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卒塾者のお宅のドウダンツツジ(灯台躑躅)も枯れ始め、メダカ鉢を覆っている
「ドウダン」は、枝分の様子が結び灯台の脚部と似ていることが名の由来とか
「灯台・トウダイ」から「ドウダン」転じたと云われるが、どこの訛りであろうか

この写真のメダカ鉢から去年にメダカを分けて頂き、火鉢をメダカ鉢にして飼った
メダカが卵を付けるアナカリスという水草も一緒に頂き、繁殖を期待した
私の子供の頃、小川にメダカの群れがスイスイ泳ぐ姿は当たり前の光景であった
それが、自然の環境の中で見られなくなった日本メダカが絶滅危惧種に指定されたとか、
その日本メダカを卒塾者が飼われていたので、私が所望というか無心したのであった

この春のこと、近所の園芸屋で十センチ足らずの水草「布袋草」が売られていた
水質浄化に良いと聞いたので、その布袋草を五株購入し、メダカ火鉢に加えた
夏になると、、布袋草は大きくなり始め、鉢一杯に溢れだしてメダカが見えない
私は気になって、布袋草のことを調べると、確かに水質浄化をするが問題もあった
布袋草は、夜間になると水中の酸素を吸収するので、水中は酸欠状態になるという

私は間引きのつもりで二株を取り除くとメダカが死んでいるのが見つかった
一匹だけが生きていたが、アナカリスも黒くなり枯れていたので布袋草を全て除去
それを聞いた卒塾者の方が再びメダカとアナカリスを持って来て下さった
生き残りの一匹は新しい仲間と一緒になっていて、今や顔を見ても分らない
因みに、その布袋草は生ゴミにするのは可哀そうなので、秋篠川へ流す

思うに「小さな親切、大きなお世話」であったと分り、心が痛んだ
ところでメダカの餌、一袋百円という代物で私のメダカ鉢なら一年分近くある
その一袋の餌を頼りに、この小さな鉢中で生きているメダカの一生(魚生?)とは・・
少々考えてしまった

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南北朝時代からの所縁を持つ京都の尼門跡寺・大聖寺の銘椿
初夏には、独自種「雲居の鶴」と呼ばれる菖蒲が咲くことで知られている、
上田流当代宗家の奥方の伯母君が長く住持(じゅうじ)をされていたご縁の寺
本日は、宗家来駕の近畿合同茶花講習会があり、朋庵新人塾生の紹介を兼ね参加

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朋庵新人塾生が入れた茶花、西王母の椿に菜の花を入れている
茶花は、もう一枝有れぞかしで止めるところが味、曰く「余白の美」
支那や西洋のタラフクの味とは違う、日本の美意識である

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床に各稽古場弟子衆の苦心の作が並べられた

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講義室の床には円山応挙の軸が掛けられていた、寺格が出ている

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床脇の屏風、応挙の「秋草の図」とある

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昼食の弁当は京懐石料理で名の知れた店・泉仙(いづせん)の仕出し
当流京都稽古場の幹事・清水焼の七代目が昵懇とのことで手配したとか
品数と味付けは中々のもの、この代金二千五百円は、お値打ちである
まま、清水焼七代目の面目躍如というべきか、酒も付いて出だ(^^)
時うどんの文章がない、というコメントをもらった
確かにYahooのコピーでは声が出ないようだ
コピーをYoutubeに張り付けて頂き度

https://www.youtube.com/watch?v=V4KUsejFdwI

無題
前の記事に江戸の御仁から短いコメントが入った

「演目」
今、何どきだい?
「時そば」江戸
「時うどん」上方

そこで、調べた江戸と上方の「時そば」と「時うどん」の比較
そばとうどんの違いだけでなく、ストーリーも少し違う
「時そば」は、一人の男が屋台の蕎麦屋で、店主を褒め上げて支払いを一文ごまかす
それを脇で見ていた別の男が真似をしようとして失敗するという話

「時うどん」は、二人の男が屋台のうどんを食おうと金を出し合ったが、一文足りない
一人の男が一杯のうどんを二人で分けようと注文し、口先で支払いをごまかす
もう一人の男は、半分ずつという約束を反故にされて腹を立てながらも、
その上手な手口に感心し、真似をしようとして失敗するいう話
この二つの噺は似ているが笑点が少し違う、上方と江戸の文化の違いである

三代目柳家小さんが明治になってから上方落語のネタを東京へ移植した噺だという
最近では、「時そば」の方がポピュラーとなって、上方落語の若手も「時そば」を演じ、
元ネタの「時うどん」が放映されることが少なくなったということである
これも東京一極集中・一元化の悪癖というもので、日本の文化を凋落させるものであろう
では、今は亡き桂枝雀による「演目・時うどん」の一席を

https://www.youtube.com/watch?v=57TSTmdepzw

音が無いとの苦情をもらった故
https://www.youtube.com/watch?v=_SQR09d362k
2015.11.26 代金訂正
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あれあれ、又もや我が脳ミソの衰弱ぶりが露呈
賭け蕎麦の勘定が私の誤記入であった様子・・
「かえる庵」の庵主から苦情のコメントが寄せられた


賭け蕎麦
当店は奈良市内の蕎麦専門店としてはかなり割安の店と自負しております。
昨日の代金も蕎麦代2200円、酒と肴代4300円でしたよ。と妻がもうしておりました。


全く面目ない、自分の支払いでは無かったので、金額の記憶がボケていた
確かに云われてみれば、これまで何度もお邪魔しているが、二人で一万円はない
旨くて安くて、且つ薀蓄が聞けるというお店であった、ここに代金の誤りを訂正
それに自分の好きな酒の持ち込みOKという奇特なお店、皆様もお立ち寄り され度し
2015.11.26 賭け蕎麦
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辛味(からみ)大根、信州で鼠(ねずみ)大根と呼ばれる伝統野菜だとか

