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コブシ(辛夷) の実が落ちていた、赤い実は集合果で、でこぼこ状である
その形が子供の「こぶし」に似ることが名前の由来と云われるとは、私は知らなかった
花の蕾が子供の握りこぶしに似ているのが名の由来と聞いていたが、諸説あるのだろう
コブシの別名は田打ち桜 (開花の頃、田植えを行うことに因む) 、モクレン科の日本原産種
よって学名は「Magnolia kobus 」  何故かMagnolia(マグノリア)はフランス人植物学者の名

ここは長い間空き家になっていたものを若い医者が購入し、往診専門医院を開業した
空き家当時は庭の地面に草が茂り、コブシの実が落ちていることに気付かなかった
アスファルト整地して、このコブシの木だけを残して、周りを駐車スペースにしたのだった
垣根代りにあった植木が全て取り去られサッパリして、狭かった道の往来も楽になった
その若い医者、明るい好人物で先輩医師から患者の紹介を受けてやって行くと笑顔で云う
すぐ近くだから、私が倒れた時は宜しく頼みますよと立ち話をしておいた、何故か安心

考えてみると、息子世代の医者や弁護士が周りに増えた
もう、何かにつけ、子供の手(コブシ)を借りることになるという話であろう
老醜を晒さないよう心掛けるべしという気持ちが過り、ぢっと手(コブシの実)を見る・・啄木
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裏の神社の坂道、ドングリが彼方此方に転がっている、まさにドングリコロコロである
「ハナ」の首輪をタスキに替えた、白タスキでは二百三高地の抜刀隊を連想するので赤にした
首輪が抜け易くなったので、車を恐れない上に目を悪くした「ハナ」にはこれで良かろうかと

今、女房殿は七時から十一時までの四時間に亘る歌謡番組を観ていなさる
私は寝間に行き、窓を開けて布団に転がり、十六夜 (いざよい)の月を眺めることにした
心地良い風が入る、このところ仲秋の名月といえども夏感覚であったが、今年は秋そのもの
テレビから懐かしい曲が聞えて来ると、夜空の月も幾星霜を越えた眺めに変わって目に映る
まま、人生の旅愁というものが味わえる歳になって来たのかな・・
夜風が寒くなって来た、然し窓は未だ閉めず、掛け布団を足にのせる
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九月二十七日は中秋の栗名月、朝方は曇り空で芒が虚ろに揺れていた

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夜になると、名月が三笠の山からクッキリと現われ、やがて薄雲が棚引いた
珠光の云う「月も雲間のなきは嫌にて候」、なるほどの名月の夜空となる

今日は西大寺で表千家の釜が掛かった、西大寺は奈良の表千家の本拠地
亭主は私の知己というか、色々「茶」を語り意見を述べ合い、教えを頂いた御仁
西大寺は私の孫娘が通う幼稚園があって、最近では身近な存在となっている
二十年以上前になるが、上田流でも釜を掛けたことがあった懐かしい場所でもある
そんなこんなで西大寺の裏手にある娘の家へ行き、孫の顔を見てから会場に向かう
八時半に会場に着いたが客の人影が無い、うん?入り口から中に声を掛けてみた
やはり、私のボケが進んでいる、十時の初席を私は九時と思い込んでいたのだった

さすがの御亭主、七人程の人がみえた九時半頃に、「どうぞお通りを」と案内があった
席入りすると、話の流れから私が正客と云うことになって着席、竹台子の中置であった
上田流の台子や長板は、炉でも風炉でも幅が二尺八寸で変わらない
千家では風炉の時は二尺四寸程の幅になり、台子の勝手側の畳上に筒水指を置いた
二尺八寸の幅では水指を外に置くことが出来ないので、私には初めて見る形であった

御亭主は、私が聞かない限り道具の話はされなかった、これは意外であった
これまで千家の茶会に寄せてもらって、道具を語らないことはなかった
というより、道具の話ばかりというのが通例のようだと私には思えていた
寄付待合にあった会記には、見事な字で趣向を凝らした道具組が記されていた
御亭主が話されたのは菓子のことだけ、「今日は中秋の名月、兎を象りました」
早く来た私を慮り、定刻の半時間も前に席入りをさせること、それが出来る準備ぶり
席中での亭主ぶりも然ることながら、不意の事態に合す余裕の技量には納得であった

会記
寄付掛物  即中斎宗匠筆短冊 菊花令人寿
        小兵衛作 瓢形垂撥ニ
本席掛物  即中斎宗匠自画讃 秋草に月の字
花 入   惺斎好千鳥籠 尋牛斎宗匠箱 宗伝作
花    季のもの
香 合   菊置上蛤 即中斎宗匠箱 小兵衛作
即中斎・而妙斎合筆 清芳文字乱菊絵服紗シキテ
唐銅鳳凰風炉 富士釜 春斎作
而妙斎好ツボツボ腰風炉先屏風 在判同箱 吉兵衛作
竹台子
水 指   膳所焼 ロハク写 而妙斎宗員宗匠箱
茶 器   閑楽庵庭園古木ヲ以作之七個其一 碌々斎宗匠箱 宗哲作
 替    菊大棗 兼中斎宗匠箱 清鳳作 
茶 碗   高麗堀の手 三室山 小堀宗慶宗匠箱
       「神なびの 御室の山の 葛かづら うら吹きかえす 秋は来にけり」
 替    焼貫片口 惺斎宗匠箱 弘入作
 替    武蔵野平 而妙斎宗匠箱 即全作
茶 杓   長崎鼈甲 惺斎宗匠筒同箱
 建水   棒の先独楽繋彫 而妙斎宗匠箱 浄心作
 蓋置   武蔵野 即中斎宗匠箱 即全作
菓子器   太閤窯 即中斎宗匠在判
 菓子       樫舎製
干菓子器  コマ盆 而妙斎宗員宗匠箱 近左作
 干菓子        樫舎製
 茶        堀井七茗園詰 
煙草盆   松ノ木白竹手  惺斎宗匠箱 利斎作
 火入   染付 妙全作
 煙管   惺斎好亀甲 浄益作

この道具組
私には少々過ぎるというか「これでもか」と思わせるキライはある
然し、ご流儀としての形をキッチリと組まれているのはご立派








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朝、新聞を取りに玄関を開けると金木犀の香りが漂った

門扉の前で新聞を見てふと考えた、領土、私有地、私有とは何だろう
この二・三日のテレビや新聞では欧州に向かうシリア難民の報道が多かった
欧州各国では「国境」の封鎖や「隣国」への誘導とか欧州の「国々」で揉めている
「国土」「領土」そして「私有地」の概念とは、いつ頃から生まれていたものだろうか
遊牧民や焼畑農民には「領土」や「私有地」の概念は無かった歴史がある
中央アジアの遊牧民族、アメリカ大陸やオーストラリアの先住民には土地は皆のもの
ローマ帝国の古文書には、ゲルマン人には私有感覚が無いと記されているとか

