2016.08.30 今はもう秋
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十日ほど前に撮った柿の木の写真、まだ青柿であった。
今年は秋の訪れが早くなりそうな気がして写していた。
予感的中、昨日の雨が止んで、今日は秋そのものの気配である。
涼しくなったというより空気が肌寒く地良い。
ふと思い起すのは、トワ・エ・モワ の名曲「誰もいない海」の初めの一節。

♪ 今は~もう~秋~ ♪

御同輩の読者のために、YOUTUBEを付けてみた。
それにしても、ええオッサンとオバはんになってござる・・
歌は昔からオバはんの方が上手かったが、今もそのようだ。

https://www.youtube.com/watch?v=0SUJPpVLq4c

(付け忘れのままであった、こちらもボケ老人になってござった)
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2016.08.27 和田貫水の軸
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春日絵所預(かすがえどころあずかり)・和田貫水(つらきよ)の軸が仕上がった。
この絵では清原姓を使っている、軸元の籠花入は「春日野」、洒落たつもり。

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恐らく、北西側の若草山越しに見た春日山が描かれていると思われる。
春日山とは、東側にある標高497メートルの花山(はなやま)、この絵では向う側の奥山、
その左手になる西隣の標高283メートルの御蓋山(三笠山・みかさやま)の通称である。
御蓋山を「(春日)前山」、花山を「(春日)奥山」と区別し、今は春日奥山遊歩道がある。
もし、中央部の山が春日前奥山全体を描いているなら、向うの山は高円山となろう。
因みに、春日大社の宮司は元侯爵・花山院(かさんのいん)家の当主である。

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面相筆で五㍉角ぐらいに、「春日畫所預清原貫水謹 寫」と書かれている。
見事というしかない、虫メガネで見て解る精緻な筆遣いである。
面相筆とは、日本画で眉や髪毛を描くために鼠毛で作られた極細筆のこと。
昔は米廻船に棲む船鼠の毛を使ったが廻船が無くなった後は琵琶湖の熊鼠。
その鼠取り師も居なくなった昨今では、猫の毛が使われているらしい。

昨日の産経新聞奈良版に春日大社本殿壁画の描き直しが記事に出ていた。
無論、この十一月の式年造替に向けた四十年ぶりの描き直しということである。
描き直しを行う春日画所は正統大和絵の伝統を今に守るところである。
和田貫水、その人は明治の春日画所預であった。
市中に出回ることが殆ど無いらしいこの人の絵を私の知人が見つけた。
知人は有楽流茶人の南都塗師、仕事柄古美術商に出入りすることが多い。
古書古絵画の店でこの絵を見つけたと云って持って来てくれた。
それを代々寺社仏閣の表具を扱っている知人に表装を頼んでいた。
梅雨時期は避け、盆明け仕事と云っていたのを昨日届けてくれた。
軸を見に来た南都塗師は絵の費用を取らず、「プレゼントです」とか云う。
この秋に彼の展示会が開催されるので、この軸を掛けて添え釜をする所存。
前のブログ記事にコメントが寄せられ、下の様な情報サイトの紹介があった。
題名は、「欧米に寝たきり老人はいない」・・、である。

https://www.youtube.com/watch?v=CY9KIEX_bOM
2016.08.26 老人革命
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装甲車前の全学連委員長・唐牛健太郎、所謂「60年安保」。

唐牛は全学連活動から身を引いた後、居酒屋や労務者・漁師をして四十七歳で死去。
以下は彼のことを評した言葉である。
>唐牛は「輝ける全学連委員長」として60年安保闘争の頂点に立った。アジテーターとして傑出した才能を発揮し、強烈な個性と卓越した指導力で異彩を放った。そのカリスマ性も、肩書きを遙かに越えるキャラクターと実力を兼備していた。「ゼンガクレン」「赤いカミナリ族」の異名とともに、外電にも載って全世界を駆けめぐった。<

一介の労務者である唐牛の訃報は新聞雑誌で大きく扱われ、上記の様な言葉が多く寄せられた。
唐牛は晩年(?)に徳洲会の創設者・徳田虎雄と知り合い、医療活動の高貴さに感銘したとか。
若くして類稀な組織指導者の能力を発揮、多くの仲間が世に出る中で彼は労務者生活をした。

