2016.04.29 鴨夫婦
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秋篠川で連れ立って泳ぐ鴨夫婦

囲碁を始めて知った「囲碁の格言」
何となく身につまされる言葉が多い
「取ろう取ろうが、取られの元」
「シメタがシマッタの始まり」
「一目多ければ勝ち、それ以上は無用」
云々、それなりに人生訓である

こんな言葉もある
「碁は二人でするもの、相手を認めるのが碁」
「碁は互いに順番で打つもの」

何か夫婦の話のようだ
「碁」とは「互」であって、「吾」ではないということ
そして、一度石を置いたら消しゴムは無いということ
これも一局の碁、これも一つの人生、ということ

鴨に「ヘイ、カモン」と云っても、戻っては来ないだろう
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ラグビーのメッカ信州菅平のご当地グルメ「ラガーメン」、器がラグビーボール形なのがミソ

金美齡,女史の講演で耳にした「柯子彰(かししょう)氏」のことは私には初耳だった
そこで、西宮にお住いの知人に金女史の話を伝えて訊いてみると、メールが届いた
御仁の父君は、台北中学のラグビー部員として甲子園の全国中学ラグビー大会に出場
野球の「海の向こうの甲子園」ならぬ、ラグビーの「海の向こうの甲子園」である

>失礼します。
先ほどは、連絡いただきましてありがとうございます。
いつも「台湾・ラグビー」などの言葉の端に思い出していただきましてありがとうございます。

さて、ラグビーの柯さんとは、台北市の北の淡水出身で、お父様が淡水中学の宣教師をされていました。
その影響なのか、同志社中学へ進学し ラグビーでは全国優勝をしています。
その後、早稲田大学に進み、全日本メンバーに選ばれ海外遠征のキャプテンもされています。
台北市に住んでいた関係で、帰郷した時には、チームを作ってラグビーを楽しんでいたそうです。
小生の父が、1年下になり、そのチームで一緒にプレーしていたと思われます。
小生の父は明治に進学し、明治のラグビーも面白いということでそのままプレーします。
柯さんとも対戦しています。柯さんの4年の時は早稲田が勝ち、父が4年の時は明治が勝っています。
その後、満州鉄道へ就職され按山中学にもラグビーを教え行っており、昭和11年の優勝メンバーにも
色々とアドバイスをしたと書いてありました(按山中学ラグビー部OB会誌より)
当時の「アサヒグラビア」で、柯さんからタックルを受けている写真を見つけました。
近くに住んでいる、早稲田のOBから 柯さんのことを聞き調べていますと、「森元首相」の話を聞き調べていました。
台湾を初めて訪れるときに、柯さんの墓参りをしたいと申し出たところ、息子様と会うことができ昔話を聞かせていただきました。
昨年、再訪した時にもお世話になり、2日目には、60歳以上の台湾選抜チームに混ぜていただき、ラグビーをプレーしてきました。
おまけに、人生初トライを挙げ、父との繋がりを強く感じた次第です。
昨年11月には、石川県小松市へ遠征に出かけ、2回目のトライを挙げてきました。
そのグラウンドは、20年以上前に作られたものですが、当時にしては珍しく2面が背中合わせになっており、相当豪華なものだったそうです。
 その球場は、「森元首相のお父様」の肝いり(地元)でできたと聞き、偶然にびっくりした次第です。
今年の10月に、3回目の台湾訪問を予定しています。
台北市と台南市で2試合する予定です。
時間が取れれば嘉納を訪れたいと思います。
ちなみに「元森首相のお父様」は早稲田でプレーしていたそうですが、選抜メンバーにはなれなかったそうです。また「元森首相」は、1年生の途中でプレーヤーを断念したと聞いています。
そのかわり、外からラグビーに関わる道を選らんだと聞きました。

長々と失礼しました。<

因みに、(按山中学ラグビー部OB会誌より)とある、鞍山中学ラグビー部OBの御一人(八十五歳)
その御人は今日行く予定の囲碁教室の先達である、私はこのメールを持参するつもりでいる
人生とは、因縁とか奇遇とかがその時とその場を彩るようだ
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我が家の玄関横に今年も芽を出した高砂(台湾)百合、茎の太さは百合のものではない
去年は三メートル近くまで成長し、白く美しい花を咲かせたのでご近所にも知られ存在
不思議なことに、この一本から殖えた子供の百合は皆普通サイズの高砂百合である、

台湾映画「KANO]、曰く「海の向こうの甲子園」で台湾出身の金美齡,女史の講演
一人の台湾人ラガーと森元首相の話があった、柯子彰(かししょう)氏のことである
ネットで調べてみると、金女史の講演内容が出ていたので少々略して紹介する

> 実はほんの一両日前、台湾の李登輝前総統の訪日ビザがやっと出たところであった。それまで李さんは総統時代の12年間を通じて3回、引退してから 1回、都合4回にわたって訪日希望を表明してきたが、その都度日本の一部政官界によって実現を阻まれてきた。この平成13年にも心臓病治療のために訪日ビ ザの申請をしていたが、時の外務省アジア太洋州局長は、ビザ申請などないと大嘘を吐いてまで李さんの希望を闇に葬ろうとした。幸い事態を知った森首相のツ ルの一声でこの陰謀は喰い止められ、この台湾切っての親日家は16年ぶりに日本の土を踏めることになったのである。偶然にもその直後の観桜会に招待されて いた私は、ここで森さんに知らぬ顔はできない、黙っていたら台湾人として女がすたる、と思ったのであった。

