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夜中に私の寝間に来て横たわり、見えぬ目を開けてもの思いに耽る愛犬「ハナ」。
日本という国体がなくなると、自分は日本犬ではなくなるのかと気にしているようだ。
「女性宮家創設の検討を明記」とのニュースに、私は血の気が引いた。
神武聖蹟探検仲間で東京の知人の童門(HN)はんからのメールを掲載。

> 皆様さま、ご無沙汰しております。
戦後体制との最終決戦を目前に、小生、メディア報じる皇統の話題に不安を覚え、
神武の聖蹟を追った体験をあらためて思い起こす日々を送っています。
女系天皇だの女性宮家だのと目にするだけで悶絶しそうな言葉
hn先生をして極右呼ばわりされる風潮なら、小生はもはや超右、
極を超えたスーパーライトとでも称したい気分、スーパーライト級ドウモン。
言うまでもなく、女性天皇はあくまでも男系を維持せんがための一時的回避策、それを西欧君主国の王位継承と同列に見做し、女性天皇の是非を国民レベルで論議するとは何事。
「女系天皇」に至っては、もはや国家転覆をたくらむ蛮族の侵略に同じで、問答無用。
ご存知のように、正史が天孫降臨から東征の果てに神武創業を成すストーリーには、
「継承は男系男子」であることが天皇の絶対要件であるとの示唆が見て取れます。
「この世に降臨したのは男子」から始まり、神武は九州時代に齢十六で立太子、やがて東征、
ついに紀伊半島南北縦断となりますが、天皇即位は国中平定の直後ではなく、大和の媛と婚姻の後、この前後関係がえらく重要で「九州の男系プリンス」と「大和の男系プリンセス」が合体して初めて
「天皇位」なるものが生じるという構成です。
この合体は単に地域権力の合体ではなく「信仰の合体」を暗喩しているのでは?というのが
小生の神武聖蹟探検から得られた見解でもあります。
最近の古代史報で個人的に興奮した飛鳥の小山田古墳、蘇我蝦夷の大陵との見方が主流だとか、
蘇我本宗家は滅ぶも、蘇我氏の信仰は残り、それは何かしら日本建国物語に反映しているのではと。
・蘇我の世を語りたくない古事記かな
・蘇我の世の仏法継ぎたる天武が興す日本正史

「Religion」の語源を「繰り返される結び・繋ぎ」と見なすなら、
皇統継承は文字通り「信仰」であり、天皇は日本固有の信仰を体現する存在であります。
戯言の多弁となりましたが、もし座談会に出席できたならば、こんな話題を酒の肴として
座の賑やかしとしたいと思ったまで、おそらく今回も出席は難しいところです。
何より小生は極右を超えたスーパーライト、
酔って長槍を振り回すうちにズブッと穏健なご諸兄の御身に孔を通してしまう恐れあり
ぽっかり空いた穴から見える日本のために、帝都にて最終決戦に参戦いたす所存。
オルタナライトと呼ばれるのはご勘弁願いたい童門でした
皆さまどうぞお健やかで <


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2017.05.30
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立葵(たちあおい)。田水の前に今が盛りと咲いていた。

アオイ(葵)というのは、あうひ(仰日)という言葉からきているという。
トルコ辺りの原産で、日本には薬草として古くから渡来していたとか。
平安時代、7月7日の宮中相撲会の髪飾りに葵が使われたらしい。
東方から登場する力士は葵の葉を、 西方から登場する力士は夕顔の花を。
其々が髪飾りにして入場し、そこから「花道」という言葉が出来たという。
梅雨入りの頃に咲き始め梅雨明けと共に花期が終わるので梅雨葵の別名がある。
欧州では、「聖地の花」の意味が込められている花だそうな。
十字軍によってヨーロッパにもたらされたことに因みとかいう。
「この御紋が目に入らぬか!」、と印籠を出す助さん角さん。
高齢者にはご存知の水戸黄門漫遊記の見せ場の台詞。
徳川家の葵御紋は、元をただせば賀茂神社の社家の紋に繋がるとか。
賀茂神社の紋が葵ゆえ、京の賀茂神社の祭りが「葵祭」と呼ばれた所以。
まま、その本家本元は奈良葛城に居た古代豪族「鴨族」である。
その地に在する高鴨神社は全国のカモ(鴨・賀茂・加茂)神社の総本社。
京都の賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)なんぞ、その下っ端筋。
そのくせ、両社の奈良・高鴨神社への挨拶応対が悪いとは高鴨神社の談。
少々有名になったり、金持ちになると偉そうにする田舎者は困ったもの。

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私の今日の朝餉一汁一菜、飯と味噌汁に半しぼり大根漬、汁の具は油揚げと小松菜。

