70年前の今日、台湾で228事件が起きた。
昭和22年2月27日、煙草売りの本省人(台湾人)寡婦に外省人(国民党支那人)兵士が暴行。
これが発端となって、翌2月28日には本省人による市庁舎への抗議デモが行われた。
しかし、外省人憲兵隊がこれに発砲、抗争はたちまち台湾全土に広がる。
国民党政府は大陸から援軍を派遣し、武力によりこれを本省人を徹底的に鎮圧した。
その犠牲者は二万とも三万とも云われているが実態は明らかにされずに今日に至る。
そんな中で、命懸けで民衆を守った一人の男性弁護士がいた。
日本人の父と台湾人の母を持ち、台南市で生まれた坂井徳章、台湾名・湯徳章。
敗戦で周囲の日本人が引き揚げる中、台湾に残って弁護士活動を続けた。
大陸から渡ってきた国民党政権から民衆を守ろうとしたのである。

日本人を首謀者に仕立てたい当局ににらまれ坂井は逮捕された。
坂井は拷問を受けても、決起しようとした若者の名前を一人も明かさなかったという。
処刑が行われたのは逮捕から2日後の3月13日。
拷問で肋骨(ろっこつ)が折れ、手の指も動かなくなった坂井は、後ろ手に縛られた。
処刑場となった台南中心部の公園に連れてこられても悠然としていたという。
多くの市民が見守る中、目隠しされることを拒否。
蹴りつける兵士にひるまず立ち上がり台湾語で叫んだ。
「目隠しは必要ない。なぜなら私には大和魂の血が流れている。
もし誰かに罪があるとしたら、それは私一人で十分だ」。
さらに日本語で「台湾人、万歳」と高らかに叫んだ直後、3発の銃弾に倒れた。

前に日本列島を離れて神道・神社は伝播しないと云ったが、台湾は別のようだ。
神社の鳥居も残り、日本人を神として祀る廟(神社)や銅像が建つ。
大陸支那や朝鮮半島の反日感情と台湾の親日感情の違いはどこから来るのか・・。

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台南市にある坂井徳章(湯徳章)の銅像。
台南市は、事件から70年の節目となる2月28日に犠牲者の慰霊祭を開く。

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台南「八田與一記念公園」にある土木技師・八田與一の像。
台南の烏山頭水庫(ダム)と嘉南用水路を完成させ台湾最大の穀物地帯を作った。

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北白川宮能久親王を祀る桃園神社(現・桃園忠烈祠)

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台南上空で戦死した日本海軍飛行兵曹長「杉浦茂峰」を祀る「鎮安堂・飛虎將軍廟」
被弾した自機が市中へ墜落するのを避け、旋回して郊外で戦死した。
廟では毎日、「君が代」が斉唱され、夕方には「海ゆかば」が歌われている。

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嘉義の警察官森川清治郎を「義愛公」の尊称で神像を作り、富安宮という廟に祀る。
台湾総督府の新規漁業税に苦しむ漁民が税の減免を森川へ嘆願した。
森川は嘉義庁へ赴き減税を求めたが、支庁長は住民を扇動の罪で森川を訓戒処分。
徴税を重ねて命じたことで森川は所持する銃で頭部を打ち抜き自殺(明治34年4月7日)。

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明石元二郎台湾総督も埋葬されていた三板橋墓地、今も鳥居がある。

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台南にある鄭成功(国姓爺)の廟。日本人の母も祀られている。
どうも台湾人の親日感情の根底には鄭成功の活躍があるように思われる。
平戸島生まれの母・田川まつと、明人の父・芝龍(しりゅう)の間に生まれた。
彼は清に倒された明朝に最後まで忠誠を尽くし、台湾をオランダの支配から解放した。
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