2017.01.30 初宮参り
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名古屋・熱田神宮の神楽殿にある手水、横に消毒液とは面白い。

昨秋生まれた孫の初宮参りで、婿の地元・名古屋の熱田神宮まで行った。
祈祷を受け玉串を奉納するところが神楽殿と呼ばれている。
その時の席は15・6組の夫婦や祖父母が集まってお祓いと祝詞を受けた。
入り口脇にある手水を使い、手を浄めた人は半数もいなかった。
まま、今の時世、神社へ初参りに行くだけでも良しとせねばなるまい。
ところで、手水の柄杓扱いを見て、つい気になるのが私の悪い癖。
当流のやり方は次のような所作で手水の柄杓を使う。(参考まで)

1、手拭いやハンカチを腰に付けておく。
  (濡れた手で懐やポケットをま探るのは如何なものか)
2、右手で杓の柄をとり、手水の水を汲み左手を浄める。
3、左手に柄を渡し、右手を浄めて水を使い切る。
4、また右手で柄を持ち、手水の水を汲む。
5、水を左の手の平で受け、二度口を漱ぐ。
6、杓を立て、残りの水で両手の指と柄を洗い流す。
※柄杓の扱いが男女で違う。男性は柄を上から取ってそのまま握って持つ。
 女性は取った手の親指を下から回して、柄を親指で挟むようにして扱う。

舞台では、御幣(ごへい)を持った神職が御祓いをし祝詞(のりと)をあげた。
続いて、鈴を持った巫女二人が現れ神楽を舞い、雰囲気を醸し出す。
舞台横に神官が坐り、琴や笙(しょう)、篳篥(ひちりき)、龍笛(りゅうてき)を奏でる。
皆々は畏み、頭(こうべ)を下げ、最後に二礼二拍手で無事祈祷は終了。
神職や巫女の所作、眼付、足や手の動きが気になってしまうのも私の悪い癖。

この後、娘夫婦は両家の親を料亭に招き、赤ちゃんの「お食い初め式」を開催。
乾杯を前に、婿殿が両家の親に対し正座で一言口上を述べた。まま、上出来。
私は喉が渇き、乾杯の前から独りでビールを飲んでいたのだが‥。
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若草山に点火され(花火の大輪の下)、花火が打ち上げられている。
昨夕の6時過ぎ、晩酌を始めたらドンドコと音が聞こえるので外を見ると山焼き。
昔は、成人式と山焼き(大とんど)は1月15日と決まっていて分かり易かったもの。
それが最近は祝日がウロウロするので気にしなくなってしまった。

先の囲碁対局の日、大阪ガスで第二の定年を迎える従弟が社員を伴なって来た。
何でも、平成27年6月17日に「電気事業法等の一部を改正する等の法律」が成立。
公益事業たる電気事業、ガス事業及び熱供給事業に係る制度の抜本的な改革とか。
電気・ガスの供給事業と送配事業が分離されたという話である。
電線やガス管という送配事業と電力会社やガス会社の供給事業との分離である。
大阪ガスで作った電気や関西電力で作るガスも需要者に届くということらしい。
確かに、ガス会社が電気の電力会社がガスのテレビコマーシャルを目にする。

そんなこんなで、従弟が来て我が家の電気は大阪ガスから供給されることに。
従弟は部屋の臭いが気になると云って、社員に空気濃度の測定をさせた。
私はその日、囲碁対局のため炉で炭を熾して、釜の湯を沸かしていた。
社員は表情を変えて、「これはアカン」と測定器を従弟に見せた。
従弟は、「この炭は使用禁止や、この数字を見て」と云い、用紙を出した。
CO濃度の一覧で、一酸化炭素中毒の危険性を表示したものであった。
濃度0.02で軽度の頭痛、0.04で吐き気、0.08二時間で失神、0.16二時間で致死。
0.32なら三十分で致死とあるのに、この部屋は0.4を超えているとか云々。
社員は早速に窓の開放を始めた、真剣な表情である。
まま、この炭は同級生が焼いてくれたもの、捨てがたい。
私は「茶の稽古途中でホンワカする気分になるが、そうか・・」と茶を濁す。


今日の朝刊には明治神宮で行われた稀勢の里土俵入りの写真が大きく出ていた。
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太刀持ちが高安、露払いが松鳳山。嬉しくなった。
1月12日のブログ「今日の大相撲」で縄文人体質を持つと書いた二人である。
19年ぶりに実現した日本人横綱の両脇に縄文人体質の力士二人が控える。
何とも感慨深い土俵入り絵図である。
まま、しかし、真冬の冷気に晒されて、裸の土俵入りは寒かろうに・・
2017.01.27 珈琲点前
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「御茶銘は?」 「キリマンジャロの中細挽でございます。」
「御詰は?」 「京都の小川珈琲でございます。」
「ええ香りで、酸味が効いて美味しおすなぁ。」  「おおきに。」

