2016.11.30 土鍋ひとつ
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火曜日の朝、土鍋で茶粥を煮て、体を温める。

日曜日は一日雨の中に居て、ついに風邪をこじらした。
塾生との打ち上げ会もそこそこに帰宅し、留守番をさせた愛犬「ハナ」に餌をやり床に就く。
月曜の朝は土鍋で水菜と豚肉を煮て、うどんを一玉入れて食し体を温めた。
昼は土鍋の残り汁で丸もちを煮て食す。
夜は、卒塾者の方がアルミ鍋で関東煮を持って来て下さったのを土鍋で煮て食す。
そして、火曜の朝が写真の茶粥で、昼もその茶粥を温め直して食す。
そこへまた、卒塾者からロールキャベツと柿の葉寿しの差し入れがあり、土鍋で温め食す。
今朝は土鍋でネギの味噌汁をこしらえ、柿の葉寿しを食そうと思う。
粟田口の善法と山科の丿貫(へちかん)という稀代の茶人を思い、私はほくそ笑む。

村田珠光を師とする善法は、燗鍋(かんなべ)ひとつで一生の間、食事も茶もまかなった。
この善法の楽しみ、胸中きれいなるものとして珠光は称讃したという。
丿貫も手取りの釜ひとつで朝毎に雑炊をこしらえて食し、砂で洗って清水を汲み茶を楽しんだ。
そして一首の狂歌をよみける、とある。
「 手どりめよ おのれは口がさし出たぞ 増水たくと人にかたるな  」
恐らく、丿貫の手取り釜と善法の燗鍋とは似たもので、口と手取りが付いた鍋釜であろう。
土鍋ひとつで三食を賄う私は、先達の姿に近付けたような気分でいる今日この頃。
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2016.11.28 コメント
春日茶会記事にコメントが入った
一つは、桂昌殿・薄茶席の下足番担当であった塾生から(写真の法被姿)
< ご存知だとは思いますが、桂昌殿は、5代将軍綱吉公の御母堂の桂昌院の祀られている場所です。八百屋の娘として生まれた玉子、後の桂昌院が、ある方の目に止まり、大奥に入られ、時の将軍家光公のお手つきとなり、身籠もられたのが後の綱吉公との事。
俗に言う玉の輿とは、正しく彼女から出た言葉で玉子の玉からが由来との事です。>

私はご存知ではなかった。春日大社の禰宜が何やら説明してくれたのだが・・
日本の自衛隊が云っていた予算不足演習のことを思い出した。
「偶(タマ)に撃つ、弾(タマ)が無いのが、玉(タマ)に疵」

もう一つは、広島から来ていた流儀のお弟子さんから
< ブログを拝読致しました。
大雨の中、床や草履を拭いて下さったり、私達のお着物を気遣い お声掛けして傘を差して下さったり・・・と塾生の方々は、先生のブログ通り 真摯に努めておられました。
また、先生のご指導が行き届いている事も感じました。
塾生の皆様に宜しくお伝え下さいませ。
またお元気なお姿でお会いできる事、楽しみにしております。
お身体、お大事になさって下さい。 >

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そぼ降る雨に濡れる春日大社の鹿、受付テント前である。

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春日大社貴賓館の裏口を濃茶席の入り口にした。

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桂昌殿という少し高台になっている御殿で薄茶席を持った。

今回の春日茶会では朋庵塾生は法被姿で下足番に励んだ。
私が外回りをしていると、よろず苦情係りの状態になってしまった。
不首尾で多くの客に迷惑を掛け、私はひたすら頭を下げ回った次第。
「雨の中に立たせて二時間も待たすの?」、「申し訳ございません、今しばらく。」
「どこか先に入られる席は無いの?」、「各席一杯でございまして、相済みません。」
「もう帰るから、お菓子だけ頂戴!」、「はい、そのように、申し訳ございません。」
私も責任者の一人ではあるので、逃げることなく其々の客苦情に対応して回る。
申し訳ないという正直な気持ちと、苦情の空気抜きになればとの思いでもあった。
雨の中で往ったり来たりで、客の苦情に対応する私の体調は悪くなり熱が出て来た。

そんな中で聞いた客の声が嬉しかった。
「下足番の方の動きには感動した。」
「雨に濡れながら床を拭いて、足下を歩き易くしてもらった」
「下足番の方が大きな声で誘導してくれて、分かり易かった」
朋庵塾の担当は「下足番」、雨の中で塾生は真摯に努めてくれたようだ。
この茶会が朋庵塾最後の出陣、塾生に頭が下がる私であった。
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奈良・春日大社の本殿入口である

明日に春日大社第六十次 式年造替を記念した上田宗箇流の茶会が行われる。
私は下足番として参加するので、今日はその準備がある。
三日前辺りから風邪気味で体調がすぐれないが、鞭打って出掛けよう。
2016.11.25 再来年の賀状
緑狸
「緑理」、私が高校時代から使っているペンネームである。
画像は東大寺学園・京大工学部と進んだ秀才の作だが早世、云わば遺作である。
ある時、「赤い狸と緑の狸」なんぞというカップラーメンのCMが出た。
武田鉄矢とかいう九州男が東京に出て来てテレビでおらぶ。
そのCMを見て以来、私は「緑狸」を使わなくなった。
唯一使っているのは古代史好き仲間「埋れ木座談会」でのHNにのみ。
「緑理」の意は、先ず狸が日本原産であること、正式名には本土狸(ほんどたぬき)。
大和・奈良の枕詞は「青丹よし」、この青は緑のことだというだけの単純思考。
狸はイヌ科の動物、私は来年が戌(いぬ)年と思い込んでいた。
そして昨朝、賀状の文面を事務所に送ったのだが、電話が来た。
「来年は酉(とり)年です」とか云々、私のボケ具合をあざ笑うかの話声。
早速、犬を鶏にした文面を先ほど送ったが、折角だから再来年の年賀を記す。

賀正、今年は戌年
犬の語源や犬の熟語、犬の話を探してみました
そんな中、柴犬が遺伝的に最も狼に近い犬種という話
私は一つの感慨を持ちました
この日本列島は、そのままを残し伝えるところだと
それは日本文化の特徴になっているように思われます
世界中で進化や変化が唱和されても、日本は違うようです
残し伝える意義が日本人の暗黙知となっているのでしょう

今年も、変らぬ一年でありますように
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季節最後の頑張りを示す「杜鵑・ホトトギス」と「姫蔓蕎麦 ・ヒメツルソバ」。

次期米国大統領・トランプ氏がTPP(環太平洋連携協定)からの離脱を表明したという。
このニュースで、私は自由貿易論の根底になっている比較優位説のことを思い浮かべた。
その説を初めて目にしたのは鬼才・小室直樹氏の著書「国民のための経済原論」である。
絶対優位な生産条件を持つ国が生産し、劣位な条件の国は輸入せざるを得ないのが自由貿易。
そう思っていた私は、小室氏の著書で比較優位という考えがあることを初めて知った。