恐らくは、その社会主体の生産手段を確保するための領域という概念が起こりだろう
牧草地帯や焼畑の移動循環地帯、魚の漁場や獣の狩猟場の「縄張り」感覚が根本
それが定地農耕文化が遊牧・狩猟文化を凌駕し始めた頃から「領地」感覚が生まれた
つまり、農業生産を基本とする「ムラ・クニ」の形成が「領地」を設定、更には「境界」を生む
「クニ」が「国家」に発展し、政治・経済と生産を統治する主体となると、その範囲が「国土」
そして、そこに国民とか私有財産制という奇妙奇天烈な概念が生まれ、敷衍したようだ

難民からすれば、とくに難民の子供からすれば「どうして」という単純素直な疑問を持つだろう
「どうして、その地にはボクたちは入れらないの、大地は誰のもの」という単純な疑問だ
私の青春時代に聞いた、二つの歌が頭に甦った

昭和四十五年にNHKテレビで流れた「青い地球は誰のもの」
https://www.youtube.com/watch?v=juQZxhhkFc0
全学連の闘士が涙を浮かべながらキャンパスで歌った「インターナショナル」
https://www.youtube.com/watch?v=KFlGfHCCZdQ

さあ、今日は学園前駅へ行き、安保生き残りのオッサン達と共にビラを配ろう
「青い地球は誰のものだー!、ミンナのものだー!」
「難民の皆さんは堂々と欧州へ行ってくださーい!、欧州の水はアーマイぞ!」
「日本は遠いですよー!、日本の水はカーライぞ!」

人間、本音と建て前、イロイロ
「世界は一家、人類皆兄弟、戸締り用心!」
笹川のジッチャン、見事に本音と建て前を使い分けた分かり易い人だった
2015.09.24 目薬
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向かって左がサイズ3㌢の人間用目薬、右がサイズ2㌢お犬様用目薬、共に白内障の薬

近所の薬局で、私が店主に愛犬「ハナ」が目を悪くして獣医の治療代が高いことを話した
「三分ぐらいの診察代が4500円で、小さな目薬一本が3500円で一か月もたん、高いわな」と私
「犬は保険が利かんからな」と店主、そして「人間用で良かったらこんなのがある」
出してくれたのが写真左の目薬、白内障の進行を押えるというもの、犬用より大きい
私が「人間用の白内障の目薬なら、犬にも効くやろうな」と云うと、店主「と思うけど・・」
私「これナンボ」
店主「一本150円でエエ」
私「在庫幾つ」
店主「六本」
私「皆買う」

昨夜のラグビーワールドカップ、日本対スコットランド戦
解説者と云うか評論家と云うか、ホンマ、エエ加減なお人達である
スコットランドチームは後半に動きが止まる傾向がある、そこが日本の付け目
前半を喰らいついて終え、後半勝負という形になると日本の勝利が見える、とかオヌカシ
前半は日本の反則でPKを12点奪われるも、日本もトライとコンバージョンゴールで7点
これは、勝ちが見えるかと後半期待したが、その後半で5トライ奪われ、結果は大敗

私は眠い目を擦りながら「ハナ」に目薬を注し、寝ることとした
「ハナ」は半眼で大人しくされるがまま、扱い易い易い犬である
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2015.09.23 トライの選択
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大銀杏松茸(オオイチョウマツタケ)、別名・姫松茸というらしい

昨日は別枠稽古日、終わってから三条通りの「かえる庵」さんに日本酒持参で直行
我々が行くと知り、先回りしていた他の塾生も日本酒を持って既に来ていた
飲んだ飲んだ六種類の酒を利き酒宜しく、ただの飲んべぃ達がグイグイと
隣席に居た他の客まで自分の酒を持って輪に加わって暫しの酒談義、

塾生の一人がラグビー経験者で、私がブログに書いた南アフリカチームの紳士道に同感
これまた酒談義のツマミになったところで、卒塾者である「かえる庵」の庵主が「これどう?」
それが写真のキノコ、昼間に来店したお馴染みさんが持って来たものだそうだ
全員が初めて目にしたもの、早速に焼いてそば汁で食す、旨い、また酒が進んだ

ラグビー談義、ザッケはんからコメントが入った(今回は何故かザックはんになっている)
実はこのザッケはんもラグビー経験者

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マイスターが日記で言及された>その選手は全て大英帝国の臣民と植民地の原住民で構成されていた<その帝国臣民こそ、連邦各地に赴任するパブリックスクールの卒業生。模範としたプラトン書が云う「戦士階級」、そこに求められる人格的資質は「勇気」。おぼっちゃまの「勇気育成」こそ、パブリックスクールが野蛮な競技ラグビーを強く推奨する理由だとか。味気ない食事に不満を覚えず(全寮制)、事にあたっては心身共に勇敢で、一般老若男女には礼儀正しくあれ、これぞジェントルマンなんだとか。ワタクシのローマとの違いは「食事」でしょうか(マンマみーや!)卒業生曰く「美食は赴任先にあり」と。気の毒デスネ。そんな英国人ですから日本代表の見せたラストでの「トライの選択」は、大英帝国ジェントルマン階級の核心的価値に響いたことでしょう。あれがたとえ失敗していても、その称賛に変わりはないでしょう。代表監督のオーストラリア人の選択は「ドロー」、しかし戦士たちの選択は「トライ」、オーソレBraveheart!監督はビジネスマン、選手たちはジェントルマンでした。主将の利一もパワフルな平助も素晴らしかった。奄美とか、あの辺出身でしょうか?
投稿者 : トライの選択(ザックに涙)

ザッケはんにお答えします、利一と平助のこと
関東縄文人の嫁はん、オーストロネシア語族民のmt遺伝子BとM7cの持ち主が半数近い
オーストロネシア語族とは、サモア・トンガ・フィジーそしてニュージーランドのマオリ族
彼等の祖先の出自は台湾の高砂族で筋骨頑強、Y染色体遺伝子はO1の人々である
ということで、日本人との血縁はまま有りとも云える、奄美辺りより少々南になりまするが・・

さてさて、今夜十時半からのラグビーワールドカップ
日本対スコットランド戦、にわかファンも増えた様子であり盛り上がりを見せるだろう
私は別のことに興味を持つ、それは共にスカートをはく戦士であることだ
マッサン夫婦も泉下で楽しみしているだろう、エリー(リマ)はどちらを応援するのかな・・
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花虎の尾、角虎の尾ともいう、シソ科で北アメリカ原産、大正時代に日本へ入った
時期的には夏から九月一杯だが、今年は今が盛りの様にあちこちで見る

日曜日の稽古の後、ラグビーワールドカップ日本対南アフリカ戦の録画を観る
朝一番に買うていた黒光りがしているスルメイカの皮を剥ぎ造りに、足は煮付け
薩摩焼酎を湯呑に注ぎ、ラグビー観戦の支度を整えた、至福の時間である
勝敗は既報で知ってはいたが、試合の場面は新鮮で観ていて力が入った
格闘球技と云われるだけあって、ついついこちらの体も動いてしまう

