2017.08.19 孤舟・主人公
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高砂百合の蕾が開き出した。台風5号で倒れたが元気な様子だ。

四十数年に亘り交誼を頂く先輩がいる。
大学は理工学部ながら、日本文化に造詣が深い御仁である。
若い頃から茶を嗜み、謡曲や書画も趣味にされて雅号は「孤舟」。
私が、「味わいのある雅号ですね」と云うと、先輩応えて曰く、
この雅号は学生時代から使っているのもので年季が入っている云々。
そして、禅語に云う「主人公」という感覚に近いものだと講釈。

瑞巌(ずいがん)和尚という禅僧、毎日自ら主人公とよび、また自ら応諾すとか。
和尚は毎日自分自身に向かって「主人公」と呼びかけ、また自分で「ハイ」と返事。
「はっきりと目を醒ましているか」「ハイ」「これから先も人に騙されなさんなや」「ハイ」。
この「主人公」とは、家の主人や社長でもなく人間一人ひとりの主体的な人格のこと。
主体的な自己である主とは、すべてのものに束縛されず自由自在でいるもの。
自在ということは、自ずから在るということで、力まず、自然に無心な己れ自身。
自由自在故に何処へ行っても遠慮せずにおられ。この世界はわが家、と悟るとか。
それが主体的な自己というものだとか、いわゆる禅問答の話。

私には禅の小理屈は分らぬが、自分の存在がこの世の全て人生そのものだとは解せる。
話が飛ぶが、私の高校では修学旅行は、九州・北陸・東北と分かれて行った。
私は東北へ行き、松島の瑞巌寺(ずいがんじ)境内で夜中に遊んだことを想い出した。
寺の案内人が「鎌倉時代の古いお寺です」と説明すると誰か「何や新しいやん」と返す。
案内人「どこから来たの?」、皆が「奈良からや」、案内人「そう・・」。印象に残る会話だ。
今日は神戸の知人に誘われて、彼が主催する坐禅会の講演会へ行く予定。
それで、つい先輩の禅話に修学旅行の想い出が過った次第。

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2017.08.18 国産好き
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近所のスーパーで見たウナギ蒲焼の売り場。
私が店員に訊いた、「値段が倍ほと違うがどっちが売れている?」
店員、「そりゃ国産品です。販売量も倍以上違います。中国産を嫌うお客が多いです。」
確かに、日本人は食品に限らず車・家電等も国産を愛好し信頼しているところがある。

米国ブランドコンサルティング会社のフューチャーブランドが発表する国別ブランド指標.。
日本は同社のブランド力調査で、第一位の評価を受けたという。
日本が特に高い評価を得た項目は、
「先進のテクノロジー」「歴史遺産や芸術・文化」「医療と教育」「訪れたい国」等。
2014-15年度国家ブランド指数ランキング上位20カ国は以下の通り。
1. 日本
2. スイス
3. ドイツ
4. スウェーデン
5. カナダ
6. ノルウェー
7. アメリカ合衆国
8. オーストラリア
9. デンマーク
10. オーストリア
11. ニュージーランド
12. イギリス
13. フィンランド
14. シンガポール
15. アイスランド
16. オランダ
17. フランス
18. イタリア
19. アラブ首長国連邦
20. 韓国

まま、日本人は日本という自国に絶対の信頼を持っているということだろう。
そう云えば、昨日のビッグニュース。
長崎県対馬で野生動物撮影カメラにカワウソが写っていたとか。
日本カワウソなら38年ぶりの発見になる。
懸念は、朝鮮半島にもいるユーラシアカワウソの存在である。
日本固有種、つまり国産品である日本カワウソであってもらいたいと願う。
日本カワウソは明治から大正にかけて軍人用の防水耐寒毛皮として重用。
日清・日露の戦い、日本軍のシベリア出兵で乱獲され絶滅したとされた。
云わば、日本兵を守るために我が身を捧げたともいえる動物である。
日本固有種の遺伝子を残せるものなら残してほしいと、切に願う。
昨年10月1日の私のブログ「川太郎」では、日本カワウソを取り上げた。
http://houan7010.blog.fc2.com/blog-entry-1047.html
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近くの大渕池公園で遊ぶ孫娘二人。娘婿が付き添い善きパパぶりを発揮。