ある小さな町に優秀な弁護士がいて、その人は弁護士として月に50万円の収入があった。
その人は、タイピストとしてもその町で一番優秀だったので自分で書類をタイプしていた。
弁護活動だけに注力すれば100万円の収入を得られるのにもかかわらず自分でタイプ打ち。
一方、その町には二番目に優秀な別のタイピストがいました。(三番目でも四番目でも良い)
弁護士は月に30万円の報酬を支払い、失業中だったそのタイピストを雇うことにする。
タイプ仕事から解放された弁護士は、弁護活動に注力した結果、100万円の収入を得た。
一人で弁護活動とタイプの両方をやっていたときに比べれば、弁護士は20万円の収入増。
被雇用者のタイピストも仕事と収入を得ることができた、という話である。

この比較優位を日米の貿易に例えたネット上の例え話。
同じ品質のコメ10㎏をアメリカで生産するには500円、日本で生産すると1000円とする。
両者の米の生産費を比べるとアメリカのほうが優位、これが絶対優位。
同じ品質の牛肉10㎏をアメリカで生産するには800円、 日本では2000円かかるとする。
牛肉の生産費でもアメリカのほうが日本に対して絶対優位にある。
絶対的な生産費を問題にする限り、アメリカ側には日本と貿易をする意味はない。
コメと牛肉の交換比率を考えると、アメリカでは牛肉1㎏でコメ1.6㎏を購入できる。
日本では牛肉1㎏でコメを2㎏購入でき、日本のほうがアメリカより優位、これが比較優位説。
たとえば、国際価格が牛肉1㎏に対し、米1.8㎏という交換比率に決まったした場合、
アメリカは牛肉1㎏を輸出することで日本から、米1.8㎏を輸入できるが国内では1.6㎏。
日本では、コメを1.8㎏輸出すれば牛肉を1㎏輸入できるが国内ではコメ2㎏が入用。
両国の両財の生産性の比率に違いがあれば、 貿易は起こり両国とも利益を得られる。

まま、実際にはアメリカが日本への牛肉輸出の交換にコメを購入することはなかろうと思う。
そこらが、トランプはんの思いで、アメリカが絶対優位なものは全てアメリカ国内で生産する。
比較優位説からみて貿易価値があっても輸入はせず国内生産で雇用を守ると云う話だろう。
アメリカがモンロー主義へ回帰することは赤支那の増長を後押しするだけである。
安倍はんはトランプはんと何を話して来たのか・・、ゴルフなんぞはどうでもええけぇ。
2016.11.22 柿の実
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我が家の裏にある神社の木守り柿、晩秋の風情。
木守り柿のことを述べたある俳人の言葉が印象深い。

<たくさんの後悔が心の中の枝にぶら下がっている。
柿の実をもぐように、その後悔を一つずつもいでいく。
もいだ後悔は、忘却と言う籠に放り込んでいく。
最後にもぎとれずに残ったこの後悔…
それは、己という幹を、冬の寒風から守ってくれる、木守柿なのだ。>

茶碗の世界にも「木守」というのがある。
長次郎七種茶碗と呼ばれ、黒楽の「大黒」「東陽坊」「鉢開」
赤楽の「早船」「臨斎」「検校」「木守」の七碗である。
利休が弟子に選ばせて、最後に残った茶碗に付けた名が「木守」とか。
出来た話だが、武者小路千家では家元襲名にこの木守茶碗を使う。

さて、本日11月22日は「いい夫婦の日」だとか。
今朝五時半のNHK・BSニュースで伝えられた夫婦の調査話が面白い。
今の夫婦関係に満足している夫婦は76,3%
もう一度生まれ変わったら同じ相手と結婚するは44,4%
その返答のうち、男性は52,2% 女性は36,7% という話であった。

まま、夫婦という幹に最後に残る柿の実とは何であろうか。
後悔と懺悔、そして辛抱と諦めなのであろうか・・。
因みに、柿は学名も「KAKI」と日本名で記されるが日本原産ではないらしい。
何故なら、縄文時代の遺跡からは柿が出土しないということである。
つまり、後悔するのは弥生人からであって、縄文人は「気にしない人」だった?

2016.11.21 箕(み)
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箕(み)に入れた楠木(くすのき)灰、手掛かりの下が壊れている。

陶工の塾生が楠木の灰を土嚢袋に入れて持って来てくれた、炉灰に最適なもの。
水に浸けて灰汁(あく)抜きをしてあるので、水気を取るため箕に移した。
箕は穀物の実をふるって、殻(から)やごみを除けるための農具である。
今の人は箕を塵取りだと思っているようで、箒と一緒に置いてあるところが多い。
昔の農家では、干した稲穂を脱穀機に通し、落した籾を箕でふるっていた。
横から大きな赤い団扇で煽ってゴミや殻を吹き飛ばしていたのである。
更に、もみ殻と分ける脱稃(だっぷ)という作業にも箕は欠かせない道具であった。

私の子供の頃、吉野では「山の人」のことが時々話題に上がった思い出にある。
吉野川流域の山間で支流の川原に簡素な蓆(むしろ)小屋を見ることがあった。
小屋の付近には焚き火の跡があったりもした。村の人が云う「山の人」に住まいである。
「山の人」とは「サンカ」と呼ばれる人達であったことは後から聞いた。
サンカは「山窩」や「山家」という字が当てられ、定住をしない人達であるとも後日に知った。
そのサンカの人達のことを「箕作・みつくり」とも云うと知ったのは学生時代である。
民俗学者・柳田國男の『「イタカ」及び「サンカ」』と題された人類学雑誌寄稿文が初めとか。
朝日新聞の三角寛という記者が創作を加えたサンカ小説を発表し、世間に流布した。
サンカは明治期には全国で約20万人、先の大戦直後に約1万人ほどいたと推定されている。
実際にはサンカの人口が正確に調べられたことはなく、数値は推計に過ぎないとかである。
このサンカの生業とされたのが「竹細工」であった、「茶筅」もその一つといわれた。
世界各地にも「箕」があり重要な農具とされているが、多くは木の皮や蔓・藤を使ったもの。
東アジアには竹材を使う文化が稲作文化と相まって広がっており、箕も共通する。。
日本には、竹細工に係わる人達を賤民扱いする俗説が横行している現状もある。
「山の人」も多くは賤民扱いされ、今ではその姿を消したという哀しい歴史がある。
九州民謡の「五木の子守歌」にある歌詞の一節、
♪ おどぅま かんじん かんじん あんひとたちゃ よかしゅう・・♪ とある。
九州辺りで「かんじん」と呼ばれていた人達も「山の人」であるという、そうすると、
♪ 盆からさーきゃ おらんど~ ・・♪ と続くのは哀しいというか、切ない子守の歌である。