 警護陣に囲まれて私は、周りに聞こえるよう大声を張りあげて、「森さーん、李登輝さんのビザどうも有難うございましたー」とやった。森さんは一瞬驚いたようだったが、すぐに破顔一笑、「いつもテレビ見てますよ」とお愛想まで言って下さったのであった。
その森さんが台湾を初訪問するとのニュースに私は落ち着かなかった。中国の一顰一笑を気に病み、汲々としてその顔色を窺うことを能事とする昨今の 日本政界の空気の中で、森さんのこの信念に満ちた行動はまことにすがすがしく爽やかに感じられる。私はそういう人が好きなのだ。そういう訳で私は、今度は 飛行機を使って、またまた森さんの"追っ掛け"をやることになったという次第である。

 12月26日の夜、早稲田と慶應の台湾同窓会が共同で主催した森前首相歓迎会に出席した。2011年のワールドカップ・ラグビー世界大会を日本に 誘致するため、アジア各国に支持を訴えるのが訪台の趣旨だとのことで、森さんの一行の中には早稲田の日比野弘元監督や慶應の上田昭夫総監督などの顔も見ら れ、和気藹藹の盛会だった。なかでも、森さんが来台当日どこよりも先に台湾海峡に臨む淡水の町にまで出掛け、故柯子彰(かししょう)氏の墓参を済ませたと いう話はとりわけ台湾人の胸を打った。柯氏とは知る人ぞ知る、台湾が生んだ不世出の名ラガー。14歳で同志社中学に留学、同校ラグビー部部員として3年連 続全国制覇に貢献。早稲田進学後の昭和5年、初結成の日本代表の一員としてカナダで六勝一分。同8年早大主将として全国大学大会で優勝。翌9年には日本代 表チームの主将としてカナダに遠征、その名を全国に轟かせた。戦後すぐ台湾ラグビー協会を設立、台湾ラグビーの指導に生涯を捧げた。

 柯氏は森さんの御尊父とは早大のラガー仲間であった。御尊父逝去の前後には台湾から駆けつけて病院に見舞い、葬儀に参加したのだという。
「ところが柯さんが亡くなった平成13年、私は総理をやっていて台湾には行けませんでした。それがとても心残りで、いつも申し訳ないと・・・」
そこで森さんの声は少しくぐもったのであった。私はそこに、信義に堅く人情に厚い、今どきもうあまり見られなくなった伝統的な日本の男を目の当りにする思いだった。<

と、あった、
私が聞いた今回の金女史の講演も概ねこんな話であった
それが、私の知人の追憶譚に繋がった
好天に「ハナ」と散歩、近所は百花繚乱であった

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垣根から溢れる「ムラサキ大根花」、満州から山東半島・朝鮮半島が原産

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塀の隙間がら姿を見せる鉄線風車、私は「鉄扇」と書く方が良いと思うが如何

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可愛く咲くアカバナ、樺太・千島から日本列島・朝鮮半島に分布、赤ロシアが悪

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公園の藤棚に花が垂れて来た

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タンポポ野原で「ハナ」が用足し、爽快気分

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町内から越した方が残していった「花梨・かりん」に実が付き出した

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側溝への樋(とゆ)口に花を付けた「ムラサキつゆ草」

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高砂百合(タカサゴユリ)、台湾原産の百合で日本原産の鉄砲百合より大きくなる
高砂百合は、琉球語で台湾を指す言葉「タカサング」に由来すると言われる
鉄砲百合との類似性から日本では細葉鉄砲百合とも呼ばれる
我が家の玄関先で数年前から自生し、その茎は三メートルを越える巨大百合になった

この日曜日、大阪の松下IMPホールで産経新聞主宰の台湾映画 「KANO」の上映会にあった
知人の元新聞記者と行く予定だったが、後で講演会があると聞きその御仁との同行を断念
講演者は金美齢、台湾出身の女性ながら「日本精神」の信奉者でナカナカの論客
私は好感をもって彼女の論説を受け止めているが、朝日・毎日・日経の人には悪評のようだ
ということで、私は元記者には失礼し女房殿と行ったのだが、上映中の女房殿は夢の中だった

「KANO」とは台湾がまだ日本だった頃の、嘉義農林学校野球部の実話をベースにした映画だ
魏徳聖ら台湾の若手により作られ、「大阪アジアン映画祭」で「観客賞」を受賞した作品
夏の甲子園で準優勝を果たした 「KANO」は嘉義農林の略称「嘉農」(かのう)をタイトルに
北京語発音では「JIANONG」、それを敢えて当時の台湾人が呼んでいた日本語の嘉農「KANO」
つまり、今の台湾人が国民政府から強要された北京語ではなく、戦前の日本語で題名を出した
「嘉農」チームは日本人と原住民(高砂族)と台湾人(漢民族)の混成チームであった
当時、この決勝戦を観戦した菊池寛が、「僕はすっかり嘉農贔屓になった、負けではなく、嘉農は確かに歴史を作り出し、怖れることなく自ら挑戦していくという、本当の勝利を教えてくれた」と語ったとか
上映が終わったその時、目を潤ませた観客から万雷の拍手が起こったのには驚いた
私が映画で観客の拍手を聞いたのは、鞍馬天狗の嵐勘十郎が馬で現れた時以来である

金美齢女史の講演は、それなりに興味深く面白かった、というより同感部分が多くあった
その一つは植民地に関することで、欧米の植民地と日本のそれは根本的に違うという話
欧米人は原住民を自分達とは別の人間、つまり別の生物として扱ったが、日本は違った
日本は、日本本土と同じレベルの社会水準・産業基盤・教育制度を構築しようとした
それを同化政策として否定する輩がいるが、それは戦前の日本人に対する侮蔑であるとか
私は全く以って彼女の話に同感、心の中で万雷の拍手を送った

