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お向かい宅の玄関に咲く小鬼百合、日本原産で渡来種の鬼百合より小ぶりである。
和敬塾と政経塾の記事に知人から「逆賊」と題す次のようなコメントをもらった。

>逆賊
前川前事務次官は前代未聞の逆賊。議院内閣制では行政の統括責任者は内閣。
官僚には内閣を見て仕事をする義務がある(憲法65条)
よって内閣の方針が受入れられないなら辞任するしかない。そんな青臭いハナシなんぞ秀才喜平には片腹痛しで、以て面従腹背を座右の銘と。
記者会見の場で「なぜ退任後に内閣を批判するのか」を問われ、喜平が持ち出した屁理屈に悶絶した「国民主権ですから国民には知る権利がある云々」
憲法65条には違反して、クソのような前文に載る「国民主権」を持ち出して自己弁護とは、これほどに民衆を愚弄する態度があろうか。
株主総会(国会)で信任された経営陣(内閣)の方針に従わない幹部社員(官僚)なんぞ、名門の製作所ではとてもじゃないが通用しない。
前川前事務次官には内省する静寂の場が必要、和敬塾ではなく、東京拘置所で。<

・・私は全く以って同感、前川氏と加戸前知事との違いにつき、ブログでもこう書き込んだ。
「というか、個人としての育って来た環境と受けた薫陶の違いでもあろう。」、と。
が、若者の教育に私財を投じた前川喜平の孫と知り、喜平の名誉の為にこの言葉は取り消す。
前川氏の妹(中曽根弘文議員の奥方)の長女の投稿文(2012年10月、民主党政権時)を転載。

>こんにちは、長女・文子です
突然ですが、母には1歳年上の兄がいます。名前は「キヘイ」。
国家公務員、いわゆる「役人」です。
世間では悪く言われるのは必ず、「政治家」と「役人」。私の身近にいる人ばかりです。
でも頑張っている姿も沢山知って頂きたく、今日は私の「おじ」について書きたいと思います。
母の実家は代々奈良県で山林業を営んでいましたが、母の祖父は二男だったので家業を継ぐ必要がなく上京し、早稲田大学理工学部を卒業後、自らコンプレッサーを開発し工業用冷凍機製作の会社を創業しました。
母の父が二代目の社長となり、今はこの業界では世界シェア№1の会社となっています。当然母の兄であるキヘイおじも入社すると思いきや、『企業利益を追求する仕事は自分には合わない。「公」の為に働きたい。』と後を継がず、公務員試験を受け「役人」になりました。
私の祖父・中曽根康弘も政治家になる前は官僚でした。必死で勉強し、公務員試験を受け、合格発表を見に行くと、成績が6番で『ウソじゃないか?問い合わせたら間違いだったと訂正されるんじゃないかと思い、急いで家に帰った。』と話していました。キヘイおじはもっと上位で合格しました。
おじは、麻布中学高校・東大法学部卒。麻布に入学したのは単に麻布に住んでいて家が近かったからで、祖母はおじに『勉強しなさい』と一度も言った事がなかったそうです。法学部ながら理系に強く、高校のあだ名は「物理のキヘイ」で、ずっと理Ⅲ(東大医学部)受験クラスにいました。
要するに「秀才クン」だったらしいですが、私からするとただの秀才クンではなく、おやじギャグの絶えない面白い、ほんわ~かした、ドラ焼きが大好物の、体型もややドラえもんの、姪に優しいおじさんです。
大学時代は原始仏教やインド哲学に興味を持ち「仏教青年会」に所属し、ガウタマ・シッダールタ研究をしたとか。相当カタブツ!?、、、しかし、妹達(母と叔母)に言わせると、『ポン女、ポン女(日本女子大学)と憧れて騒いでいた』そうです。結婚する時(お嫁さんは叔母の親友。日本女子大卒ではない)、挿絵も自分で描いた詩集(結構良く出来ていると評判)を自費出版し「愛の証」としてプレゼントしたロマンティストぶり。
まぁ、妹達は『よくぞ兄の所などに来て下さった』とお嫁さんに大感謝したそうです。
・ 大学で第二外国語はロシア語専攻。留学はイギリスのケンブリッジ大学大学院。海外赴任はフランスのパリへ。語学が堪能。
・ 約30年間、殆ど朝4~5時に帰宅し、仮眠又は着替えるだけで又出勤。早ければ夜中1~2時に帰宅できることもあるとか。
・ 足の指を骨折したが、病院に通う時間がなく自然治療。少々の体の不調は黙殺。
・ 自分の信念を曲げない、圧力に負けない強い人。相手が誰であれ、言うべき事は言う。辞表を懐にしまいながら仕事をした。
等々、武勇伝も多いのです。
奥様である伯母はずっと『よく体が持つ。不思議。』と言っていましたが、遂に持ちませんでした。
原因不明の高熱が続き、緊急入院。病院の医師から普段の生活状況を聞かれ伯母がありのまま答えた所、全く信じてもらえず、完全に先生の想定外だったようです。明らかに積年の過労による発病でした。
結局2週間入院し無事退院出来ましたが、入院中も病室で電話・fax・メール・役所の方がいらして打ち合わせをしたりと、仕事から離れられなかったようです。
キヘイおじだけではなく、おじの周りにはおじと同じように死ぬほど日夜働いている役人が大勢いるそうです。
「命懸けで」とよく聞く台詞です。ちょっと前も、野田総理が「消費税を命懸けで」と叫んでいました。おじ達はそんな宣言を声高には決してしません。マスコミにどれだけ悪者扱いされようとも、突然お給料をカットされようとも、使命感を持ち、持てる能力の全てを駆使して日々黙々と働きます。

