2016.10.31 茶会終了
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清酒春鹿で知られる奈良の造リ酒屋・今西酒造の奈良漬け。
今回の茶会場所は重要文化財・今西家書院と紹介したが今西家の本業は造り酒屋。
茶会の水屋見舞いに頂いたのが写真の奈良漬けである。
奈良漬けというのは、奈良の漬物と云う意味ではなく、酒粕に漬けた漬物というもの。
清酒発祥の地が奈良であったため、清酒のことを奈良と云った名残である。

土曜日曜の二連続・四日間に亘る添え釜を終えた。
四十六席で約二百人のお客さん、一席三人から五人程度の茶会であった。
一席に何十人の客を入れる「大寄せ茶会」が好きになれない私には今回は好い茶会。
お客略一人づつに声を掛けさせてもらったが、気に入らない人は無視をさせてもらった・・
まま、卒塾者・塾生はそれなりに点前と半東そして水屋仕事をこなして終えた。
何よりのことは、奥方衆の裏方支援、これ無くしては成立しなかったろうと感謝。
今日明日は黙々と後片付けに精を出そう、
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猿沢池の中岩に鷺が突っ立っていた。口ばしが黄色いので中鷺(チュウサギ)だろう。
水面に浮かび上がる餌を狙っているようだが、亀と鯉が相手では歯が立たないようだ。
まま、鷺に歯があるとは思えないが、微動だにせず水面を見つめていた。

今西家書院の「百碗百杓展」の添え釜はこの土日曜が後半である。
主催者の山本さんが南都塗師ということで来客は工芸家仲間が多かった。
作家という作り手だけでなく、それを支える「仕事人」という作り手の存在も知った。
例えば筆師、奈良は墨と筆の産地として知られるが、殆どの人は習字の筆を思う。
然し、書に限らず絵画や塗芸・表具・陶芸・染色・金属工芸に至るまで筆・刷毛を使う。
良い筆を手に入れる、ないしは良い筆を作らせることも、作家の腕とも云われる。
年配の筆師が私に云ったこと、「筆師は作家によって育てられまんねん」。
「ここをこうしてくれ、あれよりこっちの方が使い良い、これはアカン云々」。
「使い手と話し合いを重ねて勉強し、使い手が気に入る物を作るのがワシらの仕事や」。
成るほどに、職人と云うか仕事人の言葉であると私は思った。
「駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」、日本の工芸技術の奥深さである。
奈良は日本の伝統工芸の源の地であり、その息吹が今に伝わっていることを実感。
私にとって有意義な添え釜になったと主催者・山本さんに感謝する次第。

さて、添え釜のこと。
表の茶席に出る男性陣を支える奥方衆の水屋応援はシッカリ形が出来た。
仕事で今日は参加出来ない御主人はさて置き、その人の奥方は参加下さった。
つい、「おおきにです、旦那はんの参加より頼りになる」と私は口がすべった。
ともあれ明日一日、秋風の流れる書院と庭園の中で茶立て三昧、至福。
「百碗百杓展」に屯して一週間、書院が重要文化財という意味合いが見えて来た。
建物は全体が上段の間・中段の間・下段の間と分かれて段差があり、其々に入口と出口が付く。
歴然とした身分制度を示す建築様式で、上段が高貴人、中段は下級武士、下段が駕籠かき人足。
上段の壁は「貼り壁」、中塗り壁に和紙を何枚も貼り重ねたもの、私は初めて知った壁である。
他に気付いた面白いものを写真に撮ったので掲載する。

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猫間(子持ち)障子、建具幅を横に片引きする様式になっている。
敷居一つに二枚の障子がL字型にはまっているもの、びっくりした。
向こうの敷居は普通の二本筋の両引きなので違いが分かる。
障子の桟は面取りがされていて、それを「猿ほほ」つまり猿の頬の角度とか。
私は飛騨高山の名物人形に「猿ボボ」というのがあるのを思い起した。
因みに、似た人形がこの奈良町界隈の家先にぶら下っており「身代わり猿」という。

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蔀戸(しとみど)、上下二枚に分けられた蔀戸で、半蔀(はんしとみ)といわれるもの。
上部は撥ね上げ、下部は濡れ縁に立て掛けている。
因みに、この濡れ縁は柿渋を施して手入れをしているとかで、肌触りが手にシックリくる。

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多羅葉(たらよう) 、多羅の木が書院のねき(脇)に植わっていた。さすが書院。
この裏面を傷つけるとその部分が黒くなり、文字を書くことができる。
子供の手習いにこの葉が使われ、手習いの木とか葉書きの木とか呼ばれた。
現代の葉書(はがき)の語源に なったもので、郵便局のシンボルツリーになっている。
郵政省では、緑化推進を目指してこのタラヨウを「郵便の木」に指定している。
因みに、この葉に宛名と文面を書いて切手を貼ると郵便として扱ってもらえるとか。
その多羅の木を書院のねきに植えているとは、ナカナカ小憎い。
2016.10.27 臨終無礼
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「百碗百杓展」の主催者山本哲さんの茶の師匠・故鈴鹿先生の手びねり茶碗。
先生が弟子であった瓦屋で焼いたものとか、薄く均一な厚みで付け高台。

昨日は後半の展示品の差し替え日であった。
山本さんの茶友が来られて、暫し彼等の師匠の想い出話を聞いていた。
前に彼等の師匠のことを聞き、是非にもお会いしたかったと思った御仁。
山本さんは後期展示茶碗の中に亡き師匠の茶碗を出す予定で持参していた。
その茶碗を取り出し、想い出話の中で茶友が語った話が私の腹に響いた。
茶友は、師匠の亡くなった日に偶々師匠の住む長屋に寄ったということだった。
玄関と六畳一間の長屋には師匠が臥せっており、横に看護婦が一人居たという。
茶友が部屋に入って十分位後に師匠は息を引き取ったということだった。
つまり彼は、師匠のただ一人の臨終立会人になったということである。
時に師匠の部屋に掛かっていた軸には、「臨終無礼」と書かれていたとか。
その茶友が弟子達に連絡を取り、弟子と近所の人達で師匠の葬式をしたとのこと。
ひょんなことから、彼等の師匠の十七回忌に私が献茶をすることになった。
その辺りのことは、三年前に「山紫陽花・侘び数寄茶人」と題し、ブログに書いた。
http://houan7010.blog.fc2.com/blog-entry-50.html

長屋の六畳部屋で一人臨終の床に臥せり、壁に「臨終無礼」との軸を掛ける。
この茶人の生き様死に様、私は唸るしかない。
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室町期の建物・今西家書院の庭園、雨のそぼ降る縁側で物思いに耽る私。

