2017.02.05 朋来たる有り
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40年来の茶友が来訪、彼は前以って段ボール二箱を送ってくれた。
一箱には、鮎の甘露煮・焼きアナゴ・広島菜漬け・エイヒレ・干しフグ・燻製カキ等々。
もう一箱には、広島の酒五本、竹鶴・賀茂金秀・寳剱・雨後の月・酔心。
私は、娘に車でその酒とツマミをそば処「かえる庵」まで運ばせた。
娘には鮎を持ち帰らせ、替りに私は鰯を焼き柊(ひいらぎ)の小枝と一緒に箱詰。
酒好きの元塾生たちも呼び茶友を囲んでの酒宴、奈良酒も追加して飲む。

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明くる日は、茶粥で朝酒を楽しんでから、銭湯に行き朝風呂に浸かる。
その足で郡山まで出掛け椿の名所「椿寿庵」へ、今一つ期待外れであった
元塾生の赤膚焼の窯に寄ってから帰宅、ホルモン焼きで焼酎を飲む。
アルコール度43%の本格むぎ焼酎、松永 安左衞門(まつなが やすざえもん)。
度数が強いのでお湯割りにした。美味い。

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松永 安左衞門のこと、「耳庵・じあん」の号を持つ明治の茶人で実業家である。
壱岐の資産家に家に生まれ慶応大学で福沢諭吉の知遇を得る。
しかし、「人生は闘争なり」と言葉を残して中退し実業界へ進む、福沢も支援。
明治42年、九州で福博電気軌道の設立に関わり、電力事業に携わる。
そして、電力会社を合併し九州電灯鉄道、更に関西電気と合併して東邦電力を設立。
続いて東京に進出、昭和2年には東京電燈と東京電力の合併に係わる。
「電力統制私見」を発表し、民間主導の電力会社再編を主張、「電力王」といわれた。
官僚嫌いでもあった松永は、講演会で軍閥に追随する官僚達を「人間のクズ」と発言。
戦時下で電気事業を国家管理下に置く政策が取られ東邦電力は解散、松永は引退。
以後は所沢の柳瀬荘で茶道三昧の日を過ごす。
戦後は小田原に移住、所蔵していた美術品と柳瀬荘を東京国立博物館に寄贈した。
また、アーノルド・J・トインビーの『歴史の研究』の翻訳・刊行に尽力。
慶應義塾命名百年式典にて、名誉博士の称号が授与された。
昭和46年に慶應義塾大学病院にて死去、享年95歳。
故人の遺志で葬儀等は行われず、財界人の弔問や香典・供花なども辞退している。
まさに大実業家、大茶人であり、そして情熱家で浪漫主義者であった。
因みに、サムエル・ウルマン作「青春の詩」の翻訳者は松永安左エ門である。

青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ・・・.
年を重ねるだけで人は老いない・・・
理想を失う時に初めて老いがくる・・・.


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