昨夕は、件の元新聞記者の御仁との賭け蕎麦で「かえる庵」に行く
丁度、辛味大根が送られて来たということで、拝見させてもらった
辛味大根にも種類があって、この大根は尻尾が長いので鼠大根と呼ぶとか
辛味大根はその辛味と水分が少ないことで、蕎麦(そば)汁には持って来いの薬味
ただ、非常に辛いので、普通の大根のような煮物などには向かないとのこと
蕎麦汁は関東は醤油汁なので少しだけ浸け、畿内は出し汁なのでタップリ浸ける
と、庵主の薀蓄(うんちく)を聞く

元新聞記者の御仁とは、大阪ダブル選の結果に蕎麦を賭け、私が勝った次第
昨日の日中は、高校の同級生との毎月の囲碁定期戦で二連敗を喫していた
その煽りもあり、少々早めに着いた(時間を間違う)ので、先に一人で飲み出した
酒は「僧坊の酒」、私が小学校に入る頃に住んだ大宇陀の町の酒である
室町時代から書き綴られた興福寺の「多門院日記」にある酒造りを復元したもの
精米率が九十とは、吟醸や純米やという以前のもの、普通の飯米そのものである

奈良で一番旨いと云われる「かえる庵」の霧下十割蕎麦と「僧坊の酒」
エエ具合に酔い掛けた頃、女房殿から電話が入り、「今から行きたい」云々とか
女房殿は琳派展見学で膝を痛めて、今回は留守番をすると云うことだったのだが・・
私と元新聞記者の御仁とで、蕎麦とつまみあれこれ八千円分、別途私は酒二千円分
(この代金、私の記憶違いであり、もっと格安であった・・)
相手のオゴリ故、久しぶりに腹パンパン、酒も飲んだので女房殿には「これから帰る」
雨の国鉄奈良駅からタクシーで帰路に就く、タクシー代はオゴリではなく割り勘だった
「かえる庵」の庵主から鼠大根一本をお土産にもらった

そう云えば、前日メールを呉れた小学校の級長と「かえる庵」に来たのは二年前になる

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この写真はネットで見付けた昨年のもの
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考え込む「ハナ」、秋篠川の川原は花が少なくったので愛犬「ハナ」を載せた

「海道東征」の記事につき、小学校の同級生からメールをもらった
彼は級長で、頭脳明晰・品行方正・運動万能且つ心優しい男であった
名門大学を出て公務を全うし、今は頼まれ仕事と趣味を満喫している愛妻家
彼のメールを一部掲載させてもらう


私は30歳頃から、数年の中断はあるものの今まで合唱を続けていますが、
「海道東征」という曲名は聞いたことがありませんでした。
それでネットで検索をして聴き、貴方のブログを拝見したのですが、
貴方の違和感などそこで書いておられる内容もよくは理解できませんでした。

「海ゆかば」も「大君のために死ぬ」というような内容なら、私には歌えません。
究極の状況に遭遇した場合、今の私であれば「子供のために死ぬ」あるいは
「妻のために死ぬ」ということは考えられるかもしれませんが。

私の正直な気持ちです。(こんなこと書かないほうがよかったのかもしれません。)
恐らく貴方の気持ちを害してしまったと思いますが、お許し下さい。


私から、次のように送り返した

貴方のメールには、貴方の生き様が行間に垣間見えて嬉しく受け取りました
「海ゆかば」のこと、私の父親が学徒出陣し、海軍特攻隊・「回天」の生き残り隊員でした
父親本人が歌うのを見たことはありませんが、この曲が流れた時に神妙な面持ちをしていたことを覚えています
私の思うことは、殆どの日本軍将兵は国と民族を守るために戦ったであろうということ
それは、妻子・親兄弟・故郷、日本の埴生を守るためにと同義であったろうということです
死んで逝った彼等に捧げた歌が「海ゆかば」、この歌を聴いた日本人が拍手を送るのには違和感を持った次第です
演奏者や歌い手への拍手と捉えればそれまでのことなのですが、私は拍手を送るのを如何なものかと考え込みました
どうも言わずもがなのことでした、御心労をお掛けした様子申し訳なく、ご諒怒願います


彼のこと、エエ男だとつくづく思う
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近所のダリア、まさに「天高くダリア肥える秋」である

「海道東征」を聴きに行った際、元新聞記者の御仁の賭けに乗った
大阪ダブル選の勝敗である、要は維新が勝つか負けるかという賭けだ
私は「維新に決まっている、先の都構想の負け選挙の揺り返しだけで勝ち」
御仁は「今回のダブル選敗北が維新と橋下に引導を渡す、賭けましょうか」
ということで、蕎麦(そば)と飲み代で賭けが成立したのであった

土日とやぶ用で出掛けた私は、帰宅したのが昨夜八時過ぎとなった
選挙終了が八時なので、テレビの速報があると思ってテレビ欄に目を通す
NHKで二十時四五分からとあった、女房殿はBSの歌謡番組を観ていなさる
その歌謡番組が終わるのを私はジッと待ち、九時になってNHKに替えた
NHKテレビでは大阪ダブル選の知事・市長選共の維新の勝利を伝えていた
得票は出ていなかったが、この時点で当確が出されるのは圧勝だと私は推測
マグロの造りで焼酎を飲み、愛犬「ハナ」の目薬を注し、明日を待ち寝床に入った

何故、維新の勝利を予測したかというと、大阪人はアホでないと信じたからである
今回の選挙はノックはんや小泉劇場と違い、大阪や畿内の行く末を占う本気のもの
東京・金沢間の北陸新幹線、東京・名古屋間のリニアと続けば、畿内の埋没は必至
畿内の復権が無くなれば東京一極集中が進み、日本の政治・経済・文化が一元化する
私は、開発独裁を是とする後進国の首都一極集中は已むを得ないものと考えている

しかし先進国というか、文化成熟度が高い社会にあっては物事の複眼構造が求められる
何故なら、文明とは世界の一元化統合へ進み、文化とは世界の多様化分散へ進むもの
由って、後進国というか開発途上国にあっては、文化より文明を優先して当然であろう
つまり、一元化は文明を発展させるが、分散化は文化の熟成と多様化させると考える
ナスビがナス、おむすびが三角にという風に言葉や品、価値観の同質化は寒気がする