一昨日、同級生三人で囲碁の巴戦を楽しんだ。(私は連敗、技量不足を痛感させられ涙)
人生の黄昏期を迎えた者同士、碁を打ちながらボソボソと語り合っていた。
一人は民生委員として、介護施設の実態の話、身内でも出来ずらい現場の仕事を語った。
彼曰く、飲み食いだけでなく、下の世話や風呂・便所、涎や鼻汁の始末は大変なものとか。
三人共、やがて自分達も行く道ながら、日本の将来と老人延命治療の是非を論じ合った。
三人の合意したのは、我々世代が「死ぬ権利・死ねる権利」の主張をすべしということ。

しかし、老人は理屈で理解をしても、我が身となれは死にたくないもの
老人には投票率は高い上、その人口比率も四分の一を超えるという政治的優位がある。
日本の将来を鑑み、現状を何とかするには、革命に等しい政治の力が必要だろうとか云々。
その革命は、老人となった全学連や全共闘世代が日本の将来を見据えて主張すべし。
それは、老人の老人による「死ぬ権利・死ねる権利」の主張である。
それが子供達、孫世代には確実に訪れるであろう日本国の窮状を救える唯一の道であろう。
その声を上げ、我々老人世代の世論を引っ張るリーダーが待望されるとか話が続いた。

私には、全学連初代委員長の唐牛健太郎のことが頭に浮かび上がっていた。
卓越したリーダーシップとその生き様、そして医療への理解をした男としてである。
当時の学生運動は、それなりに本気であり、日本の将来を案じ日本を変えようとしていた。
あの学生運動の中の半端者が、半端学生集団「シールズ」と一緒になってデモっていた。
彼等の曰く、「何か郷愁を感じて、楽しいものですから・・」、私は呟く「アホか、お前ら」。
この半端者達、私には純真であったあの学生運動を冒涜し貶めている連中に見えた。
こんなことを思いながら碁を打っているとポカをする、と敗因を唐牛はんの所為にする。
2016.08.24 プロの技
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散歩道でランタナが実を付けていた、和名はシチヘンゲ(七変化)、熱帯アメリカ原産。
夏口から秋まで花が咲く、国際自然保護連合は「世界の侵略的外来種ワースト100」に指定。
とは云え、花言葉が「確かな計画・協力」とあり、何とも日本人に向いた言葉である。

まま、「不確かな計画」と「非協力」の誹りを受けたブラジル・リオ五輪も閉幕。
マスコミ報道も落ち着き、眠れる夜に戻り、夜は平穏を取り戻した。
さてである、マスコミ報道の中で、あるコメンテーターが話したリオ五輪の感想に納得。
その御仁曰く、「今回の五輪は、久しぶりにプロの技に魅せらえた大会だった云々。」
アマチュアリズムの原点であるオリンピック競技でに「プロの技」とは面白い表現である。
入賞選手の技とそこに至るまでの鍛練は、プロというか磨かれた職人芸とも云えた。
日本の体操然り、陸上四百リレー然り、競泳八百リレー然り、女子バトミントン複合然り。

私は個々人の技もプロの職人芸と感服するが、団体戦での日本人戦技を大いに評価する。
九秒台走者が居ない日本チームの三走・桐生が一番でケンブリッジにバトンを渡した。
まま、ケンブリッジの父親はジャマイカではあるが、ボルトに抜かれるまで一位を走った。
あの短距離常勝軍団・米国短距離チームに先行したのは団体戦の勝利だと、私も興奮。
桐生はバトンを渡した後、ケンブリッジへ「そりゃ、うりゃ、ヘチマ、ハチマ」とか何とか。
桐生が手を突き上げて、修羅面で雄叫ぶ姿は他国の選手には観られないものであった。

