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桔梗(ききょう)、万葉集では「あさがほ」、花言葉「誠実・清楚」
日本の在来種であるが、自生種は全滅危惧種で百年以内に姿を消すという
桔梗の花は美濃源氏・土岐氏の紋所、一族の明智光秀の旗紋として本能寺に翻った
連歌会の光秀の発句「 時(土岐)は今 雨(天)が下しる 五月哉 」

伊賀越えで伊勢路入口まで行っていて、ブログとは離れていた
メールで「オ・モ・テ・ナ・シ」に関するご教示を頂いたので紹介したい

●関東在住の八十歳半ばの裏さんの茶人からのご教示
この御仁は、多くのお弟子さんを持ち、茶への造詣の深い畏敬の先達である

>茶の湯とは関係なく使用されていたのは、「持って成す」ということのようですので、相当古い時代からあったとは思いますが、茶の湯に使われ始めたのは何時か、誰か、については、はっきりいたしません。
そのうち少し調べてみたいと思います。<

聖徳太子の十七条の憲法の第一条に「和を以て貴しと為す、忤ふること無きを宗とせよ」とある
確かに、「持って(以って)成す(為す)」という言葉が「もてなし」の原意だと分かり易い
変に語頭の「お」を付けるから、可笑しな言葉になってしまうと、改めて思った次第

●奈良在住の表さんの茶人からのご教示
私と同年配位ながら幼少の頃から茶に親しまれ、学生時代から表さんの家元に通われた御仁
個人意見と断られた上での話

>迎えた客へ心を配り、客は亭主が思いを込めた「モテナシ」を
感じ取り、お互いが気持ちを通わせ「喜びを交わすこと」にあると思います。<
>茶事における「オモテナシ」は、三口半の濃茶に凝縮される亭主と客との四時間(実
際は案内を出し、返礼を受けた段階から始まっておりますが)の対応の中で、迎えた客へ心を配り、客は亭主が思いを込めた「モテナシ」を感じ取り、お互いが気持ちを通わせ「喜びを交わすこと」にあると思います。
茶道における「オモテナシ」は双方が理解するところに、井谷様が言われる一般的な「オモテナシ」との差があるのでしょうか。<
>その折、茶事においても大切なことは、招き招かれる亭主と客が、やはり双方の気持
ちを読み取ることが出来うる力量のあることが重要と思います。<

茶は亭主と客の双方で作り上げるもので、亭主のモテナシ同様に客のモテナシもある
御仁はそのように仰っていると、私には感じ取れたのである
御仁は井伊直弼の「一期一会」「独座観念」を云われたが同感である

●日本文化の大学講師で茶道史の研究学者からのご教示
この御仁の父君と私の父親が、先の大戦で同じ部隊に属したという奇遇あり

>「オモテナシ」については、近年のことだろうと思っています。
調べてみると、宝永7年(1710)成立の有楽流の茶書「貞要集」に
「茶湯ハ人をうやまひ、もてなす実を本意とす」
とありましたが、この言葉が直接今まで伝わってきたとはいえないでしょう。<

さすがに、学者先生と云おうか、的確に資料を「以って為す」ご教示である
ただ、この話を以って今日のオモテナシの序開と為す、とは云えないとの断り、納得である
こういうタイプの学者が多くなれば、世の茶の湯が本物志向になると思うこと頻り

●家元の居ない武家茶道をされている御仁からのご教示
茶のブログを毎日のように更新され、茶史や道具、茶人、古文書を紹介されている

>我々茶人のもてなしだって「o・mo・te・na・si」だとは思うが、それは身内同士での殺伐とした攻撃的なもてなしであって、決して一般化して語ってはいけないものだと思う。もっというと「快楽殺人者が見立て殺人をして名探偵に挑戦する」に近いものの様な気がする。<

面白いというか、この御仁ならではの諧謔論旨、一理あると首肯させられた

ふと、思ったのが「もてなす」或いは「もてなし」とは他への行為が原点で、自へものでない
私はそこに引っかかっていたように思う
自への行為が「茶」の本義に思えてならないのである
まぁ、確かに上述四人の方々の話も、煎じ詰めれば自への行為となるという話であろう
どうも、私の脳ミソでは、以って為すことが出来ないようだ・・
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