2016.03.31 アリの連打
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奈良は四・五日前の開花宣言だったが、今の秋篠川は略満開

モハメド・アリはんの再コメント

>須らく、老人の延命治療は宇宙の神に背き、子孫繁栄に仇為すものとなろう <

よくぞ言ってくださったw、民主的国家はギリギリまで国民に本音を伝えませんので、今が一番辛い時期、老層には「長生きを」と笑顔、若層には「産んでよ」と笑顔、どの方面にもイイ顔したい民主主義、老層からの「自発的発言」をじっと待っているのが本音です。とはいえ床につく自分の親の顔を見ながら「死期が近いから食べないのであって、食べないから死ぬわけではないから、だから延命はしないよ、な、母さん」とは言えませんし、困った困ったと言いながら横目で長老の顔をチラリ、チラリズム・・

・・・・・

風翁思いまするに
今の世の五十代から六十代の方々
子育てと親の介護に汲々とされ、まさにサンドウィッチ世代
日本の将来像を真剣に捉え、国家と民族に目を向けることが肝要
団塊の世代も古希を迎え、そろそろ中学生の孫を持つ老人
時代を切り開いて来た彼等には、老人の担う役割が明確に見えているハズ
この世代が「安保反対」の如く、「延命反対」を唱え出せば一縷の望みが持てまする


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2016.03.30 アリのパンチ
無題
アリはんからコメントが寄せられた
現役の頃を彷彿させる鋭いパンチである

名前:モハメド・アリ
********************
>すっかり読んだ気にさせられた書評ゆえ、俄然、積読となる可能性が膨らみ、教導者のドクターKに対し若干の後ろめたさを覚えつつ、優等生のノートを借りた学生の気分に。さて「働く蟻と休む蟻」の割合は、総兵員数の3割を前線に出しローテーションさせる軍隊の運用を思い浮かべ素直に納得するも、齢間分業の話で解らなくなったのは蟻ではなくヒトの方。蟻の齢区分に「老人」はなく「幼・少・大人」の3区分。それをヒトは「大人」を更に区分し「老」を創り出している。その「老」は蟻のように危険な仕事を担うわけでもない。はて、、本来的に何かを託されたから「老の概念」が創出されたのではないか、と。その解を知るのは少々怖いことかいな、とも。<
********************

乳が出なくなった「廃乳牛」や卵が産めなくなった「廃鶏」は、共に「肉」になる
自然界でも生殖能力と捕食能力が失われた時点で、死出の道「老」となる
「老」が担うべく役割りとは「早期の死」だけであろう
産卵して死を迎えるシャケ、子供の餌となるカマキリ、そしてセミやカゲロウ
子孫を残すことが生物における最大かつ最終の目標だということだろう
したがって、死んでいくものの殆どがその子供の何らかの助けになっている

ところが、今の人間社会、親の延命に係わる子供に疲労困憊を生み出している
親の介護の時間的・金銭的な束縛で、子供の将来に暗い影響を与えることもある
須らく、老人の延命治療は宇宙の神に背き、子孫繁栄に仇為すものとなろう
老人の死を見守り、苦痛を取り去り、やさしく見送ることが自然の掟であろう
もし別の役割りがあるとするなら、子供の意識から「死」を遠ざけることかも知れない
ただ思うことが一つ、親の死と伴侶の死は違うものということ
老人の死に際して、その子供は感謝して見送り、その伴侶は延命を願うのが自然

やれやれ、鋭い突っ込みをくれるアリさんである、歴とした「働きアリ」かも






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上が兵隊蟻、中が女王蟻、下が働き蟻、全て雌である
雄蟻は羽蟻で、羽を付け飛び立ち空中で他の女王蜂と交尾し、それで死に絶える

表題の本を知人の開業医から教えられ読んでみた、面白い内容であった
著者は北海道大学の長谷川英祐という遺伝子研究家の進化生物学者である
二十万部のベストセラーになったと聞くので、結構知られた本であったようだ
以前、「真社会性」のハダカデバネズミをブログ記事にしたことがあった
真社会性の典型的な動物とは蟻と蜂である、その特徴は
(1)複数の個体が共同して育児を行なう
(2)二世代以上の個体が共存、娘がコロニー維持のため母親の仕事を手伝う
(3)繁殖(=産卵)にかかる個体間の分業とカーストが存在する

とかで、真社会性はそれはそれで興味ある話であるが、今回の本の話は「働き蟻」
子を産む女王蟻、未受精卵から生まれた雄蟻、受精卵から生まれた働き蟻と兵隊蟻は姉妹
雄蟻は、他のコロニーの女王蟻候補を求めて飛び去り空中で交尾し、すぐに死ぬ儚い存在
私は兵隊蟻を雄と思い込んでいたが実は雌、働き蟻とは姉妹関係だったとは驚き
兵隊蟻はコストを掛けて育成され、大きな餌を運んだり噛み切ったりする役目を担う
争い事が起こると真っ先に避難する、死しなせてはコストが勿体ないということだとか

本の序説は、働き蟻の中の七割が「働いていない蟻」であるということから始まっている
働かない蟻も状況により働くので「休んでいる蟻」といえるが、全く働かない蟻が一割とか
地上で餌探している蟻は働いている蟻であるが、その何十倍の蟻が地下に居るそうな
地下のコロニーでは、七割ぐらいの蟻が何もせずにいることが観察結果で明らかになっている
コロニー内は、女王蟻の世話、卵や幼虫の世話、餌の貯蔵、穴掘り、ゴミの除去と御用雑多
では、働く働かないの行動基準は何に由るのかというと、働く気にさせる刺激が有るらしい
聞き慣れない言葉だが、働く気になる刺激の最小値を「閾値・いきち」というとか

個体によって閾値の程度が違うので、状況により働き出す時間差があるということになる
それを、著者は「腰が軽い・重い」と表現しているのが面白い、人間も同様であろう
皆が同じ腰の軽さなら皆一緒にクタビレてしまうが、その状況で腰の重いのが立ち上がる
まま、これでコロニーが上手く回ることになるということを、人間社会の組織に当てはめている
つまり、無駄の用とか異質の有用性を知る組織は強く、均一資質の組織はモロイと説く

もう一つ、個体の選別をしても「同じ構成」で働き者と怠け者が出るという話である
「世の中全て3・4・3」とかいう本が出されたことがあったが、同じことが書かれていた
働き者ばかり集めても、その中で再び働き者と怠け者が同じ比率で現れるということ
そしてもう一つ、身につまされる話があった、「齢間分業・れいかんぶんぎょう」である
蟻社会の仕事は、若いうちは幼虫の世話、次に巣の維持、最後は外に出て餌探しになる
安全な巣の中の仕事から、危険な巣の外での仕事へ年齢と共に労働内容が変化すること
先の短い老人を危険な仕事へとは、進化の大原則で集団を作って生きる社会性生物の真骨頂
まさに、「姥捨て山」と同じ話

これからの季節、蟻が巣から出て来て餌探しにそこかしこを歩き回るであろう
それを足で踏みつけたり、殺虫剤を振り掛けたりするのは如何なものか
彼等は先の短い老蟻たちである、余命を卵や子供の餌探しに捧げて働いているだけである
私と女房殿は、部屋の中を歩き回る蟻さんには何もしないで放置
可愛い掃除屋さんと心得、お礼に菓子くずの一つでもやるようにしている
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塾生宅玄関の竹垣には男結び、裏へ続く横道には自作の関守石が置かれていた

