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通年なら今日から弥生三月、春うららである、秋篠川では鴨の夫婦が泳いでいた

二月二十九日、今年は閏(うるう)年、「うるう」は「うるふ」である
語源辞典では「本来あるもののほかにあるもの。正統でないあまりもの」とある
潤の読みの「うるう」から閏も同様に読んだもので、本来は「じゅんねん」らしい
そもそも「閏」というのは、王が門を閉じて執務をしないことを表しているとか

現在、日本でも採用されているグレオリオ暦の閏年の決め方は
(1) 西暦年が4で割り切れる年は閏年とする
(2) 4で割り切れる年でも100で割り切れる年は閏年としない
(3) 4で割り切れ、100で割り切れる年でも、400で割り切れる年は閏年とする、とある

英語のFebruaryは贖罪を司る冥府の神・フェブルウス神Februusの月という意味とか
古代ローマ時代の罪を浄める儀式=februaに由来し、一年の締めくくりの月であった
よって、ローマの太陰太陽暦では、閏月としてFebruusの月が二回あったという
その名残から、太陽暦になってからも閏日を二月に持って来ているという話

ではである、二月二十九日生まれの人はどうやって 年を数えるのか
誕生日が来れば歳が一つ増えるとなると、四年で一歳、いつまでも若く過ごせる
しかし、そうは問屋が卸さないらしい
日本では民法第143条の規定で、誕生日の前日が終了する瞬間に年齢が変わるとされる
つまり二月二十八日が終了する瞬間に年齢が変わることになり、平年でも閏年でも同じ
運転免許証の更新などもこれに準じるとされている、成る程である
それ故、四月一日生まれは早生まれになるという意味が、今にして分った

然しである、では閏年の三月一日に生まれた者はどうなるのか、と考えた
所詮は小役人の小賢しい立法文言め、と小意地を悪くしてホクソ笑む
また然しである、三月一日の前日が二月二十九日であろうが二十八日であろうが一緒
その日を以って、年齢は一つ増えるということで、閏年云々は関係ないとなる
私は新暦・太陽暦の盲点を突き、民法改正の狼煙を上げ、アワヨクバ文化勲章をと目論んだ
ノーベル賞とまでは云わないがと、またまたホクソ笑んだが、所詮アホ夢であった

ここで再考、閏年にオリンピックを開催するようにすれば分かり易い話になる
この話、画期的だと思うが如何、早速オリンピック委員会に提案してみよう
さすれば、リオ五輪の開会式の招待券が来るかもと、またホクソ笑む
再た、こんなアホ夢話浮かぶ我が脳ミソであった、レベルが知れるところ
もう邪念・妄想を捨て、静かに茶を点てよう、リオのジカ熱も奈良の鹿熱も似たもの






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今日の二月二十六日、これというテレビ・新聞の報道もなかったようだ
世に云う2・26事件のことである、報道はシャープの話が多かった

2・26事件とシャープの話、この二つを結びつけるのは「吉永小百合」
2・26事件を描いた映画「動乱」、将校役は高倉健、妻役が吉永小百合
最近見はなくなったが、シャープ液晶テレビのCMには吉永小百合が出演
学生時代、私は小路を一人歩く女性が吉永小百合であった僥倖に出くわした
私も一人でその小路を歩いていた、女性には遠目でも美人の雰囲気が漂う
すれ違う瞬間気付いた、その人は「吉永小百合」、ホンマ実物はすごい美人
私の足は止まったが、その人はそのまま歩き去った、・・余談であった

昭和十一年二月二十六日、陸軍近衛師団の青年将校に率いられた部隊が決起
彼らは、「昭和維新・尊皇討奸」をスローガンに、天皇親政が実現させようとした
元老重臣を殺害すれば、政財界の様々な現象と農村の困窮が収束すると考えた
「神国日本ノ国体ノ真姿ヲ顕現セント欲スルニ在リ」という坂井直の手記が残される
坂井直陸軍中尉(享年二十八歳、三重県出身)

私は、栗原安秀の遺書に胸が痛む
栗原安秀陸軍中尉(享年二十八歳、島根県出身)・遺書

父上様 母上様
私は親子の情を知って居ります。然し大義の為に心を鬼に致しました。どうかお許しください。
私の入獄中手紙を下さいました。種々な物を差し入れて下さいました 私はその度に泣きました 決して卑怯な気持ちで泣いたのではありません 父上様母上様の下に幼く在った時を思ひ起こしたのです 私は腸を断ち切られる思ひが致したのです・・・

妻へ
玉枝よ
僕はそなたに感謝する よく理解しよく努力し僕を愛して呉れた 僕が時に夫らしくなかった時もそなたは実に貞淑な妻であった
玉枝よ
今度程僕は夫婦の絶対愛を知った事はなかったよ 僕はそなたを思ひ出し共に笑っていた そなたの息を耳の傍らに聞いて居た
嗚呼何と云う幸福な境地に僕等は居るのだらう どんな苦しみもどんな迫害も到底僕等の絶対生活を破壊できないではないか
玉枝よ
よく涙を拭いて強い子にお成り そして父君母君を慰め妹達を可愛がっておやりなさい 恐らくそなたの持つ快活さは栗原家の喜びの泉になるだらう 又安雙家(妻の実家)の為にもそふだ それからまだ云うことがあった
玉枝よ
そなたは皆に二人の生活は楽しかったと宣言しなければならない
何もかも思ふことなし唯清き玉枝の瞳求めつつ
七月四日夜  そなたの夫 安秀

 遺詠
 君が為捧げて軽きこの命 早く捨てけん甲斐ある中  七月七日

自殺者二名を省く青年将校十五名の処罰は銃殺、事件五か月後の七月十二日処刑
銃殺の引き金を引く者には同期の将校も居たという、心中察するに余りある
人は仕事を為すために生きるのか、生きるために仕事をするのか、考えさせられる
2016.02.25 竹柏のしづく
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梛(なぎ)、南木・那木・竹柏とも表記する、ナギという樹木のことで「神木」とされている

