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昨日、黄昏(たそがれ)時の我が家の前、今朝の散歩の空も略同じ模様であった。
夕刻なら暮れゆく中で「誰そ彼・たれそかれ」と急ぎ早やに聞く、たそがれ時である。
朝は明けゆく中で「彼は誰・かはたれ」と穏やかに聞く、かわたれ時である。

確かに日本語は美しい、日本語そのものが芸術作品であると思う、今日この頃。
散歩から戻ってテレビを点けると、BSで「クール・ジャパン」という番組が放映されていた。
在日外国人30人程が、日本の常識や日本人の行動について討議する番組である。
その中で、一つの言葉の違いが説明されていた、「個・インディビジュアルと孤・アローン」。
日本人は個の主張より、孤の環境を厭うとか云々と外人はんが小生意気にオヌカシ。
まま、それはそれとして、私はそこに「古」を付け加えて考えていた。
私は今年で、つまり今月いっぱいで茶道・上田宗箇流の組織を離れる。
後は、私個人が独りで茶を楽しむこと、つまり孤の茶をしようと思っている。
勿論、その茶は千宗旦以後の金持ち町衆や富農の習い事の「新流茶」ではない。
戦国武将が命の遣り取りの中で辿り着いた武家の「古流茶」である、利休も古流である。
明治以降.に武家茶の多くが千家の新流稽古茶に転向し、古流茶の流れは途絶えて来た。
私はその「古」の武家茶の流れと心を大事にし、「孤」で「個人」で続ける所存。
来年は「鶏年」、コッコッコッケッコ―、個・孤・古・結構と鳴いても可笑しくはなかろう。



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