この水曜日は、同級生との定例持ち回り囲碁対局の日であった。
数年の間、二人でやっていたのが今は三人の巴戦になっている。
拙宅当番のこの日は寒かったので、来た二人はすぐに炉の側に坐った。
私は汁粉最中を椀に入れ、釜の湯を注いで彼らに渡した。
彼らは顔に湯気を受けながら、椀の中の最中を潰して食した。
女房殿が熱いほうじ茶を湯呑に入れて持って来てくれたので対局開始。
先来の同級生と私が二子置いての勝負、一時間程で彼が投了。
続いて、来訪者同士の対局となり、私が珈琲点前をした次第。
半世紀を超す付き合いで気の置けない者同士が碁盤に向かっての問答。
人生の醍醐味かも知れんと、心でほくそ笑む。
この日は私が二勝、再度ほくそ笑む。
朝刊に韓国裁判所が朴 裕河教授へ無罪判決とあった。真っ当である。
無題
岡本喜八監督の戦争映画「血と砂」、馬に乗っているのは朝鮮人慰安婦。
昭和四十年度の芸術祭参加作品で、私も観て感慨を覚えた。
https://www.youtube.com/watch?v=kG-c0Q25W5A

主演は陸軍曹長役の三船敏郎と朝鮮人慰安婦役の団令子。
他の出演者も名わき役揃いで見応えがあった。
主役の小杉曹長(三船)が、音楽学校を出たばかりで戦争の経験のない軍楽隊の少年たちを一般兵にした後、彼ら小隊を率いてヤキバ砦を攻略することを命じられたことから話が始まる。
物語の概略を記すと、

小杉曹長は、軍楽隊の少年兵達と最前線のヤキバ砦攻略に向かう。
他に炊事係(佐藤允)、墓堀(伊藤雄之助)、反戦主義者(天本英世)が同行。
激戦の末、ヤキバ砦の奪取に成功。
そのヤキバ砦へ小杉曹長に惚れている慰安婦のお春さん(団)がやって来る。
まだ女を知らない小隊の少年たちのために、小杉はお春にあることを頼んだ。
それは、少年たちを「一人前」にさせてやることであった。
補給も応援部隊も来ない中、十名程度の小隊で敵の大軍を迎え撃つことになる。
そして、一人ひとり死んでゆき、全滅する。


私は、団が三船を埋める最終場面で涙が出た。
朝鮮人慰安婦・お春さんは、正に「日本軍人と同志的関係」にあった。
韓国・世宗大学校日本文学科の女性教授・朴 裕河(パク ユハ )は、
朝鮮人慰安婦が「日本軍人と同志的関係にあった人もいた」と述べたことや、
「売春」の表現で、曰く元慰安婦らから「名誉を傷つけられた」として刑事告訴された。
元慰安婦側と朴教授の事前の調停手続きが決裂し、韓国の検察当局が起訴した。
昨日、ソウル地裁は朴 裕河教授への無罪判決を出した、真っこと当然すぎる話。
韓国は国民情緒が法の上位に来る情治社会、そのことの異常性を気付けば良し。
次は日本のマスゴミ新聞や似非左翼の虚言癖と世論操作への有罪判決が望まれる。
思うに朴 裕河はん、昭和三十二年生まれで慶応大学や早稲田大学院に留学していた。
この映画、「血と砂」を何処かで観たことがあるのかも・・。
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ご近所の玄関先でさくら草が咲き出した。春の訪れである。
赤花は可愛く、白花は清楚な感じがする。赤タンのことではない。

この二・三日はトランプ大統領就任と稀勢の里横綱昇進の二つが話題の中心であった。
早速に西洋花札・トランプはん、猪鹿蝶・TPP離脱大統領令に署名、次は赤タンか。
就任式での演説は選挙演説のそれであって、世界と米国の将来を語ってないと不評。
就任式での彼の態度が歴代大統領に無礼で、真っ当な人々の顰蹙を買った。
就任早々の支持率は過去最低であり、これほどの反対集会が行われたのは初めて。
色々云われているが、最も懸念する彼の次の手は赤タン、赤支那と手を結ぶこと。
キッシンジャーを外交顧問にしたとは、第二のニクソンショックがあること。
トランプはニクソンを尊敬していると聞く。ここは正念場となりまっせ、安倍はん!

世界経済レポートによると、2050年の経済規模は赤支那が日本の7倍、インドが5倍。
五年前に東洋経済か出した「2050年の日本」という本(著者は社会学者で私の友人)、
日本の将来像が貧困高齢者が1000万人に上り、生活保護制度が膨れ上がること。
そして、国家税収のほとんどを生活保護で使い切る時代が来ることが示されている。
対策として、著者は独自の試算に基づき、大胆な社会保障改革を提言している。
困ったことは、医者の野放図能天気感覚。国の衰退に追い討ちを掛ける。
高齢者医療や延命治療の高額化が天井知らずに進み、医療保険制度が破綻。
なのに、大阪万博のテーマが「健康と長寿」、私は「こ奴ら、アホか」と思った。
高齢化と少子化で国家疲労する日本より、赤支那と世界の棲み分けをするハズ。
トランプはんの手の内は分かり易い、次は赤タン、赤支那と組む。と、私は読む。
稀勢の里、国産横綱がやっと生まれたというのが話題の中心とは情けない。
日本の国技やろうに・・。

2017.01.21 大隈の背中
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早稲田大学に建つ大隈重信の銅像、背中が泣いている。

文部科学省の違法な再就職斡旋(あっせん)を早稲田大学が受け入れたとか。
早稲田大学の鎌田薫総長が20日記者会見して曰く、
「文科省の違法なあっせん行為を止められなかったことを反省している」
「違法との認識はなかった」「不当な癒着はない」と釈明に終始。