私は学生時代に、東京の下落合というところの人夫飯場で暮らしたことがあった。
都電の枕木を替える仕事で、終電から始発までの夜間業務、日当は1700円まま良。
百畳敷きの部屋に枕と布団二枚組みが30組、布団は掛け敷きの区別なし。
食堂には長机が並び、椅子はない。各机の真ん中には丼鉢一杯の漬物が置かれた。
人夫は同じ丼鉢二つに飯と味噌汁、そして自前の箸を持って長机に向かい食事する。
飯は釜から自分でよそうが、味噌汁は飯場の女将がよそう、具のよそい加減がある。
飯はてんこ盛りであろうが少なかろうが自由、但し、食べ残しはご法度。
食堂に椅子が無いのは、人夫を坐らすとなんぼでも喰うから、とは女将の弁。
汁は丼一杯だけだが、そこそこに具沢山であった気がする。飯場は一汁一菜の世界だった。
夕飯は仕事前なので酒は無し、朝飯は仕事帰りで酒も良し、二合瓶一本が付け売り。
人夫は東北からの出稼ぎ労務者で三ヵ月程度で戻って行く人が多く、結構出入りがあった。
私は「学生アルバイト」として住み込み、飯場から学校に通い部活にも出た。

半年もすると私は飯場の古顔、大部屋の片隅に机代りのリンゴ箱を置く居場所を占めた。
もう、誰も私を「学生アルバイト」とは見ず、髭面の所為か小頭扱いを受けるようになった。
飯場の横には大将夫婦の家があって子供も一緒に暮らしており、中学生の娘も居た。
流石に大将夫婦は、私が学生であると認識しており、時々娘の宿題を手伝わされた。
その時は仕事帰りの朝飯に二合瓶一本のただ酒が出た。手軽な家庭教師扱いであった。
私はこの飯場で、「酒と女は二合(号)まで」という言葉を女将から聞かされ納得した。
その後の私の人生では、甲斐性無し故に二号は持てなかったが、酒は二合を越えた。

茶人や料理人が一汁一菜、一汁二采・三菜とか茶懐石云々を語ることが多い。
「禅の膳」と駄洒落にもならんゴタクまでくっ付けて会席を懐石とかノタマイなさる。
私は、そういう彼らを冷ややかに見ることが多い、というかアホちゃうか?と思う。
前に田村魚菜という料理人が居たが、魚と菜であり、一菜も二菜・三菜も菜は菜。
魚は「うお・とと」、酒の肴に魚が使われ出した江戸期に魚を「さかな」と云うようになった。
破戒僧はともかく、仏僧の食事に肉魚はない、一菜は漬物、二菜は膾や和え物、三菜は煮物。
比べて戦国武将の茶会では、鳥肉の汁や魚の鱠・焼き物・煮付が二の膳・三の膳として出た。
まま、武将茶人の多くは耶蘇を信仰、仏僧とは距離を置いていたようである。
この食事違いを何とか結び付け、適当な講釈で煙に巻く茶坊主と千茶人。胡散臭いかぎり。
茶会席は一汁一菜、多くて二菜、膾は支那料理で生肉(なましし)、生切(なますき)
鱠は魚の酢もので精進料理ではない。「精進膾」は菜の酢和え物で日本の膾(なます)。
飯場の食事が茶会席だと、しみじみ思う今日この頃の私。

2017.05.25 慈雨
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淡竹(はちく)、足が邪魔だがどうしても写ってしまう。まま、アシカラズ。

昨日は、生駒の同級生宅で月例の同級生囲碁巴戦対局日。
奈良四条の同級生が淡竹の筍を袋に詰めて迎えに来てくれた。
三日前にも届けてくれた淡竹、先日の雨で裏庭の藪にマタゾロ雨後の筍とか。
淡竹は孟宗竹より苦みやアクが少なく、米糠なしで茹でられ簡単に食せる。
淡竹は呉竹(くれたけ)とも云われて茶筅や筆の素材として使われている。
私の中学校の隣は呉竹町という地名があり、それなりに竹藪が多かった。
また、奈良は筆づくりが有名だが、呉竹筆ペンも知られるところである。
そんなこんなで筍料理が続くが云わば旬のもの、採り立ては生でも美味い。
クサ冠に旬と書いてタケノコと読ませるとは、佐良直美の歌を想い出す。
♪ 明日という字は明るい日と書くのね・・・♪
さて、同級生巴戦対局かを終えての帰路、ポツポツと雨模様になり出した。
同級生の曰く、「明後日から田圃の水入れや、今降ってくれると有り難い」
なんでも、水入れ前の田は湿っていると水が流れ易くなり助かるとのこと。
由って、今時分から夜通しの雨になればエエ雨なんや云々。
今朝起きると外は雨、一晩降り続いた模様、まさに慈雨になったようだ。
2017.05.22 花筏
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卒塾者の奥さんが育てられた花筏(ハナイカダ、Helwingia japonica)が花を付けた。
学名通り日本原産、変種に琉球花筏と台湾花筏があるとは石蕗の生態に似ている。
花筏という名も風情があって茶花として重宝されており、私の好きな花である。
本来は、川面に散った桜の花弁が浮かぶ様や流れる葉が花弁を受けた様を云うとか。
花筏の用語は室町期の閑吟集(かんぎしゅう)という歌謡を集めた書に出ているらしい。
「 吉野川の花筏  浮かれてこがれ候(そろ)よの 浮かれてこがれ候よの 」
このことを知って、私は益々「花筏」が好きになった。