三点リードされていた残り時間二分の場面、日本チームの攻撃は圧巻であった
南アゴール前で南アが反則、ペナルティ・キックで同点引き分けという選択もあった
強豪南アを対手に引き分けることでも、日本ラグビーとしては大殊勲である
ところが、日本チームはトライの五点を狙いスクラムを選択、つまり勝ちにいった
少々泣かせる選択であった、ゴール線上にボールを持ってなだれ込んだ日本チーム
ビデオ判定でノートライ、そして残り時間が無くなりゲームが切れると日本の負けである
何度も何度もトライを狙って突っ込む日本、それを何度も何度も撥ね退ける南アフリカ
そして漸く相手守備を割り、相手ゴールにタッチダウン、トライを決め勝利した
日本応援団だけでなく、他の多くの観客がジャパンコールをして感激する姿があった

私はもう一つのことに感激した、それは南アフリカチームのフェア精神である
ゲームを切って時間切れに持ち込まず、日本チームのスクラム選択を受けて立ったこと
紳士のゲームとか、騎士道スポーツとか云われる所以が表されていることを見て取った
そして、あることに気が付いた、ラグビーワールドカップは国際試合ではないということだ
日本チームの選手二十三名の中に八人の外人選手がいることである
その国のラグビー協会に三年以上所属すればその国の選手として出場出来る
正確に云うと、その国とは国ではないこと、国とは大英帝国ただ一つということだ

大英帝国の植民地間で行なって来たラグビー大会というのが本来の姿
その選手は全て大英帝国の臣民と植民地の原住民で構成されていたのである
故に、どこの協会に所属しているかが問われるだけ、国籍や人種・民族は問われない
そこがオリンピックとの大きな違いになる、オリンピックは明解に国別対抗競技となる
「国」の概念が見直される話で、国とは「帝国」のことだったと改めて気付いたのだ
ローマ帝国であり、モンゴル帝国である、大英帝国が「国」であり、他は地域ということだ

私の存念の中にあった「国」や「国家」というものへの違和感が再確認された
世界というか、地球上の人間集団の括りとは「領土国家」でなく「民族の国」だということ
従って、国家間の交渉つまり外交や協定・条約なんぞも本来は民族間で行うべきもの
例えば支那共産帝国とではなく、大和民族とチベット民族、或いはウイグル民族という話
更には、大和民族とアイヌ民族との対等な協定や条約、その交渉もあって然るべきもの
そういうと、「イスラム国」は「国家」ではない「国」の正しい概念なのかも知れない・・

領土・国籍の概念がない「ユダヤ」という「国」は既に存在しているし、華僑集団もそうだ



2015.09.20 彼岸の入り
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今日九月二十日は彼岸の入り、稽古床には卒塾者の差し入れである珍しい白い彼岸花を挿した
この二十七日は中秋の名月故、芒を併せ散歩途中で手折った赤い彼岸花の小花も添えてみた
軸には「掬水月在手」、そして兎を象った生菓子、ままそれなりの季節を演出したつもり

今日は一時十五分からラグビーワールドカップ・南アフリカ戦のテレビ放送があった
朝のニュースでは日本の勝利が「大金星」「とんでもない出来事」とか報じらえていた
来ていた娘婿にテレビの録画を頼んで稽古を始めてのだが皆さんも録画セット宜しくされていた
最近はサッカー人気がラグビーを席巻した感があるが、昔はラグビー人気が高かったもの
私は勿論ラグビー派、ひとしきりラグビー談義に花が咲いていた中に来訪者があった

私のブログで旧制中学全国ラグビー大会で満州と台湾の中学が同点優勝したことを書いた
その一校の満州鞍山中学のOBの方に知遇を得ていたので、その人の話を聞いてブログにした
それが、一方の優勝校である台湾の台北中学ラグビー部OBのご子息のネット検索に掛った
ご子息と遣り取りがあり、鞍山中学ラグビー部OBから同窓会の部史を送ってもらう縁となる
本日、「男の茶の湯」の見学を兼ねてその御仁が我が家に来駕された次第

御仁は台湾まで行き、亡き父君の青春の姿を探し求めたということである
実際に、その伝手から伝手を辿りながら父君の足跡を訪ねて、ついに父君の住んだ家を知る
なんとその家は、御仁が連絡を取っていた人の家そのものであった、御仁は偶然に驚いたとか
そして、旧台北中学のラグビー場跡や御仁の祖父母が眠る日本人墓地跡も探し当てた

御仁はその時の写真を見せながら話してくれた、御仁の執念ともいえる行動力は驚きであった
先の大戦では日本人の多くが荒波の中で揺れ動いた歴史を持つ、その一人である御仁は前向きだ
前向きな人生でありながら、後ろの歴史を直に見聞されようとする姿には感服させる
なるほどに、彼岸の入りであった

人間、生まれて来た責任は無いが、生きる責任はある
その最大の責任は種の保存であろう、と思う今日この頃・・
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秋篠川の土手で彼岸花を見つけた「ハナ」、白内障の所為か近寄って確認していた

今朝の散歩中に、秋篠川土手道で卒塾者ご夫婦にバッタリ出会う
やぁーやぁーとひとしきりの朝の挨拶の後、今日が三日目と話された
暑い・寒い・雨が云々と、休む理由は常にあるとか云って笑った
その卒塾者ご夫婦は私達と似た年齢ゆえに、同感同憂の話題であった

似た年齢の話がもう一つあった
昨日のこと、学園前駅のバス停であるロータリーで似た年齢の男衆が屯していた
前を通ると、紙切れを渡し「戦争法案に反対署名を」とか話しかけて来た
私が「安保法案は賛成と云うより、手緩い」と云うと、どういうことかと聞いて来たので
「それはGHQ憲法廃止と徴兵制の復活がされていないこと」と答えると、彼は逆上
「貴方は米帝国主義の奴隷だ、話にならん」とノタマイ御立腹された

私が「ここでビラ配りの皆さんのお歳は」と聞くと、「七十歳ぐらいだ」とお答えになった
「なんや、安保世代やな」と私が云うと、「懐かしいし、暇やから皆でやっているねん」とか
「二十歳で共産主義に賛同しない者はアホ、四十過ぎて共産主義を云う者は大アホやで」
更に、「七十歳になって、懐古趣味のデモ参加なんぞキモイというものや」と私、そして
「懐古趣味は我々世代に必要な情緒やが、若い者を巻き込んで老害を振りまいたらアカン」
こう云うと、その同輩の方の表情は引きつり、「私の父親は沖縄で戦死した、戦争反対」

私は横にいた女高校生二人に、「イザという時に君を守って戦ってくれる彼氏がエエやろ」
と聞くと、女高生二人は顔を見合わせてからこちらを見て、黙って笑顔で頷く
最近の世論調査では、還暦以上の世代より若者世代の方が健全な安保思想を持つと聞く
「戦争法案」反対のビラ配りアラセブン男衆の金魚パクパク顔が微笑ましく見えた

今日の新聞に国語世論調査のことが載っていた
「枯れ木も山の賑わい」というのが「人が集まれば賑やかになる」と理解されているとか
本来は、このビラ配りの男衆が安保法案反対デモに加わるようなことを云うのだが・・
我々の安保反対デモはそのまま青春の想い出、オッサン・ジジィの姿は無かった
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御向いの庭先から枝垂れる「萩」、朝は涼しいと云うより肌寒い、昨夜は掛布団を出した
さを鹿の 朝立つ野辺の 秋萩に 玉と見るまで 置ける白露(万葉集・巻八、大伴家持)
万葉集で「萩」が詠まれる歌が一四二首、草木では一番多いという