早稲田大学は大隈重信が創立した学校である。
大隈は自ら創立した学校の開校式に姿を見せなかった。
学問は政府や政党から独立すべきである、との信念を示すためだ。
「一国の独立は国民の独立を基(もとい)し、国民の独立はその精神の独立に根ざす。
而(しこう)して国民精神の独立は、実に学問の独立による」。
この小野梓の名演説は、大隈の意を汲んだものだった。

大隈は云った、
「若い人は高尚な理想を持たなければならない、
そしてそれを行う勇気がなければならない。」
早稲田大学の校歌の一節に
♪ 進取の精神 学の独立 現世を忘れぬ 久遠の理想 ♪
・・とある。

然るにである。鎌田総長はん、早稲田マンが国家権力に媚びるとは・・
鎌田!おまはんは勇気に欠けとる!弁解無用!
昔のこと、大隈像に登り小便をしたアホ学生がおったが勇気はあった。
ちょっと違うか・・。
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多分マガモであろう、光の加減で顔の写りが悪いが実物は可愛い目をしている。

酉年の干支香合が昨日到来。京都清水の陶芸作家から送られて来たもの。
和紙の封筒に、鮮やかな筆で遅れ馳せ乍との送り状が添えられていた。
この陶芸家の御仁、七代目の伝統工芸士ながら現在芸術の作風も確立している。
先年には京の名匠としてNHK番組の取材を受け、その仕事ぶりが放映された。
御仁は上田流の茶を嗜む私の後輩筋であるが、その心情に頷かされる。
一つは、千家等の流儀が圧倒的に多数の京都で、マイナーな上田流に入門したこと。
凡そ茶の世界に近い仕事をする人たちは、メジャーな流儀に繋がりを持つ傾向が強い。
道具、料理、着物、禅僧侶、なかんずく焼物師なんぞは茶人との付き合いを大事にする。
商売として見れば、間違いなくその方が人脈が繋がり、プラスになるのは明らかである。
しかし、御仁曰く「習う茶は自分の感覚に合う茶が大事で、仕事の延長で考えていない」。
御仁の父君も煎茶をやっておられたが、その本分は宗匠の生き様・人柄に惹かれての茶。
この辺り、親子に共通する価値観・人生観の躍如であろうと私は頷かされた。

もう一つは、少々下世話に聞こえるかも知れんが、御仁が作品を私に呉れた時の仕儀。
十数年前のこと、御仁が楽焼を作風の中に取り入れた際の話である。
展示会に呼ばれた私は、その楽焼なるものを眺めて云った、「なんや、夏休みの宿題か」。
考えてみれば、名の通った作家に対して随分と失礼な物云いだったかも知れない。
しかし、彼は怒りもせず真正面から私の話を受け止め、腹に収めてくれた。
一年位後、御仁が新聞紙に包んだものを紙袋に入れて我が家に持って来てくれた。
そして曰く「こんな具合でどう」、それは手にシックリくる「引き出し黒」の楽焼であった。
続いて曰く「好かったら、使うて」、私応えて曰く「これエエわ、使う」。
さすがに京の名匠と云われる御仁、自分の味を出した作品に仕上げてござった。
何より腑に落ちたのは、新聞紙に包んで持って来るという彼の仕儀、心遣いである。
これ位の茶碗なら木箱に納め、一筆作家名を書くのが普通の感覚であろう。
御仁はそうせず、新聞紙に包んだのは「高価な贈物」と見せない配慮である。
また、作者が自分で箱に名を記すのは私が厭うと御仁は知っていた。
私は茶碗に合う木箱を求めて御仁の処へ持って行き、箱に署名を願った。
今回のマガモ香合は紙箱入りである。有難くそのまま頂戴する。
明日、丁重に礼状を認めておこう。まま、私の悪筆ながらも・・。
大学の先輩であり、且つ40年来の直門茶友が掲載した動画。
声を出してワロタ。

https://www.facebook.com/OurAnimalWorldd/videos/348405682204823/

後日譚
知人からメールあり。
これは途中から逆戻ししている動画です。
分かっておますがな・・タク~。
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スーパーの前に老犬が繋がれていた。此方を見るでもなく顔を向ける様子に心が引かれた。
老犬といえ、22年前の阪神震災時は未だ生まれてなかったであろう。月日が経つのは早い。
この時期、私は阪神震災の被害に腹立たしい思いに駆られる。

平成7年1月17日午前5時46分に淡路島北部、明石海峡付近を震源とする直下型地震が発生。
5時56分 - 伊丹市長・松下勉が伊丹市役所に登庁。
6時 - 北淡町長・小久保正雄が町役場に登庁。
6時35分 - 神戸市長・笹山幸俊が神戸市役所へ登庁。
6時50分 - 兵庫県副知事・芦尾長司が県庁へ登庁。
7時 - 芦屋市長・北村春江が市役所へ登庁する等、県内の各市町長が各市町役場へ続々と登庁。
8時10分 - 陸自第3師団所属第3特科連隊から兵庫県消防交通安全課課長補佐・野口一行の元へ
災害派遣出動の確認の電話が入る。
8時20分 - 貝原知事、2時間30分遅れで県庁へ登庁(車が迎えまで公舎待機、歩けばⅠ時間)。
9時 - 小久保・北淡町長が県民局を通じて自衛隊の出動を要請。
同時刻、松下・伊丹市長が 陸自中部方面総監部に救援を要請。
9時5分 - 国土庁防災局が兵庫県総務部に自衛隊派遣の要請を行うよう通達。
9時30分 - 神戸市が県に自衛隊出動を要請。
兵庫県から自衛隊への災害派遣要請を待たずに直接自衛隊へ派遣要請を行う市町村が続出。
10時 - 陸自第3特科連隊からの「この連絡を以って派遣要請が有ったと認識して良いか」と言う電話を受け野口課長補佐が「宜しくお願いします」と回答。これが兵庫県から 陸上自衛隊への正式な災害派遣出動要請となる。
10時10分・兵庫県防災担当、野口課長補佐による陸上自衛隊への派遣要請。
19時 ・兵庫県知事、海上自衛隊に災害派遣要請。
21時 ・兵庫県知事、航空自衛隊に災害派遣要請。
死者 6,434名、行方不明者3名、負傷者 43,792名の被害は「自然災害」か「人災」か。
初動対応を批判された当時の首相、社会党の村山富吉の談、
「なにぶん初めてのことで,早朝のことでもございますから政府の対応は最善だった」
と弁明するも、その後全面撤回する羽目に。