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塾生宅に設置された床、花は桜であった、本日は電気風炉で炭点前を省き、香合を飾る
当流もそうだが、桜は富貴とかで茶花に使わない流派が多い、まま亭主の勝手で善し

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待合で白湯出された後に席入り、亭主得意の炭手前を省いたのですぐに膳が運ばれる
常用茶碗に三日月飯、汁はナメコとミョウガ、替汁がカブラと葉、向う付はサーモンマリネ

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アラビア風の酒器に京丹後の日本酒、酒造りが外国人ということで、酒器を洋風に

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汁椀の蓋には季節の花が描かれていた、正客役の塾生はこの蓋で酒を飲み出した

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飯器が出され取り回す、各自が受けて膝に置き茶碗によそう

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煮物椀、汁は葛仕立て、具は長芋・きぬさや、車エビ、柚子、美味であった

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二度目の飯器には初物の「タケノコご飯」、皆は食が進む
続いて、鯛の黄身味噌焼とシシャモが出た、写真も撮ったが画像が無い

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取り肴と和え物の後で、香の物と焙じ茶が出た、膳が引かれ旬のよもぎ饅餅が出る

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濃茶点前で茶入の仕覆を扱う亭主の塾生、横に時計を置いているのがニクイ

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薄茶は武者点前の形、安座の所作も堂に入って来た、完璧と云いたかったが・・そこそこに
亭主の塾生はこの五月で稽古丸三年、自宅で在るがままの「男の茶事」が略出来るまで来た
というか、内助の功?
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ハナニラ(花韮)、ネギ亜科、アルゼンチン原産、近所の庭でも道端でも見かける
明治時代に園芸植物(観賞用)として導入され、逸出じ帰化したという
葉をちぎるとネギやニラの臭いがする、野菜のニラは亜科は同じだが別種

近くのセブンイレブンに行くと、割り引きセールをしていた
商品棚は隙間だらけである、季節の商品切り替えかと訊くと、店じまいだとか
店主は、「十五年契約も終了するので今月で止める」、と云うことだった
私が、「結構、客も入り多いのにどうして」と訊くと、店主は「疲れた、しんどい」
「もう歳や、二十四時間営業は体もしんどいが、気も疲れて休まらん」と続く
そして、「しょっちゅう来てくれはる人も多いので申し訳ないが、しょうないんや」

この界隈、二・三十年前はスーパーや魚屋・肉屋・八百屋・豆腐屋・パン屋・花屋
今はセブンイレブンしているこの店は酒屋と、それなりの商店街を形成していた
今は全てが閉店した、このセブンイレブンだけが唯一の食品販売店である
コンビニエンスストア、便利店とはよく云ったもので銀行引出しや宅配受付もしている
新聞や雑誌も置いてあり、この地域の人には便利な「店」以上の存在である

私は車の免許を無くしてから、老人や一人身で暮らす人の心情が身に沁みて来た
私が世を去り、女房が独り暮らしになった場合の生命線は、唯一このコンビニである
買い物難民とか生活圏の孤島化は、着実に、然も早足で迫って来ていると実感する
老夫婦二人と老犬一匹となるこの先、老いの荒みは身体だけでなく、生活環境にも及ぶ
私が生きて動ける限り、そして電動三輪車が壊れない限りは何とかなるが、後は・・
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かえる庵の奥方が佐保川で摘んだ「踊子草」、シソ科、未だ一輪だけの開花だったとか

散歩帰りに、先のブログ写真に姫踊子草があったので摘んで来た、と云うことであった
名の由来は、花笠をかぶった踊り子達の姿に似ていることから来ている
日本列島から朝鮮半島に分布、若葉や茎は食用になると聞くが私は食べたことがない
別名が「虚無僧(こむそう)花」、これも編み笠連想であろう、他に黄花の蔓踊子草がある

自分の母親のことを記した前のブログのことで、かえる庵の庵主と語る
私が母に批判的だったことでにつき、父の臨終にまつわる話をした
父の今わの際、私と女房そして妹も居て見守ったが母はそこに居なかった
母は友だちと遊びに出掛けていたのである、私はそれを聞き暗然たる思いになった
いくら奔放な母と云えども、自分の夫の最期を看取らずに遊びに出掛けるとは・・

庵主は云う「私にはお母さんの気持ちが分るような気がする、自分もそうだった」
庵主は自分の父親の最期に敢えて家へ帰らず、臨終に立ち会わなかったと云う
庵主の「分る気がする」と云う言葉に、私も「実は、この頃そう思う」と云う
生駒の純米大吟醸を口にしながら「踊子草」を眺め、ある言葉を思い浮かべた

♪ 踊るアホウに、見るアホウ、同じアホなら、踊らなソンソン ♪

ホンマやな、人生なんぞそんなもん、死ぬその一瞬に何を思うかやな、と母を偲ぶ
喜怒哀楽とか、幸不幸とか、切なさ辛さ嬉しさも、時を経る中で変わっていくものと知る
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秋篠川の土手に拡がる「よもぎ(蓬)」の若葉、別名「もぐさ(艾)」・「もちくさ(餅草)」
草餅を作る時の心得とは、犬の小便の掛からぬ辺りの若葉を採集すること

今朝のNHK「あさが来た」は、主人公「アサ」の姉「ハツ」の旦那「惣兵衛」の死
死を前にした惣兵衛の台詞、聞かせるものがあり、私の母親の言葉を思い出した
惣兵衛はハツに体を起こしてもらい、息子たちを枕元に呼び話し掛ける
「ええ人生やった、こんな幸せあらへん」
「誰にも愛想笑いせんと、ホンマありがた過ぎて、せやから笑ろてくれ」
「山を耕し、ミカンをつくり、家を建てて、子供を育て、孫の顔も見さしてもろた」
そして、皆に促され床で横になった惣兵衛はハツに琴をせがみ、琴音を聞き目を閉じる
その明け方、惣兵衛は静かに息を引き取ったという話であった

私の友人に、安保闘争で監獄に収容された経験をもつ古代史好きの御仁がいる
御仁は「人生は、死ぬその時に何を思うか、それだけや」と云い、私は妙に納得した
自分の母親のことをブログに書くのも何だが、私の母は相当なタマの女であった
九人兄弟の末っ子で、しかも一人娘、子守の女中が付いた山口の裕福な商家育ち
近くに海軍基地があり、特攻に出陣する青年将校だった私の父親に恋心を持ったらしい
戦死したと思っていた父が生還して来たので、親の反対を押し切り奈良に来たとか
我が儘に育ち、学校でも兄貴達に守られて天下御免の生活を謳歌していた母である

父は土建屋の仕切り役をしていたので、我が家には墨人間も出入りしていた
そんな人たち相手に、母は何の外連味(けれんみ)がないどころか仕切っていた
酒や煙草・麻雀・花札なんぞも豪快に嗜む母親で、それらの悪戯を私にも教えた
前述のように、私は酒に酔って先生宅に上がり込み中学の通知簿に「問題児」と書かれた
父はどちらかと云うともの静かな男で、その分を母が前に出て男共とやり合っていた
私は思春期になると、そんな母親とそれを許している父親に反発を覚えて来た
そんな思いが、私を東京一人暮らしへ駆り立てた要因でもあった

