2016080406290000.jpg
明日は父親の命日、菊を手向ける、青く見えるが紅菊

四十年来の友人からコメントが来た、ウナギと梅干の喰い合わせの様子窺いである。
ウナギを用意していたが焼肉パーティになり、ウナギは冷蔵庫行き(翌々日の朝飯)。
ということで、残念ながら友人に食い合わせの結果報告が出来なかったのだが、
ふと思い出したこと、それは友人が誇り高き九州男児だということである。
舛添はん・鳥越はんと続けて九州男児の名を貶めた昨今、友人も辛かろう。
友人の名誉のために、菊兵団のことを取り上げておきたい。

戦争経験者たちには、次の様な四方山話があった。
「九州男児や江戸ッ子たちは喧嘩早いから攻めるのが強かった。
しかし、守りは下手。
東北の兵は粘り強く守りが上手いが、攻めはイマイチ。
近畿圏の者たちは弱かった。
ヘタレの大阪はケンカを怖がり後方勤務向き。」

「またも負けたか八連隊(大阪)」という言い伝えもあり、我々畿内人には屈辱的である。
特に、久留米で編成された十八師団、別名「菊兵団」の強さは内外にその名を知られた。
私が今も感動をもって聞くのは昭和十九年のビルマと雲南の境、拉孟・騰越の戦いである。
拉孟へは米軍兵器で武装の支那軍48000が包囲攻撃、菊兵団・拉孟守備隊は1300
約百日の戦いで守備隊1300名は全滅・玉砕、支那軍損害、戦死4000 負傷3774。
戦場に居た朝鮮人婦女5名を投降させた後、日本人婦女15名は兵士と運命を共にする。

菊兵団2800が守備する騰越へは支那軍 49600が包囲攻撃。
守備隊は二か月間戦い続けるが、衆寡敵せず全滅・玉砕する。
攻撃側の支那軍損害は戦死9168 負傷10200 。
この拉孟・騰越の戦い、支那軍最高司令官の蒋介石が自軍へ伝文「ビルマの日本軍を範とせよ」
これは世に「逆感状」と云われ、九州・菊兵団の強さを世界に知らしめた。
ことほど左様に、九州男児の名声は世界が認めるところ、舛添はん・鳥越はんは例外の仇花

ところである、増田はんが「私は東京生まれのと京育ち」、私は初めて知った(^^)。
そう云えば、青島はんが最後の江戸者知事、石原はんは神戸、猪瀬はんは信州であった。
小池はんは芦屋マダム、オリンピック相となった丸川はんは神戸娘・・
芦屋と神戸は揉めますぞ。。確実に
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://houan7010.blog.fc2.com/tb.php/1011-7925b2fc