ナギがなぎ(和ぎ)に通じることから、神籬(儀式の依り代としての枝葉の意)として使われる
神籬(ひもろぎ)の語源は、「ひ」は神霊、「もろ」は天下るの「あもる」、「ぎ」は木
よって、ナギは神霊が天下る木、神の依り代となる木の意味となると云われている
「いざなぎのみこと」のナギ、「草薙剣・くさなぎのつるぎ」のナギに通ずるとか云々
樹木としてのナギは、日本列島西南部から台湾が原産地で、奈良・春日山が再北限自生地
広葉樹の様だが針葉樹で葉には縦筋が通り、ちぎり難いことから男女の契りのお守りとなる

長話になったが、ことの本旨は「竹柏のしずく」という本の因縁話である
先日拝聴した茶道史研究家の神津氏の講演「松屋日記について」の後日譚である
奈良茶人・松屋三代が居住した奈良きたまち界隈の説明に多くの時間が割かれた
その界隈には私の中学校があり知人も多く、いわば遊び場だったので興味深く聞いた
デジュメの中に「竹柏(なぎ)のしづく」から史料記載という頁があったのが目が止まった

「竹柏のしづく」という本の題名に記憶があった、十一年前の愛犬「ハナ」が一歳の頃
中世日本文化の学者の方が我が家の裏隣の住まわれておられ、お借りした本であった
奈良茶人として高名を馳せた故河瀬無窮亭虎三郎の蒐集資料を本にしたものである
故人の「偲ぶ草」として奥方が出された遺稿ともいうべき本で、百冊か二百冊の発行数
編集者は茶道学の最高峰で、奈良の茶の存在意義を紐解いた篤学の士・故永島福太郎
隣家の方は永島先生の助手として、この本の編集を手伝っていたとの由
そして、隣家の方から竹柏を「ちくはく」と読む方が素直だと云われた、理由も聞かされた

竹は「竹簡」の意で柏は「包み」とか、御亭主の思いを綴り包み残し置くもの、遺稿である
成る程とは思うが、実際にはそのどこにも「竹柏」へのフリ仮名は見当たらない
私は神津氏のデジュメに「なぎ」とフリ仮名がされていたので、「なぎ」を調べてみた
春日原林が「なぎ」の自生地最北端であり、河瀬は長闇堂・久保権太夫に心を置いていた
長闇堂は春日の神官で奈良茶人の一人である
それ故に、私は「竹柏・なぎ」という名にしたのかと、それなりに納得はしたが・・
さてさて、「竹柏」を何と読めば良いのか、少々考え込む

話は、写真の本「竹柏のしづく」の表紙、右下が欠けているというか、疵痕が残る
実は、まだ子供であったハナが座卓に置いていたこの本をかじったのである、
この頃のハナは、靴も草履も机の脚も散々にかじりまくっていた
この本をお借りし座卓で読んでいて、そのままに置いていたらハナが・・、後の祭り
私は直謝りでお返しに行ったため、本の中味の記憶が薄いままであった

今回、その本は市販されていない希少な本と知り、ハナと共に謝罪に行った次第
その次の日に、その方から「竹柏のしづく」が郵便受けに届けられていた
早速に電話を入れると、その方曰く「持つべき方のところへ返しただけの話」、と
ひと唸りしつつ、謝意を述べ預からせてもらうことになったが、形としては無心になった
改めて、本稿に目を通すとポツポツと知人の名も出ており、嬉しくなった
朝茶事に知人の古美術商が招かれ、菓子は私の茶友の和菓子屋のもの
やはり、「竹柏」は「ちくはく」と読む方が素直な気がするのであった

本の右下にハナのかじり痕が残る「竹柏のしずく」
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2016.02.22 香所望の追記
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千円で購入した袴

先日、曰く奈良町に出掛けた折に立ち寄った古着屋で見付けたものである
1080円と書かれた値札を見て思わず袴の生地を触った、意外にしっかりしている
(袴を新調すると十万円程度かかるというのが相場である)
店員に丈の確認をしてもらうと、なんと私にピッタシであった、ニンマリする
私は千円札と百円玉を出し、「お姉さん、これ貰うわ」と即購入したのであった
少々しわくちゃであったが、アイロンをかけるとソコソコ体裁が整った
稽古日には、千円で手に入れたことを自慢げに云うて、袴姿を皆に披露した次第
得々と自慢する私に向かって女房殿が一言
「古着屋で千円で買うたものを自慢せんとってください、みじめたらしい・・」
私、「・・・」

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炉も風炉も、そして煙草盆の火入れも灰には前以って炭火を入れて温めておくもの
勿論、香炉の灰も同じことが云えるのだが、私は古い先輩の仕方を真似している
炉の火にフライパンを掛け、アルミホイルを二重にして中に灰を入れて包み温めるのだ
フライパンを上げてすぐに炭火の中に香炭団を入れておき、香炉に灰を移して盛り形にする
その灰の中に火の付いた香炭団を埋め、灰押しをして線を引き香炉灰の形をつくる

さて、聞香で詠まれた和歌を掲載する、詠み人知らずということで

後輩の 点前稽古の お茶を飲み 伽羅の香りに 春を満喫
しらくもに じんこうたちて ふといくと すみのかおりは とおざかりけり
新しき 季節のおとずれ にほひたつ 東風に吹かれて 何処にとどかん
伽羅の香に 気も浮き立ちぬ 春の日に おばばの姿 しばし忘れん
伽羅立ちて かぜひき鼻にも かぐわしき 雨上がりたる うぐいすの庭
春の風 匂ひをはこぶ 菜の花や 幼き日々に 思いをはせる