父が死んで十年余りして母も病気になり、我が家に連れて来ている時のこと
私は母の生き様というものに好感をもっていなかったので、母には嫌味も云った
自分の妻は母親と反対のタイプを貰ったし、母もそれを重々承知していた
故に、母は私の結婚当初から「私はあんた達とは一緒に暮らさない」と云っていた
ある時、私が母に小言を云うと母はあらぬ方向を向き、私に聞かせるように独り言
「あーあ、楽しかった、私の人生面白かった」、その言葉に私は黙るしかなかった

父の死んだ歳を越え、母の死んだ歳に近づくにつれ、父母への思いが変わって来た
親のその時あの時の言葉や態度を思い起す都度、ホロ苦いものを感じてしまう
朝ドラの惣兵衛の今日の台詞に、そのホロ苦いものを感じさせられた
「寝小便にはお灸がエエ」と、母が私を捕まえて艾(もぐさ)を尻に置いた時のこと
その熱さに涙が滲んだこと、それを秋篠川のヨモギを見てホロ苦く思い出した次第
まま、私の父と母の看病には女房殿がよく尽くしてくれた、感謝である
2016.03.24 同名の草花
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群集する姫踊子草(ひめおどりこそう)写真上部と仏の座(ほとけのざ)写真下部
姫踊り子草は明治中期の帰化植物、この仏の座は春の七種の「ホトケノザ」と別種
春の七種(草とは云わない)
「せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ これぞななくさ」
秋の七草(種とは云わない)
「はぎ ききょう くず おみなえし ふじばかま おばな なでしこ これぞななくさ」

下の写真が春の七種の「ホトケノザ」、キク科である、上の写真の仏の座はシソ科
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世界で一番姓が多いとされる日本でも、調べてみると同姓同名の別人は結構多いものだ

1位 田中 実 およそ5,700人
2位 鈴木 茂 およそ5,700人
3位 佐藤 清 およそ5,300人
4位 高橋 清 およそ5,100人
5位 佐藤 正 およそ5,100人
6位 鈴木 実 およそ5,100人
7位 佐藤 進 およそ5,000人
8位 鈴木 清 およそ4,800人
9位 田中 稔 およそ4,800人
10位 鈴木 博 およそ4,700人

となると、姓名判断とやらは如何なものか?、まま気休めか
因みに「井谷直人」、全国で即ち世界で私一人であった、何か安心する
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今日は好天、春うららである、愛犬「ハナ」の冬毛はすっかり抜け落ちた
ハナを連れて心地良く散歩に出掛ける、ご近所の木々も花盛りであった

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連翹(レンギョウ)、ふつうの連翹と支那連翹と朝鮮連翹が知られているが見分け辛い
日本固有種は広島・岡山の大和連翹と小豆島の小豆島連翹があるらしいが、絶滅危惧種
昨日は甲子園中継を見ていた、小豆島高校は一点差で敗れたが清々しいものがあった

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辛夷(コブシ)、握りこぶし状の果実が名の由来とか
アイヌ語で「オマウクシニ」「オプケニ」と呼び、意味は「良い匂いを出す木」とか
私は千昌夫の歌謡曲「北国の春」で辛夷のことを知った

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紫木蓮(シモクレン)、ハネズやモクレンゲと呼ばれることもある
昔は木蘭(もくらん)と呼ばれたこともあるが、これは花がランに似ていることに由来する
今では、ランよりもハスの花に似ているとして木蓮(もくれん)と呼ばれるようになったとか

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雪柳(ユキヤナギ)、バラ科、先の記事の下野草の仲間である
支那原産とも日本原産とも云われているが、自生種は石川県で絶滅危惧種になっている

草花も撮った、また次回
2016.03.22 栃木・下野草
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下野草(シモツケソウ)、バラ科で小手毬(コデマリ)や猫柳(ネコヤナギ)の仲間、
その園芸種が京鹿の子(キョウカノコ)、下野とは今の栃木県である

先のブログ「家庭教師・オンドラ」の記事で、思いがけぬ女性からの電話を受け取った
いきなり、「ナオトちゃん、お元気?」、十数年ぶりだが特徴ある声と言葉で分った
学生時代にお世話になった下宿先の妹御、私より一つ歳上でそれなりの美系だった
十数年前も、「ナオトちゃん、お元気、近くまで来たので・・」という電話であった
その時は下宿の主人、つまり彼女の兄夫婦と彼女の伊勢参りバスからであった
関東の人間からすれば伊勢と奈良は隣同士、近くまで来たからと云えんことはない

私が初めてする東京独り暮らしの場所が、彼女の兄の下宿屋であった
二階に三畳の下宿部屋が五つ、一階に台所と兄夫婦の六畳部屋、妹の三畳部屋
下宿代は月に畳千円の三千円、風呂はなかった、後に歌われた「神田川」の世界
近くの風呂屋の女将は美人で行くのが楽しみであった、でも懐具合で週に一度程度
下宿の主人は栃木から東京に出て来て就職し、舞台衣装の職人になった
彼は二十七歳で結婚、その下宿屋を購入して妹も呼んだという頑張り屋であった

私は金銭不足から下宿代が滞ったが、主人は催促はしなかった
そこで私は、出来上がった舞台衣装を劇場や劇団へ届ける役目を買って出てていた
芝居の稽古が終わるまで舞台で待つことがあったが、マスコミ記者が話しかけて来た
私は好き勝手を云うのだが、関係者とでも思っていたのか、やたらとメモを執ろ
その中に、何となく下宿の夫婦・妹の食事に私も加わるようになる
何のことはない、下宿というか寄宿ならぬ寄生生活になった次第

青春ドラマでは、私と妹との間に何らかが生じるハズだが、哀しいぐらい何も無かった
私より背が高く快活であった彼女は、「ナオトちゃん」と私を呼び、弟扱いしていた
栃木の実家は梨栽培の農園で、その農繁期の十月頃に私一人が手伝いに行かされた
実家にはご両親と長男夫婦がおられ、何の誤解があるのか私は結構大事にされた
最初の食事の時である、小皿に菊の花の漬物が出た、私は初めてなので皆喰った
父親がそんな私に、「菊が好きか?」と問うたので私が頷くと、次から毎食丼一杯の菊
初めはそこそこ食べたが、段々と菊の塩分が脳ミソに溜り出し、食事が拷問になった

私が学校を辞め、畿内に帰った後も下宿の家族は心配をしてくれ、妹が奈良まで来た
彼女は奈良の我が家に泊まった次の日、私と二人で伊勢神宮まで出掛けた
今となっては明確に理由を思い出せないが、二人は参道を歩きながら不幸な出来事に
微かな記憶では、参道は中央が高く両側が低くなっていて、彼女はその中側を歩いた
周りのアベックが腕を組んでいたので、私が「ワシらも組むか」と云った時の彼女の言葉
「嫌やよ、私がナオトちゃんをぶら下げて歩くようで恰好が悪い」、私はムカ💢!

