2017.08.31 美人薄命
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月下美人、サボテンの仲間である。お向かい宅で今年も花を付けた。
真夜中に咲いて芳香を放ち、朝方には萎える。正に「美人薄命」。
「世界三大美女」とは、楊貴妃とクレオパトラそして小野小町とか。
楊貴妃とクレオパトラはともかく、小野小町は薄命であったかどうか怪しい。
小野小町の有名な歌として知られるのは、
「花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」。
この歌が「美人薄命」の話を生み出したような気がするが。
「いとせめて 恋しき時は むばたまの 夜の衣を 返してぞ着る」。
なるほどに、正に「月下美人」の面目躍如ということかも。
「わびぬれば 身を浮き草の 根を絶えて 誘ふ水あらば いなむとぞ思う」。
男女の仲は「魚心あれば水心」というのか、まま、色欲多情な女ということか。
「我死なば 焼くな埋ずむな 野にさらせ 痩せたる犬の腹を肥やせよ」。
どうも小町はん、老醜の域まで長生きしなはったような・・。
さて明日は歌会、気が重い。
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2017.08.30 野牡丹の蕾
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野牡丹に蕾が付いた。今年は花が咲いてくれそうで嬉しい。
三年前に買った鉢植えで、一昨年がは枯れたまま、昨年は葉っぱだけが再生した。

今日は同級生同士の月例囲碁巴戦であった。
例によって四方山話のあれこれを口にしながらの対局は楽しいもの。
今日の話は、遊びの場に若者の姿が少なくなったという雑感であった。
山歩きはオールドボーイとオールドガールの行進となってるとか。
麻雀をやる若者を見掛けなくなった、ツーリングにも若者の姿が少なくなった。
このままでは、日本社会の活力が失われてしまうのが見えて来ている云々。
では、若者を生き生きと世の中で活躍させるにはどうすれば良いか。
それは、我々古希を過ぎた老人が爽やかに美しく消えて行ってやることに尽きる。
投票権は16から40代は2票、50から75歳が1票、76歳以上は無しとすること。
老人や病人の要介護者には死ぬ権利を認め、延命治療の費用を若者へ向ける。
とか何とか話していて、私はあることを失念していたことに気付いた。
今日は9月歌会の詠草歌提出締め切り日であった。また懲りずに指を折る。

縁側に 糸ひく雨の 静けさや 夏過ぎたるを 我知るぞかし
ホルンの音 空に響きて 駆け来たる 鹿の群れなす 飛火野の夕
2017.08.29 脳天くい打ち
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玄関の下駄箱に置いた提灯飾り。玄関外が普通だが雨風に晒されるので中に入れた。

一昨日は幼なじみの大工職人に頼んで、以前作ってもらった提灯飾りを再度工作した。
途中で大工職人とも顔なじみの鮨職人も到来、三人で庭木の枝打ち剪定をする。
昼過ぎからスーパー銭湯へ汗を流しに行き、一杯飲みながら食事をする。
大工職人の幼なじみは酒が体調に悪いとかで、最近はもっぱらノンアルコールビール。
昔はよく飲んだ男が気の毒には思えたが、アッシー役をしてくれるので私には助かる存在。
鮨職人の家は大阪故に泊まって帰るので、我が家の戻ってから再度飲み直した。
ネットニュースの話になり、私が寝床にあるノートパソコンを持ってこようとした。
しゃがんで取ろうとしたがそのまま頭から崩れ落ち、高校時代に相撲で鍛えた我が頭突き。
脳天くい打ちで液晶パネルの蝶番が外れ、パネルの液晶が画面に漏れて流れた。
翌日、パソコン修理店に持ち込むと部品調達に三日かかり、修理代は〆て三万円ほどだとか。
急がれるなら単体のスタンドパネルを買うて、パソコンと接続すれば用を足すとか云われた。
早速家電屋に行きスタンドパネルを購入、ノートパソコンと接続すると無事画像が出た。
私の頭のてっぺんは血が滲んだままで少々痛みも残るが、放っておいて自然治療とする。
壊れたというより、壊した。
昨日、古い友人二人が来て飲んだ。
寝間に置いてあるパソコンを取ろうとしゃがんだ。
老いの哀しみ、そのまま頭からパソコン画面へ突っ込んだ。
蝶つがいがおかしくなったようで画面がぐしゃぐしゃ。
頭のテッペンに血が滲んだ。
仕方なく、携帯から投稿。
IMG_20170826_160217.jpg娘夫婦から依頼を受けていたので孫の幼稚園(保育園)を訪問した。
婿殿が仕事の都合で行かれないの私に云ってくれとのことであった。
娘も、子供が三人なので自分一人ではシンドイとかおぬかし。
私はてっきり父兄参観かと思い、いつもの浴衣や甚平は控えた。
ズボンに足を通し靴を履き、半袖上着で身を整え出掛けた。
行って見ると、何のことか幼稚園のお祭り、浴衣・甚平姿・草履で歩いている。
孫三人の保育園は西大寺にあるので、「あいぜんまつり」と称されているとか。
まだ日の残る中、ズボンに靴で孫の手を引き彼方此方と歩き回った。
大きなぬいぐるみを着た人形劇には下の孫を抱っこして観劇する。
父兄参観で娘一家に恥をかかせてはと「気遣い」をしたが「誤解」だった。
結果は汗びしょ、娘宅に戻ってステテコ一丁になってビールを飲み干す。