昨日は娘家族と大和文華館や中野美術館のある池沿いの森中にあるピザハウスへ行った。
あの辺りは私もよく行くが、森中にピザハウスがあるとは知らなかった。美味かった。
孫の曾じいちゃん、つまり私の父親は世に云う人間魚雷・「回天特攻隊」の生き残りであった。
私が小学校4・5年の頃の盆、父親の同期の生き残り4人が我が家で酒宴をした。
宴の始め頃は笑顔で声も溌剌と語り合っていたが、途中からは声が途切れ出した。
そしてボソッと、「えらい奴とドン臭い奴から死んでいきよった・・」との話声が聞こえた。
その後四人は無言のまま酒を酌み交わし、流がす涙を拭かずにいたのが印象的であった。
父親たちが訓練を受けた回天は、一旦発進すると引き返すことも不時着することも出来ない。
敵艦への体当たりで爆死するか、海中深く沈み圧死するかであって、生還は全く望めない。
よって隊員は出撃に際し、自決用の短剣と青酸カリを持って回天に乗り込んだと聞いた。
その時に父親が云った言葉が今も記憶に残る。
「人間、同じ環境で同じ条件なら同じ行動(判断?)をするもんや」。

孫が嬉しいことを云ってくれた。
「 おじいちゃん大好き、死んだらアカンで 」
親父の享年はとっくに過ぎたが、もう少し生きてみるかと思う私であった。
2017.08.16 敗戦
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隣家のサボテンが二輪の白い大きな花を付けた。次の日の朝には萎れていた。
花言葉は「秘めたる熱情」とか。

事後法で 裁かれ処刑 されし人 などに問われぬ 敗戦の責

兵士の詠める歌一首
大方は 言挙げもせず ひたぶるに 戦い死にき 幾多りの戦友(とも)
2017.08.15 怒るシカない
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奈良公園の鹿に寄り来る支那人観光客。

13日に奈良国立博物館まで「地獄極楽への扉・源信」を見に行った。
浄土思想の先駆者で、後の法然・親鸞に大きな影響をもたらした人物。
色々展示物を見ていた思ったこと、毎々ながら古文書の字の上手さ。
後の祐筆の字の巧みさと同様、まさにプロの筆という字である。
自分にはとてもじゃないが出来ないことと感服して眺めた。
曼陀羅(まんだら)絵図や地獄極楽絵図を見ていて気付いたことは天国。
極楽と云うのはあるが、天国と云うのがないのは何故だろうと思った。
日本には天国と云う概念がなく、伴天連が持ち込んだ概念かもと考えた。
奈良の町中は外人だらけという雰囲気である。それも支那人。
博物館の中でも休憩用のソファを何人かで占拠し、大声を出して飲食三昧。
ムカッときた私は口に手を当て「シーッ」、そして席を詰めろと合図をした。
連中は渋々席を詰めたので私はその場を去ったが、すぐに元の木阿弥。
私は注意をしない係り員や何も云わない日本人たちに腹が立った。
奈良の代表的商店街「東向き通り」では人の通行が乱れていた。
以前は左側通行と云う暗黙のルールがあり、人が多くとも秩序があった。
それが五・六人連れで横に並んで歩いたり、左右関係なく行き交う支那人。
奈良公園では子供を鹿の背に乗せたり、鹿の首を掴んで自撮りをしたり。
昨年の鹿被害は過去最高の121人とかで外人が88人、中の77人が支那人。
乗られたり首を掴まれたすれば、そりぁ鹿も怒るシカないわな。
奈良の鹿は極楽と地獄を知っている。