それから二人は喧嘩、神宮の中に入らずに私は奈良へ彼女は東京へ向い、それっきり
巷の話ではお伊勢はんは女の神、男女が仲良くすると嫉妬で祟るとか、ホンマかどうか
彼女もそのことを覚えていて、十数年前の伊勢参りのバスから電話をくれたようだ
そして今回の電話は、ブログに支店長の両親が「栃木」とあったので噴き出したとか
暫し想い出話に花が咲いたが、伊勢での喧嘩の話は二人の間で少し食い違っていた

私のアルバムの中には彼女は居ない、彼女の写真は女房殿が破り捨てていた
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昨日は竹台子で重ね茶碗の稽古、地場焼の皆具が何処に置いたか見つからず
牙白磁の皆具を使った、侘び系の竹台子には多少違和感があるが、そこはまま
重ね茶碗の点前は、上の茶碗を神仏或いは貴人に献ずるものとされ、添え手をする
由って、台子に皆具という形が本来であろうと解釈し、稽古をする
置き合わせた薄茶器は西大寺様式の雪吹(ふぶき)、茶の世界では吹雪としない

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塾生の花、伊予みずきと椿は「玉の浦」、やや開き気味の方が味が良い

この塾生は五月で丸三年になり卒塾予定、そこそこ茶花の雰囲気も出てきた
朋庵の茶の湯稽古とは、「稽古三年で男の茶事が出来ること」、この一点
三年かけても茶の湯、つまり茶事が出来ないとなれば、退塾が原則
要は「お稽古事」としてダラダラ稽古を続けるということはしない
キッチリすれは一年で茶事が出来るようになり、卒塾した御仁も居る

無題
石蕗(つわぶき)である、朝鮮半島や大陸にも分布、冬場に黄色い花を咲かせる
そのため「石蕗の花(つわのはな)」は、俳句では冬の季語となっている
陶工の塾生が、十七日のブログで載せた「雪ノ下」は「石蕗」だとササヤイタ
一見似ている、そして葉が食用になるところも同じであるが、別種である
雪ノ下はユキノシタ科で日本固有種で白花、石蕗はキク科で黄色花である
しかし、その塾生は石蕗は家に生えていると云って納得できない様子
それ故掲載するところ、云われてみれば確かによく似ている
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ひと休みする紋白蝶(モンシロチョウ)、左の「大犬フグリ」の青い小花の右上
啓蟄(けいちつ)も過ぎ、今日三月十九日は彼岸の入りである、季節は正直

十五日の私のブログ記事「生活指導と進路指導」のこと
最近の記事の中では拍手が多かったので、件の彼女に伝えた
すると彼女、「私は不良違いました、確かにやんちゃでしたが・・」と、やんわり
加えて曰く、「あの時も点前中でしたが、宮司には手を付いて挨拶をしました」
確かに「不良系」とは誤解を生む文言、早速私は記事の修正をした
「不良系」を削除し、「少々」先生から目を付けられていた、と云い方を替えてみた
これで彼女は納得してくれるかどうか・・

昨夕、私は「少々」ガラの悪い文言を使ってしまった
五時半過ぎのことである、テレビの前の座卓に着き、晩酌を始めようとした刹那
玄関のチャイムが鳴り、女房殿が出て行った、テレビではそろそろ琴奨菊である
すると女房殿が戻って来て、「あなたにお客さんです、和歌山からや云うてはる」
私は「分った、客間に入ってもろて」、と云って焼酎の瓶を置き、二階から降りた

昨日の午後、私は訊きたいことがあり、和歌山の証券会社支店長に電話を入れた
出た男性はその支店長は転勤したと云うので、私は連絡先を教えて欲しいと云った
男性は「それは出来ません」とおぬかしになる、木て鼻を括るような受け答えである
イラ付いた私は、「ほんなら新しい支店長に」と云うと、暫らくして支店長が出た
これまた、仏頂面(顔は見えないが)で、連作先は云えないが何の用かと横柄な物云い
私は用向きを端折って伝え、出来たら前の支店長へ伝えてくれと云い、電話を切る

暫らくして、前の支店長から電話が入ったので用向きを伝えてから私は文句を云った
聞くと、新支店長は支店内の昇格であるとの由、私は「教育不足、注意しとき」と伝える
そして昨夕、これから大相撲を観ながら焼酎で晩酌という至福の時、前連絡無しに来訪
私が客間に入ると、床前の上座に大柄な男が立っていた、ままと私は下座に回った
私が何用かと訊ねると、彼は詫びに来たと云う、前の支店長から電話で怒られた云々

私はここでキレた、「💢アホか、オンドラは、せやったら何で上座で突っ立っとんじゃ!」
彼は瞬間、呆けた顔で私を見る、私「向うへ回って坐れ」と下座の座布団を指さす
彼は慌てて下座へ回り座布団を外し正座、私が「何で来た」と云うと、彼「詫びに」と応える
私「何でここまで来たかと云うとる、乗り物や」、彼「車で」、私「社用車か」、彼「ハイ」
私「運転は」、彼「運転手が」、私「何処にいる」、彼「前で待たせてます」

もう琴奨菊の取り組みは終わったかと思うと、私は無性に腹が立って来た
私「車のガソリン代と運転手の残業代は誰が出すんや」、彼「会社が・・」
私「オンドラの不始末なら、自腹でタクシーか、電車で来るもんや、そんなこと解らんのか」
「スーパーの店長は、苦情対応で出掛ける際、途中で車を降り、歩いて客宅に向かうんや」
「社用車に乗り、運転手は外で待たしてます云々、支店長になれた喜びに浸っとんのか」
「詫びに来たとは、何を詫びるんや」と、私は畳掛ける、もう横綱戦も終わったろうに・・

「何を詫びに・・、失礼があったから・・、その、あの」、私は睨んだままで黙り通した
半時間余り経ったので、私はもう宜しかろうと、「もうええ、去(い)に」と告げ立ち上がる
彼も立ち上がろうとしたがドタリと崩れ、横倒れのままで足をさすりモガいておられる
私「親の顔が見たいで、親の躾やな、家庭教育がでけておらん、出身は何処や」
彼「私は神奈川ですが、両親は栃木です」、私「はよ去に、運転手はん待ってはる」

彼は、玄関でもヨロヨロしながら我が家を出て行った
しかしながら「オンドラ」、学生時代以後は使うこともなかったが久方ぶりに出た
如何に至福の時を壊されたとは云え、私も「不良系」でガラ悪く罵ったと自戒





2016.03.18 旭日旗
無題
旭日旗(きょくじつき)、日章と旭光を意匠化した日本の旗
明治三年に大日本帝国陸軍の陸軍御国旗(軍旗)として初めて使用
明治二十二年に大日本帝国海軍の軍艦旗としても採用
無題
朝日新聞社の社旗
明治十二年に朝日新聞は旭日旗に「朝」を入れ、社旗として大阪府庁に届けた

今朝のヤフーニュースに「旭日旗」の話が二つ並んで出ていた
そのうち一つ、朝日新聞富永編集委員の記事は即に削除された
富永編集委員は自身のツイッターで、英語と仏語でツブヤイタ
旭日旗とナチス・ドイツの旗を持った人たちのデモ写真を掲載し
「東京での日本人の国家主義者によるデモ。」
「彼らは安倍首相と彼の保守的な政権を支持している」、と書き込んでいた

