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2018.10.14 流通市場
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三輪惠比須神社は海石榴市の流れを汲む三輪の市場を守る市神。
テレビでは築地市場の終焉と豊洲市場の始まりと云う話題が氾濫。
先週の産経新聞には築地市場のルーツは400年前との記事を掲載。
家康が連れて来た大阪(摂津)の漁民に日本橋付近で漁をさせた云々。
記事を読み私は思った、魚河岸と市場の違いを記者は解っていない。
河岸とは船着き場のこと、摂津から来た漁民は江戸前(東京湾)で漁をした。
漁船を着ける場所が魚河岸でそこには魚の買い付けする魚問屋が並んだ。
漁民は獲った魚を荷揚げ場で魚問屋に売り渡すだけ、つまり漁民である。
魚河岸を魚市場という流通市場にする概念は漁民にも魚問屋にも無かった。
日本全土を睨んだ市場という概念を持っていたのは奈良・桜井の人達。
大和の上つ道(山辺の道)は中世から有数の交通の要衝地であった。
全国から物産が集まり、桜井の海柘榴市(つばいち)や丹波市
(現天理)が立った。
江戸の魚河岸に市場の概念を持ち込んだのは桜井の人達であった。
『東京市史稿』に、この魚市場は「和州桜井村の大和屋助五郎が魚商として市場を開いた(生簀が人気に)」とに紹介されている。
つまり、江戸湾だけの漁法だったものを、静岡や伊勢湾、房州沖まで展開。
獲った魚を船の生簀に入れたまま活魚として日本橋の生簀に持ち込む形にした。
このことで遠洋のカツオやタイなんぞが日本橋まで運ばれることになった。
江戸っ子が「女房を質に入れても初ガツオ」といったのはここからである。
市場の神様であった桜井の恵比寿神社も日本橋の市場横に祀られ今も残る。
テレビも新聞も400年前の市場開設に働いた桜井の人達に触れていない。
ままこの話、前にも書いたが再度書き込むことにした。
上方では恵比寿神社を「えべっさん」と呼んで商売の神、つまり市場の神とする。
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