昭和30年代前半に吉野川の畔で育った私はよく筏流しを見た。
細い山道を丸太一本曳きずりながら小さな驢馬(ろば)か木曽馬が降りて来ていた。
下の道で十本位を荷車に乗せ、それを大きな輓曳(ばんえい)馬が曳いていた。
勿論、道の至る所に馬糞が落ちており、それを目にしていたので「馬糞紙」には納得。
吉野川の淀にまで運ばれた丸太は、そこで筏に組まれて川に流されていた。
今の近鉄吉野線の元は、山持が金を出して大正元年に開通した木材運搬の吉野鉄道。
筏流しの唄、好い唄だと記憶していたのでネットで探してみたら、あった。
1952年、昭和27年の録音盤である。
https://www.youtube.com/watch?v=uSuNEIpgsYk
今年2月のNHKラジオ放送で女が歌うのもあった。私は女の筏乗りは見たことがない。
https://www.youtube.com/watch?v=DHUxhDE5SEU
1、ハァーア吉野川にはヨ 筏を流す 流す筏に 上る鮎ホーイホイ
2、ハァーア私ゃ吉野のヨ 山奥育ち 米のなる木を まだ知らぬホーイホイ
3、ハァーア一度見て来いヨ 吉野の奥は 一目千里が 杉檜ホーイホイ
4、ハァーア下へ下へとヨ 筏を流しゃ 谷間の鶯 連れて啼くホーイホイ
2017.05.22 石蕗に訊き度
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卒塾者宅の水道栓に自生する石蕗(つわぶき)、切り取らないでおくところがお人柄。
石蕗は日本列島と台湾だけに自生する植物、云わば日本原産の固有種。

19日のニュース、「沖縄・石垣島で国内最古の人骨、2万7千年前、墓域も初確認」
私はその165㌢という高身長と遺伝子に興味を持った。
縄文人の身長は男で158㌢程度、対して島根県で出た弥生人の身長は男が163㌢。
我々の世代の平均身長は166㌢で、帝国陸軍兵士は162㌢、幕末の男は158㌢。
ミトコンドリア(mt)遺伝子はM7a型、この遺伝子はN9b型と共に日本固有の遺伝子。
mt遺伝子は母系伝達であり、その経路が民族(人種)の歴史を示す。
男系伝達はY染色体遺伝子だが、そのことは報じられてはいない。

石垣島は日本最南端の八重山諸島にあり、台湾とは近距離。
ところがである、八重山諸島と台湾との海峡で人の遺伝子的には大きな断絶がある。
世界最広域に分布するオーストロネシア語族は台湾原住民の高砂族が源である。
因みに、台湾原住民・高砂族は先住民と呼ばれることを拒否する。
先住民とは死に絶えた民を意味し、台湾では差別用語とされている。

台湾からフィリピン、インドネシア、マレー半島、インド洋を越えてマダガスカル島へ、
さらには、東の太平洋のポリネシア諸島にも拡散し、筋骨屈強人種をつくった。
この民族移動、何千キロにわたる航海術の会得があって初めて為し得るもの。
にも拘わらす、至近距離にある台湾と八重山諸島とは遺伝子の断絶があるのは何故か。
日本列島人の成り立ちとは・・・、興味が尽きない。
日本列島と台湾にだけ自生する「石蕗」、訳を知るなら訊ねたい。



2017.05.21 頂戴物
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今朝9時前に広島から届いた品である。生もみじ饅頭・牡蠣醤油・海鼠腸(このわた)。

昨日、広島の上田流茶の湯の高齢の先生から電話をもらった。
この日曜日(21日)は京都大徳寺で恒例の流祖忌が行われる。
私は毎年出向いており、それなりの役割を果たして来た。
私が流儀組織を外れた今年は、部外者として関与することはなくなっていた。
その高齢の先生は、私が流祖忌に来るものと思い土産の手配をしたとの由。
私が行かないと知ると、その土産を送って来て下さったという訳である。
また、先日には流儀の宗家から季刊誌が私に届けられていた。
宗家と私は、流儀に対する見方と方向性での思いが少々すれ違い。
まま、宗家には逆らえない弟子の私は流儀を出た次第。
勿論、流儀の季刊誌購読もなくなったと承知していたが宗家から「贈呈」があった。
広島からの贈り物、色々な思いの中で有難く頂戴する。
2017.05.19 云い得て妙
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散歩道(愛犬ハナのオシッコ通り)の草叢に庭石菖蒲(にわせきしょう)が咲いていた。
観賞用に輸入されたものが野生化したのではなく、本来雑草的な種が帰化植物となったとか。
庭石菖の花言葉は「愛らしい人」だそうだが、云い得て妙である。