富永へ対する非難の中に、「子供じみた中年男」と書き込まれたものがあった
私が前のブログに記した「毎朝新聞はアダルトチルドレン」、と同じ見方である
慌てて、記事を削除する朝日新聞と富永、まさにアダルトチルドレンそのものの仕儀
朝日新聞の人間は自社の社旗・旭日旗を何と説明するつもりか、笑える稚拙さである

ヤフーニュースのもう一つの旭日旗の記事
これも、先にブログにした寝屋川市の中学校長、寺井義男氏の話である
寺井校長は、閉鎖された駅にいた金魚を学校に引き取り、「旭日旗」を掲げたとか
校長は放置される金魚を憐んで持ち帰り、泳ぐ姿を見て「艦隊」を連想したのであろう
寺井校長の人間性が感じ取れるが、そのことを悪意のニュースにする世情が哀しい

二つのニュース、うろたえる朝日の下種加減と寺井校長の矜持の姿勢が対照的である
因みに、寺井校長は和装で学校に出ておられる、子供に何を教えるか、明快で立派である
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裏の藪で見つけた「雪の下」、日本原産、開花時期は初夏なのだが気が早いようだ
雪の下でも青い葉を見せているのが名の由来と聞く、葉は天ぷらして食べると美味
やけどやはれ物の患部に貼り付けると治癒をうながす効果があり、古くから民間薬

今朝の産気新聞のコラム欄・産経抄、少々見直した
以前には石井英夫という御仁が産経抄のコラムニストとして執筆していた
主張は明解で玄旨に触れさせる筆力があり、私は読み親しんでいた
毎朝新聞のコラムのようにアダルトチルドレンの軽薄さは全くなかった
石井氏が退任後、三人程の記者が輪番で執筆していると聞いてはいた
が、その見識と筆力が石井氏には及ばない様子で、少々情けなく思っていた
それが今朝の産経抄、私の昨日のブログを見たのかな、と思うほどの内容
今の執筆者の見識も、まんざらでもないと嬉しくなったので、ここに転載する

<平成二十八年三月十七日・産経抄>

 戦後60年にあたる平成17年、小紙は外務省の秘密文書を入手した。昭和23年10月に作成された『皇室に関する諸制度の民主化』である。占領下の日本でGHQ(連合国軍総司令部)が、いかに皇室の弱体化に腐心したのか、詳細に記されていた。
 ▼当時GHQ内では、皇位継承を男子に限っているのは、男女平等に照らして疑問だ、との声が上がっていた。ただ文書には、「日本の歴史上女帝に弊害の伴った事例等を説明した結果、司令部側はこれを固執しなかった」とある。
 ▼「弊害」のなかには、当然「道鏡事件」が含まれている。女帝・称徳天皇に寵愛(ちょうあい)された僧・道鏡は766年に法王となった。「道鏡を天皇にすべし」。ついには九州の宇佐八幡宮から神託が届いたとして、皇位につこうとする。真偽を確かめるために派遣された和気清麻呂が、逆の神託を得て、道鏡の野望を打ち砕いた。
 ▼天皇の「万世一系」が損なわれる、最大の危機だった。この事件を教訓にして、朝廷は「男系」の原則維持にことさら努めるようになる。皇位継承はもともと、男女平等論の立場から論ずべきではない。
 ▼そのデリケートな問題に、国連女子差別撤廃委員会が、口をはさもうとしている。「男系男子による皇位継承は女性差別」。今月7日に発表された日本に対する勧告に、あやうくこんな内容が盛り込まれるところだった。勧告をとりまとめた委員は中国人の活動家だという。
 ▼すでに委員会は、慰安婦問題をめぐって、何とか日本の名誉を貶(おとし)めようとする「歴史戦」の舞台となっている。日本人活動家の影もちらつく。外国人の委員に皇室について、深い知識があるとは考えにくい。知恵をつけたのはひょっとして、想像するだけで憂鬱になる。
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胡瓜(キュウリ)の雄花
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胡瓜の雌花、胡瓜のヤヤ子が可愛い

植物の多くは両性花で一つの花に雄しべ雌しべがある
しかし、雌雄異花あるいは雌雄異株となっているものもある
雌雄異花は、胡瓜・西瓜・栗・ドングリ・クヌギ・カシ・杉・松・白樺等々
雌雄異株は、キューイフルーツ・山椒(さんしょ)、銀杏(いちょう)等々
どちらにせよ、環境に合せ子孫を残し子孫繁栄を願う生命体として同じである

ある人曰く
「男女とは個体の関係より、存在そのものが神秘のもの、神霊に似たもの
一体感そして二個一というものが宇宙の神秘としてある」
私も同感する話である、云わば色心不二即ち一体不二というものであろう

最近のことだが、国連人権理事会の女子差別撤廃委員会
これまでにも、この委員会では「日本軍に強制連行、性奴隷にされた」とかいう話
朝日新聞と韓国人国連ロビーの忌まわしき史実捏造活動の為し得たる話があった
今回は、日本の皇位継承権が男系男子の皇族だけにあるのは女性への差別だとし、
「皇室典範の改正」を求める勧告を盛り込んで 最終見解案にしたいうことである

自分達を何様と思うているのか、内政干渉も甚だしいもので、唖然とする
その国・民族の歴史と文化を知らずして語る勿れというのが話の原則
この話もチャイナ系の委員がまとめたというからチャンチャラおかしい
女子差別撤廃委員会の委員長は林律子という日本女性だと聞く
厭な気分である、旦那が居るなら顔が見たい、私の見解案では売国且つ不敬罪
男女の便所や風呂は区別されているが差別ではない、話は単純明快

校長のテレビ会見、広島・緑ヶ丘中の坂元弘校長は「つまらん男」と思った
大阪・茨田北中の寺井寿男校長の会見は「芯があり、中々好い男」と思った
寺井校長の話の全文は学校HPから削除されたと聞くので、ここに掲載する
私は、この校長の話の何処が間違いなのかと思うところ、私は賛同する
被害相手が特定されない限り謝罪はしない、との寺井校長の弁にも納得

<寺井校長の話>
今から日本の将来にとって、とても大事な話をします。特に女子の人は、まず顔を上げて良く聴いてください。女性にとって最も大切なことは、こどもを二人以上生むことです。これは仕事でキャリアを積むこと以上に価値があります。
なぜなら、こどもが生まれなくなると、日本の国がなくなってしまうからです。しかも、女性しか、こどもを産むことができません。男性には不可能なことです。
「女性が、こどもを二人以上産み、育て上げると、無料で国立大学の望む学部を能力に応じて入学し、卒業できる権利を与えたら良い」と言った人がいますが、私も賛成です。子育てのあと、大学で学び医師や弁護士、学校の先生、看護師などの専門職に就けば良いのです。子育ては、それ程価値のあることなのです。
もし、体の具合で、こどもに恵まれない人、結婚しない人も、親に恵まれないこどもを里親になって育てることはできます。
次に男子の人も特に良く聴いてください。子育ては、必ず夫婦で助け合いながらするものです。女性だけの仕事ではありません。
人として育ててもらった以上、何らかの形で子育てをすることが、親に対する恩返しです。
子育てをしたら、それで終わりではありません。その後、勉強をいつでも再開できるよう、中学生の間にしっかり勉強しておくことです。少子化を防ぐことは、日本の未来を左右します。
やっぱり結論は、「今しっかり勉強しなさい」ということになります。以上です。
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近所の塀越しに枝垂れ梅が満開の花を見せている、花言葉は「厳しい美しさ」とか

