今日5月12日はフローレンス・ナイチンゲールの誕生日である。
クリミア戦争で従軍看護婦を率いて戦地に出掛けての活躍は有名。
但し、彼女の看護婦経験はその時の二年間だけだったとは知られていない。
三十代で病気になり90歳で死ぬまでの間は寝たきり状態が多かったとか。
思うに、彼女が残したのはナイチンゲール教という宗教団体ではなかろうか。
看護学校の戴帽式、蝋燭の火をかざしてのナイチンゲール賛歌と誓詞。
キリスト教のミサ同様の宗教儀式であり、看護婦たちは啓蒙されて育つ。
このことの幸不幸、私には善意の誤解であろうという思いがある、。
ナイチンゲールは赤十字の創設に賛意を示さなかったことに含蓄がある。
ナイチンゲールと赤十字は同体というのは誤解である。

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日本赤十字による看護婦の戦時招集状である。
明治23年に、日本赤十字社看護婦養成所に10名が一期生として入校した。
養成期間は3年で、卒業後には20年間にわたり応招義務が課せられた。
養成所規則には「20年間は国家有事の日に際せば本社の招集に応じ」とあった。
日清・日露の戦いでは従軍といえども内地勤務であり、広島では新島八重が勤務。
外地勤務は大正年間の第一次大戦・シベリア出兵時が最初となった。
昭和に入って満州事変、支那事変、大東亜戦争では多くの従軍慰安婦が戦地に出た。
日本赤十字社は延べ人員33,156人もの「戦時救護看護婦」を戦地に派遣した。
殉職1,143名、負傷4,689人とされるが、従軍したのは日赤の看護婦だけでない。
陸軍・海軍の応召看護婦、「ひめゆり学徒隊」等女学生にも及び、その数は不明。
平成24年に熊本県護国神社崇敬会と満ソ殉難者慰霊顕彰会が慰霊碑を建立。
「満ソ殉難者」、自決して満州に果てた看護婦のことを忘れてはいけないと私は思う。
日ソ不可侵条約に背いて満州に侵入したソ連軍は日本の看護婦を慰み者にした。
それを拒否した日本の看護婦隊22名は遺書を残して全員死を選んだ。
 遺 書
二十二名の私たちが自分の手で命を断ちますこと 
軍医部長はじめ婦長にもさぞかし御迷惑と
深くお詫び申し上げます。
私たちは敗れたりとは云え
かつての敵国人に犯されるよりは死を選びます。
たとえ命はなくなっても 魂は永久に満州の地に留まり 
日本が再びこの地に還って来る時、ご案内致します。

昭和21年6月21日 散華

旧満州新京(現長春) 通化路第八紅軍病院
荒川さつき 大島花枝 川端しづ 相楽みさえ 
澤本かなえ 杉まり子  垂水よし子 林千代 
細川たか子 吉川芳子 池本公代 稲川よしみ 
大塚てる 五戸久 澤口一子 三戸はるみ 
杉永はる 中村三好 林律子  森本千代 渡部静子 
石川貞子 井上つるみ 柿沼昌子 沢口千恵子 
沢田八重 柴田ちよ 田村馨 服部律子 
古内喜美子 山崎とき子
(名前は各自が自筆で記した)


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