廃医師はんから、「語り部・長老の話」に続いて「北の元寇」にもコメントを頂いた。
> 「北の元寇」のお話を広く日本国民に、周知される試みには、全く同感です。元寇での、対馬などの九州北部での蒙古・高麗の非道はそれなりに浸透しています。最近『アンゴリモア』という元寇を扱ったコミッックがあり、それなりに面白く読んでいます。同じ頃、樺太や沿海州で行われたアイヌ民族(「骨嵬」)と、ニヴフ(ギリヤーク)族(「吉里迷」)などとの戦いについては、ほとんど知られていません。昔、北の元寇についての本を読んだことがありますが、史実なのか、想像が入っているのか、判断に迷う代物で、蝦夷代官(蝦夷管領)安東氏が、樺太や北海道のアイヌを率いて、強大な蒙古を背景とする樺太のギリヤーク族などと戦ったと書いていました。しかし安東氏の関与はおそらく想像であり、現実には、北海道から樺太に進出したアイヌに圧迫されたギリヤーク族が、元に助けを求めたというのが真相の様です。元もアイヌが黒竜江に沿って、河口部から沿海州方面に進出する情勢を放置できなかったのでしょう。  昔読んだ山川出版社の「民族の歴史」シリーズの1冊に、東北アジアを扱った分冊があり、それには沿海州方面のツングース系諸民族の中には、その氏族の起源を、アイヌ民族だとする伝承を持つ者がいると記載されていたのを思い起こしましたが、具体的な氏族名の記載がなく、残念に思ったことを思い出しました。ともあれ、樺太や沿海州方面では、むしろアイヌが攻勢に出ていた状況があった事が、感じられました。  蛇足ですが、北蝦夷地=樺太島ですが、「奥蝦夷地」は、カムチャッカ半島方面だったように記憶していますが、或いは、北蝦夷地と同義に使用されていたのでしょうか?或いは奥蝦夷地は、樺太やカムチャッカ半島を漠然と指した言葉だったのでしょうか?<
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