産経新聞一面のシリーズ「海道東征をゆく」、奇しくも十六日は初代皇后の話であった
媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)、即ちイスケヨリヒメのこと
蹈鞴は鍛冶、「イスケ」とは「振る」という意味であると紙面では解説している
「振る」ことで霊や命をよみがえらせ、招き寄せる呪能の意味がある、と云う
私が「番茶の振り茶」で云いたかった本旨を解説してくれたようである

少し話が飛んでいたので、粗々の話をくり返す
二万年位前にO3系漢族に圧迫され、陸地であった東支那海へ移動したY染色体O2b集団
同系のO2a集団は揚子江から南、更には東南アジアまで移動してモン・クメール族等になる
海岸近くまで追い詰められたO2b集団の一部は朝鮮半島へ、一部は日本列島へ逃れた
朝鮮半島へ渡ったO2b集団は、その後もO3系の漢族やC3系の女真族・蒙古族の侵略を受ける
日本列島に渡ったO2b集団は、先住者であるD2集団と融合し共に縄文文化の担い手となる

O2b集団が大陸から持ち込んだ「焼畑農法」が山茶を生み、山茶の霊威を畏敬する
山茶は茶葉を蒸して発酵させ、他の山菜穀物と似て食する土器の文化をつくることになる
その茶を泡立てることで、山茶の霊威、即ち「神」の顕出を願う習俗が生まれる
この茶を振るという仕儀は一族の女将の霊力と結びつくことになっていく
一族の女将とは、巫女でもあり女酋長でもあった存在で母系社会の一面を持つ存在

宋の時代に抹茶を茶筅で泡立て食す、喫する形式がが日本に伝わり「茶の湯文化」が生まれた
やがて「茶の湯文化」は日本全土に普及し、宋で抹茶が消えた後も日本文化として今に残る
私は、そのことを日本には「番茶の振り茶」という土着文化があったなればこそと思える
茶葉を食すること、振り茶で泡立てる仕儀を神妙なものとすること、支那にない文化である
つまり、「茶の湯文化」の本髄は縄文以来の伝承文化の先に築かれた日本列島の文化ということ
支那で無くなった抹茶が日本に残ったのではなく、「番茶の振り茶」の変異が「抹茶の茶の湯」

そこには、神道の心というか神を畏み敬う思いと「浄め」と「禊・みそぎ」の形が見られる
「お祓い」とは「振り」の所作に他ならない、坊主の生臭講話とは異次元のものである
日本の神道は「宗教」では無く「精神衛生学」というのが的を得ていると思われる
「宗教」は人をたぶらかし、殺人を幇助し、身分制度と特権階層を生み、人を食い物にする
「番茶の振り茶」、思えば茶文化の歴史というか、日本の民俗史の底流に繋がっるもの
遥か縄文人の心、縄文文化の世界まで勝手に述べて来たが、この話、これで最終回

手元に、山本吾(木へん)郎著「番茶道」という女房殿が所持していた一冊の本がある
昭和四十七年発行で、番茶道に徹した森下邦堂という御仁とその生き様が書かれている
私の女房殿が娘時代に習っていた煎茶の家元だとか、私は知らなかった
当流の京都稽古場の世話役で京焼七代目という陶工はその御仁に師事され心服していた
振り茶とは直接の関係がないが腑に落ちた本、「番茶の振り茶」の番茶で思い出した
ついで話と云うては何だが、ここで紹介しておきたい、発行所は浪速㈱社とある
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先の八枚入り南都七大寺の続きで南都七大寺瓦の銘々皿、今度は六種しかない
右上の興福寺から時計回りで、元興寺、法隆寺、東大寺、唐招提寺、西大寺
干菓子では八種で一つ多かったが、今度は六種で一つ足らない
「東大が最高峰や」で云うと、最後の「や」の薬師寺がない
持って来てくれた赤膚焼の陶工に云うと、彼の応えて曰く
「残り物を持って来ただけですので・・」云々、その代り西大寺が三枚あった
まま、貰っておいて文句を云うのもどうかと、少々反省・・

今日の稽古床に、西大寺瓦の皿に焼き物の剣山を置いて水を張った
剣山には、水引き草と玉簾(たますだれ)を挿した
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「紀州犬」、眼付・面構え・耳立ち・足の構え、背筋・尻尾、精悍である

今日のニュースに紀州犬が拳銃弾十三発を撃ち込まれ殺されたということ
話では、飼い主の家から出た紀州犬が通り掛かりの数人に噛み付き
押えようとしたした飼い主にも噛み付いたらしく、駆け付けた警官三人も襲った
そして、警官三人で拳銃弾を十三発射したということであった

ニュース記事
 >同署によると、署員らは犬を見つけた際、制止を試みたが襲いかかってきたため発砲した。犬がひるまずなおも襲おうとしたため撃ち続けると、犬は13発目で倒れたという。同署は「拳銃の使用は妥当で適切だった」としている。<

三人で十三発を撃ち込むとは、思うにその現場、壮絶な犬の死に様であったろう
人間でさえ、三発や四発の弾を撃ち込まれると即死か動けない状態になる
その紀州犬の体重は二十㌔とか、我が家の柴犬「ハナ」19㌔と似た大きさ
そんな体に弾丸十三発である、そこまで撃たれてなお向かって行くとは凄い

時に新聞に載る人を襲い射殺された「土佐闘犬」とは六十㌔から90㌔の大型犬
「土佐闘犬」は飼い主の制御が利かなくなり射殺されるのだが、それでも数発の弾
土佐闘犬の半分にも満たない体の紀州犬へ十三発の弾丸で射殺とはどうであろう
純日本犬の主人に対する従順さや忠誠心は世界の愛犬家の間でも有名である
その日本犬・紀州犬の射殺話で思う、二つのこと

十三発の弾を体に打ち込まれてなお立ち向かうとは、犬には何があったかということ
紀州犬に対して警官が不必要なまで拳銃弾を討ち続けたのは何故なのかということ
警官が三人居れば20㌔程度の犬なら取り押えられるハズ
それに、噛まれた二人の被害者は軽傷だったということである
それ故に、この二つのことが気に掛る
私には警官たちの過剰反応というより逆上・狂乱状態が透けて見える
恐らくは、その警官たちの射撃術の劣等と精神の未熟の話であろう

私はその紀州犬に憐憫の情を抱く、犬として何かが違ったのであろう
冥福を祈る
2015.09.12 南都七大寺
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干菓子「南都七大寺」、当主は二十五代目という奈良・郡山の老舗菓子屋の定番
その一つを見本に上に乗せて写した、然し箱の中には七枚残っている・・
大和守護と云われた興福寺と総国分寺の東大寺は外せないところだが、後の大寺は?
「八枚入りです」と云う女性店員に、私が「何で、それやったら八大寺やろ?」
女性店員は言葉に詰まった、まま彼女には責任はない、二十五代目は顔見知りでもある