五輪競技の「プロに技」に比し、日本のマスコミ報道の稚拙なレベルには辟易した。
「前畑ガンバレ」を継承しているつもりでいるのか、喚き叫んでいるだけの実況報道。
お涙頂戴質問や大袈裟な興奮しぐさを示すだけの軽薄さが目立つ報道者たち。
番組の中でキャスター同士の「ため言葉」や「チャン付け会話」には鼻白むことが多かった。
旅費と手当もそれなりに貰い、有名フリーキャスターなんぞは高額のギャラとか。
「自分が楽しみたい」とかいう選手も居たが、マスコミ報道人が楽しむための大会ではない。
ことほど左様に、日本の新聞テレビ、マスコミ関係者のプロ意識の欠如は目に余る限り。
「プロの技」と称した御仁には、マスコミ界の「プロ意識欠如」を問題視され度思う。
2016.08.22 花の養生
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片口水差の口を客側に向けて置き、水指の蓋にした羊歯(シダ)の葉を口に挿した。

昨日の稽古は、葉蓋の水差に馬盥(まだらい)茶碗で晒し茶巾の点前をした。
葉蓋は裏流の十四代家元・玄々斎が考案したものと云われている。
幕末から明治を生きた玄々斎は、異人を対象に立礼作法の茶も考案した知恵人。
晒し茶巾の点前は大ぶりの平茶碗に水を張って茶巾を晒した状態で持ち出す点前。
掛ける茶杓も大ぶりなもの、瀬田掃部(かもん)が琵琶湖と瀬田の大橋をイメージした考案。
瀬田掃部の師である千利休は、この掃部の頓智に感心した云々。他流では洗い茶巾とか。

稽古では先に濃茶点前をして片口水指を使ったので持ち帰り、葉蓋にして持ち出した。
晒し茶巾の茶碗は両手扱いが常だが、水指を持ち出した後なので茶器と共に持知ち出す。
女点前なら置き水指で茶器も飾って置き、水の張った平茶碗の持ち出しは両手扱いが無難。
まま、朋庵塾は男点前故、重ね茶碗同様に茶碗と茶器と共に持ち出す形とした。
葉蓋も晒し茶碗も盛夏の時季に相応しいもの、軸も宗家揮毫の「涼風入朋庵」を掛けた

稽古途中になると葉蓋に使った羊歯の葉が萎れ出し、裏側に向けてくびれだした。
それを見て、花に造詣が深い塾生の曰く「花養生をすると良い」云々。
その塾生の話を聞くと、切り花の水揚げ技術と同様に葉への霧吹きも大切だとか。
その霧吹きは、葉の表面だけでなく裏面にもタップリ吹き掛けることを忘れずに・・とのこと。
私は「花養生、花養い」という言葉を初めて聞き、ええ言葉だと感じ入った。
そう云えば、その塾生は医者なので「養生」と云う言葉が出たのかと、妙に納得。

この日の床の花入には、辛夷(こぶし)の実と狗尾草(えのころぐさ)を入れた。
実は、朝稽古だったので早めにと酔芙蓉(すいふよう)の蕾を入れたのは朝五時。
それが八時前には満開、やむなく近所で目をつけていた辛夷の木の元へ。
そして、人知れずその実を一枝頂戴して挿し替えた。
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メダカ飼育用にしていた火鉢、水と水草を棄てて石・レンガ・瓦も日干しにした。
鉢の水を飲用にしている愛犬「ハナ」のために、バケツに水を入れて横へ置いた。

毎朝メダカ鉢にエサを撒くと、水面に六・七匹のメダカが姿を現し泳ぎ回っていた。
猛暑日が続くのでメダカも暑かろうと思い、水道からホースを伸ばしてチョロ水を入れていた。
ところがメダカの姿が減り出し、遂に出て来なくなったのである。
ある人の曰く、「水道の水をそのまま入れると、カルキがあって良くない」とか云々。
メダカが死ぬと水面へ死骸が浮かんで来るが、ここしばらく死骸は見当たらない。
私は水草を除け水中を捜査した、そこで目にしたのは体長二寸(6㌢)程の蛭(ヒル)。
ユラリと泳いでいなさるので、ゴミバサミで掴み出そうとしたが蛭は逃げて隠れた。
鉢のメダカは、この蛭に捕食されてしまったのであろう。
恐らく、地面を這わして伸ばしたホースに沿って蛭は鉢へ入って来たものと憶測。

私は子供の頃に田圃や池に入って遊んでいると、よく体に蛭を付けて出て来た。
父親がそれを見つけては、煙草の火を当てると蛭はポトリと落ちたもの。
蛭が付いていた箇所から血が流れ、気色が悪くなった記憶が蘇った。
昔の我が家では蛭を瓶に入れて飼っており、親は蛭を肩に付けて血を吸わせていた。
その場面を想い出し、気になったので蛭の正体を調べてみたら、次の様にあった。