南都塗師・山本哲さんの「百碗百杓展」は昨日から後半展示が始まった。
土日は茶室で添え釜をするが、平日は展示室の横隅の小部屋で盆点てをする。
山本さんも有楽流の茶人ながら、接客に追われるので私が応援すると云う構図。
ついでに、山本さんの女弟子に盆を使って茶を点てる手ほどきをした。
その女弟子が撮ってくれたのが上の写真、後頭部が薄くなっているのに絶句。

私は、早めに書院を退散して閉館前の国立博物館・正倉院展に向かった。
平日の雨の所為か、会場は待ち時間もなく入ることが出来た。
今年の正倉院展の展示物は古文書が多く出されており、内容が興味深かった。
労働厚生の思想として、面白く思った二つの古文書を書き留めたので紹介。
一つは、膨大な写経作業に当たった部署からの申請書である「写経司解案」
こういう申請書が出されていること、それに労働行政が対処したこと、面白いと納得。

一切写経司解 申司内穏便事
意訳・この一切の内容は、部外秘に願います。
一、 召経師且停事(中略)
意訳・写経生の募集を停止して欲しいこと(人が多いと賃金配分が減るから)。
一、 欲換浄衣事(中略)
   意訳・(以前に支給された) 浄 衣を新しい 浄衣に替えて欲しいこと
一、 経カン師暇休事(中略)
   意訳・(毎月五日間は)休暇が欲しいこと。
一、 装并校生麁悪事(中略)
   意訳・食事が粗悪であること(黒飯よりましなものにして欲しい)。
一、 請経師等薬分酒事(中略)
   意訳・薬としての酒を(三日に一度は)支給して欲しいこと。
一、 経師等毎日麦給事(中略)
   意訳・毎日麦飯を支給して欲しいこと。

もう一つは、当時の行政の福利厚生策が垣間見える「正倉院古文書正集」である。
一般の人々に臨時的に食料を支給する賑給(しんごう)という政策が行われたとか。
古文書には、その賑給(しんごう)の対象となった者をこう記してある。

高年、(八十歳以上)。
鰥、(かん、妻のない六十歳以上の男性)。
寡、(か、夫のない五十歳以上の女性)。
惸、(けい、十六歳以下で父母のない者)。
独、(どく、六十一歳以上で子供のない者)。
不能自存者、(一人では生活できない者)。

など、私はある種の感動感服をし、当時の日本社会を垣間見る思いを持った。
奈良時代の労働福利厚生の為政は、当時の世界では秀でたものであったろう。
2016.10.25 快復祈願
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奈良坂の般若寺の秋桜花(コスモス)が満開、ここは日本最古の茶園があったところ。
すぐ隣に私が通った中学校がある。秋桜花の花言葉は「真心」。

一昨日に相次いで私に電話が入った。
岡山に住む女性茶友が稽古指導中に倒れ、意識不明のままだとの知らせである。
彼女は、私と相伝が同じで謂わば「同期の桜」、茶の考えも似ており気が合う茶友である。
先年、お弟子さん達を連れてバスで奈良の茶の名所や美術館を訪問、私が案内した。
この五月、私が「淋汗茶」の稽古中に倒れ意識不明で病院へ運び込まれたことがあった。
「淋汗の茶の湯」とは、風呂に入り飲食して茶を喫すというもの、私は少々酒が過ぎた。
その時の私のブログを見て、彼女から私への忠告めいたコメントが入ったことがある。
その彼女のコメントを掲載する。彼女は真心のある茶人。彼女の早期回復を願う。

>今日は雨模様。草取りはお休み。風翁ブログファンの社中の人の話を聞き、久しぶりに風翁説を拝読しています。掛物、箱書、千家の風が入って残念です。ただ古い箱書の折にはそれが書かれた時代、人に思いを寄せることができ感動することがあります。以前は置きませんでしたが、特別なものを置くようになり、この頃は沢山になりました。掛物、物故者のものを例外として僧籍、宗匠と申しますが、三玄院の席では私も違和感を感じました。縮景園とはお客様が違うのですから。男の茶の湯は楽しそうですね。林間(淋汗)の茶にはお気を付けください。ベルギーで茶会をしてきます。
投稿者 : 宗 ● <
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右の白っぽい服の女性が美人書家として有名な「紫舟」はんとか。知らなんだ。

この土日、高校の後輩である南都塗師・山本哲「百碗百杓展」添え釜の前半戦を終えた。
終わり近くなって、今西家書院の女将が作家さんと五人を入れてもらえるか聞いて来た。
前の席が空くまで十五分程まってくれれば良いと答えると、待つのでお願いしますとのこと。
百碗百杓展の部屋と茶室の間にある部屋で書道作家の個展が開かれていたのである。
その作家は「紫舟」という女性だという、私は奇妙な字を書いているとしか印象が無かった。
茶室の水屋に戻り、その話をすると皆は驚いた顔をするので訊くと「有名人」とのこと。
大河ドラマの「竜馬が行く」の題字とか、今回の春日大社「式年造替」の字は彼女の作だとも。
私は全く以って知らなんだが、まだ四十代ながら世界的知られた女流書道作家だと皆が云う。
まま、帰ってからネット検索でもしてみようと、話はさて置いて、その五人を席に入れた。

席中からしゃがれた男のグダグダいう声が聞えて来たので、私が席入りすると、
背広にバッチを二三個つけた恰幅のある中年男が皆にどう坐るかを云々中であった。
私が入って来たのを見て、「胡坐でええやろ」と横柄な物言いをして来た。
私は、「まあ好きにしなはれ、せやけど、そこでは男のケツしか見えまへんで」と云うて無視。
他の四人の女性には「ここへ、そっちへ」と云い、末客の若い女性は点前正面へ坐ってもらう。
私が「作家はんが入ると聞いたが、どちら」と訊くと、その末席の女性が手を上げた。
「皆が天は二物を与えたと云うたが、ホンマや、別嬪さんや」と私、彼女はニコリとVサイン。
点前役に「安坐点前で」と告げ、男客に「坐り方なんぞ、どうでもええ話」と切り捨てた。

先ほど、「紫舟」と詮索を入れると、こうあった。
<紫舟(ししゅう)書家。六歳より書を始め、奈良で三年間研鑽を積む。NHK 龍馬伝・美の壺、日本政府 APEC Japan Cool JAPAN、伊勢神宮 祝御遷宮、東大寺 書初奉納、朝日 読売新聞連載。パリ・ルーブル美術館地下会場Carrousel du Louvreにて開催されたフランス国民美術協会(155年前にロダンらが設立)サロン展2015にて、横山大観以来の世界で1名が選出される「主賓招待アーティスト」としてメイン会場約250㎡で展示。2014年同展では「北斎は立体を平面に、紫舟は平面を立体にした」と評され、日本人初・金賞をダブル受賞。
日本の伝統文化である「書」を書画・メディアアート・彫刻へと昇華させながら、文字に内包される感情や理を引き出し表現するその作品は唯一無二の現代アートとなり、世界に向けて日本の文化と思想を発信している。
内閣官房伊勢志摩サミット・ロゴマーク選考会審議委員、大阪芸術大学教授。>