金美齢女史は、ある討論会で在日朝鮮人の大学教授・朴昌憲が云ったことに反論した
朴は「旧植民地出身者やその子孫である特別永住者への地方参政権付与は、日本の戦後処理」と云う
女史は反論「参政権は永住者に得になるが、私はあえて反対だ、韓国人の参政権要求は日本へのルサンチマン(恨み)だ、一世の恨みを二世、三世に刷り込んで彼らは日本で本当に幸せに暮らせるのか、日本と運命をともにしたい人が国籍を取り、参政権をもつべきだ」
そして「日本人は参政権を、あまりに軽視している。この問題を通じて、日本人こそ日本とは何かを真剣に考えるべきだ」と提案
成る程に金女史は女ながら硬骨漢の正論者であると、私は実感した
私は金美齢女史に全面的に賛成する、ヘイト云々とは無関係の知性と見識の話だ

私はこの種の「ルサンチマン」心情を有する輩、いわゆる「マスゴミ」の輩に嫌悪感を持つ
比べて「KANO]を制作した台湾人たち、魏徳聖は未だ四〇代であるという、好感が持てる
日本の統治時代を知りたいという若者が台湾に台頭していると知り、嬉しくなった
金女史の曰く「この映画が今回の一月十六日の選挙で台湾人・民進党の勝利を後押しした」、と
欧米のアジア侵略史の中で、日本と東亜を守り礎を築いてきたのは日本人の偉業だとも論じた
私は思った、これらのことをこれからの日本人に伝えるべきである・・、と

http://kano1931.com/
2016.04.24 脇道の花
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秋篠川の土手へ出る脇道に近隣の方が植えられた紫蘭(しらん)の蕾が綻び出した

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此方は苧環(おだまき)、蕾が一輪一輪と開き出している

これらの花を植えて世話をしてなさった御仁とは散歩の知り合いであった
別に一緒に歩いていた訳ではないが、よくすれ違って挨拶を交わしていた
恐らく、散歩の時間帯が似たもので、散歩コースが違っていたのだろう
毎朝のようにすれ違い挨拶をしている中、言葉を交わすようになった
話の中で家の場所も知り、その横にある脇道の花をもらうようになった

何時しか会う場所や時間帯が違って来て、御仁の様子も少々変わった様に思えた
訊くと、御仁の体に異変が出て、無理が利かなくなっているとのことだった
その中に、散歩の出会いもなくなり、御仁の奥さんが花の世話をされていた
挨拶をして御仁のことを尋ねると、治療不能の筋肉の難病に犯されたとか
筋肉が衰えるというか弱まって、歩行不能の状態にあるということであった
奥さんは私に対して、「何時でもご随に、花を摘んでください」と云われた
私が御仁から花を頂いていたことをお聞きであったようで、嬉しく感じた

その御仁がフェンスの縁伝えに門まで出て来られる姿を偶にお見かけした
話し掛けると、こちらを振り向かれるが手足の弱々しさは一目瞭然であった
治療不能という病気は、自宅で向い合うだけしかないと奥さんから聞いていた
私も御仁との会話は季節や天気で茶を濁したが、花の話には笑顔があった
そして、五年ぐらい前のこと、町内の会報で御仁のご逝去を知った

脇道の花が今年も咲き出した、次の稽古には摘ましてもらおう
2016.04.23 奈良の八重桜
昨日は雨が上がったので、愛犬「ハナ」の散歩に女房殿と出掛けた

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裏の神社の八重桜、秋篠川土手道の染井吉野はすっかり青葉になっている
桜の最後を飾る「奈良の八重桜」は奈良の県花で市花、天然記念物・学名「奈良の八重桜」
「犬を入れるな」とあるので、「ハナ」を連れてはこれ以上入ることが出来ない
奈良観光誌によると

> 奈良時代、平城京では、柳や桜が数多く植えられていましたが、ある時、三笠山(現在の若草山)の奧、「鶯ノ滝」辺りで、第45代聖武天皇が八重桜を見つけ、それを宮中に移し植えたら、咲いた花が余りにも美しく珍しいので、光明皇后をはじめ、宮廷人に大いにもてはやされたと言うことが、江戸時代の始め、1678年(延宝6年)大久保秀典、林伊祐らが書いた「奈良名所八重桜」に載っています。

 そして、都が平安京に遷って第66代一条天皇の時、藤原道長の娘で、紫式部らの女房にかしづかれていた一条天皇の中宮・彰子が、興福寺の境内に植わっていた八重桜の噂を聞き、宮中の庭へ植え替え様として、使いをやり荷車で運び出そうとしたら興福寺の僧が追って来て、
「命にかけてもその桜、京へは渡せぬ」
と云ったので彰子も断念し、それから毎年花の頃に「花の守り」を遣わし、今でも伊賀上野には「花垣の庄」と呼ばれる花守の子孫がいて、「奈良の八重桜」を霊木として守っておられます。

 また、それから一条天皇の時、奈良の八重桜の一枝が宮中に献上され、その年の花の受取役、伊勢大輔(いせのたいふ)が、その花を見て詠んだのが「詞花集」から「小倉百人一首」第61番に載せられたかの有名な次の歌で、

 いにしえの 奈良の都の八重桜 けふここのへに 匂ひぬるかな <

「ここのへ」は、桜の花びらが八重、九重と重なっている様と、禁中(宮中、九重)の掛詞、
この話、NHK「歴史秘話ヒストリア」の「日本人と桜の物語」でも取り上げられたとか
まま、「命にかけてもその桜、京へは渡せぬ」、とは奈良人の心を示す言葉であろう
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近くのスーパーで「熊本県産のぞみいちご」がおすすめ品として陳列されていた
確かに値頃感はある、私は二パック買うた