敢えて、論評は控えた
2016.02.22 香所望
昨日は香所望の稽古、聞香(もんこう)を楽しんだ

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薫風自南来(薫風は南より来たる)、続くのは殿閣生微涼(殿閣に微涼の生ず) 
薫風は俳句で夏の季語とされているが、聞香の雰囲気づくりとして掛ける 

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使用した香道具の一式、香盆の中は香炉、三重の香合、銀葉鋏(ぎんようはさみ)、香匙
三重香合は上段に香、中段に銀葉(雲母の薄板)、下段が炷殻(たきがら)入れとなっている
帛紗に銀葉と香炭団、灰押し、香箸、火箸、羽箒、鶯(中太の金属棒で使用済みの香袋を挿す)
下に今回使った香、白檀、沈香、伽羅の包み紙、そして短冊と筆

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香炉に火の付いた香炭団を入れ、灰型をつくる塾生
出来た灰型はアップに耐えられないので、遠くから写す

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客前に出された香盆、写真では少々見えにくいが中に銀葉鋏と香匙、香盆が煙草盆の原型
茶事の煙草盆は、香炉が火入れ、炷殻入れが吸殻入れ、キセル二本は火箸を示すもの

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香を聞く所作を塾生に示す卒塾生、香炉を右手で覆い親指と中指の隙間から嗅ぐ
男性は鼻孔の左右左、女性は右左右、何のことはない左上位の仕来り、男尊女卑

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聞香を終えると和歌の一首を短冊に認めるのが香道の作法とか
この塾生、筆を執った最初に「ちはやぶる~」と一声を発し、そのまま十五分押し黙る
見かねた卒塾生が下の七・七を加勢、結局連歌もどきの合作和歌となった
暫らくするとその塾生、急に和歌を詠み出し、短冊を更に二葉を追加する
人は何かに目覚めると、異様な仕儀に及ぶのか・・
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換毛する「ハナ」、冬毛が抜け夏毛になる犬の毛の「生え換わり」だが、ハナは少々早い

友人に云われた、「この頃のブログ、ハナの話が多いな、話のネタが尽きて来たんやろう」
痛いところを突かれたが、今回もハナの話から犬の薀蓄を敷衍するところとなる
豚ネコ科のハナは、日中はコタツの中、夜は私の布団の中、たまに外で日向ぼっこ
そんな生活を続けているハナの身は、寒中から換毛が始まっており、今や写真の状態
このところは、パラパラと毛が抜け落ちるのでなく、ごっそと抜け取れるというものである

実は、全てが犬が換毛する訳ではない、換毛するのは温帯以北の犬で日本犬はその代表
南方犬種や、温帯地で愛玩用に人工改良された犬種は換毛しない犬が多いと云われている
犬の被毛は、皮膚を保護する上毛、体温調節を果たす下毛の二層構造になっている
上毛のみという犬種もいて、前者をダブルコート、後者をシングルコートと呼ばれる
換毛は下毛の生え替わりなので、ダブルコートの犬=換毛期がある犬と考えてよいとか
一方、シングルコートの犬=換毛期がない犬であるとされる

換毛期がない犬種に、長毛タイプでプードル、マルチーズ、ヨークシャーテリア、パピヨン、アフガンハウンド
短毛タイプで、グレーハウンド、ミニチュアピンシャー、グレート・デーンなどが挙げられている
換毛期がある犬種に、長毛タイプでゴールデンレトリーバー、シェトランドシープドッグ、スピッツ、チワワ、ポメラニアン、ダックスフント、キャバリア、ボーダーコリーなど
短毛タイプでウェルシュコーギー、シベリアンハスキー、ラブラドールレトリーバー、フレンチブルドッグ、サムエド犬、ジャーマンシェパード、ジャックラッセルテリアなど、そして日本犬である
この中、スピッツやサムエド犬は日本犬と同系の近縁犬種で、云わば準日本犬である

二・三万年位前に縄文人と日本列島へ来た日本犬は、世界有数の四季を持つ列島に適応して来た
これほどハッキリと換毛する犬種は少ないようだ、まさに日本列島が生み出した犬種と云える
私が東京に長期滞在していた時のこと、仕事場の近くの公園では犬連れの散歩者を多く見かけた
日本犬は偶に柴犬を見かけるぐらいで、殆どが洋犬であった、もう十年以上前のことになる
畿内に帰って、柴犬は勿論、秋田犬や紀州犬・甲斐犬を近所や公園で見かけてホッコリした

明治に洋犬を持ち込まれて、絶滅の憂き目にあったのは日本オオカミとエゾオオカミだけでない
琉球犬、西郷像の薩摩犬、肥後犬、越犬、川上犬、岩手犬(マタギ犬)、南極で活躍した樺太犬
まま、この中、琉球犬や肥後犬、川上犬は何とか復活させようという試みが行われていると聞く
純粋な日本犬が殆ど姿を消すこととなった現状に危機感を抱いた御仁がいた、斎藤弘吉という
御仁は、内務省の所管する史跡名勝天然記念物保存協会とともに、日本犬の復興を呼びかけた
昭和三年に日本犬保存会を創立し保存運動を広く展開、昭和十二年に社団法人の認可を受ける
今は、柴犬・紀州犬・四国犬・甲斐犬・秋田犬・北海道犬の六種が天然記念物に指定されている
昔は、柴犬も山陰柴・美濃柴・信州柴、紀州犬も和歌山紀州と三重紀州の区分があった今は無いようだ

この日本列島で、縄文人と共に生きて来た日本犬を絶滅させては歴史の大罪となる
飼い犬が、愛犬が、単なる流行対象であったり、使い捨て感覚の犬選びにしてはならない
今の日本人か、後世の日本人に伝えていくべき文化遺産の一つに日本犬があると私は思う
世界最古級の土器や磨製石器同様、世界最古の犬の遺骨も日本列島で発見される可能性は高い
皇太子家の愛犬が、犬種特定せずに「日本犬の雑種」という微妙な云い回しがニクイ

