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2018.01.17 あの時の時刻
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阪神淡路大震災で燃え落ちた神戸市長田区の商店街。まだ火が残っている。
平成7年1月17日5時46分52秒に起こった明石海峡付近を震源とする都市直下型地震。
初めて震度7が適用された激震で、被害は近畿一円に及び死者は6400人を越えた。
この日、私は山口県下関へ行くために仕事仲間と二人で近鉄学園前駅までの車中に居た。
奈良は震度4であったそうだが、私も同行者も全く感じなかった。
駅に着いてホームで電車待ちをしていたが電車が来ないので不審に思った程度の感覚だった。
ホームに人が増えて来た中では、大阪で事故が発生した由とのうわさ話が流れていた。
一時間余りして、運行休止の構内案内が出され、タクシーで家に引き返した。
家に戻ると、娘から地震に驚き玄関から飛び出してうずくまっていたとか聞いた。
電気水道ガスは正常に使える状況なので左程の話でも無かろうと居間でテレビを点けた。
テレビは神戸辺りで地震発生を伝えていただけで、大災害の報道になったのは昼前であった。
カナダ留学中の息子が年末年始に帰国しており、またカナダへと向かったのが前日16日。
後で聞いた息子の話には少々感慨深いものがあった。
空港のテレビニュースで地震のことを知り、部屋に着いてテレビを観ていたという。
大地震で街が崩壊し火災発生の惨状報道があり被害は近畿一円と伝えられていたとか。
それで息子は我が家に何度も電話を入れたらしいが不通、奈良の友人宅も不通であった。
息子には神戸の惨状が奈良とも重なり、自分の家族も被害に遭い、生死不明かと。
アメリカ大陸に一人残された自分は、これからどうすべきがと考えあぐねたらしい。
それから23年、息子がこの14日に我が家に来て娘が買うてきた支那料理を共に食す。
私が取り置きしてある激辛辣油の瓶を開け、餃子のタレに加え食さすと旨いと一言。
彼も激辛が好物とか、やはり私の遺伝子を継ぐ息子と思い、私は一人ほくそ笑む。
その日の会話に阪神大震災の話は出なかったが、私は当時の彼の話に思いを馳せていた。
今、5時40分。車に乗せてもらい学園前駅へ向かったあの時の時刻である。

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