入院の為の書類作成の時、看護師さんに『ご家族は?』と聞かれキヘイおじは『息子が2人で妻は1人です』と返事。高熱でもおやじギャグ精神は健在はのです。伯母曰く、『そこだけは譲れないのよね~』と呆れ気味。
類は友を呼び、キヘイ入院と知った友人から『ついに産まれた?男?女?』とお見舞いメールが。臨月程のドラえもん体型とは思えませんが、、、。
ちなみにそんな父親の姿を見て育った息子(私のイトコ25歳)も役人になりました。
その壮絶さを誰よりもわかっているはずなのに。尊敬出来る姿だったのでしょう。彼に先日久しぶりに会ったら『毎日死ぬかと思っている』と言っていました。既に凄まじい日々が始まっているようです。
先日も、中国大使に任命された直後の外務省の方が突然路上で倒れ亡くなられました。さぞお忙しく、お疲れだったのではと拝察します。
真剣に日本の将来を考え、非力かもしれませんが全力を尽くしている「役人」や「政治家」が私の身近にいます。そんな面を少しでも知って頂ければ幸と思います。<

・・人物とは多面的に見てという話ながら、前川氏の言動を見る限り私は「逆賊」の感がする。
が、偉大な教育貢献者でもあった祖父・喜作の薫陶を受けていない訳がないとも思えるが・・。
喜平氏は小学校時代、外では大和言葉を、家では東京出身の母と東京弁を使ったとか。
「面従腹背」というバイリンガル体質が子供の頃から身に備わっているのかも。
私がここでいうバイリンガル体質とは、二重規範の持ち主ということである。
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2017.07.28 孤老生活へ
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お隣さんの玄関先に咲く「アメリカ芙蓉」、立派な花である。
ここの町内と云うか班は親切な方が多い。昔の村社会の感覚ともいえる。
数年前に私が足首骨折をした時も、大変お世話になり、有難く思った。
今回の女房殿の足首剥離骨折と続く私のギックリ腰でも色々お気遣いを頂き、感謝である。
昨日、娘が来て女房殿を入院させることになり、病院に連れて行った。
ひと月ほど、愛犬「ハナ」と二人だけの生活になる。
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前川喜作(まえかわきさく)、明治26年生まれ昭和61年没、奈良御所市出身。
林業を営む素封家の家に三男として生まれ、早稲田大学理工学部で学び、前川製作所を創業。
産業用冷蔵機では国内の60〜70%、冷凍運搬船用では世界の80%以上のシェアを占める。
昭和30年に私費を投じ東京都文京区目白台に敷地7000坪の男子学生寮「和敬塾」を創設。
松下幸之助が私費を投じて神奈川県茅ヶ崎市に「松下政経塾」を創設したのは昭和54年である。
政経塾は一期10人程度をエリート教育し卒塾者は300人足らず、和敬塾は5000人を超える。
政経塾に比べ和敬塾の知名度は低いが、創設者の教育に対する思いはむしろ勝るものがある。

予算委員会で、自民党の小野寺元防衛大臣が参考人の前川元文科省次官への質問に立った。
このことが私の高校同級生二人との奇縁に繋がり、昨日の定例囲碁巴戦で話題になった。
前の私のブログで、前川前次官のことを批判的に述べていたことが話の発端であった。
前川前次官は故前川喜作の孫に当たり、小学校の4年まで御所に居て、それから東京へ出た。
私の同級生は奈良出身で早稲田理工学部卒として前川製作所のそれなりの役をしている。
彼曰く、次官の退職金8000万円は前川家として左程の金額ではない云々。
もう一人の同級生は水産大学で小野寺氏の先輩になり、小野寺氏の叔父とは同期生。
それで小野寺氏のことを知っており、人柄も人望も秀でているとの話であった。
前川氏は和敬塾創設者の孫、片や小野寺氏は松下政経塾の出身。
浮き世のしがらみを鑑みて、私はこの二人をあれこれ云わないでおく。

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駐車場のコンクリ壁を天井へ向かって進む小動物。私はヤモリだと即断即決。

前のブログ写真に卒塾者から指摘を受けた。
「 ヤモリではなく トカゲじゃないですか? 」
ご明察!写っているは正にトカゲそのもの。
駐車場のコンクリ壁の天井付近でチョロチョロしている二寸程度の小物体。
私はてっきりヤモリと決め込んでいた、私は思い込みが強いタチ。
拡大写真で見ると紛れもなくトカゲの幼体である。
まま、これでヤモリはトカゲの仲間であることを実証した・・(苦しい言い訳)

