2013.10.19 柿食えば
201310180703.jpg
色付いた柿、種類名は分からないが、畑の柿なので甘柿の富有柿だろう
柿は東アジアの特産で、種類は千を超えるほどあるらしいが、甘柿は日本が原産地
よってかどうか、柿の学名は「KAKI」である

芋名月・栗名月とくれば、柿名月も思うたが、それは無いようだ
奈良と和歌山で日本の柿生産の四割を占めるということだ
今の甘柿の代表は富有柿と呼ばれている品種で、それを作れは農家が富裕になるとかで命名?
何とも芸のない命名だが、「礼記」の中の「富有四海之内」から二字を取り命名ともある
富有柿の元は奈良の御所柿、岐阜の瑞穂で突然変異したもので、明治三十ー年の品評会に出品
明治三十五年死去の正岡子規は富有柿を食べたかどうかはビミョウ

昨日は、月ヶ瀬口の親戚、私のマタ従姉の家まで炭を貰いに出かける
小屋の二階奥に置かれていた炭は、四十年の年期はあるという代物であった
確かに、炭点前や茶会には無理だが、ともあれ火は熾るので稽古で使うことにする
月ヶ瀬は梅の名所で、芭蕉なんかも足を運んで句をヒネッているところである
だが、今回は「梅」ではなく「柿」、月ヶ瀬の女と御所柿と正岡子規の話が面白い

正岡子規が「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」と詠んだのは、明治二十八年十月二十六日
これによって、十月二十六日は「柿の日」だとかなんとか
実は子規、この夜は奈良・東大寺の西横にある旅館「対山楼」に投宿していたのだ
子規は柿が好きで、宿の下女に御所柿が食べたいと無心し、女中が柿を運び皮を剥いた
皮を剥いている十六・七の下女は月ヶ瀬の出で、その色白い顔の美しさに見とれたこと
その柿が御所柿で美味かったこと、その時東大寺の鐘が鳴ったことが、彼の「奈良日記」にある
それで詠まれた句が、件の句である
その日は法隆寺を訪れて奈良に入ったので、つい最後が法隆寺となったが本来は東大寺の鐘

「対山楼」は山岡鉄舟が命名した奈良の老舗旅館で、私の子供の頃まであったが、今は無い
その跡地に「子規庭」がなるものがあり、御所柿の木が植えられ記念碑も建てられている
設計者は正岡子規の孫に当たる御仁だとか聞いた

月ヶ瀬では、子規が梅の精と称えた下女の面影を偲んでみたが、ついぞ拝めなかった・・
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://houan7010.blog.fc2.com/tb.php/153-8340e84d