2016.10.21 花落知多少
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自分が落ちた場所を示す愛犬「ハナ」。

孟浩然の春眠の頃ならぬ、秋の夕暮に「ハナ落つること知る多少」である。
茶会荷物の運び込み準備に追われていた一昨日の夕方のこと、
外が暗くなりかけて来たので、女房殿にハナの散歩を頼んだ。
すっかり日が暮れても二人(?)は戻ってこないので、何となく心配になっていた。
案の定、一時間を過ぎた頃になって悲愴な顔をした女房殿が戻って来た。
ハナはビショビショの濡れ鼠(犬?)、女房殿取り乱した様子で曰く、
「お願いがあるのです。この住所まで連れて行ってください」と紙を示した。
住所は答案問題の解答を引き千切ったようなノート紙の端に書かれていた。
女房殿は興奮気味で、話が入り乱れて喋るので、先ずは落ち着かせる。
漸く聞き取れた話の概要は、土手からハナが川に落ちたということ、
女房殿はヒモを離すまいとしながら、大声で助けを呼んでいたところ、
中学生ぐらいの男の子が自転車で来て、川に入ってハナを救い出してくれたとか。
女房殿は助けられたびしょ濡れのハナを泣きながら抱きしめ、その少年に礼を云った。
そして、住所を教えてほしいと云うと、少年はこの紙に書いてくれたという話である。

「今からでは、暗くて住所の家を探すのは難しい、何で電話番号を聞かんかった」と私。
女房殿は「パニックになって、住所を聞くのがやっとのこと、電話は思いつかなかった」。
私はその書かれた住所と名前で電話番号を調べるようにと女房殿へ云い、PCを開く。
元電電公社に勤務していた女房殿は「104やな」と云って調べて来た。
その番号へ電話入れてみても留守電になっていると、女房殿は受話器を置いた。
PCで少年宅を確認した私は、「場所は分ったので明日の朝にしよう、今は忙しい」と云う。
作業を再開している私の横で、女房殿は座り込んで状況を話し出す。
何でもハナがウンチをしたので始末をしている最中に、ドボンと音がしてハナが消えたとか。
土手の下を見ると、川の中でハナが水から首だけ出していたので、咄嗟にヒモを掴んだとか。
私が、「ハナは視力が弱くなってるから暗いところや階段は気をつけんとアカン」と云うと、
女房殿は、「ホンマや、そこまで目が悪うなっていたとは思わなんだ」と云い、また涙ぐむ。

翌朝、少年が登校する前で運び込みの集合時間の間を計ってハナと共に少年宅を訪問。
母君に御礼を云って、住所を書いてくれた解答用紙と菓子を渡して戻る途中で女房殿の曰く、
「お母さんはやっぱり綺麗な人やな、あの子も出来る子やろ」。
私には女房殿の思考回路が分らないが、その少年が出来る子であるとは分かっていた。
少年が住所を書いた生物の回答書はほぼ満点であり、字は拙いが漢字もしっかり書いてあった。
持参した菓子は、茶会用の予備にと買うていたもので「南都七大寺」を表したもの。
七大寺とあるのに菓子は八枚あると以前のブログに書いたあの菓子である、一派に七大寺とは、
東大寺,西大寺,法隆寺,薬師寺,大安寺,元興寺,興福寺とされるが菓子は八寺、もう一寺は・・
<法隆寺は斑鳩に所在しているため、この法隆寺の代わりに唐招提寺を入れて南都七大寺とする場合もある。また、歴史的経緯(四大寺から数を増やしていったとする見地)からして西大寺の代わりに由緒ある川原寺(現在の弘福寺)を加える場合もある。>
その菓子には唐招提寺があった。
ハナを助けてくれた少年に、生物だけでなく日本史も好成績をという期待を込めた(^^)
因みに、「百碗百杓展」を開く今西家書院の場所は元興寺の境内跡地である。

2016.10.19 夜討ち朝駆け
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昨日の昼頃に塾生から電話があった。
「百碗百杓展」の添え釜の稽古をもう少ししておきたいとの由。
急で申し訳ないが、仕事が終えてからもう一人と二人で行っても良いかと訊く。
まま、断る訳にはいかん話、結構結構・歓迎歓迎・感心感心と答えた。
という訳で、昨日は夕方六時半頃から稽古開始、約一刻・二時間位真剣に向かい合う。
片付けは二人に任し、私はお好み焼きの準備に勤しむ。
お好みが焼き上がったので二人と私と女房殿が坐って食べ始め、私は酒を出す。
二人は「車だから酒は遠慮します」とオヌカシ。
私は「泊まって朝稽古したらええやろ」、二人は「そうですね」とあっけなく前言を翻す。
ビール、日本酒、芋焼酎、そしてアルコール分30度の琉球泡盛・久米仙、就眠は午前様。
今朝は六時からビビンバ丼を腹に入れ早朝稽古、二人は二服づつ点て我が家を出て行った。
さてさて今日はこれから道具の荷づくり、明日は運び込みである。
2016.10.18 男の値札
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今朝、新聞を取りに玄関戸を開けたら、金木犀の芳香が漂っていた。

どういう訳か、今年の金木犀は白っぽくて黄色すなわち金色ではない。
お隣の御主人と話をしていると、今年の金木犀は近所も皆同じようだと云う。
まあ、暑さが続く所為なのかどうか、花も人も「らしくない」のは今一つである。
一週間前に娘が第三子を生んだので、病院に行くとベビーベッドが七つ並んでいた。
男児は青い掛け布団、女児は赤い掛け布団であったが、私には皆同じ顔に見えた。
昔、クローン生物のことが新聞テレビを賑わしたが、赤子を見ているとそんな気がした。

金木犀は支那南部原産の雌雄異株の植物だが、日本へは雄株だけが入ったとか。
それ故、結実をしないので繁殖は接ぎ木や挿し木ということになる。
人が作ったサクラの品種「染井吉野」も結実しないので、接ぎ木挿し木の繁殖。
最初の遺伝子が代替わりなしに生き続けているというか、つまりクローン生物である。
金木犀も染井吉野も人から色香に価値を見出され、人が命を繋いでいるのである。

ある人の云った話が私の腑に落ちる。
「女は花と同じ、水をやり愛でてやれば、美しく咲く」 そして、
「旦那に好かれようと身を飾って努める女房、それが男の値札やで」と云々。
「タンスを整理していたら、去年のバーゲン値札が付いたままのブラウスが出て来た」
と云い、それを着て笑顔の我が女房殿、私は自分の値札が気になった。