言い訳で話が飛ぶが、テレビ中継されていた予算委員会の在り様。
加計学園のことが天下国家を語る国会でここまで時間を割くべき主題であろうか。
「忖度」がどうしたとか、云った云わないとか、食事代をどちらが払ったとか。
野党議員の質問内容や追及姿勢、それにヤジや冷やかし口調はアホ丸出しである。
与党側の受け様も褒められたものではない、汲々としており少々見苦しい。
ここで見た好対照の人物像が、前川喜平・前文科次官と加戸守行・前愛媛県知事である。
「面従腹背」が座右の銘と云い放ち、出会い系バーへ通っていた前川前次官。
「安倍晋三首相にかけられた、あらぬぬれぎぬを晴らす役に立ちたい」と述べた加戸前知事。
官僚のトップを務めた御仁同士だが、その矜持と誇りは何方にあるかは明瞭である。
というか、個人としての育って来た環境と受けた薫陶の違いでもあろう。
「男は顔」である、委員会での前川元次官の顔付表情には卑猥というか厭らしさが見えた。
比べて、加戸元知事の顔付表情には毅然とした武人のそれが感じられた。
「忖度」云々の前川次官に対し、加戸元知事には「惻隠の情」が似つかわしい言葉と思える。

イモリとトカゲの段、勝手な忖度をした私に惻隠の情を以ってお許しあり度。
今朝、愛犬「ハナ」の散歩途中で小学生たちが楽しそうに歩いて来るに会った。
なんでもラヂオ体操の帰りだとか、そうか、夏休みに入ったのかと何か嬉しくなる。
夏休みと云えば自由研究や昆虫採集が思い浮かぶ。虫の生態に目が行く季節だ。

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二階の窓にアブラ蝉。先日脱皮で苦労していたのを木陰に移してやった蝉かも。
きっと礼を云いに来たのだろうと勝手に推測する。

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玄関の階段でカマキリが鎌を構えて静かに揺れていた。
鎌切とか蟷螂(とうろう)とも書く、鎌を持ったキリギリスから来た名とか。

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駐車場のコンクリ壁にヤモリがゴソゴソしていた。
ヤモリは「家守」、家の虫を駆除して家を守ってくれる爬虫類でトカゲや蛇の仲間とか。
よく似たイモリは「井守」、井戸の守りをする両生類でカエルの仲間とか。
私が吉野にいた小学生の頃、竹藪の小川で黒いオタマジャクシを見つけ家で飼ってみた。
そのうちに手が出て来た。他のオタマは尻尾の横から足が出るのにと怪訝に思った。
やがて、足も出て来たのだが尻尾は長いままで腹も赤いままであった。
父親が「これはイモリや、噛まれるで」。私は小川まで戻しに行った想い出がある。
因みに、このアカハライモリ、日本の固有種で今は準絶滅危惧種に指定されているとか。
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テレビ映画「ウォーターボーイズ」の出演者たちの集合写真。

朝餉の片づけを終え、テレビを点けると高校青春映画「ウォーターボーイズ」。
愛・恋・涙の青春ドラマは余り好きじゃないので見ることはなかったが、
日本アカデミー賞を取り、視聴率も高かったと聞いたのでそのまま観ていた。
それがなんと、90分を7部、休憩をいれると都合11時間の放映であった。
どうせ観るなら腰を落ち着け飲み
ながらとテレビの前に坐った。
まま、脚本と演出はそれなりのものだったが、私の思いは違う方へ動いた。
中学高校時代の出来事・想い出が映画の場面と重なり始めたのだった。
歳をとると涙腺が緩むというが、昔のその時あの時の思いが彷彿と浮かぶ。
ビールから焼酎、日本酒、また違う銘柄の焼酎へと取り換えながら11時間。
焼酎は水や湯で割らない、ロックにもしない。ストレートで飲み冷水を別に置く。
ほろ酔い加減が気分の高揚をもたらす。ほとんどアル中の境地というもの。
今回感じたこと、それは「人生とは感じること」ということである。
善悪や世の移ろいはどうでもよい、要は感じること。
喜怒哀楽もどうでもよい、感じていること自体に人生がある。
森羅万象を五感でとらえ、人間(じんかん)と時の流れを感じること。
なんだかんだとゴタクもあるが、我が身ひとつが人生である。
自分が感じること、それが自分の人生、とかなんとか感じた次第。
2017.07.22 椿の実
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近隣宅の玄関先に植えられた椿に実が生っていた。椿は日本原産種。
その実から採れる椿油は丁髷(ちょんまげ)と日本刀の手入れの必須品。