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玄関の階段を門扉に向かって、手探りで下りてゆく全盲の愛犬「ハナ」。

我が家は二階に居間・台所・風呂・寝室があり、生活の居住空間としている。
道路から一階の玄関まで写真の階段があるので、実質三階建ての階段構造である。
「ハナ」も仔犬の頃から我々と一緒に二階で暮らし、階段を自由に行き来した。
日中は外へ出て、玄関の階段から外界を見渡し我が家の番犬をしてきた。
視力を失って暫らくは、家の中の彼方こちらに頭をぶつけて動きがとれなかった。
しかし最近では室内の感覚を掴みそれなりに動くようになったが、問題は階段である。
上がれても下りられない、目の上の確認は出来ても目の下の確認が出来ない。
朝夕の日に二回の散歩は私が20㌔の「ハナ」を抱いて二階から玄関下まで下ろす。
私もギックリ腰になってからは少々辛いものがあるが、何とか頑張る次第。
今朝は玄関まで抱いて下ろし、その先は外の階段まで尻を押して自力で歩かせた。
仔犬の頃から上がり下がりをしている階段である、見ていると手探りしつつ下り出した。
やれやれと思った私は、散歩袋とヒモを手に門扉を開けて「ハナ」の下りるのを待った。
「ハナ」を抱いて階段を下りる時のこと、「ハナ」が私の腕を握ることに気付いた。
犬の手の平(掌)は物を掴むことが出来ないと思っていたが、掴む。
「ハナ」は私に抱えられる時には力を入れるが、抱かえられ階段を下りる時は力を抜く。
抱かえる私の腕に前足を絡めながら力を抜き、掌を私の腕にあてて握るのだ。
「ハナ」の賢さ・健気さに感じ入る今日この頃の私である。

ここ数日は夜11時から朝6時まで世界陸上選手権のテレビ放映を見ている。
出場選手の6割が黒人、3割が白人、1割がその他という感じである。
今朝6時に男子400㍍リレーの決勝を見た。日本チームが3位に入り銅メダル。
1位の米国も2位の英国も全員が黒人選手、米国の2人はジャマイカからの移籍。
国別対抗より、人種・民族対抗戦の方が面白いと思う私は少々鼻白む。。
多田、飯塚、桐生、藤光の日本チーム、カタカナ名が入っていないことに嬉しさを覚えた。
思うに男子400リレーはボルト・ナット、つまりボルトと納豆(日本人)が話題を作った。
蛇足ながら、ボルト・ナットは連結の良さが肝要とか・・ダジャレ説明。
2017.08.12 今はもう秋♪
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朝顔と風船(ふうせんかずら)。以前掲載したご近所の玄関先の涼感つる草障子の今。

私の夏の朝は行水(水シャワー)から始まる。
今朝も散歩前に水を浴びようとしてシャワーを捻ると水が冷たく感じ、アレッと思った。
そう云えばこの7日が「立秋」であったと気付いたのだった。季節はもう秋。
それから散歩に出かけて見たのが写真の朝顔。立派に花を付けていた。
夏の花と思われている朝顔が俳句の世界では「秋の季語」とされているのを実感した。
朝顔の原産地はヒマラヤ山麓の熱帯アジアだとか云われている。
朝顔は奈良時代末期か平安初期に遣唐使が薬草として持ち帰ったという。
種子は「牽牛子」(けんごし)と呼ばれる生薬として、日本薬局方にも収録されている。
唐では、牛を牽いて行き交換の謝礼したことが名前の由来らしい。
となると、少々疑問が生まれて来る。万葉集である。

