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川辺に涼を求める愛犬、昨日一昨日の伊勢の暑さは犬にも応えた様子

 女房殿と娘夫婦と孫娘は、お伊勢はんの式年遷宮の行事の一つ「お白石持ち」へ
私と愛犬は、伊賀越え山中で遊ぶ、お伊勢はんの遷宮行事には犬の同伴お断りとか
ご当地伊勢のコンビニ・ファミリーマート(イオン系列)で「中日新聞」を購入
目に入った「イオン、ダイエーの株式公開買い付け(TOB)終了、連結子会社化に」という記事
団塊の世代で流通業界に身を置いた人間には、ある感慨を持って受け止められたものと思う

 昭和の40年代当初から「流通革命」という言葉の元に、多くの若者が集まり、業界は熱気を持った
旧態とした日本の流通業界に、「流通革命の旗手」として果敢な挑戦を続けた男「故中内功氏」
中内氏はフィリピン戦線で九死に一生を得て帰国したという経歴から飢餓への思いが身に染みていた
中内氏が率いた量販店企業が「ダイエー」、それに多くの企業が続き、流通産業という業界が成立
流通産業は中学・高校・大学の卒業期を迎えた団塊の世代に、魅力ある就職先を提供してくれた

 流通業とは卸業と小売業のことで、生産業と消費者との間のギャップを解消する役割を持つもの
江戸期には卸問屋が主導した為、「そうは問屋が卸さない」と云う言葉が出来たのは周知のところ
明治以後は生産業が大きくなり流通の主導権を持つことになった、日本の産業革命である
その製品(流通業から云うと商品)の価格決定権は、今風に云うとメーカーの再販価格であった
財とは、即ち、生産者からば「製品」、流通業者からば「商品」、消費者からは「消費材」である
財の価格はメーカーが決めるものでなく消費者である、と考えた中内氏のマーケティング論
中内氏が打ち出したのが、消費者を代弁する「プライベートブランド」PB商品である

 PB商品とは、生産者が考えた財と価格ではなく、消費者志向の材と価格ということだ
この概念には、かの松下幸之助氏とも対立することになったが、松下氏の折れる形になった
このことが、今の世の「家電量販店」誕生に繋がったのである
中内・松下の会談場所は、幸之助京都別邸・貴船の真々庵という「茶室」であったとか
余談ながら、松下氏は茶への造詣が深く、あの「松下政経塾」でも「茶」を必須教育としている


私の記憶に残る中内氏の話としては
「売り上げ高は全て癒す」
「ダイエーは、この日本が豊かになるためにリスクを犯し、それを実現する」、
「もはや手本はない。いまこそ主体的に変革を実行していくときである」等々がある
そしてダイエーは、昭和四七年に三越百貨店を抜き、小売業売上高日本一となった

 ただ、売上高は日本一だが、利益高はイトーヨーカ堂が一位であった
分かり易く単純化して云うと、ダイエーは失敗の負が利益を圧迫し続けたのだ
イトーヨーカ堂社長の伊藤氏はダイエーの失敗を見ながら企業の舵取りをした
二番手に付き、常に一番手の後を見ながら舵取りをするというのが伊藤氏である
どちらが正解と云う話ではなく、その人の生き様や哲学として、考えさせられた
そして三番手に付けたのがジャスコの岡田氏、今のイオンである

 ダイエーに入り、頑張っていた私の先輩が広島勤務となった時
広島に居た私は、その先輩の家を訪れ、そこで中内氏を印象付けられた
家具を始め、色んな所帯道具を示し「これもダイエー、あれもダイエー」と云い
最後に「これもダイエー」と云って奥方を指さした、つまり、職場結婚である
そして部屋には中内氏の写真が額に入って収まっていた、彼は中内氏を信奉していた
これほどまでに、社員が自分の職場と社長を誇りにさせる男、中内という男とは何
、と私は思った

続く、






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