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囲炉裏で飯を喰っている塚原卜伝に後ろから打って掛った宮本武蔵の絵
隙を見せたら負け、それだけが武芸者の掟、今で云う唯一のルールであろう
絵を見るかぎり、木剣のようなので武術修練とも云えそうである
一つ云い足すと、卜伝は元亀二年(1571年)八十一歳で没、武蔵は天正十二年(1584年)の誕生とか・・
卜伝は鹿島の神官、武蔵は重要文化財になる絵画・工芸品、そして五輪の書を残す

「武術と武道」については、易水館範士・若浦次郎氏の書き物に首肯するところが多い
それを要約して掲載する(長文になるので、二日ほど他記事の書き込みは置く)

>「術」と「道」の違いを問われて即座に回答できる日本人は幾人存在するだろうか。「武術」と「武道」を同じ位置に定義してしまっている今の日本人、および国家は「武術」と「武道」を履き違えてしまっている。
 はっきり唱えれば、武道は明治以降である。明治以前は剣術、柔術、居合術で固定されていた。柔道あるいは剣道は明治以降に確立され、保健体育の体力向上を目的として門戸を開放した。  柔道の加納師範は武道精神を輸出するために、初のアジアでのオリンピック開催を訴えた。武道とは明治以降に確立された呼び名であり、和魂輸出を目的としていた・

「術」は流派の掟により門戸を開放せず、流派の特徴である秘伝を公開しなかった。このために発展が遅れたようであるが、結果的にはよかったのである。門生弟子を一般募集せず、各藩の流儀として温存していた為に、秘伝は地下水脈として世間より隠し通されていた。沈黙の民族の地下水源であった。
武道家といえば武芸十八般を会得する者とされ、十八種の武芸とは(弓術、馬術、槍術、剣術、水泳術など)あらゆる武芸に長じた者を武芸者と呼ぶのである。今の日本では空手道、剣道、柔道、居合道、合気道と単独スポーツも一般に武道家と混同されているが、実際には武道家と武芸者は全く違うのである。

武芸者として認識すべきは多種多芸、十八種の武芸に通じた武術者のことを古来より指すのであり、 術は統べ成るかな、総ての道、学術、芸術、美術、武術を追い求めて、肉体と知性の武芸十八般を漂泊し、防護護身の技の完成を希求し、自己確立を目的とする。「よく整えし己こそ誠得難き寄る辺なり」武士は藩(国)のために、また家門一族の栄達のために武術と芸術に勤しんだ。鎌倉幕府の武士派の格言は「わが屍を乗り越えて行け」親子の間でも躊躇することなく、親、子の死体を踏みつけ敵に遅れをとるな、逆に言えば深い絆で結ばれていた証である。平将門は武士の規範と道理、道徳を打ち立てていた。「敵の女、子供に手を出すな」女の実家まで護衛をつけて送り届けた。西暦940年(天慶3年)の事である。
現代の武道とは単に一歩道、唯一つの種目を飽きもせず生涯の友として他の種目を顧みない排他的な儒教思想に近く自己の種目こそが他の武道より一歩先んじているといった思い込みの武道であると言える

日本には江戸時代以前から、支那、朝鮮から仏教、儒教、道教なる思想哲学が輸入されていたが、その影響から、諸方に対し道号なる呼称を用いたがる傾向が顕著に感じられる節がある。人の上に立つことを目的とし、尊敬と畏敬の念を得るために道号で飾り付けたがる。何でも道なる呼び名を付ける習慣が日本民族に取り付いてしまったのである。(「これを、朝鮮被れ支那惚けと申すのである。腐れ儒者とも言われる」)