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秋篠川土手の向う岸で建設工事が始まった、聞くと老人介護施設だとか
実はこの向う岸には、ほぼ同じ施設が四つ並ぶ、何かおぞましい光景だ

昨日、「松屋日記」の講演があり行く、場所は東大寺転害門の観光案内所
話し手は茶道史研究家の神津朝夫氏で、十八時から二時間ほどの会だった
神津氏は「高林寺講演会」の講話者で、今回の講演の案内をもらっていた
神津氏は主題を分り易く論説し、聴者を話に引き込んでいく才覚の持ち主である
この転害門界隈とは、多門城旧跡にある私の中学校の校区で知り合いも多い
話に同級生の名が出て、彼の家が室町時代から続く旧家と知り、ビックリポン

松屋日記とは、塗師で奈良衆茶人の松屋一族が代々記した茶会記
それは、記録された一番古い茶会記の古典でとして知られるもの
その中にある、現存する最古の茶会記録というものに私は納得したのである
天文二年(1533)三月二十日の東大寺四聖坊の茶会として残されている
そこに平蜘蛛の釜とあり、あの松永弾正が爆死した釜かと推察されるのも一興
私が納得したのは、素麺一杯の茶会であったと記されているとのこと、首肯
ほんの一週間前にした私の一客一亭の茶事、それは素麺一杯の茶事であった

講演会から帰宅したのは九時頃、豆腐で焼酎を飲みながら莞爾と頬が緩む
茶も流転、人生イロイロ、奈良に生まれ育った幸せを実感し、床につく
それにしても、東京人の神津はんから奈良人の私が奈良のことを教えられるとは・・
と、また思う、ただ、講演会を主宰する県外出身の何たら女史は少々難あり

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寒風吹くこの時期、裏の藪にポツリと花を付けていた一重山吹、日本原産
花言葉は「謙遜」「気品」、日本の花に相応しい言葉である

今朝のNHK朝ドラ「あさが来た」は面白い場面であった
早稲田大学の創設者・大隈重信と日本女子大創設者・広岡浅子の対面場面
日本女子大の創設には大隈が関わっていたということを初めて知った
確かに、早稲田大学と日本女子大は何となく交流があったのは気付いていた
今で云う「合コン」とかも両校の間でよく行われていたのも納得である
そして更に、日本女子大の創設事務幹事長をしていたのは中川小十郎であった
中川とは浅子の加島銀行に勤めた後、立命館大学を設立した御仁である
つまり、早稲田大学と日本女子大、立命館大学の創設には繋がりがあったという

慶応大学創設の福沢諭吉、同志社大学創設の新島襄(妻・八重)は有名である
近代大学制を定めた文部卿の大木喬任、明六社の森有礼、攻玉塾を創立の近藤真琴
同人社の中村正直と共に「明治六大教育家」としてと呼ばれ、追悼された
大隈は、この「故六大教育家追頌式」の主催者で生きていたので除外されたとか
よって、大隈は「明治六大教育家」に数えられないままという面白い話になった

さて、今朝の「あさが来た」で高橋英樹が演じる大隈重信の台詞
「国家の財産として残せるもの、それは人材である。
而して、教育こそ天下の大事」とあった、至極真っ当である
戦後のGHQによって日本の教育制度から取り去られたものとは
旧制高等学校にあった真の「エリート育成」のエスタブリッシュメントの教育
(エスタブリッシュメントというより、ノブレス・オブリジュージュ・高貴な義務)
海軍兵学校と陸軍士官学校にあった軍事学教育、この二つの教育制度である

家庭の武士道教育衰退で見えた昭和官僚軍人の文字面軍人勅諭の失態
敗戦後の日本復興で見えた戦前教育の日本人の実直勤勉の教育精神
にも拘わらす、GHQと日教組が仕切った戦後教育の成れの果てが国会
国会のおける議員の遣り取り、なかずく民主党議員の質問を聞くたびに
国会議員とマスコミ、それは国民のレベルを示しているという格言が腑に落ちる
国家の敗退とは、教育の廃退と同義であると感じさせられる、今日この頃
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先日、メダカの餌が少なくなったので買いに出掛けた
生協のペットコーナーで探したが置いていなかった
陳列台の一列、四尺台八本、約十㍍には犬猫の餌がギッシリ
袋入りや缶入りの餌が量、味付け、製造者別にアレコレ並んでいた
メダカの餌があるかと聞くと、陳列台の最上段に金魚の餌が一つあった

私が金魚の餌とメダカの餌に違いがあるのかと重ねて聞くと、その答えは
大きさだけのことだと云う、金魚の餌の方がメダカの餌より粒が大きいとか
つまり、金魚はメダカの餌を食べられても、メダカには金魚の餌は食べられない
私が、それなら両方置くか、一つだけならメダカの餌を置く方が理に適うと云う
続けて、品揃えとは喧嘩品目の選別である、これが売れるとあれは売れない
そういう商品同士の相互関係を見極めることやで、と私は講釈を始める

限られた売り場の品揃えとは、購買品目の相互関係が近いものを外すことである
上白砂糖をメーカー別に四種類置くより、中温糖、グラニュー糖、きび糖を置く
キッコーマン濃口を置くとヒガシマルは薄口だけにして濃口は置かないこと
品目揃えの次は、品種揃えである、砂糖、醤油、油、ソース、香辛料と揃えていく
次は品群揃えである、調味料、乾物、穀物、麺類、缶詰、菓子、飲料、ペットフード
更には、青果、鮮魚、畜産、日配と大きな括りで陳列スペースの配分を図ること
百を超える猫の缶詰が置き乍ら、飼育魚の餌が金魚一品だけとはお粗末や、と私