知事公舎と県庁は歩いてもⅠ時間、それを7時過ぎまで公用車を待っていた貝原は人殺し。
自衛隊への派遣要請の権限を持つ当時の兵庫県知事であった貝原俊民は後にこう述べる。
「自衛隊と交信ができなかった。8時の段階で、姫路の連隊からこちらの係員にやっと通じた。
『大災害だから、準備を。すぐ要請するから』と言ったところで切れて、それ以降、連絡が取れなかった。いまだから言ってもいいと思うけど、出動要請が遅かったというのは、自衛隊の責任逃れですよ」。
トップ人材の良し悪しは矜持と恥の心にある。その人が多くの人命を背負うと知ること肝要。
阪神震災での社会党・村山首相、東北震災での民主党・菅首相、次が民進党・蓮舫首相なら・・
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薄っすら雪景色の今朝であった。愛犬「ハナ」は尻尾を下げて外へ出た。
さて、亦もや、2014年のブログ記事に拍手が入った。
その記事を開けてみて、追記の必要ありと思った。

> 年が明けた、また一年の始まりである
人並みに、人生とは何なのか、何であったのか、とか思う旬である
茶の美学と人生といえば大袈裟だが、今年はあることに気付かされた
茶で云う「不完全の美」は、人生にも通じるということである
西洋や印度、唐土の宮殿や庭は整然と構成されたものが多い
まるで定規では測った様に作られている、実際に測って作られているのだろう
同じように彼の地の器物等もそうである、左右対称で歪みや凹みは余り見られない
というより、歪み凹みは失敗作か駄作とされているようだ
だが、日本の茶人は人為のないその歪みや凹みに、「不完全の美」を見出した
世界の美術史上、全く稀有な美感、美学とも云えるであろう
私は結構、人生というものをあれこれ考えるところがある、(見かけのタイプとは違って)
今頃にして気付いた「人生は不完全の美」
何となく、ホッとした思いで雑煮の紅白餅を口にした <

この書き込みから三年経って、漸くこの記事の内容が「不完全」だと気付いた。
この記事に追記する。

朝鮮陶工が何百何千と器を焼き上げたものは程好い形であったろう。
その中で、偶々不出来な或いは失敗したものへの識別的な美観というもの、
それが「不完全の美」であり、作り手の思いを離れたところの審美である。
「完全を極める力」があっての「不完全の美」とも云い替えることが出来よう。
下手な陶工の不細工作や奇を衒う作家の臭い芸風には「不完全の美」は無い。
確かな技術で素直に作陶してこそ、偶々の不完全が生まれる。
人も素直に生きてこそ、「不完全の美」が染み出るというもの。
それは「未達・未完の美、果たせぬ夢の美」とも云えるであろう。
紅白雑煮を食べてホッとしていた三年前の自分に「喝一枚!」。
そして、今の自分には「大喝三枚!」。
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マレーシアの国定教科書、中学の歴史書である。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~thai/page014.html

そこにはマレーシア国の始まりは1941年12月8日、日本軍のコタバル上陸の日とされている。
昭和16年(1941)12月8日午前1時30分、日本軍がマレー半島北端のコタバルへ上陸。
アメリカ領ハワイの真珠湾攻撃に先立つこと1時間20分前である。
マレー作戦に投入された日本軍は山下奉文中将指揮下の35000.。
英軍の兵力は英兵19,600、印度兵37,000、豪州兵15,200、その他16,800の合計88,600。
55日間で1,100キロを進撃し、1月31日に半島南端のジョホール・バル市に突入。
これは世界の戦史上まれに見る快進撃であった。
日本軍の損害は戦死者1,793名、戦傷者2,772名。
対する英国軍は遺棄死体5,000名、捕虜8,000名。
2月8日に日本軍はジョホール海峡を渡河し、シンガポール島へ上陸。
日英の激しい攻防戦が繰り広げられ、15日に英軍が降伏。
日本軍の戦死者は1,713名、戦傷者3,378名。イギリス軍は約5,000名が戦死、同数が戦傷。
英軍は10万人が捕虜となった。これはアメリカ独立戦争以来、英軍史上最大規模の降伏。
近代の英国において歴史的な屈辱となった。
この日本軍のマレー作戦が無ければ、マレーシアという国は無かったと教科書は記す。

