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台湾人教育に命を奉げた六士先生。(近年は六氏先生と呼ばれる)。

欧米列強の植民地経営の常識とは、先ず現地の知識人を抹殺する。
次に地元住民に恐怖を植え付け、抵抗する能力・気力を奪い愚民化すること。
が、日本の台湾統治施策は日本の新しい一地域と捉えて教育普及を行った。
台湾割譲は明治28年4月、その翌月に日本政府は教師7人を台湾に派遣。
台北北部に芝山巌学堂(しざんがんがくどう)という小学校を作り教育に当たる。
ところが、抗日ゲリラの襲撃に遭い出張中の1人を除く6人全員が殺された。
然しながら、台湾の教育に命を懸けたこの先生たちのことを現地人は慕った。
後年には、彼らの台湾の教育に賭ける犠牲精神は「芝山巌精神」と言われた。
「芝山巌精神」は当時の台湾教育者に多くの影響を与え「学務官僚遭難之碑」が建つ。
統治直後、総人口の1%にも満たなかった台湾の学齢児童の就学率は伸びた。
昭和18年頃には70%になり、識字率は90%を超え戦後の台湾発展の基礎となった。
戦後台湾に渡って来た国民党政府は日本色を一掃、「学務官僚遭難之碑」は破壊された。
李登輝総統の就任で民主化が進み、平成7年に「六氏先生の墓」が再建された。
更に、平成12年には「学務官僚遭難之碑」も復元、今は「台湾教育の聖地」とされる。
そして今日、2月1日には毎年慰霊祭が執り行われているという、ちょっと好い話。
日本の植民地であった台湾、併合地であった朝鮮が欧米植民地より発展したのは何故か?
その答えは「日本の翻訳文化による教育」と私は思うているが、また今度。

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伊藤博文揮毫による「学務官僚遭難之碑」。
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