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西大寺境内に置かれた蓮の鉢。淡い紅色の蕾が可愛いが蓮根も彷彿させる。

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西大寺の秘仏・愛染明王(あいぜんみょうおう)
愛染明王は密教仏教の信仰対象で、密教特有の憤怒相を主とする尊格である明王。
この像は、西大寺中興の祖・叡尊(えいそん)の意を受けて仏師善円(ぜんえん)が制作。
興味深いことに、愛染明王はインド仏教にはなくチベット仏教にあるという代物。
どうもその辺りに、日本密教とチベット密教の関係が偲ばれるて思白い。
2017.08.26 良い物感覚
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桐箱入りの私用便箋が届いた。活版刷りで「井谷用箋」とある。
稼業が印刷屋の同級生からだ。最近、携帯の写りが悪くなった気がする・・

祖父の代から続く奈良の印刷屋で、特に奈良関係の書物や資料に特化。
そんな彼は息子に後を譲り、自身は奈良の東山中で炭焼三昧であった。
前に書いたが、彼が焼いた炭を炉炭に使ってみたら煙と一酸化炭素が充満。
彼にそれを云うと、「何せ炭焼は未だ新米で」とかオヌカシあそばす始末。
焼酎一本で車一杯の炭を貰った私は文句は云えなかったのが去年の冬。
彼は何を思ったのか近鉄奈良駅界隈の商店街に活版刷りの店を出した。
気になったので開店祝いに和花一盛りを届けたが、その返礼とかであった。
私の年上の知人に、大手自動車会社社長の御曹司であった御仁がいた。
東京渋谷に邸宅がありながら、正月は家族と奈良ホテルで過ごすのが恒例だった。
留学経験もあり欧米事情に詳しく、欧州センスの薀蓄の持ち主でもあった。
その薀蓄の一つに「良い物とはどんな物か」という話があり、色々聞かされた。
例えば釦(ボタン)、欧州では釦一つ一つに名を記してある服が上物である云々。
例えばベルト、上物は上下が緩い曲線状、つまり腹部分より尻部分の方が長い云々。
そして、自分の持ち物には名前や紋章を入れるのが拘りだとか云々。
私は心中で、日本の紋章文化は欧州に引けをとらないと呟いて聞いていた。
その御仁、社業から引退した後に私用封筒・私用便箋の事業を始めたのだった。
日本各地に契約店をつくり、注文受託から二週間で届ける仕組みの事業であった。
パソコン印字というものが世の中に普及してなかった頃の話である。
その御仁は事業半ばの20年程前にこの世を去ってしまい、事業も途絶えた。
同級生は活版印刷と奈良への拘りを商品化して「活版の店」を始めた。
どういう訳か、彼の店には白人客がよく来ているなと思って気付いた。
亡くなった年上の知人に聞かされていた欧州文化の根底にある「良い物」。
同級生と御仁の二人に共通するところは「良い物」への思いであろう。
東京人であったその御仁が正月は奈良ホテルで過ごしたというのも腑に落ちる気がした。

下は、その御仁に頂いた私の名入り一筆箋とガラスペン(黒・赤・青のインク付)。
その御仁曰く、私用便箋に書く時はガラスペンだよ云々。
一筆箋は残り数枚になったので、そのままにして使わずにいた。
確かに、日本と欧州の文化は似ている。品性とか恥・矜持の思いという点で。
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2017.08.23 天理敗退
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お隣から神戸の実家に帰ったと云って頂いた神戸菓子。
竹皮に包まれているので押し鮨かお萩(牡丹餅)かと思ったらケーキ風のパンだった。

神戸の知人が主催した坐禅会での講演会のことを前に書いたが続きである。
今年から大手繊維企業の顧問職に就いたという昭和28生まれのその講師。
大手繊維企業のグローバル化を推進した業績が勲章のようであった。
然りながら、結果的には中国へ技術移転をした結果を反省する云々。
私は質問することは控えたが、グローバル化への疑問を持っている。
経営効率の追求だけでグローバル化を図るという単純発想の是非である。
人件費の軽減等のコスト効率追求だけが目的のグローバル化は危ういものがある。
それは、日本の顧客を消費者としか捉えていないためである。
村から鍛冶屋も醤油屋も無くなった昨今、村の生活風景が変わってしまった。
使い手と作り手の間に心が通わない生活文化になったと云える。
大量生産で物が安価になり、安価故に大量消費の使い捨て感覚が強まった。
そこには物への愛着や使い手・作り手への思いが薄れ、村の共同体文化が崩れた。
以前は自名の入った法被や道具で仕事をし、着物は近所で仕立ててもらった。
文明はグローバリゼーションへ、文化はローカリゼーションへと云う話であろ。
その是非の結論が出るのはまだ先だろうと思い、私は質問をしなかった。
さて、今の高校野球はグローバリゼーション発想であると私は思う。
出場48校の中、出場選手の県内中学出身者は6割。
ベンチの全員が県内中学出身というのは7校だけ。
私立では前橋育英(群馬)、おかやま山陽の2校だけで他5校が公立。
滝川西(北北海道)や彦根東(滋賀)、三本松(香川)、東筑(福岡)、波佐見(長崎)だ。
早稲田佐賀、東海大菅生(西東京)や大垣日大(岐阜)は県内中学出身者が2人。
一番少なかったのは秀岳館(熊本)の1人。天理はベンチ入り選手の4人が県内出身。
スタンドはローカル色一杯で、人々は郷土愛を原点にして応援している。
然し、球児の多くは郷土愛が他にあり、自分のプロ入りを目指して野球をしている。
高校野球は郷土の名誉をかけた対抗戦であったハズ、グローバル化は相応しくなかろうに。
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大阪・西田辺の山阪神社にある相撲道場、大阪場所では九重部屋の合宿地になる。

