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季節外れの西洋タンポポ
暑かった五日程前、散歩途中で見付けたが、台風一過の今朝には花は無かった

季節外れとは、尺度や分別・道理に合わないものということだろう
確かに、「尺度」は言葉や文字そして貨幣という人類の大発明の一つである
「分別・道理」も、人間が社会的動物として成り立つ知恵として生み出した発明だろう
物の尺度から見れば規格外、善悪の分別から見れば悪、という烙印が社会の目である
何がしか、えらそうなことを語るようだが、そうではなく、炭のことである

私の炭は、柳生の炭焼き窯で都合して来た
焼きあがったままの状態、窯の中の長いままの炭を米袋や段ボール詰めて持ち帰っていた
その炭を、時々に必要な分だけ切って洗い、稽古や茶事に使うのであった
その炭切りのことで、面白い会話したことがあった

表千家の女性茶人が我が家に来られた時の会話である、
その御方は、車庫に置いてある炭の丸太を見て、曰く
「炭切りは大変ですね、定規を当て規格通り切るのは難しくて、私には無理です」
それで、私が云ったのは
「大工の修業じゃあるまいし、適当に切ればよく、切り損ないの炭も入用ですよ」
その御方、「 え? はぁ、そうですか・・」
私は、切り損ない規格外れも入用な炭、人と同様にと、云いたかったのである
つまり、規格外の炭は種火や灰温めに使える、人の活かし方もそういうことだと

その御方は、炭は「規格通り」に切るもの、と思い込まれているようであった
炉の胴炭は長さ五寸、風炉の胴炭は四寸、丸・割れ毬打炭はその半分の長さ
<毬打(ぎっちょう)とは、昔の正月遊びで木製の毬を打つのに用いた槌のこと>
だが本来、炭は五徳に合わせて切るもので、炭に五徳を合わすものではない
昔は、風炉も炉も五徳も大きさはマチマチであったものに炭を合わせたものだ
近年になり、炉の大きさが定まり、五徳も定まって来て、炭もというだけの話
要は、置き易く湯が沸けば良いだけの炭、とは多少云い過ぎのところはあるが・・

実は、柳生の炭焼き窯の主が体を壊し、炭焼きを止めたと知らされたのが十日前
困った私は、親戚の炭小屋に残された三〇年以上前の炭を貰いに行くことにした

利休が云ったとかいう利休七則、分かり易いので載せておきたい

 茶は服のよきように点て、
 炭は湯の沸くように置き、
 夏は涼しく冬暖かに、
 花は野の花のように生け、
 刻限は早めに、
 降らずとも雨の用意、
 相客に心せよ


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