ここ最近の報道も云い得て妙な気がするものがある。
一つは、文韓国大統領が安倍首相との電話会談で日韓合意について伝えた話。
「韓国国民の大多数が情緒的に受け入れられないのが現実だ」と述べたとか。
二つは、秋篠宮佳子内親王の婚約云々で女系天皇容認・女性宮家創設の再燃話。
野党や世論(国民)に憲法改正より皇族減少対策の優先を求める声が大きいとか。
二つとも国民、つまり民の心情を前に出して己の云い分を肯定しようとするもの。
反日教育と反日政策を国是とするのは、韓国民の民度の低さで、恥と矜持に欠ける。
女系天皇を主張するのは、似非知識人の文化的無知と育ちの悪さに起因する。
「民の声・世論」とは正に衆愚政治・ポピュリズムの肯定を表現する文言と論法。
民主主義の最大の弊害は世論というものが化け物化して国政を誤ること。
由って、賢人・哲人政治の必要が論じられたのはギリシャ時代のプラトンまで遡る。
韓国民のレベルでは愚衆政治致し方なしと思うが、日本国民にはそうあってもらい度なし。
政治家とマスコミのレベルは、その国民のレベルそのものとは、当に云い得て妙。
大衆に迎合し世論に媚び、且つ世論誘導で大衆を惑わすことは巌に慎むべし。
先の大戦も、新聞社の世論誘導と載せられた衆愚の結果とは周知のところである。
2017.05.17 睡眠する蓮
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卒塾者宅の勧修寺睡蓮が今年も咲いた。
何年か前に京都山科の勧修寺で「よかったら持って帰り」と云われてもらったとのこと。
睡蓮と云えば、フランスの印象派画家クロード・モネの絵が有名である。
モネ宅には日本の浮世絵が飾ってあり、日本庭園を模した庭造りがされていたとか。
睡蓮の英名がウォーターリリー、由って私は睡蓮を「水蓮」と書くものだと思っていた。
午前に咲いて、夜に萎む花 から、睡眠する蓮 で「 睡蓮 」 というとは最近知ったこと。
日本の原生種の睡蓮は「ヒツジ草」と呼ばれてるが、羊が喰う訳でも似てる訳でもない。
「未の刻 」(午前十時頃)に咲くことから、「 未草 」(ヒツジグサ) と呼ぶのだとか。
無知は恐ろしい。私は長いこと「水蓮」と書き、羊の餌にする水草と思っていたのだ・・。
因みに、レンコンは根が繋がっているので蓮根、いわゆる「蓮・ハス」である。
蓮・ハスの花と睡蓮は違うものだとかウンダラカンダラのたまう人も御座候。
更に因みに、私は昔から蓮根の穴は何の意味があるのか不思議に思っている。
まま、レンコン、煮物も天ぷらも好いが金平が美味い。焼酎に合う。

2017.05.16 柏葉紫陽花
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「かえる庵」入口の脇に植わる柏葉紫陽花(かしわばあじさい)。蕾が開き出して来た。

その葉が柏の葉に似ていることからの名付けというが、私はある人物を思い起す。
テレビ漫画の「タッチ」に出て来る高校野球の監督の名が「柏葉英二郎」であった。
主将であった兄の身代わりになり高校球児の夢を捨て去った柏葉と云う男。
兄の恋人への憧れを胸に秘めたまま、部員からのいじめや中傷に堪えていた。
兄への監督就任要請が間違って弟へ来たというストーリー構成である。
学校への復讐心からその間違いを知りながら監督に就任する柏葉。
嫌われ者に徹する柏葉は目を患い殆ど失明、一匹の犬だけが彼になつく。
野球部のエースが事故で死亡、その双子の兄が弟に代わって野球を始めた。
兄の名が達也「タッちゃん」でダメ男、死んだ弟が和也「カッちゃん」は学業優秀人柄良好。
隣家の喫茶店「南風」には同じ年の女の子「浅倉南」が居て、野球部のマネージャー。
そのミナミとタッちゃんが柏葉監督とぶつかり合いながらも気持ちが触れ合っていく物語。
復讐心が徐々に溶け出した柏葉は見えない目で決勝戦を指揮、チームを優勝へ導き、去る。
まま、高倉健が演じそうな切ない男の哀愁でもある。私も共感を覚えた。
あだち 充(あだち みつる)の漫画、中身のある作品であったと思う次第。

柏葉紫陽花は、その葉が紅葉することでも知られる。下の写真である。
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昨日、女房殿と「かえる庵」の奥方が二人で郡山城ホールの歌謡コンサートへお出かけ。
出演者は三田明/黒沢年雄/千昌夫/山本リンダ/平浩二/新沼謙治/狩人/ZERO等々。
入場券代金は一人8500円、「券を貰ったので一緒に如何?」という誘いに女房殿は即答快諾。
本来夫婦で行くはずだった御亭主は私と昨日の残り酒の整理、席には元塾生一人も遅れて参加。
女房殿達のご帰還は9時半、西大寺駅まで迎えに行く。
家に帰りPCを開くと、日本酒の薀蓄にうるさい大阪の卒塾生からコメントが入っていた。
前に記した山口の酒「月下美人」は「東洋美人」、プーチンも唸った酒だとか云々。
2017.05.15 日本酒薀蓄
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右から山口の月下美人、島根の櫻尾、滋賀のにごり酒初櫻、奈良の風の森と篠峯。
手前は、元塾生の作品である赤膚焼の花器を酒器に使ったもの。