今回の熊本地震では、刑務所が地域住民の避難所になったという
そのことを全国初のケースとしてニュース報道は伝えていた
昨日の産経新聞の一面コラム「産経抄」でも取り上げられていた
その内容に私は「日本人」の美質を改めて感じさせられた次第

その内容とは、大正十二年の関東大震災の時の話である
東京の刑務所ではレンガ塀が倒壊したが脱獄者は出なかったとか
そして、より被害が甚大だった横浜刑務所での仕儀とは
典獄(刑務所長)は、千人近い囚人を二十四時間に限って開放する決断を下した
出頭が遅れた者も含めると、最終的には全員が刑務所に戻って来たという

海外では、災害時の刑務所脱走騒ぎは常態化している
阪神や東北の震災時での日本人の行動は、世界から賞賛と感動が伝えられた
この日本人の持つ民族的美質とは、世界史の中でも稀有なものであろう
解らぬ人もあろうが、先の大戦での日本軍兵士の戦い様も同じであったと私は思う
武器や食糧・水が欠乏する戦線で、ひたすら戦いぬき玉砕した日本の兵士たち
敗戦が分りながらも、我が命を捨てて日本という国を守ろうとした若き特攻隊員たち

私は日本人を誇りに思う、すばらしい民族だと思う
こんな日本人を国民に持つ国の為政者は、極めて恵まれていると知ること肝要
九州新幹線も動き出したとか、頑張ってもらいたい
東京の知人を囲んだ昨夜の会食は楽しく終り、帰宅
朝、部屋を片付けようとして置いたままの碁盤を眺めた
あすこはああすべき、ここはこうすべきだった、と考え込んでしまった
知人も心残りだったようなので、棋譜代りとしてブログに掲載する
私が黒石で彼は白石、囲碁の先達である彼に敬意を表した

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ここまでの対局でタクシーが来た、碁盤に心を残して家を出る
中央右の白石十二子は、彼の誤着(?)で私が召し取る
左辺は、私の黒石が彼の白陣を荒らそうとして侵入、憤死した様
右辺は、私の黒陣へ迫った彼の白石を返り討ちにした様

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一応、形勢の手入れをして、陣地を整形してみた
黒陣は右上に五十目、右下に十六目の計六十六目
白陣は左辺に四十目、二十目、五目の計六十五目
盤上では黒の一目勝ちだが、黒先のコミ出しを五目半としていた
由って、白の四目半勝ち、黒の私の負けである・・まま、引き分けで好しである
東京の彼へはブログを見るように伝えよう
2016.04.19 記憶力の欠如
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裏の神社に続く路傍に菖蒲の花が咲いていた
近隣の方が植えたものだろう、もう夏が近づきつつあると実感

昨日は、東京から懐かしい知人が我が家を訪れてくれた
今年還暦を迎える彼は、定年を前に早期退職をするということであった
聞くと、老齢の母親が自分の実家がある栃木県で一人暮らしをしているとか
夫を亡くしてからの東京暮らしは好きでなく、故郷に戻ったということだそうな
その母親が要介護の状態なので、自分が世話をするために会社を辞めたとの由

彼は三菱系の大手食品問屋に入社し、大阪勤務時代に京都の人と結婚
奥さんの両親は奈良に転居されたので奥さんの実家は奈良ということになった
その奥さんも五年前に他界、退職の報告を奥さんの両親にする為に奈良へ来た
まま、我が家へは「次いで」と云う話であったが、囲碁を打ちたいという話もあった
大学の囲碁部にいた彼、私が囲碁を始めたことを聞き及んで一局を望んだ次第

開始早々で窮地に追い込まれた私だが、彼が曰く「勘違い」で誤着し私が大石を取る
これで五分の勝負となり一進一退、一時間半余り過ぎたところでタクシーが来た
大阪で共通の知人と会食を予定していたので、共に出掛ける(何故か女房殿も同行)
囲碁は引き分けということにした、私には彼の誤着という一手がどうも怪しく思えたが・・
会食の最中に彼から聞かされた昔話、これには私は恐縮させられた

彼が大手問屋のシステム職の時、納入先の中堅スーパーの債権が回収不能となった
彼の会社から何人かの人間が派遣され、そのスーパーを子会社化して再建を図った
彼もシステムの担当として派遣された、そして私にも彼の会社から協力依頼があった
再建の最中の話、業態変更をした店の新装開店を迎えた朝のことである
店頭には多くの客が並んで開店を待つ状況の中、店内のレジの様子がおかしい
レジが稼働しないというのだ、私は「ナヌ!」、すぐにシステム担当の彼を呼んだ

彼曰く、駆け付けた彼を見るや否や、私が彼を殴りつけたとのこと
一緒に居たレジ業者は、手が震えてコンセントの結合が出来ない状態になったとか
私には全く記憶がない、昔から記憶力の悪いのが私の特徴と皆に云われてはいた
しかし、殴った云々話の記憶はないが、開店当日の売上が二千四百万円超だったこと
売り場が三百坪程度の店舗としては皆の驚く数字であり、企画した私の株が上がった
まま、この時のことは私には心地良い想い出でとして記憶に残っているのだが・・