写真の箕は手掛かり部分の下が湿った灰の重みで外れ千切れている。
この前の稽古の時に誰かが動かした所為であろう、犯人は・・・。
箕から出たワビサビ(^^)。
2016.11.20 同意者
104_ロ~1
昨日の11時から13時半の時間帯にBS放送で「ローマの休日」が放映されていた。
我々夫婦がそれに気づいたのは昼食時の12時頃のこと。
もう何度も観ており、場面や筋書・台詞も承知ながら夫婦でまた楽しんだ。
このブログで「ヨーロッパ旅日記」と題し、我々夫婦二人の欧州列車旅の顛末を記事にした。
いわゆる我々の「銀婚旅行」というもので、ローマには四日間滞在した。
女房殿はその時の記憶と重なり、場面毎にあれこれ喋りながら楽しんでござった。
確かに名画は何度観ても新しい発見があるもの、だからこそ名画と謂われる所以であろう。
「エデンの東」「七人の侍」「二十四の瞳」、何度も観た。思い出し涙も思い出し笑いもある。

さて「同意者」、このブロクが述べたことに同じ思いを持つ人が居ると知り嬉しい限り。
一つは、「生前退位」の「退位」と云う用語の使い方に私は異議を記述したが産経は同意した。
<産経新聞は、天皇陛下が天皇の位を譲る意向を示されている問題を報じる際、今後は「生前退位」という言葉を使わず、原則として「譲位」とします。 「生前退位」は、陛下のご意向が伝えられて以降、本紙を含めマスコミ各社で使われてきました。耳慣れない言葉でもあり、違和感を覚えた方も多いのではないでしょうか。・・(中略)・・現在、皇室は皇位継承者たる皇太子さまがおられ、陛下も「譲位」の言葉を使い、決意を関係者に伝えられたと報じられています。有識者会議での議論も本格的に始まり、「生前退位」という用語を使わなくても、十分にその意味するところが分かる環境になったといえます。 「生前退位」は過渡的な役割を終え、「譲位」こそ、今後の説明に適した言葉だと考えます。(校閲部長 時田昌)>

まま、売文業者の言い訳である、単なる見識不足であっただけの話にゴタクを並べては恥。
もう一つは、大川小訴訟同様に博多駅前道路陥没で損害賠償請求と云う話への私の疑問。
事故で休店を余儀なくされた営業者の賠償金辞退の記事、やはり産経新聞。
<陥没事故で支払われる賠償金について、辞退を申し出た経営者がいる。東日本大震災や熊本地震の被災地で支援活動に従事した経験から、「私たちの被害は小さかった。もっと他の必要なことに使ってほしい」と語った。現場道路沿いの薬局店主は東日本大震災や熊本地震の被災地で、薬剤師として支援活動をした。甚大な被害を目の当たりにした。だからこそ、今回の陥没事故で犠牲者が出なかったことに、心からほっとした。「一人の命も奪われなかったのは、現場のみなさんの素早い対応があったから。迅速な復旧にもありがたいと思っている」>

比べて、大川小訴訟の裁判で14億円の賠償金を勝ち取ったとして喝采する訴訟者たち・・。
2016.11.19 南下軍
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私の脇から布団に入り、顔を出して寝る愛犬「ハナ」。
晩秋の奈良は朝夕が冷えだし、ハナも布団にもぐり込んでくるようになった。

「 カチリ 石英の音 秋 」

この季節になるといつも思い出す三行詩である。 
旧制沼津中学三年生の藤 井 壽 雄という人の作だとか。
大正十三年のこととして作家の井上靖が本で書き残している。
この三行詩が井上に鮮烈な思いを与え、文学への傾倒を深めたとか。
井上靖は小説「北の海」で、四高柔道部の先輩の言葉として書いている。
<寝技の強い奴は必ず弱い奴に勝つんだ。立技(たちわざ)のように、弱い奴が強い奴に勝つ僥倖(ぎょうこう)はない、練習量がすべてを決定する柔道、それが寝技なんだ>
この柔道とは講道館柔道とは違い、絞め落すか関節の逆を取るまで戦い続けるもの。
高専柔術と呼ばれ、今は七帝大柔道として引き継がれているものである。
大学武道部の先輩が泊まりに来て二人で青春時代を回顧した余韻か、私はこの話を思い出した。

金沢の第四高等学校と京都の第三高等学校との対抗戦は柔道以外にも参加する盛大なもの。
四高の選手団を励まし送る応援歌「南下軍」、旧制高校の校歌・寮歌・逍遥歌・応援歌の一つ。
日本寮歌祭が平成二十二年の第五十回を以って終了したこともあり、最近は耳にしなくなった。
気になってネットで調べてみたら、あった。
https://www.youtube.com/watch?v=4DteMLYsvlo
https://www.youtube.com/watch?v=1JCemIPSOpk

青春時代を語り合える友と語る青春時代を持てたこと、人生の至福であろう。


2016.11.18 人生は絶対論
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朝日を受ける皇帝ダリア、二間の高さはある、別名天竺牡丹(テンジクボタン)。

昨晩、ウトウトしかけた九時半頃に携帯が鳴った。
「今、天王寺に居るのでそっちへ行く、泊めてくれ」、大学の先輩からである。
和歌山で用事を済ませ、大阪で一泊する予定だったが宿が取れないとのこと。
確かに最近の宿は取り辛く、特に秋の土曜日曜は逼迫しているようである。
ジャンパー姿で学園前駅まで出掛け、そのまま居酒屋で十二時過ぎまで話し込む。
久しぶり故、積もる話をしながら、半生を振り返り人生の決算はということになった。
二人の意見が一致したのは、その人の評価は他人には出来ないということであった。
自分の人生は自分にしか評価は出来ない、相対論でなく絶対論だと意見一致。
その人の生きて来た中身は他人には分らない、故に比較は出来ないということである。
ああすれば良かった、こうすれば上手くいったというのは後から思う幻想である云々。
家に戻って、抹茶を点てマタゾロ回顧談に花が咲き、二時を過ぎた。
二人の風談は、同じ環境と条件になれば再び同じことをするだろうという話に落ち着いた。
所詮は自分のこと、以上も以下もない、自分で納得することが人生の絶対論ということ。
皆、恥と涙の主人公である、誰かに支配されることも誰かを支配することもない。
つまり、責任転嫁をしなければ自分の人生は自分が主役として肯定できるということ。
アインシュタインが妙なことを云い出してから、相対論が広まった云々辺りで睡魔に負けた。

光り輝く皇帝ダリア、肯定(?)ダリアである。花其々が威厳に満ちて咲き誇っている。
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ドイツ紙が報じた博多駅前道路陥没状態写真と六日後の復旧写真

ドイツ紙は日本の行政と土木技術そして作業員を驚嘆と賞賛で伝えた。
ドイツだけでなく、世界各国でも驚嘆と賞賛の声が上がっているという。
確かに、あの道路陥没を六日で完全に復旧されたことには私も驚いた。
案の定である、早速に近隣の店舗やビルからの損害賠償請求の声が出ている。
福岡市の市長は倍賞に応じる考えを示したといういうことである。
と云っても、市長個人の金は一銭も出す訳でなく、金は福岡市民と国民の血税である。