♪ 腰の軍刀に すがりつき  連れてゆきゃんせ どこまでも
連れてゆくのは やすけれど  女は乗せない 戰(いくさ)船 ♪

上は海軍の軍謡歌である、還暦を超える方々はご存知であろう
英国海軍を手本にした日本海軍、英語で船は女性名詞、由って軍艦も女性
女性である軍艦に女を乗せると、軍艦が嫉妬して荒れるというのが歌の真意
まま、我が朋庵も軍艦とは云わぬが、「女子供」はんの稽古はしない
その感覚・発想は差別云々という誹りも耳にするが、そんなことはカラスの勝手
しかし、この朋庵で稽古をしていた娘御が一人居た、私の弟弟子の娘御である

その娘御には弟弟子が自分で教えていたが、やはり親子ではどうしても、とかであった
その娘御は、小さい時から父親の茶会にも付いて来ていたので私も良く知っている
大人になった彼女は背が高く美人系ではあるが、父親が云うには「性格が・・」
高校では少々先生から目を付けられていたとか、聞くと武闘派でいわゆる「女番長」
彼女とその学校の生活指導の教師との間では、イタチごっこのドタバタを繰り返していたらしい
学校から帰って来ると彼女は、「あの○○は、ホンマに腹が立つ」、とわめくのが日常茶飯
あの○○とは生活指導の教師の苗字、変った苗字なので私はもしや(?)と思っていた
まま、武闘派系のやんちゃ娘なら宜しかろうと入塾させ、苦手な女点前を教えることになった

彼女は男に引けをとらぬ背丈で、点前に入ると美顔にそれなりの品も出て、武家茶が様になった
子供の頃から父親の稽古を受けただけに上達も早く、京都の門跡尼寺の茶会で点前デビュー
その門跡尼寺・大聖寺の護友会名誉会長は秋篠宮紀子妃で、皇室との所縁が深いところである
その日の茶会の正客は奈良・春日大社の宮司ということであった、それを聞いた彼女は顔付豹変
「あッ!、○○や、アカン」、彼女の高校の生活指導教師は、春日大社の今の花山院宮司だった

三十人程の紳士淑女が待つ静寂な茶席の中、意を決した彼女は粛々と点前に入る
彼女の点てた茶を私が正客の宮司の元へ出し耳打ち、「△△高校でお世話になった✖✖です」
宮司はキョトンとして彼女の顔を眺める、彼女の顔は赤面状態に、時間が止まった
「あッおまえ✖✖、何してんねん、こんなとこで」、彼女は大聖寺で茶の点前をしているだけ
宮司は大きな地声で屈託なく、「この子は私の教え子で手を焼かせた云々」、席は驚きと笑い
宮司は熱血漢の生活指導教師で、怖い先生であったが生徒に好かれていたと聞く、
今は春日大社の宮司であると共に、奈良の教育委員長でもある、
後日、彼女は両親と共に春日大社へ参り宮司に御礼の挨拶をしたとか、何の御礼か・・

内申書のことで進路希望が閉ざされ、自殺した広島の中学生のことを先に記事にした
それで、朋庵の武闘派女弟子と奈良教育委員長・春日大社現宮司との話を思い起した次第
生活指導と進路指導は根本で違うもの、そこが理解できない学校教師や教育委員は失格
枝垂れ梅の「厳しい美しさ」同様に教育者へ求められるもの、それは「厳しい優しさ」であろう
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石州系の床飾り、伊賀花入に虫狩(むしかり)、貝母(ばいも)、椿

昨日は大阪の塾生と二人で大阪美術倶楽部のチャリティー茶会に行った
五つの流派と奈良女子大茶道部が各部屋に分れて釜を掛けていた
塾生に何処の部屋から回るかと聞くと、塾生は「奈良女子大」と応じる
「あのな、女子大生ばかりの席にオッサン二人が入ったら変やで」と私
塾生は納得したので、石州系と千系の二つを覗くことにした

塾生の曰く、「見稽古というのがよく解かって来ました云々」
そして、「良いところは見習い、拙いところは反面教師ですね」と話を加える
隣席の千系らしき御人が、怪訝な顔つきで塾生の話声を聞いていなさった
私曰く、「茶会の席で、これはエエとかアカンとか声に出して云わんこと」

石州系の部屋で、私は思いがけぬ対応を受けた
正客席へと案内があったのを「点前の見えるところで」と私は辞退した
すると、末席から二番目のところへ案内され塾生と二人で着座していた
三十人程の客数故、四席目からは点て出しという断りがあり、薄茶が出て来た
末席の我々に最後の茶が運ばれて来た、私に出された茶碗を見て、「ウン?」
それは点て出し用の数茶碗でなく、正客用に出された高麗茶碗であった

千系の席に入ると無理やり正客席に坐らされた、そこからは点前が見えずらい
私は御亭主に「ここからやったら屏風しか見えまへん」と苦情を云う
そうしたら御亭主の指名で千系の男性が来た、私が席を替わろうとすると
その男性「私も点前が見たいので」と三客席に着いた、私は正客席のまま
ならばと、私は正客席で無言を通して菓子を喰らい、茶を喫した

御亭主は「軸は・・、花入れは・・」と語り出したが、私は御亭主の目を見て頷くだけ
御亭主の話し声が小さくなり途切れる、暫らくすると御亭主は末席の客達と喋り出す
此方が黙して亭主の目を見ていたら、亭主も私の目を見て穏やかな顔をすれば良い
そうすれは、茶席の雰囲気が凛として静謐になるもの
この流派の席は控室から騒動しく、あちこちで大きな声を出して歓談していた
そのこともあり私は黙したのだが、御亭主には通じなかったようだ

帰路、ナンバに出て塾生の知る居酒屋でコップ酒四杯づつ飲む
塾生曰く、「やはり奈良女子大茶道部の部屋を覗きたかった」
では、奈良で飲み直しと、二人で奈良・三条通りの「かえる庵」へ向かった


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近所の沈丁花(じんちょうげ)が花を付け、芳香を辺りに漂わしている、原産は支那南部
漢名は瑞香、沈丁花という名前は香木の沈香(じんこう)のような良い匂いがあること
そして、丁子(ちょうじ)のような花をつける木、という意味で付けられたという

自殺した広島の中学生のこと、その中学校の校長の言葉を聞き、気が悪くなった
「徹底的に」「固い覚悟で」「全力で」云々との言葉が羅列された会見内容である
いつもながら、学校や役所での事件は当該者が現れることも当該者の生の声もない
校長や役員が会見に応じ、大げさに頭の下げて上述の言葉を並べたてるのが定番劇
会見に出る人は、これも「役職手当の中」とお考えであろうが、無関係面が正直出ている
「責任者出て来い」とおらぶ上方漫才師が昔居たが、併せて「当該者出て来い」も要る