道とは短くて呼びやすい神秘的な漢字ではあるが、江戸時代には儒道、仏道、新道、道家、医道と善悪、上下、貴賎、貧富と総て二説を立てる教門の私法であり、「私くしの道」であったと道とは「人間の食道」に当たる。「知恵の偏った怠け者」と一喝した学者が日本にいた。時の人、江戸時代の八戸の町医者である安藤昌益は統道真伝に書き残している 。食う為の手段であり金銭を目的とした呼び名であった。 安藤曰く、道とは本来自然の進退を指す、と書き残している。簡単に言えば農耕、漁労、林業などの職業人をその道の達人であると説明している。自然には山道、林道、農道、海道、風道が付帯する「働かずもの食うべからず、人間みな平等」であると、そう言いたいのである。

 日本の道号は、時の支配階級に接近する目的のために利用した道学である。この為に道の呼び名が氾濫する。人に敬われ人を見下すための偽りの処世術であった。太平の世の江戸時代に武士道が廃れ旗本八万旗は武芸を忘れ、武道家という言葉が希少価値として書物に書き記されてきた。如何に武士の中に本来の武士の姿を見出す事が出来なかったかの左証であろう。そのために文武両道なる二本の道だけが一人歩きした。「葉隠武士道曰く、武士は死ぬ事を見つけたり」死ぬにも二つの死があった。私憤で切腹か、大儀で切腹か、前者が小忠義、後者が大忠義である。私闘なら最悪である。御家断絶の憂き目であった。


日本道とは二つの解釈ができる。憲法第九条がそれを表している。世界平和を目的として武力を放棄する。一切の抵抗権、自衛権を放棄すると、目的の世界平和が達成されない時はどうなるのか、武力は放棄されないのである。是と同位置で戦後の平和主義では武道で、戦前の殺伐とした時代は武術であった。マスコミにおいて古武術ブームが到来している今日において、武術を武道として社会的に同義語に定義してしまっていいのであろうか。剣道と剣術が違うようにまた柔道と柔術が違うように、真剣居合術と居合道が違うように、武術と武道を別の言語とするか一体として同義語に定義してしまうのか意見の分かれるところである。

剣術では命のやり取り、生き残るための種族闘争の闘争術でルール成る物は存在しなかった。ただ、危険を避ける為に寸止刀法、さらに新影流の袋竹刀などで実践剣術を研究し、柔術と連結していた。歴史は古く中世古代まで遡ることが出来る。 剣道は指定の時間と引き分け延長があり、右足踏み込みの面小手胴突き、左足踏み込みの技は一切勝利のポイントとはならない規則としてしまった。竹刀は軽く三百から四百グラムで長さも決まっている。そして真剣では出来ない二度・三度振りが可能だ。剣道は薙なたに勝って始めて剣道といえる。現代剣道は、右手主体の竹刀速当て競争である。われわれは日本文化の剣術と剣道の選別をはっきり区別しなければ成らない時期に来ていると思われる。

術は文化省で管轄し、道は文部省で管轄されるべき物である。柔術と柔道も全く違うのである。柔術は実践を想定し、胴着に袴を着用して技を掛け合う、柔道は胴着にズボン(パッチ)を履く業は技と呼ばれ、投げ技は似ているが危険度は柔術の方が数段上である。柔術の関節技、逆技、捩り。捻り、当身(白手)においては柔道では全て反則業に適用される。柔術とは甲斐実践用の組み討ちに考案された殺略を目的として敵の命を奪う戦闘術である。 術は実践、無の境地、誇りである。道は机上の空論だと、プロシャのクラウゼブィッツハ戦争論に書き記す

居合術においてはもともと声を出さない、声を出すの起源は百姓、郷士剣法に由来するのである。恐怖の裏返しであること良く認識し、現代武道家は気合について考察すべきである。奇声は一歩間違えば精神病院行きである。はったり気合は神秘性が欠落する日本文化の沈黙の掟である内なる精神、品格品性をも失う恐れがある。現代日本武道は内面的精神を失ってしまい外面的文化を模索してしまった。匠の精神工房の精神を忘却している。日本の軍部官僚はこの奇声を初年兵教育に取り入れ気合が足りないと扱きの雨霰で鍛え捲くった。高等監獄と陰口を叩かれた。田舎者が更なる田舎者を気合が足りないと扱った

