、蛸や烏賊(いか)、鰻(うなぎ)に鯨(くじら)の類である
よく考えてみると、これ等の魚を世界で一番食べるのが日本人

七月二日、半夏生の日に日本と戦った英国女子サッカーチームにとって
イモ・タコ・ナンキンが大好物という日本女子は悪魔の使いに見えたろう
オウンゴールというのが、そのことを物語っている・・、気の毒、半夏の毒

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雨続きで、愛犬「ハナ」を散歩に連れて出ることが出来なかった
すると何を思ったのか「ハナ」、私の寝床の横に来て「ふて寝」
この姿、死んではいない

もう半世紀近い前の話になってしまった
昭和四十四年三月三十日、パリで一人の女性が焼身自殺をした
彼女の名はフランシーヌ・ルコント(Francine Lecomte)
当時起きていたベトナム戦争とビアフラ戦争の抗議のためであった
この事件を歌った「フランシーヌの場合」が、反戦歌として大ヒットした

私も口ずさんだものだが、洒落にもならない想い出が残る
三番ある歌詞の文句は、全て語尾が「フランシーヌ」で終わる
聞いた私は「フラン」という名の人が死んだのだと思い込んで歌った
暫らくして、それが「フランシーヌ」という女性の名だと知り、恥じた
以下その歌だが、確かに女の歌である

https://www.youtube.com/watch?v=2dah_5_6gPs

新幹線で焼身自殺し、巻き添えで女性一人を死亡させた男
その犯人の名は林崎春生(はやしざき・はるお)七十一歳
私と同じ世代であり、彼も「フランシーヌの場合」を歌ったかも知れない
然し、この男は事件の犯罪者であって、「フランシーヌの場合」とは全く違う

この報道で気になったことがある
「事件」と「事故」の使い分けである
事件当日、そのことを報じる民放番組の中で興味深い遣り取りがあった
若い女性アナが「事故」と表現した際に、年配の女性キャスターが遮った
「事故とは断定されていないでしょ」、その言葉に若い女性アナが二の句が継げない
私は、報道番組でよく見掛けるその年配の女性キャスターに好感を持った

それがNHKでは「事故」として報道しており、私は不快感を持った
そして今日の新聞、国土交通省が「初の新幹線火災事故」と認定とあった
「事件」とは故意の犯罪行為の事実、「事故」とは過失で犯罪嫌疑のない事実
新幹線の中で焼身自殺を図り、巻き添え死者まで出た事実は、明らかに「事件」
それを「新幹線事故」とするのは、それこそ「故意」の誹謗中傷の類であろう
今回の件では新幹線に過失も罪も無い、つまり新幹線は事故を起こしていない
全く、NHKと朝日新聞は罪深い

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未だ雨が続いているので、車庫の中で傘を干す三輪車

昨日の天気予報では夕暮れから大雨ということだった
私は三輪車に跨り、買い物を済ませてから行きつけの診療所に寄った
先の患者さんが済むのを待って、定期診察を受け薬をもらった
支払いを済ませて帰ろうとすると、外は既に雨が降り出していた

親切な看護婦さんが、「これをお持ちください」と云って傘を渡してくれた
病院名が書かれた透明傘である、幸い私の三輪車は「差すべぇ」付きである
私は看護婦さんに礼を云って、診療所を出た
然はあれど、病院名が書かれた傘を「差すべぃ」に付けて三輪車で道往く我が姿
すれ違う人や追い越す人が珍しそうに振り返るが、まま、ワレ関せず・・
恥ずべき恥と、恥ずべからざるき恥がある、私は堂々と病院傘付三輪車を漕いだ

然し乍らである、今朝の新聞やテレビはギリシャ云々、つまり恥知らずの話
ギリシャ政府曰く「借りた金は返したくない」「生活のレベルは落としたくない」
そして「我々を破産させたくなければ、もっと金をを貸すか、借金の棒引きをせよ」
件のギリシャ首相、愚民を煽った自らの政策が頓挫すると、次の手は「国民投票」だとか・・
「自分の政策とは違う投票結果が出たらそれに従う」、要は国民へ責任転嫁ということ
全く以って卑怯である

愚民を煽る形でギリシャ首相に就いたこのチプラスという男に、私は首を傾げていた
その服装や表情、云っていること、伝え聞く私生活、女にもてそうだが邪な臭いがする
一言ことで云えは「恥知らずで卑怯な男の典型」、私はそう思って見ていたが案の定だ
日本文化の特徴は「恥の文化」とも云われ卑怯を厭うが、このギリシャ男は・・
それとも、それがギリシャ文化なのか、ソクラテスもプラトンの居たろうに

亡き司馬遼太郎曰く、白人と支那人は恐喝の民、比べて日本人は実直の民、と
納得出来る話である