前のブログの書き込みはCS放映「日本の一番長い日」を見た後であった。
文芸春秋社社員の半藤一利が書いた作品を映画化したものである。
昭和20年の終戦に向けた日本中枢部の一連の動きを描いている。
役所広司の阿南惟幾陸軍大臣、山崎努の鈴木貫太郎首相、本木雅弘の昭和天皇。
政府・陸海軍の中枢部は夫々に苦悩し決断する話を描くノンフィクション作品だとか。
私には、昭和天皇の台詞が「わたくしは・・云々」というのは頂けなかったが・・。

気になったのは当時の服装である。夏八月でありながら皆が詰襟長袖の制服である。
確かに、終戦当時の写真を見ると長袖の制服や背広を着ている姿が写っている。
気になったので調べてみると昭和20年8月の平均気温は東京で26・7度とあった。
ここ10日の東京の平均気温は28・2度、8月に入るともっと上がるだろう。
ついでに冷房のことも調べてみたら、大阪商人の客サービス精神が垣間見えた。
日本初は昭和7年芝浦製作所が大阪朝日ビルに、8年大丸大阪店に納入稼働。
大阪金属工業(現ダイキン)が11年に南海電鉄の特急車両に導入、好評だったとか。
大阪金属は12年に海軍の潜水艦にも納入、勿論戦艦大和は冷房設備有り。
戦前の満州の大地を駆けた超特急あじあ号は全車両に冷房装置を完備していた。

終戦当日、阿南陸相は晒を巻いて割腹、介錯を断り自らの手で頸動脈を切った。
特攻作戦を指揮した宇垣纏海軍中将が玉音放送後に特攻出撃し海上に消える。
比べて東条英機は隣家の医師に頼んで心臓の位置に墨で印をつけてもらったとか。
が、自決せず、進駐軍が自宅に来た9月11日に拳銃で腹を撃つが命を取り留める。
兵に戦陣訓「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」とのたまった御仁。
その東條英機の醜態、これが示すものはエリート然たる昭和軍人官僚の実態。
拳銃自殺は頭ないし口腔を撃つ。腹を撃つ拳銃自殺とは聞いたことがない。
もしかしたら、東條は椿油を持っておらず、刀の手入れが出来てなかったのかも。
そんな話が頭を巡った中での前のブログ書き込みでした、またも冗文お粗末。
2017.07.21 失敗の本質
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今朝、愛犬「ハナ」と散歩に出掛ける時、玄関先で蝉が殻を脱いでいるのを見た。
脱皮に「失敗」したのか、羽がシッカリせずもがいていたので、木陰に置いてやった。
土中で10年近く過ごし、成虫となって数週間で命が尽きる蝉、それも一生である。

友人がFBに「失敗の本質」という著書のことを取り上げていたので私のコメントを入れた。
>この本は昭和59年初版のものを買うた。書き手が自分と余り年齢差がないことに加え、当時は組織運営に関心を持っていたことによる。読んだその時の感想は視点の当て方に感銘を受けたが、戦争を防ぐには日本は何が出来たかという話や大東亜戦そのものや各軍事作戦で勝利するにはという話が少なかった記憶が残る。つまり、だったらどうすれば良かったのかという話である。初版の本は同い年の知人が入院した時に「読め」と云って渡した。彼は大阪で100年余り続く中堅企業の4代目社長になったばかりであった。この本を読んで以来、私は「戦争責任」と「敗戦責任」を日本としては区別して追及すべきと考える様になった。<

思うに、鬼才の学者・小室直樹氏が「新戦争論」で述べている観点は違っていた。
戦争を必然と見て、観念的平和論が戦争を誘因すると喝破した。
起こった戦争にどうすれば勝てたか、先の大戦の各戦局で彼なりの論証を示した。
陸海軍の武器調達一元化、ミッドウェイでは小型空母に隼を載せる、サイパンの要塞化云々。
「失敗の本質」の著者たちは経営論・組織論の専門家で軍事論の専門家は少なかった。
というより、日本の大学で軍事学あるいは軍事科学を教えるところはないので無理はない。
よって、「失敗の本質」は話題を呼びベストセラー・ロングセラーとなり、今も読まれている。
都知事の小池はんも愛読書として挙げていた、まま、それしきの話である。
クラウゼヴィッツなんかを輩出したドイツの軍部は堂々と再軍備・徴兵制度を復活。
徴兵制の施行には、歴史的経緯を踏まえ、良心的兵役拒否の申請を認めた。
代替義務 として病院や社会福祉施設で兵役義務と同じ期間の社会貢献をさせる。
2011年、ドイツは徴兵制の「中止」を発表したが、ドイツには軍事学が生きている。
日本武士は去勢されたが、ドイツ騎士は五体満足・精神健全である。
日本弁護士会や日本科学者会議の発言、去勢されるというのはこういうことかと解る。
日本の「失敗の本質」とはこういうことだと、つくづく思う今日この頃。
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昨日、愛犬「ハナ」の散歩から帰ると玄関に置いてあった稲荷寿しのパックと古材の板。
昨日は19日、この日は大工をしている小中学校の同級生が毎月稲荷寿しを届けてくれる。
今は古民家の修復仕事が入っているとかで、出て来た古材も持って来てくれた。
茶道具の何かに使えるかどうかと云うことである。
云われてみれば、この男も実直で友誼に篤い、紛れも無く益者三友の一人であろう。
因みに私のギックリ腰、ゆっくりの水平移動は出来るようになったが、垂直移動は辛い。
何とか愛犬「ハナ」の散歩だけは頑張って行く次第。
2017.07.20 益者三友
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露草の花は一日で姿を隠した、ひと雨降った後の葉っぱには露が付いた。