しかし、彼には私に殴られたことの方が強烈な想い出となって残っていると云う
その話がホンマなら私は謝りたいと云うと、彼は「ホンマです」と即応する
成る程に、踏んだ足と踏まれた足の例え話かと私は恐縮しきり、彼に酒を勧める
2016.04.18 百花為誰開
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先代宗家の色紙を用意していたが、掛けずじまいであった
先代の人柄が偲ばれる書体・筆遣いであり、何かホッとする
今日の軸の担当塾生が遅れ、そのまま置いた状態となった
後で聞くと、その塾生は重要会議と重なり欠席連絡があったのを私が失念
痴呆は着実に進んでいる・・

まま、江戸の漢学者、佐藤一斎の言葉を記す
「月を看るは、清気(せいき)を観るなり、円欠晴翳(えんけつはれかげ)の間に在らず
花を看るは、生意(せいい)を観るなり、紅紫香臭(こうしこうしゅう)の外に存す」

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今日の花担当塾生、伊賀焼花入に小手毬を挿す
花の向きは日の当たる方向としながらも、花枝は逆方向からとか講釈あり

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奥方のご実家が熊本という卒塾生、実は先週にご夫婦で東北を旅された
曰く「震災に何も出来ないので、少しお金を使ってこようかと思って・・」とか
会津若松・鶴ヶ城にある茶室「麟閣」に因んだ菓子を土産に下さった
ご夫婦が戻られてすぐに熊本の直下地震、何とも云えない菓子の味であった

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透き木釜の扱いを稽古
五徳を外した炉に透き木をはさんで平釜を掛ける
この平釜は弓形の鐶が付いているので「弓張り釜」と名付けらてれている
塾生から透き木釜と吊り釜の時期を問われたので、次のように答える
「当流では、鎖の間がある武家茶造りが基本となっており、吊り釜は年中使用するもの」
「数寄屋(茶室小間)には鎖を吊るさないので晩春から初夏にかけ透き木釜となる」
「この時期には広間の炉縁を塗りから木地に替え、季節感を出すようにするのが当流」

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炉壇に置かれた透き木、これで炉の炭火との通気を図る
千流のそれは三寸九分だが、当流のは二寸二分と小ぶりで通気に良い
利休は「朴木」、宗旦は「桐」を使ったらしが上田にあるのは「杉」、私は「黒柿」とした
手前の灰に透き木を落した跡が残っているのはご愛嬌

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今朝ほど厠に行くと花が萎れていた、見ると壺(この花入は元々紅壺であった)に水が無い
この花を入れた塾生、見当は付いている・・
2016.04.16 肥後スミレ
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肥後スミレ草、苗を植えていた鉢で白い花を一輪付けた、向う右側は桜草

肥後は熊本県、震度七の地震災害がテレビ・新聞で報じられている
卒塾者の一人の奥方は、本貫は肥後・熊本であり、御親族もいらっしゃるとのこと
ご夫婦のご心痛は如何ばかりかと察するところ・・
この肥後熊本地震のことを伝える新聞報道の中で、向かっ腹が立った記事
日本の政治家集団であり、公党である民進党の公式ホームページである

地震発生から約3時間後の15日午前零時半ごろのことだそうである
一般ユーザーが「東日本大震災時の自民党のような対応を望みます」と書き込んだ
つまり、緊急の国難には、党利党略を置いて共に協力し合って対処すべしという話
ところが、民進党の公式ツイッターが「それじゃあダメでしょうね」と、反応
「多くの議員が与野党なく災害対応に協力した中で、一部の自民党の有力議員が原発対応についてデマを流して政権の足を引っ張ったのも有名な話です」と続け、
さらには、一般ユーザーに「なんで?」とタメ口逆切れのツイートを入れたという

この民進党の書き込み内容に一般ユーザーらが猛反発したと報じられていた
一般ユーザーからは東日本大震災時の民主党政権時の震災対策のひどさを指摘し、
「厚顔無恥な傲慢さだ・この非常時になんで喧嘩腰なの・公式アカウントとしてのセンス皆無」
と、いった批判が殺到したということを新聞は伝えていた
民進党は、「担当者の私見の入った不適切なツイートだった」と書き込みを削除した云々
公党の公式ホームページである、担当者の問題として知らぬ存ぜぬは無かろうというもの
秘書が、担当者がと云って逃げるような輩には、国家や日本を語る資格は無い

前の私のブログ記事で民進党の政調会長の山尾しおり議員の人品・見識の卑劣を取り上げた
>まま、山尾しおり議員レベルの連中では、何の知見も持ち合わせぬであろう<
やはり、そのまんまであった・・
2016.04.15 徴老制
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愛犬「ハナ」が道端の草叢を鼻先でゴソゴソするので見ると、「シャガ」の花が咲いていた

シャガ(著莪、胡蝶花)、アヤメ科、学名が(Iris japonica)とあるが日本原産ではないらしい
いわゆる「史前帰化植物」と云われるもので、弥生や縄文の時代に持ち込まれた植物
シャガは種子がなく、茎の繋がりで増えていくので人為が無ければ繁殖の飛び地は無い

以前に「番茶の振り茶」とか「縄文人の焼畑」とかいう記事を載せたが、関係する話だ
南方からと北方からの融合文化を創ったのが縄文人という証が「史前帰化植物」であろう
「史前帰化植物」の多くは照葉樹林・長江流域の稲や雑穀と一緒の持ち込まれたらしい
似た様なものにヒガンバナ(彼岸花)があり、人の生活圏の及んだところが繁殖地である
シャガや彼岸花がある山林に「茶の木」の自生が見られることが、以前の記事の要点だった