今日は東日本大震災の日、あの大川小学校の悲劇も先生の判断力不足が多くの児童を死なせた
当初は「個人名は出せない」「内容は明かせない」「先生方の将来や家族のこともある」
とか云々の説明がまかり通っていた、父兄の強い要望で徐々に明かにされて来たようだ
私も云いたい、「当該者を連れ、責任者出て来い」「責任は言葉・態度でなく、行動で示せ」
そう云えば、日教組と部落解放同盟に攻め立てられ自殺した校長、やはり広島の学校だった
2016.03.10 通知簿
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朝もやに浮かぶスノーフレーク、和名は「鈴蘭水仙」、地中海原産らしい

昨夕は雨の中、そば処「かえる庵」で高校同窓会の学級幹事四人が集まった
四年に一度の学年同窓会が来月に開かれ、我々の学級が幹事学級になっている
学年同窓会の前日に我々の学級の前夜祭を行うことも企画、その打ち合わせもあった
二人は酒を飲まず、一人はビール半本、私一人が日本酒三合とビール半本である
それで割り勘となったので、少々気が引ける会合であった・・

印刷と出版をやっている一人が、雑誌編集の話をしてくれた
彼の曰く、「記事の味わいはライターの生の取材力にあり、知識や文章力ではない云々」
つまり、取材する側とされる側の遣り取りが読む側に生で伝わる内容が何よりであると云う
成る程と私は納得、酒が進んだが一人酒でもあり、心残りながら三合で終えた
酒も飲まず三時間居た二人、本来は打ち合わせの会合であること暗に示してくれた・・

内申書が悪いので希望の高校に行けないと担任に云われた中学生が自殺、と新聞にあった
その担任は女先生だったとか、私の中学三年間も一人の女先生が担任であった
我々の頃には高校入試に偏差値とか内申書や推薦というものが無かった
学期毎の通知簿とは、担任教師が親に通知するもので進学する高校向けの通知ではなかった
自慢じゃないが、中学一年に「非行性あり」、二年に「問題児」と私の通知簿に記された
私の親は、担任の女先生に私を殴ってくれと頼んだもの(当時、先生が生徒をよく叩いていた)
卒業後に先生から聞かされた話では、他の先生への遠慮から私を三年間持ち上がりにした由

その先生とは、卒業後の人生で何かにつけ気にしてもらい交流が続いているが、もう九十歳
義務教育である中学の通知簿が高校入試の道具となり、偏差値なんぞと一緒に生徒に圧力とは
どこかで教育が歪んで来たように思うこの頃である


2016.03.08 葛城談話
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葛城一言主神社にある「蜘蛛塚」、記紀に云う土蜘蛛(つちぐも)虐殺の地である

神武天皇が土蜘蛛を捕え、彼らの怨念が復活しないように頭、胴、足と別々に埋めた跡とか
土蜘蛛とは古代日本における、天皇への恭順を表明しない土着の豪傑などに対する蔑称
大和国の土蜘蛛の外見で特徴的なのは、他国の記述と違い、有尾人として描かれている
まま、歴史は勝者の作文、今の赤支那帝国や朝鮮との歴史戦もここにあると頷かされる

さて前記の続き、私達は〼々半升を飲み飽かし、仮眠をとり朝風呂で身を浄め宿を出た
生駒・信貴・葛城・金剛の山麓は、物部・平群・巨勢・葛城・鴨という古代豪族の本拠地
その由緒を伝える神社・御陵・古墳・宮跡の史跡が其処彼処にあり、古代史探索を満喫
葛城歴史博物館で待機していてくれた学芸員とも数々の歴史談話を楽しみ、そこを出た
一言主神社では宮司が口を手術したばかりで話が出来ず、挨拶だけということであった
が、参加諸氏の風談が佳境に入りだすと、宮司はん「ワシは暇だす、もっと話を」と坐り直す

話は、古代葛城氏の素性と天皇家との繋がり、そして鴨一族との関係という古代史論議
続いて、神道と仏教を合祀した葛城山系の役 小角(えんの おづぬ )の話題となり
ついには、神道・仏教、そして世界宗教という大上段の話に及び、宮司はんは居座る
私が、神道が世界宗教にならなかった理由を訊くと、宮司曰く「日本人以外には届かない」
私が何故と畳掛けると、宮司の口の手術を慮り国際日本学の教授が横から口をはさむ
「神道は死を不浄のものとして追い払う、他の宗教は死の意味や死後の話が中心になる」
私は首肯、教授は出自が禅宗仏門の故もあり、世界の民族文化と宗教の薀蓄が深い

確かに、日本の葬式仏教では死後の世界を云々し、金を閻魔の懐に入れる手伝いをする
キリスト教も天国やら復活やらと訳の分からん話を二千年続けている集団である
イスラム教に至っては、コーランは翻訳禁止、つまり翻訳すると神の意が崩れるとか
仏教はそもそも論では哲学、儒教は道徳学であって宗教とは云えない云々
私は時間が気になっていたが、宮司はん「エエがな、面白い話や、ワシも聞きたい」

その教授、話を進める、「仏教は印度から支那そして日本へ誤解が伝わるハメになった」
特に、禅宗に置いてそれが著しいという、つまり「零」の概念の伝わり方である
印度で「零」の概念発見は釈迦入滅後の七世紀、それから「零」が「無」や「空」と訳される
「空」は支那人には「そら・天空」である、日本に来ると「空」は「から・空っぽ」
この語意の民族的理解度の違いが、印度・支那・日本の仏教の認識の違いとなった
特に、禅宗に於いては印度・支那・日本で宗旨の違いとも云える「誤解」があるとか云々

私は、茶の湯に「禅宗」を持ち込み、茶禅一体とウソブク禅坊主はんを思い莞爾として聞く
先日、「茶道人口が減り、このままでは大変なことになる」という千流の茶人にお会いした
御仁は、私も茶道産業に身を置く一人と見て、同類相哀れむ的発言であるが、私はうっちゃる
「茶道」を産業と捉えると、参集する関係者の茶とは「業・なりわい」となり糊口の具となる
茶は一人で楽しむもの、時には朋友と一服を愉しむのも善しというのが、私の思う「茶」

葛城談話を終え、鴨族・賀茂神社の宗社である高鴨神社まで行き昼食をとる
献立は鴨汁、今日は禰宜(ネギ)は東日本震災の慰霊で東北の地までお出かけとか
しかし、鴨汁には葱(ネギ)はシッカリ入っていた
2016.03.07 〼々半升
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骨格から復元されたネアンデルタール人の少女

〼々半升、或いは升々半升で「ますますはんじょう」というコジツケがある
二升半の日本酒樽がめでたい時に送られたのはこのコジツケによるもの
今でも料理屋や居酒屋には二升半の日本酒が飾ってあるのを見掛ける
この土曜日曜は古代史好きの論客と大和盆地西部の山麓に遊ぶ
遠方からの御仁もあり、私は土曜日は三時前から知人の料理屋に陣取る
早々から一升瓶二本を出してもらい、薩摩切子片手に論客の来訪を待った
結局五人で日本酒二升半とビール一本を空け、九時に信貴山の宿舎へ

