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玄関先の高砂百合が花を開かせた。今年は2㍍程度で例年より小ぶりだ。

お盆期間と終戦記念日が今年も来た。
今年はどうやら「お化け話」や「戦争話」の放映が無かったようだ。
子供の頃は蚊帳の中で「お化け話」聞かされ便所に行くのが心地悪かった。
中学高校時代にはテレビが普及し、色んなドラマ放映も盛んにであった。
そしてこの盆前後のテレビは必ず「お化け」「戦争」であった。
学徒出陣し、海軍の特攻隊員であった父親は戦争番組をよく観ていた。
見終わった父親がいつも独り言のように呟いていたのが記憶に残る。
「この役者は戦場を知っているな」
「この作者は戦争に勝手な思い込みが過ぎるな」
「大方は涙も泣き声も出さずに死んでいったもんや」
「ホンマの体験者は語らん、後で語る者は身勝手な連中や」
中学時代の私はこんな父親の独り言を黙って聞いていた。
小学校5年の時に、我が家に父親と同期であった特攻隊生き残り4人が集まった。
最初は愉快に語り合っていたが徐々に口数が少なくなり嗚咽が漏れた。
私は酒の運び役で横に居て4人の会話は聞いていた、今も記憶に鮮明に残る。
特攻隊生き残りの話を直に生で聞いた私は、その後の特攻話に違和感をもつ。
啓蒙されたとか、神国必勝を信じていたとか面白おかしく作られる特攻話。
父親達は、学徒出陣で海軍に入隊し、自ら特攻隊に志願した。
無理やり志願させられたとか云々とか悲劇のつくり話がまかり通っている昨今。
学徒兵は帝国大学や名のある大学の学生で、世界のことも良く学んでいた。
父親達の話では、多くの仲間は日本の敗戦を予感していたという。
特攻とは、日本人の戦い様・死に様を敵に見せてやるという意識があったという。
それに特攻隊に入隊後、辞退を申し入れることも可能であったとか。
実際に父の仲間では特攻入隊後に辞退して、他の部隊に配属転換した者も居たという。
戦争話や特攻話も少なくなった昨今、戦争や特攻は風化していくのであろうか。
風化させてならんのは天皇の靖国参拝。昭和50年11月が最期になっている。
今上天皇は一度も靖国神社に参拝されたことがない。
武器弾薬食料水が窮乏する劣悪条件の中で、戦い抜き死んでいった英霊。
その英霊が祀られている靖国神社に天皇陛下が参られずで何としょう。
平成が終わる、譲位されるまでに、今上天皇の靖国参拝を願い度。
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