さて、朝刊が伝えるところ、「大阪ダブル選・維新完勝」、選挙区の全て勝利の完勝である
知事選に至っては、ダブルスコアとも云える得票格差となった、大阪人はアホちゃう
大阪人のお笑い趣味には、健全なアンチ「お上」の自立精神が備わっている証拠であろう
この十年で大阪から東京へ本社を移した企業が二千社を超える、この潮流を止めることが肝要
近松門左衛門の世界は上方、そもそも「江戸時代」という歴史呼称が間違いであった
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秋篠川原で木の枝に留まり直立不動のアオサギ、一月ほど前の写真

昨夕は琳派展同行の元新聞記者と大阪のザ・シンフォニーホール まで出掛けた
ー戦後70年、信時潔没後50年記念ー、と銘打った交声曲「海道東征」の鑑賞である
主宰は産経新聞社である、案内は以下であった

[管弦楽]大阪フィルハーモニー交響楽団
[指揮]北原幸男(宮内庁式部職楽部指揮者)
[ソプラノ]幸田浩子 太田尚見
[アルト]山田愛子 [テノール]中鉢聡
[バリトン]田中純
[合唱]大阪フィルハーモニー合唱団
    大阪すみよし少年少女合唱団
第1部:プレトーク 18:30~
    「海道東征」について 新保祐司(文芸批評家) 
第2部:コンサート 19:00~
    ベートーヴェン:交響曲第5番 ハ短調「運命」 
    信時潔:交声曲「海道東征」「海ゆかば」

この演奏会、私は産経新聞で知り、すぐ予約の手続きをしたが駄目だった
即日完売の好評で、件の元新聞記者の縁で券を手に入れた、コネと裏口は・・
コンサートでは、戦後初めての演奏会ということで、意気込みは感じられた
しかし、全体として少々空回りの印象を持った、特に独唱の歌声が聞えない
パリやウィーンの歌劇で聴く西洋人の声量に比べ,如何にもか細いというもの
しかも、か細い声量を管弦楽の伴奏でかき消されているという感があった
それに、指揮者のコセコセした動きが重厚感を欠く雰囲気にしていたと思う

まま、それはとも角として、最後に愕然とした場面を見せられた
「海ゆかば」の演奏が終わった時、指揮者は笑顔を振りまきタクトを下した
聴衆の多くが拍手で応じたのである、私は大いなる違和感を持った
この名曲「海ゆかば」に対し、日本人が拍手を送る情景を初めて見た
「海ゆかば」の歌・曲に拍手は無用であり、すべきではないと私は思う
これぞ、七十年という年月を経た証であろうと少々気分が落ち込んだ
今回の企画は空回りしたもの、それは周知徹底の不足、認識不足から来ている
アンコールで聴衆の皆様もご一緒にとのこと、聴衆の三分の一位の方は起立した
歌声は会場全体に響き渡り私も歌った、この歌を諳んじる人が多く居たことに納得

「海ゆかば」の歌詞、万葉集巻十八、大伴家持

海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば 草生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ

https://www.youtube.com/watch?v=kUMq6MHVjuM

帰路は五十年来の知人がやっている鮨屋で一献、女房殿へ寿司折りを頼む
終電に乗り遅れ、タクシーで奈良まで帰る、高い寿司折りとなった







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近所の畑に咲く小菊、この時期は小菊がそこかしこで花を開いている
菊花は長持ちするので、茶花に向かないと云われるが、昔の茶会記にはよく出ている
欧州の葬儀では白い大菊を飾る風習があるが、日本産の白菊がその元になったとか
今の日本で葬儀に白菊を使うことが多くなったのは、風習の逆輸入と云えるもの

昨日は知人の奥方の葬儀があった
私は葬儀を失礼して、前日十九時の通夜に参列した
考えてみれは、「通夜に参列」というのも変な云い方で、時間指定も妙なものである
もうお通夜は「通夜」でなく、葬儀の二部制を構成するものとなっているようだ
「参列者」も略全員が洋装の喪服であり、並んで焼香し、読経がある
まま、日中の葬儀には参列できない方々向けの夜間部葬儀と化したのだろう
線香の寝ず番や、普段着で駆け付ける深夜の訪問客の姿も今は見られない

風習や行事というものにも、時代のニーズや流行が反映するのであろう
そう云えば、香典辞退も大方の風潮となったようで、政治家には嬉しいこと
だが、時代がどう変わろうと人の礼や節目の態度というものは変わらないものである
それは、焼香は何度とか、礼は何方に向けるとかいう冠婚葬祭の本の話ではない
お辞儀をしても、足が開いていたり、歩きながらのままであったり、手が動いていたり
首だけを下げたり、視線が定まらない御仁や話ながらの御仁、色々見受けられた
行儀作法の話ではなく、節目の時の態度や姿勢にはその人の品格が出るということ
これは、私自身への自戒を含めて、葬儀の都度に感じさせられるところである

奥方のご冥福を祈る
2015.11.19 木守り
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この季節、柿や柚子の木には、一つ二つの実が木の枝に残されている
来年も実が成りますようにと、そして鳥たちへ最後の実を残すというもの
日本人の心を表す話であると私は思う

この「木守り」、実は楽長次郎の七種茶碗の赤楽茶碗の銘として知られる
長次郎の七種茶碗とは
黒楽、大黒(おおぐろ)東陽坊(とうようぼう)鉢開(はちびらき)
赤楽、木守(きまもり) 早舟(はやぶね) 臨済(りんざい) 検校(けんぎょう)

利休が焼かせた長次郎の七つの茶碗を、弟子に好きなものを取らせたところ、
赤の茶碗だけが残り、 利休はひとつ残ったその茶碗に「木守」と名づけたという
後この木守茶碗は官休庵に伝来し、高松の松平候にその茶碗を献上した
代々の家元襲名茶事の際、松平候から拝借し茶事が終了すれば返すのが習わし
ところが大正十二年の東京関東大震災で犠牲になり、焼け跡から一片を見出した
その茶碗の一片を埋め込んで楽家で‘木守’を再生したというのが今の茶碗とか