2016.10.17 粗相稽古
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早咲きの椿・西王母が色付いたと云って、卒塾者が他の花と共に持って来られた。
花籠には、西王母(せいおうぼ)、吾亦紅(われもこう)、杜鵑(ほととぎす)、秋明菊(しゅうめいぎく)、南天(なんてん)の照葉
本来、秋の名残りの花は枯れかけたものや虫食いのものに照葉を添えるものらしい。
これからの花である椿は入れないとされる、どう入れようと勝手ながら葉が煩わしい。

昨日は「百碗百杓展」に向けた粗相の点前稽古をした。
卒塾者にも手伝い頂き、こんなアンナの場面を想定して粗相をしてみる。
柄杓を落した、茶筅が倒れた、茶杓が落ちた、茶巾が落ちた等々。
何より大事なことは、慌てず平然と処理すること。
補佐役の半東との連携がキッチリと出来れば、粗相も見せ場となるもの。
卒塾者の中にはわざと粗相をやって見せたいと、うそぶく御仁も居たと話す。
粗相の中でも大粗相は実際に行わず、口頭での粗相稽古とした。
例えば、茶器をひっくり返し辺り一面が抹茶の海となった時。
茶碗をひっくり返し茶がこぼれた、あるいは客に掛かった時。
立ち上がりにコケて、風炉釜をひっくり返した時等々である。

今日の稽古を手伝ってもらった卒塾生が一番の見せ場を演出した。
皆が稽古を終えた後のこと、久しぶりに一点前してみるかと点前畳へ。
着替えをしていた塾生が周りに集まり、衆目の中での点前となった。
卒塾者は「これは緊張する」と云いながらも、会話しながら形の良い点前をしていた。
それが、あろうことか茶を入れる前の茶碗へ先に湯を注いだ、皆は黙って注視する。
卒塾者、「ははは、ここで湯を回して捨てるも良し、茶を湯の上に振りかけるも良し」
「想定外の粗相場面でも平然と進めること肝要」と訓示して湯を捨てた、皆も納得。
それは粗相点前の実演であったのか、それとも実際の粗相であったのか、微妙。

点前粗相のこと
〇間違っても慌てず次に進むこと肝要
〇茶杓を落とした時、そのままにして手の区切りで帛紗にとり終い拭きして、置き直す
〇終い茶碗から茶杓が落ちた時、水差勝手側に斜めに置き、そこから常の拝見通り拭いて出す
〇茶巾が釜の蓋から落ちた時、そのままにして半東に交換を頼む、半東は茶巾皿にて替茶巾を持ち出し交換する
〇茶筅が落ちた時、建水のカミに左手で立て置く、半東が替茶筅を茶碗に入れ建水のシモに置き、点前が左手で交換
〇柄杓が落ちた時、建水に伏せて置き、半東が竹蓋置と替柄杓を持ち出して釜蓋置シモに竹蓋置を置き替柄杓を引く、
亭主は替え柄杓を釜(或いは蓋置)に替柄杓を置き、建水に伏せた柄杓を竹蓋置に引き、半東が持ち帰る
〇粗相をした時には、片付けて後、失礼致しましたと一礼をする
〇他に想定外の粗相があったとしても、半東と連携して、平然と片付けるよう心掛けること
〇点前中の客との会話では、点前の手を留めないこと、それには顔を点前の視線から外さないようにすること
亭主点前に慣れれば、顔を客に向け答え、目線を床に遣って説明しながらも、手は進めているのが望ましい


                          
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昨夜は十五夜の満月、残念ながら栗名月の十三夜を見逃した。
一昨日、私がさつま芋を買うて帰ると女房殿がお向かいから栗を頂いたと云う。
あっと思い、暦を調べると今年は旧暦九月十三日が新暦の十月十三日になっていた。
旧暦八月十五日の満月は中秋の名月として人口に膾炙(かいしゃ)、世間に持て囃されている。
旧暦九月十三日の十三夜は秋冷の夜空に少し満ち足りぬ形の月、その風情を好む人も多い。
八月の十五夜の月は「芋名月」、九月の十三夜の月は「栗名月」と呼ばれているのは周知。

新暦十月十三日は「さつま芋の日」とか、埼玉・川越の「さつま芋友の会」が名付けた。
さつま芋を賞賛する言葉「栗(九里)より旨い十三里」で、十三日をさつま芋の日としたとか。
何とも他愛のないというか単純というか、まことに「ダサい玉」の人の発想というか・・。
まま、埼玉・川越の地が江戸から十三里であったという話もあるにはあるが・・。
昔、上方の焼き芋屋はさつま芋のことを「八里半」と呼んでいたという。
つまり、栗の旨さには及ばないが、さつま芋の旨さも「勝らず」とも劣らずというもの。
私には大袈裟な十三里の云い方が外人ぽく、謙虚な「八里半」の云い方が日本人ぽく聞こゆ。
最近とみに、満月の芋名月より秋冷・十三夜の栗名月の味わいの方に、私は心が引かれる。
今年は栗名月を見逃したことは痛恨の極み、そこで栗と芋を同じ蒸し器で同時に調理。

蒸し器の一段目で栗を煮て、二段目でさつま芋を蒸した。今日は孫が来る。
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2016.10.15 匈奴とハナ
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昨日の空である。確かに秋空の雲は高い。

洒落っ気のある天気予報士が語っていた分かった気な言葉、
「天高く馬肥ゆる秋と申しますが、秋空は天が高いのではなく、雲が高いのです」
秋空はその通りの当たり前の話ではあるが、変に腑に落ちた。
その言葉の前の句、「馬肥ゆる」の意味合いを取り違えているようであった。
秋は収穫の時期、気候も良くて馬は肥えて元気になり、人々も楽しい季節である・・」
と、思っている様子であったが、実は大間違いなのである。

昔(三千年位前)の北アジアには騎馬遊牧民族の匈奴が勢力を張っていた。
支那王朝は秦から漢、三国そして五胡十六国の時代の話である。
支那の漢族国家にとって、騎馬遊牧の民とは、まさに恐ろしい鬼畜・匈奴であった。
農耕民の漢族が収穫を終えると、北方から武器を手に馬の乗った匈奴が襲って来た。
匈奴は奪い、殺し、犯し、人を連れ去る、残虐非道の奴と漢族は恐れ「匈奴」と名付けた。
人口は漢族が圧倒、今でも漢族は十億を超すが蒙古人や満州人は併せても三千万有るなし。
それが、いつも侵略侵攻を受けてやられるのは漢族、喧嘩に弱いのである。
五胡十六国の中、漢族の国は三カ国だけで、あと全て北方民族が支配する国であった。
よって「馬肥ゆる」とは、騎馬遊牧民の馬が元気になり、秋の収穫を奪いに来ることを云う。
つまり、漢族にとって「天高く馬肥ゆる秋」とは、戦々恐々の時季のことを云うのである。

