2016.11.18 人生は絶対論
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朝日を受ける皇帝ダリア、二間の高さはある、別名天竺牡丹(テンジクボタン)。

昨晩、ウトウトしかけた九時半頃に携帯が鳴った。
「今、天王寺に居るのでそっちへ行く、泊めてくれ」、大学の先輩からである。
和歌山で用事を済ませ、大阪で一泊する予定だったが宿が取れないとのこと。
確かに最近の宿は取り辛く、特に秋の土曜日曜は逼迫しているようである。
ジャンパー姿で学園前駅まで出掛け、そのまま居酒屋で十二時過ぎまで話し込む。
久しぶり故、積もる話をしながら、半生を振り返り人生の決算はということになった。
二人の意見が一致したのは、その人の評価は他人には出来ないということであった。
自分の人生は自分にしか評価は出来ない、相対論でなく絶対論だと意見一致。
その人の生きて来た中身は他人には分らない、故に比較は出来ないということである。
ああすれば良かった、こうすれば上手くいったというのは後から思う幻想である云々。
家に戻って、抹茶を点てマタゾロ回顧談に花が咲き、二時を過ぎた。
二人の風談は、同じ環境と条件になれば再び同じことをするだろうという話に落ち着いた。
所詮は自分のこと、以上も以下もない、自分で納得することが人生の絶対論ということ。
皆、恥と涙の主人公である、誰かに支配されることも誰かを支配することもない。
つまり、責任転嫁をしなければ自分の人生は自分が主役として肯定できるということ。
アインシュタインが妙なことを云い出してから、相対論が広まった云々辺りで睡魔に負けた。

光り輝く皇帝ダリア、肯定(?)ダリアである。花其々が威厳に満ちて咲き誇っている。
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