2016.09.06 三献の茶
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オスマン・サンコン..。

先日のテレビで関ケ原の戦いを振り返るという番組があったので観た。
主題は石田三成と徳川家康の人物像に迫るというような制作意図のようであった。
三成の話には例の「三献の茶」が語られ、光成の客への心遣いが云々されていた。
つまり、秀吉が喉の乾きを覚えて、ある寺に立ち寄って茶を所望した時のこと。
対応した寺の小姓は、まず最初に大ぶりの茶碗にぬるめの茶を一杯に入れて出した。
喉が乾いていた秀吉は、それを一気に飲み干したあと、もう一杯たのんだ。
次に小姓は、やや小さめの碗に、やや熱めにした茶をだした。
秀吉が試みにもう一杯所望したところ、今度は小ぶりの碗に熱く点てた茶を出した。
相手の様子を見て、その欲するものを出す、この心働きに秀吉は感じいった。
秀吉はその小姓を城に連れて帰り家来とした。
この小姓が、その後累進し五奉行の一人となった石田三成である、という出来た話。

この話は「おもてなし」の言葉と合い重なって、茶道の心得の原点として語られている。
然しである、私には全く腑に落ちない世評であると思われる。
「三献の茶」なんぞ、こまっしゃくれた小姓の小賢しい仕儀としか思えない。
この手の小賢し者を気が利く人間として重用しても、それは執事長程度で止めるもの。
毛利輝元を担ぎ出す小知恵で以って、西軍十万の大軍を動かすのは笑止であろう。
それに、「以って為す」という言葉には、「おもてなし」という意味合いはない。
そもそも、日本語に「おもてなし」という名詞の言葉はない、広辞苑にも出ていない。

まま、「おもてなし」の達者が、戰場の将に相応しいかどうかは大いに疑問のある話。
百人規模の兵を動かす程度なら未だしも、万を超える兵を動かすには小賢しさの才は不要。
この手のモテナシ上手者は、主君が愛でるサラリーマンの出世人間タイプというだけ。
私は、関ヶ原の戦いのことを聞いて、心情的に動かされる武将の戦いぶりとは、二人。
負けを意識しながらも義に殉じて大いに戦い死んだ大谷刑部吉嗣。
自軍千五百人で、敵味方関係なく数万の戦場を切り開いて本拠地・薩摩へ戻った島津義弘。
私は、上田宗箇流の流儀を「おもてなし」でなく、「武」に通じるものでありたいと願う。

明日には、独人と仏人の二人の女子留学生が我が家に来ることになっている。
バケツとタワシ・雑巾を渡して、部屋と便所・洗面所・風呂を掃除させるつもり。
英文の奈良地図は市役所で貰っておいたので、二人にはそれを渡すだけである。
「オ・モ・テ・ナ・シ」とは茶心ではなく旅館の女将の心、私の心には無い。

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