神社と相撲は繋がる話、相撲は神事であり何ら違和感がない。
今回の知人の摂心・坐禅会の場所はこの山阪神社であった。
つまり、神道の祭祀場所である神社で仏法の会が催されていたのだ。
江戸期には全国各地の寺小屋で儒教の論語が講じられていた日本社会。
やや違和感があるものの、日本人の持つ大らかさ(お人好し)を感じる。

講演会の演題は、「合繊産業の現状と今後」というものであった。
講師は大手繊維企業の顧問で、昭和28年生まれの御仁。
綿は1万年、麻は7千年、羊毛は4千年、生糸は8千年前に人類が手にした。
レーヨン(人絹)は1884年に仏国、ナイロン(合成繊維)は1935年に米国で、
そして、ポリエステルは1941年に英国で発明されたという。
欧米の産業革命で繊維産業が盛んになり、日本も繊維の産業化を進めた。
今では繊維生産の四分の三が中国となり、欧米で残る企業はジュポン社だけ。
日本は8社あった中、無くなったのはカネボーだけ、それが日本らしいとか云々。
日本の繊維企業は東南アジアや中国に出て技術提供したことでノウハウを取られた。
繊維産業のノウハウとは機械設備にあるので、中国は機械設備を導入して技術を得た。
日本の繊維企業は衣料繊維から合繊の高機能繊維・炭素繊維の開発に注力。
開発したアラミドは鉄の8倍の強度と1/5の重量という代物で将来を担う製品だとか。
然しながら、この分野でも中国の急追を受けつつあるので予断を許さない云々。
司会者が質問を受け付けると云うので三人目の質問として、三十年後の予測を訊いた。
講師曰く、「やはり、中国に席捲されるようになるでしょう。」と云い、次のような話をした。
「自分は海外勤務が長かったので良く分るが、欧米人のルール決めの根底は利己主義。
アラブ人もインド人も中国人もそうです。日本人は『お人好し』ですから彼らに敵いません」。
私が、「司馬遼太郎が『虚喝の民と実直の民』として欧米人と日本人の比較をしましたが、
今の話は日本人も『虚喝の民』にならねば世界と渡り合えないということですか。
日本人は明治以来、先の大戦で負けたとは云え列強相手に渡り合ったと思いますが・・。」
すると、大手製薬会社常務で欧州勤務が長かったという御仁が手を挙げ、言を発した。
「外国人の中にも、日本人の協調性を尊ぶ姿に理解と敬意を持つ人々も増えている。
私は、日本人の心情を変えずとも渡り合えると思っていますが・・。」、と云った。
亡き司馬はん、エエ言葉でエエ問い掛けを残しはった、と思った講演会であった。
この日の講演会前、久しぶりに一時間半程坐った。たまには良いものだ。
2017.08.19 孤舟・主人公
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高砂百合の蕾が開き出した。台風5号で倒れたが元気な様子だ。

四十数年に亘り交誼を頂く先輩がいる。
大学は理工学部ながら、日本文化に造詣が深い御仁である。
若い頃から茶を嗜み、謡曲や書画も趣味にされて雅号は「孤舟」。
私が、「味わいのある雅号ですね」と云うと、先輩応えて曰く、
この雅号は学生時代から使っているのもので年季が入っている云々。
そして、禅語に云う「主人公」という感覚に近いものだと講釈。

瑞巌(ずいがん)和尚という禅僧、毎日自ら主人公とよび、また自ら応諾すとか。
和尚は毎日自分自身に向かって「主人公」と呼びかけ、また自分で「ハイ」と返事。
「はっきりと目を醒ましているか」「ハイ」「これから先も人に騙されなさんなや」「ハイ」。
この「主人公」とは、家の主人や社長でもなく人間一人ひとりの主体的な人格のこと。
主体的な自己である主とは、すべてのものに束縛されず自由自在でいるもの。
自在ということは、自ずから在るということで、力まず、自然に無心な己れ自身。
自由自在故に何処へ行っても遠慮せずにおられ。この世界はわが家、と悟るとか。
それが主体的な自己というものだとか、いわゆる禅問答の話。