マレーシア歴史教科書を見るに、歪みや卑屈さ狡さを示す韓国歴史教育書との対照が際立つ。
その国の思考とは、その国民一人一人の思考が出るという話である。育肯する。
慰安婦像、自国女性の戦場娼婦像を建てて嬉しがる国民とは如何なる類の集団か。
20万人の朝鮮人女性が強制連行されたのが史実なら、朝鮮人男性は何をしていたのか。
自分の娘や姉妹が連れ去られる時、男が指を咥えて見送っていたなら情けない話。
女を守って戦うのが男。それが戦った朝鮮人男が居たという話は寡聞にして聞かない。
自分達の女を戦場娼婦像として世界中に建てて嬉しがるとは、恥知ずも極まれり。
マレーシアの国定・中学教科書の載せられている日本のスローガンとは、
「アジア人の、アジア人による、アジア」、リンカーンもビックリであろう。




2017.01.12 今日の大相撲
高安が蒙古人横綱・鶴竜を破った。
松鳳山 は蒙古人横綱・白鵬を土俵際まで追い詰めながら突き落としに屈した。
二人の奮戦は、朝の私のブログを見たのかなと思った次第。
それにしても、日本人力士は何時まで蒙古族力士の引き立て役に甘んじるのか・・。
大相撲は日本の国技であり神事でもあるのにと、少々口惜しい思いが続く。
相撲は縄文系が色濃く残る地域が強く、野球は弥生系の地域が上手というのが通説。
北海道・東北・南九州・四国・北陸・山陰地域出身の相撲取り。
近畿・瀬戸内・北九州・東海地域出身の野球選手というの相場である。
最近思うのはラグビーが縄文系、サッカーが弥生系でなかろうかと。
まま、あれこれ思いを馳せながら、運動競技を考察すること、エエ暇つぶし。
因みに、北海道出身の横綱千代の富士(写真上)と鹿児島出身の大関霧島(写真下)
褐色の肌に太い眉毛と隆々とした筋骨は、二人共に縄文系の血筋であろう。
二人の姿かたちを見るに、日本書紀』神武東征記の記述が分らんでもない。
「えみしを ひたりももなひと ひとはいへども たむかひもせず:」。
蝦夷(えみし)は、1人で100人に当たる強い兵なのに手向いもせず、と記する。
つまり、縄文人は気が優しくて力持ちという男たちであったということ。
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極めつけは徳之島出身の横綱朝潮太郎(写真下)、この眉毛と胸毛・腕毛・脛毛。
・・正に縄文族。
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2017.01.12 体毛
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「体毛率世界ランキング、北海道が中東と並び世界のトップレベル」とあった。
いわゆる蝦夷(えぞ)地と云われた関東・東北・北海道の地域と、北蝦夷(樺太)・東蝦夷(千島)・奥蝦夷(カムチャッカ半島)の地域が体毛率が高い。
「宋書」倭国伝に、 478年(順帝昇明2年)倭王武が宋 (南朝)に届けた上表文が残る。
「自昔祖禰躬環甲冑跋渉山川不遑寧處 東征毛人五十五國西服衆夷六十六國渡平海北九十五國」
「昔より祖彌(そでい)躬(みずか)ら甲冑(かっちゅう)を環(つらぬ)き、山川(さんせん)を跋渉(ばっしょう)し、寧処(ねいしょ)に遑(いとま)あらず。東は毛人を征すること、五十五国。西は衆夷を服すること六十六国。渡りて海北を平らぐること、九十五国。」

つまり、日本の王は東国の毛人、西国の衆夷、海北(朝鮮半島)を平らげたと表している。
毛人は蝦夷(えぞ・えみし)と呼ばれ、今の関東は毛人の国、毛野と云われたらしい。
要するに縄文人の血統を色濃く残した地域の人々は毛深い人々であるということ。

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縄文人の直系とされるアイヌ人は世界的に見ても毛深い容貌をしている。
アイヌ人の体毛は欧州系と違い、髭・眉だけでなく肩・背中の体毛も濃いのが特徴。
Y染色体遺伝子の話になるが、アフリカを出たDE型遺伝子集団はイラン辺りで分れる。
中東から地中海へ向かったのがE型で、中央アジアから日本列島へ向かったのがD型。
(インド南岸からアンダーマン諸島へ向かったD型集団もいたようだ)。
二つに分れたDE型集団ということを考え合わせると上の体毛率マップは興味深い。
マップから日本列島人は、東アジア・東南アジアの人達とは全く違う体質と分る。
何でこんな話をするのかというと、昨日大相撲を見ていてのことによる。
松鳳山と高安が蒙古族力士を苦しめている姿を見て気付いた。
両人共、褐色の肌で眉・肩・背中の体毛が濃く、縄文人の血を感じさせ嬉しくなった。
その活躍を期待したいところ。
私の髭面は、支那・朝鮮・台湾や東南アジアで珍しがられた。
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先来の雨で流れが強まっている秋篠川、鴨の夫婦が川波を避けていた。

鳥の夫婦というかツガイは人間にました夫婦愛・契りの深さがあると聞く。
朝刊に、講談社の副編集長・朴鐘顕(ぱくちょんひょん)容疑者を妻絞殺容疑で逮捕とあった。
朴は朝日新聞のコラム担当者でもある、鴨夫婦にも悖るというか、マスゴミ人間の真相。
こういう不逞の輩の流言が日本を蝕んで来たこと、真に国家・民族の不覚である。
昨今の社会状況であろうと私は思う、覚醒せよ日本、慰安婦像・・アホか。