マーチャンダイジング理論の薀蓄を一クサリのたまう私に、売り場担当者答えて曰く
「勉強になりました、でも品揃えは本部の指示で、我々はその通りにするだけです」
私は云う、「せやから、客からこんなことを云われたと上司に伝えることや、せやろ?」
担当者はじっと黙ったままであった、私は「ほなな、伝えときや」と云って引き上げる
その二階にある百均ショップを覗いて見た、あった、メダカの餌、金魚も亀も熱帯魚も
ペットコーナーの大きさは四尺三本で生協の半分以下ながら、品揃えは充実していた

今日もまた子供虐待の記事があった
消毒剤で殺した金魚三〇匹を、十六歳の娘に食わした四〇代の母親
「内縁の男」と一緒だったという、娘が可哀そうという話になるのだろう
私は、金魚鉢に消毒液を注がれて殺され、食われた金魚のことを思う




2016.02.16 生物の生態
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園芸屋で買うた鈴蘭(すずらん)、ドイツ鈴蘭であろう

日本鈴蘭が自生する南限は奈良の宇陀とされていた
最近、といっても昭和四十年代であるが九州の阿蘇高原でも見つかったとか
鈴蘭という名は可愛い感じであるが、蘭の仲間でなく百合の仲間だそうだ
別名はキミカゲソウ(君影草)、タニマノヒメユリ(谷間の姫百合)とも云われる
宇陀の鈴蘭は天然記念物に指定られているが、隣の吉野のカモシカも天然記念物
カモシカも名は鹿となっているが、鹿の仲間でなく牛の仲間である

カモシカと鹿の生態の違いに、私は少々感じさせられるところがある
鹿は一夫多妻制の集団生活を送り、餌を食べ尽すと他の餌場を求めて移動する
カモシカは森林の奥地に一夫一妻で定住し、餌は食べ尽さないで残して食すとか
その地で生き続けるには、餌となる植物の再生が必須だと知っているのであろう
狩猟採取生活の縄文人が、森林と共生しながら暮らした姿と重なる気がする
私にはカモシカの生き様の方が、鹿の生き様より自然な気がして好感が持てる

この最近のテレビ・新聞では、子供への虐待と致死という話を見聞きする
その多くは、子持ち女と年下男の同棲という組合せである
自分だけが好き勝手に餌を食い散らかす生き様で、子供が犠牲になっている
その子供に罪は無いのに可哀そうというのが、社会の風潮と伝え方である
しかしである、社会適性のない親の子供は社会淘汰され、遺伝子は残せないもの
子供には哀れと思い同情もするが、それが生物生態の自然の掟と知ることも必要

2016.02.15 葛城漫歩
昨日、葛城まで出向く、一言主にあやかり一行記事とする
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全国カモ一族の総本山高鴨神社の池にカモが泳ぐ、禰宜(ネギ)と話す
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歴史博物館に昭和三十年代の部屋があった、私は子供の頃に洗濯板と呼ばれていた
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炭炬燵(こたつ)行火(あんか)炭小手、「毬は蹴っても炬燵は蹴るな、火の用心、カチカチ」
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葛城相撲館男厠の貼り紙、読んで思わず失禁ならぬ失笑
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聖バレンタイン(ウァレンティヌス)像、誰が顔を知るのか・・

明日、二月十四日はバレンタインデー、聖バレンタインの殉教日である
同時に我が女房殿の誕生日でもある、聖バレンタインの生まれ変わり?
従って、私は女房殿からチョコレートをもらったことはない
毎年この日は私が女房殿に何か贈るか、ご馳走を作らせて頂くことになる
そもそも、バレンタインデーとは、チョコレートを贈るとは、調べてみた

古代ローマでは、兵士の結婚は士気を鈍らす元凶として禁止されていた
聖バレンタインは、兵士たちに結婚が認められないことに矛盾を感じていた
そして、若い兵士達の思いを入れて、密かに兵士達を結婚させた
しかし、ローマ法は絶対であり、聖バレンタインは、牢獄送りとなった
そこでローマ法に従うと一言言えば、おそらく大した罪にはならなかったろう
キリストの忠実な弟子であった彼は、自ら命と信ずるキリストの教えに従った
そして西暦紀元前二六九年年二月十四日に処刑されてしまったのであった
以来キリスト教徒は、このバレンタインを聖人として讃え、恋人の守護神として祭る
その殉教日の二月十四日を聖バレンタインデーと呼ぶようになったとか

さて、チョコレートを贈る風習は日本独自のものだそうだ
その起りは、菓子屋の宣伝で昭和十一年に神戸モロゾフが始めたというのが定説
現実には、昭和五十年頃から世の中に拡がり出した風習である
ところで、その贈るチョコレートの隠語というか呼称が面白い
愛する人に贈る「本命チョコ」、恋人までは行かないが、友人として贈る「義理チョコ」
同性(主に女性)間で贈り合ったりする「友チョコ」、男性が女性に贈る「逆チョコ」
男性が男友達に贈る「強敵(とも)チョコ」、自分で買って食べる「自己チョコ」、
まま、何となく、「自己チョコ」は惨めたらしい

私は四十数年、「逆チョコ」張りの誕生祝いをする羽目になっている
明日は葛城歴史博物館まで行く用があるので、晩は女房殿と外食しよう
2016.02.12 一客一亭
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薬師寺で見た「紅梅」、香りが漂い春を告げていた
私が炭の稽古に使っている練り香の名が「梅の香」
まま、安価の香ではあるが、それなりに香ってくれている

昨日は一客一亭の茶事をした
三輪素麺のにゅうめん(煮麺)一碗に柿の葉寿司三個と菓子だけである
白湯代わりに葛湯を出し、酒無しの三時間半の茶事であった
一客一亭の茶事の醍醐味は亭主と客が共に過ごすところである
席入り前に待合で語り、席入り後は膳を共にし、話を交える
水屋のきりもみが一人では、時間の段取りに結構気遣うもの
客を一人にしたままにせず、ドタバタした様子も見せぬというのがミソ