下の図を見て思ったこと、匈奴はバイカル湖からチベット北方に展開していた民族。
実はこの地、日本人の祖先になる人達が居たところでもある。
四万年前頃に、ここから東方へ旅だった人々はやがて大陸と地続きであった樺太・北海道へ、
そして更に、列島各地へ移り住んだ縄文人と云われる人々であった。
縄文人は今の我々に日本人と日本文化の基層を残したのである。
世界的に稀なY染色体遺伝子を持つのが日本人とチベット人というのも頷ける話である。
恐らくは、チベット人の祖先は縄文人の祖先と別れて南へ向かった人々であったのであろう。
或いは、出アフリカを果たしたY染色体D型の民が中央アジア辺りで北東と南東に分れたのか。
その縄文人の祖先と行動を共にし、シベリヤから日本列島に来たのが縄文犬・柴犬である。
前記の愛犬「ハナ」の話と天気予報士の話が妙に重なり合った・・・。
無題
2016.10.14 愛い奴
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私が本を読んでいる寝床の側に来て、ゴロリと寝転がる愛犬ハナ。

白内障の症状が進み、正常な視力を失いつつあるハナは妙な行動をし出した。
別室のソファーの上にハナ用のベッドが置いてあり、ハナは長年そこを寝所にしていた。
私たちの寝間に入って来ても、寝る時は自分のベッドがあるソファーに戻るのが常であった。
昨秋に白内障と診断され、目薬点眼を続けていたが、夏前から我々寝室に来るようになった。
今までになかった行動・仕草として、部屋の壁周りを体で擦って歩き、何度も往復し出した。
本を見てみると、犬は視力が低下すると嗅覚と体の感覚で環境を掌握しようとするとか。
視力が弱くなった犬の為には、部屋の形や物の配置を変えずに前のままが良いとあった。

少しは視力があるので散歩に連れ出しているが、春頃から散歩に出ることを渋りだした。
成るほど、それが視力低下の前触れだったと、今更ながらに気付かされた次第である。
溝に落ちたり電信柱にぶつかったしていたが、私はハナのドン臭さと笑っていた。
階段を嫌がるようになリ、下る際にオドオドとするので私は視力悪化に気付いた。
家の中の壁周りを体で擦っている行動は、ハナ自身の失明への自己対応であったのだ。
生き抜くことへの健気さ賢明さに私は少々感銘を受け、全て好きなようにさせることにした。

柴犬は我々の祖先・縄文人と三万年前頃にシベリヤ辺りで出会って以来の共生者である。
縄文人に連れられて日本列島に入り、この地で日本人と共に生きて来た仲間ということだ。、
人間のひと世代を二十年とすれば、犬のひと世代は三年程度、三万年は一万世代。
ハナの命の流れには、我々の祖先と生きて来た一万匹の母犬の命が今に繋がっている。
そう考えれば、このハナの寝顔と体に何とも云えない神々しいものを感じてしまう。
私がそっと腹をさすってやると、ハナは薄目をあけて復とじた。愛い奴・ういやつ。
昨夜遅く、娘が第三子の男児を無事出産した由、婿殿から連絡が入った。
女房殿は昨日から病院に行き、夕べは娘宅で孫娘たちの番をしている。
私も朝から病院を覗きに行こうと思っている。

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先日来駕の私の姉弟子が持参した流祖・上田宗箇自作の茶杓、箱は14世宗家・宗翁。

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櫂先(かいさき)の露(つゆ)部分が七三(ななさん)に削られ、茶入に掛け易すく、
枉(ま)げ軸の撓(た)めが鋭角なところは流儀の形になった。
節裏(ふしうら)の凹みがクッキリとしている、いわゆる蟻腰(ありごし)になっている。
実際に手にしてみると何とも持ち易い、というか使い勝手が良さそうである。

今月二十一日から三十日まで奈良町今西家書院で開催される「百杓百碗展」。
南都塗師・山本哲さんが作製した茶杓と蒐集した茶碗の展示会である。
我々朋庵で展示会の添え釜することは先のブログ記事にした。
添え釜は二十二・二十三、二十九・三十の土曜日曜日、ご来駕の程を。
よって、今日は茶杓の云々を記す。

茶杓の元は、金、銀、砂張、鼈甲、象牙、木地で出来た薬匙(やくじ)、茶匙(ちゃひ)。
奈良では鹿の角の薬匙があったが、それが茶杓の原形として残されている。
村田珠光は、鹿の角や象牙の代わりに竹を用い漆を拭いた茶杓を作ったとされる。
以降、素材はほぼ竹となり形は一定しないが、当時はほとんどに漆が拭いてある。
武野紹鴎は切留(きりどめ)に節を残す留節(とめぶし)、切留近くの下がり節の茶杓を作る。
象牙や木地の節なしが真、竹製の切止め近くに節のあるものが行、中心に節のあるものが草。
茶杓の部位名称は下図を参照頂き度。

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2016.10.10 女心と秋の空
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今朝の空には雄大なウロコ雲が広がっていた。秋の空である。

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前に青柿の写真を撮った柿の木で、山柿の実が色付いていた、珍宝柿というとか。
珍宝柿はその形・姿から別名を筆柿とも呼ばれ、甘と渋が混在する「不完全甘柿」。
その為に出荷がしずらかったが、最近は選別機が開発され出荷が増えたとある。
実は今朝、写真を撮ってから、念の為「山柿」の名を調べて「珍宝柿」の名を初めて知った。
恥ずかしながらこの私メ、子供の時に聞いたこの柿の名「チンポ柿」と記憶したままであった。
云われてみれば、形が筆に似るとは思うが、「チンポ柿」もその形がそのものに似ている。
子供の頃からそう思い込んで使って来た呼び名であり、周りの皆もその意味で使っていた。
私はどうも引っかかり、更に調べると私の思い込み名称が正しかったと分かった。
本来はやはり男性を称した名であったが、名が拙いので産地が筆に例え「珍宝柿」としたとか。
私は胸をなでおろした、妙な誤解をした名を使っていたとこれまでを恥じたが、ホッとした。
まま、オナゴはんが居なさる時は柿の呼び名を場面場面で山柿とチンポ柿を使い分けていた。
今回の話、名称が卑猥な下種話だと一概に軽蔑してはイケナイ。
私は真剣に調べて、子供の頃に使った呼称が正しかったと知り、嬉しかったのである。
女心と秋の空、言葉や習慣・人情は移り変わるもの、よって懐古の情に味合いが出る。



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卒塾生の方から茶花と共にメダカを頂いたので鉢へ放つ、水面の点々は餌。
メダカは三度目の移住である。今度こそ安寧に生きてくれることを願う。