ところで、「保育園落ちた。日本死ね!!!」という匿名のツイッターが国会の話題になった
持ち込んだ民主党の山尾しおり議員(41)はトンデモ系のオナゴはんだったようだが・・
さて、今の日本人はどうなってしまったのか、保育園設置反対運動のことだ
神戸で七十代の男が保育園騒音で慰謝料請求をしたとかの話があったが、またゾロである
市川市で開園予定の私立保育園が近隣住民から反対されて建設を断念というニュース
東京都でも、保育園の開園が住民の反対運動で延期された云々の話が続いているという
その多くは老人だとか、昔から保育園は町中にあり山中ではなかったと老人は知っている
そして、少子化の及ぼす日本の将来と待機児童の問題も老人は重々に承知のハズ

東京都の調査では、保育園や公園などで遊ぶ子供の声への苦情が七割の区市町村に上るとか
この日本の社会は、子供を何処でどの様に育てるのが良いというのであろうか
ハッキリしていること、それは「老人の長生き」より優先すべきは「子育て」であるということ
そろそろ日本人も硬派に戻るべき時期が来たと私は思う、恥と矜持を心の芯にすべしである
徴兵制ならぬ徴老制が必要、七十越えたら週に二日は老人介護ならぬ幼児介護に強制従事
介護保険と老人延命治療費の半分は保育園予算に回すこと、そして老人の投票権の半減策
更に、園児の声や公園の子供も遊び声に文句を云う老人は町から処払いとする
先のモハメドアリはんのコメント、確かなご意見である、⇓ 

>民主的国家はギリギリまで国民に本音を伝えませんので、今が一番辛い時期、老層には「長生きを」と笑顔、若層には「産んでよ」と笑顔、どの方面にもイイ顔したい民主主義<

まま、山尾しおり議員レベルの連中では、何の知見も持ち合わせぬであろう
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裏山のキリシマツツジ(霧島躑躅)、見事な鮮紅色である

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今日は昼から雨、茶杓を削ることにした
小竹を割って荒削りをし、水に三日ほど浸けておき蝋燭の火で曲げる

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曲げた竹は水で冷やしてタコ糸で固定、乾いたら小刀で削る

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まま、出来上がりながら、竹が少々薄身であったので、重みに欠けた
先っぽを櫂先(かいさき)と呼び、夫々の流儀や人の好みが出るところである
我が流儀では茶杓を茶入れに掛けるため、先を斜めに切ることが多い
今日は雲ひとつ見当たらぬ好天気、昨夜はぐっすり眠れ爽快
秋篠川の岸辺に愛犬「ハナ」と散歩する

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スミレソウ(菫草)に囲まれたタンポポ(蒲公英)
殆んどが西洋タンポポになっている

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岸の畑脇にレンゲソウ(蓮華草)
昔、この時期の田圃は何処も一面のレンゲ畑であった

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途中の道にもスミレ草、どうも園芸種のスピンアウトのようだ

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スカンポ(イタドリ)の幼い草、やがて太く立派に育つであろう

同窓会前夜祭と次の日の学年同窓会の幹事役を終え一息つく
今回気付かされたことがあった、踏まれた足と踏んだ足の話である
想い出話とは、踏んだ者より踏まれた者の方が記憶を鮮明に残していた
まま、悲喜劇の交差である、そして女の子と云うか最早婆さん達
美しく老いた子、普通の婆さんになった子、少々期待が外れた子
皆それぞれ、春には岸辺に咲いた一輪の花だった・・、人生に乾杯
高校同窓会の前夜祭を楽しんだ昨晩、同級生二人が我が家に泊まった
もう奈良には戻る家も参る墓もなくなって、云わば奈良への来訪者然となった朋二人
私は、「奈良尽くし」で朋との再会を楽しんだ

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この日の為にとっておいた頂き物の「奈良の酒」を出す
うすにごり酒・篠峯、焼酎・紅葉と鹿、清酒・僧坊の酒、である

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ツマミを盛った奈良・赤膚焼の皿、塾生の祖父の作でシッカリ奈良
二時過ぎまで語り飲む、正に「朋遠方より来る有り、亦楽しからずや」

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ツマミは「大和のお菓子」のアラレ、かき餅である
アラレを奈良では「キリコ」、切り子餅と呼んだなぁ・・とか云いつつ、ぐい吞みを干す

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朝六時から我が茶囲い「朋庵」で茶粥の茶事
下地窓の朝顔釘には奈良・春日大社の素焼壺を掛け、「黄梅」を挿す

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さすがに奈良人の二人、大和米の茶粥文化を懐かしみ、「キリコ」を入れてお替りが続く
二人の伴侶は豊橋と石垣島、愛妻の献立に茶粥は無いとか
奈良漬けと紀州梅、それに大阪の潮吹き昆布を添えた
実はこの大和米、ある同級生の田圃の自作米であり、炭もまた違う同級生が焼いたもの

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これまた同級生の陶芸作家が焼いた茶碗で濃茶、薄茶器は後輩の南都塗師の作
濃茶では、「朋庵」を建ててくれた大工の中学同級生も加わる(私がアッシーを頼んでいた)
茶事を終えた後、四人でスーパー銭湯の天然温泉に行き、朝風呂の淋汗茶の湯を楽しむ
スッキリしてから、本日の学年同窓会会場へ大工の朋の車で送ってもらう

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露地送りは我が家の春日鹿、これが止めの「奈良尽くし」
まま、「朋庵」の名の面目躍如、と勝手に思う私が居た
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雨の一日が明けた秋篠川岸、土手道には薄紅の桜花びら絨毯

今日の産経朝刊一面の見出し・トップニュースが目に飛び込んだ
「セブン&アイ鈴木会長辞意」、「社長交代案・取締役会が否決」
中段の頭にある見出しには、大文字「世襲布石・人事批判根強く」、とあり
「ダイエー創業者の故中内功氏と並ぶ流通業界の”カリスマ経営者”」と書かれていた
私は、この記事に違和感を持った

