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奈良・圓照寺に伝わる山村御流の生け花、私は好きである。
京都の華道流派の華美な花と比べ、楚々として茶花のそれに近い。

圓照寺は、奈良市山町にある臨済宗妙心寺派の尼寺で山号は普門山。
斑鳩の中宮寺、佐保路の法華寺と共に大和三門跡と呼ばれる門跡寺院である。
別名を山村御殿といい、 華道「山村御流」の家元でもある、
三島由紀夫の小説「豊饒の海」に再三登場する「月修寺」は圓照寺がモデル。
一日のブログ記事「下足番」に掲載したメール文を書いた塾生は山村御流を習う。
今西家書院の女将も山村御流の花をされ、書院の其処彼処に毎朝花を挿されていた。

十月二十七日に三笠宮殿下が薨去され、皇族が動向でテレビに放映されていた。
その影にもう一人の女性がおられたことを伝える話は寡聞であった。
三笠宮殿下の双子の姉君(妹君?)、昭和天皇の妹君の絲子様のこと。
その人のことには誰も触れず、報道もされなかったが奈良では知られていた。
その人のことが世間でも知られるようになったのは三島由紀夫の「豊饒の海」。
奈良の地では、圓照寺の御門跡のことは公然の秘密として語られていた話である。
絲子様は八歳にして得度され、小学校にも上がらず静山尼という名でこの寺に入山。
平成二年に七十九歳の生涯を終えられるまで、山村御流の家元でもあった御方である。

私のところの塾生は赤膚焼の窯元で、山村御流の花器を焼いている。
先のメールの塾生といい、山村御流とは何処かで馴染みがある。
三笠宮殿下薨去の話題が出ている中、一人の御婦人の一生のことも記憶に留めたい。
義務教育の小学校にも通えなかったヤンゴトナキ御方が奈良に戻っておられたことを。
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