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女房に果物を持って行ってやろうと御所柿の皮をむいた。
正岡子規は明治28年10月26日、大阪より奈良へ到着。
市街、興福寺、若草山遠望、東大寺、春日大社を訪ね對山樓(たいざんろう)に宿泊。
翌27日には奈良坂、般若寺興福寺、東大寺周辺を散策。
28日には法華寺、西大寺、垂仁天皇陵、薬師寺、唐招提寺、興福寺を巡り、
29日に法隆寺、竜田川を訪れている。子規の生涯最後の旅であった。
子規が宿泊した對山樓は江戸末期から明治、大正期にあった名旅館。
子規は對山樓での様子を『ホトトギス』の中の随筆「御所柿を食ひし事」で発表。
夜に對山樓の少女(女中)に「柿は食べられないか」と訪ねたところ、
少女が鉢に山のように柿を盛ってきて、柿を包丁で剥いてくれたと回想。
少女は16か17歳ぐらいで、その美しさに子規は見とれたという。
少女が奈良の梅の名所である月ヶ瀬の出身であることから、梅の精霊かと思ったとある。
剥いてくれた柿を口に運び、柿の旨さと場所の心地良さに子規がうっとりしている中に、
東大寺の鐘楼の「初夜の鐘」(午後8時)が聞こえてきたと回想している。
つまり、鐘の音は東大寺のもので法隆寺のものではない。
その鐘の音に、子規はその日に訪れた法隆寺の想いを重ねた一句。
「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」。この話は前にも記事にした。
ゴ~ン・・・鐘の音の余韻に浸りながら大和の御所柿を口に運ぶ子規。
ゴ~ン・・・毛頭のガキ一匹に好きなようにされて来て、今になって頭ゴ~ンの日産自動車。
理工学部で流体力学を専攻していた私の友人は「技術の日産」を就職志望したが落ちた。
日本中から優秀な人材を集めていた日産が何故に毛頭一匹の不正を見逃して来たのか。
「兵・下士官は日本人、将校はドイツ人、将軍はアメリカ人が最良」という言葉を昔に聞いた。
日本のエリートとは、所詮は兵・下士官養成所の優等生。日本社会にゴ~ンと響きわたる。
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