2016.11.15 食の事
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昨日記事にした奈良・今西酒造の秘蔵酒の空き瓶。独り酒で飲み干したが美酒であった。
「春鹿」の名と下に薄い金文字で「HARUSHIKA kioke-sake」とあるだけ、粋(すい)。
つまらぬ修飾語や宣伝文句を並べる品は、己の自信の無さを表しているだけのもの。
まま、そこら辺り、品も人も同じである。

独りで茶事料理の残り物、粕汁と菜飯で秘蔵酒を飲んでいて、もの思いに耽った。
茶事料理のことである。会席を懐石と云い出したの江戸の中期以降の話。
生産活動者へにじり寄り不労所得を目論む寄生者・坊主の戯言の一種である。
茶を頂くに空きっ腹は好くないというだけの話を「腹に軽く食す」として温石に例えた。
本来、石を温めて真綿や布などでくるみで懐中し、腹などの暖を取るために用いたもの。
この手の話に調子を合わすのは茶で飯を喰う算段をする人、つまり千宗旦以後の茶家。
坊主と茶家がつるむと碌なことにならないが、多くの善男善女がホッコリ来るのが世の常。
いつの間にか、この手の話が茶の湯の常識のように世間に流布することになる。
江戸初期までの茶の古文書には「会席」とあり、温石どころか二の膳三の膳と豪華な食卓。
風呂に入り酒を飲み、大いに食して歌の一ひねりを紙に書き記す遊戯であった茶事。
それを風雅、侘び寂びの講釈を付け、「茶の湯」の世界へ導いたのが村田珠光と武野紹鷗。
それが飯の種になると心得違いをした坊主と茶師が巧妙に茶の世界なるものを作った次第。

そんなこんなを頭の中にすると、食事前の「いただきます」の言葉が気になった。
本来の語意は、食物を与えてくれる神や人に対する感謝と御礼の言葉であったハズ。
それが、動植物の命を「いただく」、自分を生かすために死んでくれたものへの祈りとか云々。
これまた坊主の戯言から生まれた迷惑な話、殺され喰われたものは何が嬉しかろうや。
成獣どころか子羊や子豚の丸焼きとかをナイフと切り裂きホークで突き刺して喰う我ら人間。
子供を産み育てる哺乳類にとって母性の思いや殺生を受ける身の痛みは人間と一緒である。
その子を喰われる親の気持ちへの忖度と殺され喰われるものの断末への惻隠の情。
つまらんゴタクや偽善宗教の言い訳は無用、自分が生きるために食うと云っても良い。
ただ、自分が生きるために多くの命を「いただく」、その命達への忖度・惻隠の情は持つべし。

で思うのが食事の礼節である。
人類史で他民族の殺戮征服を繰返して今に勢力を伸ばした西洋白人や漢民族の連中の食事。
食事は皆で楽しく会話をしながら食べましょう、との食事スタイルが彼等の共通するところ。
西洋白人の食事前の祈りとは神への感謝の祈りで、支那人は「乾杯・カンペイ!」だけである。
食物となる生き物のことは、食物となることで使命を果たしていると思っているのであろう。
昔の日本では、「食事中に話をするな」というのが多くの家庭内の教えてあった。
それは、食物を与えてくれた神と同時に、死んでくれた命への感謝・御礼・祈りを意味した。

日本語の特徴に味覚表現・食感を表す言葉が多いと聞いた。
ある調査によれば、食感を現す言葉はフランス語は約230語、支那語は約140語、
ドイツ語や英語は約100語とか、一方で日本語には445語あるということだった。
日本人は静かに食材を味わうことで、その食材の生きて来た命を知るのである。
その証が日本人の言葉に味覚表現・食感用語の豊富さであろうと思う。、
私も独り静かに紅シャケ・大根・菜飯・酒粕を食し酒を飲む、うん?米類が多い。
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