環形動物門ヒル綱に属する生物で小動物を捕食する肉食性、とあった。
ヒル(蛭)の学名「hirudo」は、ラテン語で「治療用の吸血性の虫」=すなわちヒルである。
それは医者という語意があり、英語名リーチ(Leech)も医者の意味である。
その語源が示すように、ヒルは古くから治療の現場で用いられてきた証であるとか云々。
昔、我の実家では漢方薬と一緒にヒル瓶があったことを、私は納得したのであった。

蛇よりもなおオゾマシキものとして、皆から嫌われる存在の蛭が医者とは、私はニンマリ。
糖尿患者の私に対し、酒や饅頭を送って来る二人の内科医の顔を思い浮かべた。
ところがである、日本語の蛭はヒルドに由来するのではありませんとも書いてあった。
日本語の蛭(ひる)の語源は、咬まれるとヒリヒリするからだという安直なもの。
植物の蒜(ひる)も同じ語源で、刺激が強いので食べるとヒリヒリするからだとか。
蛭に咬まれてもヒリヒリはしないと体感している私は、ここまで調べて腰が折れた。
最近はオリンピックの放映時間の影響で、朝や夜、そしてヒルの感覚がなくなった・・
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この日曜日の稽古は床に「般若心経」を掛け、華瓶に菊・竜胆・樒(しきび)を入れた。
仏教の宗派によっては華瓶(けびょう)と花瓶(かびん)を使い分けと聞く。
華瓶には水と樒や槇だけで、花瓶には色花を入れるということらしい。
私は宗教に暗い故、手軽に一瓶で済ませることにしたが罰(ばち)はなかろう。
まま、私の人生、生まれて来たこと自体が罰当たりと思える。

塾生には神職者と僧籍者の方も来ており、この日は面白い話を聞いた。
実は、私の縁戚に春日大社の神官家系でありながら、仏壇屋をしている家がある。
そこの者が云うには、般若心経は神仏双方で唱えられる代物だとか。
神職塾生が云うには、神官は決して仏典である般若心経を唱えることはしないとか。
然し、神前に般若心経を唱える方を拒むことはしないということであった。
僧籍塾生が云うには、神前で唱えるのは般若心経に限られているようだとか。
仏も八百神の一つとして神仏合体された後、般若心経で折り合いを付けたのだろう。
この日は、盆点前と洒落ようかとも思ったが、皆の顰蹙を買いそうなので止めた。

十五日のテレビ、BSやCATVでは特攻隊の作品が二・三本放映されていた。
NHKでは真珠湾攻撃に出撃し、あの「トラ・トラ・トラ」を打電した人の話があった。
奈良・田原本の御仁で、戦後はキリスト教伝道者として米国へ懺悔に渡った有名人。
まま、人生の機微というか、生き様とはその人にしか真相は分らないものである。
戦後を派手に生きた人も、戦後を地味に生きた人も夫々居る。
産経抄で紹介されていた、戦後を地味に生きた人の話は、胸に迫るものがあった。

四年前に亡くなった母親の遺品の中から、父親からの軍事郵便が見つかったとか。
母親のお腹の中に子供(投稿者)を宿したまま、父親は出陣し戦死したと云う。
父親からの郵便には、赤ん坊を気遣う記述とともに、不可解な一行があった。
「父母の先、ツケ木の先です」、ツケ木とは先に硫黄を付けた木片のことだとか。
映画名ともなった、あの「硫黄島からの手紙」の一通だったということだ。
死を覚悟し、自分の所在地をなんとか家族に知らせようとした父君の心情。
母君は子供を育てながら戦後を生き抜き、この軍事郵便を大切にして残した。
私の目は潤んだ、・・敗戦責任は重い。
2016.08.14 賞味期限
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ご近所の花虎の尾(角虎の尾)、しそ科、北米バージニア州原産、 大正時代に渡来。