昨日、元塾生がリングドクターを頼まれ近くまで来たとの由で、にごり酒を持って来てくれた。
丁度、東京の知人から島根の限定酒なるものが送られて来たところであった。
その両方の一升瓶二本を持って卒塾者の店・そば処「かえる庵」へ向かう。
日本酒の造詣が深いというか、蘊蓄をノタマウ元塾生たちも日本酒を持ち寄っての酒宴となる。
あれこれ酒飲みの話題が飛ぶ中で、初めて知ったことがあった。
「日本酒」と表示できるのは日本国内で生産された米を原料にして製造されたものに限定とか。
私が外米のインディカ米を使った日本酒は飲んだことがないと云うたのが発端であった。
米国カルホルニア産のジャポニカ米で作った日本酒を呑んだことがあると云うと、
即座に、それは清酒と云っても日本酒とは云えないとか云々カンヌン。
それと、日本酒の表示年度は7月から6月を1年として表示されているとか云々。
「製造年月日」と別に、醸造した年度を記載するからとかウンダラカンダラ。
徴税するため、製造日でなく出荷する瓶詰日の印字を義務づけたと云う話。
今日は我が女房殿とかえる庵の奥方が郡山で開かれる歌謡コンサートに出掛けるとか。
私は今日も「かえる庵」へ行き、残り酒の処分を致しながら女房殿の帰りを待つ所存。

2017.05.13 黄萓
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卒塾者宅の玄関に置かれた黄萓(きすげ)が開花、横は山紫陽花。
園芸店のものだから開花時期が早いようだ、とは卒塾者の弁。
黄萓の本名は禅庭花(ゼンテイカ)。
北海道から本州中部にかけ各地に分布するが別名が多いようだ。
近畿以西では余り自生するところがないようで、畿内人には馴染みが薄い。
関東地方の低地には武蔵黄萓(ムサシキスゲ)というものが多いらしい。
高地の日光黄萓は朝方に開花すると夕方にはしぼんでしまう一日花。
ムサシノキスゲは開花の翌日まで開花という違いがあるとか。

♪夏がくれば 思い出す はるかな尾瀬 遠い空・・♪
昭和24年に発表された歌、「夏の想い出」の出だし歌詞。
尾瀬の湿地帯の水芭蕉の花を歌ったものとして有名である。
実は尾瀬の黄萓は水芭蕉と同等以上に有名であった。
この歌が出てから尾瀬と云えば水芭蕉となり、黄萓の名は薄れた。
やはり、名付けが大事というか付けたもの勝ちの感がある。
日光黄萓は日光、水芭蕉は尾瀬というブランド感覚になったようだ。
昭和の時代、山のハイキングコースは若者が行き交う青春ロード。
女房殿も若き頃は信州辺りの山歩きが趣味だったとかノタマウ。
最近のハイキングコースは爺婆街道、歌の郷愁に寂寞感あり。
2017.05.12 羊羹
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加賀山代温泉の羊羹「夜乃梅」、加賀百万石前田家の紋所「梅」に因むもの。
知人の母君の実家が山代温泉の和菓子屋で、そこの羊羹を頂いた。

まま羊羹、茶受けの代表菓子、以前も書いたがマタゾロ薀蓄を。
羊肉の羹(あつもの)、煮汁の固まったもの、いわゆる煮凝(にこごり)である。
禅坊主が支那から持ち帰ったというが、その坊主、肉を喰らう生臭坊主の破戒僧。
そこで、小豆の煮汁に水飴を加え寒天で固めて作ったのを「羊羹」と云い習わした。
砂糖が高価なものであった時代、砂糖を使う練羊羹が「高級菓子」として珍重された。
また料理菓子として、半煉り状の煉羊羹に水分を多くした水羊羹が作られた。
「下もの」としては、小麦粉や葛粉と混ぜた蒸し羊羹があり、芋羊羹やういろうが派生。
近畿では、小豆や砂糖を減らし小豆の出汁からつくる水羊羹状の安価な羊羹も出た。
出汁(でじる)に、煉る工程「でっちる」の意味が重なり、羊羹の半人前の意味で「丁稚」。
安価であるので丁稚が里帰りの土産にした意味が重なったとか云々である。
実は「丁稚羊羹」、女房殿の大好物。まま、安上がりに出来たオナゴはんである。
ついでながら、羊羹は表面に白い粉が付き出した頃に食べるものとされた。
ひとつの羊羹を皆で送り廻している中に白い粉が付き出す、もう人にはやれない状態。
そこでその家の人は、切り分けて近所に「お裾分け」として配り、皆が食べるという。
因みに、上物の練羊羹は一年以上日持ちがする。盆暮れふた回りするぞかし(菓子)。
掛詞のつもりだが、きっと不興。丁稚羊羹の日持ちは精々三日あれかし。
2017.05.10 括れ
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コタツから出て横になる愛犬「ハナ」、柴犬特有の腰の括れ(クビレ)がない。

