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「百杓百杓展」の添え釜で茶器に使ったビルマの煙草入れ、鼎型で少々扱いにくい。
因みに国名のこと、ビルマ(バーマ)が口語でミャンマーが文語だとか云々

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自宅「監禁」中であったスーチー宅を米国のクリントン夫人が訪れ、二人で裏庭を歩く。
イメージが壊れるのを恐れたのか、この写真が報道されたのは日本の産経新聞だけという。

昨日、来日したビルマのスーチーのこと、いけ好かん女だと私は思っている。
英国で教育を受け、年下の英国人と結婚し、英国に暮らしたビルマ人の顔をした英国人。
二人の子供は英国で英国人として育て、家族内の言葉はもちろん英語である。
英国の植民地政策とは原住民の一部を上層階級とし、英国人の補佐役に仕立てる方法。
つまり「夷を以て夷を制す」というもので、その典型がスーチーの使い方である。
彼女が特別扱いされたのは、ビルマ建国の父・ウンサン将軍の娘というだけのこと。

支那事変の期間、英米はビルマルートで蒋介石軍へ軍事支援を続けていた。
当時のビルマでは日本と英米の諜報合戦となり、日本は特務機関「南機関」を作る。
外部には「南方企業調査会」と呼び、独立の志を抱くビルマ人青年三十人の軍事訓練を行う。
リーダーはアウンサン(日本名:面田紋次)で、「ビルマ独立義勇軍」として日本軍と連動。
ところが、日本軍の敗色が濃くなると連合軍と手を結び、日本軍の背後を襲撃した。
この背信行動には、結成時の三十人の中で三人が反対、一人が自殺(ボ・ミンオン)する。

ビルマ独立前にアウンサンは暗殺され、独立後に義勇軍出のネウィンが軍事政権を樹立。
ネウィンは今のビルマに必要なのは「開発独裁」だとして軍事政権下で強権政治を進めた。
ネウィンは自主独立心を以って国政を行い、共産支那とも欧米とも一線を敷き孤立した。
欧米人と共にビルマ経済を牛耳っていたインド系や支那系を追放し、軍人に任せた。
武士の商法で国の経済は疲弊、ネウィンは「清く貧しく美しく・社会主義国家」を唱えた。
当時の世界でビルマに援助を続けたのは日本だけであったが、世論に圧され援助を止めた。
それでも、日本政府は援助を全面的に止めたのではなく、人道援助は遠慮がちに続けていた。
親日国であるビルマに対して日本が援助を続けたこと、私は今以って日本は正しかったと思う。
そのビルマへ英国の手先として送り込まれたのが英国滞在暦三十年余りのスーチーである。
スーチーは、日本の人道援助も軍事政権を喜ばすだけだと日本を激しく非難していた。
まま、こういう非難が出来ること自体、ビルマの「軍事政権」が、赤支那や北朝鮮と違う証拠。

そんな彼女に欧米各国の大学が賞や学位を出すという話、欧米人の人権思想のマヤカシ。
そのスーチー、日本のことをこうオヌカシあそばした。
<日本人は勤勉だ。だが、経済成長が最優先され、窮屈に生きている。他のアジア人に優越感を抱き、あらゆる機会を利用し金もうけをしようとしている。男性は女性を蔑視している。>
更に彼女は、ソウルで「日本は慰安婦問題などを認めない。関心を持ってほしい」と云われて、
「過ちは誰でもあるが、過ちを認めることをためらうことこそが本当の過ちだ」と述べ、日本の姿勢を批判。

外人とくっ付き、外人の子を産みながら、母国に戻って政府の悪口を云い、恩ある日本を貶す。
そういう女は真正のアホとしか思えない、実際彼女は大学を学力不足で右往左往している。

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昭和五十六年、ビルマ軍事政権のネウィン大統領からアウンサン勲章を受けた南機関の各氏。
写真に写る御婦人は鈴木敬司機関長夫人である。
ネウィン(高杉晋)は親日を貫き、ビルマ義勇軍の日本軍への裏切切りを詫びたという。
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