この10月26日に東日本大震災で、いわゆる大川小訴訟の結審があった。
学校管理下の児童74人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校の悲劇である。
その中の23人の児童の遺族19家族が、市と県を相手に総額23億円の損害賠償を求めた。
仙台地裁(高宮健二裁判長)は、学校の責任を認め市と県へ14億円の支払いを命じた。
この話を聞いて私は複雑な思いと裁判官の資質に対する疑念を持った。
裁判官の知的レベルというか精神構造の問題と云うか、震災の死者は約二万人であること。
仮に、先の大戦は天災でなく人災、ならば被災者は数百万人となり、損害賠償の一貫性は如何。
この大川小訴訟に賛同なかったのは74人中51人の遺族、人数で訴訟者の倍以上である。
訴訟に参加しなかった遺族へは賠償金は? これは何故の訴訟なのかという話になる。
金銭目的なのか、それとも事実究明なのかということになろう。
児童を校庭で50分も待機させ、議論していた教師のアホ・ボケ・マヌケぶりは許し難い。
その教師も大半が死亡したが、震災後の市教委の対応は自己保身と組織擁護で汲々としていた。

私も、当時の報道で市教委の姑息な自己保身には怒りを覚えた記憶がある。
それが賠償金を勝ち取った段階で、市や県の控訴を取り下げる様に申し入れたという。
事実究明が目的と云うなら、裁判を続けてトコトン証人喚問や話の突合せを望むハズ。
その控訴取り下げ要求運動をする訴訟19世帯の行動に私は訝しさを感じるのである。
教師も10人死亡している災害で「先生の言うことを聞いていたのに」という横断幕。
判決時に『学校・先生を断罪』という文言を掲げて喝采する「遺族」たち・・何者であろう。
死んだ教師にも遺族がいることへの気遣いは無いということであろうか。
支払われる金は、震災で多くの犠牲者を出し辛苦をなめたご遺族の血税でもある。
博多駅道路陥没復旧報道に併せた付近の店舗・ビルには人災部分もあろう。
東日本震災は略天災と云えるもの、それを遺族19世帯へ14億円の支払い命令とは・・。
訴訟に加わらなかった51人の児童の遺族の方々の思いを忖度すべし、と私は思う。

一つの言葉を思い起した。
「他人の所為にするとは、他人に支配されていることである。」
この言葉は韓国大統領の「自立」という話で聞いた言葉である。
韓国大統領の末路に見る朝鮮民族の「恨・はん」の概念、悪いのは人の所為とする思考。
韓国大統領の度重なる不祥事と哀れな末路、それは韓国民自体の所為だと知ることが肝要。
朝鮮の歴史が他民族に支配され続け、自立が出来ない民族であった根本原因がそこにある。
大川小訴訟に大半の遺族が参加しなかったこと、そこに日本人の美質と矜持を感じる。
博多駅前道路陥没復旧を見た各国の賞賛報道、私は日本人を褒めてやりたいと思う次第。





国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(国際平和協力法・PKO協力法)のこと。
毎日新聞は、「殺し、殺される危険を伴う駆け付け警護が閣議決定された。」と報道した。
「派遣される陸上自衛隊の部隊の地元、青森市ではピリピリした空気が漂う。」として、
< 中東やアフリカによく出張する大手総合商社の男性社員(51)は「自衛隊員の方々には、本当に頭が下がる思いだ。国際社会で誰かがやらねばならない。無理をせず、がんばってほしい」と話す。その上で「自分の子や親族が隊員だったら絶対に反対する」と、複雑な思いを吐露した。>
<発展途上国の貧困問題解決に取り組むNGO「シャプラニール=市民による海外協力の会」(東京都新宿区)の藤崎文子さん(49)は懐疑的だ。「NGOは政府ができない問題に自力で切り込もうと活動する。どの組織も警護してほしいと思わないのではないか」 >

どうして新聞記者という連中は、事実報道をせずに扇動記事を書きたがるのであろうか。
商社男性の話とは「だからどうせい」というのでなく、「えらいこっちゃ」と煽るだけの記事。
NPOのオナゴはん、こういう人は危険状態になると「日本政府の責任」と云い出す人びと。
私は、NPOとい組織には懐疑的な思いを持つ。単なる税金逃れを企む連中が多い。
募金集めという名で、人の善意の金を食い物にして正義面するユネスコの連中に似ている。
今の奈良市市長もNPO出とやらで、チューインガムを噛みながら議会に出た御仁。
先の大戦で国民を煽り戦争拡大を支持した挙句、戦後は手のひらを返した朝日新聞の仕儀。
「日本兵の百人切り」という虚報を伝えた毎日新聞と「慰安婦」の虚報を伝えた朝日新聞。
共に、この日本と日本人を貶める大罪を犯しているにも関わらす、カエルの面に小便である。
上の記事を見るに、マスコミ人間の軽薄さと見識の無さ、ホンマ罪作りの懲りない面々である。
2016.11.15 食の事
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昨日記事にした奈良・今西酒造の秘蔵酒の空き瓶。独り酒で飲み干したが美酒であった。
「春鹿」の名と下に薄い金文字で「HARUSHIKA kioke-sake」とあるだけ、粋(すい)。
つまらぬ修飾語や宣伝文句を並べる品は、己の自信の無さを表しているだけのもの。
まま、そこら辺り、品も人も同じである。

独りで茶事料理の残り物、粕汁と菜飯で秘蔵酒を飲んでいて、もの思いに耽った。
茶事料理のことである。会席を懐石と云い出したの江戸の中期以降の話。
生産活動者へにじり寄り不労所得を目論む寄生者・坊主の戯言の一種である。
茶を頂くに空きっ腹は好くないというだけの話を「腹に軽く食す」として温石に例えた。
本来、石を温めて真綿や布などでくるみで懐中し、腹などの暖を取るために用いたもの。
この手の話に調子を合わすのは茶で飯を喰う算段をする人、つまり千宗旦以後の茶家。
坊主と茶家がつるむと碌なことにならないが、多くの善男善女がホッコリ来るのが世の常。
いつの間にか、この手の話が茶の湯の常識のように世間に流布することになる。
江戸初期までの茶の古文書には「会席」とあり、温石どころか二の膳三の膳と豪華な食卓。
風呂に入り酒を飲み、大いに食して歌の一ひねりを紙に書き記す遊戯であった茶事。
それを風雅、侘び寂びの講釈を付け、「茶の湯」の世界へ導いたのが村田珠光と武野紹鷗。
それが飯の種になると心得違いをした坊主と茶師が巧妙に茶の世界なるものを作った次第。

そんなこんなを頭の中にすると、食事前の「いただきます」の言葉が気になった。
本来の語意は、食物を与えてくれる神や人に対する感謝と御礼の言葉であったハズ。
それが、動植物の命を「いただく」、自分を生かすために死んでくれたものへの祈りとか云々。
これまた坊主の戯言から生まれた迷惑な話、殺され喰われたものは何が嬉しかろうや。
成獣どころか子羊や子豚の丸焼きとかをナイフと切り裂きホークで突き刺して喰う我ら人間。
子供を産み育てる哺乳類にとって母性の思いや殺生を受ける身の痛みは人間と一緒である。
その子を喰われる親の気持ちへの忖度と殺され喰われるものの断末への惻隠の情。
つまらんゴタクや偽善宗教の言い訳は無用、自分が生きるために食うと云っても良い。
ただ、自分が生きるために多くの命を「いただく」、その命達への忖度・惻隠の情は持つべし。