全く話が変わるが、朝刊に目を通す前のこと。
ブログ記事を書くためにPCを開くと、ブログに意外な拍手があった。
私のブログの2014・11・15の日付記事、「小学校の詩集」への拍手である。
二年半も経った今に、何処の何方がというか、何でというか、怪訝な思いを馳せた。
まま、嬉しくもある。そこで、恥ずかしながらその記事を再度載せたく思った次第。


孫の宮参りから戻ると、小学校時代の詩集が届いていた、件の同級生からである
添え文に、「男性合唱」は「声」なんです。皆さんよく間違われますが。とあった
私の不勉強、今の今まで知らなかった・・、下の詩で発声練習をしてみよう

夕焼けの小雨、井谷直人

一足一足
日は十センチメートル、二十センチとだんだん大きくなり
そうして、だんだん生駒山に近づく
近づくに連れ生駒山はダイヤから水晶
水晶からだんだん赤くなりルビーとなる
さらに黒ダイヤと黒くなる
生駒山から飛び出したカラスが
今日の活動は終わりだぞうと言うように
カオウカオウと鳴いて今日の終わりをつげている
すると雨が、
昼はぼくたちのために
ふらないでおこうとがまんしていたが
カラスの声を聞くと、もうがまんができず
ぽとぽとと、ふらしてしまった
その雨にぬれながら、平和行進の一行は
こんな雨ぐらい、原水爆のことを思えばと
力強い足あとをこの大和にのこしていく
この力強いすがたを見て
何かがぼくの心を動かした
ぼくはなんどもなんども
心の中で、ばんざいをくり返した
一行がすぎさったあとは
カエルが「ゲロゲロ」ないているだけだった

※ 全く詩になっていない稚拙なものながら、小学校時代の想い出まで


原爆を落とした米軍に物申す日本人が、平和行進の一行と思い込んでいた。
それが、何時しか日本を貶める似非平和主義の職業運動屋になるとは・・
小学生の私には思いもつかなんだ。





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今朝は、暑い飯に納豆と生卵を載せて食した。納豆は学生時代に東京で慣れた。
当時の奈良では、藁包み納豆を偶に見掛ける程度であって、納豆は食生活に無かった。
最近はスーパーの売り場に堂々と大量陳列されているので食習慣が変わったようだ。
逆に見かけなくなったのが、生卵の一気飲みである。
昔の生卵はもみ殻に置いて売られていた高価食材で、口にするのは病気の時が相場。
生卵を溶いた粥とバナナが置かれているのが病葉(わくらば)の光景であった。
その生卵の一気飲みをする男たちがいた、運動会や家族社員旅行での場面である。
生卵の殻にコンコンと穴をあけて口にし、上を向いて一気に飲み干すのであった。
「これで精が付く」とかノタマイながらニコニコ顔であった様子が今も目に浮かぶ。
私は生卵飯は好物であったが、生卵の一気飲みはどうも食感が合わなかった。
最近知ったことだが、世界の中で生卵を食する民族は希少というか日本人ぐらいとか。
他には朝鮮のユッケと台湾の搔き氷菓子に生卵の黄身を使うが、日本統治の影響とも。
欧米人にすき焼きを食べさせる時、生卵を割った椀を出すと凹んで箸を置くとか聞く。
日本人の卵の生食を奇異と感じる外人なんぞ意に介することはないが、面白い話がある。
ポーランド人の民族料理に生卵の黄身が付く、それはハンバーグの原形となった。

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ポーランド料理のタタル(Tatar・モンゴル人)、日本ではタルタルステーキと呼ばれる。
生肉に生卵の黄身をのせ、玉ねぎときゅうりのピクルスのみじん切りを盛ったもの。
生肉を使うところや卵の黄身が乗っているところなど、朝鮮料理のユッケに似る。
そのはずで、この二つの料理は同根、モンゴル軍の常食で馬肉の生食であった。
騎馬で遠征するモンゴル軍は馬を食糧にしたが、乗り潰した馬の肉は固い。
そこで切り刻んだ肉を馬の鞍の下にして乗馬、移動中の振動と圧力で柔らかくした。
その肉に塩なんかを振って食したものが、ポーランドのタタルや朝鮮のユッケの元祖。
東西で共に生卵の黄身を載せた料理になったのは、一種の収斂進化で興味深い。
あの騎馬軍団のモンゴル兵が鶏を連れていたとは聞いたことがないが、どうなのか・・。
まま、モンゴル兵が戦闘前に生卵の一気飲みをしていたのなら面白かろうと納得する。
このタルタルステーキはドイツにも伝播したが、ドイツ人は生肉を食するに抵抗があった。
そこで生まれたのがハンバーグステーキ、要はタルタルステーキを焼いたもの。
料理が生まれた土地名・ハンブルグからハンブルグステーキ、即ちハンバーグステーキ。
今や世界中に溢れるハンバーガーショップは、モンゴル軍欧州侵攻の歴史背景を持つ。
しかし、ハンバーグには生卵の黄身がない、ドイツ人は生卵にも抵抗があったのだろう。

昨年末に、酉年を迎えることで養鶏場から生卵10個入りパックが10パックも送られて来た。
知人の量販店へ納入することになった「自慢の玉子」とかであり、食すると確かに旨かった。
しかしである、10パックは多いのでご近所にも配ったが、皆さん好評であった。
玉子の良し悪しは生食で分ると云うもの、外人にはそれが分からないという可哀そうな話。