私には禅の小理屈は分らぬが、自分の存在がこの世の全て人生そのものだとは解せる。
話が飛ぶが、私の高校では修学旅行は九州・北陸・東北と分かれて行った。
私は東北へ行き、松島の瑞巌寺(ずいがんじ)境内で夜中に遊んだことを想い出した。
寺の案内人が「鎌倉時代の古いお寺です」と説明すると誰か「何や新しいやん」と返す。
案内人「どこから来たの」、皆が「奈良からや」、案内人「そう」。この会話が印象に残る。
今日は神戸の知人に誘われて、彼が主催する坐禅会で行われる講演を聞きに行く予定。
それで、つい先輩の禅話に修学旅行の想い出が過った次第。

2017.08.18 国産好き
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近所のスーパーで見たウナギ蒲焼の売り場。
私が店員に訊いた、「値段が倍ほと違うがどっちが売れている?」
店員、「そりゃ国産品です。販売量も倍以上違います。中国産を嫌うお客が多いです。」
確かに、日本人は食品に限らず車・家電等も国産を愛好し信頼しているところがある。

米国ブランドコンサルティング会社のフューチャーブランドが発表する国別ブランド指標.。
日本は同社のブランド力調査で、第一位の評価を受けたという。
日本が特に高い評価を得た項目は、
「先進のテクノロジー」「歴史遺産や芸術・文化」「医療と教育」「訪れたい国」等。
2014-15年度国家ブランド指数ランキング上位20カ国は以下の通り。
1. 日本
2. スイス
3. ドイツ
4. スウェーデン
5. カナダ
6. ノルウェー
7. アメリカ合衆国
8. オーストラリア
9. デンマーク
10. オーストリア
11. ニュージーランド
12. イギリス
13. フィンランド
14. シンガポール
15. アイスランド
16. オランダ
17. フランス
18. イタリア
19. アラブ首長国連邦
20. 韓国

まま、日本人は日本という自国に絶対の信頼を持っているということだろう。
そう云えば、昨日のビッグニュース。
長崎県対馬で野生動物撮影カメラにカワウソが写っていたとか。
日本カワウソなら38年ぶりの発見になる。
懸念は、朝鮮半島にもいるユーラシアカワウソの存在である。
日本固有種、つまり国産品である日本カワウソであってもらいたいと願う。
日本カワウソは明治から大正にかけて軍人用の防水耐寒毛皮として重用。
日清・日露の戦い、日本軍のシベリア出兵で乱獲され絶滅したとされた。
云わば、日本兵を守るために我が身を捧げたともいえる動物である。
日本固有種の遺伝子を残せるものなら残してほしいと、切に願う。
昨年10月1日の私のブログ「川太郎」では、日本カワウソを取り上げた。
http://houan7010.blog.fc2.com/blog-entry-1047.html
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近くの大渕池公園で遊ぶ孫娘二人。娘婿が付き添い善きパパぶりを発揮。

昨日は娘家族と大和文華館や中野美術館のある池沿いの森中にあるピザハウスへ行った。
あの辺りは私もよく行くが、森中にピザハウスがあるとは知らなかった。美味かった。
孫の曾じいちゃん、つまり私の父親は世に云う人間魚雷・「回天特攻隊」の生き残りであった。
私が小学校4・5年の頃の盆、父親の同期の生き残り4人が我が家で酒宴をした。
宴の始め頃は笑顔で声も溌剌と語り合っていたが、途中からは声が途切れ出した。
そしてボソッと、「えらい奴とドン臭い奴から死んでいきよった・・」との話声が聞こえた。
その後四人は無言のまま酒を酌み交わし、流がす涙を拭かずにいたのが印象的であった。
父親たちが訓練を受けた回天は、一旦発進すると引き返すことも不時着することも出来ない。
敵艦への体当たりで爆死するか、海中深く沈み圧死するかであって、生還は全く望めない。
よって隊員は出撃に際し、自決用の短剣と青酸カリを持って回天に乗り込んだと聞いた。
その時に父親が云った言葉が今も記憶に残る。
「人間、同じ環境で同じ条件なら同じ行動(判断?)をするもんや」。

孫が嬉しいことを云ってくれた。
「 おじいちゃん大好き、死んだらアカンで 」
親父の享年はとっくに過ぎたが、もう少し生きてみるかと思う私であった。
2017.08.16 敗戦
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隣家のサボテンが二輪の白い大きな花を付けた。次の日の朝には萎れていた。
花言葉は「秘めたる熱情」とか。

事後法で 裁かれ処刑 されし人 などに問はれぬ 敗戦の責

兵士の詠める歌一首
大方は 言挙げもせず ひたぶるに 戦い死にき 幾多りの戦友(とも)
2017.08.15 怒るシカない
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奈良公園の鹿に寄り来る支那人観光客。