私には、そんな茶碗の話なんぞは臭くて興味は無いが、一応の紹介まで
茶碗より、この木守り柿の空に映る姿、私には好きな晩秋の景色である
2015.11.18 琳派展
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「琳派 京を彩る」展は、京都が町をあげて取り組んできた琳派四百年記念の主幹行事

ということで、新聞の文化欄担当記者だった知人の誘いで京都国立博物館ままで出掛けた
どういう訳か、女房殿も行くと云って付いて来たのだが、その御目当ては「昼飯」であった
京都駅伊勢丹の九階に、「小路市場」という名の和洋折衷優風の洒落たレストランがある
京都全域が展望出来る好立地であり、手頃な価格で味の良い献立を出す人気の店である
この店は京都に八店舗を展開しており、現社長は四代目という京都の老舗洋食レストラン
四代目は当流の茶をやっていなさる御仁、昼食の話をしたのを女房殿は聞いていたのだ

雨がそぼ降る中、それでも博物館は賑わっていた、確かな人気があるようだ
書と絵画・工芸に国宝や重文を残した光悦と宗達、百年後に二人を追った光琳・乾山兄弟
更に百年後の江戸後期の酒井抱一も彼等先達の後を追い、「琳派芸術」の顕彰に勤める
琳派の作品が展示されている中、会場の真ん中にぽつねんと仁清の茶壺が置かれていた
企画者や関係者の思いが伝わって来る趣向であったが、私は一つの思いを持った
それは「模写」である、恐らく琳派だけでなく日本の工芸人は「模写」によって技を磨いた
欧州の美術館を訪れた時に、そこかしこで模写をする若い人を見かけたものである
懸命に模写をする若い彼等の姿に、欧州の文化も侮れないと感じた記憶がある

独自性や個性、人とは違うものをと奇をてらうあり様、馬の尻尾や割れ曲がりの陶芸
そんな「今風の作家」のことを思うと、何年も地道に模写をし、やがて自然に自分が出る
これも「守破離」であろう、「守」を疎かにして「破」や「離」へ走る者から本物は生まれない
上田宗箇は光悦の三つ年下、同じ世代で同じ空気に触れ、同じ場所にも居たことになる
織部といい、桃山期の日本の芸術と美学は、世界史の中でも際立った輝きを放ったようだ
まま「琳派展」では、そんな思いを強めて、博物館で傘を買い会場を後にした、

元新聞記者の御仁、近くに饅頭屋があるので寄って行こうと云い為さるので同行
そこは和菓子を出す京町家の茶店という趣きの店である、酒をやめたその御仁は饅頭党
私は久しぶりに善哉が食べたくなり注文すると、女給は善哉だけの単品は有りませんと来た
私「何で」、女給「メニューはセットなっています」、私「・・・」、同行二人「これにしよう」
私も不承不承で同意、善哉に葛切りの黒蜜と白あんの和菓子、それに煎茶一式のセット
私は口の中がおかしくなりそうであった、(下の写真)


琳派展には多くの大和文化展所蔵物が出て、茶店では吉野葛、奈良から来たのに・・
京スズメを呪った

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2015.11.17 カミカズ
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特攻機への搭乗前に整列する特攻隊員、手前の白マフラーは穴澤利夫陸軍大尉
日本刀持って乗り込む姿が何とも云えぬ、彼等はテロリストだったのか・・

今朝の新聞には、フランスで起きた同時多発テロのことが大きく出ていた
私がアレッと思ったのは、フランスでは自爆テロを「カミカズ」と云うとあったこと
英語の神風のフランス読みだそうだが、フランス人の馬鹿さ加減を見た思いだ
特攻の攻撃は敵軍へ対してのみであり、民間の一般人を殺傷することはない
テロとは一般人への無差別殺戮行為で、特攻とは全く異なる卑劣な行為だ
それを一緒にすること自体が馬鹿げているが、テロを神風と呼称するとは許し難い

因みに、特攻隊の神風隊とは正しくは「しんぷうたい」であり、海軍航空隊の呼称
陸軍航空隊の特攻部隊は万朶(ばんだ)隊、振武(しんぶ)隊と呼ばれた
上の写真は鹿児島の陸軍軍航空隊知覧基地での撮影写真、よって神風特攻隊でない
恋人が編んでくれた白いマフラーを、特攻マフラーに重ねて巻いて出撃する穴澤大尉
特攻隊員を卑劣なテロリストと同様視するフランス人の報道、憤りを覚えた今朝である
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窓際に置いた猪(亥)の像

炉開きは「亥の月・亥の日」、旧の陰暦十月の八日と二十日に行うものとされる
新暦で云うと十一月十九日と十二月一日である
十五日では少々早いが、この日は六曜で「先勝」、先にやったが勝として「亥の日」にした
その証として猪(亥)の像を置いたのだが、本当は羊の日、ゴジツケが過ぎたかも・・

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亥の子餅、炉開きに出す定番の菓子餅、猪は子沢山故に祝い事の印ともされる

前の記事に書いたが麛坂皇子(かごさかのみこ)が能勢の山狩りで大猪に殺された記紀の話
宿敵となった神功皇后とその子・応神からすれば、その大猪は神の使者、歴史は勝った者が作る

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口覆いを外した茶壺を前にして小柄(こずか)に懐紙を巻く塾生、本人は切腹の面持ち

口切りの刃物は細工用の小刀が便利使いされるが、武家茶にあっては刀の小柄が相応しい
小柄は日本刀の鞘に仕込まれた手裏剣と云えば子供でも知るが、実物は見たことがないとか

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壺から取り出した碾茶(てんちゃ)の紙袋(小半袋)を開け、交替しながら茶臼で挽く塾生