2017.01.09 記憶の共有
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雨の中で茶会に出掛ける時の昨日の玄関。
雨下駄と草履、どちらにしようかと迷ったが草履にした。
古石州の家元宅は石畳の登坂になっており、雨下駄は少々歩き辛い。
近代駕篭・タクシーなら足下も雨に濡れることは少ないという思いが勝った。
しかし、和傘に雨下駄という風情は和服姿には捨て難いもの。
上田宗箇の一行「門無俗人駕」、門に俗人の駕無しの意を噛みしめてタクシーへ。

昨夜、40年来の茶友から電話をもらった。
私と同じ上田宗箇流現宗家直門衆の一人である。彼の曰く、
「ブログを見た、先代に露路笠の扱いを教えて頂いた場には私も居たので覚えている」
私「あの時に居てはったんでしたか、私には好い想い出として残っています」
大学の先輩でもあるその御仁、「いつもブログを見ている、色々あるな・・」。
40年余り前の一つの場面と会話の記憶を共有する人がいる、人生の珠玉。
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古石州流家元宅の注連(しめ)縄、簡素で清々しい。

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今日は雨、昨年新調した和傘である。
破れた古い傘を貼り直そうと思ったが、貼る油紙を置いている店が無かった。
家元宅の注連縄の写真を撮るために玄関の門先に置き、ついでに写した。

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冬の雨である。待合には湯桶と露地笠が用意されていた。
茶事を終えた後、向こうの人に露地笠姿の写真を撮ってもらった。
その昔、広島の宗家で茶事があった時、やはり雨だった。
先代宗家から「傘の用意を」と云われた私は、「ああ、三度笠ですね」。
先代曰く「あれは露地笠と云います、先の紐を右手で持って左手で後ろを掴む」。
使い方を教えて頂いた時の先代の言葉と傘を扱う姿が想い出された。
帰りがけなので着物にトンボ外套を羽織ったままの写真である。
席で一緒になった表千家の男性も背広姿にトンビを羽織っていた。
まま、酉年。トンビも出番があって喜んだであろう。

本席の床に片桐石州(宗関)の歌が掛かっていた。
「 関の戸も 春にあかぬと しののめや きくも長閑けき 鳥の声ごえ 」

2017.01.08 古石州流
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日本水仙が咲き出したので、道端から一本頂戴する。雪中花ともいう。

今日は「古石州流」の家元から初釜の誘いを受けこれから出掛ける。
石州流のことを載せる。
石州流は色々と血統、道統があるようだが、道統は古石州流にあると私は思う。

>片桐貞昌(石州)は大和小泉藩1万3000石余りを知行する大名で、知恩院修復の普請奉行をはじめとして、作事・普請の才を認められた人であった。茶の湯は千道安の門人であった桑山宗仙に師事していた。門下に3代将軍徳川家光の異母弟にあたる保科正之があり、その推挙により4代将軍家綱の茶道指南役となったことで、以後江戸時代を通じて石州流が幕府の茶道として広がっていくことになる。
大和小泉藩は石州の三男の片桐貞房が継いだが、茶湯指南の職を継いだ訳ではない。藤林宗源の系譜が片桐家中を出て本庄家に移ったこと(後述)も合わせると、おそらく片桐家では茶湯の伝承に関心がなかった時期があると考えられる。歴代の中で8代藩主片桐貞信は茶人として知られており、江戸千家の茶風を加味して新石州流と称したと伝えられるが、これもその後伝承された痕跡は残っていない。
藤林宗源(1608年 - 1695年)は石州の側近で、後に小泉藩の家老となった人物で、石州とともに桑山宗仙に師事していた弟弟子にあたる。石州とほぼ同世代ではあるが、石州没後も20年以上長生きして、石州流の初期伝播に大きな功績がある。藤林流あるいは宗源派とも。
藤林宗源の系譜は片桐家の家臣で伝承され、江戸中期に大坂鉄砲組与力の本庄宗敬に伝授された。以来、本庄家を家元として現在に至っている。この流れは特に古石州流ともいう。これは、片桐本家の8代小泉藩主貞信が江戸千家の茶風を取り入れて「新石州流」を名乗ったことに対抗したものと伝えられる。<
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卒塾者の方が持って来てくださった「糊こぼし椿」と細身のトクサ(砥草、木賊)
茶花の椿は蕾を飾るが、「糊こぼし椿」は開花している方がその名を表す。

「糊こぼし椿」とは、東大寺二月堂の南西にある開山堂の庭に咲く椿の花。
非公開だが、咲けば土塀の上に少しだけ見ることができる。
その昔、東大寺二月堂の「お水取り」に使う造花の椿を作っていた時のこと、
その赤い紙に糊をこぼして、白い斑点のある赤い椿になってしまったとか。
それ以来、「糊こぼし椿」と呼ぶようになったという奈良の伝承話である。
東大寺開山の良弁(ろうべん)大僧正にちなんで「良弁椿」とも云われている。
白亳寺の「五色椿、」伝香寺の「散り椿」と共に「奈良三銘椿」とされている。
お水取りの季節には、奈良の和菓子屋で「糊こぼし」の和菓子が作られる。