西野バレー団の踊り子たちは今以って好い体形を保っているようだ。
女房殿と似た年齢の由美かおる、デビュー当時の括れ86-58-86のままとか。
由美はんの還暦恋愛が破局と昨日の報道、お相手は古希の数学者という。
時代劇の水戸黄門で湯ぶねに浸かるシーンがあり、番組の売りにされていた。
括れの類似語は、凹み(ヘコミ)歪み(ユガミ)の言葉であろう。

何の話と云うと、韓国の大統領選が終わったことへのコジツケである。
朝鮮人の好物は犬食であり、特に赤犬が重宝されると聞く。
赤犬で腰の括れがない丸々とした「ハナ」が彼の地に居たなら今頃は・・
優勝した力士が大鯛を掲げるように、文はんに「ハナ」がぶら下げられていたかも。
まま、冗談はさておくが、三人の候補者は何れも「反日」を標榜していた。
朴大統領は日本に、「加害者と被害者という立場は千年過ぎても変わらない」と云った。
候補者三人は、その朴すらも「親日的」と非難して集票の上乗せ図った。
国家間で合意・締結した条約や約束事を平気で反古にし、「反日無罪」を叫ぶ国。
朝鮮人が持つ対日本への「括れ・凹み・歪み」の民族感情、もう致し方なし。
彼らの云う歴史では900余回の外寇を受け、その9割が日本からのものであったと云う。
日本から侵攻を受けまくったが、朝鮮から日本へ侵攻したことは無いとか。
つまり、日本にやられ放しであることが心の凹み歪み括れになっている。
このことは、朝鮮人の民族性である「恨」、恨みつらみの心情にこびり付く。
彼らの「反日感情」をなくす唯一の措置とは、一度でも日本に戦争で勝ち征服すること。
然しながら、そんなことは千年経っても無理であろう。
となると、千年先まで日本は朝鮮のことを放っておくしかないということになる。
括れなきハナよ、日本の柴犬で良かったな・・。

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紫菫(ムラサキスミレ)、毎年このアスファルトの割れ目から芽を出し花を咲かす。
マンジュリカ(満州産)といわれる本スミレであり、その紫がスミレ色・英名バイオレット。

仏大統領選は39歳のマクロン勝利、24歳8ヵ月年上のブリジット夫人がファーストレディーへ。
マクロン高校生時に、夫と三人の子を持つ国語の女教師と恋愛(日本ではご法度不倫?)。
15年の時を経て結婚、二人の間に子供はないが孫は居るとか云々でフランス社会では称賛。
さすがはフランスと驚くことはない、日本にも「紫菫」ならぬ藤間紫はんが居てなさる。
紫はんも、昭和19年の21歳時に24歳年上の藤間勘十郎と結婚、一男一女を儲ける。
そして16歳年下の市川猿之助と暮らし、62歳で勘十郎と離婚、77歳で猿之助と正式結婚。
猿の助に看取られて享年87歳で亡くなる。それなりに立派な人生。

自由の女神(Statue of Liberty)、アメリカ独立百年を記念してフランスから送られた像。
自由・平等・友愛というフランス人感覚、どの言葉も日本人の感覚とは微妙に異なるようだ。
とくに自由と訳されるリバティ、フリーダムは身の自由でリバティは心の自由だ云々カンヌン。
思うに、恐らくは宗教で心を縛られてきた民族・国民でなければ分かりづらかろうもの。
「不倫は文化」とかホザいた男優がおったが、そんな安物感覚でもなかろう。
まま、ともあれ、欧米でのリベラリズムとポピュリズムのせめぎ合い。
少し云い換えれば、グローバリゼーションとローカリゼーションの対立思想。
英米はローカリゼーションへ向かい、仏はグローバリゼーションに留まった。
そこへ、支那の覇権主義(リージョナル・ヘゲモニー)が肥大化して来ている。
欧米のグローバリゼーションとは、欧米の設定するルールに日本を従わすこと。
欧米のローカリゼーションとは、日本を締め出すことへ繋がるもの。
支那の覇権主義とは、日本を支那の冊封下へ置くことに他ならない。
日本の政治家、先生と呼ばれるほどのアホでもなかろう、フンドシを締め直しなされ。