昨日、昔の仕事関係者と弁護士が我が家に来駕、茶請けにこの干菓子を出した
ひとしきり、南都七大寺とは何処をいうかという話題になった、干菓子の八枚
東大寺、大安寺、元興寺、西大寺、興福寺、法隆寺、薬師寺、唐招提寺
「オカシイのは何処や」と「菓子」に洒落ながら談義する
一人が「それは法隆寺や、南都即ち平城京の内にない」、マコト以って正論である
その御仁のいつも正論を云う癖が鼻に付くが、この説は私も同意というか、そう思っていた
皆も納得し、「司法試験に出したらどうや」と弁護士と司法試験漏洩教授の話に及ぶ

後で調べてみると、二説あって唐招提寺を外し法隆寺を入れる方が大方の説だという
また、歴史的経緯(飛鳥四大寺)から西大寺の代わりに飛鳥の川原寺を加える説もあるとか
それなら、ラッキーセブンでなく日本式の末広がりで八大寺にすれば、と思う今日この頃
先の記事のロゴ合わせの続きではないが、こんな語呂合わせが載っていた
「東大が最高峰や」

東・・・東大寺
大・・・大安寺
が・・・元興寺
最・・・西大寺
高・・・興福寺
峰・・・法隆寺
や・・・薬師寺

因みに、来駕していた弁護士は京大法学部の出
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ハダカデバネズミの女王、哺乳類には珍しい「真社会性」の集団生活をする
短命のげっ歯類にあって二十数年の寿命を持つ、ガン抗体の遺伝子を有する

>「公なる存在」を貴族が外から育てたのが欧州なら、日本は「公のうち」に貴族が存在する、かのようデス。日本はエラくなるほど「私人即公人」と思いがち。これがワタシが感じた日本サッカーの壁です。公人が集まったチームより、私人が集まったチームの方が「得点ゲーム」では強いデスネ<

このザッケはんの話は日欧の本質的な違い指摘されようで、私は面白く感じた
然り乍ら、私見を云うとザッケはんの話は日欧の共通点の指摘になっているように思う
「私人チーム」とは南米サッカーで、「公人チーム」とは欧州サッカーと日本サッカーとみる
欧州社会が目指す社会民主主義、自由主義を目指しながら社会民主主義を築いた日本
世界の東西で平行進化・収斂進化といえる形で社会文化を作ったのが日本と欧州
封建制度、欧州貴族とナイト、公家貴族とサムライ、自己犠牲と労働精神、恥と矜持・・

日欧の違うところは貴種と民草の区別である、この一点で社会概念がゴロリと変わる
欧州各国の王室は互いに親戚同士、国民とは民族・人種が違うというのが原点
日本のそれは、日本人は全て親戚同士でその大家族を統べる本家の主が天皇
故に、欧州は社会民主主義を掲げながらも貴種と国民が一体化出来ずにいる
日本は内輪もめをしても、トコトンのところで本家の主に従うという共有思考を持つ

その証拠となるのが、国民・民衆による国王・貴種或いは大統領の処刑殺害である
大統領にはヒットラー、ムッソリーニも含むとすれば解り易い話である
敗戦後に民衆が国家リーダーを殺した伊国、ナチスとヒットラーに全ての罪を被せた独国
日本では敗戦後の天皇全国行脚を民衆が涙して迎え、共産党員までが「天皇陛下万歳」
欧州人は家庭の使用人を使うのが旨いが日本人は下手糞である、植民地経営も同じこと
支那人も自分の家族と使用人の区別は歴然としていて、欧州人のそれに近い
植民地の人達が宗主国であった欧州の悪口を云わないのは、この辺りの概念の違いであろう

昆虫類のアリやハチに見られる「真社会性」、哺乳類では「ハダカデバネズミ」と「日本人」
何かそんな気がする今日この頃、秋風が心地良い
廃医師はんへの返事にもなるが、母系社会と母権社会の先に在るのは女王の「真社会性集団」
女王とは勿論「卑弥呼」であり「天照大神」である
キリスト教・イスラム教・仏教と違い、ユダヤ教と同じく「神道」が世界宗教になれない所以

個の思いより、公の思いを優先するのが「真社会性」の在り方、集団の生き方
日本ミツバチは、天敵スズメバチに喰らいつき、我が身を焦がし昇華させて種族を守る
ハダカデバネズミの「真社会性」での兵隊ネズミは、我が身を天敵蛇に食わし巣穴を守る、滅私
大戦前に日本軍を徹底研究していたのは米軍、その米軍が予想も出来なかったのが特攻隊
生き物の最終本能とは須らく種の保存、個の主張にあらず

http://matome.naver.jp/odai/2136652555967160501
2015.09.10 重陽の三が日
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菊芋(きくいも)の花、裏の神社と秋篠川との間にある畔道で見掛けた

菊芋はキク科ヒマワリ属の多年草、別名はアメリカイモ、ブタイモ、北アメリカ原産
世界中に外来種として分布、日本には江戸時代末期に飼料用作物として伝来
第二次大戦中に加工用や食用として栽培されたものが各地で野生化した

九月九日は重陽の節句、五節句の中でも一番影が薄い節句だが酒の節句でもある
漢の宮廷では菊酒を飲み長寿を祈る習慣があり、民間でも祝われるようになった
唐代の重陽は三日間に亘って祝われ、十日の中日が酒宴の盛りとなった、今日だ
李白の『九月十日即事』にもあるそうだ、李白はん、酒好きだったそうな

酒好きのザッケはんからコメントを頂いたので掲載させてもらう
聞けば祖母君の実家が造り酒屋で、離乳食も酒粕だったと云う
行間から恩賜の菊酒が香る、さすがに重陽の節句のコメント

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藤原初代鎌足公は軍国機要の人、いわば「国軍の父」との伝承を残す武人。何より日本創業の神武を、正史はその武功のみを描きマス。大阪上陸戦に敗れ、インパールならぬ南紀迂回上陸を敢行、激闘の果てに奈良盆地征圧、そして建国宣言(バンザーイ)。聖徳太子だって世にデビューは騎馬隊かと。英国の貴族も創業者は似たようなものでしょうが、日本の貴族は「公:パブリック」な面を強調するのが特徴かと(公家・公人・公事)。英国ではジェントルマンを輩出するパブリックスクールが創られた頃、貴族はあくまでも個人的に教師を集めた自家製教育(プライベートスクール)が主流。欧州貴族の考えるプライベート空間と日本貴族のそれは、ほとんど重ならないデスネ。「公なる存在」を貴族が外から育てたのが欧州なら、日本は「公のうち」に貴族が存在する、かのようデス。日本はエラくなるほど「私人即公人」と思いがち。これがワタシが感じた日本サッカーの壁です。公人が集まったチームより、私人が集まったチームの方が「得点ゲーム」では強いデスネ。公人と公人との意思疎通に高度なテクニックは必要ナイデス、私人と私人との意思疎通にはテクニックが必要デスネ、チャオ
投稿者 : ザッケローニ(マイスターのコメントに)
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長板点前の稽古場面