万葉集は持統天皇や柿本人麻呂が編纂を始め最終は大伴家持の編纂と云われている。
つまり、万葉集は朝顔が日本に渡来する前に編纂された歌集である。
ところが、万葉集には朝顔(あさがほ)も詠われているのである(五首)。
1538: 萩の花尾花葛花なでしこの花をみなへしまた藤袴朝顔の花
2104: 朝顔は朝露負ひて咲くといへど夕影にこそ咲きまさりけり
2274: 臥いまろび恋ひは死ぬともいちしろく色には出でじ朝顔の花
2275: 言に出でて云はばゆゆしみ朝顔の穂には咲き出ぬ恋もするかも
3502: 我が目妻人は放くれど朝顔のとしさへこごと我は離るがへ

万葉集に詠われている「朝顔」とは何の花か?諸説あり結論は出ていないとか。
槿(むくげ)の花か桔梗(ききょう)の花というのが有力とされる。
まま、もう秋。朝の行水が冷たく感じ、秋の花・朝顔に心が動いた次第。
ところで、トワ・エ・モワ という夫婦歌手の歌 「今はもう秋」
我々の若い頃のヒット曲、私も時折口ずさんだもの。ええ曲やった。
2017.08.11 職業的物言い
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台風5号が奈良を通過。倒れた我が家の高砂百合の蕾が膨れだした。

職業から来る物言いはそれぞれ癖がある。
医者・弁護士・坊さん等が「まいどおおきに」「またお越し」とか云うのは聞かない。
薬剤師も「おおきにありがとう」は使わず「お大事に」と云って客を送り出す。
「客」と云うところは、まま、医者・弁護士・坊さんとは多少違ってはいるようだ。
近所の薬局の主人(薬剤師)と私は同い歳で気さくに会話をしている。
薬局に行った時、私があと4・5年でガンも完治出来ると聞いたがホンマかと訊いた。
ガンで余命1年の告知を受けていた私の友人が、先日死んだ話の流れである。
主人が調剤室の中にいる薬剤師に「あの話かな」と問いかけると、薬剤師は応えて、
「米国立ガン研究所の日本人主任研究員が開発した近赤外光線免疫治療法でしょう」。
その治療法はガン細胞の死滅率が極めて高く、ほとんどのガンに適用できるという。
それに転移ガンにも有効で副作用がなく、安価なので医療費の削減にも貢献できるとか。
私が、日本で研究開発して日本の医療技術とすれば良いのにと云うと、主人と薬剤師曰く、
「日本では研究開発費用が出ない、国の予算が付かない、教育体制が悪い云々」であった。
そして、日本にも明るい話があるとして教えられたのが大阪の小野薬品のこと。
平成4年に免疫を使ってガン細胞を攻撃する免疫治療薬「PD―1」という分子が発見された。
発見した京都大学の本庶佑教授らの研究チームと小野薬品が共同研究を進めて来たと云う。
平成25年には、世界的な革命技術として米科学誌サイエンスのトップを飾り、世界中が注目。
そんな話で、あと4・5年生きながらえれば、ガンを罹って死ぬことはなくなる云々であった。
しかし、それまでに余命一年のガン告知をされたらどうするかと云う話になった。
私が、「読みたかった古典を読むとか、行きたかったとこへ旅をするとは云わない」。
「毎日一升瓶を空け、空瓶を数えながら、ボンヤリと日々の移ろいを眺めて死を待つ」と云うと
その薬局の主人曰く、「そんなに飲んだら体に悪い、体調を壊しまっせ」。
私「・・・」(余命一年の体や云うのに、この人、やはり薬剤師)。
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マクワウリ(真桑瓜)、病院の入り口で農家のオバちゃんが一個200円で売っていたもの。
オバちゃんが「割れ目のあるのが食べ頃で甘いよ」と云って選んでくれた。