13日に奈良国立博物館まで「地獄極楽への扉・源信」を見に行った。
浄土思想の先駆者で、後の法然・親鸞に大きな影響をもたらした人物。
色々展示物を見ていた思ったこと、毎々ながら古文書の字の上手さ。
後の祐筆の字の巧みさと同様、まさにプロの筆という字である。
自分にはとてもじゃないが出来ないことと感服して眺めた。
曼陀羅(まんだら)絵図や地獄極楽絵図を見ていて気付いたことは天国。
極楽と云うのはあるが、天国と云うのがないのは何故だろうと思った。
日本には天国と云う概念がなく、伴天連が持ち込んだ概念かもと考えた。
奈良の町中は外人だらけという雰囲気である。それも支那人。
博物館の中でも休憩用のソファを何人かで占拠し、大声を出して飲食三昧。
ムカッときた私は口に手を当て「シーッ」、そして席を詰めろと合図をした。
連中は渋々席を詰めたので私はその場を去ったが、すぐに元の木阿弥。
私は注意をしない係り員や何も云わない日本人たちに腹が立った。
奈良の代表的商店街「東向き通り」では人の通行が乱れていた。
以前は左側通行と云う暗黙のルールがあり、人が多くとも秩序があった。
それが五・六人連れで横に並んで歩いたり、左右関係なく行き交う支那人。
奈良公園では子供を鹿の背に乗せたり、鹿の首を掴んで自撮りをしたり。
昨年の鹿被害は過去最高の121人とかで外人が88人、中の77人が支那人。
乗られたり首を掴まれたすれば、そりぁ鹿も怒るシカないわな。
奈良の鹿は極楽と地獄を知っている。



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玄関の階段を門扉に向かって、手探りで下りてゆく全盲の愛犬「ハナ」。

我が家は二階に居間・台所・風呂・寝室があり、生活の居住空間としている。
道路から一階の玄関まで写真の階段があるので、実質三階建ての階段構造である。
「ハナ」も仔犬の頃から我々と一緒に二階で暮らし、階段を自由に行き来した。
日中は外へ出て、玄関の階段から外界を見渡し我が家の番犬をしてきた。
視力を失って暫らくは、家の中の彼方こちらに頭をぶつけて動きがとれなかった。
しかし最近では室内の感覚を掴みそれなりに動くようになったが、問題は階段である。
上がれても下りられない、目の上の確認は出来ても目の下の確認が出来ない。
朝夕の日に二回の散歩は私が20㌔の「ハナ」を抱いて二階から玄関下まで下ろす。
私もギックリ腰になってからは少々辛いものがあるが、何とか頑張る次第。
今朝は玄関まで抱いて下ろし、その先は外の階段まで尻を押して自力で歩かせた。
仔犬の頃から上がり下がりをしている階段である、見ていると手探りしつつ下り出した。
やれやれと思った私は、散歩袋とヒモを手に門扉を開けて「ハナ」の下りるのを待った。
「ハナ」を抱いて階段を下りる時のこと、「ハナ」が私の腕を握ることに気付いた。
犬の手の平(掌)は物を掴むことが出来ないと思っていたが、掴む。
「ハナ」は私に抱えられる時には力を入れるが、抱かえられ階段を下りる時は力を抜く。
抱かえる私の腕に前足を絡めながら力を抜き、掌を私の腕にあてて握るのだ。
「ハナ」の賢さ・健気さに感じ入る今日この頃の私である。

ここ数日は夜11時から朝6時まで世界陸上選手権のテレビ放映を見ている。
出場選手の6割が黒人、3割が白人、1割がその他という感じである。
今朝6時に男子400㍍リレーの決勝を見た。日本チームが3位に入り銅メダル。
1位の米国も2位の英国も全員が黒人選手、米国の2人はジャマイカからの移籍。
国別対抗より、人種・民族対抗戦の方が面白いと思う私は少々鼻白む。。
多田、飯塚、桐生、藤光の日本チーム、カタカナ名が入っていないことに嬉しさを覚えた。
思うに男子400リレーはボルト・ナット、つまりボルトと納豆(日本人)が話題を作った。
蛇足ながら、ボルト・ナットは連結の良さが肝要とか・・ダジャレ説明。
2017.08.12 今はもう秋♪
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朝顔と風船(ふうせんかずら)。以前掲載したご近所の玄関先の涼感つる草障子の今。

私の夏の朝は行水(水シャワー)から始まる。
今朝も散歩前に水を浴びようとしてシャワーを捻ると水が冷たく感じ、アレッと思った。
そう云えばこの7日が「立秋」であったと気付いたのだった。季節はもう秋。
それから散歩に出かけて見たのが写真の朝顔。立派に花を付けていた。
夏の花と思われている朝顔が俳句の世界では「秋の季語」とされているのを実感した。
朝顔の原産地はヒマラヤ山麓の熱帯アジアだとか云われている。
朝顔は奈良時代末期か平安初期に遣唐使が薬草として持ち帰ったという。
種子は「牽牛子」(けんごし)と呼ばれる生薬として、日本薬局方にも収録されている。
唐では、牛を牽いて行き交換の謝礼したことが名前の由来らしい。
となると、少々疑問が生まれて来る。万葉集である。

万葉集は持統天皇や柿本人麻呂が編纂を始め最終は大伴家持の編纂と云われている。
つまり、万葉集は朝顔が日本に渡来する前に編纂された歌集である。
ところが、万葉集には朝顔(あさがほ)も詠われているのである(五首)。
1538: 萩の花尾花葛花なでしこの花をみなへしまた藤袴朝顔の花
2104: 朝顔は朝露負ひて咲くといへど夕影にこそ咲きまさりけり
2274: 臥いまろび恋ひは死ぬともいちしろく色には出でじ朝顔の花
2275: 言に出でて云はばゆゆしみ朝顔の穂には咲き出ぬ恋もするかも
3502: 我が目妻人は放くれど朝顔のとしさへこごと我は離るがへ