客は、創業百二十年の中堅企業の社長を継ぐことになった四十歳位の御仁
前社長と私は昵懇の間柄で、それもあって一客一亭の茶席を持った次第
会社のホームページには、「新任社長のメッセージ」なるものが記載されていた
私はそのメッセージの文言と内容が気になり、御仁の思いを聞いてみた
御仁の思いは大きくは三つあるようであった
一つは、企業の三十年先を考え、経営理念を刷新したこと
二つは、強い企業体質にするために価値観の共有を図ること
三つは、大阪・東京の営業比率を今の六対四から四対六にすること

私は云った
三〇年先みたい話は止めなはれ、ただの夢想話になる、アホらし
会社経営は短期で一年、中期で三年、長期はせいぜい五年がエエとこ
「国家百年の計」は国家に任し、企業は一年三年を見ること、三十年は漫画
それに、この理念云々の言葉、まるで女子高の文化祭キャッチコピーやな
そんなマッシュルームかソフトクリームみたいなメッセージはアカン、うん?
マッシュルームやない、マシュマロや、キノコの話ちゃうで、御仁ニッコリ頷く

企業を同質体にしては強い集団とはならん、弱体集団になる、宗教集団とちゃう
生体は異物を持つことで体の熱力学が増大する、異物を抱かえる集団が強い集団や
価値観云々とは人の心の話や、人の心を支配するというのは傲慢不遜と心得ること
自由には身の自由・フリーダムと心の自由・リベラルがある、人の心には立ち入り禁止や
ヒト、コト、ココロで会社の棚卸しをやり、今の対価を何に由って得ているを突き詰めること
一二〇年の歴史ある企業を、社長新任早々に小賢しい文言で変えようとは、アホのすること
世には、かしこアホとアホかしこが居る、アホぶる賢人と賢人ぶるアホの違いを分かりや

大阪と東京の営業比率の話はよう分る、大阪の努力を東京でしたら三倍稼げるのは実感
四対六なんぞではなく、三対七以上を目指す様に考えたらエエ、そう思うやろ?
関東男の彼は大きくウンウンと頷いた、これで講釈は終わりや、まま喫茶去、と私

2016.02.11 建国記念の日
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誰が描いたのか神武天皇(かみやまといわれひこ)の肖像とか、どことなく明治帝

今から二六七六年前の旧暦正月の今日、神武天皇が大和・橿原の地で即位
それを以って、「建国記念の日」として祝日にされたのは昭和四十一年
戦前は「紀元節」、「紀元」とは神武天皇即位紀元(じんむてんのうそくいきげん)
異称は、皇紀・皇暦(すめらぎれき、こうれき)・神武暦だが、一般的に皇紀が使われる
旧日本軍の兵器には皇紀の下二桁が識別呼称として付けられていた、何年式というもの
海軍の零式艦上戦闘機・零戦は皇紀二六〇〇年の制定海軍戦闘機ということになる

世界各国でも「建国記念日」があり、その国が成立したことを記念する祝日になっている
調べて驚いたのは、各国の「建国記念日」の八割以上が「独立記念日」であること
故に、日にちが明確にされ「建国記念日」とされるが、日本は「建国記念の日」としている
面白い話である、「日本」という国は何時出来たか分らないというのが、その理由である
ましてや、「独立」なんぞもない、では建国の日をどうするかと明治の賢人は考えた
そこで、記紀にある「かみやまといわれひこ」の「すめらみこと」即位を以って紀元としたとか
考えてみれば、日本とは稀有な国であることに気付かされる今日の「建国記念の日」
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宗偏流の茶箱一式と煤竹の風炉先、御亭主は私の茶友で金沢から来られた

昨日は薬師寺のまほろば会館で参加費一人二万円の「特別茶会」が開かれた
私は裏口から水屋見舞いを届けに入ると、そのまま薄茶席に招かれ着座する
席主を御主人、点前を奥方がされるという茶人のオシドリご夫婦である
鉄瓶に帛紗を結ぶ点前は初めて見たので、写真用に付けたままにしてもらった
工夫された一式で、風炉・炭道具・茶道具・菓子がソックリ組み込まれている

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床には猩々袴(しょうじょうばかま)の蕾、春に湿地で花を咲かせるユリ科の野草
ご夫婦の話では、この日にために温度と土に気を付けられ、何とか蕾を得たという
因みに、猩々とは支那の空想上の動物で、日本でも能で演じられている
人語を解し、赤い顔をした人間のごとき容姿で酒を好むとか、親しみが湧く
そして猩々はオランウータンの漢名でもある
猩々袴の英名がジャパニーズ・ヒヤシンスとあるので植物図鑑で調べると
分布地は日本列島、樺太、朝鮮半島と記されていた
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昨日は井上町にある中将姫縁の高林寺まで出掛けた、観光案内では「奈良町・高林寺」

猿沢池から南側、元興寺辺りの一帯で「奈良町」という通称名がはこびっている、
「奈良の小京都・奈良町」というポスターを新幹線車内で見て仰天したしたことがある
奈良市の観光案内だった、市職員の見識を疑うというか、そのアホ加減に腹が立った
それ以後、私はこの「奈良町」という通称名は意識的に使わないようにしている
井上町は、井上内親王(第49代光仁天皇の皇后、別名井上廃后、吉野皇后)に因む
内親王の悲劇を思い起させる場所である、地名は大事にしたい、浮かれた命名は不愉快