マクワウリは英名:オリエンタル・メロン、学名:Cucumis melo var. makuwa。
北アフリカ・中東の原産で西に伝わった品種群がメロン、東に伝わった品種群が瓜(ウリ)。
このウリが渡来したのは古く、奈良の縄文遺跡(唐古・鍵遺跡)から種子が発見されている。
美濃国真桑村が良品の産地であったことから、マクワウリの名前が付けられたと云う。
果皮の色については緑色系・白色系・黄色系の3色系統が存在する。
奈良県原産の黄まくわで昭和11年に育成された『黄1号』はマクワウリの基準品種である。
我々が子供の頃からマクワウリを「まっか」と呼んで親しんでいた食べもの・オヤツである。
近縁のマスクメロンが日本の市場に流通するのは大正14年以降の温室栽培に成功してから。
当初は一般家庭には手の届かない高級品であり、庶民はもっぱらマクワウリを食べていた。
一世の人気を博した「プリンスメロン」はマクワウリの一種(ニューメロン)であった。
西洋のスペインメロンの一種(シャランテ)を交配させた品種でサカタのタネが開発したもの。
最近の青果売り場は西洋メロン系ばかりで「まっか」も「プリンスメロン」も見なくなった。
まま、郷愁、あの原風景の様な農家のオバちゃんが売る懐かしい味を買い求めた次第。
今、冷蔵庫に入れてある。
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愛犬「ハナ」の飲み水として冷蔵庫に2㍑ボトル2本を保管している。形の違いで区分。
「ハナ」の飲み水は朝・昼・夕・晩と冷した水に取り換える。せめてもの猛暑対策である。

大和郡山の陶工である元塾生が吉野・十津川での焼き窯の火入れから戻って来た。
それで、慰労のため天然水銭湯へ浸かりに四人で行ったのである。
電気風呂やサウナ風呂にも入りゆっくりとした後、コンビニによってビールを買う。
酒・焼酎・ワイン、そして造りに鮨、焼肉という雑多感のある食材を皆が持ち寄った
焼酎瓶二本に「六甲の水」を入れて冷やしておいたのが直ぐ無くなった。
そこから後は、ペットボトルで「ハナ」用に冷やしていた水道水を皆で回し飲む。
皆も「ハナ」も文句は云わない。

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車庫に置いてある「六甲の水」、2㍑ボトル6本入り2ケース。
昭和58年に発売された「六甲の水」。日本初の販売水であった。
発売当時は、ミネラルウォーターという言葉も日本では知られていなかった。
泉源は神戸市灘区の住宅地、六甲山系の花崗岩層をくぐり抜けた水とか。
この土地は以前、六甲牧場という小規模な牛乳飲料メーカーの工場跡。
「六甲の水」は、神戸からトレーラーで大和郡山まで運ばれて瓶詰めした。
採水地でボトリング(瓶詰)までを行う普通のミネラルウォーターの作り方ではなかった。
云わば、神戸が泉源で大和郡山が製造元、神戸産か奈良産か微妙な代物である。
蛇口からがぶ飲みでき、しかも軟水で美味いという日本の水道水。世界でも稀有なもの。
それでもペットボトルの飲料水が売れているいうこの社会現象とは何であろうか
流通業で生きて来た私が、全く以って予測出来なかった現実である。
2017.08.06 ボケの自覚
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朝餉の焼きナスビ、昨夜の焼け残りである。