で思うのが食事の礼節である。
人類史で他民族の殺戮征服を繰返して今に勢力を伸ばした西洋白人や漢民族の連中の食事。
食事は皆で楽しく会話をしながら食べましょう、との食事スタイルが彼等の共通するところ。
西洋白人の食事前の祈りとは神への感謝の祈りで、支那人は「乾杯・カンペイ!」だけである。
食物となる生き物のことは、食物となることで使命を果たしていると思っているのであろう。
昔の日本では、「食事中に話をするな」というのが多くの家庭内の教えてあった。
それは、食物を与えてくれた神と同時に、死んでくれた命への感謝・御礼・祈りを意味した。

日本語の特徴に味覚表現・食感を表す言葉が多いと聞いた。
ある調査によれば、食感を現す言葉はフランス語は約230語、支那語は約140語、
ドイツ語や英語は約100語とか、一方で日本語には445語あるということだった。
日本人は静かに食材を味わうことで、その食材の生きて来た命を知るのである。
その証が日本人の言葉に味覚表現・食感用語の豊富さであろうと思う。、
私も独り静かに紅シャケ・大根・菜飯・酒粕を食し酒を飲む、うん?米類が多い。
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紅シャケと大根の粕(かす)汁、茶事ではこれに菊菜が添えてあった。

昨日は塾生が卒塾者夫婦三組を招いた炉開きと口切りの茶事を行った。
二名は前日から泊まり込んで石臼の掃除と炭切り・竹箸作り等の下準備をした。
近所の畑から大根一本を引き抜いて(断っている)持ち帰り、葉っぱの水揚げする。
一人は取肴(八寸)に自作の燻製シャケと自庭の銀杏の実、そして柿の実を干して持参。
他の四名は当日八時頃に来訪し、全員で茶事の支度に取り掛かった。

土鍋に昆布の出し汁と酒粕を入れて煮溶き、中辛紅シャケの切り身を放り込む。
前夜に水煮した大根も入れ、煮立ったところへ菊菜を加えて蓋をする。
飯を十一時にセットして、大根の葉と油揚げ(松山揚げ)をゴマ油で炒めて味付け。
炊き上がった飯を半切り桶(写真は裏側)に空け、炒めた大根葉を加えて混ぜる。
私は、ボラの身を火で炙ろうと魚焼き器の網に乗せ、ガスの火を付けた。
そこへ卒塾者のご夫婦方が来訪、アレコレと話をしていてボラのことが頭から飛んだ。
途中で慌てて魚焼き器の処に戻ると、シッカリ炙り過ぎなっていた。(涙)
半焼きになったボラの身ながら、すし酢にミョウガと青シソを加えて無理やり鱠に仕上げた。

塾生は一汁一菜を折敷で配膳し、先の茶会で今西酒造から頂いた辛口の秘蔵酒を出す。
日本酒に蘊蓄を持つ卒塾者(単なる酒飲み?)が女性用日本酒を持参し、秘蔵酒を独り占め。
会席と並行して炭点前を初め、炭を終えると茶壺を持ち出し日本刀の小柄(こづか)で口切り。
茶壺から取り出した小半袋の濃茶を廊下にて石臼で挽き、席では取肴を出し酒を奨める。
八寸盆に山の物は銀杏、海の物は燻製シャケ、作った塾生が然り顔で客の椀蓋へ配り回る。
香の物に今西酒造から頂いた奈良漬けを出したが、塾生の誰もがほうじ茶を忘れている。
卒塾者の奥方が「香の物が出たからお茶漬けにしましょう」と暗に催促しても誰も知らん顔。
仕方なく、私がほうじ茶を急須に入れて持って来たが塾生の反応は鈍い。(哀心)
本来は湯桶で焦げ飯の湯漬けを出すところを、急須でほうじ茶とはその簡略茶事。

挽いた濃茶と薄茶は四滴茶入で点てた。(四つの型の茶入に蓋は一つというもの)
菓子は娘持参の岐阜・中津川名物の栗饅頭と塾生の手作り干し柿、まま、茶菓子の原型。
最後に、塾生から卒塾者にこれまでの礼の口上があり、何とか茶事稽古を終える。
稽古終了後、来る春日茶会の打ち合わせをするが資料が届いておらず不完全燃焼。
気が付くと、皆が着物の中で私だけがトレーナ着用のままであった・・。(慙愧)
皆さんを送り出した後、愛犬「ハナ」を台車に乗せ家を出た。道は薄暗くなっていた。
朝の茶粥一杯だけだった私は空腹感を覚え、茶事の残り物を探した。
菜飯茶碗一杯分と粕汁がこれまた椀一杯分だけが残っていた。(写真分、菊菜は無い)
酒はアレコレと持ち込みが仰山あり、すきっ腹にはよう効いた。
気が付くと布団の中であった。

石臼の下に四滴茶入と蓋、上右が弦付(つるつき)、左が手瓶(てがめ)、
そして下右が水滴(すいてき)、左が油滴(ゆてき)。
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2016.11.11 ハナのお通り
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荷車に乗った愛犬「ハナ」。
今朝の散歩は「ハナ」を荷車に乗せて秋篠川の河原まで連れて行った。
先日、記事「花落知多少」の書いたように目の悪いハナが二㍍下の川に落下した。
その時に前足を痛めたのかビッコを引き、この二・三日は歩くことが難しくなってきている。
それでも、ウンコとオシッコはさせなければならない、ハナは律儀で家周りではしない。
私は荷車を牽き「お犬様のお通り」を演じることになった、道行く人の目に笑顔で応えながら・・
2016.11.10 男の盃
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「トランプはん、ワイの盃、受けてもらえまっか、ワイらは命を懸けて日本を守りまっせ。」

アメリカ大統領選にトランプ氏が勝利したことで、各国首脳の反応が報じられている。
小泉劇場の郵政選挙で自民が大勝した時の日本のマスコミの反応によく似ている。
私が面白いと思ったのは、ドイツのメルケル首相とハンガリーのビクトル首相の談話。

ドイツのメルケル首相は
「ドイツと米国は民主主義、自由、法の支配の尊重、そして、出自や肌の色、宗教、性別、性的指向、政治的信条に左右されない人間としての尊厳という価値観を共有している」と述べ、首脳としての責任について念を押した。
.
一方、ハンガリーで強硬な反移民政策を進める右派連立政権のビクトル首相は
「素晴らしい知らせだ。民主主義はまだ生きている」

