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一式陸上攻撃機(爆撃機)の胴体下部に装着されたロケット特攻機「桜花」。

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靖国神社に展示されている「桜花」の複製機体。

今日は石州流系の茶道家元の初釜に出掛けた。
私の席は7人で茶の湯としては好ましい人数であった。
三年連続で同じ正客に私が次客ということになった。
その正客は昭和三年生まれで今年90歳、郡山の石州所縁寺の元住職。
私の高校の旧制中学時代の卒業者で、云わば私の大先輩という御仁。
その御仁が話された内容に驚いた。
桜花は「神雷桜花」と呼ばれ、御仁は「神雷桜花部隊」に配属されていたという。
搭乗訓練中に終戦を迎えたとのこと。御仁は17歳であった。
ロケット特攻機桜花の概要を数字で示す。
総重量2270㌔、内訳は1200㌔徹甲爆弾、固体ロケット三本500㌔、その他570㌔。
ロケット一本の噴射稼動時間は9秒、急降下突撃状態の速度804km/h。
私は桜花の飛行訓練はどういうようにしたのであろうという疑問を持っていた。
御仁は云う、「零戦でやった。ワシは零戦の操縦桿を握った最後の飛行兵や」
御仁は涙目になりながら、桜花の特攻は一機で8人が死んだという話をされた。
桜花の搭乗員は1人だか、母機の一式陸攻には7人乗っている。
桜花を胴に付けた一式陸攻は鈍重となり、敵戦闘機の餌食にされた。
それに、桜花の飛行距離は短いので母機は敵艦近くまで行かねばならなかった。
そこに行くまでに、多くの母機は桜花と共に撃墜され、桜花・母機の8人が死亡。
何とか桜花を切り離しても、母機は引き返さずに敵艦へ自らも突っ込んでいったとか。
御仁が云う神雷桜花部隊の戦死者の中身を聞き、私は黙り込んだ。
帰宅して調べると、神雷桜花部隊の終戦までの戦死者は、桜花による特攻で55名、母機の陸攻で365名、援護戦闘機で10名、建武隊による特攻で89名、神雷爆戦隊による特攻で9名、神風特別攻撃隊による特攻で187名、その他戦死・殉職者で114名の合計829名、とあった。
確かに、母機の殆どが桜花と運命を共にしたという事実が数字で良く分った。
御仁は神雷桜花部隊の部隊長であった岡村基春 海軍大佐のことも話された。
桜花搭乗員が部隊長の所に挨拶に行った時のことだとか。
岡村部隊長は御仁等全員の顔を見ながら、ただただ泣いておられたという。
生きた歴史の証人が殆どこの世から去り、残るは僅かな人だけとなった。
聞いた話を書き残しておきたい。

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