先日、奈良市の会報が入っていて、一面は曰く「珠光茶会」の案内になっていた
中に「高坊と奈良町の茶の湯」講師・神津朝夫、という箇所があり目を止めた
神津氏は碩学の茶道史研究家の御仁で、以前このブログでも著作を紹介した
早速、観光協会に参加申し込みをすると、三十人の定員は既に満席だと断られた
多少の顔見知りでもある神津氏に、「拝聴は出来ませんが、講演の成功を祈る」とメール
すると、彼から「招待券一枚を確保したので受付にお越しを」という返信をもらった
そして昨日、高林寺に行き会場の受付で名を云うと券をもらえた、整理番号は三十一番
神津氏の厚情というか、律儀な人柄が偲ばれ、嬉しく思った次第

講演の玄旨は、室町期の奈良は輝いていた、日本文化揺籃の地であったというもの
私は同感であり、意を強くする思いで話に聞き入った、以下デジュメの「終わりに」を転記
「奈良町」という言葉から入るのだが・・

「奈良町の町人たちは、茶に親しみ、連歌に親しみ、能にも親しんでいた。いずれも室町時代に発展した新しい文化であった。それによって、宗教的団結とは異なる町人同士の紐帯が生まれたといえよう。
またそれを通して武家や公家、僧侶との関係も新たに築かれた。そこには、歴史上かつてなかったような、支配層と被支配層の文化的対等性がみられたのである。
連歌会と茶会が盛んに行われた高坊は、奈良町における主要拠点の一つであった。」

東京人の神津氏は学生時代(早稲田大学)から奈良に魅せられ、長期滞留をしていたという
独り暮らしがしたくて、学生時代は東京に行った私と真逆の話になる
その結果、東京人の彼から奈良人の私が「奈良学」を拝聴するという羽目になった
これも人生・・

高林寺からの帰り路に私の妹の婚家の近くにある杉岡華邨書道美術館へ足を延ばした
下の写真は、付近の、曰く「奈良町」界隈の町家の「さるぼぼ」、庚申信仰の身代わり猿
これによく似た飛騨の「さるぼぼ」は、猿の赤ちゃんと云う意味であって、間違い易い

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2016.02.08 逆勝手の稽古
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昨日の稽古は逆勝手の炉点前
久しぶりながら、まま、なんとなく、それなりに、塾生は形にしていた

下の写真はその塾生が入れた花・ツルニチニチソウ(蔓日々草)、欧州原産
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2016.02.07 茶釜のハナ
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「ハナ」が茶釜の中にもぐり込んで呟いていた、ブンブク、ブツクサ

ハナの減量はしないことにした
思うに、人生は楽しむためにある
涙と笑いの量が、その人生を物語る
最後に、涙と笑いを天秤にかけて
少しだけ笑いの量が多ければ、人生それで好し
少しだけ涙の量が多ければ、人生それも善し
囲碁を習い始めて知った言葉、「これも一局の碁」
良い言葉だと納得する、そして思う、「これも一つの人生」
茶なんぞに、あれこれ小理屈は要らんもの
まま、味わって喫すればそれでエエ

さあ、今日の稽古は重ね茶碗と炉の逆勝手
小理屈を付けまくろう
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二月六日は愛犬の「ハナ」、本名・日本犬保存会柴犬「竹姫号」の誕生日、十二歳になる
柴犬というより、猫の仲間に近いようだ、それも豚ネコ科である
日中は炬燵(こたつ)の中で過し、夜は私の布団の中にもぐり込んでイビキをかいて寝る
体は正直なもの、寒中でありながらも冬毛が抜け出して来て、今や写真の通りである

朝、布団を上げる毎にハナの毛玉が散り、女房殿がハナにブツブツ云いながら掃除する
昔は廊下までという躾を守っていた健気な犬であったが、私が長期の留守をした時に崩れた
女房殿が寝間に入ることを許したというか、女房殿がハナを寝間に入れたのである
最初は戸惑いながら入ったそうだが、そこはハナ、そのうち勝手に出入りする様になった
近頃では、襖(ふすま)を閉めると手でガリガリこすり、開けろと要求する、慣れは恐ろしい

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「ハナ」の最重要懸案は体重、メス柴の平均体重は七から九㌔と云われるがハナは十八㌔
「可愛い可愛いでエサをやり、太らせて早死にさせるのは、ハナの為にはならない」、と娘
我々もそう思い、ハナの食事制限をし減量に勤めたが、ハナの哀れな訴え声につい負ける
最近の私の考えは少し変わって来た、自分自身のことに照らし合わせたのである
私が酒を止めると一年寿命を延ばすと云われたら、さてどうするか・・
私の答えは決まっている、ジャンジャン飲む、♪ ちょっと姐ちゃん、酒持って来い ♪

写真は稽古に来た娘婿を交えた昼飯、鉄板で餃子を焼いていると「ハナ」が現れた
飯時になると必ずと云って良いほどハナは家に入って来て、食膳の脇に付く
娘の婿はハナから見れば甘いもの、キュンと鳴き擦り寄ると餃子一個が出る
飼い犬の平均寿命は十四歳半とか、ハナは十二歳、少々太っておろうがもうエエ
と思う今日この頃・・、私も飲もう
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白フクロウの親子、同じ兄弟であっても成長ぶりが違う、性格も違うのであろう
親フクロウの懐は温くそうで縫いぐるみの如し、子供は親を信頼し切っているようだ

前の記事の続きである
茶を所望に来た同級生は水産販売会社の社長を退き、この一年は相談役である
親会社から来た新しい社長が業務に慣れるまでという、役目が明快な相談役である
どうも同級生は、不満がくすぶり出し、私を丁度良い捌け口にしたようだった
彼とは高校を卒業してからも行き来が続き、大学寮に居る彼の所で泊まったりしていた
私が小売り流通の仕事に従事した頃、彼も世界の鮭や鮪・エビ等の流通に従事していた
そんなこんなで、同級生の中ではお互いの仕事が肌で分り合える友人でもあった