時間の都合で炭点前は略し電気風炉にした、よって棚に香合を置いた
長板の扱いは台子点前に準じるもので、道具立ては「真」の物とされる
従って台子の真点前の道具立て同様に、唐銅の皆具とするのが本来
皆具とは、風炉・水差・尺立(柄杓立て)・蓋置・建水の取り合わせである

奈良風炉という真塗りの土風炉が考案されてからは、「真」が少し略され
揃いの焼物である水差・尺立・蓋置・建水のことを皆具と称する様になる
唐銅の「真」の道具に対して、「行」の道具として白磁・青磁や染付が使われた
長板の点前では、皆具の蓋置に替わるものとして七種(ひちしゅ)蓋置がある

七種蓋置とは、「火舎」「五徳」「三葉」「一閑人」「栄螺」「三人形」「蟹」
其々に扱いがあるが、格の高い蓋置として建水の中に入れずに置くとされる
稽古では万古焼の「一閑人」を使った、井戸の中を覗く唐子を象ったものである
井戸の涼しさを表すものとして、当流では炉には相応しからずとする夏期の蓋置
釜の蓋を置く時には「一閑人」を横にして、唐子の頭を風炉釜の方へ向けて置く

一閑人は、一看人、一漢人とも書き、井看人(せいかんじん)、井戸覗(いどのぞき)
或いは、惻隠蓋置(そくいんのふたおき)とも云われることがある、惻隠蓋置とは
孟子の「惻隠の心無きは人に非ざるなり」と云う、「同情心」の言葉を洒落たものとか
「今、人の乍ち孺子の将に井に入らんとするを見れば、皆な怵惕惻隠の心あり」
①惻隠の心……………「仁」
②羞悪の心……………「義」
③辞譲の心……………「禮」
④是非の心……………「智」、これらが孟子はんの性善説の基本とか

私はこの「一閑人」の風景が何となく好きで、以前にこの万古焼を見つけ買うていた
ある時ある人が、この一閑人蓋置を扱い、唐子を風炉釜の方へ向けて置いた
ただ、唐子を横にせず下にしたのだった、そしてあろうことか、その上へ釜蓋をドンッ
唐子の首がポロリ、私は何とも云えない気持ちになった・・、私への惻隠の情ありたし

私の万古焼「一閑人」の裏側写真、唐子の首に接ぎがある
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2015.09.08 犬の系統
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獣医の専門書にある犬の系統図、いぬねこ病院では貼紙になっている
愛犬「ハナ」の目の治療に動物医療センターとやらに行き目にした
三分位で診察料金四千五百円、目薬代三千五百円、〆て八千円は高い

田名部雄一著「犬から探る古代日本人の謎」にある日本犬は南方起源説
それは縄文人の南方起源説で、私のいう縄文人Y-D2型集団北方説を否定する
しかし、廃医師はんの話にY-N型ウラル語族サモイェード(サモエド)人の話があった
このサモエド人は狩猟や漁労と共にトナカイ牧畜を生業として来た民族である

彼等の愛犬はサモエド犬と呼ばれる一万年以上前からの古い種類の犬である
田名部氏は日本犬のルーツを南方に求めた結論を出しているが、獣医界は違う
日本犬をサモエド犬の流れと位置付けており、犬の系統図が獣病院の貼り紙にもある
北欧のフィンランド人のY染色体遺伝子も六割強がY-N型で、日本人の中にも存在する
日本犬とD2型縄文人も北方系、そして照葉樹林半月弧が出自のO2b集団と融和合体
ということだと私は思っている、自論である(やや強引かも?)

犬から探る古代日本人の謎は、秋田犬や柴犬・アイヌ犬(北海道犬)・甲斐犬が語っている
犬とは、人と共に狩猟や外敵への番をし、やがて牧畜や遊牧の手伝ったのが元来である
稲作民族が犬を連れて来たとは犬を知らん学者の云う話、稲作民が連れて来たのはネズミ
日本犬は縄文人と狩りをし、縄文人を外敵から守り、日本列島で日本人人と共に生きて来たのだ
https://www.youtube.com/watch?v=M-5ESaJGNSQ&feature=iv&src_vid=RcgJYm1JUF4&annotation_id=annotation_542518433
2015.09.07 うぢ山
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昨日の稽古では、当流独特の薄茶器「宇治山」を使用した
流祖・上田宗箇の伏見屋敷が宇治山を見渡せる場所にあり、宗箇の意匠で作られたものとか
こんもりとした宇治山を象ってとされるが、このままの山形では茶杓を置くことができない
そこで、茶器を帛紗で拭いた後に蓋を逆さまにして置き、その上に茶杓を乗せる点前になる
この茶器を他流派で見ることがないので、やはり当流だけのものであろう

「宇治山」を使うということで卒塾者の方が色紙を持ってこられた、喜撰法師である
わが庵(いほ)は 都のたつみ しか(鹿)ぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり

私が住む庵は、都の東南へはるか離れた鹿の棲む山奥にあり、
心静かに住んでいるのだが、私が人々とのお付き合いがわずらわしいと思って、
そんなところに住んでいるとか、人は言っているようですね・・、と解説されている
喜撰法師という御仁、この歌ともう一首が残されているだけで、どんな人かは不明
今では「喜撰」という名が「宇治」を意味し、「茶」の隠語のようになっている

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我が庵に棲む男振りの良い鹿、私の本貫である奈良の東山中に居たもの
奈良の東山中とは三笠山(若草山)の後、春日奥山の裏側である
奈良公園の鹿は元々春日奥山の野生鹿、出口を一歩間違うと悲しい運命が待つ
この鹿が我が庵に来た当初、愛犬「ハナ」は低く唸り声をたて警戒していた
もう動かないと分ると落ち着き、今では知らん顔で鹿の下で昼寝をしている

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白花桜蓼(しろばなさくらたで)、一輪咲いた先日に写真掲載、雨で一気に増えた
花名を失念していたが卒塾者から教えらえた、三年連続で聞いているのだが・・
2015.09.07 語呂合わせ
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キバナコスモスとタマスダレ、塾生の手になるもの、出来はママとす
コスモスの語源はギリシャ語の秩序で、ラテン語では星座の世界
つまり、秩序をもつ完結した世界体系としての宇宙の事だとか

宇宙というと、数字の世界だと私なんかは思ってしまうが
今日の産経新聞のコラム「産経抄」にあった歌碑の話を紹介する
江戸時代の記録によると、群馬県と長野県をまたぐ中山道の碓氷峠
峠の昇りくちには数字だけを書いた歌碑があったとか

「八万三千八三六九三三四四  一八二四五十二四六 百々四億四百」

読みは「やまみちはさむくさみししひとつやによごとにしろくももよおくしも」
漢字を当てると「山道は 寒く 寂しし 一つ家に 夜毎に 白く 百夜 置く霜」
「一つ家の碑」と呼ばれたという
義経弁慶の主従が奥州へ下るときに、ここで仮泊したときの歌だとか

初めて知った「数字歌」だが、学生時代の歴史年号の語呂合わせを思わせる
虫殺す大化の改新・645年
なんときれいな平城京・710年
なんとごつい大仏の顔 ・752年
鳴くよウグイス平安京 ・794年 等々である

