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草叢に打ち捨てられた「ヘイケホタル発生中」の看板、先に記事した看板だ
青い小花は「つゆ草」である、ワ・ビ・シ・イ

 七年後の第三回東京にオリンピックが決まり、日本中が沸いている
<第一回は昭和15年(戦争で中止)、第二回は昭和39年>
それはそれで私もご同慶の至りではあるが、懸念が三つ
一つは、私がそれまで生きているだろうか、ということ
まぁ、第二回を見ているので、それで善しと考えよう
二つには、開催決定権を持つのは未だ欧州人であること
世界遺産やノーベル賞もそうだが、決定権が欧州人にあることへの不快感
三つには、「オ・モ・テ・ナ・シ」と云う言葉が取り沙汰されていること
IOCのプレゼンで、父親が仏人というカタカナ名の娘が、仏語で云ったとか
 
 この「オモテナシ」と云う言葉が、茶の在り方を歪める気がする
前も云ったが、オモテナシの心云々とは旅館や料亭の話と私は心得ている
茶の湯或いは茶道の歴史の中で「オモテナシ」という文言を私は聞かない
茶の真っ当な研究家で{オモテナシ」が茶の心とする論は寡聞であろう
然し乍ら、「お茶の心はオモテナシの心」と巷で盛んに云われている
高名な茶道家まで、そのように吹聴していることには首を傾げざるを得ない
接待・接客・奉仕等のサービス概念と混同、誤解をされているのであろう
そしてまた、茶をその様な使われ方にさせようとする立場の思いもあろう

 一休宗純の「淡飯粗茶」を「冷え枯るる幽玄美」と学んだ村田珠光
「冷(ひえ)、凍(しみ)、寂(さび)、枯(からみ)」という概念が生まれ
連歌の心と相まって、武野紹鴎は「閑寂素朴な趣」を茶の心とした
利休は「数寄道の本意は侘びたるにありと覚悟いたし」と云ったとか古文書にある
凡そ、茶の湯勃興期の室町から桃山の時代には「オモテナシ」という言葉も感覚もない
華美・享楽を避け、持たざる慎みの清純さを尊重する気持ちを茶に求めている

 江戸中期以降になって、茶家の茶が確立されるに従い、茶は心より形が優先されてくる
従って、江戸中期から明治・大正の茶では、「寂び」の心は余り云われていないようだ
その反動か、大正期からは珠光の「謹敬清寂」を「和敬清寂」とした利休の言葉が強調される
茶の業界(?)で主流となった千家が、茶の全てを利休へ帰着させる流れの現れでもある
しかし、この時期に於いても茶に「オモテナシ」という言葉は見られないようだ

 更に云えば、「もてなす」という動詞が「もてなし」という名詞になり、丁寧語「お」が付く
何とも奇妙な造成語であり、「オモテナシ」という言葉は広辞苑には記載されていない
この「オモテナシ」が流行語大賞云々とは、ヤレヤレで、茶の誤解が広まることを懸念する
「オモテナシ」という言葉、旅館組合の研修会が濫觴かと、私は勝手推測をするのである

 オモテナシとは、うらめしや、うん? 裏は飯屋ではない? 御意
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