昨日5月8日は「ゴーヤの日」とか、売り場に山積みされていたので一本買うた。
苦瓜(ニガウリ)だが最近の物は苦くない。何でも口当たりの好いものが良いものでない。
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2017.05.07 ブラの鯛
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昨日の朝、盲目の愛犬「ハナ」の散歩中に電話が掛かって来た。
前に書き込んだ半世紀の付き合いの鮨屋の店主からであった。
先月末で閉店、片付けも一段落したので、これから我が家へ向かうとのこと。
早朝に魚市場へ挨拶に行き、ブラ鯛一匹を買ったので岩国の酒と一緒に持参する云々。
ブラの鯛とは、活〆したばかりのもので頭を持って振るとブラブラするのでブラという。
それから一時間ばかりで到着した彼は、鍋で湯を沸かす間に鯛を三枚におろした。
身は皮を引かず、皮に熱湯を掛けて湯引きにして、すぐに氷水で冷やして冷蔵庫へ。
頭と骨はフライパンで酒蒸しにして蓋を被せ、私と女房殿は彼と一緒に銭湯へ行く。
彼はゆっくり湯に浸かりながら、「朝湯はエエな、贅沢な時間やわ」とノタマウ。
サウナに入ってから体を流して出ると、女房殿は待ちくたびれていた。
家に戻り、彼は冷えて〆った湯引き鯛身を皿に盛り付け、ポン酢で食えと云う。
確かに、鮮度の良い湯引き鯛はワサビ醤油よりポン酢の方が皮の甘味が活きる。
女房殿は美味しい美味しいと云いながら一人で半分を食す、私は慌てて撮影。

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彼はカラオケなんぞには興味を持たないが、ただ一曲だけの十八番が「歩兵の本領」。
私は骨董市で見付けた記念茶碗「砲兵の歌」を出して酒を注ぎ、二人で「歩兵の本領」を歌う。
酒が進む中、二人は酔いつぶれてしまい、そのままコタツで寝てしまった。

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今朝は五時前に寝覚め、芋茶粥を煮て食す。
彼は帰りの運転があるので、私一人が焼酎のビール割りを呑む。
「ハナ」も起き出してコタツに来たので、酒蒸しの残りを与えると皆平らげた。
そのまま、彼と二人で「ハナ」を散歩に連れ出し、用を足たせる。
昼はお好み焼きを作り、テレビの「そこまで言って委員会」を見ながら彼は茶、私は焼酎。
そして、彼は台所の片付けをしてから帰路につく。つくづく律儀な男だと思った。、
娘宅から下の男児の初節句祝いの声が掛かり、女房殿と出掛けた。
婿殿の御両親は名古屋から前日にご到着、娘一家5人とジジババ4人で9人の会食となる。

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庭には鯉のぼりが揚げられていた、私は近所から菖蒲の花を貰って来て渡した。
鯉幟(のぼり)とは吹流しを鯉の形に模して作った幟で皐幟(さつきのぼり)とも。
旧暦の皐月(5月)5日までの梅雨の時期の雨の日に揚げたらしい。
男児の出世と健康を願って庭先で飾られ、本来は真鯉(黒い鯉)のみ。
それが、明治時代から真鯉(まごい)と緋鯉(ひごい)の対で揚げるようになって、
昭和頃から家族を表すものとして子鯉(青い鯉)を添えたものが主流となった。
最近では、女の子の分も含め家族全員の鯉を上げる家もあるとか。
ご多聞に漏れず、娘宅でも姉二人分の子鯉も付けていた。(幟屋の口車に乗った?)

娘宅のテーブルは9人も座れることが出来ないので、私には側に卓袱台が置かれた。
女房殿は孫たちと一緒に居たい様子であったが、向うの親と私への気遣いで私の卓袱台へ。
向うのテーブルの楽しそうな様子を上目で見ながら、私たちは卓袱台の膳に箸を付ける。
下の写真は端午の節句膳、最近の仕出し屋は色々凝って来たと云うか面白い膳である。
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ここで私は、五月の短歌会に一首ひねり出した。
沼川を 忍び渡るや こひの道 けふは雲間を のぼりゆくこひ
・・・愚作。またアレコレ云われること必定。
2017.05.04 目に青葉
「目に青葉」と云えば、高い木々の枝に若葉が青々と茂るという感じだが低木も草も同じ。
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去年枯れ木から芽を吹き返した「野牡丹」だが、花は咲かないままであった。
今年は残った葉っぱの枝からまた新芽が出て来て葉っぱが付き出した。
今年は何とか花を咲かしてほしいもの。

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去年の夏、葉喰い虫が糊こぼし椿に群がり一昼夜で大半の葉っぱを食いつぶされた。
晩秋から冬の椿に時期には花が付かなかったが、春になって五輪ほどが遅咲きをした。
その花も散って、寂しくなったと思っていたら、新芽が出て若葉に成り出した。
濃い青色の旧葉と薄緑新葉とのコントラストがそれなりに面白い。

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草叢に紫蘭が花を咲かし出していた。その葉っぱの青々しさが草叢を活気づけている。
2017.05.03 ホームカット
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右下がホームカット、左上がクルーラー。ミスタードーナツ(MD)の主役商品であった。