二百㍍背泳で八位に終わった入江陵介選手二十六歳の台詞、意味深い。
「正直、自分は賞味期限が切れた人間なのかなと思ったりした」と振り返った。
入江は四百㍍混泳日本チームのメンバーとしての出場を控えて言葉を続けた。
「賞味期限が切れていても、消費期限は切れてないという気持ちで日本チームで戦いたい」。
入江の言葉は万感に値する。賞味期限と消費期限の話は全く的を射た話である。

私は食品流通業に従事し、食品販売の現場事情に色々思い遣ったものだ。
厚生省の食品衛生法や農林省のJAS法が施行されて、その功罪が出た。
消費者の安心材料として、購買判定の基準となったことは「功」であろう。
然し、まだ充分に食せる商品が売れずに廃棄処分される「罪」も作った。
日本の食品生産量約8400万㌧、廃棄量約1700万㌧で中800万㌧が可食部分。
莫大な「食品ロス」を発生させている。地球規模で見ると「大罪」であろう。

【消費期限】の説明文
・開封していない状態で、なおかつ表示されている方法により保存した場合において、食べても安全な期限を示しています。
・期限を過ぎたら、食べない方がよい

【賞味期限】の説明文
・開封していない状態で、なおかつ表示されている方法により保存した場合において、おいしく食べられる期限を示しています。
・期限を過ぎても、すぐ食べられないということではない。

入江選手の話で、私はある会社の専務と常務を思い浮かべ、メールを送った。
「賞味期限が切れている御二人には、入江選手の話を噛み締めてもらいたい、御自分を廃棄にするか可食にするかです」。
まま、斯く云う私は既に腐臭を放つ廃棄処分品として、ゴミ箱の奥に籠った身ではあるが・・
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最近、道端に蝉の死骸を見掛けることが多くなった。
幼虫で十年ほど地中で暮らし、成虫として地上へ現れ一か月程度で死を迎える。
思うに、子孫を残すための繁殖期の姿を「成虫」と云うだけでのことであろう。
蝉の一生とは地中で暮らす「幼虫」期で死期が繁殖期とは、何か輪廻を考えさせる。

今日の一面大見出しは、「内村、体操個人総合で金」であった。
まま、一面大見出しが連日続いている昨今である。
斯く云う私は、オリンピック報道の合間に仮眠という今日この頃。
面白い話があった、個人総合二位のウクライナのオレグ・ベルニャエフ選手の話である。
内村に対し、海外メディアが「あなたは審判に好かれているんじゃないですか?」と質問。
内村は淡々と「まったくそんなことは思ってない。みなさん公平にジャッジをしてもらっている」と答えた。
この質問に怒ったのが誰あろう、ベルニャエフその人だった。
「審判も個人のフィーリングは持っているだろうが、スコアに対してはフェアで神聖なもの。
航平さんはキャリアの中でいつも高い得点をとっている。それは無駄な質問だ」と言い放った。

私は、ベルニャエフの「神聖」という言葉にオリンピック・スポーツの何たるかを見た。
前にも書いたが、古代のスポーツは強く美しい肉体で神を表現することから生まれたもの、
1948年のロンドンオリンピックまでは芸術競技があり、意外な日本選手の競技参加があった。
藤田隆治 と鈴木朱雀が絵画で銅メダル、江文也が音楽で 四位入選、山田耕作が選外等である。
神を称え表現するスポーツの原点たる芸術競技が廃止されたのは、採点の恣意的な判定だとか。
故に、ベルニャエフの話はオリンピック・スポーツの原点を思い起こさせる話である。
そう云う意味では、フィギュアスケート、シンクロナイズドスイミング等も似た話になる。
そこで私が思ったの「茶の湯」のこと、「茶の湯」は古代オリンピック競技と云えるのである。

「茶の湯」は元々、神仏への呈茶(ていちゃ)を原点に始まったものと云われている。
神前を献茶(けんちゃ),仏前を供茶(くうちや)というのがそれである。
神仏や高貴な人へ呈茶した後に、皆で拝服するのが「茶の湯」になったということである。
ではである、競技であれば優劣の判定が為されるのが必定、その採点基準も決められる。
その判定制度が家元制度であり、その採点基準が許免状ということになるのであろうか・・
眠気まなこで、オリンピック・スポーツの原点と茶の湯の原点が同じであることを発見。
今年のノーベル賞候補になるかも・・
2016.08.12 水引草に風
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水引草、立秋が近づくと草叢から風に揺れる姿を見せる、タデ科。
水引草を(みずひきそう)と読むか、或いは(みずひきくさ)と読むか、さて。

夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
水引草(みづひきさう)に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへつた午(ひる)さがりの林道を
(立原道造)。
あるかなきか 茂みのなかにかくれつつ 水引草(みづひきぐさ)は 紅(べに)の花もつ
(九条武子)。

陛下の一面大見出しニュース同様に、一昨日は男子体操団体が一面大写真であった。
私もその前夜から朝にかけて何度も体操競技を見たが、一面の大写真にはビックリ。
テレビでは選手の母親達が同じ日の丸鉢巻をして、団体行動をしていたのには莞爾。
コナミ本社でテレビ観戦している中には、内村航平選手の愛妻と娘が写されていた。
内村選手が戻って来たらどう迎えるか、というインタビューへの愛妻の答え方に納得。
「・・してあげたい」と云ってから、「・・してもらいたい」と言葉を変えた。
その時の彼女の姿に日本婦人の楚々した品位を感じた。
今回のリオ・オリンピックの水引きならぬ幕引きは、内村選手の「国民栄誉賞」であろう。

カタカナ名の柔道日本代表選手が、取った金メダルを口に入れ噛んで喜んでいた。
テレビで見た彼の七十四歳という日本人祖母、茶髪の三つ編み・青目元にはビックリ。
内村選手は金メダルを「ずっしりと重い」と表現しながら大事そうに指でさすっていた。
2016.08.10 退位と譲位
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我が家の高砂百合、初代は四年目で年々成長し今や二間(3,8㍍)近くある。
その下が子株、ホースの上が孫株、株の大きさを実感できるようにホースを置いた。
巨大百合一家として近所で知られ、付近の庭にも孫らしきものが生えて来ている。

親株の寿命が尽きた時、子株がそれなりの大きさになって後を継ぐというのであろうか。
昨日の産経・読売・朝日・毎日の全国紙一面見出しは「生前退位」の共通文言であった。
私は、陛下の御言葉前文に目を通して、妙な気というか何かおかしいことに気付いた。
陛下の御言葉の中には「退位」という言葉は一言も入っていないのである。
もし、陛下が云われるなら正しくは「譲位」であって、「退位」ではなかろうに・・変である。
各紙一斉に「生前退位」を使ったのは何故だろう、一紙も「譲位」と書かなかったのは何故か。
どうも、あのNHKが先に「生前退位」という文言を使って流布させたキライがある。

「譲位」書けば、そのまま「生前」であり、「生前譲位」と云う言葉は無い。
わざわざ「生前退位」としているところに、私はあらぬことを感じ取ってしまうのである。
「譲位」は位を譲ること、「退位」は位を退くことである、この意味の違いは大きい。
「譲位」なら帝位を皇太子に譲ることで、皇太子は「受禅」して即位することになる。
「退位」とは位から退くことであって、その位そのものも明確でなくなるということ。
帝位から退位することは帝位が無くなることも有り得るし、後継者も定かではない。
つまり、天皇という位も男系皇統の在り様も、全てご破算有りという話になる。
そして、次の様な気になる御言葉がある。

皇后や皇太子を初めとする皇族を「家族」と云われたこと。
天皇の位の役割りを「機能」という言葉を使われたこと。
末尾に「ここに私の気持ち・・」、つまり、私「個人」の、という表現をされたこと。

私は天皇を「位」であって機能ではなく、
天皇は個人の戸籍がない「日本」そのものと思っている。
「お可哀そう」「御気の毒」というのはミーハー風潮づくりである、慎むべし。
今回の天皇の「生前退位」の御言葉報道、何か解せない思いを私は持つ
あるアメリカ婦人を思い浮かべるのは私だけではなかろう。




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辛夷(こぶし)の実、最近開業した訪問専門の診療所の玄関先で見た。
でこぼこ状の集合果で、形が子供の「握りこぶし」に似ていることに因むとか。