中内氏と並ぶ流通業界の”カリスマ経営者”と云うのはヨーカ堂創業者・伊藤雅俊氏であろう
鈴木敏文氏は出版会社の凸版印刷の社員からヨーカ堂に転職したサラリーマンである
当時の伊藤社長に見出され、コンビニ店の導入チームのリーダーとして渡米、ノウハウを学ぶ
伊藤社長の絶対的な後ろ盾のより、セブンイレブンのチェーン展開を進めたというだけのこと
当時の雑誌に、伊藤社長が松下幸之助氏との対談で教示を得たという記事があった
伊藤が全国二千店展開構想を幸之助に話すと、幸之助はウチの店は二万店と云ったとか
伊藤は便利店を標傍しながら二千店規模では嘘話になると気付かされて汗顔の思いだったと云う

新聞にある「世襲布石」とは、鈴木が自分の息子をであって、伊藤の息子をではない
伊藤の長男はヨーカ堂の専務職であったが退社し、次男は影が薄いポストにあるとか
そして、鈴木は自分の息子を将来の社長にと云う既定路線を敷こうと現社長の解任を提案
さすがにそれには伊藤が反対、「物言う株主」たちも承諾せず、取締役会へと持ち込まれた
取締役十五人で、賛成七票・反対六票・白票二票で賛成が過半数に届かず提案は否決

目が見える人たちには、鈴木の今回の提案は彼の「お家乗っ取り」に写ったのは当然
サラリーマンとしてそれなりに実績を残し、経済連の副会長にまで上り詰めた鈴木である
「裸の王様」に陥り、株主はどうあれ取締役は我が意のままと思い取締会を開いたのであろう
が、取締役には伊藤の薫陶を受けていた者も多く、鈴木のお家乗っ取り・下剋上に反意を示した
今回の報道背景のこと、私にはそう見えるがどうであろう

所詮、創業オーナーとサラリーマン出世頭とでは頭(見識)と腹(胆識)の造りが違う
鈴木は、将来に禍根を残すとしてセブン&アイの会長兼最高経営責任者職の辞意を示したと云う
もう十分に禍根を残こした仕儀だと解する思考回路の無いところが、鈴木の脳ミソの限界を示す
鈴木は最後になって、「辞めたら責任が無くなる」というサラリーマン根性をさらした
サラリーマン出世頭社長の分際で、自分の息子を社長の座にと思い上がるのは正に愚の骨頂
創業オーナーであったダイエー中内氏の責任の取り方とは雲泥の差、比べること自体が失礼
新聞記者の見る目は深みに欠ける

http://houan7010.blog.fc2.com/blog-entry-106.html
大阪赤十字病院で定期検診、鶴橋の馴染みの焼肉屋で一杯ひっかけての帰路
大手銀行を定年退職した塾生が喫茶店を手掛けたとかで、瓢箪山駅で下車
生駒山麓のラグビーの聖地といわれる近鉄・東花園駅の一つ東の駅である

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降りたホームに楠木正成の長男・正行(まさつら)の墓があり、ビックリポン
裏を見ると施主は二代目中村鴈治郎と彫られていた、何であの人がと少々考える
正行が足利軍と対峙、衆寡敵せず弟の正時と刺し違えて自決した戦場は四條畷とか
が、最近の研究では四条畷市ではなく、瓢箪山の「四条・縄手」と云われている
因みに、瓢箪山という地名の多くは古墳、曰く前方後円墳の跡地に由来しているようだ

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瓢箪山駅の北側商店街、まだ生きているというか、シャッター通りではない
映画になった「三丁目の夕陽」の景色を彷彿、昭和の商店街の趣が残っていた
魚屋・八百屋・肉屋・菓子屋、看板や商品にも懐かしさを漂わすものがあった、

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その喫茶店は商店街を外れた静かな住宅街にあったので、これまたビックリポン
写真は店内の花飾り、凡そ「茶花」とは別感覚ではあるが、豪華な雰囲気を出している
二百坪ぐらいの敷地にあった旧家を壊し、芝生の庭を持つ瀟洒な洋風の喫茶店に
旧家の取り壊しでは、トラック三台分の古い木材を捨て、工事屋が惜しんだとか云う
今になると、あの木造旧家を利用した宿泊施設にした方が良かったかな、と塾生の弁
まま、店には四組のお客が入っていて、塾生は客応対に勤しんでいたので安堵する
店を出て角路を曲がった後で気付いたのは塾生の露地送り、答礼を失念したことを悔やむ
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我が家に届いた「電波柱時計」、前の「古時計」に比べると枠の質感も鳴る音感もイマイチ
ゼンマイでなく電池、時刻音はコピー、これで三万四千円、五万円で修理した方が良かったかも
「幸福感」は金銭で無いということがシミジミ(少し話が違うかな)

今日来日するウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領のこと
私は彼の「リオ会議スピーチ」なるものを聞き、「哲人政治」という言葉を思い浮かべた
学生時代にチョロっと耳にした古代ギリシャの哲学者・プラトンの云う哲人政治
>政治とは「正義」を実現することであり,善のイデアによって国民を導くことであるから,哲人が王となるか,あるいは王が哲人とならなければ,実現されない<

つまり、民主政治がその自浄力を失ったとき、衆愚政治と化す
そのため、独裁制により強大な権力を為政者に付与し、
意志決定を速やかに行うことで、強力な改革を行うことが民衆から待望されるようになる
だが、強力な指導力を持った為政者が善政を敷くとは限らず、
僭主が自らの欲望を満たすために統治者の地位を利用することも考えられる
それ故、哲学を学んだものに権力を与えることによって、
私心無き統治を行わせようとプラトンは考えた、とある
因みに、イデアとは「魂の目」、心眼で見られるものと云うらしい