宿舎でも数々の話が入り乱れ、ごろ寝状態で三時頃まで論壇風発
人類の遺伝子話の一つに「デニソア人」の興味ある話が出た
「デニソア人」とは、五年前に南シベリアのデニソア洞窟で発見された旧人
欧州や中近東で発見されている旧人ネアンデルタール人の近縁らしい
まま、大雑把にいうと旧人ネアンデルタール人の東西分岐ということ
欧州の白人には二%程のネアンデルタール人由来の遺伝子が認められている
白い肌や金髪・碧眼がネアンデルタール人によってもたらされたというのが定説
我々の風談も医者二人に大学教授が加わってのこと故、話が少々小難しくなる

私が興味を持ったのは、チベット人や日本人に残るデニソア人の遺伝子の痕跡
日本人に多い糖尿病やチベット人の高地適応体質はデニソア人のものと云う
寒冷地適応したデニソア人は、少ない食糧で生きられるように燃費の良い体になった
よって、食糧が過ぎると糖尿病を生じさせ易く、遺伝性の糖尿病はその遺伝子とか
私はれっきとした血統書付の糖尿病患者である、四万年に得たデニソア人遺伝子
因みに、デ二ソア人の遺伝子が高い比率で残されているのは南方のメラネシア人
彼等の金髪体質が謎とされていたが、遺伝子の解析でデニソア人のものと目される

私は宣言した、今後は「デニソア井谷」と呼んでもらうことにする、と
然しながらである、最近にはスペインでもデニソア人の骨が発見されたという
では、ネアンデルタール人とデニソア人の関係は?と頭が混乱して来たので、私は寝た
日本人固有のY染色体遺伝子C1a1、近縁のC1a2はスペインの遺跡で見つかっている・・
日曜日は、信貴山を出て二上、葛城、金剛の山沿いを古代史散策である、ZZZ
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奈良・一刀彫の雛人形、上段の内裏雛は左坐りが男雛、右坐りが雛という古来の形

つまり、向かって右が男雛、向かって左が女雛というものだが、最近は逆形が多くなった
大正天皇が西洋の仕来りに合わせ、皇后の右に立たれたのがことの起りという
爾来、昭和天皇も同じ様にされたことから、関東地方では男雛が右立ちになったようだ
上方の公家飾りと関東の武家飾りと勝手な講釈をする尻軽も増えたが、それは間違い
奈良・高取町では大雛飾りを町起し行事にしたが、男雛を右立ちにした飾りである

去年のこの時期、私は高取町役場に間違いの由をメールに入れたが、その返事にガックリ
町役場の曰く、「我々も雛飾りを調べております、専門家も男雛右立ちを云われた云々」
私は、男左立ち・左上位が日本古来の形、奈良は古来の形を大切にすべしだと、送り返した
再度の返事はなかった、役場には日教組のジェンダーフリー教育が蔓延しているようだ
今年は町の古い雛人形を一堂に飾っている、写真で見ると、ほぼ全てが男雛左立ちであった

雛人形は二月早々から飾り出し、桃の節句・三月三日が過ぎると早くしまうのが仕来り
早く飾ると「嫁に早く行ける」、早く片付けると「結婚が早く片付く(早く嫁にいける)」
長く飾ると娘が「嫁に行き遅れる」という話、最近、「行き遅れ」はセクハラに認定とか
山田耕作の童謡「赤とんぼ」の歌詞の文句が思い起こされる

♪ 十五で 姐やは 嫁に行き お里の便りも 絶果てた ♪

NHK[あさが来た」で、女子大学を作らんとする主役「あさ」の言葉も思い起こされる
「女は女学校の年齢で嫁に行き、もう大人として世の中を生きていく運命になっている
女ももっと勉強して、世の中のことや実業のことを学んだ上で家庭に入ったらエエ」
まま、そんな様な台詞であったが、面白いと思ったのがその日の産経新聞の「正論」
論者は堺屋太一氏で主旨は、「『低欲社会』は日本のピンチだ」、その要点は

①、「身近な願い」ばかり
奈良・御所市の「一言主神社」にあやかり全国から集まった「ひと言の願い」
あったのは「身近な願いばかり」で、明日への希望に夢を膨らませるものはなかった
②、激減した日本の青少年の海外留学
欧米では今や日本からの留学生は「絶滅危惧種」、そして何よりの気掛かりとは
昨年に四十歳にして一度も結婚をしていない男性が三割を超えたこと
③、「3Yない社会」の危機
「欲しない、夢ない、やる気ない」、つまり若者層の人生想像力の欠如
これこそ現在の日本社会の最大の危機である、と堺屋はんは云う

私は思うに、学生時代が一種の「モラトリアム」、社会参画への執行猶予期間となり
それが、学生時代を越え、三十代世代になってもこの感覚のままが続いているようだ
本来、社会参画の実業勉学である学生時代を社会責任の執行猶予としてしまった日本
女は十五で嫁に行き、男は十六で元服し初陣へ臨む、子供から大人の間に執行猶予なし
嫁に行った娘は、他人の家の飯を食べ、子を産み育て、家事一切を自分の責任で行う
初陣に臨んだ男子は、殺し合いの場面を目の当たりにし、自分の立場を理解させられる
まさに沖縄戦の中学や女学校の生徒と同じ年齢である、ほんのひと世代前のことだ

堺屋は云う、今の日本は世界で最も「安心で安全で清潔で正確な国」だ、
それが、人々の楽しみを奪い、やる気を失わせているのではないか
官僚、教育の猛省を促したいところである、と
まま、その堺屋はんは元官僚
2016.03.01 春、弥生
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東京都文京区弥生町、東京大学工学部の片隅に顕彰碑が建ててある
「弥生式土器」の発掘された場所だが、今はもう発掘場所の特定さえ出来ない
さすがに特定できないので、「発掘地」ではなくて「ゆかりの地」となって いる
工学部はこれを建て、構内にあった「国指定、弥生2丁目遺跡」を潰してしまった
考古学者曰く、「文学」が「工学」に負けた記念碑でもある、とか

「弥生・やよい」は、「弥・いや」と「生・おい」の合さった言葉とか
いよいよますます生い茂るという意味になるらしい
本来は旧暦三月のことで、新暦では四月末から五月に当たる
どうも、季節感や花鳥風月を表す言葉は旧暦でないとピンと来ない

それは兎も角、弥生町から最初に発見された弥生式土器が弥生式時代の名称となる
近頃では弥生時代と呼ぶ方が一般的だが、この弥生時代が抜本的に見直されそうだ
大陸から来た弥生人が列島の縄文人を圧迫し、端に追いやったというのが通説だった
騎馬民族が渡来し、列島に征服王朝が出来た云々と云われたこともあった

しかし、日本人男性の遺伝子は弥生系のものより縄文系のものが多数を占めること
何より、天皇家に繋がる家系の人たちの男性遺伝子が縄文系であること
このことが遺伝子研究の進歩で判明して来た、まさに歴史が根源から覆される話だ
文学が工学に負けたは現実になった、古代史では理系が文系を席巻したと云える
この辺りの話、近々に座談会をもつことになった、楽しみである