昨夕、私の姉弟子に当たる先生が女弟子を一人連れて我が家に宿泊。
本日京都で茶事指導をし、明日は奈良で石州流の宗家茶会に出席するとかである。
この御婦人、男勝りの勉強家で他流に亘っての人脈をお持ちでナカナカのヤリ手。
このところ外人観光客が増え、大阪や京都そして奈良まで旅館が満杯とかで我が家へ。
学園前駅で待ち合わせ、先日に日清戦争が勃発した支那料理屋へ行く。
何としたことか、支那人店主、満面の笑みを浮かべ私の来訪を歓迎した。
料理は何がええかと姉弟子と女弟子に訊くと、分らんのでお任せと云う。
私が注文訊きの日本人女性に、献立表このページの品を全品出してと頼んだ。
私が紹興酒一本、姉弟子がビール、女弟子と女房殿がジンジャーエールで乾杯。
出て来た順番に皆で皿の料理に箸を付け、宴を楽しんだ。
店を出る時、「またな支那人」と私が店主に云うと、店主「私は中国人です」。
やはり、彼は未だ分かっておらんようであった。

家で布団を渡しシャワーを奨めた後、寝酒は何がええかと聞くと姉弟子はワインと云う。
以前貰ったままの木箱入り赤ワインがあったので、チーズと生ハムと共に出した。
姉弟子のワイングラス半分ぐらいに注ぎ、私は焼酎を自分のグラスに入れる。
女房殿と女弟子はアーモンドジュースとコーラにして、皆で乾杯。
グイと飲んだところで、姉弟子は「水~!」と云い咽るので天然水ボトルを渡す。
すると、姉弟子はそれをワイングラスに入れる、私が「赤ワインの水割りか?」と云うと、
姉弟子は「何云いよるん、これブランデーじゃけん、飲んでみんさい」とノタマウ。
確かにブランデーであった、瓶の色形とコルク栓で赤ワインと私は決め込んでいたのである。
書かれているフランス語らしき文字を無視して、私の思い込み一念でいたもの。
姉弟子「ええよ、私はブランデーは好きじゃけん」、と云って飲み出したのでケリが付いた。
私は誰に云うともなく、「思い込みはアカン、確かにアルコールが43%と書いてあったな」
姉弟子「そうよね、アルコール43%のブドウ酒があるもんね、でもこれ上等のブランデーよ」
文句を云うているのか、慰めなのか、よう分らん受け答えであった。

卒塾者から貰った花を籠に入れていたのを姉弟子が観て、云うことがまた微妙。
「あなたの花、ブログで観て下手に思うとったが実物はちゃんとしてるわ、写真の撮り方かね」
私、「ほっとけ、十月やから名残で五種入れた」

花は、矢筈ススキ・水引き・しろばなサクラタデ・杜鵑(ホトトギス)・そしてスズメ瓜
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近所の空き地に植わっている柘榴(ざくろ)の木に実が付いた。
柘榴は茶室では使わない、いわゆる禁花とされている。
柘榴が熟して割れると中の実が人肉や脳ミソを連想させ、茶花に不向きとか。
つまり、禁花と云われるもので、古い茶書にはこうある。

きらう花とては、八つ花かたのわりき物とて、
花入れに、いれざる花は 
ぢんちゃうげ み山しきびに けいとうの花
おみなへし ざくろ かうほね きんせんくわ
せんれんくわをも きらひこそすれ

沈丁花(じんちょうげ)、匂いがきつい。
深山樒(みやましきみ)、死君という名で縁起が悪い。
鶏頭(けいとう)、姿が見にくくいやしい花とされた。
女郎花(おみなへし) 、根に悪臭がある、字がおもしろくない。
石榴(ざくろ) 、人肉の味とされ、脳天を割られた状態を連想。      
河骨(こうほね)、名の由来が白く白骨のように見える根で不快。
金盞花(きんせんか)、花期が長い、日本では有毒とされていた。
せんれい花(不明)

八つ花とは、八重に花弁が重なるもので華やかさが嫌わエた
他に、梔子(くちなし)の花も嫌厭された
つまり、「死人に口なし」という言葉を連想することからだそうな。
柘榴・河骨・深山しきび、それに梔子を嫌うとは、戦国の茶室の様子が窺える。
犯罪者によって殺された人、死刑判決を受け処刑された人、つまり死人である
その両方の死人に訊いてみたい、日本弁護士連合会の死刑廃止宣言の是非を。

まま、おかしなことを宣言する大会があったものである。
日本国民の八割以上が死刑制度の存続を容認し、死刑廃止賛成は一割に満たない。
それに何より、三万七千人を超す会員を擁する中で、大会出席者七百八十六人。
その中で死刑廃止宣言に賛成五百四十六人、反対九十六人、棄権百四十四人。
何よりもおかしなことは、会員の委任状を受け付けずに会の意思を決めたこと。
出席者は日弁連構成員の僅か2%である。それで日弁連の意向を示すもと云えるのか?
法とは立法府の専権事項であり、国家国民の思想と意思、価値観に支えられるもの。
弁護士ごときが、人の思想や意思、価値観に物申し、影響を与えようとするのは傲慢不遜。
日弁連にも会則があるはず、会則にそぐわない弁護士の行為には邪まな意図が見える。

死刑廃止の是非、死人を参考人招致し「死人に口あり」で考えてみれば、良く分ると思う。
全く、医者といい、弁護士といい、少々変にお高く留まり過ぎの感がしてならない。
強欲医者も高慢弁護士も、茶の世界で云う「禁花」の類、世の中の仇花であろう。

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秋明菊(シュウメイキク)、菊でなくアネモネの仲間、古い帰化植物で支那で秋牡丹という。
別名は「しめ菊」「紫衣菊」「加賀菊」「越前菊」「貴船菊」「唐菊」「高麗菊」「秋芍薬」。

さて、今年のノーベル医学生理学賞が大隅良典氏という話題はもう下火になったようだ。
中山氏の受賞に続き、日本の医学研究が世界の最先端レベルにあることを示したようだ。
それは良いことだが、私には日本の医学界の見識が最低レベルにあると思うことがある。
当たり前のように、縁故の裏口入院をさせることが堂々と罷り通る世界である。
病院は一般人に対し有無を云わせぬ扱いをし、五分の診断に平気で二時間待たす。
病室の空き待ちどころか、治療を受けたくとも入れないことがシバシバある。

ところがである、医者関係か医療関係者の口利きがあれば、いとも簡単に病室が空く。
昔は平然と行われていた警察関係者による口利きの罰則軽減という悪しき風習と同様。
医者の回りほど身分制度が生きている社会は少ないであろうと、私には思われる。
我々の子供の頃は町医者の往診が当たり前で、病人が町の病院に行くことは稀であった。
病気で苦しむ者が病院まで出向き、待合室に集合して診察の順番待ちをさせられる。
保険や医療制度の進歩(?)で医者に掛かり易くなり、無駄に医者の仕事を増やしている。
お蔭で、真に病気で苦しむ者への医療サービスは劣化しているように私には思える。
それらの根底にあるのは、医者の特権意識と利得権益の確保への執念であろう。
自分達の今の権益を守るべく医学部の増設や増員に反対し、医者不足の構造にほくそ笑む。
そのくせ、看護婦養成の増員は強く求めている、家来不足には敏感に反応するということ。
身分意識と高収入に胡坐をかき、公務員であっても法外な待遇を受けて当然顔をしている種族。
公立医学部を大幅増員し、10年の医療就労を義務付ける制度を設ければどうだろう。
さもないと、日本社会は医者に殺されることになろう。

