2016.10.02
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象形文字の「朋」、月・肉・舟のどれにも属さない珍しい字だとか。
字意は貝を二連に綴った形で肩を並べる仲間を表しているという。
そこから敷延して「思い遣る」という意を表すともいわれる。
今週は友・朋という概念を思い出すことが続いた。

一つは前の記事にした大腸がんステージ4の友人を見舞った時のこと。
二つ目は、高校の同級生と私の三人で囲碁の巴戦をした時のこと。
私の対局を横で観ていた碁歴も実力も上手の同級生が云った言葉。
「井谷、相手のミスを待つような打ち方では碁が強ようならんで・・」
その時の私は相手に攻め込まれ苦境にあり、起死回生の策に出ていた。
相手が普通に受けると、「打って返し」という形で相手石を仕留めるもの。
罠ともいえる策に相手を誘い込んでいる私へ投げ掛けられた言葉である。

囲碁には色んな格言があり、其々含蓄があって人生訓にもなる話が多い。
しかし今回の彼の言は、格言ではなく、忠言としてグサリと私に刺さった。
私の打つ手は人格否定されたように思え、その局面を捨てて他へ転戦。
その碁は微差で何とか勝ったが、何か妙な気分になった。
然しである、半世紀に亘る友誼とは些細なひと言にも味が出て来たようだ。

三つ目に思い出したのが、当代宗家と私が共通の知人と飲んだ時の話。
三十歳ぐらいの時である、少々酔いが回った知人が当代に向かって云った。
「友情を口にする者に友情があった例(ためし)はない」とか。
聞いていた私は思わず首肯した記憶が残る。
後日、知人は広島近辺の町で市長になったが、友達は多かったのだろうか。
「朋庵」の名、少々重くなって来た。
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