昨夕、「戻ってきました」というメールが高校の同級生から入った。
前の日に五時間の亘る心臓手術を受けたのだった。
それでメールが打てるぐらいに回復とは、医学の進歩に感心する。
この同級生が手術前に私へ残した言葉が以下であった。
「益者三友、直を友とし、諒を友とし、多聞を友とするは益なり、とあるが、剛直で、誠実で、博識な人を友とするのがいいと昔の賢人が言っているようです。それを感じています。」
私が「誰のこと?」と返した、つまり、そんな友人って居るのかという意味の問いであった。
彼から「孔子が言ったこと。」と返って来た。友人同士の意思疎通も、まま頓珍漢になるもの。
仕方なく、私は「できるなら、生還を」と返した。
すると昨夕の「戻ってきました」とのメール。私は「祝着!」と返した。
人の命は朝日に光る露ほどのもの、色々感じながらあと少し生きよう。
2017.07.18 焼酎三昧
先日、娘夫婦が宮崎のそば焼酎「雲海」を持って来た。
何でも第三子が待望の男児で、「雲海」と名付けた由。ワシの孫は焼酎か・・。
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奈良の卒塾者お二人から希少な焼酎を頂いた、見た目もこれはという代物。
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古代史愛好家で特異な脳ミソの持ち主である内科医から糖尿患者の私に焼酎5本。
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大阪の卒塾者から「妻」と「川越」と云う名の焼酎が届いた。我が女房殿を案じてのことかと。
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二日で一本を目安として、酔生夢死の人生を楽しませてもらいましょうぞ。
娘夫婦は当然ながら、恵送頂いた皆々様も私が糖尿患者であるとはよくご存知。
2017.07.17 露草・月草
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植えてもしないが、鉢に露草が育ち花を付けた。私の好きな一日草である。
露草(つゆくさ)。原産地は日本・東亜。3枚の花弁は、青い花弁が2枚と白い花弁が1枚。
別名は花弁の青い色が着きやすいことから着き草(月草)として万葉集に詠われる。
また、蛍を飼うとき籠にこの草を入れたことから蛍草(ほたるぐさ)とも。
間違われやすいのは紫露草(むらさきつゆくさ)、これは米国原産の帰化植物。

この15日の土曜日、高校一年三年時の同級生が奈良で店を開いたので寄った。
彼は奈良で老舗の印刷屋の社長をしていたが引退し炭焼なんぞを楽しんでいた。
その炭は私も使ったが煙は出るは、原木が芯に残っているはと散々な代物であった。
その彼が、活版印刷の受注と奈良観光に役立ちたいとの思いで店を出したのである。
店名も「活版工房丹」、以前に奈良の雑誌「赤い奈良」を出版していた名残である。
店に行くと、奥から足腰を摩りながらヨレヨレと出て来た彼に私は一言云う。
「70過ぎての道楽で、後々周りに迷惑かけたらアカンで」。彼は云う、
「皆ワシの手持ちの金や迷惑はかけん、奈良と印刷物はワシの人生の仕事や」
彼の生き様と仕事ぶりを知る私はニコリと頷く。
花屋から届けておいた和花の入れ様が不細工であったので手直しをした。
私が云う、「この店、それなりにおまはんの思いが出てるな、後は客が分かるかどうかや」
彼は私の顔を見てニタリとし、「せやねん、ところでここの二階、和室やで・・」。
私「何考えてんねん、ワシは茶は止めた。ほな、また来るわ」と云って店を出た。
この店の斜め向かいには、江戸時代から続く日本最古の本屋の一つ「豊住書店」がある。
そこの三男坊も同い年の陶芸作家、この辺りは奈良の文化の中心地であった。
帰りに「かえる庵」に寄って一杯飲み、引き上げようとしたら腰に激痛。
前にやったギックリ腰が再発。脂汗が出て来たのでタクシーを呼んでもらった。
運転手さんは私を家の中まで連れてくれた。親切な御仁である。
近所の人も駆けつけてくれ、あれこれ面倒を見てもらう羽目になった。感謝である。
足首骨折で伏せている女房殿の言いぐさが悪いので苛立った私は、頬っぺたを叩いた。
後悔しきり・・。
月草のうつろひやすく思へかも我が思ふ人の言も告げ来ぬ (万葉集583)
(月草の色のように移り気にしか思ってくださっていないからでしょうか。私の恋しい人は言葉も掛けに来てくださいません。)

2017.07.14 悪名
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昭和36年の映画「悪名」、今東光の原作を映画化したもの。
勝新太郎、田宮二郎、中村玉緒、水谷良重、浪花千栄子らが出演。