私の茶臼は御影石で作ったもの、茶道具屋や分った気な茶人はん達は宇治石を、とオヌカシ
宇治石の茶臼は、どういう訳か普通の石臼の十倍位の値を付けて茶人に売られている
宇治石で精緻に作られた茶臼で挽くと細かくて舌に残らないとか、私は舌に残ってもエエとする
茶道具や茶人の寝付け感覚というか、ただれた価格感覚に私は与する気が無いということ
あることで、私が価格交渉をしていた時のこと、相手の茶関係の御仁の言葉
「お茶人は余り値段のことは云わはらへんのですやろ云々カンヌン」とオヌカシくさる
私「アホ云うたらアカン、何でも常識値がおます、ワビサビを口に臭気紛々はヘドが出る」
然しまぁ、一体誰が茶にこんな価格体系を持ち込んだのか、まさに「利休に尋ねよ」

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この日塾生が作った青竹の結界を置き、炉炭の点前をする

口切り茶事では、炭の後に茶壺の口切りをして、茶臼で挽いている間が会席となる
碾茶を石臼で挽く音を聞きながらの会席が、口切り茶事の醍醐味ということである
然し、この日は結界作りや炭道具の風炉から炉への変更もあり、会席は省略する
石臼を挽く音を聞きながらの炭点前、奥方衆は脇で其々煎茶の点前と客作法を満喫
この日には、卒塾者の方が木津川の石を数個持って来て下さっていた
先の稽古緒では良い石が無く、関守石作りの練習が出来なかった塾生にというご厚情
でも、その時間の取れず仕舞いであったので次回の楽しみにとっておくことにした
次回は夕方から夜にかけての「夕ざりの茶事」の稽古、、短檠、行灯、手燭、燭台を出す
電気照明は消し、和蝋燭と菜種油を灯す幽玄の茶事稽古となるハズ、上手くいけばだが・・
2015.11.15 御茶入日記
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茶壺の御茶入日記(おんちゃいりにっき)を出した

一(ひとつ)、
宗冏宗匠御好(そうけいそうしょうおこのみ)
常葉昔(ときはのむかし)、小半袋(こはんたい)、壹(いち)
千代昔(ちよむかし)、小半袋、壹
初昔(はつむかし)、小半袋、壹

一(ひとつ)、詰(つめ)
千歳の友(ちとせのとも)、壹斤(いっきん)
                以上(いじょう)

乙羊(きのとひつじ)五月(さつき)吉日(きつじつ)
        宇治園製茶(うじえんせいちゃ)、詰(つめ)

宗冏宗匠御好とは上田宗箇流の当代宗家の選んだ好みの茶葉の意
「昔」と付くのは、八十八夜から前後十日の二十一日、廿一日即ち「昔」
この二十一日間に摘んだ茶葉が良質とされ、濃茶に用いられるとの通説
小半袋とは入量の目方のこと、半袋が十匁(じゅうもんめ・37,5㌘)でその半分
当流では古来通り濃茶の一人分は一匁としているが、他流では少な目が多い
初昔とあるのは、茶摘みの最初の日に摘んだ葉茶で製した抹茶の銘
詰、千歳の友、一斤とあるのは、良質の茶葉入り袋の周りに詰めた茶葉のこと
一斤とは百匁(375㌘)、この周りに詰められた茶葉は薄茶、お薄として用いられる
年号は十干十二支で、来年は丙申(ひのえさる、へいしん)、五月は新暦である
日付は立春(二月四日頃)から八十八夜頃を示し、旧暦(陰暦)では三月吉日となる
宇治園製茶が詰めたいう押印をして終わっているが、昔は詰めた茶師の名も書かれた

濃茶の客作法として、喫茶して後に発する言葉「茶銘は、詰は」、というのがこれ
つまり、入日記を問うているのである

2015.11.14 壺飾り
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明日の稽古は茶壺の口切り、よって壺飾りをした
当流の長緒の紐飾りは脇の乳緒だけで、他流の様に正面や脇に真行草の紐飾りはしない
覆いの口紐は朱色を使わず紺色にした、朱色の紐の方が映えるかも知れない

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茶壺の乳に掛けた紐飾り
少々紐が長いので下を輪にして始末した
切ってしまえば良いのだが、切り口の始末が面倒で私には出来ない
まま、不精ながら何時もこれで御免被る

ずいずいずっころばし
ごまみそずい

茶壺に追われて
戸ぴんしゃん
抜けたら、どんどこしょ

俵のねずみが
米食ってちゅう、
ちゅうちゅうちゅう

おっとさんがよんでも、
おっかさんがよんでも、
行きっこなしよ

井戸のまわりで、
お茶碗欠いたのだぁれ
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秋篠川の土手道を田圃沿いに歩く愛犬「ハナ」、老いが見える

散歩途中で[「ハナ」が電信柱にぶつかったのを初めて見た
普通に歩いていたので、前にある電信柱を避けて通ると思いきや
「ハナ」は正面から顔をぶつけたのである、私は「えっ」と思った
元来、天然ボケの傾向がある「ハナ」は、溝で足を踏み外しコケることがよくある
またトンマをしでかしたのか思う反面、白内障の進行がここまで来たかとも
何となく不安に駆られる「ハナ」はもうすぐ十二歳、人間では七十過ぎである

「廃医師」はんから紹介があった「日経サイエンス・十一月号」に目を通した
特集として「オオカミから犬へ」という記事である、なかなか面白かった
欧州や米国のオオカミ研究センターや大学の研究機関の研究結果である
やはりというか、二つの点で田名部博士等の犬の起源説が否定されていた
一つは南方起源説、もう一つは農耕民による犬の家畜化説である

特集記事では、犬は北方の狩猟民と「とあるオオカミ」との共生から生まれたとある
犬の祖先は、これまで世界に分布する大陸オオカミとされてきたが、それも否定
その起源も三万数千年から四万年前後も前で、これまでの二万年前後説も否定する
犬が犬になった特長について、第一に「待て」が出来ることが挙げられている
犬の躾でいう「待て」や「お預け」はオオカミには出来ないことだと書かれていた
三万数千年前とは、縄文人が北方経由で日本列島に人が入った時期と合致する
列島の日本オオカミと日本犬には遺伝的な繋がりは無い、日本犬は縄文人と来たのだ