万葉集に詠われている「朝顔」とは何の花か?諸説あり結論は出ていないとか。
槿(むくげ)の花か桔梗(ききょう)の花というのが有力とされる。
まま、もう秋。朝の行水が冷たく感じ、秋の花・朝顔に心が動いた次第。
ところで、トワ・エ・モワ という夫婦歌手の歌 「今はもう秋」
我々の若い頃のヒット曲、私も時折口ずさんだもの。ええ曲やった。
2017.08.11 職業的物言い
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台風5号が奈良を通過。倒れた我が家の高砂百合の蕾が膨れだした。

職業から来る物言いはそれぞれ癖がある。
医者・弁護士・坊さん等が「まいどおおきに」「またお越し」とか云うのは聞かない。
薬剤師も「おおきにありがとう」は使わず「お大事に」と云って客を送り出す。
「客」と云うところは、まま、医者・弁護士・坊さんとは多少違ってはいるようだ。
近所の薬局の主人(薬剤師)と私は同い歳で気さくに会話をしている。
薬局に行った時、私があと4・5年でガンも完治出来ると聞いたがホンマかと訊いた。
ガンで余命1年の告知を受けていた私の友人が、先日死んだ話の流れである。
主人が調剤室の中にいる薬剤師に「あの話かな」と問いかけると、薬剤師は応えて、
「米国立ガン研究所の日本人主任研究員が開発した近赤外光線免疫治療法でしょう」。
その治療法はガン細胞の死滅率が極めて高く、ほとんどのガンに適用できるという。
それに転移ガンにも有効で副作用がなく、安価なので医療費の削減にも貢献できるとか。
私が、日本で研究開発して日本の医療技術とすれば良いのにと云うと、主人と薬剤師曰く、
「日本では研究開発費用が出ない、国の予算が付かない、教育体制が悪い云々」であった。
そして、日本にも明るい話があるとして教えられたのが大阪の小野薬品のこと。
平成4年に免疫を使ってガン細胞を攻撃する免疫治療薬「PD―1」という分子が発見された。
発見した京都大学の本庶佑教授らの研究チームと小野薬品が共同研究を進めて来たと云う。
平成25年には、世界的な革命技術として米科学誌サイエンスのトップを飾り、世界中が注目。
そんな話で、あと4・5年生きながらえれば、ガンを罹って死ぬことはなくなる云々であった。
しかし、それまでに余命一年のガン告知をされたらどうするかと云う話になった。
私が、「読みたかった古典を読むとか、行きたかったとこへ旅をするとは云わない」。
「毎日一升瓶を空け、空瓶を数えながら、ボンヤリと日々の移ろいを眺めて死を待つ」と云うと
その薬局の主人曰く、「そんなに飲んだら体に悪い、体調を壊しまっせ」。
私「・・・」(余命一年の体や云うのに、この人、やはり薬剤師)。
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マクワウリ(真桑瓜)、病院の入り口で農家のオバちゃんが一個200円で売っていたもの。
オバちゃんが「割れ目のあるのが食べ頃で甘いよ」と云って選んでくれた。

マクワウリは英名:オリエンタル・メロン、学名:Cucumis melo var. makuwa。
北アフリカ・中東の原産で西に伝わった品種群がメロン、東に伝わった品種群が瓜(ウリ)。
このウリが渡来したのは古く、奈良の縄文遺跡(唐古・鍵遺跡)から種子が発見されている。
美濃国真桑村が良品の産地であったことから、マクワウリの名前が付けられたと云う。
果皮の色については緑色系・白色系・黄色系の3色系統が存在する。
奈良県原産の黄まくわで昭和11年に育成された『黄1号』はマクワウリの基準品種である。
我々が子供の頃からマクワウリを「まっか」と呼んで親しんでいた食べもの・オヤツである。
近縁のマスクメロンが日本の市場に流通するのは大正14年以降の温室栽培に成功してから。
当初は一般家庭には手の届かない高級品であり、庶民はもっぱらマクワウリを食べていた。
一世の人気を博した「プリンスメロン」はマクワウリの一種(ニューメロン)であった。
西洋のスペインメロンの一種(シャランテ)を交配させた品種でサカタのタネが開発したもの。
最近の青果売り場は西洋メロン系ばかりで「まっか」も「プリンスメロン」も見なくなった。
まま、郷愁、あの原風景の様な農家のオバちゃんが売る懐かしい味を買い求めた次第。
今、冷蔵庫に入れてある。
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愛犬「ハナ」の飲み水として冷蔵庫に2㍑ボトル2本を保管している。形の違いで区分。
「ハナ」の飲み水は朝・昼・夕・晩と冷した水に取り換える。せめてもの猛暑対策である。