薬局チェーンの社長をしていた友人がガン入院をしたことを先に書いたが、彼の話と絡む。
彼は、自分のコネ、つまり医療関係者のツテで入院出来たことを嬉しげに語っていた。
普通、一般人ではナカナカそうは出来ないとも云っていた、私はおかしな話と思う。
日教組は日本人の心を蝕んで来たが、日本医師会は日本の社会を蝕んでいる。
とは云え、本来の医者というか医は仁術を今以って実行する人達も私は知っている。
彼等は語らずに黙々と日々の業務に向き合っている、その姿には敬意をはらう。
2016.10.06 老人の後悔
ネットで、面白い話を見つけた。
米国で八十歳以上の老人に対して行った質問の調査結果である。
質問は「あなたの人生で最も後悔することは何ですか?」
その質問に七割の老人が同じ答えをしたという調査結果である。
その答えとは、「チャレンジ(挑戦)しなかったこと」、だそうである

そして、続く、
~人が人生を終える時に後悔する20の項目~
=========================
1:他人がどう思うか気にしなければ良かった
2:幸せをもっとかみ締めて生きるべきだった
3:もっと他人のために尽くせばよかった
4:くよくよと悩まなければよかった
5:家族ともっと時間を過ごせばよかった
6:もっと人に優しい言葉をかけていればよかった
7:あんなに不安を抱えながら生きるべきではなかった
8:もっと時間があれば・・・
9:もっと思い切って冒険すればよかった
10:自分を大切にすればよかった
11:他人の言う事よりも自分の直感を信じればよかった
12:もっと旅をすればよかった
13:もっとたくさん恋愛をすればよかった
14:もっと一瞬一秒を大事に過ごせばよかった
15:子どもたちに好きな事をさせてやればよかった
16:言い争いなどしなければよかった
17:もっと自分の情熱に従うべきだった
18:もっと自分のために頑張ればよかった
19:もっと自分の本音を言うべきだった
20:もっと目標を達成すればよかった
=========================
これは本当に多くの人が人生の最後に後悔する事です。
日々の日常を淡々と過ごす事を別に
否定している訳ではありません。
ですがそこに進化は一切ありません。
やりがいや達成感、生きている感覚も
得る事が難しくなります。
目標を設定しそれに向かって前進していく事は
とても素晴らしい事です。
何故なら、新しい目標を設定する事で初めて
問題が生まれるからです。
そしてその問題に果敢に挑戦していく事で
人として成長し、進化する事ができるからです。
あなたにとっての目標は、一体何ですか?
そしてそれを達成するために、
今日は一体何をしましたか?
自分に問いかけてみてください。
どうでしたか。
….

どうも、後半の能書は胡散臭い感じがする。
宗教団体の戯言というか人心篭絡(丸め込み)の常套手段のようなもの。
この能書には、私は全く以て賛同出来かねるところである。
私は、「日々淡々と過ごすこと」と「酔生夢死」が人生至上の喜びと思っている。
ただ後悔20項目の中の二つ、
15:子どもたちに好きな事をさせてやればよかった
16:言い争いなどしなければよかった
これは全くその通りと、私も後悔と反省しきり。



2016.10.05 支那のこと
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上に掲載したのは世界各国の支那(CHINA・シナ)に対する呼称の一覧である。

昨晩、友人から前のカマキリブログのことでメールをもらった。
「激昂していて、家に戻っても収まらなかったのだろうか、誤字脱字が見受けられます。短気は損気だと思います。紹興酒3本も肴なしに飲むとは、身体にもよくないし、いらぬ出費にもなるし、気をつけたほうがいいと思います。」
いやはや、推敲不足が常態化しており汗顔の至り、其処彼処に散乱する誤字脱字を早速訂正。
まま、朋友とは有り難いもの、喧嘩はしてもそれなりに収まり、常に味方感覚で居てくれる。

ところがである、支那という用語使用が云々と分った気にオヌカシの御仁も居てなさる。
歴史認識がマスコミに毒されたと云うか、支那の詭弁高圧態度に踊らされる人達である。
支那が日本にだけ「シナ」と呼ぶなと注文を付けて来ることを何と見るかということである。
「CHINA」を、世界の国が其々の自国語の呼称としているのが上の掲載一覧である。
それを、日本にだけ「シナ」と云うのを止めろとオヌカシは何なのそれ、というこである。
その支那の態度の裏は見え見え、劣等意識の裏返しの日本イビリに他ならない。
中華民国の国父と云われる孫文も文豪・魯迅も演説や文章で支那と云い表記していたもの。
ことの起りは大東亜戦争後のこと、中華民国は戦勝国として代表団を東京に派遣した。
一九四六年六月「命令」の形で日本の外務省に 「支那」という呼称を使ってはならないと通達。
同年六月六日、日本外務次官は各 新聞社出版社に、日本文部次官は七月三日各大学の学長宛に、
「支那」という名称の使用を 避けるようにという内容の公式公文を前後して配った。

一言で云えば、支那が戦勝国気分で敗戦国の日本に、これ見よがしの高圧姿勢をとったもの。
暴力に弱いという体質を持つ新聞社や官僚が、負け犬根性でこれに追随した結果の産物である。
まこと以って、怪しからん話であり、そもそも論で云うと、次の通りの話。
「サンスクリットのCinaが東方に伝わり、古代シナに伝入すると 「支那」、「脂那」、「震旦」などに漢訳された。Cinaは外国人(最初はインド人)による 古代シナの呼称として用いられ、今日においても世界中で広く用いられている。 「支那」の語は辛亥革命当時、シナ人がシナをさす言葉として盛んに用いられた。」
ということである。

その支那に追随して、朝鮮人も日本に対し「朝鮮」と云う言葉を使うなとか云い出す始末。
「朝鮮人民共和国」とか名乗ったり、最大部数の新聞「朝鮮日報」を発行しながらである。
支那と同じく、日本にだけ強いる高圧態度、彼等の意識とは何か、それはハッキリしている。
日本に自力で勝ったことが一度も無いということへの劣等意識である。
支那の国府軍は日本軍に連敗続きのままで終戦、共産軍に至っては逃げ回るだけだった。
朝鮮は棚ぼた的独立をしただけであって、自らの力で独立したものではない。
それが支那・朝鮮の人間には宿痾(心の重し)となって、その裏返しで日本に高圧的に出る。