道とは一直線、ただ一つの道であり、専用道路の道であり袋小径の世界である。一歩道に凝り塊たまった戦術戦略であった。 武士道新渡戸稲造の著作は廃刀令以後に書かれたもので、武士は勇者の責任を果たす。現代で言えばエリートの責任、日本を代表する政治家、官僚、文化人マスコミらの国家国民に対する社会的責務を果たす役割を示唆しているのである。日本の武士は明治維新と共に武士の特権を放棄して野に下った。抵抗勢力は敗北を認めたのである。これが稲造の武士道である。稲造が武士に送った挽歌の書物である。稲造は最後に武士の偽者が氾濫すると予言して心配している。著者が著す術と道の使い分け、道が偽者で術が本物であると言いたいのであるが、マスコミの古武術ブームで術の偽者我流剣法者が現れ始末に負えない今日。歴史認識は消え失せ、報道マスコミが取り上げ、奇抜さを売り物にして食道の糧に心血を注いでいる。まさに虚道の世界である。先人の命を懸けた真剣刀法の真髄は踏みにじられ山師刀術を古流剣術と宣伝し、古武術愛好家を迷路に招き寄せる。無知なる現代人を遠回りさせ無駄なる時間を浪費させる。百害あって益なし。

術とは総ての道、知性と道徳、術と業において、敵人の攻撃に対する防御と護身を兼ね備えていなければならない、武の伐を止める字の如しである防御にも知性と武力の二つがいる。知性とは、世界の歴史と祖国の歴史を比較分析することが涵養である。外交とは歴史認識の記憶である。我が国の武道家は歴史に疎く体育会系は文科系に疎んじられ心の隅で軽蔑されて来た。特に現代武道家及び日本の精神といわれる真剣、或いは武士の魂であると言われる日本刀に対する知識が欠け落ち、拵(こしらえ)と白鞘の区別が就かなく、危険この上ないのでここに白鞘と拵えについて考察しておく。

武道家を名乗る道学者は、能く能く認識しなければ滑稽この方無しで、日本武道の信用失墜を招く恐れがある。白鞘で剣舞を舞い、居合の物真似を弟子に指導するは、これ愚鈍先生なり。汗で柄は滑り、手の内より擦り抜け飛び出す、鏡を割り、床は傷つけ、公共施設の損傷に行き着くのである。パジャマ剣法と呼ばれる所以である。判りやすく断言すれば、術が拵えで白鞘が道と思われてくる。竹刀術と真剣術の隔たりの大きさを実感することが出来ない今日の剣道愛好家は、哀れであり滑稽である。
 真剣居合術から見る竹刀術は子供の時から、背中に密着した竹刀の降り方を指導され、真剣術で悪癖と指摘される二度振り三度振りを稽古に取り入れ武道としての姿形を見だす事が出来ない、日本剣道の怠慢がここに歴然する。日清・日露戦争で活躍した単発田村銃(三八式歩兵銃)を、四十年間も改良せずに大東亜戦争の敗戦まで使い続けた日本軍官僚と同等の知性の愚鈍さである。

 剣豪宮本武蔵は、「真剣は少しずつ重たくしなければならない、よくよく鍛錬すべきである」と五輪書にて書き伝えている。「石火の打ち、紅葉の打ち」曰く、敵の刀を簡単に打ち落とすことが出来る。当流二代目田宮平兵衛は、「手に適いば如何ほどでも長き柄を用うべし。柄長きは八寸の徳」と伝えている。重き刀を使いこなすのは業の内、長き刀、柄もまた術の内に入るのである。術は実践、実践は無の世界、術は民族の誇りなり。
 道とは歴史である、歴史とは道である。戦前は皇国史観で、敗戦後は懺悔史観が王道としてまかり通り、教育は敗退して国家は行詰の道、目の前の悪に対し、なす術もなく、社会正義は忘却の彼方へ消えてしまった。誇りとは草莽の正義である。



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