昨日、孤老の私を案じて娘が孫を連れて家に来た。
野菜が不足がちになるからとか云って袋を持って来た。
キャベツ・人参・玉ねぎ・ピーマン・オクラ・小松菜そしてナスビ(茄子)が6本。
私は夕餉に焼きそばを作り、茄子を三本グリルに入れてガスの火を点けた。
焼きそばでビールと焼酎を飲みながら、そのまま寝むり込んでしまった。
夜中に目が覚めると、何やらピーピーと音が聞える。
台所からである。行ってみるとグリルの押しボタンが下がったままであった。
茄子を焼いていた状態のまま放置したので警音が作動したのだった。
ガスは自動で消えていたが、ナスビの上部は焦げ下部は半焼けである。
我が身のボケを呪いつつ皮を向き、喰えるところを朝餉の菜にする。
茄子を持って来るなら焼き茄子か麻婆茄子して持って来い、と私は娘に云いたい。
ボケ話のついでながら、先日の友人の葬儀のこと。
私は白ネクタイを絞めて通夜の会場へ向かったのだった。
結婚式ですかと云われて白黒を取り間違えたことに気付き、近くの洋品店へ急いだ。
確実に老いの症状が出てきていることを自覚する今日この頃。
2017.08.04 弔辞
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昨夕は堺市までお通夜に出掛けた。
その時に明日の告別式で友人代表として弔辞を述べてほしいと頼まれ引き受けた。
お通夜を終えた後、知人たちと食事に行き献杯を兼ね焼酎を飲み交わす。
その夜は寝てしまったので今日朝から巻紙と奉書紙を出して弔辞を認める。
不味い字ではあるが、そのまま棺に入れてもらうので人目にはつかない。
まま、故人が見るかも・・。
2017.08.02 堺の友人死去
7月10日のブログ「便利は不便」で書き込んだガン闘病中の友人が死んだ。
今日昼過ぎに御子息から「今日11時に息を引き取りました」との電話があった。
昨年末にレベル4という大腸ガンで余命は半年から一年と医師の見立てであった。
御子息は本人に余命4年と伝えながらも思い出の場所への旅行や墓仕舞いをさせていた。
私が見舞いに行った時、本人はベットに横たわり「この夏はもたないな」とか私に云った。
そして、彼は「爽やかな生き方をしたい」と云ったので、私は彼に云った。
「爽やかな生き方とは、爽やかな死に方をすることやで」と。彼は答えなかった。
彼は私と同い年であり、あの学園紛争の最中に同志社大学の活動家として先頭に立った。
警察の監獄にも何度か泊まらされた経験を持つ闘争家であった。
私が見舞いに行ったこの前も、話で出て来た言葉は「革命や、革命を起こさんなアカン」。

彼は薬局を営なむ家の次男に生まれ、長男が薬大に進んだので本人は同志社に進んだ。
彼の父親が薬局の協業化を唱えていて、彼の兄がその実践を行い、70店舗位が集まった。
堺市に本部を置き、共同仕入れやシステムの共有化や共同開発を進めた。
彼はその組織に入り、システム担当常務として兄を支え、業容の発展に尽力していた。
彼と兄が初めて私のところへ来たのは二十八年位前のことになる。
私はスーパーの共同仕入れや協業化を行う組織から独立して二年目の頃である。
彼の兄は自らも調剤薬局チェーンの経営者として、かつ70店舗の加盟店を300店舗にした。
私への相談とは、協業体チェーンの運営と協業本部の在り方とその方向性であった。
私は内部に居て知る協業体の運営と加盟社が上場を果たして行った話を伝えた。
兄の方は組織拡大と企業上場への思いが強く、他社との合併を積極的に進めた。
弟の彼は、専務に就きシステム担当総務本部長というスペシャリスト的役割を担った。

加盟店が2000店を越え、上場話が本格化したその頃に社長の兄がガンで他界した。
後の体制の話で役員や組織内が少々ざわついたが専務である弟の彼が社長になった。
彼は、その資質がスペシャリスト感覚のままであり、経営感覚より思想家発想が強く出た。
ゼネラリストの辣腕経営者であった彼の兄との比較評価が周りから出て来た。
社内の空気を察した彼は社長職を辞し、一加盟店のオーナーとして身を引いた。
それから10年足らず、彼にガン細胞が見出された時は既にレベル4、治療不能であった。
私としては、経営感覚は彼の兄の方と性があったが、生き様感覚は弟の彼と馬が合った。
彼はワイン好きなので、先の見舞いには紅のフランスワインと白のスペインワインを持参。
彼はその場で赤ワインを所望、私と二人で静かに飲み交わし、互いの青春の想い出を語った。
「もうこの夏は越せんやろ」と云いながら、「革命を起こさんなアカン」と語気を強めていた。
彼とは仕事で知り合った仲だが、30年近い付き合いの中で同級生感覚の朋友でもあった。
明日のお通夜と明後日の告別式に私は参列する。冥福を祈りたい。

