2013.09.07 竹取りⅢ
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我が家の竹製品、下が箕(み)、後ろ左から笊(ざる)、箒(ほうき)、籠(かご)

 昔、竹取り・箕作りの民という人達が居た
季節になると箕や竹細工、山川の幸を持ち村々にやって来て、穀物や布と交換した
特に箕は、農耕の民にとって重要な道具であり、神聖な物とされていた
箕作りの民といわれたその人達は定住せず、竹細工や野山の幸、川漁で生計をたてていた

 日本の竹は、既述のように東南アジアの照葉樹林の中にある竹文化の流れにある
云わば黒潮文化の流れで、竹文化は琉球から薩摩へと入って来たとされている
竹を使った色々の道具は、南九州の隼人の手になるものであったらしい
隼人が大和朝廷の支配を受けた時、隼人の一部は竹文化と共に畿内に移住した
今でも、隼人の居留地であった京都南部辺りは竹が多い地である

 サンカ(山窩と書かれることが多い)の話を最近は聞かなくなった
定住せず(籍を持たず)、川漁や箕作りで生計をたて、為政者の支配を受けなかった
つまり、徴税徴兵の対象から逃れ、野山や川を渡り住んだ人たちであった
罪人や不法者が混じりこんでいるかの疑いを受け、追及や迫害の対象にもなった
そのため、賤民扱いをされていたようだが、神事の民との扱いもあったらしい

 明治・大正期になるとサンカの民は定住化し戸籍も得て、世の中に溶け込んでいった
然し、先の大戦後もサンカの民は万を数え、野山や川を渡り暮らして箕作りをしていた
私が吉野に暮らした小学校の頃、「サンカが来た」「河原にサンカ小屋」とか耳や目にした
このサンカの民は隼人或いは山岳縄文人の流れを汲む、という論もよくされた
然し、今だ以って確たる論証がないままで、その姿を見ることがなくなった
そして、「箕」そのものも知る人たちもが少なくなり、歴史の埋れ木になりつつある

 箕作り・竹細工の職能の民であるサンカと似た職能の民が他にも居た 
村々を渡り鍋釜や野良道具を作ったり直したりする鍛冶の職能集団である
工業生産が向上したことや機械化の流れの中で彼らも消えていった
子供の頃よく見たトンカチの町の鍛冶屋も、その後を追うように姿を消した
残されたのは小学校唱歌「村の鍛冶屋」だけがその文化を歌として伝えていくれる

 我が家の女房殿は、箕を「竹製のごみ取り」と思い込んで落ち葉をすくっている
箕作り、隼人の竹、サンカ、時代の彼方へ流されて忘れ去られようとしている
が、これからも人々の間に残る言葉は「竹取り」の翁、であろうことは疑いも無い
かくや姫とお月さんのことは、またいつか

我が愛犬「ハナ」、本名「竹姫号」の体躯は満月に近づきつつある
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