ドコモショップの待ち時間を潰すために久しぶりにMD店へ行った。
ホームカットが見つからないので店員に訊くと、「はあ?」と話が通じない。
聞いていた先輩店員が「数年前に廃番になりました」と答えてくれた。
私は「え~つ」と声を失った。一番生地を使う無くてはならないドーナツ定番。
今はハンドカット商品は無くしたとか、私の想い出は風化されつつある。
昭和40年代の流通革命に続く外食革命のうねりがあり多くの若者が就職した。
マクドナルド(マック)店やケンタッキー(FC)店、MD店が米国から来た。
夫々の一号店はマックが東京、FCが名古屋、MDが大阪で開店した。
私はMD第4号店の店長候補として大阪で研修を受けた。昭和47年のことだ。
米国流の色々な経営思想と用語を学んだ。
マニュアル、ノウハウ、チェーンストア、フランチャイズチェーン等々。
その思想には新鮮な驚きを覚えたものだが、中でも鮮明な記憶に残るもの。
「大便後の尻拭きは紙を5枚重ねること」、「仕事中に玉ネギをかじらないこと」。
マニュアルの中に定められた規則である。こんなことまでもとビックリ、そして納得もした。
米国人には字が書けないとか算数が出来ない者が多いとは知っていた。
戦後に進駐して来た米兵がドラム缶の勘定、つまり掛け算が出来ないのを見た日本人。
我々は、なんでこんな連中に負けたのかと、悔し涙が出た類の話は耳数多であった。
多くの愚衆が居ることを前提に作られた米国のマニュアルとは、そんなものだと知った。
マッカーサーが日本人と接し云った、「日本人の精神年齢は12歳」との言葉。
日本女性をたらし込む外人男性曰く、「日本の女は幼稚で、すぐ金と体を提供する」との談。
哀しいぐらいに日本人を小馬鹿にした話であるが、否定できないのが口惜しいところ。
そんな米国人の対日本人感覚で制定された英語直訳の日本憲法、真面な日本語でない。
さて、今日の産経新聞一面のトップ見出しは「憲法70歳。何がめでたい」とあった、首肯。
同じ敗戦国のドイツは連合軍制定憲法を既に90回手入れし200条を改定しているとか。
さすがにドイツ、自立した大人の民族であり、自負と誇りを持った国民と云えよう。
もう日本人も覚醒あれかしと、ホームカットの復刻と共に切に望むところ。


2017.05.02 清々しい季節
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山紫陽花の蕾が膨らんで来た。葉っぱも生きいきしている。

今日この頃の朝夕は清々しい。
肌に心地よい空気が流れる。
何やら季節に喜びを感じてしまう。
さて、これから盲目の愛犬「ハナ」の散歩に出掛けよう。
2017.05.01 エビネ蘭
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エビネ、ラン科の多年草、日本列島と朝鮮半島南部、支那の江蘇省、貴州省に分布。
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黄エビネ、同じくラン科の多年草、日本列島と台湾に分布

「幽玄と楽斎二人展」に行って来たとの卒塾生が上の花株を持って来られた。
私のブログで三つ人形蓋置に挿してあったエビネが庭にあったとの由、有難く頂戴する。
同じくその日、五代楽斎の孫である元塾生から苦情のメールを貰った。
「楽西」と書き込んだ私の記事、本来は「楽斎」なので宜しくとのジックリ抗議。汗顔謝罪。
ラクサイと打ち変換キーを押すと、先ず楽西と出たのでそのままにしたのがコトの顛末・・。
さて、エビの変換、三つ出た。蝦、海老、鰕。ふーむと思い調べてみた。

「エビは其(そ)の色の葡萄(えび)に似たるをいひ、俗に海老の字を用ひしは、その長髯傴僂(ちょうぜんうる)たるに似たる故也」とは、新井白石。エビの語源とは葡萄(ぶどう)とか。
エビという漢字は蝦、または鰕、海老と書くのは日本独特の書き方、蛯は国字(日本字)。
また、海老は大きな歩くタイプ、蝦は小さな泳ぐタイプだとか云々。
支那料理のメニュー「エビチリ」などは、虫偏に「暇」の旁で「蝦」と書くことが多い。
理由があるとか書かれていたが、そんなことは日本人の知ったことではない。
エビネの花はその分布から見て、どうも日本原産の気がする。つまり和花。

今日、5月1日はメデたくもなくなったメーデー。
連合・民進党と共産党が夫々分化開催とか。アホらしく虚しかろう。
平成29年の雇用人口、つまり雇用労働者は6724万人、労働組合員約990万人。
最近の政党支持率は民進党6・7%、共産党3.2%、合わせても10%にもならない。
日本の55年体制や米ソ冷戦時代という政治思想の左右対立構図の選択は遠い過去話。
今の選択はグローバリゼーションかローカリゼーションか、世界国家か民族部落か。
今日はエビカレーにしよう。やはり「海老」がしっくり来てエエ。