「郵政選挙」で自民大勝が報じられた時のテレビ画面で見た筑紫哲也と鳥越俊太郎の呆け顔。
イギリス国民投票でUE離脱が決まった際のイギリス首相の顔付きも同様であった。
その事態が起こる前の伊勢志摩サミットでの各国首脳もタカを括っていた顔付であった。
自由と平等という相矛盾する話を口に民主主義を説くなんぞ詭弁問答、反吐が出る。
理念理想の嘘話で民衆をたぶらかす世界から自我の本音を主張する真っ当な世界に向かう転機。
トランプはんの云う日本への主張というか注文・・、正論である。
日本もいっちょ前のことを云いたければ自分の国や国民を自分で守れ・・、当然である。
沖縄の米軍は撤退し、穴埋めは日本の自衛隊がする・・、これで沖縄米軍基地問題解決。
赤支那の軍事的脅しに日本は核武装を・・、母親のスカートの中に隠れて石を投げんこと。

トランプはんと男の盃を交わそう・・、日本酒で。

安倍晋三首相は、トランプ氏に祝意を伝えるとともに、「日米両国は、自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった普遍的価値の絆で固く結ばれた、揺るぎない同盟国」と述べた。

分かったような分らんような・・、微妙なゴタク。
2016.11.09 119番の日
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我が家の鰐口(わにぐち)、夜咄の茶事に喚鐘代わりにしている。

仏堂や神社の向拝場所に掛け、つるした綱で打ち鳴らす道具である。
「鐘が鳴るなり法隆寺」とかいう寺の鐘が「梵鐘・ぼんしょう」。
火の見櫓に掛けられて、火事を知らせるのに叩く鐘が「半鐘・はんしょう」。
梵鐘の口径は二尺程度以上とし、それ以下を半鐘とするのが元々の鐘の区分とか。
小さい鐘を呼び鈴代わりに使われたのが「喚鐘・かんしょう」、夜咄の茶事で云う「鳴り物」。
日中の茶事では銅鑼を鳴り物使うが、銅鑼の響きは闇夜に好ましくないので喚鐘を使うとか。

表流では、小間で銅鑼を「大小大小中中大」と七点、広間で喚鐘を「大小中中大」と五点
夜咄で板木を用いる時は「大小大」と三点打つとか。
裏流では、小間で銅鑼を「大小中中大」と五点、広間で銅鑼を「大小大小中中大」と七点、
夜咄では喚鐘を「大小中中大」と五点打ちとか。
武者小路では、銅鑼を「大小大小中中大」と七点、客の人数によっては「大小中中大」と五点、
夜咄では喚鐘を「大小大小大」と五点打つとか。
遠州流も「大小大小中中大」の七点、「大小中小大」の五点、「大小大」の三点の三種とか。
鳴り物とは、亭主が迎えに出るところを客が「どうぞ、鳴り物でお知らせを」と遠慮する話。
流祖・上田宗箇は鳴り物として火縄銃をぶっ放したとある、武人の道具とは武具ということか。
私は、皆が神社や仏堂の鰐口を鳴らして賽銭箱に金を出していることにあやかった。
しかし、これまで誰も賽銭を置いて行かない、罰当たりな人のことを私は放っておこう。

因みに、今日11月9日は「119番の日」、なぜ1月19日でないのか私は知らない。
更に因みに、消防記念日は3月7日ということらしい、その違いも私は知らない。
火事となれば、半鐘が打たれ鳴り響く、そこで我が家の鰐口へ言及しただけのこと。
もう一つ因みに、我が娘婿は消防署で働く救急救命士、丈夫なガタイだが薄給・・
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お向かいの垣根に山茶花の花が咲き出した。つい口を吐く歌は・・
♪ さざんか さざんか 咲いている 焚き火だ 焚き火だ 落葉焚き ♪

恩師の御主人は大正十年生まれの九十六歳、お話出来たのは嬉しかった。
私の父も大正十年生まれだが六十五歳で亡くなったと云うと、御主人がボソリ一言。
「後二十年は生きてもらいたかったなぁ」
私は、父の記憶と併せてある悲劇の親日朝鮮人のことを思い起した。

その御仁の名は朴鉄柱。
大正十一年釜山生まれで平成二年一月逝去享年六十八歳。ほぼ私の父と同じ。
大東亜戦争下に日本の皇典講究所を卒業、下関の住吉神社に奉職、戦後韓国に帰国。
朝鮮動乱を経て、昭和二十九年五月に「日本文化研究所」を設立
李承晩大統領の反日政権下にあって苦汁を嘗めさせられる。
朴氏は「反共法」に引っ掛かり裁判にかけられ、三年半の刑が言い渡される。
著書は全て没収・焼却されたが、彼はそれでも自分の一念を曲げず、
「日本文化研究所」は名称を「韓日文化研究協会」と改め、細々と続けた。
資金はなく、生活は文字通り赤貧洗うがごとき状態の中でこの世を去った。
亡くなる一年前の平成元年一月に先帝陛下の御大喪の際に来日したという。
朴氏は肺がんに犯された体に鞭打っての来日だったとか。
私は、その三年前に肺ガンで死んだ父を見送っていたことになる。
その悲劇の親日家・朴鉄柱の話した内容が残されているので掲載したい。

<韓国から日本をながめていると、日本が〝心〟という字に見える。
北海 道、本州、四国、九州と〝心〟という字に並んでいるではないか。
日本はすばらしい。万世一系の御皇室(御をつけらる)を戴き、歴史に断絶がない。
日本固有の神道が、現在に至るまで相続されており、全体が調和された形でできている。
〝八紘為宇〟という考え方は、日本の大らかさの現れであって、これは積極的に世界に知らせる必要がある。
それに較べて韓国の歴史は、悲惨であって断層が深く、涙なくして見ることはできない。
暗い場所から見れば、明るい所は余計にはっきりと解る。
韓国は日本文化の豊かさの中から学ぶことによって、内面的支柱を確立するよう努力したい。>

大陸から見る日本列島、「心の字」
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奈良・圓照寺に伝わる山村御流の生け花、私は好きである。
京都の華道流派の華美な花と比べ、楚々として茶花のそれに近い。

圓照寺は、奈良市山町にある臨済宗妙心寺派の尼寺で山号は普門山。
斑鳩の中宮寺、佐保路の法華寺と共に大和三門跡と呼ばれる門跡寺院である。
別名を山村御殿といい、 華道「山村御流」の家元でもある、
三島由紀夫の小説「豊饒の海」に再三登場する「月修寺」は圓照寺がモデル。
一日のブログ記事「下足番」に掲載したメール文を書いた塾生は山村御流を習う。
今西家書院の女将も山村御流の花をされ、書院の其処彼処に毎朝花を挿されていた。

十月二十七日に三笠宮殿下が薨去され、皇族が動向でテレビに放映されていた。
その影にもう一人の女性がおられたことを伝える話は寡聞であった。
三笠宮殿下の双子の姉君(妹君?)、昭和天皇の妹君の絲子様のこと。
その人のことには誰も触れず、報道もされなかったが奈良では知られていた。
その人のことが世間でも知られるようになったのは三島由紀夫の「豊饒の海」。
奈良の地では、圓照寺の御門跡のことは公然の秘密として語られていた話である。
絲子様は八歳にして得度され、小学校にも上がらず静山尼という名でこの寺に入山。
平成二年に七十九歳の生涯を終えられるまで、山村御流の家元でもあった御方である。