昨日の深夜から今朝にかけて「こぶし」を握った。
男子四百混泳で、萩原が逃げ切り金、瀬戸が三位。
萩原は満面の笑顔であり、瀬戸には口惜しさが滲む。
柔道は男子60㌔で高藤、女子48㌔で近藤が共に銅で口惜しさを滲ました。
今回の柔道は少々変わったというか、相撲の様な組手や技が見掛けられた。
居反り(いぞり)や帯を持って投げる下手投げ、切り返し等の技である
女子48㌔重量上げの三宅は銅、笑顔で手を上げた。。

嬉しいことは、メダルに歯をあてて噛む仕種をしないことである。
それと、「自分を褒めたい」とか「自分が楽しみたい」とか、こまっしゃくれた言葉が無い。
十年前頃は、自分自身が優先という言動をこれ見よがしにする選手が多く居た。
今回は、メダルを自分の先生に掛けたいとか、支えてくれた人達にとかの言葉であった。
この二・三年、自民党支持層が最も多のは十代・二十代の若者層だと聞く。
憲法改正や安保法(平和ボケ者の云う戦争法)を支持する割合も若者層が一番多い。

昔、社会党の結党式で浅沼稲次郎委員長は演壇に立ち、「天皇陛下万歳」を叫んだ。
その浅沼は、十七歳の愛国党員・山口 二矢( おとや)刺殺された、悲しい出来事である。
どちらが左翼思想でどちらが右翼思想だったのか、共に日本を愛する者同士であった。
今のアラセブンティに多い反日思想から、若者達は愛国思想に移り変わってきた。
敗戦から七十一年、戦後の思想呪縛を解く世代が現れて来たようで嬉しくなった。
漸く、「大日本帝国共産党」の正論が受け入れられる時代が訪れて来たようだ。
ついつい、こぶしを握り、じっと手を見る次第、そこには老いのシミが出ていた・・


2016.08.06 磨き文化
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正木山合砥、京都北部の高雄地域で産出される天然の仕上げ砥石。

剣道をしていた上田流の古い茶友が広島の呉で禅道場を開いている。
刀工を招いて日本刀の講演会をするというので、私も出掛けて行ったことがある。
刃物と日本文化という興味深い話を聞き、私と同い歳というその刀工の打った一振りを求めた。
送られて来た日本刀には砥石が同梱されていた、その砥石が写真のものである。
私も刺身包丁や出刃包丁を研ぐことがあり、砥石の基礎知識は多少なり知っていた。

前にも書いたが、「砥石」そのものが日本の特産であり、大陸には産出しないこと。
石器時代の旧新を分ける目安が磨製石器で、その最古のものが日本で出土していること。
砥石を用いて日本では高度な研ぎの技術が生まれ、硬度の高い刃物を製作したこと。
日本刀が武士の時代をつくり、鋭利な刃物が優れた工芸技術を育んだこと。
その刃物文化の中で生まれて来たものに「磨きをかける」という言葉があること。
砥石は荒砥(あらと)、中砥(なかと)、仕上げ砥(しあげと)の三種に大別される。

実は、茶の稽古と砥石の話の関係づけが今回の主旨である。
昨日のこと、居合いをしている上田流の茶友と長電話になった。
稽古の在り様は、当初から指先手先の細かい所作を教えて行くやり方もある。
それと最初はザックリと全体の流れを教え、徐々に部分を磨くやり方もある。
居合いをしている茶友は、刀の研ぎに例えて話をしたのが腑に落ちて面白かった。
つまり、稽古も荒砥、中砥、仕上げ砥の使い分けがあって良いではないかと語る。
もとより私も合同感をするところで、茶友の話は納得であった。

然しである、このことは、当初から仕上げ砥で磨くものがあるとは私の云い分。
それは、心構えとか根性の置き方というもの、ここには荒砥で「先ずはザックリ」はない。
身体の所作には砥石の使い分け稽古があっても、心の稽古に砥石の使い分けは不要。
剣道もそうだが、日本文化の稽古とはそういう点では共通だ、と云うと茶友は納得。
日本の磨製土器は三万年前のもの、日本の磨き文化は年季が入って磨きもかかっている。
その茶友とは、今度また一度飲みながらユックリ話そうと云って電話を終えた。

「研ぎ澄まされた」と云う言葉、日本人にしか解らない言葉だろう、当流の茶室の中にはある。
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明日は父親の命日、菊を手向ける、青く見えるが紅菊

