2017011910490000.jpg
多分マガモであろう、光の加減で顔の写りが悪いが実物は可愛い目をしている。

酉年の干支香合が昨日到来。京都清水の陶芸作家から送られて来たもの。
和紙の封筒に、鮮やかな筆で遅れ馳せ乍との送り状が添えられていた。
この陶芸家の御仁、七代目の伝統工芸士ながら現在芸術の作風も確立している。
先年には京の名匠としてNHK番組の取材を受け、その仕事ぶりが放映された。
御仁は上田流の茶を嗜む私の後輩筋であるが、その心情に頷かされる。
一つは、千家等の流儀が圧倒的に多数の京都で、マイナーな上田流に入門したこと。
凡そ茶の世界に近い仕事をする人たちは、メジャーな流儀に繋がりを持つ傾向が強い。
道具、料理、着物、禅僧侶、なかんずく焼物師なんぞは茶人との付き合いを大事にする。
商売として見れば、間違いなくその方が人脈が繋がり、プラスになるのは明らかである。
しかし、御仁曰く「習う茶は自分の感覚に合う茶が大事で、仕事の延長で考えていない」。
御仁の父君も煎茶をやっておられたが、その本分は宗匠の生き様・人柄に惹かれての茶。
この辺り、親子に共通する価値観・人生観の躍如であろうと私は頷かされた。

もう一つは、少々下世話に聞こえるかも知れんが、御仁が作品を私に呉れた時の仕儀。
十数年前のこと、御仁が楽焼を作風の中に取り入れた際の話である。
展示会に呼ばれた私は、その楽焼なるものを眺めて云った、「なんや、夏休みの宿題か」。
考えてみれば、名の通った作家に対して随分と失礼な物云いだったかも知れない。
しかし、彼は怒りもせず真正面から私の話を受け止め、腹に収めてくれた。
一年位後、御仁が新聞紙に包んだものを紙袋に入れて我が家に持って来てくれた。
そして曰く「こんな具合でどう」、それは手にシックリくる「引き出し黒」の楽焼であった。
続いて曰く「好かったら、使うて」、私応えて曰く「これエエわ、使う」。
さすがに京の名匠と云われる御仁、自分の味を出した作品に仕上げてござった。
何より腑に落ちたのは、新聞紙に包んで持って来るという彼の仕儀、心遣いである。
これ位の茶碗なら木箱に納め、一筆作家名を書くのが普通の感覚であろう。
御仁はそうせず、新聞紙に包んだのは「高価な贈物」と見せない配慮である。
また、作者が自分で箱に名を記すのは私が厭うと御仁は知っていた。
私は茶碗に合う木箱を求めて御仁の処へ持って行き、箱に署名を願った。
今回のマガモ香合は紙箱入りである。有難くそのまま頂戴する。
明日、丁重に礼状を認めておこう。まま、私の悪筆ながらも・・。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://houan7010.blog.fc2.com/tb.php/1137-229bdf94