私のところの塾生は赤膚焼の窯元で、山村御流の花器を焼いている。
先のメールの塾生といい、山村御流とは何処かで馴染みがある。
三笠宮殿下薨去の話題が出ている中、一人の御婦人の一生のことも記憶に留めたい。
義務教育の小学校にも通えなかったヤンゴトナキ御方が奈良に戻っておられたことを。
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2016.11.05 茶人の坐り方
日本人の坐り方の続きとして、茶人の坐り方を残された画図で紹介する。

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武野紹鴎、ウキペディアでは堺の生まれと記されているが違っている。
母方は大和の豪族中坊家、その地領の吉野で生まれ奈良に遊学し、京へ出た。
この著者・武野宗延氏は本姓が岡本氏で、母方が武野紹鴎末裔にあたる御仁。

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本の表紙は紹鴎の足の部分が隠れているために、全体図を載せる。

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茶人として最も有名なのは千利休だが、その実像は時の権力に取り入る政商であった。
一応紹鴎の弟子とされているが、教養・力量・感性は紹鴎に及ばないように思う。

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利休の後妻の連れ子・小庵の子が千宗旦、今の三千家と呼ばれる茶家の祖となる。
宗旦は茶で飯を喰う茶家の形をつくり、稽古や相伝の体系化が始まることになる。
そして僧籍でもないのに自分の書を弟子に売り、墨蹟扱いをさせるという悪癖を生んだ。

画像のこの三人、誰もが安坐であり、端坐(曰く正座)の坐り方をしていない。
利休・宗旦の坐り方を見ると、千流の方々の云う「お茶は正座」とは真っ赤な嘘。
まま、嘘も百回云うと真実になるという話の典型である。

先の記事で四股と蹲踞のことを書いたが、拍手やいいね!の反応は少なかった。
まま、文章も漫然として長ったらしく読んでもらえなかったものと思われる。
然は有れど、日本文化の何であるかを書いたつもりである、しつこく続けてみる。
今般の添え釜は一席に三人や五人の客を迎えて、四日間で四十六席となった。
我々が武者点前と称する安坐点前をすると多くの人から坐り方への質問があった。
つまり、お茶は「正座」という巷の「常識」がその裏にあるということなのであろう。
実は、坐り方に「正座」という言葉や概念が出て来たのは明治の中頃の話である。
千の裏流が女学校の習い事を任されてからのことで、小笠原礼法の言葉ともいう。
今の「正座」という坐り方は、本来「端坐・たんざ」という呼び方をされた土下座坐り。
ということで、四股・蹲踞に続き今回は坐り方の話をすることにした。

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江戸末期に来日した欧米人が撮影した「主人を待って控える侍と小者」である。
侍は袴で分り辛いが恐らく「立て膝坐り」、小者は蹲踞が崩れた「かえる坐り」。
「かえる坐り」には正式名称がない、俗に「うんこ坐り」、今で云う「ヤンキー坐り」。

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「安坐」、当流の武者点前の坐り方である。下座に足の裏を向け客に向けないのが礼儀。
胡坐との違いは両ひざが畳に付くこと、安坐は腰がキチッと伸びるが胡坐は腰が曲がる。
織部流の古文書には「彔(ろく)坐」とあり、おたいら坐りとも云われる。

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「立て膝坐り」、もう一方の足が跪坐であれば瞬時に動ける、云わば「待ちの姿勢」である。
立膝を右足にすれば抜刀が出来る居合いの型でもある。由って茶では左足を立てる。
立てた片膝で一方の片膝を横にして挟み、手を立膝に乗せると朝鮮の「妓生坐り」。
「片膝坐り」とも云われるが、薬師寺にある神功皇后像は何故かこの坐り方である。



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「跪坐・きざ」、これも待ちの坐りである。そのまま立てば「一足立ち」という所作。
当流の立ち坐りはこの跪坐を基本ととする。蹲踞の前後の所作でもある。

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「楽坐」、天皇を初めとした束帯装束の高貴な坐り、雛人形のお内裏様坐りである。
武家の狩衣装束も楽坐か安坐、当時は板間なので端坐(正坐)は不自然で無理がある。
日本人の坐り方にも日本文化の歴史があること、まま、拍手が少なかろうが云っておきたい。
2016.11.03 足の裏
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貴乃花の四股、よく足を上げて体を止めると足の裏の筋力を鍛えることが出来る。

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相撲の蹲踞(そんきょ)の姿勢。蹲踞を「つくばい」と読むと千流でいう「手水鉢」である。
相撲だけでなく剣道・弓道・日本拳法という日本の武道はこの蹲踞で構えることが多い。
足裏の筋力と共に均衡感覚を養う。蹲踞で尻もちをつくようでは、引退が間近い(私)。
四股と蹲踞のように足裏の筋力と均衡感覚の鍛錬法は世界の運動の中で珍しいという。

前と前々回のブログ写真を見て、私はあることに気付いた。草履である。
前々が露地草履の写真、前がサンダルの様な草履を履くスーチーはんの写真。
図らずも、鼻緒文化という共通点を見出して、少々面白く感じた。
靴文化は欧州から朝鮮半島にかけユーラシア大陸を東西に跨る文化の証である。
「靴」という字で分るように革製であり、牧畜・遊牧文化の民の生活用品である。
鼻緒文化は田下駄に始まる稲作文化の民の生活用品であり、日本もそうだ。
日本の鼻緒履物は下駄は木製、草履・雪駄はイ草で草草履・草鞋(わらじ)は藁(わら)製。
和装の履物としてはイ草製の草履が格が高いとされ、正式な場は男女共に草履を履く。
最近は、ウレタンやビニール・革素材の草履や雪駄が増えて来ているようだ。

南支那・雲南からアッサム・ビルマ・インドシナに跨る東亜半月弧の稲作文化圏。
その最東北にある日本列島で下駄・草履の鼻緒文化が最も盛んに花開いた。
支那、漢族の文化は小麦の食文化と靴の世界で、欧州・中近東も同様である。
隋・唐の様式を入れた奈良時代の貴族文化は靴(沓)が主流となったが、束の間のこと。
平安中期から庶民が履物を使う室町期には鼻緒履物が主流となったようだ。
鼻緒履物は世界で「日本スタイルの履物」とも云われるが、日本では衰退気味である。
ある時、中年の友人に下駄を履かすと足の中指と二番指(人差し指?)で鼻緒を挟んだ。
友人宅には畳がなくテーブルと椅子の日常であり、草履も下駄も掃いたことがないとか。