彼は赤字が続いていた子会社の水産販売会社の社長に出向し、慣れない小売り業で苦節十年
子会社出向中に定年を迎えたが社長職を続行、数年前に黒字化に成功、店舗も増やした
そして、自分の後任には五十前の頭の柔らかい人物を送るようにと、親会社に申し出ていた
出来ることなら子会社の生え抜き社員を社長に抜てきしてもらいたい、との進言をしていた
現実には、定年を前にした人物が親会社から来た、社長職が「定年の花道」的人事である
同級生は後任社長への助言に努めたが、徐々に齟齬が生じるようになって来たいう
「当たり前や、それなりの役職にあったエエ歳の人物が前職者の云うことは聞かん」、と私

私は依然聞いた話を思い起していた
ある大手食品商社の子会社であったスーパーマーケットチェーン企業のことである
その企業は子会社の中で一番大きくて、社長は親会社のナンバー2が来る伝統があった
故に優秀な人材が来ると云えるが、実は親会社の社長レースの敗者ポストでもあった
社長レースに敗れた者は、副社長や専務でライバルに臣下の礼をとるか、出るかしかない
親会社へ胸に一物を持ち、なまじ優秀な人物とは、アレコレと仕事を見せたがるもの
着任早々、前任者否定の改善改革が行われ、社員は社長交代毎に右往左往する
商社とは業種が違う子会社に来て、すぐさま功績を生もうとする社長に社員はうんざり
当然ながら、その子会社の業績は低迷し士気も落ち、馬鹿げた混乱が続くことになる

私は同級生に云った
「お主は後任者に仕事をさせようとしたらアカン、何もさせんことや
四季一年の業務を見させて、社員の出来と上手・得意を掌握させること、仕事はそれから
子会社には、親会社の出世競争の敗者を受け入れる人事サポートという役割りがある
まま、子会社としては親会社に交換条件を出して、結納金か引き出物を得れば上々
子会社を案じ、本気になって親会社と渡り合うたり、後任者へ注文を付けたりしたらアカン
悪女の深情けというものでお主が嫌われるだけや、社員も迷惑やと思うかも知れんで」

暫らく考えた同級生、「せやな、もう自分のしたいことだけ考える人生でエエわな」
こうして「喫茶去」の時間は過ぎ、外が暮れなずんで来た頃、彼は「ほな、去ぬわ」
彼を見送った後、炉前に戻り「独座観念」、ホンマええ奴・・
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焼き上がった塩イワシ、一匹八十八円であった、頭は飾りに取らず「ハナ」のために焼いた
魚ヘンに「弱い」と書き「鰯・イワシ」、命を得て以降捕食者から逃げ惑うだけの一生を送る

昨日の昼前、高校の同級生から「茶を一服所望」の電話があり、菓子を買うて行くと云う
娘の婿殿が茶の稽古するところであり、頂き物の菓子もあったので「手ぶらで来い」と返事
炭点前の終わる頃に同級生が来駕、煙がモウモウと立ち炭から炎が出ているのを見て彼は
「どないしたんや、これ、炭に木が残っとるんとちゃうんか」と云い咽る、私は頷き窓を開けた
「お主も知っとる同級生の○○が焼いた炭や、焼酎一本で仰山もろて来たさかい」、と私
そして婿殿の薄茶点前が始まり、卒塾者から頂いた徳島の阿波狸の菓子を出した

婿殿が片づけをして、子供を保育園に迎える時間に帰宅、それから私と同級の彼と二人で話す
二人は炉の釜で手を温めながら、春に開く同窓会の幹事であることから同級生の近況を一頻り
そして彼は四国遍路を踏破した云々で、四国南岸の絶滅集落の状態等をアレコレ話題にした
更には、和式便所を使えるかどうか、畳に坐って立てるかどうか、生活の洋式化が云々カンヌン
一頻りの話の後、親会社と子会社のあり方や社長職の人事に関して少々突っ込み合った

今日、彼が茶を喫しに来たのは、親会社と子会社のあり方への心境整理であったような・・





2016.02.02 丸かぶり寿司
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太巻きや 鬼もいっしょに 丸かぶり・・・風翁

一句こねたが、全くの駄作、まま明日は節分、明後日は立春である
節分とは「季節を分ける」を意味し年四回、立春・立夏・立秋・立冬の前日のこと
立春の前日は大寒の最後の日であり、この日が寒さのピークである
旧暦では立春に正月を迎えることが多い、そうすると節分は多くは大晦日になる

節分にはイワシを食べ、頭をヒイラギに付けて家の門に飾るのが普通だった
然し最近は、「恵方巻き」と称した太巻き寿司を丸かぶりするようになった
セブンイレブンが平成元年に広島で売り出した巻き寿司の名称であった
爾来二十七年、全国のスーパー、コンビニ、百貨店、駅で大量に売られている
恵方とは次の年神様が表われる方向で、恵方を拝むのは旧暦大晦日の風習とか

「丸かぶり寿司」と先に記事にした大阪ミナミの姐さんとは、私には重なる話だ
昭和の時代まで、節分の「丸かぶり寿司」とは大阪ミナミの歓楽街の風習であった
船場の女中達は節分に恵方に向い、階段で目をつむり巻き寿司を黙って丸かぶりした
年神様に来る年の幸を願う船場の女中の風習にミナミの姐さん達もあやかったのが元々、
話の由来には、姐さん達と旦那衆の関係を取り上げるものもあるが、それはままとする
どちらにしろ、大阪ミナミで生きる姐さん達と板前衆の間だけで知られていた風習であった
謂わば、私にとっては古き好き時代、記憶に残る昭和の趣の風習であった

広島のセブンイレブンはん、恨み節ではないけれど、その発案者には敬意を表したい
大阪ミナミの「丸かぶり寿司」と節分・大晦日の「年神様の恵方」を繋いだのはアッパレ
ただ私には、ミナミの夜の香りというか、耽美な饐(す)えた文化が失われたように思われる