大和郡山の陶工である元塾生が吉野・十津川での焼き窯の火入れから戻って来た。
それで、慰労のため天然水銭湯へ浸かりに四人で行ったのである。
電気風呂やサウナ風呂にも入りゆっくりとした後、コンビニによってビールを買う。
酒・焼酎・ワイン、そして造りに鮨、焼肉という雑多感のある食材を皆が持ち寄った
焼酎瓶二本に「六甲の水」を入れて冷やしておいたのが直ぐ無くなった。
そこから後は、ペットボトルで「ハナ」用に冷やしていた水道水を皆で回し飲む。
皆も「ハナ」も文句は云わない。

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車庫に置いてある「六甲の水」、2㍑ボトル6本入り2ケース。
昭和58年に発売された「六甲の水」。日本初の販売水であった。
発売当時は、ミネラルウォーターという言葉も日本では知られていなかった。
泉源は神戸市灘区の住宅地、六甲山系の花崗岩層をくぐり抜けた水とか。
この土地は以前、六甲牧場という小規模な牛乳飲料メーカーの工場跡。
「六甲の水」は、神戸からトレーラーで大和郡山まで運ばれて瓶詰めした。
採水地でボトリング(瓶詰)までを行う普通のミネラルウォーターの作り方ではなかった。
云わば、神戸が泉源で大和郡山が製造元、神戸産か奈良産か微妙な代物である。
蛇口からがぶ飲みでき、しかも軟水で美味いという日本の水道水。世界でも稀有なもの。
それでもペットボトルの飲料水が売れているいうこの社会現象とは何であろうか
流通業で生きて来た私が、全く以って予測出来なかった現実である。
2017.08.06 ボケの自覚
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朝餉の焼きナスビ、昨夜の焼け残りである。

昨日、孤老の私を案じて娘が孫を連れて家に来た。
野菜が不足がちになるからとか云って袋を持って来た。
キャベツ・人参・玉ねぎ・ピーマン・オクラ・小松菜そしてナスビ(茄子)が6本。
私は夕餉に焼きそばを作り、茄子を三本グリルに入れてガスの火を点けた。
焼きそばでビールと焼酎を飲みながら、そのまま寝むり込んでしまった。
夜中に目が覚めると、何やらピーピーと音が聞える。
台所からである。行ってみるとグリルの押しボタンが下がったままであった。
茄子を焼いていた状態のまま放置したので警音が作動したのだった。
ガスは自動で消えていたが、ナスビの上部は焦げ下部は半焼けである。
我が身のボケを呪いつつ皮を向き、喰えるところを朝餉の菜にする。
茄子を持って来るなら焼き茄子か麻婆茄子して持って来い、と私は娘に云いたい。
ボケ話のついでながら、先日の友人の葬儀のこと。
私は白ネクタイを絞めて通夜の会場へ向かったのだった。
結婚式ですかと云われて白黒を取り間違えたことに気付き、近くの洋品店へ急いだ。
確実に老いの症状が出てきていることを自覚する今日この頃。
2017.08.04 弔辞
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昨夕は堺市までお通夜に出掛けた。
その時に明日の告別式で友人代表として弔辞を述べてほしいと頼まれ引き受けた。
お通夜を終えた後、知人たちと食事に行き献杯を兼ね焼酎を飲み交わす。
その夜は寝てしまったので今日朝から巻紙と奉書紙を出して弔辞を認める。
不味い字ではあるが、そのまま棺に入れてもらうので人目にはつかない。
まま、故人が見るかも・・。
2017.08.02 堺の友人死去
7月10日のブログ「便利は不便」で書き込んだガン闘病中の友人が死んだ。
今日昼過ぎに御子息から「今日11時に息を引き取りました」との電話があった。
昨年末にレベル4という大腸ガンで余命は半年から一年と医師の見立てであった。
御子息は本人に余命4年と伝えながらも思い出の場所への旅行や墓仕舞いをさせていた。
私が見舞いに行った時、本人はベットに横たわり「この夏はもたないな」とか私に云った。
そして、彼は「爽やかな生き方をしたい」と云ったので、私は彼に云った。
「爽やかな生き方とは、爽やかな死に方をすることやで」と。彼は答えなかった。
彼は私と同い年であり、あの学園紛争の最中に同志社大学の活動家として先頭に立った。
警察の監獄にも何度か泊まらされた経験を持つ闘争家であった。
私が見舞いに行ったこの前も、話で出て来た言葉は「革命や、革命を起こさんなアカン」。

彼は薬局を営なむ家の次男に生まれ、長男が薬大に進んだので本人は同志社に進んだ。
彼の父親が薬局の協業化を唱えていて、彼の兄がその実践を行い、70店舗位が集まった。
堺市に本部を置き、共同仕入れやシステムの共有化や共同開発を進めた。
彼はその組織に入り、システム担当常務として兄を支え、業容の発展に尽力していた。
彼と兄が初めて私のところへ来たのは二十八年位前のことになる。
私はスーパーの共同仕入れや協業化を行う組織から独立して二年目の頃である。
彼の兄は自らも調剤薬局チェーンの経営者として、かつ70店舗の加盟店を300店舗にした。
私への相談とは、協業体チェーンの運営と協業本部の在り方とその方向性であった。
私は内部に居て知る協業体の運営と加盟社が上場を果たして行った話を伝えた。
兄の方は組織拡大と企業上場への思いが強く、他社との合併を積極的に進めた。
弟の彼は、専務に就きシステム担当総務本部長というスペシャリスト的役割を担った。