今朝、ケーブルテレビで「悪名」を放映していたので観た。
何度も観た洋画が「エデンの東」と「ローマの休日」、邦画は「悪名」。
「悪名」の音楽は大正琴、その調べは洋画「慕情」の曲に優るとも劣らない。
戦前の大阪ミナミの歓楽街で生きる男と女や極道たちの世界を描いている。
当時のミナミの情景、人情や言葉遣いもそのままに再現され臨場感がある。
昭和40年代半ば頃にミナミの歓楽街で糊口を凌いでいた私にはシックリ来る映画。
まま、ひとつ云わせてもらうと勝新太郎の河内弁が下手糞で聞き辛いことである。
河内と大和の民俗は似たところがあるので、大和育ちの私には気になるところ。
先日、板前の師匠からミナミが様変わりしたと聞いた話が懐かしく重なったようだ。
女房殿の介護もあり共に部屋に居てテレビやパソコンで時間をつぶす今日この頃。
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物干しのベランダで愛犬「ハナ」の行水を敢行、しぶしぶされるがままの「ハナ」

今日の降雨確立は午前30%午後50%の予報であった。
洗濯は止めにして、介護タクシーに来てもらい女房殿の定期検診に出向いた。、
病院を終え家に戻ると、空はすっかり好天気、温度も34度に上がっていた。
洗濯をして干しておけばよく乾いたものをと少々悔やんだ。
そこで「ハナ」の丸洗いを思い立つ、暑気払い行水は「ハナ」も気持ち好かろうと。

夕方、ソフィア・ローレン主演の映画「ひまわり」をyouyubeで観た。
映画主題歌は知っていたが映画は観ていなかったためである。
「ひまわり」の曲はレコードも持っていてよく聞いたものだ。
他には「ブーべの恋人」「シェルブールの雨傘」「鉄道員」「慕情」・・
一番観た洋画は「エデンの東」、主題歌も好きである。
2017.07.10 便利は不便
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スマホの充電器、パソコンからでも充電できるというので早速試してみた。

昨日は大阪・堺を二往復することになった。
午前中に堺でガンと闘病中の友人を見舞い、昼から大阪で所用二件の予定であった。
友人の家には一度だけ行ったことはあったが住所と地図をメールで送ってもらった。
地下鉄御堂筋線の最終駅「なかもず」の一つ前の駅であることは知っていた。約束は11時。
10時半頃に着き、スマホのボタンを押すと「電池の容量がありません、充電してください」。
焦った。部屋番号とうろ覚えの記憶を頼りに探し回ったが似たような建物が並ぶ団地である。
1時間余り経ち、今度はドコモショップを探して聞いて回った。この辺りには無いとのこと。
大阪・難波の所用の時間もあり、それにワイン2本の重みが手に効いて来た。
地下鉄で戻る途中、隣の席の30過ぎぐらいの男性がスマホを手早くいじっているので訊いた。
彼曰く、ドコモショップでなくとも家電センターでもコンビニでも充電器は売っているとか。
家電センターの方が品揃えが豊富であるとの助言を貰ったのでビックカメラへ向かう。
迎えてくれた店員、売り場の担当者、二人共に日本語がおかしいので名札を見ると一文字。
取り敢えず日本製を頼むと云って充電器を購入、使い方を変な日本語説明で教えてもらう。
大阪の所用とは板前の師匠と会うこと、もう一つは知人のガラス工芸士の個展を覗くこと。
店を始めて50年が過ぎたという板前の師匠もガン治療で退院したばかりであった。
昔の大阪ミナミと今のミナミとは様変わりをしたとの話を聞き今昔の感を受けた。
高島屋で友人の個展を覗くとウン十万から二百万を超すガラス切子作品が並んでいた。
私が「誰に買わすのや、ワシは見るだけ」と云うと、彼「この器で酒を飲むと旨いでっせ」。
京大の哲学科出身だけに訳の分からんことを云うてニヤリとしていなさる。
ともかくも、私は堺へ取って返して、がん闘病中の友人を見舞った。
スマホを使いだして便利と思っていたが、私の知識不足はさて置き、便利は不便と知る。

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秋篠川沿えの畑に咲くカボチャ・南京の花。最近古妻南京を見なくなったが・・。
まま、縄文期には無い植物ではある。

今朝五時からNHKで「アイヌ ネノ アン アイヌ」という番組が放映されたいた。
「アイヌ ネノ アン アイヌ」とは「人間らしい人間」を意味するアイヌの言葉とか。
番組では浦川治造はん(昭和13年、北海道浦河町の生まれ)を紹介していた。
前半は浦川はんの半生で北海道では差別を受けた云々とNHK好みの話
後半は浦川はんの今のウタリ活動で、自前で作る竪穴式住居なんぞの話。
浦川はんが云う「縄文人はアイヌの祖先、縄文人の生活文化はアイヌの原像」。