隠し文字というのも面白いものがある
有名どころでは「杜若・かきつばた」を隠した伊勢物語の在原業平
「か」 唐衣
「き」きつゝ馴にし
「つ」妻しあれば
「は」はるばる来ぬる
「た」旅をしぞ思ふ

義太夫浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』の「仮名手本」もナカナカである
赤穂浪士四十七士をいろは仮名四十七文字になぞらえたという
「とがなくてしす」の暗号という意味合いで「仮名手本」と付けられたとか
すなわち、赤穂浪士たちが「咎無くして死んだ」ことを意味するというもの

いろはにほへと「と」
ちりぬるをわか「が」
よたれそつねな「な」
らむうゐのおく「く」
やまけふこえて「て」
あさきゆめみし「し」
ゑひもせす「す」

思うに、昔の人は時間と暇があったということなのか
私も時間と暇は十分にあるのだが・・
二階の女が気に掛る・・櫻
糸しい糸しいと言う心・・「戀」

女房殿は二階で寝ている
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色付き出した「紫式部・むらさきしきぶ」・別名 「実紫(みむらさき)」
紫敷き実(むらさきしきみ)」と呼ばれていたものとの説もある
よく似た「小紫」は、紫式部を小さくしたもの


最終便にお江戸の粋人から揶揄コメントが入ったので掲載

専門家の儀式

この世に対する最後の貢献に腐心されるとは敬服に堪えません。大ホールを貸切りとなさるなら「昇天セール」と銘打って、出店を集めてはいかがでしょうか?「昇天記念半額セール」なら多くの見知らぬ若人も集いましょう。更には有名外タレを呼んで無料コンサートまでやれば大入り満員は確実。これなら会場費と外タレのギャラで消費される他に、2次的な売上げも立ち、経済波及は加速、GDPは激増、新型葬儀の貢献は誠に大ナリ。参列者は「さすがだ」と口々にして会場を後に。蛇足ながら、当日は混雑が予想されますので、今のうちに整理券を配布なさったほうがよろしいかと
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個々の三年ほど鉢植え草が花をつける、楚々として好きな花だ
名前を失念した、アメリカ云々とか、或いは丘虎の尾の変形だとか・・
教えを乞いたし

廃医師のコメントが来た、まま、難解乍らも力説故に読み応えがありまする
掲載させてもらう

 誤字や誤変換が多く、文意が判りづらくなり、申し訳ありません。視力低下と老化によるキーボードの打ち間違い(隣や前後のキーを打ち間違う)と,PCの欠陥による少し早く打鍵した際の文字の拾い落としなどが、渾然一体となって、怪しい文章を形成しています。視力低下と疲労などにより、チェック漏れで、書いた本人にも、何を書いたのかが後で判らなくなる始末です。

 さて山東竜山文化期に、山東一帯がアルタイ化していたと言うのは不信との事ですが、尤もなご意見です。基本的に中国の華北はY-O3系の分布域と考えられるからですが、20世紀初めにロシアの言語学者が、ツングース語派は、華北河北方面から満州に移動した、と言う説を唱えていました。アルタイ語族の三語派の打ち、モンゴルとツングースは、間違いなくY-C2b(旧C3)系統ですが、満州の古い人骨から、ウラル語族と関係の深いY-N1が認められ、興隆窪文化期前後には,Y-C2b即ちアルタイ系はまだ満州方面では主流ではなかったと考えられます。では彼らは満州方面に入る前にはどこにいたのか?と言う話になります。蒙古高原がすぐ思い浮かびますが、仮にウラル語族が、満州から現在の北欧まで移住したのであれば、蒙古高原を通過したか、その北のシベリアを通過した事になります。シベリアには、ウラル語族サモイェード語派が広く分布し、また今は分布域を縮小しましたが、かつてはその東に、古アジア語族のユカギール語話者が分布していました。このユカギール語についてはムラル語族の第3の語派だとする人もいます。
 従って、Y-C2b集団が蒙古高原夷古く存在したと考えて問題はなさそうですが、実は中国の春秋時代の古文献『竹書紀年』の晋記に、山西省方面に「九貉」成井民族集団が存在したことが記載されています。「貉」は「狛」「貊」更には「伯」「百」などとも音通であり、高句麗や百済など、扶余系諸族の別名である「貊」に通じます。扶余系をツングース系ではなく、朝鮮族と近いと考える半島系のウリジナル説はともかくとして、扶余系こそは実は満州・ツングース語派だったと考えられますから、山西から河北一体にアルタイ系のY-C2b集団、特に後のツングース系に近い集団が居たと考えて問題はないと思われます。私は蒙古高原にも、華北東部からY-C2b系が北上した可能性を考えていますが。いずれにしろ「九貉」は山西省方面尉取り残されたアルタイ系の一派であり、既に中原竜山文化は,Y-O3系が主だったらしいのは、華北の古人骨からY-O3系が検出されている事から明らかです。しかし同時に、華北東部にはY-C2B系統、つまりアルタイ系もかつて存在していた事も間違いないでしょう。このあたりの詳細は、古人骨からのDNA解析に待たなければなりませんが、アルタイ系でなくとも、ホ峰系モンゴロイドが山東省まで広く分布していた事は確かでしょう。実はY-O3系統についても、古アジア語族と一部は関係があるのではないか?と私は考えていますが、これも将来の分子人類学の成果待ちです。
 父系制氏族外婚制社会は、アルタイ系のみならず、漢民族も同様であり、華北一帯が基本的に父系制氏族外婚制が一般的だったと思われます。長江以南の稲作農耕民世界でも、父系制が一般的だったでしょうが、華北ほど厳密ではなく、族内婚屋母系制氏族に移行しつつある集団もあったと思われます。特に,Y-O1系の南島語族などは、その傾向が少し強かったのかもしれません。ポリネシア語派やインドネシア語派などに母系制血縁集団がみられますから。

 次に、「母権」と言うよりも、むしろ男女同権であり、或る氏族の成員は、基本的に同等である、と言う風習が長く続いたのではないか?と思われます。その場合、同等者ksんお序列は、年齢階梯に従うことになります。氏族や部族の祭祀を司る祭祀者は。漢語では「祝」であり、漢字の中に「兄」と言う文字が入っています。祭祀王たる長兄が「祝」であり、群弟が各地域の「領主」であり、世俗的支配を行うような原始的な支配関係が、あったと思われます。その支族の男女が同県であれば、支配的氏族の年老いた女性が権力者足り得るのは、当然でしょう。日本御古代の天皇家=大王家は、実はそのような氏族であり、だからこそ、上代日本語の「おほきみ」(大君)は、大王=天皇の称号でもあり、同時に男女の諸王族(王、女王)も大王同様に「おほきみ」戸呼ばれていました。耳で聞く限り、「おほきみ」だけでは、天王の事なのか、それとも他の王族なのかは、判別できません。即ち、本来判別されていなかった、と考えるべきでしょう。
 血気盛んな若い軍事的行動を行う男子王族よりも、世代の古い母親や叔母の世代の年長王族が、権威を持つ姿が、母権とも公正に解釈されたのではないか?と言うのが私の解釈です。