靴は足のつま先で蹴るように前に出で、足先から着地するので体が前のめりに進む。
鼻緒履物は鼻緒を持ち上げて、踵(かかと)部分から着地するので腰が残る感じで進む。
つまり、鼻緒履物の方が足裏と足の指、そして腰を鍛えることになるという。
相撲取りは鉄製の思い下駄を履いて足腰づくりをしているという。
更には、和式便所は足腰の鍛練に大きな効用をもたらしていたということである。
鼻緒履物と和式便所の衰退は、日本人の老化症状に大きな影響を与えると聞いた。
今では私も和式便所の使用が苦痛となって来ている。昔の足腰ではなくなっている。
鼻緒サンダルを履くスーチーはんの「軟禁邸宅」の便所は、間違いなく西洋式であろう。
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「百杓百杓展」の添え釜で茶器に使ったビルマの煙草入れ、鼎型で少々扱いにくい。
因みに国名のこと、ビルマ(バーマ)が口語でミャンマーが文語だとか云々

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自宅「監禁」中であったスーチー宅を米国のクリントン夫人が訪れ、二人で裏庭を歩く。
イメージが壊れるのを恐れたのか、この写真が報道されたのは日本の産経新聞だけという。

昨日、来日したビルマのスーチーのこと、いけ好かん女だと私は思っている。
英国で教育を受け、年下の英国人と結婚し、英国に暮らしたビルマ人の顔をした英国人。
二人の子供は英国で英国人として育て、家族内の言葉はもちろん英語である。
英国の植民地政策とは原住民の一部を上層階級とし、英国人の補佐役に仕立てる方法。
つまり「夷を以て夷を制す」というもので、その典型がスーチーの使い方である。
彼女が特別扱いされたのは、ビルマ建国の父・ウンサン将軍の娘というだけのこと。

支那事変の期間、英米はビルマルートで蒋介石軍へ軍事支援を続けていた。
当時のビルマでは日本と英米の諜報合戦となり、日本は特務機関「南機関」を作る。
外部には「南方企業調査会」と呼び、独立の志を抱くビルマ人青年三十人の軍事訓練を行う。
リーダーはアウンサン(日本名:面田紋次)で、「ビルマ独立義勇軍」として日本軍と連動。
ところが、日本軍の敗色が濃くなると連合軍と手を結び、日本軍の背後を襲撃した。
この背信行動には、結成時の三十人の中で三人が反対、一人が自殺(ボ・ミンオン)する。

ビルマ独立前にアウンサンは暗殺され、独立後に義勇軍出のネウィンが軍事政権を樹立。
ネウィンは今のビルマに必要なのは「開発独裁」だとして軍事政権下で強権政治を進めた。
ネウィンは自主独立心を以って国政を行い、共産支那とも欧米とも一線を敷き孤立した。
欧米人と共にビルマ経済を牛耳っていたインド系や支那系を追放し、軍人に任せた。
武士の商法で国の経済は疲弊、ネウィンは「清く貧しく美しく・社会主義国家」を唱えた。
当時の世界でビルマに援助を続けたのは日本だけであったが、世論に圧され援助を止めた。
それでも、日本政府は援助を全面的に止めたのではなく、人道援助は遠慮がちに続けていた。
親日国であるビルマに対して日本が援助を続けたこと、私は今以って日本は正しかったと思う。
そのビルマへ英国の手先として送り込まれたのが英国滞在暦三十年余りのスーチーである。
スーチーは、日本の人道援助も軍事政権を喜ばすだけだと日本を激しく非難していた。
まま、こういう非難が出来ること自体、ビルマの「軍事政権」が、赤支那や北朝鮮と違う証拠。

そんな彼女に欧米各国の大学が賞や学位を出すという話、欧米人の人権思想のマヤカシ。
そのスーチー、日本のことをこうオヌカシあそばした。
<日本人は勤勉だ。だが、経済成長が最優先され、窮屈に生きている。他のアジア人に優越感を抱き、あらゆる機会を利用し金もうけをしようとしている。男性は女性を蔑視している。>
更に彼女は、ソウルで「日本は慰安婦問題などを認めない。関心を持ってほしい」と云われて、
「過ちは誰でもあるが、過ちを認めることをためらうことこそが本当の過ちだ」と述べ、日本の姿勢を批判。

外人とくっ付き、外人の子を産みながら、母国に戻って政府の悪口を云い、恩ある日本を貶す。
そういう女は真正のアホとしか思えない、実際彼女は大学を学力不足で右往左往している。

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昭和五十六年、ビルマ軍事政権のネウィン大統領からアウンサン勲章を受けた南機関の各氏。
写真に写る御婦人は鈴木敬司機関長夫人である。
ネウィン(高杉晋)は親日を貫き、ビルマ義勇軍の日本軍への裏切切りを詫びたという。
2016.11.01 下足番の心得
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前に載せた露地草履、私が豆手拭いで鼻緒を修理したもの。

私のところへ月一度ぐらい滋賀県から車で通って来る医者の塾生がいる。
父親が奈良医大出身で、子供の頃は奈良・橿原で住んでいて奈良には郷愁があるという。
彼は週に一度早朝から比叡山に参り掃除や勤行、月一で山村御流の京都稽古場にも通う。
今回の茶会には最終日しか参加できないということながら、最終日は会場に一番乗り。
私は、稽古の遅れがある彼に「花番」を頼んで、茶席の花のことは全て任せた。
彼は持参した自分の花切りバサミを出し、手拭いを懐に花を入れ、席ごとに霧を吹いた。
茶会後の彼からのメールを読み、去来したのは来る春日茶会での井谷社中の役目「下足番」。
下足番の心得として通じるものがあるので、彼のメールを塾生諸氏に転送した。
その一部を掲載。

< 昨日は、お疲れ様でした。また、1日しか参加出来ず、本当に申し訳ありませんでした。計194名の方々に、茶を振舞われ、他の方々の疲労は元より、先生におかれては、四六時中亭主で入られ、さぞお疲れになった事とお察し申し上げます。あのような由緒ある書院での茶は、初めてですし、見るもの、聴くもの全てが新鮮であり、茶の魅力を新たに認識した次第です。又、上田宗箇流が、皆様には珍しいと捉えられたようであり、貴重な茶道を学ばせて頂いてる自分がとても幸せに感じ、心地よい疲れの中にも満足感をもって帰路につきながら、場面場面を思い起こした次第です。それに、やはり、皆様が凛とした姿で点前をされる姿を羨望の目で見ざるを得ませんでした。もっとも、月一の稽古も、諸々で伺えない自分だけに忸怩たる思いではありますが、止むを得ません。せめて花だけでも貢献出来たのは、幸いでしたが、自分ではまだまだだ、と思います。最後の一席で花を入れ替えたのは、哀愁が漂う日暮れに差し掛かり、色を無くして、秋の枯れもあるヤハズススキとエノコログサですと、茶室に寂を呼ぶのではないかという手前勝手の思いつきより、無理を申し上げてしまいました。所謂千秋楽の席を静かに、演出し、深まる秋の夕刻をわかるかわからないかのおもてなしで入れさせて頂きました。1人でも目に留めて頂けたなら幸いです。
春日大社も1日しかお手伝い出来ませんが、御指導の下、きちんと下足番を務めさせて頂けたら幸いです。取り急ぎ御礼まで。>

茶室に明りがないため、彼が入れた花の写真は写りが悪いので割愛する。