四十年来の友人からコメントが来た、ウナギと梅干の喰い合わせの様子窺いである。
ウナギを用意していたが焼肉パーティになり、ウナギは冷蔵庫行き(翌々日の朝飯)。
ということで、残念ながら友人に食い合わせの結果報告が出来なかったのだが、
ふと思い出したこと、それは友人が誇り高き九州男児だということである。
舛添はん・鳥越はんと続けて九州男児の名を貶めた昨今、友人も辛かろう。
友人の名誉のために、菊兵団のことを取り上げておきたい。

戦争経験者たちには、次の様な四方山話があった。
「九州男児や江戸ッ子たちは喧嘩早いから攻めるのが強かった。
しかし、守りは下手。
東北の兵は粘り強く守りが上手いが、攻めはイマイチ。
近畿圏の者たちは弱かった。
ヘタレの大阪はケンカを怖がり後方勤務向き。」

「またも負けたか八連隊(大阪)」という言い伝えもあり、我々畿内人には屈辱的である。
特に、久留米で編成された十八師団、別名「菊兵団」の強さは内外にその名を知られた。
私が今も感動をもって聞くのは昭和十九年のビルマと雲南の境、拉孟・騰越の戦いである。
拉孟へは米軍兵器で武装の支那軍48000が包囲攻撃、菊兵団・拉孟守備隊は1300
約百日の戦いで守備隊1300名は全滅・玉砕、支那軍損害、戦死4000 負傷3774。
戦場に居た朝鮮人婦女5名を投降させた後、日本人婦女15名は兵士と運命を共にする。

菊兵団2800が守備する騰越へは支那軍 49600が包囲攻撃。
守備隊は二か月間戦い続けるが、衆寡敵せず全滅・玉砕する。
攻撃側の支那軍損害は戦死9168 負傷10200 。
この拉孟・騰越の戦い、支那軍最高司令官の蒋介石が自軍へ伝文「ビルマの日本軍を範とせよ」
これは世に「逆感状」と云われ、九州・菊兵団の強さを世界に知らしめた。
ことほど左様に、九州男児の名声は世界が認めるところ、舛添はん・鳥越はんは例外の仇花

ところである、増田はんが「私は東京生まれのと京育ち」、私は初めて知った(^^)。
そう云えば、青島はんが最後の江戸者知事、石原はんは神戸、猪瀬はんは信州であった。
小池はんは芦屋マダム、オリンピック相となった丸川はんは神戸娘・・
芦屋と神戸は揉めますぞ。。確実に
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冷えた芋茶粥と鮎の塩焼き、鮎の器は青竹、竹箸のついでに作ったもの。
五寸(十五㌢)程度の鮎を用意するつもりであったが、七寸(二十一㌢)あり窮屈な盛り付け。
元来、茶事の料理は残すとこが無いようにするため、骨ごと食べられる小柄な鮎を使う。
仕方ないので骨入れも用意して、愛犬「ハナ」器とした。

昨日は朝茶事の稽古であった。
朝茶事は夏の定番茶事、六時(明け六つ)頃から始めて九時過ぎには終える。
涼しい中に早く済ますため、通常茶事の二刻(四時間)を一刻半(三時間)位とする。
稽古は七時半集合とし、早朝準備のため亭主・半東役の塾生は前日から泊まり込む。
前日に、数寄屋と腰掛待合それに放水洗浄機での階段掃除を済ませた頃日暮れとなる。
「明日は五時起きで茶事の準備」と申し合わせ、スーパー銭湯へ汗を流しに行った。
二人の塾生は日本酒とウィスキーを持参して来たので銭湯帰りに肉とタレ、氷を購入。
その夜は完全に焼肉パーティモードになり、女房殿がカラオケマイクを取り出す。
恐らく、就眠時間は午前様をとっくに過ぎていたと思われる・・・。
朝七時に他の塾生の来訪気配で、我々は慌てて起き出すという大失態をしでかした。
それから客役の塾生たちも一緒になっての朝茶事準備となった。
漸く茶事が始まったのが九時半、終わったのが一時、皆は汗だくとなり冷えたスイカで一息。
反省事項・・「朝茶事前夜の酒宴は、是を巌に慎むべし」