プラトンの哲人政治の具現者はウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領であろう、彼は云う
「貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、欲深くいくら持っても満足しない人だ」
前軍事政権に何度も投獄されながらも、南米の小国ウルグアイの大統領になった
彼は給料の九割を慈善事業に寄付、外遊はエコノミークラス、郊外の質素な農家に住んだ
自家用車は中古のフォルクスワーゲン、街の食堂で庶民と一緒に昼食をとった
服装は常にノーネクタイサンダル履き、という公私に渡る清貧さを通した
彼を一躍有名にしたのは、「リオの演説」と呼ばれる彼の「リオ会議スピーチ」であった
彼の云う「幸福感」の政治哲学に私も感動を受けた、今の日本の国会答弁を恥ずかしく思う

動画記録
https://www.youtube.com/watch?v=jwbaoi6a4BU

全文記録
http://www.webdice.jp/dice/detail/3584/



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今日の花担当は陶工の塾生、我が身を思い挿したという「ボケ」
普通は棘を切り取って使うが、彼なら棘付も良しとした、細かい話はヨイヨイヨイ

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元証券マンの塾生が切った胴炭、茶筅と見比べれば形と大きさが分ろうというもの
「何を考えてんねん」と私は突き返した、この塾生の判断と言動は少々、否、極めて特徴的

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濃茶稽古は二人向かい合っての同時稽古とした、見合って・ハッキョイ・ノコッタ式稽古
向かい合わせ稽古は当流の海外支部で外人門下生がしていたを見て、真似をしてみた
互いに相手を意識してか、柄杓を付き合わすので、この際は柄杓を釜の口に掛ける形とする
吊り釜は雲龍釜、「ウンリュウ」という人が多いが、私は「ウンリョウガマ」と呼んでいる

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吊り釜の時は五徳型の蓋置を使うのが洒落だが、一人は形だけなので「邪鬼」の蓋置とした
奈良の興福寺や戒壇院の四天王像の足下で踏まれている「邪鬼」が有名処である
陶工の塾生が持って来てくれたものだが、ついつい私は「誰が邪鬼やねん」と
雲龍釜の摘(つまみ)は掻き立鐶(かきたてかん)、この扱いが今日の稽古のミソでもある

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薄茶の茶器は「老松・おいまつ」、写真を撮り忘れたので再度ポーズをとってもらう
やはり、誤魔化しは不自然、下にある茶碗が使用後のものになっている・・
「老松茶器」は平棗の蓋が中割れとなっているもの、蓋を開ける時に粗相が起こり易い
まあ、それにしても、茶の掬いようがイマイチ、ハッキリ云うと下手

吊り釜の時期は当流では一応四月としているが、流儀によっては三月にするところもある
ただ、当流には武家茶の鎖の間形式が根底にあり、吊り釜は年中使うものである

今日の稽古は、以上の他に茶杓づくりの説明と部材を配る
最後は、茶事の案内状・前礼・礼状の書き方を私が貰った茶信を参考にして説明
2016.04.02 古時計
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動かなくなった我が家の古時計、精工舎のゼンマイ巻き振り子時計である

ボン、ボーンと良い音色を出していたので直したいが、修理代は五万円掛るとか
そして、どれぐらい保つか保証は出来ないとノタマウので、買い替えることにした
この古時計は処分せず屋根裏に置いておくつもりだ、想い出の品として
実は「古時計」という名のこと、私には忘れ難い想い出になっている
↓ は、「遅れて来た京都フォーク」とも云える兄弟二人の歌、「ロードショウ」

https://www.youtube.com/watch?v=wZL6BRH4Ykw

>古時計は、1970年代後半に活躍した、日本のフォークデュオ。 デビュー曲「ロードショー」は60万枚を売上げ、爆発的な人気を得る。続くセカンドシングル「季節はずれの走馬燈」は、日本テレビ系ドラマ「ひまわりの道」の主題歌として、カップリング曲の「悲願橋」は挿入歌として使用された。<

「古時計」の兄弟二人は歌を止めてから、父親の量販店事業を継いでいた
父親のワンマン経営に陰りが出て、兄弟の兄が社長に弟が常務となる
父親が展開した店は「ミニ百貨店」といわれるもので、地方では役立った
しかし、車社会が商圏を拡げ、業態特化が進む中では中途半端なものとなる
兄弟二人は食品の大型スーパー業態を企図し、その展開に入ろうとした
彼等が参加するグループ本部や主力取引先の某企業と縁があった私に相談があった

お手伝いをすることになったある時、兄弟二人が私をカラオケに誘った
二人が曲名帳を見て店の人間に頼んだ曲が、この「ロードショウ」であった
マイクを持った二人はハモり出し、えらく上手に歌うので私はビックリポン
確かに聞いた曲ではあったが、二人は上手すぎるので感心していると、二人が明かした
何のことはない、その曲の歌手「古時計」が御本人達だったとは・・
実を云うと、私は「古時計」の名も「ロードショウ」という曲名もその時初めて知ったのだが

私が「古時計」を捨てずに置いておこうと思う気持ちの裏話、でした
2016.04.01
今し方、大阪の塾生から奥さんの御尊父の訃報を受けた、満で七十九歳とか
塾生の奥さんは仕事を持ちながらも、ずっと看病に就いておられた
塾生からは律儀にも、この三日の稽古は休みたい旨も伝えられたので、勿論と応える

合掌