さて、思い起したのが二つの研究所の研究発表。
国立遺伝学研究所集団遺伝研究部門および総合研究大学院大学の遺伝学専攻グループ。
日本人の中に占める縄文人由来の遺伝子の割合は12%とか15%とか論じていた。
この二つの研究対象の遺伝子とは母親から伝わるミトコンドリア遺伝子のことである。
一方、父親から伝わるY染色体遺伝子の研究では日本だけに見られるのがD1b型(旧D2)。
この遺伝子は縄文人遺伝子と云われ、アイヌ88%、沖縄56%、日本本土42~56%である。
日本人全体では12%ないし15%と云われる母系縄文遺伝子だが父系遺伝子では半数を占める。
人類史では、征服民族の父系遺伝子と被征服民族の母系遺伝子が残るとされる。
日本列島では縄文人の父系遺伝子が最大値を占めながら、母系では12・15%。
これを普通に考えれば、縄文男性に支那・朝鮮・南洋の女性が嫁いで来たことになる。
縄文人が他民族を征服、女だけを連れ帰ったのか、それとも多民族の女だけが日本に来たのか。
このことに関連して云えば、縄文遺跡から戦闘を想定させる発見はないということ。
それに、縄文遺跡には犬の埋葬や人との同葬が見られるが、弥生遺跡には食犬の痕があるとか。
色々、想像したくなる話である。
2017.07.08 ボケと衰え
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赤膚焼の春日大社仕様水指、素焼のままの外側に藤の蔓が結われ、内側に釉薬が掛かり藤の花。
蓋のツマミは春日大社の神饌菓「ぶと饅頭」を象っている。元弟子の陶工が持って来てくれた。
後ろの酒は和歌山の「黒牛」、陶工に持って帰ってもらった。

昨日は京都で歌会、そのあとは久しぶりに大学の後輩と奈良で会食した。
そして、我が身のボケ症状と衰えを実感させられたのであった。
歌会で参加者の詠歌が記された紙が渡された。
一首づつ詠まれて、あれこれ皆で評するという形式である。
私の歌が詠まれた。
「 いにしへの名は集真藍(あづさあゐ)雨に濡れつつ微かに揺れをり 」
あれこれ云々と評する中、一人が「あれ!3句目が抜けてる・・」と。
そうである。私は字数だけ見て、5・7・5・7・7、よっしゃでけた・・。
印字された紙には振り仮名が漢字の横に記してあったので3句目が抜け落ちていた。
参加者が私に訊いた「3句目が無いのは、どういう意図ですか??」
私、「意図は有りません、振り仮名も字数に加えただけです」
皆さん「・・・、あっははは」、私「・・・、(内心・それがどないしたんや)」

仕事で奈良に来たという大学武道部の後輩を迎え、茨木の酒て再会を祝す。
歌会の胸糞の悪さと酒の美味さが相乗、すっかり酔ったのである。
足を取られながらの帰路、今朝は二日酔いで少々頭が重い・・。
ボケの進みと足腰の衰えを痛感する次第。
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盲いた愛犬を曳く私の姿を見て近隣の人が曰く、「盲導人ですね」と。

今日の産経新聞の14版にあった記事に納得した。
「人に懐く性質 遺伝子を解明」とあった。
人を恐れない性質に関わる遺伝子の領域をマウスを使った実験で明らに。
国立遺伝学研究所のグループが英化学誌電子版に発表したとのことである。
野生動物は人を見ると逃げ出すことが多いが、犬は逃げずむしろ近寄って来る。
野生のマウスを祖先に持つマウスから、人に近付いて来るマウスを選別して交配。
交配を繰り返し作った人に懐き易いマウスと普通のマウスの遺伝子配列を比較。
そうすると、特定の染色体の遺伝子領域が懐き易さに関連していると分かったという。

この記事に納得、先の若草山「埋れ木座談会」の一つのテーマが「人と犬」であった。
30万年前の現生人類の化石を北アフリカのモロッコで発見したとのニュースがあった。
ドイツなどの国際チームが6月8日付の英科学誌ネイチャーに発表したものである。
ジブラルタル海峡を渡った出アフリカはなかったのか、なかったとすれば何故か。
出アフリカは云われている7万年前よりもっと早かったのではないか云々。
そして犬の話、田名部氏らが唱えていた日本犬南方起源説は完全否定。
そもそも農耕民族が犬の家畜化を始めたとは理解不能な論説である。
狩猟民族の生活圏に犬が近付き、人と犬の共生が始まったとする方が自然である。
犬はオオカミから変化したものでなく、元々から別種であった云々。
日本犬に近い犬種はシベリアやフィン・ラップランドの民族の犬である。
その民族のY染色体遺伝子はN型が多い、N型民族は遼河文明の担い手であった。
N型は南からO型(漢族)、西からC型(蒙古ツングース)R型(ロシア人)の侵攻を受ける。
そしてN型はシベリヤ各地からバルト海東岸へ分散、トナカイ遊牧文化を築いた。
その一族のサモエド犬は日本犬の系統に近く、共に最も古い犬種との研究報告がある。
縄文人がシベリア経由で日本列島に入ったのは3万8千年位前とされている。
その時に連れてきたのか、付いて来たのか、日本犬の祖先も列島へ入ったのであろう。
新聞記事から思うに、当初は付いて来たという方が正しいのであろう。
連れて来たなら犬は人の家畜、付いて来たなら犬は人の共生動物ということになる。
若草山での「埋れ木座談会」、話題はあっちこっちへ飛びながらも尽きることはなかった。