 最後の文章は、倭人集団Y-OO2b系統の中で、日本列島に入った集団は、その中のY-O2b1-47aの頻度が偶然高く(始祖効果)、また単なる偶然(遺伝的浮動)も加わって、Y-O2b集団内で頻度を更に増加させた、と言う事で説明可能だろう、と言う意味です。勿論支配階級に加わった事により、増加した可能性も十分あるでしょう。<

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「最終便」なる葉書がまたしても届いた、大学の先輩からである
病室碁友から「孫たちへの最後の手紙」の本が届いた三日後のことである

最近の流行と云うか風潮というか、少々考えさせられてしまう
「個人葬」「家族葬」密葬」とか葬儀屋の品揃えも豊富になって来た
人の不幸を飯の種にする「医者」「弁護士」「葬式坊主」の三者の共通点
対価である金を受けてっても「毎度おおきに」の言葉が出て来ない
黙って頷く程度で、ソソクサと懐にその金を収めてソッポを向くという態度
死なせた人間にも治療請求が来るという摩訶不思議な業界である

中でも、最近は葬儀屋の業務拡大というか、チェーン展開が活発である
それなりにチェーンシステムやマニュアル作成もあり、病院や坊主とも提携
まま、葬儀では「松・竹・梅」はなかろうが、「並・中・上・特上」の価格設定がある
「並と中」の違いは分からないが、まるで牛丼屋のメニュー表に似て笑いを誘う
小売りチェーンの論理展開や実務指導に当たっていた私には面映ゆい限りである

ともあれ、否応なく人生の終焉やこの世との別れ、人との離別というものの形
良くも悪しくも、ビジネスの一環に組み込まれ、GNP向上に寄与しているようだ
我々老人が、この世に対する最後の貢献とは「葬儀代の出費」であろう
さすれは、「個人葬」「家族葬」「密葬」なんぞは非国民的死に方である
東京なら「武道館」、大阪なら「大阪城ホール」を貸し切って遺産全部を使い切ること
それが世に貢献する最後の姿と思うが、ただ、会場を訪れてくてる人数が・・
考えてしまう今日この頃
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道脇の草叢では「駒繋ぎ・コマツナギ」の小花に色が付き出した

私の入院仲間であった御仁から本が贈られて来た
http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-16432-8.jsp

末期がんとともに生きる爺からの「孫たちへの最後の手紙 」である
「宝ものである孫たちにぜひ伝えてほしい、
外なる世界と内なる世界の大切なおはなし。」・・、とあった

五年前の今頃のこと、私は入院中で隣の病室に居た御仁がこの本の著者であった
足首骨折で入院した私は囲碁の覚え立てで、病室に碁盤と碁石を持ち込んでいた
隣室の御仁は能のリハビリとかで、大学の先生ながら漢字の書き取りが日課と聞いた
ある時、御仁の趣味は囲碁で有段者と聞いたので、これ幸いとご教授を願った
棋力の差があるので私が先に三つ碁石を置く、置き碁の形であるが御仁も楽しまれた
と云うのは、脳のリハビリには囲碁が良いということと、本人も好きである為だ

然しながらである、その御仁は声がすこぶる大きい
夏のことでもあり、私の病室の戸は開けっ放しにしていた
病室の前の廊下には、他の患者さんや見舞いの方が行き来されていた
「もう死んだなぁ」「まだ生きとるか」「これで殺された」「もうアカン、死ぬ」云々
外の廊下へ声が丸聞えであった、ある時に看護婦さん部屋へ来て云うには

「死ぬとか殺すとか、生きてるって何のことですか」
「他の患者さんやお連れの方が気にされていますので・・」

我々二人はキョトンとして聞いたが、すぐに了解した
確かに、今日明日にも死を意識している方々には聞きたくない言葉
二人は心よりお詫びして、部屋の戸を閉めたのだった

「孫たちへの最後の手紙 」、やはりその御仁は大学の先生であった
孫たちへと云うよりも、これまでの教え子へという思いが出ている
納得させられる死生観である

我々世代の人には、「死に方用意 !」が多くなって来たようだ




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道端に転がるドングリの実、縄文人の主要食物であった

今朝の散歩で近所の方から悲しい話を聞いた
その方が飼っていた黒い柴犬が先日二十八日に死んだと云う、十七歳であった
我が家のハナが子犬の時から、散歩途中で相手をしてくれた気の好い犬であった

去年位から散歩で見掛けると後ろ足が振らついているので、その方も心配をしていた
最近は散歩姿を見掛けなくなり、ハナは毎日のようにその方の家に寄り中を伺った
聞くと、その犬は寝たきりになり、その方と奥さんが介抱していると云うことであった
最後は鳴き声を上げ、痙攣して息絶えたということであった
その方は枚方市にある犬の霊苑に引き取ってもらったので、時々墓参したいと云う
縄文遺跡に埋葬された犬の骨が出る、縄文人と縄文犬の関係も同じだったのだろう

田名部雄一著「犬から探る古代日本人の謎」、高い評価がされるが少々疑問もある
大筋、縄文人は南方起源で半島経由で渡来した弥生人に南北に追われたとの説
梅原猛や埴原和朗の縄文人南方起源と弥生人による縄文人駆逐説を補完するものだ
江上波夫の騎馬民族説も重なり、縄文人はアイヌ人の祖で南方系とするのが世の通説
田名部も縄文犬の故地は東南アジアから南支那とし、台湾原住民の犬に近いと著す
鼠の分布も、東北・北海道と沖縄の鼠が南方系で北九州から東海の鼠が北方系と説明

然し、近年には人の遺伝子研究と石器の考古学研究が進み、縄文人の北方起源説が主流
アイヌ人が縄文人の末裔であることは略定説となって、私も大いに賛成同意である
然し、困ったことはアイヌ犬とも呼ばれる北海道犬、あのソフトバンクの父さん犬である
本来のアイヌ犬は柴犬同様に白より茶系が多いのだが、テレビのお蔭で白のイメージになった
支那南部から台湾経由で琉球・九州に入り日本列島に拡がったとする縄文人南方起源説
その証拠として南方鼠とこのアイヌ犬の存在をあげつらうのある、私は反論したい

先ず鼠、チュウ公は人類が穀物栽培をして人類に寄生したものである
北海道の地で穀物栽培が始まったのは最近、縄文や弥生の遥か後のことである
縄文犬が南方系であるなら、東南アジアから揚子江流域に居たY-O2集団が連れて来たもの
Y-o2b集団とは津軽海峡まで列島を進みY-D2集団と共に縄文文化を築いた人達である
その男性は津軽海峡を渡ることはなかったようだが、女性は渡り北海道に子孫を残している
列島各地に居たD2系縄文人もO2b系の生活様式を受け入れたなら縄文犬も飼ったであろう

やはり、縄文人が台湾経由と云うのは疑わしい、現在の遺伝子研究からは否定されている
台湾と先島諸島の間には遺伝子の断絶と呼ばれているほどの差があることが分っている
それと、縄文文化を支えた石器類は明らかに北方系のものであることも分かって来ている
北海道犬や甲斐犬(甲州の地犬)そして柴犬が北方系だと私には思えるのだが・・