これらを承知すれば、彼等が日本人へ言語統制を仕掛けることを許すことは出来ない。
それを「ヘイト」とか云うて騒ぐエセ人権屋やマスゴミの連中は獅子身中の虫、漢奸である。
日本人は堂々と支那・朝鮮と云って然るべきであり、それが我が国の矜持を示すものである。
と思う私だが、この土曜日に来客があるのでマタゾロこの前の支那料理屋へ行くつもり。
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今朝、雌だろうと思われる大きなカマキリが植木鉢の近くに居た。
鎌を持ったキリギリスで、カマキリというらしい、大した名付け事情ではないようだ。
カマキリ類は、体の小さいオスが体の大きいメスに共食いされてしまう場合がある。
共食いをするかどうかの傾向は、種によって大きく異なるらしい。
極端な種は、オスはメスに頭部を食べられた刺激で精子嚢をメスに送り込むものがあるとか。
しかし、ほとんどの種の雄は頭部を失っても交尾が可能なだけで、自ら捕食されることはない。
嬉しいことに、日本のカマキリ類はメスがオスを共食いすることはあまりないと言われる。

実は、昨夕に日清戦争というか支那事変が勃発した。
塾生と行った支那料理屋で私と店の主人か対立した。
要は、小一時間待たせながら料理が出て来ないので文句を云うと、聞いていないとかノタマウ。
我々が注文したのは豚の燻製腸詰、サラミの支那版、どうも品切れか伝達ミスであろう。
店主「ヘチマハチマ、うんだらかんだら」
私「支那人の感覚では分らんやろが、日本人の考えは違う云々」
店主「私は支那人ではない、中国人です」
私「中国とは日本の山陽道、岡山・広島・山口のことを云う、CHINAはシナや」
私「小理屈で自己正当化を図る前に、先ずスミマセンから始まるのが日本のサービス業や」
私「もうええ、紹興酒をもう一本持って来なはれ、アテは要らん」
すると、紹興酒を持って来た後に、シュウマイの皿を持って来た
私「何やこれ?」
店主「替りです」
私「勝手なことをして、それで済むというのが支那人感覚というのや」、と話を続ける。
「ワシも女房もシュウマイが嫌いや、先に詫びて何か代替を用意しますと云うものやろ」
「それを黙って勝手に出して、これでも喰えと云う感覚が支那人感覚やということや」
「こんなもの喰えんから、すっこめなはれ」と皿を押し返す。
店主が私の顔を睨むので、私も睨み返し「何やその顔・・、紹興酒もう一本持って来なはれ」
私達はツマミ無しでもう一本紹興酒を呑み、三合のボトルを都合三本空けた。
勘定の時、「一万二千七百八十円ですが、七百八十円は結構ですサービスします」、と店主。
私はブチ切れ、一万三千円を叩き付け「釣りは要らん、取っとけ支那人」と云って店を出た。
廊下向うのエレベーター前に来て店の方を見ると店主がジッと此方に向かい立っていた。
いわゆる、茶の世界、茶事で云う客を見送る「露地送り」の作法に見えた。
私は取って戻り、店主の前に立ち肩に手を掛け「ツァイチェン・再会」と云って踵を返した。
エレべーターに乗り込む時、もう一度店の方を見ると、やはり未だ店主が立っていた。
先ほど立っていた時はしかめっ面であったが、今度はにこやかな顔であった。
下関の李鴻章を思い浮かべた。

今日書こうと思ったノーベル医学賞の受賞話はまたとする。
日本の医学界の特権意識が鼻持ちならない、というより違法行為常習者集団だと云いたかったのだが。

2016.10.02
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象形文字の「朋」、月・肉・舟のどれにも属さない珍しい字だとか。
字意は貝を二連に綴った形で肩を並べる仲間を表しているという。
そこから敷延して「思い遣る」という意を表すともいわれる。
今週は友・朋という概念を思い出すことが続いた。

一つは前の記事にした大腸がんステージ4の友人を見舞った時のこと。
二つ目は、高校の同級生と私の三人で囲碁の巴戦をした時のこと。
私の対局を横で観ていた碁歴も実力も上手の同級生が云った言葉。
「井谷、相手のミスを待つような打ち方では碁が強ようならんで・・」
その時の私は相手に攻め込まれ苦境にあり、起死回生の策に出ていた。
相手が普通に受けると、「打って返し」という形で相手石を仕留めるもの。
罠ともいえる策に相手を誘い込んでいる私へ投げ掛けられた言葉である。

囲碁には色んな格言があり、其々含蓄があって人生訓にもなる話が多い。
しかし今回の彼の言は、格言ではなく、忠言としてグサリと私に刺さった。
私の打つ手は人格否定されたように思え、その局面を捨てて他へ転戦。
その碁は微差で何とか勝ったが、何か妙な気分になった。
然しである、半世紀に亘る友誼とは些細なひと言にも味が出て来たようだ。

三つ目に思い出したのが、当代宗家と私が共通の知人と飲んだ時の話。
三十歳ぐらいの時である、少々酔いが回った知人が当代に向かって云った。
「友情を口にする者に友情があった例(ためし)はない」とか。
聞いていた私は思わず首肯した記憶が残る。
後日、知人は広島近辺の町で市長になったが、友達は多かったのだろうか。
「朋庵」の名、少々重くなって来た。
2016.10.01 川太郎の原姿
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薄茶器・かわたろう(川・河太郎)、つまり河童である
前の記事に龍之介はんからコメントをもらった。
そのコメントで、何故か私は日本カワウソのことを思い浮かべた。

日本固有種で、嘗ては北海道から九州まで列島各地に生息していたそうな。
昭和五十四年に四国・四万十川で見かけられたのが最後とか。
四年前の平成二十四年、環境省は日本カワウソを絶滅種に指定した。
ところがオモロイことに、日本カワウソを県獣としている愛媛県はこれに反発。
日本カワウソを県の「絶滅危惧種」に指定し、今も情報収集し捜索を続けている。
それを知ってかどうか、卒塾者の一人は茶器「川太郎」を大事に持たれている。

日本カワウソの絶滅理由を調べてみると胸の痛い話であった。
水の中で泳ぎ回る日本カワウソの毛皮は二重構造になっている。
外側は粗い毛で、内側は細かな毛に覆われ、水濡れに強く防寒効果が大きい。
この特性こそが,日本カワウソの悲劇の原因ともなってゆく。
明治の日清日露の戦場は満州、大正期には長期シベリア出兵があった。
その日本陸軍の防寒着として日本カワウソの毛皮が重宝された。
各地で日本カワウソの乱獲が続けられ、やがてその姿は日本列島から消えた。

今も日本各地に、狸や狐と同じ様に日本カワウソを題材にした昔話が残る。
大体はその容姿や習性から好感をもって描かれている話が多い。
代表的な話が河童、つまり日本カワウソが「河童」の原姿、原風景である。

日本カワウソの残された写真、体長64.5-82.0cm、尾長35-56cm、体重5-11kg。
無題