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東大寺・二月堂から見た奈良の夜景。向うは大仏殿。
東大寺・大仏蛍を守る会
大佛蛍なんぞと書いているが、普通の源氏蛍。
人口40万人近い都市の中心駅から車で5分弱の場所に源氏蛍の生息は稀有と聞く。

「埋れ木座談会」の宿からの展望は上の写真アングル同様で、少し高所となる。
夕食が終わると、仲居さんからナイト・ツアー無料サービスの案内があった。
当初は参加することにしていたが、座談が盛り上がって来たので断ることにした。
翌朝の風呂で夕べも一緒になった40歳位の御仁とまた一緒になり挨拶を交わす。
彼は湯舟の中で、やや興奮気味に話し掛けて来た「ナイト・ツアーで蛍を見ました」。
私「そうですか・・(ええ歳をして何を)」と応じたら、彼は続けて私に云う、
「私、生まれ育ちが横浜なんですが、蛍を見たのは初めてなんです(^^)」
私「子供の頃も蛍を見たことないの?」、彼「ハイ」、私「ふ~ん」
体を流していた座談会仲間の大学教授も横浜なので訊いてみると教授曰く、
「そうかも知れませんな、自分は今鎌倉住まいなので寺の境内で見掛けますが」
部屋に戻って、風呂に入らなかった廃医師はんに話すと、彼の講釈が始まった。
廃医師はんの従弟がボランティア活動でヒメボタルの繁殖に関わって来たという。
しかし最近、生態系への苦情が出て来てやり難くなったというらしい。
蛍にも微妙な地域色があり、固有種が圧迫されたり変種が出来るとの苦情とか。
私は、東日本が源氏蛍で西日本が平家蛍と思い込んでいたのだが違っていた。
淡水の清流に生息するのが源氏蛍で、水田付近の小川に生息するのが平家蛍。
よって、森や山では源氏蛍が、村や町では平家蛍が多いということなそうな。
平安の下級貴族を出自とする武家、源氏平家の一統とその興廃云々と座談が続く。
私は6月6日のブログに書いた知覧の陸軍航空隊の特攻基地のことを思い起した。
6月6日で二十歳になった隊員が出撃に際し、食堂の女将に残した言葉。
「見事敵艦に突入出来たら、自分は蛍になってここに戻ってきます」
そして、もう一つ思い起したこと、
フランスでは、洗礼を受ける前に死んだ子の魂は蛍になって彷徨うという。
フランス北部ブルターニュに残るケルトの伝承が基になっている話だとか。
さて、この金曜日は山城短歌会、気が重い中で詠歌二首。
「縄文とケルトは似ると人のいふ蛍舞ひ出づ知覧ブルターニュ」
「いにしへの名は集真藍(あづさあゐ)雨に濡れつつ微かに揺れをり」
2017.07.02 若草山の一夜
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近鉄奈良駅の行基像噴水、屋根もあり遠路の知人3人と待ち合わせた。
周りは異人種がたむろ、柱横でインカ人(?)がアンデス楽器を大音量で奏でていた。

知人とは、江戸・摂津・和泉の面々。1日土曜日のは若草山からの展望が売りの宿をとる。
「埋れ木座談会」という年に1回程度の集まりで、主に古代史関連の話題で時間を過ごす。
この日は、稲作伝来は朝鮮半島経由か長江流域直接かというもの。
考古学者の間では半島経由で1000年程に北九州に伝来したような話になっているらしい。
しかし、熊本の縄文遺跡(4~5千年前)の土器に稲もみの圧痕(あっこん)が確認された。
半東南部で縄文石斧や縄文土器が出土することで、伝来ではなく縄文人が取り込んだ云々。
次に、稲作民と狩猟民の人口増加率の話、稲作民の子の離乳は1年半程度。
だか、食糧確保が一定しない狩猟民は3年位だとか。
母乳が出ている間は受精がない、女性による人口生産は稲作民が有利になり人口差が生じた。
医者二人が云うので納得。稲作民の弥生人が狩猟民の縄文人を駆逐したとする話ではないとか。
一人の医者が明日は老衰患者の見送りになるということで最終電車に間に合うように帰った。
それで知った「見送り」、つまり臨終を見送るのも患者と家族に対する医者の大事な努めだと。
老衰患者の臨終とは餓死か溺死だという、点滴を減らしていくと餓死、点滴を増やすと溺死。
後は、西洋史と日本文化の大学教授と残った医者が武士と商人は出自が同じとか云々。
平安後期からの流通経済の統治とは、兵家と商人が裏表一体というプレゼンスを確立したこと。
次に源平一統の繋がりと個々の動きについて語られた。
私は面白く聞きながら、途中でZZZ.。