オオカミは群れ生活をするが、かなり身勝手でリーダーの云うことは聞かないらしい
「待て」をするということは、相手の目を見て相手の思いを察する能力が要るという
今は絶滅した「とあるオオカミ」は、集団生活が発達した種族であったろうと思われる
目と目で其々の気持ちを汲み取ったり、集団への帰属意識や忠誠心が強い資質があった
それが人間との共生に役立ち、狩猟・遊牧をする人間にとっても良き相棒になった

リーダーである人間の云うことや表情が伝えることを汲み取って、その意に従った犬
人間が農耕を始めると、犬はオオカミとは違いデンプン質を消化できる体質を持った
今、世界のオオカミは全部合せても一千万頭足らずと云われるが、犬は数億頭である
既に絶滅した「とあるオオカミ」、まぁ、そのオオカミは犬になって種族を残したことになる
狩猟の民は犬を家畜と見ず、自分達と共生する動物仲間と見做したが、農耕民は違った
農耕民の多くは、犬を手懐け易い食用の家畜と見做した、犬にとっては悲劇の歴史

日本犬の南方起源説とは、水稲文化を日本列島に持ち込んだ民が犬を持ち込んだとする
YーO3集団、つまり漢族である、この辺りの話は教科書には書かれていない
縄文遺跡の犬は埋葬された骨が多く、弥生遺跡ではゴミ場から食肉痕跡がある犬の骨が出る
Y-O3集団とは漢族のこと、南支那海で「赤い舌」を出して周辺を食おうとしている輩
「ハナ」が奴らに見つかると大変なこと、旨いと云われる赤犬で、しかも丸々としている
日本で良かったな、縄文犬「ハナ」、元気で居てくれよ
2015.11.12 神無月朔日
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今日は陰暦十月一日、神無月朔日、近所の柚子(ゆず)もすっかり色付いた

茶人の正月と云われる「開炉」、すなわち「炉開き」の時期になってきた
立冬を以って炉開きとされる方が多いようであるが、少々違うようだ
一般には「柚子の色付く頃」とも云われているが、まま、遠からじである
つまり、炉を開く日を歴に合せなくとも時季の頃合いで、ということだろう
しかし、世の慣習は小理屈屁理屈が付き、何時しか決まりごとになるもの

暦としての開炉は、陰暦十月一日(神無月の朔日)とされている
それが、江戸時代に亥の月の亥の日を選び「火の物」を出す風習が庶民に拡がった
囲炉裏(いろり)や炬燵(こたつ)を開いたり、火鉢を出したりということである
亥は陰陽五行説では水性に当たり、火災を逃れるという信仰に基づくものだとか
茶の湯の世界でも、この亥並び日を炉開きの日とするところも多いようだ
そして、亥の刻に搗いた「亥の子餅」を茶菓子に出す慣習もある

本来を云えば、この亥の話は、我が家の隣町「押熊町」に由来する話である
仲哀天皇亡き後、神功皇后と皇子(応神天皇)が新羅から大和に凱旋する時の話
先帝の先妻の子であった麛坂(かごさか)皇子と忍熊(おしくま)皇子が反乱を企図
その戰の吉凶を占うため、摂津の能勢で山狩りをすると大きな猪が出たという
その猪に麛坂皇子は殺されて、ビビった忍熊皇子は大和へ逃げ帰ったとされる

神功皇后軍が大和に入り、忍熊皇子は平城山から山背の宇治を抜け近江へ逃げた
琵琶湖の畔、瀬田の川原で殺されたと日本書紀・古事記にある、先日の我々の道だ
結果として能勢の猪は子沢山の意も含め、皇室では吉兆の印とされたという話
源氏物語に能勢から「亥の子餅」が皇居へ送られる話が記されているという、
我が隣村「押熊町」では麛坂皇子と忍熊皇子の霊地を作り、村人が二人を祀っている
この押熊町の南に接するところに、大きな神功皇后の御陵が拡がる
歴史の慈悲とは、当人が死んでからという話が多い気がする
死にさえすれば神にも仏にもなれるが、扱いによっては怨霊にもなるというもの
それは後世の者が祀り方如何、私は神も仏も望むべくもない・・怨霊になってやろう

ところで閑話休題
今年の亥の月の最初の亥の日とは、新暦今年の十月十八日、亥の刻とは午後十時頃
我が朋庵では一日に炉作りを終え、十五日に炉開きと口切りをする予定
そして、亥の日の十八日には我が家の炬燵を出そう、電気炬燵だが

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琵琶湖からの帰り道、塾生二人と織部のことで談論風発
(古田織部展図録 の画像検索結果を参照)
https://www.google.co.jp/search?q=%E5%8F%A4%E7%94%B0%E7%B9%94%E9%83%A8%E5%B1%95%E5%9B%B3%E9%8C%B2&biw=907&bih=411&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0CC0QsARqFQoTCNGms_6hhMkCFQmelAodv6kG3Q

陶工である塾生の曰く、平山郁夫・佐藤忠吉・楽吉左エ門の常設展示館はともかく
織部展はもっとジックリ見たかったとか、これは私の判断ミスへの風刺である
郡山に戻って、椿寿庵へ椿を見に行こうと誘って、美術館を三時前に出た
ところが奈良に入ってから救急車騒ぎに巻き込まれ道が混んで動けなくなった
時間が過ぎ、雨もあって周りが暗くなって来たので、椿寿庵行きは取り止めた
それならもっと佐川美術館の織部展でユックリしたかったのに・・の意である

陶工塾生の云うには、織部の作品とその意匠とは世界に類がないとか
馬の尻尾で絵を描かしたり、ワザと曲げたり割ったりして奇をてらう陶芸でなく
本当の前衛というか、今に通じる斬新な感覚の持ち主だとつくづく思うということ
西洋・アラビア・インド・支那なんかは、左右対称、精緻・完璧と壮大の美が基本
それが日本では、不完全やものの哀れを基調にした文化と美意識が生まれた
そして織部は、その感覚を意匠として取り上げ一つの芸術世界を作った
その塾生にとっては、まさに「織部とは何者か?」ということであった
郡山での夕の居酒屋、その勘定は全て私が持った、失念した茶事の償いも考えつつ