彼が6月30日にブログに掲載した病室の写真。書き込みは「退院した」の一言。
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2017.08.02 贋物
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近くのスーパーで買うたもの、「北海道産・片栗粉、馬鈴薯でん粉100%」とある。

馬鈴薯でん粉100%と銘打ち、片栗粉と云い切るところが何となく面映ゆい。
ウィキペディアではこう書かれている。
>かつては文字通り、日本北東部の原野などに自生するユリ科のカタクリの根茎から製造した。江戸時代においては、播磨国,越前国など複数の産地で生産され、特に大和国の宇陀は名産となり幕府へ献上されるなど活発であった。
自生カタクリの減少、また明治以降、北海道開拓が進みジャガイモが大量栽培されるようになると、原料はジャガイモに切りかわっていったが、名称はそのまま残った。<

同じ様なものに奈良の「わらび餅」がある。
元々は東大寺の門前菓子であり、若草山で蕨(わらび)が多く採れたのを原料にしていた。
今の「わらび餅」と称されるものの原料はさつま芋のでん粉が殆どになっているらしい。
私の子供の頃の奈良公園では、冷やしたわらび餅と甘酒を自転車に積んで売っていた。
「わ~らび餅、わらび餅、よう冷えたわらび餅~」、売り声は奈良公演の風物詩だった。
今思うと、あのわらび餅はわらび粉だったのさつま芋でん粉だったのかハッキリしない。

北海道で思い起すのは「シシャモ・柳葉魚」、アイヌ語由来の魚である。
世界中でも北海道の太平洋沿岸の一部でしか獲れず、漁獲高の減少している。
そのため、キュウリウオや輸入品のカラフトシシャモ(カペリン)が「シシャモ」として流通。
今日では、単に「シシャモ」と言う場合こちらを指すことが一般的になっているようだ。

偽物云々ということではなく、出自を明白にして流通させるのであれば其れはそれで良し。
マーガリンのことがある。19世紀末に発明されナポレオン3世がバターの代用品とした。
明治中期に日本でもバターの代用として作られたので、長い間「人造バター」と呼ばれていた。
昭和27年に「マーガリン」と名称を使い、バターとは違った製品向上への努力が為された。
そしてバターとは違った長所が認められるようになり、一つの独立した食品として今日に至る。
今では、バターとマーガリンの棲み分けが為され、時にマーガリンの代用にバターが使われる。

思うに、人も物もまがい物・贋物としてだけで終わるのは寂しいことである。
本物の名称を僭称し、その代用品や模造品扱いされている間は自分の値打ちが出ないもの。
偽物は偽物として割り切り、違う本物への道を目指すなら、そこに自分の値打ちが見えるハズ。
とかなんとか、馬鈴薯でん粉の片栗粉を見ながらの繰り言である。

本物の片栗の花。早春の花で日本列島・朝鮮半島・樺太・千島に分布。花言葉は「謙虚」
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2017.08.01 夜来の雷雨
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夜さり、物干しベランダに出て、夜風に涼む愛犬「ハナ」。
洗濯カゴを置くビールケースを枕屏風に、此方に尻を向ける恥知らず。
古いホウスが黒く汚れているので、捨てることにする。
そのハナが深夜に私の寝間へ来た。
雷と大雨でベランダから退散して来たのだった。
久しぶりの雨を喜んだ私だが、取り敢えず窓を閉めて回る。
今週に八月の歌会がある。
先月の私の歌は五・七・〇・七・七の欠落作品であった。
今月はシッカリ指折り数えて詠んでみた。

ミーンミン ジージージーに カナカナや やがてツクツク 法師うそぶく
ひたぶるに 戦い死にき 兵たちの 美質継がれし 震災の地に