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昨日は秋分、彼岸の中日、卒塾者の方が「おはぎ・ボタモチ」を届けて下さった。
私の夕飯は焼酎二杯とボタモチ二個、美味。

昨日は、囲碁教室へ出向いて上達せぬ棋力の向上に努めていた。
久しぶりに来られた教室の長老と一局相手をしてもらった。
昭和三年満州生まれのその長老は、一昨年の十二月のブログ記事にさせてもらった御仁。
http://houan7010.blog.fc2.com/blog-entry-565.html
満州鉄道が運営する鞍山中学でラグビーに明け暮れていたが、五年生の時に終戦(敗戦)。
中学生の身で満州の悲劇を目の当たりにした御仁に、前の記事の私の従兄の話をした。
御仁の碁石を打つ手が緩み、「ワシは開拓団のところへ行かされた」と語り出した。
「男が軍に取られ、女子供老人ばかりになった開拓村へワシら中学生が手伝いに行った。」
「ソ連軍が来て女を出せと云う。村長は女たちに皆の命を守るため行ってくれと云った。」
「そして、内地に帰ったらこの報いは必ずすると云いよったが・・・。」
「戦争は負けたアカン。惨めなもんや。」
御仁の手が碁石を握ったまま止まり、目が潤み出した。

私は、返す言葉もなく聞くだけであった。
相槌を打ったり、分かった気な物言いは出来ない、すべきでないと思った故。
そして、語り継がれている満州開拓団の悲劇を思い浮かべていた。
下は「売文業者たちの戦争責任」から

●在留日本人の中でも、最も悲惨なのは満州の僻地に入植していた開拓団の人々である。若い男たちは軍隊に現地召集されて既にいなかったので、老人・女・子供たちは荷物を担いでひたすら南へと歩き続けた。ソ連軍と暴民はこれに襲いかかり、また略奪暴行、殺戮をほしいままにした。一時に200人以上が殺され、または自害した事件だけでも21開拓団もあり、殆ど全滅したものも7つを数える。

●幸いに日本居留民の多い大都市にたどりついた集団は、手荷物がないのはもちろん、文字通り一糸まとわず、やせこけた体をさらしている男、素足で麻袋に穴をあけ首と手だけを出して、新聞紙にくるんだ赤ん坊を抱きしめている婦人、それはまるで「幽鬼の行列のよう」であった。

●これら難民の収容所では、毎日のように何十人もの人が息絶え、ついには死体を片付ける体力のある者もいなくなった。そして収容所のまわりには中国人がむらがった。日本人の子供を買うためである。しかし、この親をどうして責められようか。もし子供を手放さなかったら、数日のうちにその子が飢え死にすることは明らかだったからである。

●こうして満州では20万余、北朝鮮では2万6千人が殺害・自殺・餓死・凍死・のたれ死したのである。
これは一体、誰の責任なのか。日本軍のせいにする者が多いが、日本軍は既に降伏して武装解除しているのである。この責任は占領軍たるソ連軍にある。ヘーグ条約には占領軍は「公共の秩序維持」「占領地の住民の保護」「その名誉、権利の尊重」「略奪の禁止」その他が詳細に定められている。
    《若槻泰雄 「売文業者たちの戦後責任」》
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