加盟店が2000店を越え、上場話が本格化したその頃に社長の兄がガンで他界した。
後の体制の話で役員や組織内が少々ざわついたが専務である弟の彼が社長になった。
彼は、その資質がスペシャリスト感覚のままであり、経営感覚より思想家発想が強く出た。
ゼネラリストの辣腕経営者であった彼の兄との比較評価が周りから出て来た。
社内の空気を察した彼は社長職を辞し、一加盟店のオーナーとして身を引いた。
それから10年足らず、彼にガン細胞が見出された時は既にレベル4、治療不能であった。
私としては、経営感覚は彼の兄の方と性があったが、生き様感覚は弟の彼と馬が合った。
彼はワイン好きなので、先の見舞いには紅のフランスワインと白のスペインワインを持参。
彼はその場で赤ワインを所望、私と二人で静かに飲み交わし、互いの青春の想い出を語った。
「もうこの夏は越せんやろ」と云いながら、「革命を起こさんなアカン」と語気を強めていた。
彼とは仕事で知り合った仲だが、30年近い付き合いの中で同級生感覚の朋友でもあった。
明日のお通夜と明後日の告別式に私は参列する。冥福を祈りたい。

彼が6月30日にブログに掲載した病室の写真。書き込みは「退院した」の一言。
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2017.08.02 贋物
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近くのスーパーで買うたもの、「北海道産・片栗粉、馬鈴薯でん粉100%」とある。

馬鈴薯でん粉100%と銘打ち、片栗粉と云い切るところが何となく面映ゆい。
ウィキペディアではこう書かれている。
>かつては文字通り、日本北東部の原野などに自生するユリ科のカタクリの根茎から製造した。江戸時代においては、播磨国,越前国など複数の産地で生産され、特に大和国の宇陀は名産となり幕府へ献上されるなど活発であった。
自生カタクリの減少、また明治以降、北海道開拓が進みジャガイモが大量栽培されるようになると、原料はジャガイモに切りかわっていったが、名称はそのまま残った。<

同じ様なものに奈良の「わらび餅」がある。
元々は東大寺の門前菓子であり、若草山で蕨(わらび)が多く採れたのを原料にしていた。
今の「わらび餅」と称されるものの原料はさつま芋のでん粉が殆どになっているらしい。
私の子供の頃の奈良公園では、冷やしたわらび餅と甘酒を自転車に積んで売っていた。
「わ~らび餅、わらび餅、よう冷えたわらび餅~」、売り声は奈良公演の風物詩だった。
今思うと、あのわらび餅はわらび粉だったのさつま芋でん粉だったのかハッキリしない。

北海道で思い起すのは「シシャモ・柳葉魚」、アイヌ語由来の魚である。
世界中でも北海道の太平洋沿岸の一部でしか獲れず、漁獲高の減少している。
そのため、キュウリウオや輸入品のカラフトシシャモ(カペリン)が「シシャモ」として流通。
今日では、単に「シシャモ」と言う場合こちらを指すことが一般的になっているようだ。

偽物云々ということではなく、出自を明白にして流通させるのであれば其れはそれで良し。
マーガリンのことがある。19世紀末に発明されナポレオン3世がバターの代用品とした。
明治中期に日本でもバターの代用として作られたので、長い間「人造バター」と呼ばれていた。
昭和27年に「マーガリン」と名称を使い、バターとは違った製品向上への努力が為された。
そしてバターとは違った長所が認められるようになり、一つの独立した食品として今日に至る。
今では、バターとマーガリンの棲み分けが為され、時にマーガリンの代用にバターが使われる。

思うに、人も物もまがい物・贋物としてだけで終わるのは寂しいことである。
本物の名称を僭称し、その代用品や模造品扱いされている間は自分の値打ちが出ないもの。
偽物は偽物として割り切り、違う本物への道を目指すなら、そこに自分の値打ちが見えるハズ。
とかなんとか、馬鈴薯でん粉の片栗粉を見ながらの繰り言である。

本物の片栗の花。早春の花で日本列島・朝鮮半島・樺太・千島に分布。花言葉は「謙虚」
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2017.08.01 夜来の雷雨
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夜さり、物干しベランダに出て、夜風に涼む愛犬「ハナ」。
洗濯カゴを置くビールケースを枕屏風に、此方に尻を向ける恥知らず。
古いホウスが黒く汚れているので、捨てることにする。
そのハナが深夜に私の寝間へ来た。
雷と大雨でベランダから退散して来たのだった。
久しぶりの雨を喜んだ私だが、取り敢えず窓を閉めて回る。
今週に八月の歌会がある。
先月の私の歌は五・七・〇・七・七の欠落作品であった。
今月はシッカリ指折り数えて詠んでみた。

ミーンミン ジージージーに カナカナや やがてツクツク 法師うそぶく
ひたぶるに 戦い死にき 兵たちの 美質継がれし 震災の地に