帰路の車内では、もう一つの談論か風発された
織部展の説明案内文に「権力者と商人を結んだのは利休で、織部はその後継者」とあった
利休は元より商人であるが織部は武将で価値観は違う、と三人は意見一致を見た
利休は秀吉、織部は家康と云う時の権力者から切腹させられるという最期を迎える
利休は秀吉への悪態を吐きながら、腸を出して釜の鎖に吊る乱行の末に果てる
織部は粛然と、「かくなるうえは申し開きも詮無し」と云い残し切腹して果てる

利休には茶室常在を極めとか云われるが、その最期は生に未練タラタラが見てとれる
やはり武将の戦場常在の感覚が分らなかったのであろう、織部は正に武人であった
とは云え、織部には切った張ったの武功が少なく、調停説得の話功が大きいようだ
その点、切った張ったの武闘派であった織部の弟弟子・上田宗箇の茶は武人のもの
織部展では、宗箇の茶の流れが一角を占める程に紹介されていたことを何となく理解
宗箇は利休と織部に師事し、自分の茶を作り、八十八歳で二十日間食を絶ち息を止め往生
「墓を建てるな、骨は砕いて海に撒け」と云い残した、が墓はある、後世の人はタク~ッ

ふと思ったのは平山画伯のこと、私が下手糞な絵と思ったが、その実は・・
もしかしたら、カラオケでいう「うま下手」、上手いのに下手に見せるというやつ
平山はんは日本画家、日本文化の美意識を自ら体現させていなさるということか
平山はんの絵を見て、これでは中学生の作品程度、と思った私は不慮の極み
私の茶の程度が知れる話であった、ホトホト

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宇治川の辺りは深山幽谷の雰囲気が漂っていた
雨のそぼ降る奈良を朝八時に塾生二人と出発
平城山を越え木津から宇治へ抜けて近江に入る路線

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利休と織部の逸話にある瀬田の唐橋を渡って琵琶湖を目指す
佐川美術館は琵琶湖南端の守山にある

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十時過ぎに美術館に到着
先に朝昼兼用のモーニングサービス+サンドイッチを摂取
美術館に入ると、平山郁夫・佐藤忠吉・楽吉左エ門の常設展示館があった

私に芸術眼力が無いためであろうが、平山はんの作品は上手とは思えなかった
確かに、数点の作品の色使いはムムッと唸らさせるものがあった、奥さんの協力かな
佐藤はんの鋳造作品は何となく味わいがある、鋳物工の苦労が大きいとあった
楽はんの現在風の茶碗がたくさん出ていた、飲みにくく使い辛い茶碗と思われた
別途千円の「石と水の茶室」も入った、案内嬢が云うには
「楽先生は守破離の言葉が好きで、『自分はまだ破だ』とおっしゃっておられます」
・・?『離』まで到達して本物やろうと思った私は小声で独り言
「なら千円とるなや、展示茶碗は確かに『破』レベル、彫刻屋のもので茶人のものやないな・・」
楽はんの紹介文には東京芸術大学彫刻科とあった、なるほどと納得

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大和郡山まで帰って来て、駅近くの居酒屋で三人が飲んでいると
近くにいた一人の男が大きな声で蕎麦(そば)のウンチクを話していた
聞くともなく耳にしていると「かえるあん、さんじょうどおり」云々
そして、「奈良で一番うまい蕎麦はかえる庵の蕎麦や」
我々は思わず声を掛け、こちらの席に引っ張り込み歓談する
四人で酒が進み、焼酎の一升瓶がほとんど空いた

携帯に某流派の家元から着信記録あるのに気づき、電話を入れる
あろうことか、その日は口切の茶事に招かれていたのを完璧に失念していた
急に酒が不味くなり、もう一軒だけにして家路を急ぐ私であった
今日朝一番でお詫びに行った、赤膚焼の花入を手にして・・
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先日の炉作りの稽古日に挿した椿の蕾が翌日に開花、卒塾者から頂いたもの

薄い桃色が入ったやや大ぶりの蕾だったので、「初嵐」と聞くと「西王母」だとか
西遊記に孫悟空が霊薬の桃の実を盗む話があるが、その持ち主の女神が「西王母」
一説では、この椿の薄桃色の蕾が桃の実に似ているところから名付けられたと云う
明日は立冬、炉の季節には椿が茶花の雄として数寄屋を飾ることが多くなる
近くの椿園では、大和郡山にある「椿寿庵」が有名処
http://www.nagominoniwa.net/sakuin/tsubaki11.html

長らく奈良県で茶業の研究と指導をして来た植物学者の寺田孝重氏
その著書「茶花の散歩道」で椿のことを取り上げている

>椿は、大友家持が『万葉集』で「あしひきの八峯の椿つらつらに 見とも飽かねや植ゑてける君」と読んだように、大げさにいうと、日本人が日本列島に住みついて以来、親しみ続けた花の一種です。
なぜこんな大げさな書き方をするかといいますのは、ツバキ「学名がカメリア・ジャポニカ」は日本列島に特産の植物で、数多いカメリア属植物の中で、日本人が独占的に愛することのできた、美しい花だったからです。
ツバキは照葉樹林を形成するカメリア属植物の中では、サザンカと共に最も東の端に分布して、特殊化した花でした。
日本人がこの植物を中国人に紹介した時、中国人はこれを、「山茶花」や「海石榴」と呼びましたので、「山茶花(サザンカ)」や「山茶(野生の茶)」と文字上の混線をしたり、「椿」という字が中国ではチャンチンの仲間を意味しますので、これまた色々な謎を生みました。(中略)
自生種としての椿ですが、ヤブツバキ、ユキツバキがあり、これらの中間雑種のユキバタツバキとヤブツバキの変種のリンゴツバキがあります。またサザンカとの自然交配種にハルサザンカと、原種不明のワビスケツバキがあります。<