「トクサ」は砥ぐ草、茎を煮て乾燥したものを研磨(紙やすり)に用いた植物。
現代でも高級つげぐしの歯や漆器の木地加工、木製品の仕上げに使用する。
クラリネットなどの竹製リードを磨いて調整するのにもトクサが用いられ、
瀧廉太郎は身だしなみとして常々トクサで爪を磨いていたと云われる。
アイヌ語ではトクサを「シプシプ」と呼ぶが、これも物を磨くオノマトペに由来とか。
茎を乾燥したものは木賊(もくぞく)と呼ばれる生薬とされているらしい。
その煎液を飲用すると目の充血や涙目に効果があるとされる。
「木賊刈る」は秋の季語。
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正月の茶席には定番の「結び柳」、紅白の椿を筒花入に挿すのが上田の流儀。
(写真は少々ピンボケになった。)

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これまた正月の定番・志野棚(袋棚)に「大福茶」の構え、志野棚は全ての棚造りに通じる。
この日は紅白餅の善哉を出して濃茶、次に薄茶の中に山椒・黒豆・小梅を入れた大福茶。
続いて市田柿を菓子替りにして薄茶を飲んだ。干し柿は戦場食、武家の初釜の菓子。
写真の茶碗は濃茶に使ったもので一閑張(いっかんばり)、茶友の南都塗師・山本哲氏の作。
竹や木で組んだ骨組みに和紙を何度も張り重ねて形を作り、柿渋や漆を塗って仕上げる物。
茶碗に仕上げるとは山本氏の茶心、私の物欲し顔を見て「これ、あげます」、私「おおきに」。
裏の神社の竹藪に入り筒花入を作ったが、青竹結界を忘れた。今年もボケが出ている。

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茶を終え、アルコール43度の高千穂麦焼酎の壺と室町極大吟醸を持って「かえる庵」へ。
ここで面白いことを経験した、炒った銀杏の実のビール瓶割りである。
銀杏の実をビール瓶の底の凹んだ部分で叩き割ると、凹んでいるので殻が散らない。
中々の妙案というか気付きである。皆は面白げにポンポン割って銀杏の味を楽しんだ。
43度の焼酎はロックで飲んだが好評であった、廃医師はんに感謝。
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とある知人からの賀状に添えられた一筆。
知人は茶道諸流派と交流を持ち、茶道史に一家言を持つ御仁。
大寄せ茶会のレベルは下足番の優劣で分るというのが私の持論。
朋庵の塾生は一日中雨の中で下足番に徹し、真摯に愚直に役割りを果した。
見る人は見ている。
2017.01.03 自分
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愛犬「ハナ」の小屋には女房殿の手作りミニ門松。


「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」
同い年の友人の賀状にあった文句である。
まま、そうであろうがと私は自問する。
そして思う、この歳で自分に未来なんぞあるのだろうかと。
「自分」で思い出したことがある。

以前、外資の支援で再建中の食品商社から子会社の売却を依頼された。
子会社は東京を中心に30店舗余りを経営するスーパーマーケットだった。
取り敢えず、人と数字を綺麗にとのことで私が東京まで出向いたことがあった。
部長クラスの幹部を集めた時でのこと、意見がでない静かな会議だった。
私が、「まぁ、ええわ、ほんなら自分がどない思てるかを云いなさい」。
皆は無言、私は腹が立ってきて「自分の思いが云えんのか」と語気を強めた。
すると一人の手が上がった、そして曰く「自分の意味が取り違っているかも・・」。
その販促部長は、奈良の大学で古美術の学習をしていたという。
「関西では自分は相手のことで二人称ですが、此方では一人称、私のことです。
だから皆は、井谷さんご自身の考えを聞かれているように捉えていると思います」。
うんっと思い、私が「そうなんか」と訊くと、皆一斉に首を縦に振り出した。
私は「せやったら、ワシのことやなく、自分ら、あんたらの思いを話してみぃ」と苦笑。

「自分と未来」と云って来たのは広島の御仁。
変えることが出来るとは、決して「貴方と未来」ではないだろう。
まま、私の自分も未来もここまでであろう・・。
否、私は呆けた時に変わるかも、好々爺に。
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今年も、簡素ながら手作りの門松を門扉に飾った。
門松は歳神が降りて来るための目印、依代(よりしろ)である。
依代とは、心霊が依り憑く対象物のことをいう。
由って、正月の三飾りのなかで最も重要なものとされている。
正月の三飾りとは、門松・しめ縄・鏡餅のこと。

それがである、ご近所の家には門松が見当たらない。
愛犬「ハナ」の散歩を兼ね、町内を一周してみたが門松は皆無。
しめ縄は七割八割の家の玄関戸の上辺りにに飾られていた。
そう云えば、スーパーの店頭でしめ縄販売は見たが門松はなかった。


年の始めの 例(ためし)とて
終(おわり)なき世の めでたさを
松竹(まつたけ)たてて 門ごとに
祝(いお)う今日こそ 楽しけれ


その意は、
「一年の初めの 恒例の風習として
この天皇の御代が終わりなく繁栄し続けるめでたい願いを
門松を家々の門に立て並べて
ご近所みんなでお祝いする今日は 実に楽しいなあ」

何故、門松が無くなったのであろうか。
何か気になる・・。







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エエ面構えの軍鶏(シャモ)、闘鶏に使われる鶏である。
昭和16年「日本に特有な畜養動物」として国の天然記念物に指定された。
日本農林規格における日本鶏在来種の元ともされる.
闘鶏には気性の激しい個体ほど好まれる。
闘鶏で負けた鶏や、闘争心に欠けると判定された鶏は、ただちに軍鶏鍋にされた。

私には気力も体力も無くなったので、好い味の出汁になるよう心掛け度。
明けましておめでとうございます。
丁酉 (ひのととり ・ていゆう ) 元旦