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紅芙蓉(べにふよう)、白芙蓉もあり木槿(むくげ)と間違われやすいが葉の形が違う
芙蓉も木槿も同じアオイ(葵)科で接ぎ木が可能な仲間の木だが、葵は草である。

芙蓉とは霊山・富士の別名として、先の大戦では海軍航空隊に「芙蓉部隊」が編成された。
大戦末期、圧倒的兵力で迫り来る米軍に対し劣勢を強いられた日本軍は「特攻」に出た。
「特攻」、特別攻撃隊という名で隊員の命と引き換えに敵艦撃破を期した戦法であった。
多くの若者が出撃し散華したことは、是非論はともかく史実として日本人の記憶に残る。
そうした大戦末期に、特攻拒否を貫いた海軍の航空部隊の名が「芙蓉部隊」であった。
部隊は、敵の出撃不能な時間帯である暮れから明け方の夜間に通常攻撃をする戦法をとった。
敵が出撃できない環境とは、日本軍にも同様であるが、それを搭乗員の技量訓練で凌いだ。
然し、戦況が緊迫する中、軍の上層部から「芙蓉部隊」へも特攻命令が出された時の遣り取り。
芙蓉部隊の指揮官・美濃部正海軍少佐が「特攻拒否」をした言葉が残されているので引用。

「飛行機の不足を特攻戦法の理由の一つにあげておられるが、先の機動部隊来襲のおり、分散擬装を怠って列線に並べたまま、いたずらに焼かれた部隊が多いではないですか。また、燃料不足で訓練が思うにまかせず、搭乗員の練度低下を理由の一つにしておいでだが、指導上の創意工夫が足りないのではないですか。私のところでは、飛行時間200時間の零戦操縦員も、みな夜間洋上進撃が可能です。全員が死を覚悟で教育し、教育されれば、敵戦闘機群のなかにあえなくおとされるようなことなく、敵に肉薄し死出の旅路を飾れます」
「劣速の練習機が昼間に何千機進撃しようと、グラマンにかかってはバッタのごとく落とされます。2000機の練習機を特攻に駆り出す前に、赤トンボまで出して成算があるというのなら、ここにいらっしゃる方々が、それに乗って攻撃してみるといいでしょう。私が零戦一機で全部、撃ち落としてみせます!」<引用終わり>

そして、生きて戦い抜いた美濃部が戦後に云った言葉とは・・
「戦後よく特攻戦法を批判する人があります。それは戦いの勝ち負けを度外視した、戦後の迎合的統率理念にすぎません。当時の軍籍に身を置いた者には、負けてよい戦法は論外と言わねばなりません。私は不可能を可能とすべき代案なきかぎり、特攻またやむをえず、と今でも考えています。戦いのきびしさは、ヒューマニズムで批判できるほど生易しいものではありません」
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