納得する嬉しい話である
私の先のブログ記事で連載した「番茶の振り茶」の話を裏付けてくれる
照葉樹林と縄文人、焼畑農法と山茶、日本列島に残る「振り茶」の風習
椿同様に日本人のY染色体遺伝子D2とO2b1は日本列島の固有のもの、日本犬も然り
東亜半月弧照葉樹林文化の東端、シベリア針葉樹林文化の南端である日本列島の昔
茶と椿が繋がる話は、日本列島の悠久の昔話に繋がるということ

この寺田孝重はん、私と同年齢の御仁ながら直接の面識はない
然し、共通の友人・知人があり、私は彼に親しみと敬意を持っている



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六十七目対八十三目、十七目差で九連敗目

昨日は碁仇との奈良と交互の定例囲碁対局の日で和歌山まで行った、
明治節(文化の日)と端午の節句の年二回に囲碁対局を続けている
碁仇は同年齢の会社社長、私に十連勝すると豪語おぬかしアソバス
会社を上場させたこともあり余裕、私は既に八連敗中でただただ意地
布石から押され気味で、中盤で右下ソックリ相手陣地に囲われかけた

一点突破全面展開を期し、敵陣中央に突入開始、これでと意気込んだ
敵も然るもの、私の起死回生の奇襲作戦を間一髪で支えて侵入を止めた
そして碁仇曰く「ここまでやな」、九連敗の憂き目を見て私は天を仰いだ
携帯に証拠写真を撮り、休日出勤していた人にプリントアウトを頼む
私と碁仇の二人はプリント写真を持ってホルモン屋に直行
タレ漬けのシマ腸を焼き、芋焼酎の湯割りで局後の検討と相成る

「ここが不味かったな」「こうすべきやった」「この一手が敗着やな」云々かんぬん
私は糖尿のことを忘れ、焼酎とホルモンの焼き汁をかけた麦飯を口に運んだ
碁仇の御仁、帰り際に私へ菓子箱三つを呉れた、糖尿の私に(ーー)
2015.11.02 炉作り
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出来上がった棕櫚(シュロ)箒を手にした塾生
ナカナカ男結びが覚えられず苦労していた

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炉に五徳を据える塾生、私は五徳の下に土器を敷くようにしている
灰は陶工をしている塾生が去年の暮れに持って来てくれた樟灰
今年の盆頃の晴天が続く日に、番茶の煮汁に浸けて天日干しをした
後は篩(ふるい)に掛けサラサラにしておいたのである
塾生は皆マスクを付け炉作りに勤しんだ、塾生の奥方も興味津々で見てなさる

今日は抹茶の稽古が出来ないので、コーヒー、烏龍茶、煎茶を用意した
奥方衆にお願いして、塾生向けに「喫茶・朋庵」を運営してもらう
コーヒーはブルマン、烏龍茶は台湾物、煎茶は宇治・坂本製茶である
名古屋の華道家から頂いた両口屋の菓子と女房殿の鳥取土産の梨を添える
棕櫚箒も炉もそれなりに出来上がり、関守石作りのオサライをした
関守石の紐も「男結び」をしてから更に「井桁組み」で編み上げるのだが・・
塾生は殆ど忘れていた・・、作った関守石はハナの小屋前へ、誰を通せんぼ?
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私の年の離れた従弟が来たので、皆で蕎麦(ソバ)を食べに行く
卒塾者である「かえる庵」の庵主、「もう火を落としたが蕎麦要る?」と聞く
私が「蕎麦屋に来たら蕎麦が要る」と応える
先客の団体さんを送り出したので看板にしようと思っていたとか
団体さんに使った器を洗うために、その湯に浸けてあるということである
早速に塾生が先客の器を洗い、釜に火を付けた

少し時間が掛かったが、蕎麦にありついた
蕎麦と酒を頂いた後、庵主と共に皆で餃子を食べに行く
2015.11.01 町内事情
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昨日十月三十一日、我が家の属する町内班の通りの状況
午後四時という夕方から、面に黒や朱色の帽子、コートの子供達が集合
実際には親の方が多く、旦那がカメラマンとなって妻と子供を写している

実は我が班は、子供にと云うか子供のいる若夫婦に優しい班である
住民の年齢は七十歳を超えつつあり、もうとっくに子供達は家を出ている
町内会にあった子供会も老人会も解散した
理由は簡単、子供が居なくなったことと、老人ばかりになったことである
町内で二十五の班があるが、各班共通の悩みは班長や幹事と云った担当
年寄りが多くなって、担当が辛くなり辞退者が多くなって来たことである
各班二十軒ぐらいの家数なので、二十年に一度づつ班長と幹事の順番が来る

ところが先年、我が班の南面にあった竹藪と梅林が宅地開発されたのだ
今では、十七軒の新しい家が建ち、子連れの若い家族が次々と越してきた
我が班の先住民は喜色満面でホクソエム、二十年は輪番から外れると・・
町内会では家数が増えると班を分けるが、我が班は若家族・新住民を離さない
その為にも、若家族の新住民には愛想よく好意的に接しているのである
「将を射んとする者はまず馬を射よ」、まずは子供からというところ

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お隣の車庫では、カボチャ提灯を模したパンを焼き子供たちに振る舞う
我が女房殿も、和三盆の菓子を子供たちに配っている
子供達の何人かは箒を持っている、欧州中世の魔女神話であろう
それにしても集団ヒステリーの物騒さ、魔女狩りもイスラム国も犠牲者は哀れだ

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私は風炉の灰を取り去って、五徳とカワラゲも洗って干した
裏の神社の竹藪から、小振りの青竹と棕櫚(しゅろ)の枝葉を切って来た
次の日の棕櫚箒作りの準備である、炉の灰も入れ、五徳を据える予定
魔女ならぬ魔男になるのだが、魔男、何と云うのであろうか、マダン、マオトコ

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「ジャック・オー・ランタン」の和菓子とは少々違和感が・・稽古の菓子にはよかろう